そして彼と彼女は――②
「姫様!早くお逃げくだされ!!」
「でもジイ!父様がまだ!!それに私だけ逃げるなんて……」
「魔王陛下はお亡くなりになりました!!我々魔王軍は人間に、勇者に敗北したのです!姫様は陛下の血筋を継ぐ唯一の者!!生き残った同胞達を率いる義務がありますのじゃ!!」
「ッ!!!」
魔王軍副首領イリーナ・デスダイン・ヘルラハール。魔王の娘にして魔王軍ナンバー2。
それが彼女の肩書だ。より正確に言うならそういう肩書"だった"。
突然魔王城に乗り込んできた人間の軍勢。その中には魔族の手練れを何人も殺してきた魔族の怨敵たる勇者その人も混ざっていた。
魔王軍最高幹部の"四魔将"・獣人族最強の男"獅子双爪"・あらゆる魔法を極めたとも言われる"究極魔導"。
いずれも魔族最強と言われた戦士達だった。魔王である父親を除けば勝てる存在などいないと思っていた。
だけど人間達は、勇者は最強だと思っていた戦士達を尽く倒してきた。
そしてここにきての突然の奇襲。
父親は残っていた戦士達を全て率いて人間達を殲滅せんと戦場に向かっていった。
人間軍の兵士の数はおよそ三千。対して魔王軍の兵士はおよそ千。戦力差は三倍。
それでもイリーナは心配していなかった。
魔族と人間ではそもそも種族としての格が違う。それに魔王軍に所属する戦士達は平均的な能力を持つ者でも人間の5、6人なら容易く葬れるぐらいの実力を持っている。
そして何よりイリーナの父親である魔王その人がいるのだ。イリーナが最強だと心の底から信じている魔族の頂点にして大好きな父親。
いかに勇者率いる人間軍だろうと魔王軍が負ける姿をイリーナには想像することすらできなかった。
だけどそんな彼女の期待は――粉々に打ち砕かれた。
「人間達は今も続々と城に乗り込んできています。戦闘員・非戦闘員問わず魔族は皆殺しにされています。恐らく攻め込んできたのは噂に聞く、全員が魔導具を持つという人間軍の最精鋭部隊でしょう。いずれはこの隠し部屋も発見されるはずですじゃ。その前に姫様だけでもお逃げくだれ!」
「でも……」
こうして逡巡している間にも部屋の外からは爆発音と共に悲鳴が聞こえてくる。
魔王が倒されたことにより魔族側の士気は下がり、逆に人間側の士気は最高潮に達していた。
いかに人間を超える能力を持つ魔族でも士気が下がった状態では最高潮の士気を保つ三倍の戦力の前には屈しざるをえなかった。
勝利を得た人間軍の兵士達の暴力性と嗜虐性もまた最高潮に達していて逃げる魔族達にそれらが発揮される。
『魔族がいたぞ!!皆殺しにしろ!!』
『いや!!!助けて下さい!!やめて、子供だけは助けて!!』
『うるさい!!人間様に逆らう畜生共め!!お前らに生きる価値なんかない!!』
同胞達が殺される音が聞こえてくる。ついこの間まで一緒に暮らしていた同胞が、一緒に笑いあっていた同胞達が人間に殺されていく。
幼い頃から仕えてくれた猫族のメイドは近いうちに結婚すると言っていた。
婚約者との馴れ初めを嬉しそうに話しうざいぐらい惚気てきたのは昨日のことだった。
兵士達の中には自分のことを慕ってくれるものも大勢いた。
名前だけのナンバー2であったイリーナ。そのことで悩んだこともあった。親の七光りだと一部の者達に陰口を叩かれていたのを知っている。
そのことで落ち込んでいる時、彼らは決まって笑顔を浮かべながら自分のことを慰めてくれた。
そんな奴らのことを気にする必要などないと。あなたは名実共に間違いなく魔王軍のナンバー2だと。自分達が誇るべき立派な魔王軍の副首領だと。
そんな彼らには随分と慰められた。自分を貶める噂を聞いた時、彼らの言葉を思い出せば頑張ろうという気持ちになれた。
だけどそんな彼らはもういない。人間達に殺されてしまった。魔族のために戦い、その命を散らしてしまった。
『ここに隠し部屋があるぞ!!』
『鍵がしまってやがる!!魔法使いをつれてくるかハンマーを持って来い!!』
「チッ!!姫様、どうやらこの部屋の存在がバレてしまったようです。早く隠し通路に行ってくだされ」
そう言われてもイリーナの足は動くことはなかった。足元が崩れてしまったみたいにふわふわする。
もうここで死んでしまった方がいいのかもしれない。大好きな父親も兵士達もメイドも殺されてしまった。自分一人が生き残っても意味がない。
現実から目を背けその場から動けなくなりそうなイリーナの足を進めさせたのは、彼女が幼い頃から仕えてくれたもう一人の父親ともういうべき家族のような存在だった。
「兵士達が何のために戦ったと思っているのですか!!メイド達も文官も姫様が逃げる時間を稼ごうと最後まで抵抗したのです!!姫様には生き残る義務がある。姫様さえ生き残れば彼らの勝利なのです。どうか彼らを勝たせてやってくだされ……」
「!!」
兵士達はイリーナを逃がすために今も戦っている。イリーナのために命をかけているのだ。
そのことを思えばイリーナがここで蹲る訳にはいかなかった。自分は彼らが誇るべき魔王軍の副首領なのだから、彼らのためにもここで立ち止まる訳にはいかない。
「行くわよ、ジイ。私は彼らを勝利させなければいけないわ。ここは撤退することにする」
「それでこそ姫様ですじゃ。そこの壁が隠し通路の入口となっております。城の外まで繋がっていますので、通路から出る時はくれぐれも警戒してください」
隠し通路は何年も使っていなさそうなカビと埃の匂いがした。明かりひとつなく真っ暗闇の通路が不安を増大させる。
だけどイリーナは躊躇なく通路を進む。自分のために犠牲になってくれた人達のために彼女は生き残らなければならなかった。
「ジイ、外までどれぐらい時間がかかるの?……ジイ?」
いつもリリーナが質問すればすぐに答えがかえってくるはずなのに何の反応もない。
不審に思ってイリーナが後ろを振り向くと、そこには隠し通路の入口で笑顔を浮かべているジイがいた。
「ジイ、何をしているの?早く逃げなければいけないと言ったのはあなたでしょうに」
不思議そうに尋ねるイリーナにジイはやはり笑顔を浮かべたまま答えた。
「……姫様、ジイはあなたに仕えられて幸せでした。どうか無事に逃げ延びてくだされ。ジイは姫様の幸せだけを祈っております」
その言葉と同時に隠し通路の扉が閉まる。
壁の外から怒号が聞こえてきた。
『魔族がいたぞ!!』
『武器を持っているぞ、気を付けろ!!』
『徹底的に痛めつけて殺せ!!』
「ジイ!ここを開けて!!お願いだから開けなさい!!逃げるのよ!ねえ、ジイ!?……ジイ?いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
×××
「魔族がいたぞ!!」
「武器を持っているぞ、気を付けろ!!」
「徹底的に痛めつけて殺せ!!」
隠し通路の扉を開けると同時に人間達が部屋に突入してくる。
逃がすべき相手は既に逃がした。
ジイがイリーナと一緒に行かず部屋に残ったのは最後の奉公をするためだ。
既に魔王城は人間に占領されてしまった。
イリーナが逃げた隠し通路もいずれはその存在を発見されてしまうだろう。
だからせめてもの抵抗にジイはその場に残った。
大事な主を守るため、娘のように思っている姫君が逃げる時間を稼ぐために彼はその命を捨てることにした。
「もう逃げられないぞ、魔族のくそったれめ!!お前らに殺された仲間たちの恨みだ!!苦しめて殺してやる!!」
「ふんっ!人間風情が。始めから逃げるつもりなんかありゃせんわい!!吠える暇があったらかかってきたらどうじゃ!?」
「何!?」
ジイに挑発された人間の兵士が武器を構えて迫ってくる。
人間達が自分を殺そうとそれぞれの武器を構えて部屋に集まって来るのがジイには見えた。
「死ね!」
剣の一閃で右腕が切り離された。
槍の一突きが腹を突き抜けた。
ハンマーの一撃で骨が砕けた。
魔法の炎で皮膚があぶられた。
兵士達はジイを苦しめようと簡単に致命傷を負わさない。出来るだけ苦しめようと急所を狙わずそれ以外の部位に攻撃を加える。
痛めつけられながらもジイは笑顔を浮かべていた。
こうして自分が責苦を負わされる時間が多いほどイリーナが逃げる時間を稼げる。今の状況はジイの思惑通りだった。
だがやがてジイにも限界はくる。
肉体のありとあらゆる部位は切り傷や刺し傷であふれ無事な場所を探す方が難しく、骨も砕かれているので立つことすらできない。
顔の表面は炎であぶられた故に溶けかけのスライムのようにドロドロになっていて、浅く呼吸をするのが精一杯という有様だった。
「もういいだろう。おい!このゴミクズの首をはねろ!」
兵士がジイの首をはねようと近づいてくる。
今にも消えそうになる意識を意地と忠誠心だけで保ち、ジイは最後の力を振り絞り会心の笑みを浮かべる。
(姫様、どうか無事に逃げのびて幸せになってください。それを見届けることが出来ないジイを許してくだされ)
ジイの体から魔力が溢れ出る。
部屋にいた兵士全てを道連れにジイは自爆した。
彼が最後まで考えていたのはやはりイリーナのことだった。