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そして彼と彼女は――③

ふらふらと幽鬼のように死んだ瞳でイリーナは隠し通路を進んでいた。


もうイリーナの傍には誰もいない。大好きな父も父のようだった人も大切な部下も大事な友達も、大切な人たちの全てをイリーナは失った。


今の彼女を支えているものは部下達を勝利させなければならないという義務感だけだ。


イリーナが生き残れば自分のために犠牲になった部下達に勝利を与えることができる。


その思いだけがイリーナを支えていた。それだけしかイリーナには残っていなかった。


やがて暗闇が晴れて明かりが見える。


そこは城から離れたところにある森の中だった。


イリーナがかつての自分の住居に視線を向けると、城は炎につつまれ煙を上げていた。


イリーナはその光景を瞳に焼き付けるかのようにじっと見つめていた。


やがてここにも人間達がくる。部下達の命を犠牲にしたイリーナに死ぬことは許されない。


断腸の思いで城から目をそらし視線を前に向けると、そこにはいつの間にか一人の人間が立っていた。


「ああ……ついにきたの。私の運命もここまでってことか……」


そこには勇者がいた。父親を殺した仇。魔族の天敵にして魔王軍を敗北に追い込んだ最強の人間。


その男が無言でイリーナのことを見つめていた。


逃げるのは不可能だということがイリーナにはわかっていた。どんな魔法を使おうと、どんなに全速力で逃げても勇者は自分を決して逃がさないだろう。それほどの実力差がイリーナと勇者の間にあった。


「でもお生憎様。私だってただで死ぬつもりはないわ。最後まで抵抗させてもらうわよ?」


勝てるとは思っていなかった。魔族最強を誇った父親ですら目の前の男に負けたのだ。まだ未熟なイリーナでは勝利はおろかまともな戦闘になるかすら怪しい。


持って数秒。勇者に一撃を入れられれば上等といったところだろう。イリーナの敗北は覆しようのない事実として確定したことだった。


それでもイリーナには何の抵抗もせず死ぬことだけは許されない。それが部下達の犠牲の上に生きているイリーナの、魔王軍副首領としての意地だった。


イリーナが特攻という名の自殺をしようとした時、漸く勇者がその口を開いた。


「……人間が憎いか?」


「え?」


「人間が憎いのかと聞いている」


その質問がイリーナの心に火を灯した。絶望に死んでいた心が、諦めにのみこまれそうになっていた心が憤怒の業火に包まれる。


「憎いに決まっているだろう!!殺してやる!!人間なんか死ねばいい!!お前らなんか死ねばいいんだ!!お前らには地獄の業火すら生温い!!滅ぼしてやる!!復讐してやる!!我々魔族がお前ら人間に踏みにじられたように、私がお前ら人間を踏みにじってやる!!」


それはイリーナの心の底から湧き出た叫びだった。せめてもの抵抗にと自分達魔族に敗北を与えた男に恨み言をぶつけた。


このまま自分は殺されるのだろう。イリーナは既に自分の死を覚悟していた。


ただイリーナは悔しかった。このまま何も出来ずに殺されることが、人間に何の復讐も出来ずに死ぬことがたまらなく悔しかった。


「そうか。奇遇だな。俺もだよ。俺も人間が憎くて、ぶっ殺してやりたくて仕方がないんだ」


「え?」


勇者の返答は予想外の言葉で、イリーナはアホみたいに口を開けて呆然と固まるのだった。




×××




タケルは目の前で固まっている女魔族をじっと観察した。


容貌はぞっとするほど整っており、背中にある大きな漆黒の翼がなければ人間の女と変わらない。


もし人間として生まれていたら極上の美女として異性同性問わず全ての人間を虜にするだろう。文字通り人間離れした美貌を誇っていた。


タケルはまだ固まっている女魔族に要求を伝えた。


「俺は人間に復讐しようと思っている。あいつらを徹底的に踏みにじり、苦しめ、切り刻み、奴らが殺してくれと懇願するようになるまで復讐する。そして人間という種族を、この世界を絶望に落としてやる。だけど俺一人ではそれを実行することが出来ない。お前の力を貸せ」


自らの復讐の念を語るタケルの瞳は禍々しい紫色に染まっていた。全てを憎んでいると同時に全てを諦めているような虚無を感じさせる。その瞳は何故かイリーナに父親を連想させた。


「人間に復讐?何を言っているの?人間の軍勢を率いてきたのはあなたじゃない。そのあなたが人間を滅ぼす?私のことをからかっているの?」


目の前の男は何を言っているのか。何故そのようなことを言うのか。イリーナには勇者が何をしたいのかわからなかった


「まあお前の言うことももっともだ。魔王と戦う前の俺ならそんなこと考えもしなかったろうな。だけど今の俺は違う。俺が何故復讐を決意したのか話してやるよ」





タケルは目の前の女魔族に全てを話した。異世界から強制的に召喚されたこと。帰還を条件に魔王退治の旅にでたこと。そして仲間に裏切られたこと。


魔王と戦った後何が起きたのか。その全てを語った。


「だから俺は人間を憎んでいる。特に俺を直接裏切った三人のクズどもはな。勇者召喚などという下らないものに頼っているこの世界の人間も同罪だ。俺が持てる全ての力を行使してこの世界に復讐してやる」


タケルから事情を聞いたイリーナはただ一言だけ、「人間って本当に醜悪な生き物ね」と呟いた。


イリーナには勇者の復讐の事情に興味はなかった。彼女が勇者の話で唯一興味を持ったこと。それは……


「それで?死にかけていたあなたはどうやってここにいるの?私の記憶によれば人間ってそんな状態から健康体になるのは不可能だと思ったけど?」


勇者はどう見ても傷一つなく健康体だった。いかに回復魔法を使ったとしても体に穴があくような大きな刺し傷なら傷跡が残る。


とてもじゃないが魔王との死闘を制した後に体に三本の剣を突き刺された男には見えなかった。


「ああ、それは俺にも不思議でな。魔王の死体を食べたら傷が全て治っていたんだ。傷が全て治った理由は俺にもわからない」


その言葉はイリーナの冷静さを奪うには十分だった。目の前の人間が自分を容易く殺せるということを忘れてイリーナは勇者につかみかかった。


「お前、魔王を……父の死体を食べたの!?」


その言葉を聞いたタケルは初めて驚きでその表情を崩した。


「父?……お前、魔王の娘なのか?」


「そうだ!私の名前はイリーナ・デスダイン・ヘルラハール!魔王軍副首領にして貴様が食べた魔王の娘だ!!よくも父を!!」


怒りで我を忘れ全力で目の前の人間に攻撃を加えようとしたイリーナだが、その行動は強制的に止められた。


「落ち着けよ、魔王の娘。お前が俺を攻撃するなら俺はお前を殺す」


「くっ……!」


いつのまにかイリーナの首には剣が突きつけられていた。剣先がわずかだが首に食い込み血が出ている。


いつ自分は剣を突きつけられたのか。いつ勇者は剣を取り出したのか。そのことすらイリーナには知覚できなかった。


もしイリーナが攻撃を続けようとすれば勇者は躊躇いなく自分を殺すだろう。


そのことがわかるからこそイリーナは冷静にならざるを得なかった。


「ちょうどいい。今ここで選択をしろ。俺の復讐に協力するなら生かしておいてやる。拒むなら苦しめて殺してやる。そのどちらでもないというなら楽に殺してやるよ」


「何それ。お前に協力するしか私が生き残る道はないじゃない」


「その通りだがそう遠くない内にお前は悲惨な目にあって死ぬぞ。人間の残酷さをあまり舐めない方がいい。あと少しすればこの森にも探索の手が入る。お前の顔は綺麗だからな。兵士達の性欲処理の道具となって嬲り殺しといったところじゃないかな。だったら俺に殺された方がマシだと思うがな」


「ぞっとするようなことを言わないでくれる?お前に褒められても嬉しくないわ」


タケルはイリーナの憎まれ口をどうでもよさそうに「そうか」と受け流した。


「それで?どうするんだ?残念ながら俺も人間どもに見つかる訳にはいかなくてな。あまり時間がないんだ」



勇者に選択を突きつけられたイリーナは少しだけためらった後勇者に問いかけた。


「……どうして私なの?」


「? それはどういう意味だ?」


「お前が私のことを魔王の娘だと知っていたなら復讐計画に私を誘うのもまだ理解できるわ。私を協力者にすれば生き残っている魔族も復讐に協力するかもしれないからね。でもお前は私が魔王の娘だと知らなかったじゃない。お前は私のことをただの雑魚魔族にしか感じなかったはずよ。そんな奴を勧誘した理由は何って聞いているの」


何かを考えるように、何かをためらうように勇者はすぐには口を開かなかった。


「……同じだと思ったんだ」


「同じ?」


「ああ。お前は隠し通路から出てきてすぐに魔王城を見ていただろう?その姿に共感を覚えた。自分の仲間達を殺した人間が、自分をこんな目に合わせた奴らが憎くて仕方がないって目でお前は城を見ていた。その姿を見たとき俺は思ったんだ、こいつは俺と一緒だってな。全てが憎くて、全てを壊したくて仕方がないって目をしてた。それがお前を誘った理由だよ」


そう語る勇者の瞳もまた憎悪と虚無に染まっていた。


イリーナにはその姿が自分に重なって見えた。


「……いいわ。私がお前の復讐に協力してあげる。だけどその代わりに私の復讐にお前も協力しなさい」


本音をいえば勇者の利益になることなどイリーナはしたくなかった。何せ目の前の人間は父親の仇なのだ。おまけに父親の死体を喰らった相手。


でもそれ以上にイリーナの心の中では人間という種族に対する憎悪が溢れていた。


人間を苦しめて滅ぼしたくて復讐したくて仕方がない。


だけどそれを実行するには今のイリーナでは力が足りない。


父の――同胞達の無念を晴らすためならば、例え魔族の宿敵にして父親の仇である勇者であろうと利用できるものは何でも利用してやるつもりであった。


「いいぜ、魔王の娘。お前が復讐したいのは誰だ?」


「人間よ!人間という種族に私は必ず復讐する!同胞達の痛みを、同胞達の苦しみを思い知らせてやる!!」


イリーナの答えを聞いたタケルはニヤリと笑みを浮かべた。その笑みは共犯者に向ける笑みだった。


「だったら俺と一緒だ。俺は俺をこんな世界に無理矢理連れてきた人間達に復讐がしたい。お前もまた人間に復讐がしたい。俺達の利害は一致した。これからよろしくな、魔王の娘」


「イリーナでいいわ。お前の名前は?」


「俺の名前は神崎 猛。こっちの世界風にいうとタケル・カンザキだな。でもその名前は捨てる。神崎 猛は死んだんだ。勇者タケルは殺された。今の俺はただの復讐者だ」


それはタケルの決意の表れだった。


もうタケルは地球に帰ることは諦めていた。友情も初恋も全てを諦めた。


今のタケルにあるのは復讐だけ。


名前を捨てたのは過去との完全な決別を意味していた。


「俺は今よりアレクトと名乗る。俺の世界の復讐の神様の名前だ。まあ女神の名前だがな」


「そう……。よろしく、アレクト。一緒に人間に復讐しましょう」


「ああ、よろしくなイリーナ。共に人間を苦しめよう」




こうして本来相容れることのない勇者と魔王の娘は手を組んだ。彼らを結び付けたのは復讐心。


魔族との戦争に勝利した人類が勝利の雄たけびを上げている裏側で、彼と彼女の復讐計画は今この時より始まったのだ。

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