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幕間――ガールズトークその3

 本日のシャワールームでのこと。

 この日は絶対に落とせない試合を控えられているためか、いつもの弛緩したムードの中に、いくばくかの緊張があった。みんなのシャワーが早いのがその証左である。

「みんな。明日はどうする予定だ?」

 脱衣用ロッカーの前で、長い黒髪を拭きながら、まほろが言った。すでにメンバー全員がシャワーを終え下着姿である。その詳細はというと、まほろが薄い水色、ミカヤがおなじみの素っ気ないデザインの白。莉乃がタータンチェック。向日葵がフリルの付いた薄桃色。そして由比は少し大人なデザインのピンクだ。

 その光景は天使の湯上がりといって差し支えない。

「明日の予定? うーん。遊びに行く? だったらゲーセンめぐりかなー」

「りのだめ。おにいちゃん、明日はなるべくゆっくりしなさいって言ってたもん」

「向日葵の言うとおりだ。私は軽く勉強してから、試合のイメージをしようと思う」

「うわー。さすが委員長。僕なんか家じゃゲームしてるか寝てるかの二択だよ」

「あんたも少しは勉強くらいしなさい。もうテストの前になっても助けないわよ」

「む、そうだな。直前になって私や由比に泣きつかれても困る」

「減るもんじゃないし良いじゃん。ゆいにゃんとまほろんのケチー」

「いや、あたしらの時間が減るから」

「というか僕たち何の話してたんだっけ?」

「む。そうだった。最初からやりなおそう」

「おはよう」

「「「「朝一からやりなおすのっ!?」」」」

「冗談」

「そ、それでそんなミカヤは明日どうするんだ?」

「平素」

「普段通りか。向日葵は?」

「ひまは大トロと小トロのお散歩行ってから、ゆっくりします」

「大トロと小トロ?」

「うん。まほろ知らない? 犬だよ」

「犬か。向日葵の飼ってる犬なら、可愛い犬なんだろう。チワワとかプードル?」

「騙されちゃダメだよまほろん。むっさ巨大な犬なんだってこれが。あのレベルになるともはや犬という名の猛獣だね」

「ぶー、りのひどい。大トロも小トロも大人しいよ?」

「犬種は何よ? ひま」

「マスティフとグレートデンだよ。ゆい」

「デカすぎよそれ」

「でもゆいも大きい犬飼ってるでしょ?」

「うちのゴメスとマートンはセントバーナードとピレネー犬よ。ま、大きいわね」

「あれ? 前言ってたタラスコとメンチはどうしたんだ?」

「同じ犬よ」

「由比はその時の気分によって、呼び名を変える。ちなみにタラスコとメンチの前はグリーンウェルとラインバックだった」

「なんとまあ、犬の方が良く混乱しないもんだ……」

「大丈夫。本当の名前は昔から統一されている」

「ちょっ。ミカヤ余計な」

「由比は二匹をキヨとヒデと呼んでいる」

「キヨとヒデ? ん? んん?」

「あれー? 僕なんか、その響きに心当たりがあるような」

「ひまわかったよ。おにいちゃんの名前」

「た、たまたまよ! 偶然よ偶然! そんなことより明日の話でしょ!」

「あ、ああ。また話が逸れてたな。由比はどうするんだ?」

「あたしも特に予定なしよ。軽い体操とストレッチして寝るわ」

 由比がそう宣言した時、ミカヤの眼が光った。

「由比ちょっと」

「な、何よ」

 着替え終わったミカヤは同じく着衣を終えて髪を整えてる由比を隅の方に誘導した。他のメンバーは構わず、ぐだぐだな会話を続けている。それを尻目に二人は少し声を潜めてやり取りを始めた。ミカヤが何もない右手をサッと振ると、そこに紙片が二枚現れた。その内容を見て、由比が驚きの表情を見せる。

「こ、これって、明日の日本シリーズタイガース対ホークス戦、甲子園チケットじゃない! プレミアの! しかも二枚も! ど、どうしたのよこれ!?」

「秘密。重要なのは、これは由比が使うということ」

「え? あ、あたし? 二人で一緒に行くの?」

「わたしは行かない」

「じゃあもう一枚どうするのよ」

「分かってるくせに」

「え? え!? ま、まさか」

 ミカヤの言わんとすることを察して、由比が狼狽えた。頬が少し上気しているのは決して湯上がりだからではない。

「そのまさか。清原秀喜を誘うべき」

「あ、あたしが!?」

「そう。あなたが。その口で、言葉で、あの人を誘う」

 強引にチケットを押し付けられて、由比は戸惑いを隠せない。もちろんその理由は押し付けられたチケットの価額がネットオークションで十万近くするからではなく、これからそのチケットを持って、あの人の所へ行かなければならないからだ。

 由比の心は千々に乱れた。

 迷惑じゃないだろうか。大事な試合の前に、そんなことしてて良いのだろうか。無責任だと思われて嫌われないだろうか。断られたらどうしよう。そもそも何て切り出そう。や、ちょっと待て。何も直接会って言わなくても電話かメールで……ああっ! まだどっちも聞いてなかった! あたしのバカ! 何で聞いてないんだ! 何とでもこじつけて教えてもらえただろう。……教えてもらったら何て登録しよう。やっぱり清原先輩かなあ。……センパイ。由比の脳内は一瞬にして思考のるつぼと化した。

「忙しいところ邪魔するみたいだけど、清原秀喜はもう帰り支度を始めてる予感。いつも羽衣先生の車で帰ってるから早く行かないと――」

「あ、ありがと! あたし行ってくる! じゃ、みんな」

 鞄をひっつかんで慌てて駈け出す、その由比の背に声が掛かった。

「由比。どうしたんだ急いで」

「ま、まほろ」

 自分に声を掛けた副キャプテンの顔を見た瞬間、由比は言葉を失った。キャプテンの由比には分かる。まほろの平静に取り繕ったその顔の奥に隠れた感情を。 

 それは不安だった。

 まほろだけじゃない。莉乃や向日葵だって、本心では不安なはずだ。

 次の試合、もし負けたら今のこの時間が失くなってしまうのだから。出来て半年の集まりとはいえ、過ごしてきた時間は決して短くなかった。清原がやってきてからの一月は密度まで増した。それは全員が感じていることだった。

 由比だけでなく、一緒に部を立ち上げた、この場所にいるメンバーにとって、もはや野球部は単なる部活動を超えた存在になっていた。

 それが奪われるかどうかの瀬戸際なのだ。不安でないわけがない。由比は一瞬でキャプテンの思考を取り戻す。そもそも今日のこのシャワールームのぐだぐだな会話だって、みんなの心が良く表れていた。直接的な話に触れず、わざと遠回しな話題をしたり、本題に入りかけるとすぐに脱線したり、要は目の前に迫るプレッシャーから逃げていたのだ。拠り所として、一同の視線を浴びた由比の顔が一気に引き締まる。そこにはもはや、恋に悩める乙女はおらず、チームをまとめるキャプテンがいた。

 こんな場所で悪いけど、そう前置きしてから由比は切り出した。

「日曜の試合だけど、みんな心配しなくていいから」

 一同を睥睨して続ける。みんな傾注の構えだ。

「由比……」

「ミカヤ。あんたはいつもどおり、リードしてあたしを助けて。委細任せた」

「了解」

「まほろ」

「由比……私は」

「みなまで言うな。あんたの安定感ある守備も打撃もあたしの背中を守ってくれる。頼りにしてるから」

「! ああ! 任せろ!」

「莉乃。あんたは言わなくても分かるわよね」

「うん。僕本番に強いタイプだから心配ご無用だー」

「知ってる。それにあたしもっと知ってる」

「んんー?」

「あんたがひまと二人でキャッチボールしてたこと。送球練習も兼ねてね」

「ありゃー……バレてたかー。恥ずかしいなー。カッコ悪い所見せちゃったかな」

「どこが! カッコ良いって言うのよそれは! あたし努力してる人のこと、本当に尊敬する。だから莉乃。あんたもあたしのこと助けてくれるって信じてる」

「よーし! 任された!」

「ひまもよ」

「え? でもひま、ヘタッピのままだよ? 役立たずさんです」

「それは違う。確かにひまはまだはっきり言って下手くそよ。体も小さいし足もあんまし速くない。でも、ひまも一生懸命練習に付いてきてたの、あたし知ってるから」

「ゆい……」

「最近、途中で休む頻度減ったよね。ご飯も前より食べれるようになったよね。力になってる証拠よ。練習は裏切らないわ! 野球の神様ってのはね。諦めない人の味方なの。努力してる人に奇跡を起こしてくれるの! だからひまも自信持ちなさい!」

「はい。ひまも努力します。……えへへ。ゆい優しいね」

「そーでもないわ」

 一通り訓示をのたまった由比は、気恥ずかしさを誤魔化すように胸を張ってみせた。

 ここからが彼女の真骨頂だった。

「一つ謝っておくわ。今あたしが言ったことは、実はそんなにカンケーありません」

「ほむ」「なーっ」「ええっ」「うに?」

 豪快にハシゴを外した由比に一同がざわめく。ブーイングを無視して由比は続けた。

「一番重要なのは、このあたしがいるってことです。エースで四番の松坂由比様がいる限り、負けはありません。そして、あたし一人で試合を決めちゃう以上、残念ながらみんなにも活躍の機会はありません。そういうことで本日は以上!」

 キャプテンとしての自負と一種の照れ隠しを混ぜ、その場の勢いに乗せて強引に締めくくる。

「由比らしくて良かった」

「む。せっかく良いこと言ってたのに」

「いやいや。やっぱ我らがゆいにゃんはこうでなくっちゃー」

「うん。いつも自信満々のゆいがひまは大好きです」

「まっ、みんなは戦艦大和に乗ったつもりでドーンと構えてなさいってことよ!」

「大和は落ちた」

 ミカヤが突っ込む。我らが大和はドーンと沈没したことはご存知のとおりである。

「……と、とにかく泥船に乗ったつもりで安心してなさいってことよ!」

「それを言うなら大船だろう。そんなに沈みたいか」

「由比が沈みたいのは愛の海。溺れたいのはあの人の愛情」

「あんたも一々いらんこと言わんでいいから」

 冷静に訂正したまほろに、便乗してミカヤが茶化し、由比が反応する。そこに不自然さは一切ない。莉乃や向日葵も含めて、もう余計な不安はなかった。

 完全にいつもの空気に戻っていた。全ては由比のカリスマの成せる業だった。

「そうだ。前から二人のやり取りで思ったんだが、由比の好きな人って誰なんだ?」

「うっ!」

 そして自分で立て直した空気によって由比は自らの首を締めた。

「ああ。僕も気になってたんだ。白状しろー」

「ちょ、莉乃やめて。ワキだめ……んっ!」

「この際、私も攻撃させてもらうぞ、由比」

「きゃーやめてーーー」

 二人がかりで、あらゆる弱点を攻められ、せっかく整えた衣服も乱れた由比の姿は上気させた表情も相まって、どこか扇情的である。その様子をミカヤが動画で収め、向日葵は平等に応援していた。結局、由比が解放されたのは莉乃が由比のポケットからこぼれ落ちた件のチケットに気付いたおかげだった。

「あれ? これって明日の甲子園チケットじゃないすかー」

「うっ!」

「こんなの持ってるなんて、さすがゆいにゃんはリッチだなー」

「ん? 待て莉乃。そのチケット二枚あるぞ」

「ギクっ!」

「一枚は由比のものとして、もう一枚は誰が使うんだ?」

 めざとく二枚のチケットの存在に気づいたまほろが、もっともな疑問を呈した。シンプルゆえに答えづらい。由比にとってはそんな質問だった。

「そ、それはアレよ。いわゆるそういうやつよ」

 しどろもどろになったのが余計マズイ。それを見てチケットをためつすがめつしていたまほろがイタズラな笑みを浮かべた。チケットをひらひらさせながら、

「それとかアレとか、ボケるにはまだ早いぞ由比。何をそんなに慌ててるんだ?」

「だ、だからそれはミカヤと行くのよ!」

「わたしは行かない」

「う、裏切り者ー」

「むしろ味方」

「ほら、ミカヤはこう言ってるぞ? 大切な試合を前に甲子園観戦。まあ悪くはないさ。しかし、誰と行くのかは答えてもらわないとな」

「あー、僕分かったよ! 分かりました! はいはいっ!」

「よし。小笠原くん。答えなさい」

「はい。鳥谷センセー! ズバリ由比は彼氏とデートする気でーす!」

「ち、がーう!」

 ついに由比が噴火した。顔を赤らめて、必死になって弁解する様子はとても可愛い。

「それは清原を誘うつもりだったのよ! 他意はないわ! あたしたちの練習を見てくれた上に色々骨折ってくれたでしょ? そのお礼よ! 他意はないわ!」

「む。そうだったのか?」

「おにいちゃんにお礼大切だと思います」

「そうだなあ。僕も前からセンパイに対してお礼しなきゃなーって思ってたんだよ」

「ああ私もだ。さすがキャプテン、よく気が付くじゃないか。いずれみんなからもするつもりだが、先にキャプテンの由比からお礼をするというのは理に適っている」

「で、でしょ? あたしはキャプテンだから、このくらいしてトーゼンなのよ!」

 ノリと勢いに周囲の誤解による同調が手伝って、由比はなんとか窮地を切り抜けた。

「あれ? でも清原さんを誘うなら早くしないと駄目なんじゃないか?」

「大丈夫」

 答えたのはミカヤだった。

「本来であれば彼はすでに羽衣カーで帰っていた。でも、自らの想いを抑えこんでキャプテンとしての責務を優先した由比を神様は見捨てなかった」

「何の話してるのよミカヤ」

「野球の神様が奇跡を起こしてくれたということ」

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