そして彼と彼女は――⑦
ゴブリン――それは魔族の中で一番弱い種族であり、一番繁殖能力が高い種族でもある。
緑色の肌をしていて大人でも人間の子供ほどの身長しかなく、会話できる程度の知能はあるがその生態は寧ろ獣に近い。本能に忠実な種族だ。
ゴブリンは知能が低い下位魔族には珍しく衣服を纏う習性がある。もっともゴブリンの衣服は襤褸切れ同然の布で股間を覆い隠しているだけだが。
ゴブリンは人間同様に群れで暮らす生き物であり、大体50匹から100匹の集団で群れを形成して山や森に巣を作る。
群れに所属しているゴブリンは全て雄だ。群れの中に雌は一匹たりとも存在しない。
では雌はどこにいるのか。
実はゴブリンに産まれるのは全て雄で、彼らの中に雌は産まれない。
だからゴブリンは異種族の雌を繁殖に利用する。
異種族の雌を巣に拐ってきて、そこでその雌が孕むまで二十四時間集団で犯し続けるのだ。
ただゴブリンは魔族の中で一番弱いので、他の魔族の雌を拐うことは彼らにとっては非常に難しい。
だからゴブリンが繁殖相手として利用するのはその殆どが人間だ。それ故ゴブリンは人間の女性に羽虫のごとく忌み嫌われている。
ゴブリンに攫われた女性には悲惨な運命が待つことになる。
妊娠するまで寝る時間も与えられずにゴブリンに犯され続け、死ぬか妊娠能力がなくなるまでゴブリンの子供を産まされ続けることになるのだ。
しかもゴブリンは母体の種族に関係なく一度の受精で平均十個は受精卵を作らせるので、女性は一度の出産で最低十匹のゴブリンを産むことになる。
おまけにゴブリンが母体の腹の中にいる期間はわずか一カ月、産まれた赤ん坊は半年も経てば成人になる。だから自分が産んだゴブリンに再び孕まされることだって珍しいことではない。
更に言えばゴブリンの精液には豊富な栄養素が含まれているので、ゴブリンは拐ってきた者に食事として強制的にそれを食べさせる。
彼らに拐われた女性はどこのエ○ゲーだと言いたくなるような、死んだ方がマシな目に合わされてしまうのだ。
ただし、ゴブリンは繁殖能力が高い代わりにその寿命は非常に短い。
平均寿命はわずか十年。その弱さと数故に他の魔族に餌として喰われることも多く、その繁殖方法故に人間にも目の敵にされているので寿命を全うできるゴブリンはかなり珍しいともいえる。
アレクトとイリーナはそんな彼らを仲間にするために再び魔族領に戻ってきていた。
×××
「何とか見付からずに目的地まで来ることが出来たな」
アレクトに話しかけられたイリーナは悔しそうに答えた。
「ええ。この魔族領にあれほどまで人間が入り込むなんて……。改めて敗北を実感してしまうわ」
現在の魔族領には多数の人間の軍隊があちこちに散らばり常駐していた。
彼らは対魔族のために結成された"七国連合軍"としてこの場所にいる訳ではない。
彼らは七国それぞれが保有する国軍としてこの魔族領にいる。
彼らはそれぞれ所属する軍隊こそ違うが、目的は共通している。
それは土地の支配。
魔王軍がいなくなった今、支配者がいなくなった土地を少しでも多く自国の領土にしようと七国それぞれが軍を派遣しているのだ。
だから彼ら兵士達の雰囲気は総じて悪い。戦争にこそ発展していないが小競り合いが多数あり、魔族との戦争が終わったにも関わらず誰もが戦時中のように気を張っている。
魔王軍がいた頃は魔王軍という共通の敵の前に七国は結束することが出来た。自国の利益は顧みず、『人間』という種族のために七国はそれぞれ協力関係にあった。
だけど皮肉にも共通の敵がいなくなった今、七国の結束は崩れ去り各国が自国の利益のためだけに行動するようになってしまった。
「魔族との戦争が終わったら今度は人間同士で戦争か……。人間ってのはどうしてそこまで戦争が好きなのかね」
「魔族の私が知るわけないでしょう。でも人間って愚かな生き物よね……。彼らの欲望は尽きることを知らない。そういうところは本当におぞましいと思うわ」
「そこは同意だな。まあ、七国それぞれが争っているからこそ軍隊に見つからずに魔族領までこれたんだ。彼らの馬鹿さ加減に感謝するべきだろう」
「バカでありがとうって?ははは。それって最高ね」
たいして可笑しくもなさそうに乾いた笑い声をあげるイリーナ。
そんな彼女を無視してアレクトは話を進めることにする。
「さて、この先にゴブリンの巣があるんだったよな?」
無視されたイリーナは少しだけ寂しそうな様子を見せたが、すぐにいつもの調子に戻る。
「ええそうよ。ただ私ってゴブリンがあんまり好きじゃないのよね。私って他の魔族より嗅覚が鋭いから、ゴブリンの体臭も巣から臭ってくる性臭も吐きそうになるのよね」
性臭と聞いて思わず自分の股間に目が行ってしまったアレクト。極寒の視線で自分を睨み付けるイリーナに気付き動揺してしまう。
「あ、ああ。確かゴブリンって異種族の雌を拐ってきて集団レイプするんだよな。人間領ではゴブリンが羽虫のごとく嫌われていたなあ。そういえば俺が読んだ本によるとゴブリンは性欲の塊で、女はもちろん男のケツ穴だっていっちまうって書いてあったな。だからゴブリンと戦う時は出来るだけ奴らに尻を見せないようにしていたんだっけ」
何かを思い出したのか尻を隠すような仕草をしているアレクトにイリーナは呆れたような視線を向けた。
「誰もあなたのお尻なんて欲しがらないと思うわ。もちろんゴブリンだってね。何か勘違いしているようだけど、ゴブリンが異種族の雌を犯すのはあくまでも繁殖のためよ。人間みたいに快楽を目的として性行するわけではないの。だからゴブリンが男を犯すはずがないのよ。従ってあなたのお尻がゴブリンに狙われることはないの。お分かり?」
ゴブリンに尻を狙われることがないと聞いて思わず安堵の溜息をついてしまう。そして同時に今までゴブリンとの戦闘中に尻を見せないようにしていた自分は何だったんだろうと空しくなった。
「繁殖っていえばさ、魔族って全員ゴブリンみたいに性行為で繁殖するのか?俺が今まで戦ってきた魔族の中にはどう考えてもセックス出来ないだろうって奴がいたから不思議に思ってさ」
「それは種族ごとによって違うとしか答えようがないわね。魔族が産まれる方法は四つあるの。一つ目は人間やゴブリンみたいに父親と母親が性行為をした結果産まれるもの。まあこの方法で産まれるのがメジャーね。ちなみに私も父様と母様のセックスの結果産まれたのよ」
「お前……よく堂々とそんなこと言えるな。頼むからその顔でそんなこと言わないでくれ。少しは恥じらいを持てよ……」
「何でよ?あなただって人間である以上、父親と母親のセックスの結果産まれたんでしょう?何を恥じらう必要があるというの?」
「……」
開いた口が塞がらないとはこのことか。
見た目だけは極上の美女からの下ネタ、しかもその内容は両親に関してのものだ。
はっきり言ってドン引きだ。
少しだけとはいえ女性に幻想を抱いているアレクトとしては二度とその口を開かないで欲しかったが、相手は人間ではないと何とか自分を納得させ気にしないことにする。
「ま、まあいい。それで?後の三つは?」
何で恥じらう必要があるのかと不思議そうに首を傾げていたイリーナだったが、続きを促されて講釈を続けた。
「二つ目は"昇華"と呼ばれる現象によって産まれる方法ね。全てがそうだって訳ではないけど、長期間――最低でも500年以上にわたって魔力を浴び続けた無生物は稀にだけど命を持つことがあるの。それを私達は昇華と呼んでいるわ。昇華によって産まれる魔族は滅多にいないんだけど、この方法で産まれた魔族は強力な力を持つことが多いわね」
「日本でいう九十九神みたいなものかな……」
「九十九神?何よそれ?」
「俺がいた世界にも似たような話があるんだよ。もっとも、俺の世界じゃ何年経とうと無生物が生物に代わることはないがな」
詳しく教えなさいよと言わんばかりに睨み付けてくるイリーナを無視して、アレクトは疑問に思ったことを聞いてみた。
「なあ昇華すれば全部魔族になるのか?俺は魔王討伐のために人間領の殆どを旅してきたが、その旅の途中で500年以上使用されてきた装備品とか貴重品をいくつか見てきた。それらも昇華すれば魔族になるのか?」
「うん、そうね。私達魔族はそうやって産まれた者を"魔族"と呼ぶわ。でも確か人間領では精霊とか妖精とかそういう呼び方をするはずよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!!というと何か?精霊と魔族は同じ存在だということか!?」
イリーナは何を当たりまえのことをと不思議そうに首を傾げていた。
「ええそうよ?そもそも魔族というのは"魔力の恩恵により産まれた者"だからね。精霊や妖精は勿論、エルフやドワーフだって広義的な意味で言えば魔族に分類されるわね」
それはアレクトにしてみれば衝撃の新事実だった。
アレクトは知識を学んだ人間領では、魔族とは"人間に敵対的な種族全般"を指していた。
その魔族の定義そのものが違うとあってはさすがに驚きを禁じ得なかった。
「俺は魔族とは人間に敵対的な種族を意味するって学んだぞ」
アレクトの言葉を聞いたイリーナは呆れの笑みを浮かべる。
「何それ?人間を基準に種族が分類されるわけないでしょう。傲慢そのものの考え方ね」
言われてみればその通りだ。
確かにその分類の仕方ではあまりにも人間を基準にしすぎている。
果たして人間領での"魔族"の定義はただの人間の傲慢な考えによるものなのか。それとも意図的に魔族領での定義と変えたのか。
その辺りのことがアレクトは気になったが、今は棚上げしておくことにした。
「昇華についてはわかった。説明を続けてくれ」
「わかったわ。三つ目は"寄生"と呼ばれる現象ね。寄生は昇華とは逆に生物や生物だったものが魔力により変貌する現象のことをいうわ。命あるものやその器だったものは魔力による影響を受けやすいの。例をあげるとしたら……そうね、アンデット族なんかわかりやすいかしら。あれは命がなくなった器――人間の死体が寄生されることによりアンデットという魔族に生まれ変わるのよ」
「それは人間領で学んだな。確かコボルトは犬が魔力に寄生されたことで魔族に変わったんだよな」
「ええそうよ。ゴブリンは猿が、コボルトは犬が、ガルーダは鳥が寄生されたことによって産まれた魔族と言われているわね。これは本当かどうかはわからないけど、全ての魔族は寄生によって産まれたとする説もあるわ。寄生は性交渉による繁殖と並んでメジャーな方法ね。もっとも寄生の発生条件は未だに不明だけどね」
そこで一旦言葉を切ったイリーナ。そして何でもないようにさらりと衝撃の発言をした。
「そうそう。あなたが父様の死体を食べて体が全快した理由だけど、おそらくという言葉がつくけど、多分あなたも寄生されたから治ったんじゃないかしら」
「おおい!何をさらりと重要なこと言ってんじゃ!!それは超重要な情報だからな!?そんなさらっと言うなよ!」
キャラを崩壊させて必至のつっこみをするアレクト。
そんな彼を見てイリーナは理解できないというように首を傾げた。
「そんなのいつ知っても同じでしょう?人間って変なところに拘るのね」
「……その情報はもっと重々しく言ってほしかったなあ」
やっぱり不思議そうに首を傾げているイリーナを見てアレクトは自分の主張を諦めることにした。
「まあいいや。それで?俺が寄生されているってことは、俺は既に魔族に変わっちまったってことか?その割には自覚がないんだけどな。特に違和感とかないし」
「いいえ、あなたは紛れもなく人間よ。でも同時に魔族でもある」
「? それはどういう意味だ?」
「父様はあらゆる環境に適応できる肉体を持っていた。そしてそれは父様が死んでいても変わらないわ。おそらく、父様の肉体はあなたの体に適応したのではないかしら。あなたが怪我によって失った部分を父様の肉体が補完したと言い換えてもいいわね」
「ちょっと待ってくれ。だったら魔王の肉体を食べれば誰でも、どんな傷でも治るってことか?」
アレクトの疑問をイリーナは首を振って否定する。
「まさか。父様の肉体は本来ならあらゆる生物にとって猛毒なのよ。父様の肉体は魔力そのものと言ってもいいからね。人間だろうと魔族だろうと、一口でも口にすれば即死のはずよ。それは勿論私だってそうよ」
「だったら何で俺は今こうして生きているんだ?」
「……それはあなただからとしか言いようがないわね。魔王と互角の力を持つ勇者だからこそそういう現象が起きたんだと思うわ。父様は死体で、あなたは父様の死体を食べた時には死にかけていた。父様が究極のマイナスだとしたら勇者であるあなたは究極のプラス。本来なら打消しあうはずのマイナスとプラスがお互い限りなくゼロに近い状態だったからこそ、あなたの肉体は父様の肉体を自らの力として取り込み、父様の肉体はあなたの肉体に適応したんじゃないかしら。まあ、全部推測にすぎないんだけどね」
「俺は魔王を取り込み、魔王もまた俺の体に適応したか……」
自分の肉体を見るがやはり変わった様子はない。体の感覚も以前と変わりはなく、何かが変わったという実感はない。
それでも、なんとなくだがイリーナの言うことが正しいような気がした。
「……あなたは特にリアクションしないのね。私は人間についてあんまり詳しくないけど、普通の人間ならこういう時って驚いたり泣いたりするもんじゃないの?」
人間でもあり魔族でもある。そんな矛盾した状態。
普通の人間だったら、自分が既に普通の人間じゃないと宣告されたとしたら、彼女の言う通り何らかのリアクションを見せるのだろう。
現実が受け入れられなかったり、もしかしたら泣く者もいるかもしれない。
だけどアレクトは不思議と何の動揺も覚えなかった。むしろあっさりと事実を受け入れた。
自分は人間という種族全般に復讐しようというのだ。そんなことを考えている時点ですでに普通の人間とはいえない。
今更肉体が普通の状態ではないと言われたって、実害がないのだからアレクトとしては特に思うことはない。
ふと、もしかしたらあっさりと事実を受け入れたのは魔王を内に取り込んだ影響なのかもしれないという考えが頭に浮かんだが口には出さなかった。
「俺は例外だよ。……そっか。俺って魔王の力を取り込んだのか。なあ、何かの悪影響とかあるのかなあ?今のところ特に害はないんだが……」
「さあ?それは私にはわからないわ。何せ魔王を食べて生きている存在なんてあなたが史上初なんじゃないの。多分大丈夫だとは思うけど、これからどうなるかは誰にもわからないわ」
「ま、そりゃそうか……」
前例がないのだからどうなるかは誰にもわからない。
今思えばどうして自分は死にかけていたのに魔王の死体を食べたのだろうと疑問に思わなくもないが、あの時は死にかけで意識が朦朧としていたからはっきりとしたことは覚えていない。
答えがないことはいくら考えてもどうしようもない。
アレクトは気にしないことにした。
「まあ何か変化があったら相談するよ。その時は一緒にどうすればいいか考えてくれ。それで魔族が産まれる方法の最後の一つは何だ?」
「……あなたって変わった人間だって言われない?……まあいいわ。最後の一つは"眷属作成"ね。一部の魔族は自分の魔力を眷属に変化させることが出来るの。眷属は創造主に絶対服従だから、便利な下僕を作り出せる眷属作成が出来る者は羨ましがられていたわね」
「それが出来る奴と俺は戦ったことあるわ。敵が増えてうっとおしかったのを覚えているな」
アレクトが戦ったヴァンパイアは戦闘中に無数の蝙蝠を召喚して、それを戦闘に使用していた。弱いくせに数だけは多い蝙蝠を全滅させるのにとても苦労したのをアレクトはよく覚えていた。
「創造主の力を超える眷属を作りだすことは出来ないわ。弱い眷属ならたくさん作れるし、強い眷属なら少ない数しか作れない。ま、その辺は創造主の実力次第ね」
「なるほどな。その4つが魔族が産まれる方法か。知らなかったことの方が多いなあ。やっぱり魔族のことは魔族に聞くが一番ってことか」
アレクトの言葉にイリーナは自信満々に胸を張って言い放つ。
「それはそうでしょ。人間が魔族以上に魔族のことを知っているわけないじゃない」
言われてみればその通りでアレクトの顔に苦笑が浮かんでしまう。
「そりゃそうだ。さて、確認させてもらうがここがゴブリンの巣で良かったんだよな?」
「ええ。そうよ。ここが私が知っていたゴブリンの巣ね」
暫く二人とも何も言わなかった。やがてどちらからともなくボソリと呟く。
「死体が一杯あるな」
「明らかに襲撃の後があるわね」
二人が辿りついたゴブリンの巣は既に人間に襲われた後だった。