1-3 ツンなあの娘と一打席勝負っ!?
「話も落ち着いたし、練習を始めたい。まずみんなの実力を知りたいんだが」
「ちょっと待ちなさい」
機を見て切り出した俺の言葉を由比がさえぎった。やはり挑戦的な目をしている。
「どうかしたのか」
「あたしたちの実力うんぬんの前に、先に確認しておくことがあるんじゃない?」
「ほう?」
不敵な笑みを作る由比の魂胆に気付きながら、あえてそれには触れず先を促す。
「あんたの実力を先に見せなさい! 清原秀喜!」
「ちょっ、ちょっと由比っ。失礼だろ!」
まほろが仲間の振る舞いをたしなめるが、すかさず由比も反駁する。
「何が失礼なのよ? 選手としての能力が皆無なのに、指導者気取りするほうが失礼だと思うんだけど」
「この人の実力はお前が一番良くわかってるはずじゃないか由比。昨日だって」
「余計なことは言わなくていいのよ、まほろ。それにね。あたしが知ってるのはこの夏、高等部野球部を甲子園優勝に導いた清原秀喜であって、今のこの人じゃないわ」
「それにしても、だ由比っ。そもそも、さっきから気になってたが何故、そんな口の聞き方なんだ! 目上の方だぞ! 敬語を使え!」
「あたしはあたしが敬える人間しか敬語を使うつもりはないわ」
由比が言い切った。不遜な態度ではあるが、理屈的には一理ある。そもそも、こうした敬意や敬語に関して、俺自身は目上を尊重するスタンスである。それは常識うんぬんというよりは、一種の処世術だと心得ているからだ。互いのコミュニケーションを円滑に進めるための儀式。その程度の認識である。だから俺は相手に対し、無理に敬語を要求するつもりもなかった。この際だから、自分のスタイルを明かしておこう。
「由比、まほろ、みんな。少し良いか?」
個性豊かな面々に向かって問いかける。由比とまほろが言い合いを止め、他のメンバーたちも興味津々といった風情で視線を向けてきた。
「まほろの言ってる話、俺に対する敬語うんぬんだけど、これは気にしないで良い」
「ほら、みなさい、まほろ」
「いや、しかしだな…………」
「良いんだまほろ。そうした事柄については俺にも一家言ある。そもそも敬語なんてものはお互いのコミュニケーションをスムーズにするための道具だ。それを強制、強要することで、つまらない緊張感や摩擦を生むことこそ、俺は本末転倒だと考えてる。だから、みんなは気にせずに自然体で話しかけてもらいたい。そうすることで得られる親近感だって大事だと思ってるから」
「しかし、清原さん。あなたは監督です。自分を指導する立場の人に対して敬意を払えない人間に果たして成長が期待できるでしょうか」
「まほろ。君の言い分は正しい。でも、言ってしまえば俺は姉さんの七光で指導者ポジションに収まっただけにすぎない。だから、まずは君たちに認められることが最優先だと考えている。それまでは、指導者風を吹かすなんて考えられない。だめかな」
確かに体育会系において、上下関係は大切だ。だが、それだけが全てではないし、実際問題、まずは俺自身が彼女たちに受け入れられる必要がある。
「…………わかりました。監督がそうおっしゃられることももっともです。差し出がましい発言、ご寛恕ください」
「気にしなくていいよ。君が真面目で礼儀が正しい人間だと伝わった。それに俺の考えより、まほろの意見のほうが世間一般の常識だと思うよ」
「いえ、私など…………固いだけです。それでも監督。由比の態度はいささか目に余ると思うのですが、本当に良いのですか?」
「それも含めて気にしなくていいよ。それに」
俺は未だに挑戦的なオーラを放つ由比を見た。
「由比が言う、自分が敬える人間にしか敬語を使うつもりはない、というのも理解できるしな」
その言葉を聞いた由比が我が意を得たりという顔をする。
「へえ? それはどういう意味?」
「何か考えがあるんだろう? 君の要求を呑もうと言ってるんだ」
俺は彼女に倣って、多少不敵に言った――つもりだった。しかし、
「やった!」
由比はまるで逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームランを放った代打の切り札のような満面の笑みを浮かべた。それだけ見れば、歳相応の可愛らしい普通の女の子だった。
それにしても、この娘は一体何を考えてるのだろうか。何が「やった」なのだ。
どうも態度や言動に妙な違和感を覚えずにはいられない。言葉遣いや振る舞いは一見、挑発的だし敵対的とすら言える。しかし、それだけではない別の意図や、感情が見え隠れしているように思う。それが解らない。掴めない。
嫌われているわけではないようだが…………。
「…………由比。俺の実力が知りたいんだろ? どうすればいい」
「簡単な方法があるわ。名づけて――」
――野球部名物、投打一打席勝負っ! と由比が威勢よく発表した。
ルールは単純だった。
投手同士の場合、お互いピッチャーとバッターに分かれて対戦する。四死球を含め、ヒット以上ならバッターの勝ち。抑えればピッチャーの勝ち。その後、投打交代し同じ流れを繰り返す。投打一回ずつの勝負の成績で勝敗を判断するというものだった。
「それで引き分けた場合だけど」
「それは聞く必要がない」
「え?」
説明を続ける由比が止まった。
「引き分けなどありえないからな」
「…………そうね」
由比の声の調子が変わる。
「あたしもそう思うわ」
そこにあったのは、まぎれもなくエースで四番の顔だった。
対決とあって俺たち二人は、やや剣呑な雰囲気を孕んだまま、グラウンドに出た。
他のみんなもそれぞれ、用具を倉庫から引っ張りだしてやってくる。
秋も深まり、残暑も去った。絶好の運動日よりである。
広大なグラウンドでは様々な運動部が練習していた。なるほど、中等部といえど、力の入れ具合は高等部のそれと比べて何ら遜色ない。名門たる所以である。
男子野球部の姿はなかった。グラウンドの使用順が割り当てられているのだろう。
軽くアップをして、身体を温めた後、先攻後攻を決める。
まず俺が先攻となった。由比がマウンドへ向かい、各自おのおのの守備位置に付く。
その時だった。背後から声をかけられた。
「おにいちゃん」
「え?」
いや、おにいちゃんて。振り返ると誰もいなかった。
「ひどいよぉ。下だよぉ」
「あ」
視線を下に向けると、向日葵ちゃんが上目遣いでそこにいた。
胸にファーストミットを抱えている。
「どうしたの? 向日葵ちゃん」
「ひまも守っていいの?」
「もちろんだ。ファーストでいい? 場所はわかる?」
「うん。分かる。いつも見てたもん」
向日葵ちゃんは、駆け足で持ち場に向かった。小さな手にグラブをはめ、一塁近辺で深く腰を落とすその姿は意外に様になっていた。ひょっとしたら彼女は彼女なりに、ずっと前から熱い思いを秘めて、みんなの練習を見守っていたのかもしれない。
ボール回しのキャッチボールをしていたサードの莉乃とショートのまほろが、そんな向日葵ちゃんにもボールを回し始める。山なりのボールやコロコロと緩やかに転がすボールだった。最初はそれでいい。
やがてボールがバックされ、プロテクターを完璧に装着し、面をかぶり終えたミカヤがゲームの開始を告げた。
「それでは清原秀樹対松坂由比の投打一打席勝負を開始する。なお、わたしは審判も兼任させてもらう。了承してほしい」
「それは構わないよ」
俺はバッターボックスに入った。俺は左打ちである。久しぶりの感覚だったが、ブランクは感じなかった。
座ったミカヤが補足する。
「細かなルールを説明する。一応念のため。当部はメンバーが足りないのはご存知の通り。ゆえに守備位置に空きがある。野手がいない場所に飛んだ打球は、当たりの強弱やとんだ場所によってわたしの独断でヒットやアウトの判定をさせてもらう。内野ゴロの場合は、野手が補給してからファーストにボールが渡るまでが本来だけど、今回は送球は割愛させてほしい。今日はじめてファーストに付く向日葵のための配慮と思って。駄目?」
ささやくような声。
「それも了解した。でも安心して」
「?」
「君に責任を擦り付けるようなことは絶対にないから」
「把握」
やり取りは終わった。
バットを構える。その瞬間、軽い高揚感とともに全身から力が溢れだした。全神経が鋭敏になって視野が広がり明瞭になっていく。脳の勢いは増し、逆に世界がスローモーションになった。
ゆるやかに流れる視界の中心ではエースの少女が腕を組んで威風堂々と立ちはだかっている。その姿は、まるで洗浄に降臨した戦女神のようだった。
女神がボール握った手を突き出して向けてくる。
「三球三振にしてやるわ!」
「……………………」
俺は無言を返す。それが合図だった。由比が投球モーションに入った。
豪快に振りかぶる腕、高く上げる足。あれは――。
俺の投球フォームとそっくりだ。
大きくしなやかに開いた足がマウンド上の大地を掴む。そこから上半身に力が伝わり、長い腕が勢い良く振り下ろされた。それは、まるで一刀両断にする刀だった。
次の瞬間。
時間が切り取られた。
気がついた時には、低めのインコースにボールは完璧に決まっていた。
速いっ…………!
もがり音のような響きを立てて、ミットに収まった白球は、その威力を見せ付けるかのように、しばらく回転を続けていた。
――素晴らしい。
思わず相手を見返してしまう。たった今、豪速球を放った人物は、どうだといわんばかりの顔だった。なるほど、威張るわけである。最初から口だけではないのは見抜いていたつもりだったが、まさかここまでとは思わなかった。
今の一球はそれだけのものだった。
球速自体、相当な数字が出ているに違いない。中学一年生の女子と考えれば、もはや反則とも言えるレベルだ。スピード違反、一発で免停だろう。
そして、ポイントは球速などではもちろんなかった。
そもそも、数字自体は甲子園を知っている俺からすれば、当たり前のものだ。しかし、あの大会で150キロを当たり前に接してきた俺をして、脅威を感じさせる力が、今の速球にはあった。
その秘密はわかっている。
通常ピッチャーが投げたボールにはリリース直後の初速と、キャッチャーのもとに到達する当たりの終速に違いがある。当然、投げられた瞬間から、あとになるにつれて遅くなる。物理的には当然の現象である。
しかし由比の投げた球は、初速と終速にほとんど差がなかった。いや、それどころか終速のほうが速いとすら思えた。異常なくらいノビのある、ジャイロホップ。それが由比の持つストレートの秘密だった。
はっきり言って、甲子園で俺が対戦した150キロ超えの速球よりも、今の由比のストレートのほうが体感で速い。今の俺に多少のブランクが有ることを考慮しても、それは間違いない。
予想だにしなかった、実力に俺は打ち震えた。中学生としては規格外の力だった。
突然変異の女子中学生は二球目のモーションに入った。
何が来る。変化球はあるのか。あの自信だ。持ち球がないわけがない。持っているとして球種は何だ。カーブか。スライダーか。まさかフォークはあるまい。
来るなら速球か、変化球か。
あらゆる可能性を検討する。総合的に勘案して、対応策しなければ、打ち取られる。
この対戦相手はそれだけの選手だった。
どうする。決めた。
二球目も俺は見送った。外角低めに収まったボールは速球だった。
だが先程のジャイロホップとは違い、少し沈む軌道。
ツーシームか。
「ちょっと。何突っ立ってんのよ。ブランク空き過ぎで、バットの振り方忘れたんじゃないの?」
ミカヤから投げ返されたボールを受け取りながら由比が挑発してくる。
「振らないと、後一球であたしの勝ちで終わっちゃうわよ!」
セット。
「ま」
振りかぶる。
「振ってもあたしの勝ちだけど!」
リリース。ジャイロだ。
ストライクゾーンに来た速い球を俺は軽いスイングでファウルにした。
鋭いゴロがファーストのはるか右側、フェアゾーンを外れて転がっていく。
一塁で向日葵ちゃんがポカンとしていた。やがて自分の左側を猛烈なスピードで駆けていくボールの存在に気づいた彼女は、あわててそれを拾いに走りだした。
「ひま! 取りに行くのは後でいいわ!」
「うん。いいの?」
「どうせ次で終わるからっ!」
そう言って四球目を投げた。それをまたファウルにする。
続けて来た、五球目、六球目、七球目、八球目を、俺はことごとくファウルにした。
ここまでは変化球はなく全て二種類の速球の組み合わせだった。
由比は速球派らしい。
ここまであえて仕留めもせず、ファウルで球数を稼いだのは、由比という投手の底を見極めるための見のためだった。松坂由比というポテンシャルを知りたかったのだ。
「さすがに簡単には終わらせてくれないか」
マウンドの少女が一人ごちる。仁王立ちになった由比は人差し指をこちらに向けてひときわ威勢よく声を張った。
「次で絶対に打ち取ってやる! 覚悟しなさい」
宣言した由比が豪快なワインドアップに入る。
そろそろ、動くか。確かに、次が最後の一球となるのは同意だった。
しなるように腕が下ろされ、白球が指を離れる。
速い。
速球か。ならジャイロとツーシームの二択だ。ジャイロ回転はない。ノビも弱い。
ならばツーシーム・ファストボール!
ギリギリまで引き寄せて、スイングを開始する。タイミングは完璧だ。
その時だった。
そのまま沈むはずだったボールが勢い良く左打者の俺の内側へと食いこんで消えた。
「なっ」
高速スライダー。
投手の利き腕とは逆の方に鋭く曲がる、横変化の高速魔球の一つである。
もちろん甲子園にも投げるピッチャーはいたし、対戦経験もある。
だが、ここまでのキレ味のある球と出会ったことはかつてない。
打者の手元で鋭く切れこむボール。俺の経験史上トップクラスのスライダーだった。
「くっ…………」
このままでは空振りする。だがスイングはもう止められない。
踏み込んだ足から腰に溜めを戻し、バットコントロールを試みる。バットヘッドを修正し、タイミングを微調整。腕を折りたたみ、スイングの軌道を変える。
手応えあり。
やや窮屈になりながらも、真芯で捕らえた打球はライトの遥か彼方へ消えていった。
「ホームラン。…………すごい」
「……ウソでしょ……………………?」
打球の行方を追ったキャッチャー兼ジャッジのミカヤがホームランと判定し、飛んで行く打球を見送りながら由比がつぶやいた。他のメンバーは唖然とした様子だった。
「最後の一球は、とくにすごかったよ」
ヘルメットを脱ぎながら、俺は言った。
すごかった。この言葉に偽りはなかった。予想だにしなかった一球だった。
それまで由比は二種類のストレート系のみで勝負していた。そればかりをカットしていた、否、カットさせられていた俺は、彼女が速球勝負を持ちかけていると誤信させられてしまった。そして、二つの速球に慣れ、勝負を決めに掛かったところを、変化球で狂わせる。見事な投球術である。
あやうく、彼女の罠にはまるところだった。
「…………すごいって、完璧に打たれてりゃ、皮肉にしか聞こえないわよ。バカッ」
マウンドを降りて由比が来た。
「いや、完璧じゃないぞ」
「え?」
「センター返しのつもりだったのに、詰まらされそうになったのを無理やり修正させられたから、ライトに飛んだ。タイミングを狂わされたからだ。そういう意味では君の勝ちだ。投球術とキレの賜物だな」
「そ、そう…………?」
「ああ。速球ばかりと思わせておいて、最後で変化球でくるなんて、顔に似合わず食わせ物だ」
由比の目が据わった。
「…………何よ、その言い方」
「ん?」
「ほらっ投打交代よっ! バットとヘルメット寄越しなさい!」
そう言って由比は俺から目的物を引っ手繰った。わざわざ俺のものを取り上げなくても、他に転がっているものを使えばいいのに…………。
それにしても、この娘はなんで急に不機嫌になったのだ。やはり負けたことが悔しいのだろうか。これだけの実力者だ。プライドも高かろう。
なるほど、彼女の苛立ちはそのせいだ。
そんな爆発寸前の火薬に対して、焚きつけるようなことをミカヤが言った。
「これで清原秀喜の一勝。必然的に由比の勝利はなくなった。由比の言葉通り、引き分けがないなら、彼の勝利でFA?」
「つまんない煽りやめなさいミカヤ。本当にサラッと余計なことを言うんだから」
「口うるさいのは女房の長所と思う。私は捕手。女房役。問題ない」
「だから、あたし煽ってどうすんのよ」
「ささやき戦術?」
「なんか違くない?」
独特のやり取りをする二人を放置して、俺は用意してきた、自前のグラブをはめ、マウンドの盛り上がった土の上に立った。
プレートの周囲に転がったボールを拾い上げると、それは硬球だった。さっき打った時の感触で分かっていたが、正直意外だった。
どちらかといえば中学で一般なのは軟式野球の方だ。
まあ、別に構わないだろう。姉さんが用意した器材なのだ。問題はなかろう。何か理由もあるのかもしれないし、今、俺が気にすることではない。
久しぶりの硬球の感触を確かめる。
この感じはやはり好きだった。あらためて、野球嫌いになっていない証左と思った。
「投球練習したければしてもいいわよ」
軽くバットを振りながら由比が言った。面をかぶり直したミカヤが座る。
なら、お言葉に甘えさせてもらおう。
一球。まずはリラックスしたフォームで投げてみた。
受け手が女子中学生ということも考慮してのことだ。
投げたボールはミカヤの構えたミットと動かすことなく、こともなく収まった。
「ナイスボール。140キロ」
受けたミカヤも、丁寧な返球を送ってくる。座ったままの鋭く正確な送球だった。
線の細い印象だが、肩は強い方らしい。捕手宣言は伊達ではないということか・
「わたしに遠慮しなくてもいい。捕球には自信がある。全力て投げ込んで」
ミカヤが言った。
「そうですよセンパーイ! ミカヤのキャッチテクってほんとすごいんですよー! センパイの本気見せたげて下さいよーっ」
「莉乃の言うとおりです監督。それに勝負の手前、手心を加えるとフェアじゃありません。どうか由比を甘やかせないで下さい」
「本気で来てもあたしが勝つけどね」
素振りを続けながら由比が噛み付いた。
「ふん。由比なんか一回その伸びきった鼻を根本からへし折られたらいいんだ」
「その前にあたしのバットをへし折れたらね」
売り言葉に買い言葉が飛び交う。それならと、俺は全力で応じよう。
投球練習二球目。渾身の球を投げ込んだ。
乾いた音が空気を震わせた。
女の子たちが息を呑む。
「……すっご。僕、見えなかった」
「……ひまはビームが見えたよ?」
「…………あ、あんなの打てる人いるのか……?」
野手たちが各々、コメントを添えた。
「ナイスボール。155キロ」
難なくミットにボールを収めたミカヤが如才なく返球しながら言う。
バッターボックスの傍でバットを振る由比は無言だった。だが、その素振りに力がこもるのを俺は見逃さなかった。そして投球練習は終わった。
「じゃ、さっさと始めましょっ!」
威勢よく由比が打席に入る。どうやら俺と同じく、右投げ左打ちらしい。
高くバットを掲げるその構えは、投球フォームと同じく、俺のそれと酷似している。
だからというわけではないが、打席の由比は大きな存在感を放っていた。面白い。
第一球を投げる。
郷に入らば郷に従え。由比を納得させるなら由比に従え、だ。
俺は先ほどの由比の投球術を真似ることにした。
これは彼女に対する挑戦状だった。意図を察したのか由比は見送る。
「ストライク」
判定したミカヤから返球を受け、そのまま二球目へ。
ツーシームを投げ込む。当然のように由比は動かなかった。
「ストライク、ツー」
淡々と告げる審判の声。集中力をました由比は微動だにしない。
「どうした、由比。バットの振り方が分からないなら教えようか?」
「黙れ。あたしのやり方でやり込めようってワケ? なめんな!」
「気付いたか。当然次も速球で行くぞ。俺みたいにカットしてみるか?」
「必要ない」
「ほう」
「次で場外まで叩き込んでやる!」
面白い。だったら遠慮なくいかせてもらう。打ってみせろ。
ワインドアップ。足をあげる。底から大地を掴み、下半身へ重心を移す。溜めを作った腰から、上半身へとつなげる。この時、身体は地球と一体となる。
その力を全て、指先へと注ぎこむ。完璧だ。
さあ、打ってみせろ。松坂由比!
由比が身を引き絞り、スイングする気配。
唸る豪速球。
そして――。