そして彼と彼女は――④
物語の舞台となるネルメリア大陸は大まかに言えば三つの領域に分けられる。
一つは人間領。
一つは魔族領。
一つは禁断領。
大陸の五割を占める人間領は人間と共にエルフやドワーフなどの比較的人間に敵対的でない亜人族が暮らしている領域だ。
人間領には火の国・水の国・地の国・風の国・鉄の国・雪の国・神の国の七つの国があってそれぞれ独自の文化を持っている。
これら七つの国の王はまとめて七王と呼ばれていて、人間領の絶対支配者として民に恐れられている。
亜人族は人間領に住んではいるものの、基本的には外部との交流を持たずにそれぞれの種族のみで暮らしていて人間と距離を置いている種族がほとんどだ。
亜人の数は非常に少なく、その数は人間領全体の一割以下しかいない。実質的に人間が支配している領域と言ってもいいだろう。
そのせいか人間以外の種族は見下される傾向にあり、亜人の発言力や政治的権力は皆無に等しく、亜人族の捕獲・奴隷販売を公的な商売として認めている国もあるほどだ。
大陸の三割を占める魔族領は人間領と違い魔王一人だけが絶対者として君臨している。
多種多様な種族が魔王領には存在しており、人間に敵対的な種族や人間を主食とする種族――総称して魔族と呼ばれる――が暮らしている。
基本的には弱肉強食の領域であり、例え殺されたとしても『それは殺される方が悪い』とされる少々バイオレンスな領域ともいえる。
魔族領には魔王城並び軍事施設以外には建物はなく、人間領なら必ずあるはずの民家というものがない。
これは魔族には衣・住を必要としない種族が多いからだ。
魔族には獣並の知能しか持っていない種族も多く、また人間以上の知能を持っている魔族にしても基本的に自然の中で暮らすので家という概念がない。
屋内に住みたい者は魔王城や軍備施設内に住むことが許されているのでそもそも民家など必要ないのである。
そして最後の領域、禁断領については実の所何もわかっていない。
というのも禁断領はその周囲を"拒絶の螺旋"と呼ばれる強大な竜巻で囲まれていて、人間はおろか魔王ですら禁断領に入ることは出来ない。
はるか昔に風を支配する風竜が禁断領を探索しようとしたが、風竜は竜巻にその体を切り刻まれて探索はおろか侵入すら出来なかった。
その後も人間・魔族に関わらず様々な者が禁断領への侵入を試みたが成功した例は一つもない。
どのような土地なのか。生物はいるのか。文明はあるのか。
未知を求める者にとっては垂涎ものの領域であり、中には"拒絶の螺旋"の中の情報を持ち帰った者には一生遊んで暮らせるだけの金を払うという者もいるほどだ。
人間と魔族はネリメリア大陸を舞台に互いに自分達が支配する領域を広めようと戦争をしていた。
×××
人間領と魔族領の境目には"境界の森"と呼ばれる森がある。
"境界の森"はその名前の通り人間領と魔族領を分ける森であり、戦時中は最前線の一つとして人間・魔族双方の軍隊が砦を築き殺し合いをしていた。
そのせいか森の中は人魔双方の死体で溢れていて鉄の匂いと腐った死体の匂いが充満している。
森を構成する樹木は大半が葉をつけておらず、焼け焦げていたり傷がついていたりともう森としては死にかけているといえよう。
死体とその匂いに溢れた森は戦争が終わった今ではまともな人間ならまず近づかない。
アレクトとイリーナが同盟を結んだ日から三日間、そんな森の奥深くに彼らは身を隠していた。
「ねえ聞きたいんだけどさ、人間に復讐するっていうけど最終的に何をするつもりなの?」
首を傾げながら質問をするイリーナはその整った容姿のせいか非常に可愛らしい。
いかに相手が魔族だろうと男なら誰しも欲情してしまうであろう危険な魅力がある。
一瞬だけイリーナに見惚れてしまったアレクトだがそれを誤魔化すために担々とした口調で彼女の疑問に答えた。
「"俺"の最終目標は俺を裏切った奴らと俺の召喚に関わった奴らを殺すことだ。そして"俺達"の最終目標は七王を含む人間領の権力者を殺害して人間領全体の政治実権を握ることだ」
「何それ?人間領を私たちで統治でもするつもり?私は人間を苦しめたいの。そんなのが目的なら協力は解消させてもらうわよ」
心底嫌そうなイリーナにアレクトは政治実権を握ることによって得られる利点を説明してあげた。
「よく考えろよ。政治実権を握ったら好きなことが出来るんだぞ。人間を苦しめる法律だって作れる。俺達が復讐する相手は人間という種族全体だ。その数はとてつもないだろう。人間全てを殺すのははっきり言って無理だ。直接復讐する奴ら以外は生かさず殺さずの飼い殺しにする。逆らう奴らは殺せばいい」
「……でもそれって可能なの?私もそうだけど、あなただって政治なんてやったことないでしょう。仮に政治実権を握ることに成功したとしても、私達で実際に政治が出来るとは思えないのだけど」
イリーナのもっともな質問にもアレクトはすんなりと答える。
「確かに俺は政治なんかできない。まあ、政治実権を握るというのはあくまでも理想だよ。最終的には既存の政治形態を破壊出来ればそれでいい。既存の政治形態が壊れるだけで民衆を大混乱だ」
既存の政治形態の破壊が民衆に与える影響は非常に大きい。
経済への影響は勿論、外交、税収、文化への影響、犯罪への取り締まりにも影響を与える。
実際に地球でも軍事クーデターが起きた直後は犯罪の増加などの影響があった。
「まあしばらくすれば新たなリーダーが出てきて混乱も収まるだろうが、その時はそいつを殺してまた壊せばいい」
「なるほどね、そういうことなら良いわ。人間を苦しめられるなら私は協力する」
納得したようにうんうんと首を上下に動かすイリーナ。飼い殺しにされる人間を想像したのか楽しそうに微笑んでいる。
そんな彼女の姿はその微笑みの理由を考えなければ極上の美女が微笑んでいるようにしか見えない。
その姿に少しだけドキッとしてしまったアレクトだったが何とか自制する。
人間に対する憎悪に燃えているはずなのに彼女にときめいてしまった自分の気をそらすため、アレクトはずっと気になっていたことを聞くことにした。
「誘っておいてなんだが君は俺に対して復讐したいとか思わないのか?俺は君の父親を殺した相手だぞ?」
イリーナは人間に対する憎悪は見せるが不思議とアレクトには憎悪を向けることはなかった。
彼女の父親である魔王を殺した張本人のアレクトとしては憎まれていても仕方がないと思っているが、森で過ごした三日の間に彼女がアレクトに憎悪を向けることはなかった。
最初は演技をしていたりコミュニケーションを円滑にするためにしかたなく我慢しているのかと思ったが、どうも彼女は本気で自分に憎悪を抱いている様子がない。
それがアレクトには不思議だった。
「父を殺したあなたを好意的に思うのは難しい。でも憎んではいないの。父も魔王軍の戦士達も命をかけてあなたと戦った。負けたからといってあなたを憎むのは死んだ父や戦士達に対する侮辱だわ。あなたが父の死体を食べたのはとても不愉快だけど協力者ということで許してあげる」
イリーナはその言葉通りアレクトを憎んではいなかった。
魔族領の理念は弱肉強食。身も蓋もない言い方をすれば殺された方が悪い。
戦士になるということは命を奪う覚悟と同時に命を奪われる覚悟もするべきだ。
父親も魔王軍の戦士達も両方の覚悟ができた上でかつて勇者だったアレクトに負けた。
結果として命が奪われることになったとしてもそれは仕方がないことだとイリーナは納得していた。
彼女が人間を憎んでいるのは人間達が覚悟のない者達を殺したからだ。
魔族だからというだけで戦う意志の無い者やそもそも戦う能力のない者達を人間は殺した。
しかもただ殺すだけでなく、自分達の嗜虐心を満たすために拷問を加えて殺した。
それはイリーナにとって断じて許せることではなかった。
だから彼女は人間という種族に憎しみを抱いた。
人間は戦闘員・非戦闘員問わず魔族を殺した。
だったら自分も戦闘員・非戦闘員問わず人間を苦しめてやる。
それが彼女が人間全てを復讐対象にする理由だった。
「そうか。君が俺を恨んでいないというならそれでいいんだ。協力者とは仲良くやっていきたいからな」
「あら、そんなにあっさりと納得して貰えるとは思わなかったわ。そんなに簡単に私を信用していいの?もしかしたら寝首をかかれるかもしれないわよ?」
「それならそれで構わない。君では俺を殺せないし、もしそうなったら君を殺すだけだ」
その言葉は裏を返せばイリーナが裏切ったとしても特に問題はないということを示していた。
イリーナの裏切りは自分にとって何の障害にもならない。
アレクトは言外にそう言っていた。
自分の力を目の前の無礼な人間に思い知らせてやろうとしたイリーナだったが、アレクトの言う通り今の自分の実力では彼に傷一つつけられないだろうことを思い出し何とか踏みとどまった。
「まあいいわ。それで?私達の最終目標を達成するために最初にすることは何?」
「この三日間考えていたんだが……まずは仲間集めをするべきだと思う。個人に直接復讐するにしろ政権を握るにしろ二人だけではどうにもならない。もっと人数を増やすべきだ」
「? 政権を握るのに人数が必要だというのはわかるけど、個人に復讐するのに人数が必要って?ええと、クリスとカインとルーベルトだったかしら?あなたを刺した神官と剣士と魔法使い。この三人だけならあなた一人でも殺せるんじゃないかしら。だってあなたはその三人より強いんでしょ?」
イリーナの疑問にアレクトは忌々しそうに答えた。
「自分でいうのも何だが、俺は確かに人間の中で一番強いと思う。武装した兵士百人程度なら何の問題にもならない。だけどそれだけだ。人間の武器はその知恵と数。百人の兵士は問題にならないが千人の兵士にはとてもじゃないが適わない。俺が復讐したいあのクズ共は人間にとっては魔王討伐の英雄だ。いわば人間側にとって超重要人物。仮に俺が一人であいつらに立ち向かっても万の兵士が俺の道を阻むだろうさ」
確かにアレクトは強い。魔王がいなくなった今、彼は間違いなく世界最強の存在だ。
だけどそれは個としての強さだ。
人間は群れで戦う生き物。いかに個として強かろうと数の暴力の前では何の意味もない。
それにアレクトとて不意をつかれればあっさりと殺される可能性だって少なくない。
現に彼は魔王との死闘の後で弱っていたとはいえ、自分より格下の仲間達の手によって殺されかけた。
その経験がアレクトから油断や慢心というものを奪っていた。
「なるほどね。じゃあどんなのを仲間にするつもりなの?」
「取りあえずは人数を集めなければいけない。魔族は勿論のこと人間・亜人と種族は問わず俺達の目的に賛同する者は仲間に迎えるつもりだ」
人間を仲間にすると聞いた時だけイリーナの整った眉が不快気に歪められたが彼女は何も言わなかった。
人間との戦争で魔族の数はかなり減った。数を揃えるならば人間からも仲間を集めなければならないことをイリーナも理解しているのだろう。
「俺達がやろうとしていることはいわばクーデターだ。それには大なり小なり人間の協力が必要になる。俺達に協力する奴らぐらいは許してやろうぜ。まあ人間に対して憎しみを抱いていることが最低条件だがな」
「……わかったわ。気に入らないけどそれは必要なことだものね。でも人間なのに人間に憎しみを持つ奴なんているの?」
アレクトは自嘲の笑みを浮かべながらも確信を持って答えた。
「必ずいるよ。現に俺がそうじゃないか。人間てのは異端を排除しようとする生き物なんだ。現に亜人は人間に虐げられているだろう?何もその排除の対象は種族的なことだけではない。環境、生い立ち、身体的特徴。人間は"普通"とは違う者を虐げる。その中には俺達と同じように人間という種族全体に憎しみを持つ奴が必ずいる。その数は決して少なくないと思うぞ」
異世界に召喚される前、アレクトはタケルとして小・中・高と三つの学校で過ごした経験がある。
タケル自身は苛められたことも苛めたこともなかったが、どの学校でも必ず苛めがあったことをタケルは知っていた。
無視・持ち物を隠す・恐喝・暴力。
苛めとしての規模は違うが、そのいずれも苛めを始めるきっかけとなるのは"普通"という基準を逸脱するからだ。
外見が"普通"とは違うから・態度が"普通"とは違うから・環境が"普通"とは違うから・性格が"普通"とは違うから
人はそんな理由で簡単に他者を排除しようとする。
そしてそれは異世界においても変わらないということをかつてタケルだったアレクトは確信していた。
「人間って本当に醜い生き物ね。じゃあそれ以外の奴らは殺していいのよね?例えば今私達を囲んでいる奴らとか」
「ああいいとも。丁度いい。君の実力がみたい。存分にやってくれ」
アレクトがそう言うのと同時に男達が姿を現す。
「へっへっへ。俺たちゃあ盗賊だ。命が惜しかったら金だしな!」
二人は人間の盗賊に囲まれていた。