3-3 戦います。
本来練習のない木曜日の夕方。
俺たち新生野球部一同は、街のとあるグラウンドに集結していた。
今、俺たちの目の前には別のユニフォームの集団が整列している。一人を除いて全員小学生だ。
「今日は無理な申し出にもかかわらず、お受け下さりありがとうございます」
頭を下げた俺に対して指導者のその初老の男性は上品に笑った。
「いやいや。そんなかしこまらなくても。清原くん」
「しかし、突然練習に混ぜてもらう上に、紅白試合をさせてほしいなんてお願い、貴方にしかできないことです。野村監督。本当にありがとうございます」
「なに。他ならぬ君の頼みだ。断れんよ。それにこちら側のメリットも大きい。君が参加してくれるというだけで、うちのチームの子供だちはやる気まんまんだ」
「はは。そうみたいですね」
俺は野村さんの後ろで列をつくる子どもたちをながめた。高学年もいれば低学年の子供もいるし、男の子も女の子もそろっていた。みんな一様に、やる気に満ちている。
彼らは俺が小学生の時に参加していたリトルリーグチーム「杉の子野球会」の面々で、野村さんはそこの監督だった。その恩師である野村監督に対し、俺は事情を説明して練習に参加させてもらうことにした。厚かましい話にもかかわらず、彼は即座に了承してくれた。それが今、俺たちがここに集まっている理由だった。
「今日はよろしくお願いします!」
部を代表してキャプテンの由比が重ねて礼を言った。それにあわせて他のメンバーたちも頭を下げた。
「いやいや。そんな丁寧に。松坂くん。古田くん。元気そうだね」
「はい! お久しぶりです監督」
「元気です。今日は宜しく」
「え?」
野村監督と二人のやり取りを聞いて、思わず口を挟んでしまった。
「二人とも野村監督と知り合いなのか?」
俺の疑問に答えたのは、きょとんとする二人ではなく、野村さんだった。
「知り合いも何も、二人はこの春まで、うちのチームにいたんだよ」
「えっ?」
「ただいただけじゃないよ。松坂くんはエースで四番。古田くんは正捕手だった」
「ええっ!」
それには俺も驚かされた。手前味噌と言うか身内びいきというか、俺が言うのもなんだが「杉の子」は全国クラスの強豪チームである。そのチームでレギュラーといえば相当すごい。それがエースで四番、正捕手ならば尚さらだ。
いや、でも由比とミカヤの実力なら、それくらいのレベルなのかもしれないな。そんな彼女たちを預かるんだ。俺の責任は重大だと改めて感じた。
「ふむ。清原くん。電話で聞いただけだが今はこの娘たちの部の監督をしているってね。これもまた数奇な縁だなあ」
「自分もそう思います」
「まあ、君に関するその他の話は色々耳に入っているが、それについて私は何か言うつもりはない。君が考えて答えを出すことだ」
野村監督はそう言って思慮深そうな目で俺を見た。彼の言う俺に関する話とは、やはり野球をやめたことだろう。小学生の頃、手塩に掛けてくれた彼のことだ。俺が野球を離れたことには、さぞや一家言あるだろう。それでも俺は「はい」と答えた。
「なるほど。今の君はどういう立場であれ指導者だ。それを優先しようか。……さて、昨日聞いた話によると、松坂くんたちが何やら退っ引きならない状況だそうだね」
「はい。実は」
「そうなんです!」
俺が詳しい事情を説明しようとした矢先、由比が勢い良く割り込んだ。そして、そのまま怒涛のように今回の廃部騒動について、まくし立て説明した。由比の説明はかなり要領が良かったが、桑田に関して述べる時だけ、やけに恣意的な悪意を感じずにはいられない描写だった。桑田が聞いたら泣くな。
「ふむ。桑田くんと試合か……」
野村監督が嘆息した。どうやら桑田のことも知っているらしい。聞くと桑田圭祐も由比たちと同じく「杉の子」の一員だったそうだ。
まあ、この辺で強いリトルリーグと言えば、そう数はないし、それも自然だ。
「大体の事情は理解したよ。それでは時間も惜しいし、早速練習を始めようか」
「「「よろしくお願いします!」」」
女子中学生と小学生たちの声が薄暮のグラウンドにこだまする。
バント処理やランナーを置いての守備練習、果てはランダウンプレイまでみっちり行った。実際のプレイ中における細かな動きを学ぶことが今日のテーマの一つである。うちの素人三人組は最初こそとまどっていたが、こなしていくうちにある程度の流れは理解できたようだった。それでいい。
「ふむ。なかなか魅力的な人材ばかりだな」
練習風景を見ていた野村さんが言った。
「そうでしょう」
そんな俺の前には、少女たちの笑顔があった。
守備陣に元気よく声を掛けている莉乃がいる。ファインプレーを褒められて照れているまほろがいる。小学生たちに仲良くアドバイスされている向日葵ちゃんもいる。そして自分の後輩たちに薫陶を与えている由比とミカヤも本当に良い顔をしていた。
「責任は重大だな。清原くん」
「はい。勝ちます。必ず」
桑田に敗れれば、あの笑顔を奪うということだ。そんなことさせない。なぜなら。
「俺は野球に関する限り、もう何も奪わせるつもりはありませんから」
「……そうか。では、そろそろ紅白試合を始めようか」
本番の前に一度でいいから試合を経験させたい。今日一番の目的はそれだった。多くのメンバーを擁し、実力も折り紙付きの俺の古巣なら、その条件にぴったりだった。
早速、紅白に分かれオーダーが決められる。紅が由比たちのチームだ。こちらのメンバーは俺がオーダーを組み、足りないポジションに関しては、野村監督が選んでくれた。小学五年の準レギュラーたちらしい。本番の試合では、助っ人として由比の知り合いのソフトボール部の人たちを呼ぶそうだが、その子たちの実力が未知数なので丁度良かった。とりあえず、俺の決めたオーダーだが。
一番キャッチャー、古田ミカヤ。二番ファースト、中村向日葵。三番ショート、鳥谷まほろ。四番ピッチャー、松坂由比。五番サード、小笠原莉乃。以下略。
と、上位打線は新生野球部の面々で湿られている。これが俺の考えるベストオーダーだ。対する白チームは、野村監督擁する「杉の子野球会」のベストオーダーである。現キャプテンの六年生の男子は、今年のエースにして四番で、桑田と比べても遜色ない実力と才能だそうだ。
とにかく、このチームに勝てれば、桑田チーム相手にも善戦出来るに違いない。
「よし。紅チーム集合!」
俺の号令でメンバーが集まる。打順で横一列にきちんと整列していた。もちろん「杉の子」の少年少女たちもだ。言わなくても、集合と整列が迅速なあたり、日々の訓練の賜物だなと思った。
「良いか。これは練習試合なんかじゃない。杉の子の準レギュラーにとってはレギュラーにアピールするチャンスだし、新生野球部にとっては桑田戦を見据えた最初で最後の実戦だ。様子見などいらん。各員の総力を以って健闘しろ! 以上だ」
「「「はい!」」」
返事を響かせて選手たちがホームベース前に向かう。そこで両チームが向かい合って並んで礼をする。じゃんけんして紅チームは後攻に決まった。
守備につく際にチームリーダーの由比がメンバー全員に声を掛けた。恒例の円陣だ。九人全員がマウンド上に集まって、そのまま輪になる。
「ファイトー」
「「「おー!」」」
紅白戦が始まった。
結果から言えば、由比たちの圧勝だった。8対0。公式の地区大会であれば、あわやコールドという完勝である。由比に至っては、もう少しで完全試合達成というところだった。偉業を阻止したのは敵チームの四番が放ったポテンヒットであり、これは白チームの四番として、また「杉の子」の現キャプテンとしての面目躍如といったところか。由比は悔しがっていたが、二〇奪三振を記録したので、むしろ誇っていいだろう。というか由比よ。素晴らしい活躍だった。
投げては九回までヒット一本に抑え、打っては五打数五安打三ホーマー五打点。
と決して格下でない投手相手に鬼神のような暴れっぷりを見せてくれた。
他の娘たちの戦績も文句ない。捕手のミカヤは五打数五安打三盗塁。安打は全て単打で、そのうちグラウンドヒットが三本だった。盗塁に関しては、まるで「盗むとはこういうことだ」と言わんばかりの陥れっぷりだった。
続いて二番の向日葵ちゃん。五打数で安打なし。だが、送りバント二つとスクイズを一つ決めた。つまり、8点のうち1点は彼女が挙げたのだ。スクイズは対桑田戦に向けて、俺が伝授していた秘密兵器だった。よくやったぜ。
次まほろ。五打数二安打。犠牲フライ一つ。安打内容はツーベースが一つあった。良い成績ではあるが、盗塁の失敗が一つあった。ミカヤと違い素直過ぎたのが原因だ。
最後に莉乃。五打数一安打。一ホーマー。このホームランに関しては、特訓成果のいわゆる得意コース得意球種狙い撃ち、いわゆる一打入魂が決まった形となった。つまりはまぐれである。その証拠に他の打席は見事なくらい三振だった。三振の教科書と呼べるくらいの三振っぷりだった。それでも狙い球を確実に仕留めた点が大きい。
打つ方に関しては問題なかった。しかし、守備の方では少し懸念が残った。
由比のおかげというか、由比のせいというか、彼女の奪三振ショーの影響で守備機会がほとんどなかった。俺の希望としては、試合で飛んで来る本物の打球にもっと触れて欲しかったんだが……。贅沢な注文なのだろうか?
何にせよ、本番でも由比がこの調子で抑えてくれるなら問題ない。
「彼女たちは強いね」
野村監督はそう褒めてくれた。
「この調子なら、桑田くん相手でもなんとかなるかもしれないよ」
「なんとか、ですか」
「清原くん。君、うちのベストメンバーに圧勝したからといって、桑田くん相手に同じことが出来ると思わないほうが良い」
「杉の子は全国レベルです。小六と中一で、そこまで差がつくでしょうか?」
「普通なら付かん。でもね。君たちが通う私立阪南学院もまた、全国区の名門中の名門だ。一年生とはいえ、そこの準レギュラークラスなら、うちのチームより遥かに強いと考える方が良いだろうな」
「あの娘たちには言わないでおきますよ。それ」
「そうしたまえ。この圧勝ムードのまま良いイメージで本番を迎える方がいい。そのことはあくまで、冷静であるべき指揮官たる君が覚えておくことだ」
「はい。ありがとうございます。でも俺はきっと勝てると信じてます」
「その心は?」
「あの娘たちが一丸となってチーム全力で当たれば必ず勝てる。そう思うんです」
「選手たちが一丸となれば、チームの全力……かね」
思慮深げに野村さんが顎を引いた。
「何か間違っているでしょうか」
「間違ってはいないが、一つ不足していることがある」
元プロ野球選手にして智将と謳われた野村克己の目が理性をたたえて俺を射抜いた。
「それは何ですか?」
「選手たちがベストを尽くすことだけがチームの全力とは言えん。ということさ」
「…………」
「監督もまたチームの一員なり。選手たちと監督が一丸となってこそ、本当のチームの全力であり、総力という。君も監督なら、そのことどうか忘れずにおいて欲しい」
「……はい。肝に銘じます」
「……やはり、あの娘たちは次の試合、苦戦するかもしれないな」
「…………」
野村監督の言わんとすることを察して、俺は黙るより他なかった。
彼は今の俺の心の弱い所を突いたのだ。
俺は俺自身の主体を置き去りにして今に至る。そして、そんな俺だが新生野球部のみんなとの仲が深まっていくうちに、いつしか自分の中で芽生えたものがあった。
それは由比たちに対する罪悪感だった。
俺が彼女たちの監督になったのは、自分が部を辞めるための交換条件だった。言ってしまえば、みなみに対する贖罪に少女たちの健気な想いを利用しているのだ。
そんな気持ちのままで、果たして監督など務まるのだろうか。廃部騒動以来、ふとそんなことを考えるようになった。選手と監督、合わせてチーム。野村さんはそう言った。そしてそれは正しい。彼は俺の言動の端々に、俺の心の迷いや葛藤を感じ取ったに違いない。いや、考えてみれば明白じゃないか。
俺は俺自身を無意識のうちにチームの一員から外していた。それが俺のある種の腰掛け的な気持ちからなのか、罪悪感に起因するものかは分からない。
ただ一つはっきりと言えることがある。今のままでは、俺はミカヤに、まほろに、莉乃に、向日葵ちゃんに、そして由比に。彼女たちにふさわしくない。
今度の試合はチームの総てを以って当たらなければ勝てないといったのは俺だ。
それなのにチームの指揮官たる俺がそんな体たらくでどうする。
自問自答を繰り広げる俺の目の前で、前哨戦の勝利に沸く花咲ける少女たちがいる。
ナイターの照明のもと、チームメイトたちにもみくちゃにされている由比は一層輝いていた。そんな由比を見て。
俺の心のどこかが小さく傷んだ。
最後の練習日である金曜日。
この日は紅白戦での動きをふまえてのアドバイスと、試合における動作のチェック、サインの確認をするにとどめ、激しい練習は割愛した。その後、試合本番に向けて最後のミーティングを行った。一人一人が普段通りの力で戦えば勝てるということから入り、各自が自分に与えられた役目をこなすことだけに集中して、焦りや無理は禁物なことを伝えた。全員が全員、己の役割を理解してくれた。完璧だ。
一人一人の士気も高い。これを維持したい。幸い明日の土曜は休みだ。一日休養して、ベストな状態で臨んで欲しいと思う。そうすれば、きっと大丈夫だ。
「大丈夫。きっと勝てる」
言葉にして俺は、それがみんなではなく自分に言い聞かせていることに気づいた。
俺の心の中ではもう一人の自分が警鐘を鳴らしている。
このままじゃ駄目だ。きっと勝てないぞ。
妙に胸がざわつく焦燥感を抱えたまま、それをおくびにも出さないようにして、俺はそのまま解散を告げた。