第12回
「コレハ何デスカ?」
目を開けたメイリンが言った。
練習で疲れたのだろう。居間でテレビを見ていたマトリョンが寝落ちした。それをまねるように,メイリンも充電モードに入った。微笑ましい光景だ。
マトリョンに毛布をかけて,ふと気づいた。必要ないとわかっている。でも,なんとなく差別のような気がした。それで,俺はメイリンにも毛布をかけた。
「これ?これは,綿毛布。」
マヌケな答えだ。だけど,それでいいと思った。意味のない行動を説明するには手間がかかる。俺も少し眠い。すぐに観察モードに切り替えたいと思う。でも,それはマトリョンから避けるように言われた。
『面倒だからって,安易に観察モードに切り替えてたら,学習する機会を奪うことになります。』
正論だ。それに,当初の想像に比べたら楽なものだ。日常生活に必要な知識はインストール済みだったから。
「綿毛布デスカ?ソレハ矛盾シテイマス。」
「え?矛盾?」
「ハイ。羊毛ト綿ハドチラモ素材デス。混合デアルナラ,理解デキマス。デモ,コノ感触ハ,オソラク綿100パーセントデス。」
面倒なことになった。毛布は知っているが,綿毛布は知らない。盲点だった。
マトリョンを見る。気持ちよさげに,静かに寝息を立てている。うらめしく思いながら,メイリンに向き直る。
「うん。そうだけど,毛布自体が布団の1つのジャンルというか。たぶん,素材に関係なく,そう呼ばれるようになって,そのなかで綿でできたバージョンが,綿毛布なんじゃないかな。」
「……」
理解に苦しんでいるようだ。メイリンの瞳は小刻みに震えている。こうなると,中途半端では終わらない。とことんつき合うしかなさそうだ。
「まあ。言葉なんて,使われてるうちに,どんどん曖昧になるからね。ジュースだって,本来は果汁100パーセントのものを,そう呼んだはずなんだ。海外では,今でもそうだって聞いたことがあるよ。でも,日本じゃ,果汁の割合に関係ないし,場合によっては,サイダーや缶コーヒーだって,ジュースに含まれることがあるから。」
「ジュース…サイダー…コーヒー…」
ダメだ。他に分かりやすい例は…
「そうだ。ほら。信号もそうだろ?青信号は実際緑だし。」
「道路ノ横断ハ信号ガ緑ノ時。五十風サンハ,ソウインプットシマシタ。」
そうだった。合理主義の五十嵐のことだ。ムダな説明があるはずもない。もっとわかりやすい表現は…
「ああ。そうだ。アイドルって言葉が,まさにそうだよ。元々アイドルは,『偶像』って意味なんだよ。それが,今では,歌って踊る若者がそう呼ばれてるだろ?メイリンも,それはわかってて,アイドルやってるんだよね?」
「ソウデス。ソレハワカリマス。」
ほっとした。五十風がインプットした定義通りだったようだ。俺は,このまま畳みかけることにする。
「その定義だって,変わり続けてるんだよ。女性アイドルに限って話をすれば,昔は,かわいらしい衣装で歌謡曲っぽい曲を歌う人が多かったんだ。でも,今じゃ,ドクロが描かれた衣装を着たり,絶叫系の歌い方をする子もいるからね。それに,年齢の問題もあるね。アイドルとして認められる年齢がどんどん上がって,なかには結婚後もアイドルを続ける…」
思わず言葉が途切れる。またメイリンの瞳が瞬き始めた。嫌な予感が脳内を駆け巡る。
「角脇サン。『アイドル』ッテ何デスカ?」
「墓穴掘ってどうするんですか?せっかく納得しかけたのに。」
マトリョンは大声で笑い転げた。寝癖が残る髪が,なんだか色っぽく感じられる。だが,そんなことに気を取られていられない。
「そうだけどさ。五十嵐さんのインプット通りだったはずなんだ。だから,ちょっと補足して…」
「蛇足だったわけですね。でも,それって…」
マトリョンは,なんだかうれしそうだ。冷めたコーヒーのマグカップを手に続ける。
「五十嵐さんに信頼されてる,ってことじゃないですか。だって,初期設定より角脇さんの言葉が優先されたんですよ。メイリンにとって,角脇さんは神のような存在かもしれませんよ。」
「茶化すなよ。だけど…」
本格的に充電モードに入ったメイリンを見る。膝を抱えているから,小柄な体がさらに小さく見える。
「まあ,そのほうが都合がいい場合もあるな。」
「そうですよ。角脇さんの言葉を優先させるのは,五十嵐さんのデータ更新を待ったら対応できないような緊急時を想定してるんじゃないですか。」
確かに妥当な解釈だ。だが,俺が信用されているかどうかは別だ。会うたびに,面倒な話を持ち込んでいる。トラブルメーカー以外の何者でもないだろう。それでも…
「ところで,角脇さんの答えはどうなんです?」
「答え,って?」
急に話題を変えられて,戸惑う。マトリョンは,好奇心を隠そうとしない。悪戯な笑みが真顔に混じっている。
「だから,角脇さんにとって,アイドルって何ですか?」
「ああ。それか…」
以前,自分の無計画ぶりを悔やんだことがある。でも,それを口にするのは…
「けっこうノープランでしたよね。もしかして,柿沼さんに言われるままに,地元の特産品をからめて『なんとか娘』みたいにすれば,とりあえずオッケーとか思ってたんじゃないですか。」
言葉が出ない。心の中までハッキングされてる気がする。だが,このままでは悔しい。2倍以上生きてきた意地が,わずかばかりだがある。
「確かに,最初明確なビジョンはなかったよ。でも,東京,だけじゃなくて,他の地方都市でもそうだけど,行くといろいろ感じるんだ。特に,街なかをコスプレ姿で歩き回ってる若者を見たりするとね。この町は,区画整理されて,駅前の再開発もあって,一見きれいになったけど,文化的な面では,ほとんど進歩してない気がしてね。だから…」
ふとアイラの顔が浮かんだ。アキバで感じたことを話そうと決めた。
「祭りはあるんだ。でも,サブカル好きが楽しめる祭りはないから。だったら,自分で企画する機会があれば,って考えただけなんだけどね。それに,最初からコンセプトを決めなかったのも,結果的に良かったと思うけど。だって,デスメタルアイドルをやるから,デスヴォイスが出せる子限定とかだったら,立候補しなかっただろ?」
「それはそうですが…」
マトリョンが口ごもる。おっさんの意地で一矢報いた。だが,ほっとしたのも…
「それで,角脇さんにとって,アイドルとは?」
「……」
うまく話をそらせたと思った。でも,そんなに甘くない。マトリョンだけじゃない。五十嵐,メイリン。俺の周りには面倒な女が増えつつある。
「誤解を生むような言い方かもしれないけど,祭りの中心になるものかな。だって,祭りには,ご神体が必要だろ?まあ,とにかくイベントには,わかりやすいアイコンがあったほうが,入り安いからさ。」
特にそれが若い女性なら。これは口にしない。打ち解け始めたとはいえ,セクハラになりかねない。マトリョンは,続きを待っているように見える。まだ足りなさそうだ。
「それに,アイドルって,音楽的にいろいろ遊びやすいんだよ。バンドでやる音楽と違って。最近はそうじゃないアイドルも増えてるかもしれないけど,多くの場合は,音楽に詳しくない人でもわかるように,メロディー重視になってるよね。しっかりしたメロディーがあれば,アレンジでかなり遊んでも許される部分が多いんじゃないかな。」
学生時代から俺はメロディー中心で曲を作ってきた。浅岡も同じだったから,その点ではストレスが少なかった。でも,木崎や柿沼は違った。スタジオでセッションしながら曲を形にするというのがメインだったようだ。
俺にとって,そのやり方は,リアルに感じられない。天ぷらに喩えるなら,中身より先に衣を作るように思えるからだ。もちろん,衣は大事だ。アレンジの良し悪しで,曲の印象は全然違ったものになる。でも,メロディーが良ければ,どんなアレンジが流行ろうが,曲として成り立つ。そんなふうにずっと考えてきた。
「そうなんですか。やっぱり曲を作る人は,見方が違うんですね。」
マトリョンは,感心したように言った。及第点だったみたいだ。ほっとして,俺も尋ねる。
「じゃあ,マトリョンにとってアイドルって何?」
「そうですね。ライブ会場全体の熱量で決まるもの,だって思ってます。」
意外にも,即答だった。訊かれるのを予想していたようだ。マトリョンは,いつもの少し照れたような表情で続ける。
「最近って,昔と違って,名乗ったらそれでアイドルだったりしますよね。ネット上だけだったら,それでいいと思います。でも,観てくれる人がいないとライブは成立しません。もちろん,お客さんが多いに越したことはありませんけど,一人でもいいと思うんです。その場で,お互いに影響を与え合って,何か感じられたら,それでアイドルのライブだな,って思えるんです。」
軽音部に入りたかった。合宿に憧れていた。マトリョンは,きっと誰かと繋がることをずっと求めてきたんだろう。狭いこの町で,ネットの海を彷徨いながら。
気づくと,マトリョンは,メイリンを見ていた。妹を見るような眼差しだと思う。
「だから,メイリンだけじゃなくて,わたしにとって,角脇さんも浅岡さんも柿沼さんも,甲田君も光瑠ちゃんも,それにヲタさんも,みんなメンバーっていう感覚です。」
「いよいよですね。」
根本が,小声で言った。俺にだけ聞こえるように気を遣っているとわかる。
「ああ。もうすぐだな。」
時計に目をやり,わざとそっけなく答えた。12時57分。正直なところ,意外なほど緊張している。
そう。1時にネットで発表がある。「第2回アイドル異種格闘技戦」書類審査の結果だ。
「でも,少し意外でした。エントリー数が増えるのは,予想通りでしたけど,名前が知られてるアイドルは,ほとんど参加してないみたいですね。」
「ああ。やっぱり,普通の対戦形式のライブと価値観がかなり違うからね。無茶して,そのイメージが定着するのが嫌なんだろ。それだけやって勝っても,それほどメリットがあるわけじゃないし。」
前年の優勝者・美宙祈。現在は,東京で活動中で,根強い人気がある。でも,それほど大きな会場でライブができるわけじゃない。失速したというイメージがつかないよう,運営もきっと必死だろう。
根本は,弁当箱をバッグにしまった。少し考えてから,口を開く。
「そうですね。めちゃくちゃやって,本当にやりたかった会場を貸してもらえなくなったアイドルがいましたし,そこまでいかなくても,ライブが荒れるから,共演NGにされたりすることがあるみたいですし。黒歴史になるようなことはしたくない,って子も多いと思います。」
「ほんとそうだよ。このイベントに出たいと思うのは,メジャーの価値観から外れたやさぐれたヤツか,何がなんでも這い上がりたい,っていう最底辺の人たちだろ。」
いつのまにか普通の声の大きさになっていた。まだ休憩時間だ。開き直って話を続けようと決めた。
「まあ,エンジェルズ・ガーデンみたいに特殊な例もあるけどね。フォーメーションダンスが売りの正統派グループなのに,『異種格闘技』にこだわってる。」
「まあ,あそこまで違うと,一周回って異色になってますよね。」
少し驚く。俺の認識をはるかに超えるほど,根本はアイドル事情に詳しそうだ。
「うん。スキルが下の相手に負けたのがくやしいのかもしれないし,アキバ代表って自負から,サブカル色の強いイベントを重視してるのかもしれない。」
「サブカルっていえば,サイトのトップページ。今年も,変わらず覆面女子レスラーみたいな雑なイラストですね。だからなのか,『パンドラちゃん』なんて,真っ先にエントリーを表明してましたから。」
パンチ・ドランク・チャンスメイカーズ。美宙祈の1回戦の相手だ。覆面姿の体育会系女子の集団。延々と「プロレスごっこ」を続けた末,大差で敗れた。
リーダーのハンセン元木のブログ「プロテイン・オア・ダイ」を見たことがある。対戦後,ライブ活動を休止して合宿を始めたようだ。今も,山籠もりして,滝に打たれる毎日らしい。
「でも,一番意外なのは,莉世姉さんがエントリーしなかったことです。ひそかに期待してたんですよ。マトリョーシカと莉世姉が決勝で戦うの。」
根本は,いかにも残念そうに言った。俺も,これには拍子抜けしていた。
古沢莉世。前回の準優勝者。決勝の様子を,俺はリアルタイムでは知らない。彼女を見たのは,フェスのステージだ。フリーズした美宙祈を歌わせるために乱入してきた。自分の秘密をカミングアウトしたうえで,ライバルに檄を飛ばして。やたらと「男前」な姿を覚えている。
「ありがとう。なんか,『理想のメンバーが見つからない』とかツイッターに…あ…」
「1時ですね。」
俺は,ネットの画面を更新した。根本がのぞき込もうと,顔を近づける。音を殺して息を吐いた。ガキの落書きみたいな覆面の女。その下に「書類審査結果発表」のボタンがあった。一瞬のアイコンタクト。視線を戻して,呼吸を止める。クリック。乾いた音が,やけに大きい。現れたリストを目で追うと…
「あった!」
「ありましたね。すごい!」
思わず,叫んで,ハイタッチしていた。他の事務員と目が合って,声を潜める。慌ててPCの画面に視線を戻した。根本が,俺の肩を叩く。
「もうトーナメント表もありますよ。」
そう。このイベントは,すべてプロデューサーの独断と偏見 。トーナメントには,抽選もシードもない。プロデューサー自身が見たいと思う対戦。組み合わせの基準は,それだけらしい。
「1回戦の相手は…」
見たことのない名前だった。2人同時に声がもれる。
「病院坂四十九日…?」




