2-4 たたかえ女子中学生! 練習開始!
呼吸を整えるために十分間のインターバルを挟んでから、本格的な練習が始まった。
消耗の激しい向日葵ちゃんは少し休憩してもらって、次のメニュー、ベースランニングを開始する。ランニングの後にベースランニング。徹底した足腰の酷使を強いるつもりだ。その心は。
野球は下半身である。
「がんばれ、みんなー」
一塁ランナーコーチャーのあたりに三角座りしている向日葵ちゃんの声援である。
「一周すればいいの?」
由比が尋ねた。あの後、言われたとおり、抱っこしたままグラウンドまで運んでやった彼女は、とりあえず俺を監督と認めてくれたらしい。
下ろす際「まあ、実力はあるようだし? 監督代理補佐見習いくらいには認めてあげるわ」と、実に彼女らしいセリフをのたまった。
桑田以来のピリピリ具合も払拭されていた。
「とりあえず、バッターボックスからファーストベースまでのスピードを見たい。それぞれの打席からバットを振って、実践みたいに走ってくれ」
そう指示して俺は、ファーストベースの傍まで移動した。すぐ後ろでは向日葵ちゃんが興味津々といった様子で見守っている。
「おにいちゃん。ベースランニングって何?」
「ベース周りを全力で走ることだよ。少しでも次の塁に早く到着するためにね」
「リレーの内側を走るかんじで走れば早い?」
「そうだね。みんなの、特に由比の走り方を見てると勉強になると思うよ」
由比がバットと振り、俺はストップウオッチを起動する。
「えへへ。ゆい、学年で一番足が速いんだよ」
向日葵ちゃんがにこやかに笑う前を由比が疾風のごとく駆け抜けた。ベースを踏んだ瞬間に止めたストップウォッチを見る。素晴らしいタイムだった。
「いいぞ、由比。さすがだ」
「とーぜんよ!」
とても良い顔でブイサインを向けてくる。
「次っ」
バットを振ったまほろが全力疾走してくる。同じようにタイムを測った。
「良いぞまほろ。右打者なら合格だ」
「ありがとうございます!」
「次っ」
莉乃が陸上選手もかくやという程のストライドで迫ってくる。短距離走なら由比とほぼ互角の走力を持っている莉乃のタイムも上出来だった。
「よし。期待通りだ莉乃。ただバットを豪快に放り投げるのはやめるんだ」
「えー。フルスイング系なんですけどダメー?」
「ダメ。今は流行らない。危ないし」
「ヒットはいらない。ホームランがほしい!」
どっかで聞いた台詞である。というか古い。
「ヒットもいるからね。はい、次ミカヤ」
微動だにしない静のフォームから、お手本のようなスイングを披露してくれたミカヤが走りだす。泳ぐように優雅な走り方なのに、異様に速い。あっという間に一塁を通り抜けた。まるで縮地のようだった。
「よし。ミカヤも早い。次は同じ要領で二塁まで走ってくれ。バットを振る際に、ツーベース! と大きな声で言うこと」
俺の指令に各々、個性的な返事を残して戻っていく四人。その間に俺はセカンドベースへ移動した。もちろん向日葵ちゃんは、みんなが一塁ベースを蹴って回る瞬間をしっかりと見ておくようにアドバイスしておくことも忘れない。
「よし! 由比。来い」
「ツーベース!」
威勢のよい声とともにスイングした由比が走る。転がったバットが止まる頃には一塁目前だった。そのまま向日葵ちゃんの熱い眼差しを受けながら、ベースの角を蹴る。教えるまでもなく彼女はピッチャーサークル側の角を左足で踏んでいた。
こうすることで、身体を素早く回転させ、コーナリングにキレが出るのだ。
そこから一気に加速した由比が、まるで小魚の群れに突っ込むマッコウクジラのように豪快なスライディングで二塁に到着した。
「言うことがないくらい完璧な走塁だな」
「でしょ」
すっくと立ち上がった由比は得意満面である。
「よし。次、まほろだ。由比はまほろが打ったら二塁からホームまで突っ込め」
「競争ね。任せなさい」
打席のまほろのスイングと同時に、二人が弾けるよに走り出す。
キャプテンと副キャプテンのスピード対決だ。
「いいぞまほろ! そこから一気に滑り込め!」
「はーーっ!」
気合一閃。ポニーテールをなびかせたまほろが滑り込んでくる。
スピードが乗っている証拠にヘルメットが外れて転がった。
「どっちですかっ!?」
座ったまままほろが聞いてきたのは、もちろん由比とどちらが早かっただろう。タイムよりそれが気になる辺り、彼女の中のライバル心のほどがうかがえた。
悪いことではない。
「残念だけど、タイムも含めて由比の勝ちだな。君が滑り始めた時には、由比はホームを陥れていた」
「むー」
立ち上がったまほろが口を尖らせるという珍しい表情を見せた。
ちょっと可愛らしいので、おまけアドバイスをあげよう。
「まほろ」
「はっ、はい」
「一つ良いことを教えてあげよう。一塁を回る時、少し膨らみすぎだ。もう少し走るコースを選べばもっと良い勝負できるよ」
「はい! それで今のタイムは」
「いや、今のでも合格だよ。でも君が目指しているのはそこじゃないだろ?」
「はい! 精進します!」
再び凛々しい顔になったまほろがヘルメットを拾い、二塁ベース上に立った。
「ツーベースぅっ!」
元気な声が運動場に響き渡った。他の部活中の生徒たちが何事かと漏れ無くこちらを向いている。声の主はもちろん、我らが莉乃選手だった。視線に構わず莉乃が走る。それと同時にまほろもスタートした。
勝負はまほろの勝ちだった。
「あっれー? おかしいなー。足は僕のほうが早いハズなのにー」
「大回りしすぎだ」
端的に指摘する。
「えー、だって豪快に走りたいじゃないですかぁー」
「…………」
……天然なのか、この娘。
「とりあえず、次の塁に一瞬でも早く到達することが目的なんだ。いかに短い距離をいかに最速で走るか。分かるか?」
「おおっ! なんか時間と空間に対する挑戦みたいでカッコいいっすねー。よーし、僕やりますよ、センパーイ!」
ビシっと最敬礼を見せた莉乃の調子の良さに釣られて答礼しながら
「次、ミカヤ! 莉乃もゴーだぞ!」
「ラジャーっ!」
クラウチングになっている莉乃の向こうでミカヤが流れるようなスイングを見せた。
「ツーベース」
決して声を張り上げているわけでもないのに、通りの良い透明感のある声。テレパシーみたいである。
超能力者と得点圏ランナーの二人がダッシュする。この二人も相当早かった。
「ミカヤも良いタイムだった」
鮮やかに滑り込んで来たミカヤに対する評価である。
「そう」
素っ気なく立ち上がるその姿は、ベテランの風格だった。この娘はこの娘で妙な実力者である。中々頼もしい。とりあえずこれで一巡した。
「ミカヤ。よーいドンで、ホームまで競争しないか?」
「一つ条件がある」
ミカヤが横目で俺を見た。
「おっ、何だ?」
「わたしが勝った場合、レギュラーの座を約束してほしい」
キリッとした表情。
レギュラーもなにも、五人しかいないから、強制スタメンなわけだが……。ここに来て自虐ギャグとは余裕である。それにしても中々のユーモアセンスだった。
「なるほど、いいセンスだ」
「変?」
「まさか。俺は好きだ」
「……ありがとう」
ミカヤの視線はホーム付近で待つチームメンバーにそそがれている。とりわけ由比を見てるようだった。
「由比。今から彼とホームまで競争する。号令を」
「何それ。いいわよ、オッケー」
打てば響くように由比が返した。
「よし、行くぞ!」
俺たちは並んでスタンバった。俺のほうがハンデとして外側なのは言うまでもない。
「よーい――」
由比が号令をかける。
「ドンっ!」
落雷のようなスタートダッシュで二人はかけ出した。
三塁線途中まではほぼ互角だった。だが三塁を回る頃には俺が先行し、ホームベース直前で、その差は明らかについていた。
「負けた」
ワンテンポ遅れて滑り込んできたミカヤがポツリと漏らした。
俺は手を差し出して、ミカヤが迷いなくその手を取って起き上がる。
「そういえば忘れていた」
俺の手と自分の手を見比べながらミカヤガ切り出した。
「何がだ?」
「あなたが勝った場合の条件」
ああ、そうなるのか。何か気の利いたことを言っておくか。
「じゃあ、そうだな」
エッチなこと要求したら許さないからね! などと息巻く由比を尻目に沈思黙考してから言った。
「君には特別に厳しい練習を覚悟してもらうぜ。もちろん正捕手のためのね」
「把握」
ミカヤは相変わらず、表情を読み取れないポーカーフェイスだったが、少しだけ嬉しいのではないかと感じた。今の回答は当たり、だろう。
四人分のタイムをメモしてから、同じ内容をもう三回繰り返す。
最後の周には向日葵ちゃんも参加してもらい、五人分のデータが揃ったところでベースランニングを終了した。
ノックが始まった。
「莉乃っ! 最後まで球の動きを見るんだ!」
「はいっ」
三塁線、厳しい打球を見事な反射神経で飛びつきながらも取りこぼしてしまった莉乃の声が響く。
「もう一回っ。それ」
「ていっ!」
同じコースに打ち込んだゴロに莉乃が横っ飛びを見せる。だが、またしてもグラブはボールを弾いて、白球は後方にそれていく。ちなみにレフト方面では、球拾い役として向日葵ちゃんに待機してもらっている。そんな向日葵ちゃんが転がって来たボールを一生懸命走ってグラブに収める。彼女にとっては体力作りとボール慣れを兼ねた一石二鳥の練習だった。
「りの。ひまが見てるよ。がんばってね」
「おーっ! 向日葵にしんどい思いはさせないぞー」
「よし。その意気だ」
再び同じラインに打球を送る。飛びついた莉乃は、グラブに当てながらも、またしても向日葵ちゃんの世話になってしまった。あの打球に追いつける反射神経は素晴らしい。ギリギリの打球を飛ばしているつもりだから、グラブに当てただけでも褒めてやりたいぐらいだ。でも、そうはしない。あえてグラブさばきの下手さを指摘する。
「もっと柔らかく、包み込むような感じでボールを扱ってみろ」
「ラジャー!」
莉乃が飛ぶ。向日葵ちゃんが走る。
「それじゃ駄目だ! ヒジが固い。突っ張るな。腕のクッションをイメージしろ!」
「はいっ!」
サードが弾いて、レフトが追いかける。
「もう一回!」
「よっ」
打球を後ろではなく前で弾く。
「良いぞ! キツ目の打球は百パーセント捕れなくても前に処理すればいい! 今のを忘れるな。もう一回!」
「せいっ!」
続け様に何度も同じようなゴロをさばかせる。息を荒げながらも、莉乃の体のキレはおとろえない。慣れ始めると今度は、逆方向に打球を飛ばす。それでも絶妙な反応と下半身の踏ん張りを見せて健闘する。捕球率は正直芳しいとはいえないが、そんなことはもはや問題ではなかった。
「よし、ラストだ!」
「はっ、はいっ!」
少し厳し目を突いたつもりのハーフライナーは、ほとんどショートが対応すべき場所へ飛んでしまった。俺の打ち損じだ。謝ってもう一球打とうとした俺だったが、驚くべき光景を目にすることとなった。地を這うように疾駆する細い影が、ダイビングキャッチを敢行する。泥だらけになった彼女のグラブには白球が収まっていた。
なんと。莉乃……。スーパープレイだった。
「す、すごいぞ莉乃! すごいじゃないかっ!」
カバーに入っていたショートのまほろが賛辞を送った。他のメンバーからお惜しみない言葉が掛けられる。むくりと起き上がった莉乃は息を切らせながら満面の笑顔でブイサインを見せた。最高の笑顔だった。
「いいぞ、莉乃! スーパープレイだ! だが、試合だとプレイはそこで終わりじゃないぞ! 返球しろ!」
ノッカーの俺の傍には、投げ返されるボールのキャッチ係としてミカヤがスタンばっている。取ったボールを、彼女までストライク返球するまでがワンプレイだった。
バネのように立ち上がった莉乃は、勢い良くスローイングする。
そのボールはものすごい速さで俺とミカヤの遥か斜め上を切り裂いて、背後のフェンスを強襲し、網目の間に挟まった。シュルシュルと硬球がすすり泣く。
俺もミカヤも無言で、こげたフェンスを眺めていた。
「すいませーん! ちょっとズレちゃいましたー! あっははは」
あっけらかんと笑う声が響く。
惜しい。本当にいろいろな意味で惜しい。いつか徹底的に悪送球を矯正してやる。
「莉乃。今度から送球も意識するように。ミカヤの投げ方を参考にすると良い」
「はーい。つい、力んじゃうんですよねぇ」
「安心して。少しずつ直していけるよ」
「授業中の居眠りも治りますか?」
「それは知りません」
はっはっはと笑うムードメーカーをとりあえず放置して、次はショートだ。
人数が少ない分、一人に時間を割けるから、ノックの効率が良い気がする。
その分、個人個人の疲労は半端ないことになるが。
「監督、宜しくお願いします!」
腰を深く落としたまほろが、真剣な表情を見せる。まなじりを決したその顔は、いかに自分のポジションが重要であるか理解していることを物語っていた。そしてそれは正しい。彼女の守るショートは内野の要といっても過言ではない、大事な守備位置だった。運動量も桁外れに多い。後半バテないように徹底して鍛えてやる。
「いくぞ!」
無難な打球からまずは入る。まほろは危なげなく、それらを処理していく。送球も完璧だった。黒髪をなびかせながらの流れるようなスローイングはとても美しかった。
「ナイスプレー。ナイスロー」
返球をミットに受けたミカヤも声を送る。
「よし、厳しめにいくぞ!」
左右に打球を散らかして、徐々にその幅を大きくしていく。
まほろはそんな意地悪なゴロやライナーに全力で食らいついていた。しかし。
「くっ」
少しずつ上体ブレ、下半身も不安定になり、ボールを弾き始めた。送球にも乱れが見えてくる。ここからが勝負だ。
「ほら! もうバテたか!」
「っ!」
飛びついたグラブの先を白球は無情にも抜けていく。体制を立て直し、定位置に戻る間も与えず、次の打球を出す。逆サイドにギリギリのゴロを逆シングルの横っ飛びで弾く。同じことを何度も繰り返す。
「はっ、はっ、はっ」
汗と泥にまみれたまほろが歯を食いしばりながらも立ち上がる。胸が痛んだが、これも訓練だ。くじけるな、まほろ!
「どうした。動きにキレがないぞ!」
「はっ、はい!」
必死に声を返すも、だんだんと動きが緩慢になっていくのが手に取るように分かった。ほとんどの打球が後ろに流れるようになっていた。
「まほろー! しっかりー! 後ろは僕たちに任せろー!」
「ひまもいるよー! まほろ、がんばれー!」
カバーとしてセンターに入ってもらった莉乃と、レフトフィールダーとしての自覚が芽生えつつある向日葵ちゃんが激励する。その声援を受けてまほろがゆらりと立ち上がる。夕日をせにまとうその姿は、まるで絵画のようだった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……つ、次……お願い……しますっ」
「よし!」
よく言った。副キャプテン。
俺の打った球は三遊間深めを突くライナーだった。
「自分の限界を決めるな! 一つでも先を見ろ!」
「はぁーっ!」
裂帛の気合とともに、まほろがグラウンドを蹴る。土がはね、汗が夕日を受けてキラリと光った。帽子を飛ばし、長い髪で中空に川を描きながら、少女が舞う。
伸ばしたその手は白球を包み込む。まほろはグラブを脇で抱えるようにして、背中から落ち、その勢いのまま一回転した。土煙が視界を一瞬隠す。果たして……、
「……やった! やりました! やった! やった! あははは」
真っ直ぐに上げたグラブの中には、ファインプレーの証拠がしっかりと残っていた。
「すごいぞまほろ! よくやった! その感覚を忘れるな!」
「は、はい!」
汗まみれのまほろが笑みを見せる。彼女らしい、どこかひかえ目で上品な笑顔だった。まるで気高く咲く百合の花である。
「よし。二人ともよかったぞ」
これで内野手二人は終わった。次はファースト――向日葵ちゃんだが、どうしよう。
まだノックは早い気がする。それよりもボールに慣れてもらったほうが良いだろう。使っているのが危険な硬球なので無理は禁物だった。よし、決めた。
「おーい、向日葵ちゃん」
「なにー?」
可愛らしい声が元気いっぱい返ってくる。
「向日葵ちゃん、ちょっとファーストに入ってくれ」
「ひまもノック?」
ちょこちょことリズミカルに掛けてくる。
「ノックじゃないよ。ボールに慣れるための簡単な練習だよ」
「そうなの? うん。わかった」
定位置につくのを見届けてから、今度は莉乃とまほろを呼ぶ。すぐに二人ともやって来て、俺は説明をした。まずはまほろにノッカーを交代し、莉乃はサードに戻る。ノッカーのまほろは、サードに軽い打球を飛ばす。莉乃はそれを捕球して、一塁の向日葵ちゃんに向かって正確に送球し、向日葵ちゃんがそれをキャッチする。
この練習にはそれぞれ利点があった。
打ち手を担うことによって、まほろは打点の感覚を掴みミート力がアップする。莉乃は捕球技術もさることながら、仲良しの向日葵ちゃん(おそらく二人は特に仲が良いっぽい)に対して送球することで、丁寧な送球を意識する。向日葵ちゃんは、ヒッティング、捕球、スローイングからのキャッチという一連の流れでの実践的な動きと勘を養ってもらいつつ、ボールに慣れる。いいことずくめだ。
「副キャプテン。頼んだぞ」
「はい!」
「莉乃。向日葵ちゃんが取れる球を投げるんだ。友達にケガさせるな」
「了解!」
「向日葵ちゃん。ファーストの仕事は主に野手のさばいた打球を受け取ることだから、まずはボールとゲームの動きに慣れよう」
「わかった!」
三人に言葉を与え、各々準備が整ったことを見届けた俺は、傍のミカヤを従え我らがキャプテンのもとに向かった。
実は投手の由比にはノックには参加させずに、下半身強化の一環としてスクワットとシャドウピッチングのコンビネーションをさせていた。
ネット前で一人、由比は不平も言わず黙々とトレーニングしていた。
「待たせたな」
「うん。すっごく寂しかった。早く、あたしだけの個人レッスンして」
「勝手にあたしのセリフ捏造すんな!」
お茶目な女房役に対してエースは即座に突っ込んだ。
二人はバッテリーとしても相性が良さそうだ。
「とりあえず、今から由比には実践投げ込みをしてもらう。まずはミカヤのリードで三十球投げ込んでみてくれ」
「分かった」
素直に応えて由比は、投球練習用に設けられた脇のマウンドに移動した。
ミカヤが準備を整え座り、俺はその背後で球審用のプロテクターを装着して立った。
「じゃあ、投げ込み開始」
豪快なピッチングがミットを何度も響かせる。ミカヤが要求した球種とコースに、由比は見事に応えていた。コントロールが大きく乱れることは、ほとんどなかった。
ランニング、ベーラン、そしてスクワットとあれだけ下半身を使わせたのに、身体がブレていない証拠だ。相当なスタミナだった。
この言い方だと本人は気を悪くするだろうが、女子離れしてると言って良い。
由比が投げた内訳は、ストレート系がメインで、変化球は、あのやっかいな高速スライダーと、他には異常な球速差のスローカーブがあった。
こんな技まで隠し持っていたか。まったく。
先の対決でこのカーブを出されていたら、もっと手ごわかった。
いずれにせよ、どの持ち球もハイクオリティだった。由比は器用な娘なのだろう。
「よし。次は俺が打席に入る。打者がいると勝手が違うぞ。それで、今の投球レベルに落とし込め」
球審用の装いを解き、打者のたたずまいに変えてから俺はボックスに立った。
由比が不敵に笑う。
「インコース厳しく攻めるけど腰引かないでね! 監督代理補佐見習い研修さん!」
ランクダウンしとるがな。
宣言通り、由比は徹底したインコース攻めできた。
あくまで立ってるだけで、打つわけではない分、余裕を持って球筋を見切れるはずなのに、それでも驚異的な球威だった。
「よし。アウトコース中心に切り替えろ」
「ふぉっ!」
由比は要求に器用に応じた。絶妙なコントロールで、クサイ所を突いてくるかと思いきや、打てそうと思わせるボール球を投げてくる。
「次、変化球でコースを散らせ」
「むぉっ!」
入ってくるスライダー、カーブと、四角を攻めるそれらを巧みに使い分け、時折、左打者の俺に切れ込んでくる強気のものもある。すっぽ抜けや変化が甘いもの、楽に打てそうなものはほとんどなかった。投げ方が正しい証左である。
それにしても。
「由比。もう一回ストレート」
「ふぉっ!」
「次、スライダー」
「むぉっ!」
あ、欠点見えた。
「由比。ちょっとタイム!」
「何よ、もう。せっかく人が気持ちよく投げてるのに」
ぶつくさる由比をひとまず置いておき、キャッチャーに声をかけた。
「ミカヤ」
「何?」
「君は俺の言いたいことが分かるな」
「由比のクセ」
テンポの良いやり取りが続く。由比には聞こえていない。
「そうだ。具体的には言えるな?」
「投げる瞬間の呼吸」
「分かってるじゃないか。由比が投げる時、直球だと力んだ息を吐き、変化球だと抜いた声を出す。見抜かれるぞ」
「もちろん知ってる」
「何で教えてやらない」
その質問に対する解答は、セーブポイントが付く最終回に登板した守護神が、全打者全球ド真ん中ストレートで勝負するという配球よりも考えられないものだった。
「だって、可愛かったから」
結局、俺の指示でミカヤガそのクセを由比に伝えた。指摘された由比は顔を染めたり、うなったり、見ていて飽きないリアクションを見せてから、今度は今まで黙っていたミカヤにひとしきり八つ当たりしてから、ようやく落ち着いた。
「まったく……恥かいたじゃない! バカ!」
「かくのは打者の裏だけでいい?」
「上手いこと言ったつもりか!」
なんかちょっとおもしろい二人である。
「あー、由比。ミカヤ。とりあえず、今のクセを踏まえて、もう少し投げてみよう」
「言われなくても分かってるわよ! ほら、あんたも早くキャッチャー戻りなさい」
ミカヤを押しながら、由比が言った。そして投球練習が再開された。
「ふぅっお!」
「由比。いきなりすっぽ抜けてるぞ!」
「ふっ!」
「威力が足りない! 置き球をするな!」
「ふわぁっ」
「危険球はやめろ!」
「ふおわあお!」
ヤケクソに放った最後の直球は、地面に叩きつける大暴投だった。
「由比。落ち着け。無駄な力みを取るんだ」
「何で急におかしくなるのよ! あー、もう! イラつく!」
マウンドのエースが土を蹴った。ちょっとしたクセ、それも意識をしていなかったそれを意識してしまった途端、歯車が狂うことは良くあることだと、俺は教えた。
「……あんたも、そういうことあったの?」
「俺は無かった」
「ムカツク! やっぱあんた、ムカツクぅ! ううっ」
「心得違いをするな」
「何がよ」
「今、君がムカツいているのは俺にじゃない。不甲斐ない自分自身似だろう?」
「うっ」
由比が絶句した。その隙を突いて、俺は最後の舌鋒を押し込んだ。
「これから先、この程度の壁は何度も出てくるだろうな。だが、それを乗り越えられないようなら、お話にならない。――プロを目指すならな!」
「――っ」
これがトドメだった。
「……分かったわよ」
押し殺した声だった。表情は帽子のつばに隠れて見えない。
「……由比?」
「分かったって言ってんでしょ!」
顔を上げた時、その瞳には弱気も諦観も苛立ちもなく、不屈の色が宿っていた。
「さっさと続けるわよ! ほら、清原! いつもみたいに大げさに構えなさい! ミカヤ! あんたもさっさと座る!」
全く。負けん気が強いのは良いことだぜ。
ふと。そこに幼なじみの面影を見た。
――ねえ秀喜くん。わたしと約束しない?
(……みなみ)
感傷に浸りきる前に意識を戻す。今は指導者で、俺はこの娘たちの監督だ。
結局、由比はそのままもう三十球程投げ続けた。
見事にリリースの難点は克服された。
その後、ウェイトバットを使っての素振りから、トスバッティングに移った。
俺と向日葵ちゃん。由比、莉乃。ミカヤにまほろと三組に分かれて効率よく出来た。全くの素人の向日葵ちゃんにはバットの握り方から構え方、振り方まで丁寧にレクチャーした。トスの後は俺が打撃投手をつとめてのフリー打撃だった。
打者、キャッチャー以外の三人を、左、中、右の外野に球拾いとして配置するというローテーションを採った。人数が少ない分、一人ひとりに濃密な打撃練習を行えて満足だった。打撃投手の俺は相手の力量に応じて加減をしたことはいうまでもない。
由比とミカヤは元より、まほろが予想以上に気合の入った打撃を見せたり、莉乃が豪快に空振りしまくって季節外れの扇風機と化したり、向日葵ちゃんが怖がって全く振れなかったり、色々なことがあったことを付け加えよう。
それが終わった後、本日のメニューは終了し、ストレッチを施してからクールダウン。そのまま前回と同じように各自解散の流れとなった。
いつの間にか宵闇だった。