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1-2 まさかの女子野球部!? 俺とあの娘の出会い

 翌朝起きると、すでに姉の姿はなく、代わりに彼女の手によるものと思われる書き置きがリビングのテーブルに残されていた。

 『我が弟へ。お姉ちゃんは先にでかけます。寂しいと思うでしょうから私の枕を置いておきます。思う存分私の匂いを嗅ぎなさい。それと、もう一つ。私から星野監督宛に手紙をしたためました。今日学校が終わったら手渡すように。また、早速だけど今日、野球部の部活があります。私は行く気が行けないので貴方一人で向かいなさい。部員たちには先に話を通してあります。みんないい子ばかりなので安心してね。活動内容は貴方が好きに決めて結構。大好きなお姉ちゃんより』

 流麗なペン字でそれだけ書かれていた。好きに決めて結構って、おいおい…………。

 こっち手紙か。

 書き置きの脇に姉の枕と封筒が置かれている。枕は無視して封筒を手に取る。星野仙吉様と宛名があり、きちんと封がされていた。

 俺は姉さんの指示通りに郵便屋さんの真似事をすることにした。

 姉さんお手製の朝食を食べたあと、日課のロードワークを終え登校した俺は放課後、星野監督のところへ向かった。監督は部室ではなく職員室にいた。

「星野監督」

「清原か。今日はどうした」 

 俺は要件を伝え、姉の手紙を渡した。

「なんだ? 羽衣ちゃん…………いや、清原先生からの手紙か。これまた珍しい」

「姉は古風でメールはあまり使わないのです」

「いや、そういう意味じゃねえけどよ。…………ん」

 中から便箋を取り出して目を通し始めた彼の動きが止まった。

「ふむ。ほう」

「あの、監督…………?」

 しばらく、みけんにシワを寄せて監督は何かを考える仕草を見せていた。相変わらずのサングラス顔でその表情は正確には判別できない。しかし困惑半分、興味半分…………いや、やや興味が勝っているといった趣だった。やがて、

「なるほど、これは面白いかもしれんな」

 不敵とも取れる笑みを浮かべて監督が言った。その顔は彼が名将として、ここぞという場面に切り札を送る時に見せる顔だった。色々と気になってくる。

「監督、何がですか? 姉は一体何と?」

「おまいさん、中等部の方で新しい野球部の監督するんだってな」

 その話か。

「はあ、そうなりました」

「気乗りしないか?」

「正直あまり。というよりも自分などには務まらないというのが本音です」

「難しく考えなくてもいいんじゃねえか。コーチみたいなもんだと思えばいい。おまいさん良くチームメイトにアドバイスしてただろう? そんな感じで、選手の適性を見ぬいて長所を伸ばして欠点を潰す。どうにもなんねえ短所はチーム全体でカバーする。おまいさんなら何が必要でどうすべきかなんて分かるだろう?」

「それは承知しています。しかし…………」

 それよりも、もっと直裁的な問題があるんじゃないだろうか。一学生にすぎない自分が、中等部とはいえ部活の指導役として入り込んでいいものだろうか。

 そもそも正式な教職や資格のある人物が就くポジションであるわけで、指導役を付けるつもりなら、正当な手順を踏んで学校側が手配すべきなのでは?

 そうした疑問をぶつけてみることにした。

「ま、おまいさんの言い分ももっともだわな」

 監督が頭を掻いた。

「要するに大人の事情ってやつだよ」

「大人の事情…………成る程。おおよそは理解しました」

「ま、そういうこった。なんの実績もない新規の部にそこまで手を回す余裕もねえってことだ。それにあの部は、普通の野球部と違って少し毛色が違うみてえだからな」

「は?」

「い、いや。こっちの話だ」

 監督はあわてて取り繕った。どうやら彼は件の新しい野球部とやらについて色々と知っているらしい。だが、この様子だと聞いても詮ないだろう。

「何にせよだ。清原よ」

「はい」

「俺としちゃ、おまいがどういう形であれ野球と関わりを持っててくれるってのが望ましい。こっちのことは気にするな。精一杯やってこい」

 こっちのことは気にするなって退部届けの件はどうなったのだろうか。そう思ったらどうやら顔に出ていたらしい。意味深な表情を浮かべて監督が言った。

「ああ、退部届の件だけどな、一旦保留だ」

 やっぱりか。大体、そうなるだろうと思ってた。

「早とちりしなさんな。受理しねええってんじゃねえ」

「どういうことですか?」

 星野監督は我が意を得たりという顔をした。

「もし中等部の監督を半年続けて、それでもおまいさんの気が変わらなかったら、その時はもう好きにすればいい」

「本当ですか?」

「ああ。約束しよう」

 監督がニヤリと笑った。

「分かりました。半年後、また伺います」

 半年経っても気は変わらない。そう態度で示したつもりだった。

 そのまま俺は職員室を後にした。

 

 私立阪南学院は小中高大の一貫教育を行う学校法人である。

 広大な敷地に、それぞれの施設が区割りされて存在し、中等部はというと今俺がいる高等部のある場所と隣合わせに建っていた。中等部の正門の前についた俺は、守衛の存在に気づいた。一瞬入っていいものかと躊躇した。

 高等部からの外部生の俺は、中等部は初めてだったのだ。

 そうしているうちに守衛のほうが俺に気づき、なんと向こうから招き入れられた。どうやら姉さんの根回しによるものらしい。我が姉ながら流石である。正直助かった。

 問題の野球部の場所はすぐに見つかった。自己主張の強い文字で「新生野球部部員募集中」と書かれた看板が目立っていたからだ。

 新生野球部とやらは元からある野球部の部室の向かい側にあった。まるで営業妨害である。なんとなく本家と本場で争うラーメン屋を想像した。

 さて、ファーストコンタクトやどうするか。

「よし」

 ノックをして、勢い良く扉を開く。

 瞬間、多くの視線を感じ取った。以前にもこんなことがあったような気がするが、とりあえず置いておこう。

 第一声はどうする。相手の表情を感じ取れ。視線の主たちはどんな――

「…………え?」

 その光景を見た俺はまるで、日本シリーズの優勝決定戦の最終回、一打勝ち越しの場面で負傷した四番の代わりに打席に送られた挙句、打たなければ即クビとオーナー直々に告げられた新人選手のようにフリーズしてしまった。

 そこにあったのは。

 下着姿の女の子たちだった。

 俺の頭の中が何故、どうして、ホワイ、あらゆる疑問符と疑問詞であっという間に埋め尽くされる。もはやいくつか用意してきたシミュレーションなど意味がなかった。

 何にせよ、このままではいけない。非常にいけないと思う。合理的に判断して適切に対処しなければ。とにかく。

「さっさと出なさい!」

 ごもっとも。蹴りだされた。

 女子サッカー部と間違えてしまったのかもしれない。中々凶暴なナデシコである。


 扉の前に立ったまま、追い出された俺は今しがたの出来事を反芻していた。

 下着姿の女の子たち。下着姿は問題ではないか。いやいや、やはり由々しき問題か。

 野球で培った俺の動体視力は、彼女たちのあられもない姿をはっきりと捉えていた。

 女の子たちは五人いた。

 素っ気ない白の下着を身につけた、不揃いなおかっぱ頭の女の子。縞の下着の清楚な感じの長い黒髪の女の子。チェック柄の下着を履いたボーイッシュな感じの短髪の女の子。フリルのついた可愛らしい下着のウェーブ髪をした小柄な女の子。

 そして、俺を蹴りだした、ピンクの下着のセミロングの勝ち気な雰囲気の女の子。

 すべて明瞭に映し描いていた。その上さらに、見たことをあまり忘れることのない俺の頭は、ご丁寧に瞬間記憶能力もかくやといわんばかりに、きっちりとそれらを脳の引き出しに刻み込んでいた。それはもはや一千万画素のデジカメ画像だった。

 生々しい映像は一旦追い出す。そして脳内の彼女たちを追い出しながら、彼女たちに追い出された部室の表記を確かめた。

 新生野球部の文字が、変わらずそこにはあった。まるでど真ん中のストレートをストライクと判定した球審のように、なんの迷いもなくはっきりとそうあった。

 どうやらサッカー部などではないらしい。いや、そう見せかけておいて、野球部と書いてサッカー部と読ますのかもしれない。最近のティーン・エイジャー向けのノベルの特殊ルビのように。などと益体もないことを考えていたら、目の前のドアが少し開き、顔が覗いた。ピンク色の娘である。

「…………もう入っていいわよ」

「あ、ああ」

 再び室内へ誘われた俺は、自分の想像が完全に的外れなことにすぐ気付かされた。

 少女たちはみんな、野球のユニフォームに着替えていたからだ。どうやら彼女たちが新生野球部で間違いないらしい。みんな一様に緊張した面持ちだった。困惑、不安、そして期待。少し頬に朱が差しているのは着替えを覗いてしまったからだろうか。なんにせよ、複雑な感情が綯い交ぜになった表情だった。恐れや警戒は意外と感じられない。どうやらここでも姉の根回しが効いていたようだ。しかし、大歓迎というわけでもなさそうだ。特に目の前の女の子、俺を蹴りだして、再び招き入れた娘からは。

 他の娘は、この人物に対応を任せ俺の動向をうかがっているようだった。

 とりあえず己の軽挙妄動を詫びねばなるまい。話はそれからだ。

「はじめまして。俺は清原秀喜。姉から聞き及んでるかもしれないが、今日からこの部の監督としてここへ来た。さっきは着替えを覗いてしまって申し訳ない」

 こんなところか。勝ち気そうな女の子がさっそく応えた。

「着替えを見たことは別にいいの」

 いいのか。

「じゃあ何をそんなに怒ってるんだ?」

「別にあたし、怒ってるわけじゃないわ。ただあんたの軽率さに憤慨しているだけ」

 同じことじゃないか。という言葉はかろうじて抑え込み、代わりに別の質問をした。

「俺の軽率さ?」

「そうよ。女の子がいることも考えずに、安易に入ってきたことに腹を立ててるの」

 ほら、やっぱり怒ってるんじゃないか。

「いや、それは。女子野球部だとは思っても見なかったんだ。きちんと女子野球部と明記しておいて欲しかった」

 そんな俺の弁解に対する目の前の少女の反応は、俺が予想していたものとは違った。

「何でそんなことしないといけないの?」

「ん?」

「どうしてわざわざ『女子』なんて余計なに文字を冠さないといけないわけ? 向かいの方は男子野球部なんて書いてないのに」

「ちょっと由比」

 剣呑な様子の彼女に対して、長い黒髪の少女がなだめに入るが

「まほろは黙ってて」

 ピシャリとはねつけられる。まほろと呼ばれた娘は申し訳無さそうな視線をこちらに向けた後、やはり申し訳無さそうな様子で顔を振った。

「あたし不思議でしょうがないの。男子バスケ、女子バスケ。男子バレー、女子バレー。男子テニスに女子テニス。たくさん、体育系の部活が並んでる中でどうして野球部だけが、野球部と女子野球部なの? 野球は男子だけのスポーツって言いたいの? バッカみたい!」

 由比というらしい彼女の言い分はもっともだった。俺自身、そうしたことをこの娘が言うまで考えたこともなかった。それなのに女子野球部と主張しろなんて、もはやただの男女差別でしかないだろう。己の認識の甘さは謝罪しなければならない。

「由比と言ったか」

「ふぇっ!? な、何よ…………」

 突然名前を呼ばれたせいか、一瞬虚を突かれたような顔を見せた。少し頬が赤い。

「俺の認識不足を詫びる。今、君が言った件も重ねて詫びたい」

 俺は頭を下げた。

「えっ。えっ!? ちょっ、べっ別に頭下げるほどじゃないじゃない」

「いや、そうじゃない。ある意味大問題だ。俺はさっき言った通り、監督としてここに来た。そんな人間が初っ端からメンバーたちに不快な思いにさせてしまった」

「不快って、あたし全然」

「今からこの体たらくでは先が思いやられる。やはり俺には分不相応な役割のようだ。姉さんに頼んで、もっとふさわしい人物に来てもらうよう取り計らってもらおう。それで許してもらえないだろうか?」

「えっ、代わりって! やめる気っ!?」

 目の前の顔が一転して青ざめた。

「やめちゃだめ」

 不意に俺の袖口を誰かがつかんだ。おかっぱ頭の女の子だった。

「やめちゃだめって」

「やめちゃだめ。あなたはわたしたちの監督をやるべき」

 吸い込まれそうな、その澄んだ瞳に俺はたじろぐ。妙な説得力を持った目だった。

「いや、しかし…………」 

「由比もわたしも他のみんなも、あなたのことを不快に思っていない。まだ心の準備ができていなかっただけで、距離を測りかねていただけ。それにこちらの対応にも問題があった。だから見捨てないで」

「そうなのか…………?」

「そうそうっ!」

続いて聞こえてきた、別の明るい声。その声におかしかった空気が一気に良いものに変わる。声の主はボーイッシュな感じの娘だった。

「つまんない話は終わりにして、自己紹介しましょうよー! ねーっ向日葵っ?」

 彼女は傍にいる小柄で幼い女の子に巻き付きながら言った。

「もう、りの。恥ずかしいよぉ。あ、えっと。ひまも賛成かな? はごろも先生の弟さんで高校生のおにいちゃんが来るって聞いてたから、ひまちょっと恐かったけど、優しそうで安心した」

 向日葵という小さな娘に言葉を受けて、まほろが、

「清原先輩。向日葵もこう言ってます。人見知りなこの子が、初めての男性を受け入れるなんて奇跡です。その時点で私たちの監督としての資格があると私は思います」

「初めての男性を受け入れるって何か卑わいなんだけど」

「なーっ! ゆ、由比は混ぜっ返さななくていい!」

「ねえみかや。どういう意味? ひまわからないよぉ」

「あなたは知らなくてもいい」

「あっはっは。そうそう。僕のかわいい向日葵にはまだ早いかなあ」

 おかっぱの娘は「みかや」といい、ボーイッシュの娘は「りの」というらしい。そして、どうやらこの五人は仲が良いようだった。その辺の雰囲気は互いの態度や声色から容易に伺えた。この部の設立自体も案外そのあたりに理由があるのかもしれない。

 しばらく少女たちはじゃれあっていたが、まほろが一旦仕切なおした。

「と、とにかく、そろそろ自己紹介をしましょう!」

「ああ。じゃあ最初は俺から行かせてもらう」

「はい。お願いします。清原せんぱ…………いえ、監督!」

 まほろが呼び方を訂正し、姿勢を正した。

「ん。そこまでかしこまらなくてもいいよ。…………さて、先ほど軽くあいさつしたとおり、清原秀喜だ。姉の羽衣教諭から聞き及んでるかもしれないけど、今日からこの部の監督として、主にみんなの技術指導をすることとなった。今後、練習試合なんかの指揮も執ることになるかもしれない。どうかよろしく頼む」

 パチパチと拍手が上がった。一応受け入れられたということだろう。

「次は仕切った手前、私がいかせていただきます。鳥谷まほろと申します。ポジションはショートストップで、一応この部の副キャプテンを任されております。監督。どうか今後ともよろしくお願いします」

 丁寧で落ち着いた物腰に上品なたたずまい。いわゆる優等生タイプだ。もしかすると学級委員だったりするかもしれない。艶やかで長い黒髪を今はポニーテールにしている。涼しげな切れ長の目が特徴的な美少女のまほろは、どことなく姉に似ていた。

「次はわたし」

 不揃いなおかっぱ頭の娘だ。

「一年三組古田ミカヤ。捕手。保守」

 簡素な説明はそれだけだった。透明感のある声に透けるような肌。長いまつげと整った作りの顔は、まるで日本人形のようである。少しミステリアス系女子だった。

「はいっ! みかやんの次は僕でーっす!」

 聞いている人間が思わず元気になる明るい声。

「小笠原莉乃で、サードやってます! 趣味はカラオケとゲーセンめぐりと食べあるきです! こないだここにいる向日葵と巨大パフェ行ってきたんですけど、バッチリ完食してやりました。出されたものは全部食べるがモットーの小笠原莉乃です。出された練習もバッチリ食べきってみせますんでヨロシク!」

 威勢よく宣言した莉乃はショートカットとその細いラインから一見、ボーイッシュな印象を受ける。でもこの娘の顔を見れば、誰も彼女を男だとは思わないだろう。

 次は…………。

「あ、あの…………」

 莉乃に向日葵と呼ばれていた可愛らしい子である。

「ひまは、中村向日葵です。一年三組です。えっと、こないだりのと巨大パフェを食べに行ったけど食べきれませんでした。えへへ」

 聞いていて癒される声である。小さな身体に、大きな瞳。ふわりとした髪をツインテールにした彼女は、さっきのミカヤと同じく人形のようだった。こちらは西洋人形であるが。もじもじとしながら、時折チラチラと上目遣いでこちらの顔色を伺ってくる様子が妙に庇護心をくすぐられてしまう。それにしても一つ気になることが。

「向日葵ちゃん」

「はっ、はいっ」

「君のポジションはどこかな」

「え、あの、ひまは…………」

 口ごもる向日葵ちゃんに代わって、俺の質問に答えたのは由比だった。

「ひまはマネージャーよ」

「マ、マネージャー?」

「そうよ。何か言いたそうね」

 言いたいというかツッコミたいのだ。そもそもこの娘たちは気付いているのだろうか。今の状況に。ここでマネージャーとは…………。いや、今は自己紹介が先だ。

「とりあえず続けてほしい。最後は君の番だ。由比」

「ふん」

 話を振り直された由比が腰に手を当てて、こちらに向き直った。

 なんとなく挑戦的なのは気のせいか。

「あたしは一年三組、松坂由比。エースで四番、それでキャプテンやってる。このあたしがいる限り、チームに負けはないわ。安心して監督しなさい!」

 ものすごい自信の上、やたら偉そうである。だが、その声色には妙な説得力とハッタリと思えない迫力があった。何よりも全身から、みなぎるエネルギーを感じる。

 栗毛のセミロングをヘアピンで留めた髪型。勝ち気な眼尻。意志力のある瞳。そしてへの字に結ばれた薄桃色の唇。圧倒的な存在感を放つ美少女だった。

 なるほど。カリスマとも呼べる一種の求心力を備えた風格を彼女は誇っている。

 俺の中で興味の虫が騒ぎ出す。

 あまり褒められた行為ではないが、身体つきを観察させてもらうことにしよう。

 服の上からでも相手の筋肉のつき方や、肉体的長所を見抜ける特技が俺にはあった。

 由比の場合はまず、中学一年女子としては恵まれた体格が挙げられるだろう。

 女子としては高い身長、スラリと伸びた手足。投手向きである。一見女子らしい、ところどころ丸みを帯びたスタイルであるが、その中に隠された厳しい鍛錬の証を俺は見逃さない。筋力、柔軟性、瞬発力に持久力。およそ必要と思われる体幹要素を兼ね備えた見事なボディバランスだった。……この娘は口だけじゃない。

 これは中々楽しみなことになった。

 気がつけば俺は不敵な笑みを浮かべて由比を見ていることに気付いた。それを受けて彼女も挑戦的な目つきを応じてくる。どうやら心の方も相当タフなようだ。

 そのまま、しばらく視線を絡ませあった。やがて、

「な、何よ。あたしの顔に何か付いてるわけ」

 先に目を逸らしたのは、顔を少し染めた由比だった。

 そんな彼女に俺は内心の興味を隠しきれずに言ってしまう。

「いや、君のことがずいぶんと魅力的に思ったんだ。君に興味が沸いた」

「ふえっ えっ、えっ、えぇえっ!?」

 由比が叫んだ。周囲がどよめき、他の女の子たちがコソコソと話し始める。

 相思相愛……? なーっ! そうなのかミカヤ。ありゃー。由比のやつ告白されちゃったかー。ねえ、みかや。ひま分からないよ。ひできおにいちゃんゆいの彼氏さんになるの? おいどうなんだミカヤ! 由比のやつ硬直してるぞ。あんな由比見るの僕、初めてだなー。莉乃の言うとおり珍しいから放置。そ、それでいいのかミカヤ。

「ちょっと! みんな! 聞こえてるわよ!」

 由比が復活した。

「あんたもよ! 清原っ! 何いきなりぶっこいてくれてるわけ!?」

「何がだ?」

 というかいきなり呼び捨てなのね。

「何がだ? じゃないわよ! ものには何事も順序ってもんがあるでしょーが!」

「人のセンスやポテンシャルを褒めるのに手順など聞いたことがないが…………」

「え?」

「君のアスリートとしての身体レベルは非常に高い資質を秘めているということだ」

「あ…………なんだ。そういうこと…………」

 由比の気勢が目に見えてしぼんだ。褒められてしおれるとは変わった娘である。

「由比ドンマイ」

 ミカヤが由比の肩をポフッと叩いた。

「うっさい! ミカヤ。あー、もうっ!」

 自分を慰める手を払いながら由比が吼えた。まるでストライクを取ろうにも、球審の気まぐれでフォアボールを連発してしまう中継ぎのようだった。

「もう自己紹介も済んだでしょ! 今日はどうすんのよ」

 由比が強引に話題を変えた。まあ、そろそろおしゃべりも終わりなんだが。

 しかし、その前に…………。

「部活動を始める前に、一つ確認しておきたいんだが」

 そう。先程から気掛かりだった懸案事項だった。

「この部のメンバーは今いるだけで全員だろうか」

「そうよ」

 やけに堂々と由比が答えた。少し不安になった。

「この部は野球部だろう…………?」

「そうよ」

 いや、そうよって。

「…………失礼だが、君たちは野球のルールを知っているのだろうか」

「失礼ね。知ってるわよ」

「いや、しかし…………どう見ても五人しかいないようだが」

 これは根本的な問題である。野球は九人でやるスポーツなのだ。

「今は五人しかいなくても、すぐに集めるわよ」

「いや、集めるって」

「試合の時はソフトボールの連中を引っこ抜いて揃えるし大丈夫よ」

 そういう問題ではない気がするが…………。いや、ちょっと待て。

「そもそも人数が足りていないのに、マネージャーが存在するのはおかしい」

 マネージャーの向日葵がきょとんとした顔をする。

「ひま、いらない? 邪魔なの?」

「ちょっと! ひまがかわいそうでしょ! マネージャーはいるのよ!」

「その前に必要な要素があるだろう。そもそもチームとして成立していないのにマネジメントも何もない。そういうのは回すべきチームができてからだと思うが」

「ちょっとすみません」

 まほろが間に入ってきた。

「清原監督のおっしゃることはごもっともです。しかし事情があるのです」

「事情?」

「あー、それは僕が言うよ」

 莉乃だった。向日葵ちゃんを背中から守るように抱いている。

「向日葵はあんまり体が強くなくて、スポーツが得意じゃないんですよー。だからマネージャーってことになったんです」

 そうだったのか。確かに向日葵ちゃんは、フィジカル的にあまり恵まれているわけではない。有り体に言えば運動が苦手なタイプだ。だが…………。彼女は本当にマネージャーで良いのだろうか。この娘は本当にマネージャーを希望してるのだろうか。

 俺は気付いていた。ポジションを尋ねられた時、彼女が口ごもったことを。

 そしてその意味を。

「向日葵ちゃん。一つ聞いていいかな?」

「はっ、はい」

「君はマネージャーだそうだけど、それでいいの?」

「ひ、ひまは…………運動できないから。みんなに迷惑かけるから…………マネージャーさんでいいです」

 なるほど。足手まといになりたくない、迷惑を掛けたくない、か。だったら。

「もう一回聞いていい?」

「え? えぇ?」

「君はマネージャーが良いの?」

「えっ…………えっと…………」

 微妙な言い方の違いを聴きとったようで、向日葵ちゃんは言いよどんだ。

 この時になると、俺の意図を察したようで、他の子達は何も口を出してこなかった。

 小さな体が悩んでいる。そんな彼女に対して、俺は最後のひと押しをしてあげる。

「これは監督としての提案。いや、お願いなんだけど」

「?」

「向日葵ちゃんもどこか守ってみないか?」

「…………でも」

「今のままじゃ人数が足りない。君が参加してくれると、チームは助かると思うな」

「本当…………?」

 すがるような上目遣い。本当はこの娘も、一緒に野球したいに違いないのだ。向日葵ちゃんは自分の身体能力に自信がないのだろう。遠慮しているのだ。

「最初は下手でも良いと思うよ。練習だって辛い時は休みながらでも良い。そのうちに体力も絶対についてくる。上手くなって面白くなってくる。そんな練習に俺がしてみせる。どうかな? これは監督のお願いなんだけど」

 あくまで俺個人のお願いと強調することで、彼女の中で言い訳も立つだろうという配慮だ。しかし、どうやらそんな気配りは、彼女たちには無用だったようだ。

「何よ、ひま。野球やりたかった? だったらそう言えば良かったのに。あたしてっきりボールが恐いから嫌なんじゃないかって思ってたわ」

「ごめんなさい、ゆい。ひま迷惑じゃない?」

「そういう遠慮される方が迷惑なんだけど」

「ゆ、由比。そんな言い方することないだろう。向日葵は」

「そんなことわかってるわよ、まほろ。あたしたちに水臭いって言ってんの」

「でも…………ゆい。ひま、下手っぴだよ? 混ぜてもらってもいいの?」

「問題なし。ノープロブレムよ。じゃ、ひまも参加決定ね。良いわねまほろ」

「もちろん。それに上手い下手は問題ではないだろう。私や莉乃だって初心者なんだ。一緒に頑張ろう」

「ゆい。まほろ…………ありがとう。ひまもみんなと一緒に頑張りたいです」

 向日葵ちゃんがついに本音をさらけ出した。

「はいはいっ! けってーい! じゃ、向日葵も選手登録ってことでけっていー!」

「莉乃に同意。全会一致で中村向日葵をマネージャーから選手にコンバートする」

 莉乃とミカヤが追認した。これで何の気兼ねなく向日葵ちゃんも練習に入れる。

「えへへ。りの。みかや。よろしくね」

「うんうん。前向きな向日葵大好きだー! 抱きしめてあげよう!」

「体の柔らかい向日葵にはファーストのポジションをおすすめする」

 しばらく、メンバーたちによる向日葵ちゃん歓迎コメントが交わされた。

 一連のやり取りで強く実感する。この五人の結束は、かなり強い。初対面の俺ですら、そう思える一幕だった。これはチームとしては大きな武器となるだろう。

 やがて場が一段落ついた頃、キャプテンらしく由比が締めくくった。

「良い? あたしたちは五人で一つのチームよ! ファイト――」

「「「「おーーっ!」」」」

 …………いや、五人で一つのチームは成立しないんだが。野球的に。

 まあ良いか。このメンバーなら、なんとかなりそうな気がする。根拠はないけど。

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