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第11回


「お久しぶりです。角脇さん…ですよね?」

声をかけられて,視線を上げる。そこには,見覚えのある顔があった。

 知り合いがいるとは思わなかった。アキバに来たのはほぼ2年ぶりだ。前の晩,マトリョンが,PCのパーツを探したいと言い出した。なんとなく懐かしい気がして,一緒に来ることにした。でも,もともとコンピュータに興味などない。それで,つき合い切れなくなって,別行動を取ることにした。歩き疲れた俺は,コーヒーを飲もうと,目の前にあったメイドカフェに入って…

「アイラちゃん…?」

「はい。覚えていてくださって,うれしいです。あ。ここでは,ミズキって名乗ってます。」

あの頃と変わらない笑顔だ。記憶が,一瞬で過去に跳ぶ。つい最近のような気がするが,もうずいぶん経ったはずだ。

俺がアキバに通い始めた頃。アイラは,当時の人気店の看板メイドだった。予備知識はほぼ皆無で,なんとなく名前を知っている店に入った。そこで給仕してくれたのが彼女だった。

「まだメイドさんやってたんだね。最後に会ってからどれくらい経つかな。」

「そうですね…お店が閉まってからは,お会いしてないですよね。だから,もう…7年近いと思います。」

 そうだった。あれは,彼女がいた店がなくなる直前だ。泊りの出張で,最後の営業日に行けない。俺がそう伝えたときだ。彼女は,この笑顔で,少し寂しそうに言った。

『またどこかで会えますよ。』

 その後,アキバから足が遠のいた。彼女が別の店で働き始めたとネットで見たことがある。だが,しばらくして,その店も閉店したと知った。それからは,俺が知り合いのメイドの動向を追うこともなくなった。彼女は,店を転々として,ここにたどり着いたのかもしれない。

「あ!もしかして…」

 通りかかった別のメイドが声を上げた。歳は,アイラと同じくらいに見える。が,きっとかなり年下なのだろう。少し前から,店内を行ったり来たりしていた。明らかに店に慣れていない様子だ。視線は,俺の正面。メイリンに注がれている。

「どうしたの,レミちゃん?」

 アイラが訊いた。でも,まったく聞こえていない。レミは,メイリンをじっと見つめたままだ。

「あの…淑華さんですよね?マトリョーシカの。」

「え?どうして?」

 つい声が大きくなった。アイラも不思議そうにメイリンを見下ろしている。レミは,気まずそうに頭を下げた。

「すみません。突然声をかけたりして。実は,わたしもエントリーしてるんです。『アイドル異種格闘技』に。それで,他にどんな人たちがエントリーしたのか知りたくて,いろいろ調べてみたんです。そしたら…」

「ああ。あの動画を見てくれたんだ。」

 レミは頷いた。自分でも表情が緩むのがわかる。やっぱり,悪い気はしない。

 数日前,カフェでライブが終わると,早速動画をアップした。拡散作戦は,とりあえずうまくいったようだ。

 メイリンは,「観察モード」で2人を見ている。敵意はないと判断したのだろう。口元に笑みが浮かんでいる。

「え?アイドルの方だったんですね。可愛らしいから,どこかのお店のメイドさんかなって思ってました。」

 アイラは,感心したように言った。メイリンに顔を近づけて,レミが目を輝かせる。

「やっぱりかわいいですね。でも…」

 レミは,言葉を切って,アイラに視線を送る。どこか自慢げだ。

「淑華さんは,かわいいだけじゃないんですよ。すごい身体能力なんです。ね。」

 笑みを送られて,メイリンがぺこりと頭を下げた。レミの顔に,複雑な表情が浮かぶ。

「あ…やっぱり…」

「うん。大丈夫。こうしてる分には特に問題はないんだ。」

 レミは,公式サイトで「設定」を読んでいた。それなら話は早い。設定通りに話を続けることにする。つけ加えたばかりのディテールを織り交ぜながら。

「プロフィールを読んでくれたみたいだけど,彼女,言葉が出て来なくて…」

 しゃべらない。ではなく,しゃべれない。そのほうが面倒が少ない。幸い,メイリンが言葉を発するのを誰も聞いていない。役所関係と「サクラフォー」を除いては。

「知り合いに紹介されたんだ。暇さえあれば踊ってる子がいる,って。アイドルをすることに,反対する人もいたんだけど,たくさんの人と関わって,刺激があったら,いい方向に行くかもって…」

 俺は,もっとらしいことを言った。こうして嘘を重ねていく。いつか崩れ去る日が来るのだろうか。そんなことを考えた。

「でも,いいと思います。一言もしゃべらないアイドルって,インパクトありますし。だって,今年の『異種格闘技』,エントリー多いじゃないですか。やっぱり,インパクトは大事ですよ。」

 レミは無邪気に言った。前日に公式サイトで発表があった。エントリー多数のため,書類審査が行われるらしい。俺は,ふと思い出して訊いてみる。

「そういえば,レミちゃんもエントリーしたって言ったけど,グループ,ソロ?」

「グループです。最近誘われて入ったばかりなんですけど,グループは去年も出てるんですよ。『エンジェルズ・ガーデン』っていいます。」

「え!そうだったんだ。準決勝まで進んだ…」

 エンジェルズ・ガーデン。完璧なフォーメーションダンスを披露しながら,美宙祈に敗れたグループだ。彼女にというより,彼女の運営に,と言うべきか。ライブハウスのドアや看板を破壊して,パフォーマンスに利用する。失格ギリギリの秘策だった。あれが通ったことで,イベントのイメージが定着した面もあるようだ。

「あ。お帰りなさいませ!!」

 レミが,新たな来客に気づいた。入口のほうに踏み出しながら言う。

「すみません。長話しまして。では,ごゆっくりどうぞ。」

「うん。お互いに書類審査通るといいね。じゃあ,また。」

 偶然の出会いに気を取られて,存在を忘れていた。気づくと,アイラが笑みを浮かべて俺を見ている。

「角脇さん。なんか少し雰囲気変わりましたね。」

「えっ!?」

「あ。悪い意味じゃないですよ。穏やかになったというか…あ,これも変な意味じゃないです。お互いいろいろあったのかな,って。」

 返答に困った。視線が泳いで,自然と店内の様子が目に飛び込んでくる。常連らしき中年が数人カウンターにいた。そういえば,あの頃は,俺もカウンター席に座って…

 そうかもしれない。当時の俺も,あんな風に見えたのか。週に一度のアキバ。つかの間だけど,退屈な日常から,逃れられる場所。思えば,少しでも楽しもうと必死になっていた。急に恥ずかしくなる。

「まあ。俺も,自分がアイドルの運営をやるなんて,想像したこともなかったからね。人生何があるかわからないよ。」

「角脇さん,言ってましたよね。いつ来ても,学園祭やってるみたいだから,この街が好きだ,って。でも,今は…」

 アイラが,一瞬だけメイリンを見る。すぐに俺に向き直って言った。

「角脇さんは,自分でお祭りをやってるんですね。」

 穏やか。若い頃,そう言われたら,腹を立てていただろう。大それたことをやる度胸なんてない。それでも,いや,だからか,小さくまとまることを拒もうとした。

 でも,今は違う。アイラの言いたいこともわかる気がする。穏やかに見えるのは,少しはやりたいことができているから。そう解釈できないわけじゃない。

「あ。マトリョンさん…」

 レミの声がした。視線を追うと,マトリョンが近づいてくる。場違いだと感じているのか。目を伏せて,頬を少し紅潮させている。それが,結果として,ムダに美貌を振り撒くことになっている。

 店内の視線が,マトリョンに集まり始めていた。俺は,喧騒にまぎれてつぶやく。

「最初で最後の祭りに…」



「よく来たね。さ,入って。入って。」

 先客がいる。一瞬ためらった。そんな俺に構わず,浅岡がせかす。仕方なく靴を脱いで上がることにした。

「掃除もしてないから,汚れててわるいけど,まあ,気を遣わずどうぞ。」

 浅岡がドアを開けた。カーテンを閉めきった薄暗い部屋。目に飛び込んだのは,機材の山だ。レコーディング機器,ミキサー,キーボード,エフェクターにサンプラー。それから,ギター。スタンドに収まらないものは,壁にかかっている。相変わらず音楽浸けの毎日ってわけだ。

 膨大なコレクションに気を取られて気づくのが遅れた。ジャンク感満載の光景の中,男が1人立っている。俺たちと同年代に見える。ちょっと気が弱そうな感じだが,どこかで会ったことが…と思うと,口を開いた。

「こんにちは。じゃあ,浅岡さん。僕はこれで。」

「え?まだいいじゃない。久しぶりに…」

「この後打ち合わせあるんで,また。」

 そう言って,男は何度も頭を下げる。ちょっと俺を上目遣いに見ながら。そのまま後ずさって,ドアの向こうに消えた。浅岡が,名残り惜しそうにつぶやく。

「久しぶりに会ったんだから,もう少しって…無理か…」

「今のヤツ誰だっけ?」

「やっぱり覚えてないか。ほら,昔,ザッキ―が墓場で…」

 思い出した。学生の頃だ。大学は違ったが,東京にいた俺たちは,よくつるんでいた。金がなかったから,公園とか,ときには肝試しを兼ねて墓場で飲んだこともあった。

 理由は覚えていない。あの男もその場にいて,木崎と口論になった。木崎が殴りかかって,逃げようとしたあいつに…俺は,反射的に足をかけた。その後,あいつは,見るも無残な姿になった。浅岡が必死に木崎を止めて,柿沼はただ苦笑いして…

 若かった。で済まされるだろうか。あれは,本当に「反射的」だったのか。

「なるほど。やられたほうは覚えてる,ってことか。あいつは,浅岡の…」

「あたしの大学時代のサークルの後輩。今は,地元のFM局に勤めてるんだけど,番組で使うジングルを作ってほしいって言われてね。」

 やりかけの仕事なのだろう。浅岡は,デスクの上,書類の山に目をやった。

「へえ。みんなちゃんと仕事してるんだな。」

「なに他人事みたいに言ってんの?ワッキーだって,ずっと公務員やってるでしょ。勤続何年とかいうんじゃないの?」

 浅岡が,コーヒーを注ぎながら言った。今さら気づく。おそろしく生活感のない部屋だ。必需品は奥の部屋にまとめた。そう言えばそれまでだろう。だが,ここにはコーヒーメーカーだけ。音楽に関係ないのは,それだけだ。

「正直,続けてるって感覚はないんだ。辞めてないだけ,というほうが正しい気がするよ。今考えてるのは,いかに管理職にならずに済ませられるか,ってことくらいでさ。相変わらず逃げ回ってる。」

 言葉の最後に自嘲的な笑いが交じった。浅岡は,軽く笑みを返して,カーテンを開ける。光が押しよせて,ちょっと目を細めた。ゆっくり近づいて,見下ろしてみる。マンション5階の窓は,駅周辺の街並みを切り取っていた。

「ワッキーも覚えてるかもしれないけど,ここから実家が見えるんだ。」

 そうだった。駅に近かったこともあり,高校時代,浅岡の家の前がよく待ち合わせの場所になった。もちろん,家族には歓迎されてない雰囲気だった。楽器を持った集団がたむろしている。それだけで世間体が悪い。そう言う大人が多かった。そんな時代の話だ。

「田舎だとだね,独身,特に女性に対する風当たりが強いでしょ。だからね,家を出たんだ。あたしも同じ。いまだに親から逃げてるの。」

「そうか。それで,せめてもの当てつけに,わざと家の近くに…」

「そう。くだらないでしょ。」

 浅岡は,思い出したように,コーヒーを差し出した。受け取って,一口すする。心なしかひどく苦い気がする。浅岡と話していて,感覚が過去に戻った。まだブラックコーヒーを飲まなかった頃に。そんな風に思えたりする。

「大人になれなかったのは,一緒だな。でも,浅岡は…木崎もだけど,好きなこと続けて,仕事にしてるんだから,俺よりずっとマシだよ。学生の頃,就活してる先輩を見て,スーツを着るような仕事はごめんだって思ってた。でも,今じゃ毎日スーツだ。」

「そうかな。好きなことと無関係な仕事のほうが,割り切れていい,なんて思うこともあるよ。」

 浅岡は,また積み重なった書類を見た。特に興味を持てないものを作って,小銭を稼いでいる。そう言いたいのだろう。

「ねえ。ワッキー。もう若くない,って思ったのはいつ?」

「え?」

 展開が急だ。フォローが下手な俺は,言葉を探して…見つかる前に,話題が進んでしまう。昔からそうだった。浅岡が先に口を開く。

「あたしはね,自分が歌わなくてもいい,って思った時かな。若い頃は,自分が作った曲は,自分で歌うのが当たり前だって思ってたからね。ほら。よくケンカしたじゃない。どっちが歌うかで。」

 そうだ。一緒にバンドを組んでいた頃。メインボーカルは俺だった。が,時々浅岡が歌いたいと言い張って,口論になることがあった。そのうち,無言の取り決めが出来た。曲を作ったほうが,ボーカル&サイドギター。そうじゃないほうがリードギター。それで,バンドの平和が保たれた。

「だって,若くてかわいい子が歌って,話題になったほうがいいでしょ。こんなおばさんが歌うより。結局,聴いてもらってなんぼだからさ,音楽は。あ。それは,ワッキーも同じか。」

「ああ。言われてみれば,そうかも。」 

 今,俺の曲をマトリョンが歌っている。それを見て,自分が歌いたいと思ったことはない。確かに,昔は,誰かが俺の曲を歌うのは想像できなかった。

「うん。そうだよな。この間のライブの映像をネットに上げてさ,もちろんアクセス数は気になるけど,曲単体で考えることはないからな。メイリンのパフォーマンスやマトリョンのルックスで話題になるなら,それでいいし。彼女たちのスペックに曲が勝ってるとか,負けてるとか,考えることはないな。もう俺の手を離れてる感覚だよ。」

 全部本音だ。自分が前面に出なくてもいい。アイラが言った「穏やかさ」。それは,こういうことかもしれない。

「あともう1つ。」

 浅岡が手招きした。近づいて,テーブルの上を見る。そこには,革製の大きなトレーがあった。思わず見入ってしまう。その数は,20を超えているだろう。シルバーのアクセサリーが並んで,鈍い光を放っている。ブレスレット,リング,ペンダント,キーチェーン…中でも目を引くのは,ウォレットチェーンだ。スカルが連なって,端には巨大なヘビのキーパーが…

「この間も思ったけど,これめちゃくちゃ高いヤツだろ?」

 俺も,興味がないわけじゃない。でも,ちょっといいと思うものは,数十万したりする。だから,泥沼にハマりそうで,手を出さないでいた。

 浅岡は,手を伸ばして,財布をなで始めた。インレイというのか。異素材で出来たクロスの部分。それは,赤く染められた爬虫類の革だ。

「まあね。ここにあるだけ揃えるのに,それなりの車が買えるくらい金かかってるからね。」

「だろうな。それにしても,お前も変わらないな。学生の頃から,全身アクセサリーって感じだったから。あ。でも,そうか。」

 思い出した。あの頃,一緒にアクセサリーを買いに行ったことがある。バンドの方向性を合わせる,という名目だった。形から入るというヤツだ。

 当時の写真は「黒歴史」になっている。安いアクセをジャラジャラさせて,今見ると,かなり痛い。でも,若気の至りで済まされるかもしれない。だから…

「なるほどな。変わったのは,アクセサリーの値段も,ってことか。」

「うん。まあ,単純に好きなのもあるんだけど…やっぱり,いい歳して安いアクセサリーつけてるのは痛い,って思われたくないのもあるかな。ね。カッコつけるのにも金がかかる歳になっちゃったよね。ワッキーはどう?」

 マトリョンとメイリンの顔が浮かぶ。若い頃は,かわいい子と歩くのは,単純にうれしかった。でも,今は気になることがある。周囲からどう見られているか,とか。

 俺は,苦笑まじりに答える。

「ああ。似たようなもんかな。」

 就職とか結婚とか子育てとか。普通なら,生活の変化に挙げるのは,そういうものだ。人生の転機ってヤツが真っ先に浮かぶだろう。それが,音楽とか,アクセサリーとか,若い女とか…時間が流れたのに,どこか止まってるような…

 俺は,残りのコーヒーを一気に飲み干した。「中年トーク」の後だ。感覚は元に戻っているはず。なのに…俺は,この苦さを噛みしめるように,ゆっくりつぶやく。

「いずれにしても,お互い,やっかいな歳になったな。」

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