残暑お見舞い申し上げます
軒先に吊るした風鈴が、かすかに揺れ動いていた。少し風が出てきたらしい。まだ夕暮れにはたっぷり時間があるというのにひぐらしの鳴く声が喧しい。
そのどこか悲しげな鳴き声が外は夏の盛りであると告げていたが、エアコンという文明の利器に守られた私にとって暑さはあまり問題にならない。適度な涼しさが保たれた室内で、私は座布団の上に胡座をかき肘掛に身を預けている。
目の前には臙脂色に塗られた文机がひとつ。
その上には赤や青の朝顔のイラストが入った絵葉書に毛筆、硯と文鎮が置かれている。絵葉書には瑞々しい朝顔のイラストが予め印刷されており、残りの部分は真っ白な無垢の余白を晒している。
要するにまだなにも書かれていない状態なのだ。手元の毛筆の先にはすでに黒々と墨が染み渡り、あとは筆が手に取られるのを待つばかりである。私はちらと筆に目を遣ったものの、手に取るでもなく腕組みして首を傾げる。
いやはや困った。墨を磨ったまではよいが、書き出しが一向に浮かんでこない。思わず苦悶の呻きが口をつき顔を顰める。はてさて参った。参った。
私が書こうとしているのは、純文学であるとか、そういう大層なものではない。今年の春に遠方に嫁いでいった妹夫婦への残暑見舞いの書き出しを思案しているのである。
本来、肉親に宛てた手紙なのだから別に考え込む必要もなく、当たり障りのない近況報告や挨拶を書けばそれで済む話だ。それで済む話なのだが、私は昔から婉曲な物言いを好まないというのか、単に気が利かないというのか、格式ばった文章を書くのを大の苦手としている。
そしてこれも生来の気性によるものであろうが、机を前にしてじっと座っていることに大変な苦痛を感じる方だ。
いまも葉書の書き出しを考える格好こそ取っているものの、頭の中には昨夜呑んだ冷酒の心地よい喉越しや肴に食べた鯵の干物の香ばしさが思い出され、一向に集中することができない。一言で言うとこらえ性がないのだ。
——妹と私は江戸末期より続く酒屋の家に生まれた。
決して大きな店ではない。田舎の極々慎ましい小さな店だ。近所の祭事や町内会の集まりの御用聞きとして細々と生計を立ててきたが、この先いつまで店を続けられるかは甚だ心もとない。
実際、長引く不況の煽りを受けて近所の酒屋はひとつ消えふたつ消え、気がつけばこの辺りで酒を扱っているのは我が家だけになってしまった。
そんな吹けば飛ぶようなこの店がなんとか生き長らえているのは、こんな田舎町であるから、深夜まで開いているコンビニなど近所にありはしないという一点に尽きる。
しばらく県道を車で行けば大型スーパーがあるものの、ふとしたときに酒を呑みたくなるのが人の習いである。少しの酒を買い足すのにわざわざ車を出すのも面倒なことこの上ない。
加えて、飲酒運転への風当たりは昨今いよいよ厳しく、ほろ酔い加減で車を走らせるなど思いもつかない時代になってしまった。
だったら昔から顔馴染みのあの店で用を済ますかという、そういう人々の横着さというか、人情に助けられて、ご先祖様から受け継いだ店は代々守られてきたのである。
幸いにして、我が家は父も母もまだ健在である。
父は還暦を迎えた一昨年に私に店の跡目を譲ったものの、毎日店に顔を出しては商品の仕分けや御贔屓筋への挨拶まわりを兼ねた配達に精を出している。ろくに酒の知識もないまま店を継いだ私にとっては有り難いことだが、父は仕事に精を出し過ぎるあまり、休むことを悪だと決めつけてかかっている節がある。
そして仕事以外には夜の晩酌のほかにさして趣味も道楽もない。下手に店の手伝いを断ると早々に呆けて老け込んでしまいそうだから、近頃は余計な口を出さず父の好きにさせている。
母も同じく元気だ。今年は珍しく夏風邪をこじらせ床についていることもあったが、しばらく静養すると身体も癒えたのか、かえって元気を持て余しているように見える。
私は両親と店の二階で同居しているから、食事も毎日三人でとる。まことに恥ずかしいことだが、私は大の大人となった今でも料理というものに関心が持てず、母の手料理のご相伴にあずかっている。
てきぱき家事をこなす母の唯一の気懸りは私の伴侶に関すること、平たく言えば嫁探しである。
本人にその気がないのだから放っておけばよいものを、ひとつ山向こうに良い縁談の話があると聞きつけては本人の承諾なしに釣書を送りつけたりしている。
先日なんぞは、隣町に妙齢の娘さんが里帰りしたと耳にするや、自ら相手先に乗り込み直談判しようとさえする始末。化粧台の前でいそいそと身繕いを始めた母を私が必死で説き伏せていなければ、実際に相手の家に押しかけていたことは疑うべくもない。
そんな母の気遣いというかお節介を申し訳なく思いはするが、私にその気がないのだからどうにもならない。
残念ながら私には悠々自適のいまの生活が水に合っているのだ。そんな私の心中を知ってか知らずか、母は今日もせっせと店先に打ち水をしたり、縁側でバケツに水をはって貰い物の西瓜を冷やしたりしている。
——ああ、また余計なことばかり考えてしまった。問題は妹夫婦への残暑見舞いであった。
書き出しをどうするかしばし思案するものの、やはり妙案は浮かんでこない。できることなら父か母に代わってもらいたいのは山々なのだが、それも難しい。
父は自他共に認める筆不精であるし、何より字が恐ろしく汚い。その点、筆まめで字も達者な母なら適役ではあるが、間の悪いことに先日包丁で右手の人差し指を切ってしまった。
未だ絆創膏を指に巻いたままの母に筆を持たせるのは如何に私でも憚られる。となれば、曲がりなりにもこの店の若旦那たる私にお鉢がまわって来るのは当然の成り行きであった。
——ううむ。家族に宛てた手紙なのだから今更あらたまって時候の挨拶を書く間柄でもないだろう。いやいや待て待て。いくら肉親宛てといっても義弟さんが読むことも考えねばならぬ。あまりふざけた書き出しでは我が家の恥とはなるまいか。
どうでもよいことで思い悩み悶々とする。外では夕暮れ時が近づきつつあるのだろう、ひぐらしの鳴き声が一層喧しくなってきた。
一旦そちらに気を取られると益々思考がこんがらがって訳がわからなくなる。時折聞こえる風鈴の涼しげな音色もいまは余計な雑音でしかない。気が付けば筆先の墨もすっかり乾いてしまった。
外ではいよいよひぐらしの鳴き声が頂点に達したようだ。天から降るような大合唱が私ひとりを囃し立てるように耳元に纏わりついて離れない。
——急に自分で自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。答えの出ない思案に暮れていても仕方がない。ええいままよと、硯に筆先をひたして一気に書き出した。
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残暑お見舞い申し上げます
ひぐらしの声が憎々しいほど賑やかになってまいりましたが、お変わりなくお過ごしでしょうか。
旧暦ではとうの昔に秋を迎えているはずですが、このまま夏の日照りが続くようですと、私が真っ先に干物にでもなってしまいかねません。
お陰さまでこちらは三人とも大事なく過ごしております。母の夏風邪も無事癒えました。いまは私の嫁探しに元気に東奔西走しておりますが、結果のほどは、そちらのご想像にお任せしたく存じます。
お二人におかれましても、お互い慣れぬ新婚生活に戸惑うことも多いでしょう。しかし人生は我慢と忍耐が肝要です。どうしても相方に我慢がならぬときは、どうぞ我が家へお越しください。よく冷えたビールか日本酒でも酌み交わしつつ、お悩み相談とまいりましょう。
いくら呑んで戴いてもかまいません。
幸い、呑む酒にだけは困りませんので。
愚兄より
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