第10回
「こんな感じなんですね。」
背を向けたまま,五十嵐がつぶやいた。手すりにもたれて,街を見下ろしている。陽は沈んだばかり。夕闇が辺りを包んで,眼下一面に灯りが瞬いている。
「いちおう若者のあいだでは,インスタ映えするポイントになってるらしいですよ。」
俺は,息を整えながら答えた。一歩踏み出すたびに膝が痛む。
数年前に改修された石垣。城自体はないから,パッと見は殺風景だ。でも,夜景を見るには悪くない。まだ時間が早いが,もう少ししたら,カップルが集まってくるらしい。そういえば,去年美宙祈が当時のマネージャーと写真を撮られたのも,ここだったはずだ。
「写真1枚撮るために,こんなに苦労するなんて,まったく理解できません。」
駅の近くから長い坂を上ってきた。さらに,この展望台の下に,急な階段が立ちはだかっている。心が折れそうになった。でも,若くない自分にはきついが,五十嵐はまだ二十代だ。
「じゃあ,どうして?」
「この町には何度も来てますが,ここに来るのは初めてです。駅から見えるから,ちょっと気になってただけです。」
待ち合わせ場所に指定した理由。五十嵐は,事務的な口調で説明した。いつも通りだ。着ているのは,タイトな黒のスーツ。眼鏡の縁が,鈍く光っている。
俺はといえば,仕事帰りで,ネクタイを外しただけのスーツ。後ろには,ワンピース姿のメイリンがいる。以前にも思った。傍からは,再婚した夫婦と娘に見えるのだろうか。それとも,娘が2人がいる…
「コノ景色ハ見タコトガアリマス。」
ネットの海のどこかで出会ったのだろう。メイリンも足を止めて言った。暗くて見えないが,小刻みに瞳が動いているはずだ。彼女のなかで,画像が拡大と縮小を繰り返す。そんな様子を想像した。もしかしたら,俺の家も見えているのかもしれない。
「それで,提案というのは何でしょう?」
五十嵐が振り向いた。もう夜景には興味がない,という雰囲気だ。俺も,街灯りから目を逸らして言う。
「マトリョンと,マトリョーシカのコンセプトを考えたんですが,メイリンがヒューマノイドだと,あえてバラすのはどうか,という話になったんです。」
「バラす,というと?」
五十嵐の表情が変わった。それでも,大声にはならない。俺が引き起こす面倒には,免疫ができている。そういうことだろう。
「バラストイウノハ…」
自分が話題になっている。それも重要なことらしい。そう気づいたメイリンが反応した。
「誰カニ秘密ヲ漏ラスコトデスカ?ソレトモ,殺スコトノ…」
メイリンの口は,そこで閉じた。気づくと,五十嵐がスマホを握っている。強制的にモードを切り替えたようだ。メイリンは,また周囲を「観察」し始める。
「この状況を利用しようということになったんです。」
俺は,声のトーンを下げて答えた。噂通りだ。手を繋いだカップルが姿を現した。一瞬,俺たちを見たが,すぐ自分たちの世界に戻る。
『このままじゃ勝てないです。』
昨夜,マトリョンが言い出した。「アイドル異種格闘技」を見据えてのことだ。
去年優勝した美宙祈は,「宗教アイドル」だった。決勝を戦った古川莉世は,「福祉アイドル」。他にも,グダグダのプロレスを見せたグループや,大道芸を披露したユニットがいた。
ほんの思いつきから始まったイベントに違いない。当初は,イロモノとしか思われていなかった。それが,一部のサブカル愛好家のあいだで話題になり,第2回の開催が決まった。エントリー数が多ければ,書類選考があると聞いている。だから,間違いなく,去年以上に奇抜なコンセプトが増えそうだ。1次審査をクリアするためには,それなりのインパクトが必要になる。
五十嵐は何も言わない。それで,俺は,説明を続けることにする。
「2人とも,これまでは,大きなミスもなく,なんとかやってきました。でも,今後何かトラブルがあるかもしれません。それを考えたら,悪くない発想だと思うんですが。」
ヒューマノイドと,それを管理するリケジョ。現実を,そのまま設定にする。そうすれば,多少不自然な言動や失言があっても…
「角脇さん。それが,アイドルユニットのコンセプトとして秀逸かどうかは,私には判断できません。でも…」
ようやく五十嵐が口を開いた。考えがまとまったようだ。
「管理する側としては賛成できません。2人が人気が出れば,マニアからも注目が集まります。きっと,どのくらい精密にヒューマノイドの動きを再現できているかなどを検証するでしょう。たいていは,悪意を持って,です。」
最後の言葉に力がこもっていた。確かにそうだ。どんな分野にも,意地悪くあら探しする連中がいる。何がきっかけでバレるかわからない。
「なるほど。そうですよね。わかりました。別の方法を考えます。」
あっさり引き下ることにする。一石二鳥と思っただけで,こだわりがあるわけじゃない。また練り直して…
「それと,こちらからも1つお話があります。」
俺のほうを見ずに,五十嵐は言った。予想はしていた。電話ではなく直接話したい。そう言われたからだ。
メイリンの「観察モード」は正常に機能している。時々,位置を変えては,景色に見入っている。安心したのか,五十嵐が俺に向き直る。
「今のお話に少し関係があるんですが,的場さんのことです…」
「マトリョン…が何か?」
「独学でプログラミングをマスターしたと聞きました。角脇さんがおっしゃるように,これまでは,特に問題なくきました。でも,どこかでバグが発生しないかと…博士が心配しています。」
博士。メイリンとあの戦闘用ヒューマノイドの生みの親。ずっと気になっていた。いい機会だ。情報を引き出せれば,ラッキーかもしれない。
「確かに,マトリョンは自己流です。でも,いろいろ研究してるようですし,腕は確かだと思いますよ。」
さっきの話と違う。そんなことわかっている。だから,相手が口を開く前に言う。
「ところで,博士ってどんな人なんですか。」
また五十嵐の顔色が変わった。トップシークレットなのか。それでも,数秒で態勢を立て直した。
「天才です。私が院生だった頃,ゼミの教授に紹介されました。もちろん,最初は,信じられませんでした。もうヒューマノイドが実用段階の手前にあるなんて。でも,実際お会いして,研究所を案内されて,気持ちがすっかり変わりました。それまで自分がしてきた研究が,ひどくちっぽけに思えたんです。すぐに,博士の下で仕事がしたいと考えるようになりました。」
言葉が熱を帯びていた。こんな姿を見るのは初めてだった。五十嵐とは,まだ知り合ったばかりだ。それでも,博士が特別な存在であるのがわかる。でも,俺が欲しい情報じゃない。
「もしかして…」
俺は,別の角度から探りを入れることにする。
「ヒューマノイドの開発は,ずいぶん前から進められていたんじゃないですか?今まで何度か,あの戦闘用ヒューマノイドを見かけた気がするんです。」
「やはり気づいていましたか。」
五十嵐は,軽く笑った。すぐに表情を戻して続ける。
「人間とヒューマノイドの共生。それが,私たちの研究のテーマです。どれだけ人間の生活に溶け込めるかを常に調べる必要があります。そのために,この国の複数の都市で,ヒューマノイドが暮らしています。この街も,その1つです。東京からそれほど離れていない。それに,人口が多くも少なくもない。調査を行うには、適した環境です。」
それだけではないだろう。ここは,東京と違って,土地が安い。大きな建物を建てるのにも,悪くない。それほど遠くないところに工場があるはずだ。そこでは,すべての部品が作られ,ヒューマノイドが組み立てられている。おそらく,それに気づいた「組織」が乗り出して…
もう1つわかったことがある。博士は,若くないということだ。まあ,親子2代の研究とか,そういう可能性もあるが。
「角脇さん。私も,1つ思いついたんですけど…」
また思考の渦に飲まれかけていた。気づくと,五十風は,手すりから離れ,俺に近づいてくる。すれ違った。と思ったら,急に足を止める。
「たとえば,コサックダンスとか。」
「ありがとうございます。では,改めて自己紹介させてください。」
マトリョンが,左手でマイクスタンドを引き寄せた。右手を軽く胸に当てる。
「ボルシチ大好きマトリョンと…」
体から右手が離れた。それが,すっと伸びて,メイリンに向けられる。
「ピロシキ大好きしゅかりんで…」
メイリンが駆け寄って,マトリョンの隣に立った。2人は,一瞬だけアイコンタクトを交わす。
「マトリョーシカです。よろしくお願いします。」
同時に頭を下げた。すっかり息が合ってきた。もちろん,そうプログラミングされているからだが。
「リョン様!!」
「しゅかりん!!」
声を上げたのは,いつもの4人だ。
俺は,少し感心する。「チェリーフォー」(仮)は,これまで皆勤だからだ。しかも,今日は平日の夕方。それも,早い時間だったりする。学生2人はともかく,ヲタ2人は社会人…というか,俺とマトリョンもだ。出世を考えなければ,人間強くなれる。
「ありがとうございます。このあたりは初めてなんですが,こんなお洒落な場所があったんですね。」
マトリョンが,視線を滑らせる。会場は,ガレージを改造したカフェだ。基本的に車庫をそのまま流用しただけ。殺風景だが,年季が入った感じが味になっている。
客は,他に10人ほど。立っているのは「フォー」だけで,あとは座っている。そのうち何人が2人を見ているのだろうか。ライブの客ではなく,カフェの客ということだ。それに,ステージと言っても,段差もない。店の奥に,スピーカーとマイクスタンドが置いてあるだけ。
「アイドル異種格闘技」エントリーのためにPR動画が必要だ。だが,数日前の駅広場のものではインパクトがない。マトリョンと意見が一致した。それで,急遽イベントができる場所を探したわけだ。ネットでこの店を見つけて,なんとかねじ込んだ。もちろん,客の盛り上がりは期待できない。でも,美宙祈も,初期には,あえて逆境をはね返すライブをしていたと聞く。
「うちのマネージャーが言ってたんですけど,このあたりって,昔はすごく活気があったんですって。」
マトリョンは,客の後ろに目を凝らす。シャッターが上っていて,通りの様子がわかる。俺も,振り返って見るが,人の姿はない。手にしたビデオを向けて,寂しい情景も映像に収めた。
高校生の頃,ここは塾への通り道だった。買い食いするために,講座を抜けて来たこともある。当時は,まだ中心街から離れたところに住んでいた。そのせいもあるかもしれない。やけに賑やかに見えたものだ。
「人通りは,ちょっと…残念な感じですけど,でも,昔よりお洒落なカフェやお店は,増えてるんじゃないですか。きっとクオリティーでは,その頃に負けてない,って思うんです。」
マトリョンは,言葉を選びながら話す。メイリンが,タイミングよく何度かうなずく。口元に小さな笑みを浮かべて。
積極的に地域振興をしたいわけじゃない。でも,諦めてない人は応援したい。マトリョンのスタンス。それは,きっと美宙祈と同じだ。
「今日は,この空間で同じ時間を共有できたことを,本当にうれしく思います。では,次で最後の曲です。」
「えーっ!?」
かぶせるように4人が叫んだ。照れ笑いを見せて,マトリョンが続ける。
「ありがとうございます。またお会いしましょう。聴いてください。『マトリョーシカのテーマ』。」
マトリョンは,スタンドから手を離して,背を伸ばした。それを見て,俺は,スマホの再生ボタンを押す。
「タイガー!ファイヤー!サイバー!」
待ち構えていたようにMIXが迎え撃つ。曲は,王道ギターポップチューンだ。中国の悠大さとも,ロシア風の哀愁とも無縁な音。俺のメロディーに,マトリョンが詞を乗せた。アレンジは,浅岡がやってくれた。
「ダイバー!バイバー!ジャージャーッ!!」
直立不動のマトリョンが目を閉じた。最初の一音に力を込めるように,息を吸って…一気に吐き出す。
『この街にはなんでもある/だけど何もない気がしてる』
きれいに声が出た。初めてのオリジナル曲だ。特別な想いがあるのだろう。好きなアイドルのカバーも,もちろん気を遣う。でも,それとは別の気持ちの入れ方が…
『ここには何もない/昔だれかが歌ってた/でも,それとはちょっと違う』
そうだ。この町で不自由することはない。「普通に」暮らすのであれば。コンビニも,大型スーパーもある。ファーストフード,チェーン店のレストランやカフェ。それも,だいたい揃っている。
『でも思ってしまう/何かが足りない/どこか満たされず今日も1人歩いてる』
カップルや家族連れなら違うかもしれない。でも,「お一人様」には生きづらい環境だ。何をするかより,誰とするか。この町で大事なのは,そういうことだ。
『ふと見上げた東の空/ずっとそう/山の向こうに憧れてた』
山の向こうは…東京だ。俺にも,そんな経験があった。こっちに戻ってしばらくは,東京のことばかり考えていた。それも,いつのまにか回数が減ったが。
『ネットは万能じゃない/「どこでもドア」は手に入らない/どうしても埋められない距離がある。』
甲田を見て驚いた。複雑な笑みを浮かべている。うれしいような,哀しいような…うまく表現できない。そこにあるのは,最大限の共感。きっとそうだ。
気づくと,曲はもうサビ前に来ていた。メイリンは,いつものように激しく踊っている。マトリョンが,半歩前に出て,マイクとの距離を確認する。声を張る準備ができた。
『中国に姉妹都市はない/ロシアだって無関係/それでもいいの』
「いいよ!いいよ!全部オッケー!!」
マトリョンの声をコールが追いかける。甲田が考えたフレーズだ。瀬田は満面の笑み。ヲタ2人は,いつものエビぞりで叫んでいる。
『この町は変わらない/わたしたちは無力なの/だけどそれでも構わない』
「そうさ!全然構わない!!」
『退屈しのぎでいいから愛して』
マトリョンが身体の向きを変えた。メイリンが歩み寄り,背中を合わせる。客のほうに顔を向けて,人差し指を伸ばした。指しているのは,客席の向こう。薄闇に包まれる熱の失せた街角。なぜかそう思った。
『わたしたち/マトリョーシカ』
決まった。と思うと,次の瞬間,メイリンが身体を沈める。同時に曲調が変わった。初披露のときと,一部アレンジが変わっている。
「コサックダンス,キタァーッ!!」
ヲタが怒鳴った。ロシア民謡調の音に合わせ,メイリンが躍動する。腕を組み,足だけをひょこひょこと動かす。かなりの高速ダンスだ。だが,身体の軸は,まったくブレていない。
メイリンのプロフィールは一切謎,ということになっている。「中国雑技団にいた可能性がある。」今回そんな裏設定が加わった。人間の限界を超えないギリギリのライン。その範囲で身体能力を見せつける。そういうコンセプトになったわけだ。
元は,五十嵐の思いつきだった。ボルシチ,ピロシキ,それから,コサックダンス。お互いに,貧困な発想だ。でも,まあ,後付けで,いちおうロシアと無関係ではなくなった。
「オイ!オイ!オイ!」
4人は叫びながら,拳を突き上げる。マトリョンが合掌するように両手を合わせた。が,すぐに手のひらを外に向け,ゆっくりと開いていく。道を開けて。そう言っている。「フォー」が,2人ずつ左右に分かれた。
メイリンは,コサックダンスのまま後方に移動する。客のテーブルをすり抜けて,シャッターの向こうへ。通りに出ると,メイリンは,すくっと立った。
「しゅかりん!しゅかりん!!」
4人が,ステージに背を向けて,コールを送る。メイリンが振り向いた。と思うと,いきなり駆け出す。踏み切った。助走をつけてのバック転2連発。まだ止まらない。このままではステージへ突っ込む。女性客が悲鳴を上げた。倒れるマイクスタンド。マトリョンは…膝を抱え込む。3回目の後方回転。最後はバック宙で…頭上を超えていく。




