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第13回 

「よくこんな場所見つけたな。許可は…まあ,ぬかりのないお前のことだから…」

「許可も何も。ここは,俺の実家の土地だからさ。」

 柿沼は,あっさりと答えた。小さな橋を渡って,門の鍵を開ける。長い間雨風に晒されてきたのだろう。金属が軋む音が辺り一面に響いた。俺も慌てて後に続く。抱えているラジカセが重くて邪魔だ。

「そんな都合のいい話が…」

「偶然なんだよ。これが目的じゃない。うちの親が駐車場にしようとして買った土地に,たまたまあっただけだ。」

 俺たちの前に,廃墟と化したアパートがたたずんでいる。見上げると,写真よりずっと大きな印象だ。柿沼が,振り返って言う。

「バブルの頃じゃあるまいし,今どき駐車場経営なんて,って思うけどな。でも,意外なところで役に立つなら,それも良かったよ。」

 人の気配がする。マトリョンたちは,少し前に着いていた。廃墟慣れしている浅岡も一緒だ。柵の破れ目から入り込んだのかもしれない。

「ありがたいよ。監督が大満足のロケ地を提供してくれて。」

「ほら!もう始めるよ!さあ,準備!準備!」

 大きな声が聞こえた。浅岡だ。年甲斐もなく,思い切りはしゃいでいる。

 数日前のこと。マトリョンが唐突に言い出した。

『MV作りませんか?』

 確かに,アイドルにMVは必須だ。それで,浅岡に話したら,自分が撮ると言い出した。最近カメラを買ったらしい。それから,市内でいい場所がないか探すと,柿沼から提案があった。浅岡の趣味を知っているから,すぐ思いついたらしい。

「カッキ―,最高だね,ここ。」

 浅岡が,満面の笑みを浮かべて現れた。廃墟用の盛装なのだろうか。迷彩服に身を包んでいる。重そうなチェーンをぶら下げているのは,いつも通りだ。

「気に入ってもらえてうれしいよ。」

「テンション低いなあ。夢のようじゃない?『マイ廃墟』なんて。だって,独り占めなんだよ。入り放題,撮影し放題なんだから。」

「とにかく好きに使ってくれていいよ,壊すなり,燃やすなり。じゃ,また後で。」

 柿沼は,軽く手を振って,背を向けた。浅岡のノリに引き気味なのは間違いない。でも,それだけでもないような…

「監督。準備オッケーです。」

 建物の陰からマトリョンが顔を出した。俺を見つけて,軽くうなずく。

「じゃ,行こうか。」

 浅岡が,先に立って歩き出す。回り込むように進むと,橋と反対側に玄関があった。既にリハは終わったのだろう。扉が,半開きになっていた。ガラスには大きなひびが入って,枠も朽ちかけている。

 マトリョンとメイリンは,着替えを終えていた。涼し気な白いワンピースだ。それにしても,やけに丈が短い。もちろん,浅岡の趣味に決まっている。

 こんな服を着るのは,初めてかもしれない。マトリョンは,照れを隠せない様子だ。気まずそうに,しきりに裾を気にしている。その姿を,メイリンがじっと見ていた。

『ワンピースヲ着タラ,裾ヲ掴ムノガ普通ナノデスカ?』

 撮影用プログラムがなければ,そう訊いただろう。

「じゃ,撮るよ。ワンカットだから,失敗は許されないからね。」

 カメラを手に浅岡が言った。軍隊の上官のような口調だ。でも,コケるなら,テンションが上がり過ぎたこいつ以外なさそうだ。

「いい?何かトラブルがあっても,とにかく続けてね。カメラ止めないから。」

「っていうか,ワンカットなのは,編集が面倒なだけだろ?」

 おもしろくなって,つっこんでみた。マトリョンが吹き出す。

「わかってないなあ。ワッキー,覚えてないの?バンドだって,1テイク目が勢いがあって,一番良かったりするでしょ。」

 もっともらしいことを言って,浅岡が視線を移す。メイリンに近づいて,肩を叩いた。

「メイリンちゃん。豪快に頼むよ。一発目のインパクトが大事だからね。所有者の許可もあるんで,遠慮は要らないから。」

 メイリンが,こくりとうなずく。浅岡は,少し離れた甲田に呼びかける。

「凌ちゃんも準備はいい?」

「完璧っす。」

 カメラを掲げて甲田が答えた。上下とも着古したスエットだ。全身から脱力した雰囲気が伝わってくる。浅岡は,満足げに笑って,移動を始めた。甲田だけが,その場に残る。

「オッケー。もう傑作になる予感しかしないね。」

 建物の側面まで戻ると,浅岡は足を止めた。重そうな石を拾い上げて,メイリンに渡す。

「じゃあ。気合い入れていきましょう。よーい。アクション!」

 昼下がりの住宅地に,浅岡の声が響く。メイリンは,無表情のまま,石を振り上げた。躊躇なく,それを窓に叩きつける。ガラスが派手に砕け散った。 

「!!」

 飛びのいたマトリョンが,カメラに歩み寄る。両手で「✕」を作って,首を横に振った。編集では,テロップが入る予定だ。

『よい子はマネしないでね。』

 マトリョンが,カメラから離れた。メイリンは,割れ目に手を入れて,カギを開ける。足下にビール瓶を入れるケースがあった。それを踏み台に,中に入っていく。ここでまたテロップ。

『不法侵入,ダメ絶対。』

 マトリョン,浅岡,俺の順で後に続く。食堂だったのだろう。中には,いくつも壊れたテーブルや椅子が転がっている。浅岡が,俺に視線を送る。うなずいて,ラジカセのボタンを押した。「マトリョーシカのテーマ」が大音量で再生される。

 マトリョンが,部屋の中央に立った。曲に合わせて,直立不動で歌い出す。その周りを,浅岡がゆっくり移動し始める。360度カメラに収めるためだ。予算があれば,何台もカメラを使うところだろう。でも,今回は「予算ゼロ」がコンセプトの1つになっている。浅岡は,のんきな顔で言っていた。

『手動のブレが味になるんだよ。』

 偉そうな物言いだが,映像面では,まったくの素人だ。

 メイリンが,奥から戻って来た。白い物がいくつか宙に浮いている。マグカップと湯呑だ。メイリンは,ジャグリングしながら,カメラの視界に入る。

『ネットは万能じゃない/「どこでもドア」は手に入らない/どうしても埋められない距離がある』

 曲がサビに入る直前。メイリンが身体を沈めた。勢いよく足を振り上げて,コサックダンスを始める。少しの狂いもなくジャグリングを続けながら。

『退屈しのぎでいいから愛して/わたしたち/マトリョーシカ』

 マトリョンが,カメラ目線でウィンクする。と思うと,背を向けて歩き出した。ジャグリングを止めて,メイリンがついていく。狭い階段を上って2階に向かう。俺も,用心しながら,薄暗がりを進んだ。ここで転んだら,一生ネタにされる。

 2階の通路も狭かった。両側に部屋がある。中の様子とメイリンの背中。カメラが,交互に収めていく。正面から強い光を受けて,思わず目を細めた。2人を追い越して,浅岡がドアを開ける。

 3人の姿が消えた。俺も,足早に外に出る。斜めに壁を横切って,外付けの階段があった。ひどく急だ。それでも,マトリョンとメイリンは,軽やかに上っていく。若い。なんて感心している場合じゃない。這うような姿勢で浅岡が追っている。年のせいとは違う。ローアングルで撮りたい。ただそれだけだ。

『オヤジかよ。』

 思わずつっこんだ。学生時代から,浅岡には,おっさんのようなところがあった。

 かわいい女の子の画像をスマホにストックする。今では,そういう女性も珍しくない。でも,当時は違った。同性愛者ではない女性が,美少女好きを公言する。それは,かなりレアだった。

 回想に浸っている場合じゃない。この角度はシャレにならない。しかも,ラジカセ持参というハンデもある。足を滑らせたら,笑われるだけでは済まない。命に関わる。

 浅岡が視界から消えた。そろそろ2番のサビに入る。俺は,力を振り絞って,残りの段をクリアする。最後のシーンは,屋上で…

『!!』

 大声を出すところだった。何かに足をとられて,転びそうになる。踏みとどまって,足元を見た。錆びた金属の塊だった。ソーラー湯沸かし器というのか。昔は,よく目にしたものだ。

 ほっとして,視線を上げる。また声がもれそうになる。浅岡の背中の向こう。マトリョンとメイリンが,サビを待ってスタンバイしている。それは,もう見慣れた姿だ。でも,衣装が違う。2人は,ワンピースを脱ぎ捨てていた。華奢な身体を包むのは,純白のビキニだけだ。ひび割れたコンクリート。転がる無数のガラクタ。鈍色の風景のなか,日差しに映える白が眩しい。

 最初からこんなコントラストを狙っていたのだろうか。モニターに見入る浅岡に目をやる。ひどく真剣な横顔に,笑みが浮かんでは消える。訊くまでもない。きっとドヤ顔で答えるだろう。

『当たり前じゃん。彼女たちの肌の白さを活かすには,これでしょ。』

 メイリンがコサックダンスを始めた。朽ちた竿竹を器用にかわして,高速移動する。マトリョンは,微動だにしない。カメラ目線で歌い続けている。

『高級ブランドも売ってる/だけどネットカフェはない/ネカフェ難民にもなれない。』

 ボーカルパートが終わりに近づく。メイリンが,マトリョンから離れた。リズムは正確そのもの。だから,目立たない。が,メイリンの上半身は,時折小さく揺れる。このブレさえプログラムだというから驚く。まあ,五十嵐に言ったら,こともなげに返すだろう。

『だから,完璧だって言ったんです。完璧じゃない人間を完璧にコピーしてるんですから。』

 メイリンが,すくっと立った。口元だけで笑って,背を向ける。駆け出した。側転。マトリョンをすり抜けて…もう1回。

『わたしたち/マトリョーシカ』

 マトリョンが,カメラを指さした。メイリンは止まらない。ロンダート。からのバック転。そして,バック宙。高い!軽々と柵を超えた。

 スローモーション?ストップモーション?視界が脳内加工される。メイリンが両手を広げる。フェードアウト。後には残像だけが…

 すべて予定通り。とはいえ,シュールだ。曲はとうに終わっている。俺は,役目を終えたラジカセを置いた。

 時間が止まった。そんな錯覚に襲われた。マトリョンは,まだ動かない。笑顔まで固定されている。何の音も聞こえない。風もなく,ただ陽射しが降り注ぐだけ。

 靴音が響き,我に返った。浅岡が,カメラを構えたまま歩き出した。マトリョンの脇を抜けて,柵を目指す。俺は,半ば反射的に後を追う。

 浅岡が,柵の下にカメラを向けた。つられるようにのぞき込む。数メートル下。メイリンと甲田が見上げていた。マトリョンも隣に来て,2人に手を振る。甲田が,自慢げに親指を立ててみせた。



「いつもつき合わせてわるいね。」

「どうも。でも,好きでやってるだけっすから。」

 甲田が,うっすらと汗のにじむ顔で言った。俺が差し出したペットボトルに手を伸ばす。

「でも,この時間をバイトに回したら,それなりに金になるのに。」

「バイトはやってますよ。でも,それだけじゃ,退屈じゃないすか?角脇さんだって,浅岡さんだって,退屈だからこんなことやってるわけでしょ?」

 人を食った態度が鼻につかなくはない。それでも,腹が立つことはなかった。少なくとも,甲田は,暇と退屈の区別はできている。

「退屈か。それは否定しないけどな。で,あまりに退屈で,年季の入った退屈しのぎを間近で見たくなったと。」

「まあ,そんなとこっすね。だって,俺なんて,この年でもう生きるのに飽きてるんですよ。だから,倍以上生きてる人を見て,どうやって時間をつぶすのか知れたら,ラッキーじゃないすか。」

 そう言って甲田は,地べたに座り込む。木にもたれて,だるそうに見上げた。絶え間なくはしゃぐ声が聞こえてくる。降りて来たのは,俺だけだった。浅岡たちは,まだ中に残っている。オフショット撮影。それらしい理由をつけて,まだカメラを回していた。

「別に参考にもならないと思うけどな。」

「十分っすよ。立派な学歴持ってる人たちが,いい年してバカやってるってだけで,意味がありますから。」

 ふざけているわけではない。これが,甲田の自然体なのだろう。俺も,足元を確かめて,腰を下ろした。

「意味ってほど大げさなもんじゃないだろ?でも,こんなくだらない人生が,誰かの役に立つなら,そういうことかもしれないな。」

「そうっすよ。瀬田ちゃんだって…」

 珍しく甲田が口ごもった。そういえば,ここ数回の活動に,瀬田は顔を見せていない。

「そうだった。最近,光瑠ちゃん来てないけど,何かあったのかな?」

「ああ。たいしたことじゃないっすよ。ちょっと親とトラブってるだけなんで。」

「親と…」

 瀬田との会話を思い出す。親が公務員にさせたがっている。そう言っていた。詳しくは知らない。が,頭が固い親なのは間違いない。

「考えてみれば,無理もないよな。受験生なんだから。」

「そうかもしれいっすね。去年の俺なんて,気楽なもんでしたけど。」

 他人事のように言って,甲田はペットボトルに口をつける。確かに,厳しい受験を経験したようには見えない。甲田が通うのは,希望すればほぼ全員入れる専門学校だ。

 学習時間,偏差値,倍率。受験生の日常につきまとう言葉たち。でも,甲田にとって重要なのは,まったく別のことだった。美宙祈や仲間たちと離れ,退屈な地元に残る。気になっていたのは,そういうことだろう。いや,今問題なのは…

「いずれにしても,彼女にもわるいことしたな。」

「気にすることないすよ。本人が好きでやってるんだし。」

「まあ,そうだけどさ,大人になると,いろいろ考えなきゃならないことがあるんだよ。俺から親御さんに話をしたほうがいいかもな。」

 俺は教師じゃない。でも,同じ校舎で働いている。だから,嫌でも責任を感じてしまう。甲田が,鼻から息をもらした。

「ほっとけばいいんすよ。大人?角脇さんの若い頃のことは知らないけど,今の学生は,大人と戦える手段もいろいろあるんだから。」

 俺たちが学生の頃。周りの大人は,自分が正しいと信じて疑わなかった。少なくとも,そう見えた。実際,父親はよく言っていた。

『親の言う通りにしていれば間違いない。』 

 俺も,当時の親や教師と同じ,いや,それ以上の年齢になった。相変わらず周りはダメ人間だらけだ。感覚が違うのは,言われなくてもわかっている。それでも,感じていた。昔ほど多くはないだろう。自分は正しい。自信を持ってそう言える「強い大人」は。

「戦う手段か…まあ,ネットとか,明らかに親より知識が多い分野があるのは確かだけど。」

「そう。今は,親のほうが情報弱者なんすよ。ね。簡単には負けませんって,特に瀬田ちゃんみたいなヲタクは。だから…」

 甲田が,何かに気づいて,視線を上げた。2階の窓から,マトリョンが手を振っている。浅岡が持ってきたのだろう。ダブルの白いライダースを羽織っている。照れ隠しなのか。面倒くさそうに,甲田が手を振り返す。そのまま俺を見ずに,口を開いた。

「だから,気にしないで,安心してバカやっててください。」

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