そして彼と彼女は――⑪
魔導具――それは魔法という奇跡とは別の奇跡を起こす兵器のことである。
その形は様々で、剣だったり指輪だったりと色々なものがある。そしてそれらが起こす奇跡の種類も千差万別。
誰が魔導具を作ったのか。いつ魔導具が作られたのか。どこにあるのか。どうやって魔導具が作られたのか。どのような原理で奇跡を起こしているのか。
それらのことは未だにわかっていない。
古代人が作ったという説もあるし、神様より授かった神器という説もあるし、禁断領で作られたという説もある。
つまりは人間領でも魔族領でも魔導具については何一つわかっていないと言ってもいいだろう。
それでも人間・魔族双方に魔導具を求める者は古より無数にいる。
はるか昔から魔導具をより多く集めたものが栄華を極められると伝えられていて、過去には魔導具を巡って戦争が起きたこともあるほどだ。
ただその数は少なく、また魔導具を手にした者は魔導具を手に入れたという事実を隠すか一族に代々受け渡すかするため、魔導具を手に出来る者は滅多にいない。
また、幸運にも魔導具を入手出来たとしてもそれを使えるかどうかは別の話だ。
魔導具は自らが使い手を選ぶとされている。
魔導具に意思があるかどうかはわかっていないが、選ばれた者しか魔導具で奇跡を起こすことは出来ない。
それゆえ魔導具について【人が魔導具を使うのではない。魔導具が人を使うのだ】なんて格言もあるほどだ。
たとえ使用することが出来ないとしても魔導具を欲する者は多く、どのような魔導具でも一つ売れば一生遊んで暮らせるほどの値段がつけられているが魔導具は売るものは滅多にいない。
いずれにせよ魔導具に選ばれた者は常人を超越した力を手に入れることが出来るのは間違いないことなのだ。
×××
「まさかお前が魔道具を持っていたとは!!チッ!厄介なものを持ちやがって!」
元々人間を遥かに超えた力を持つ中位魔族のルル。その彼女が切り札として出してきた魔導具。いかに魔王を倒したアレクトといえど危機感を覚えずにはいられないものだった。
先程まではどこかあった余裕が一切無くなったアレクトの態度にルルは愉悦を覚える。
「フフフ。これで漸くあなたをぶち殺せますわ。さあ、ワタクシのマリア。憎き勇者にあなたの力を示してちょうだい!」
ルルは魔道具を使うための詠唱を始める。
「少女は地下で絶望をみた。絶望は少女を人形に変えた」
周囲の魔力が指輪に集まりだす。
「そこにあるのはこの世の地獄。絶望は少女を覆い尽くす」
その詠唱は物語のようだった。誰かに聞かせるように、歌うように詠唱は続く。
「やがて少女は光を見つける。光は少女を人形から人間に変えた」
漆黒の指輪が夜色に鈍く輝き始める。
「だけど光はやがて潰える。後に残るのは人形だけ」
指輪から出た、ルルにしか見えない無数の糸がアレクトの腕に絡みつく。
「聞け、少女の絶望を。見よ、少女の絶望を」
準備は既に整った。後は魔道具の名前を唱えるだけ。
「ワタクシに絶望を見せて、"嘆きのマリア"」
はるか昔、とある王国の王宮に美しい容姿を持つ奴隷の少女がいた。
彼女の両親は早くに死んだため、自らを奴隷として売り出すしか少女に生きる術はなかった。
奴隷として王様に買われた彼女はその美貌ゆえ多くの男達を虜にした。
王様は勿論、宰相、大臣、文官、将軍、兵士など多くの男達が彼女に夢中になった。
少女は王宮の地下に捉えられて王様の命令で連日男達に抱かれた。だけど少女は心だけは誰にも許さなかった。
どんな風に抱かれようと、誰に抱かれようと何の反応も見せない少女。それでも男達は毎夜のように少女の元に訪れる。いつしか少女は人形姫と呼ばれるようになっていた。
その日も人形姫の元に男はやってきた。相手は王様の息子である王子様。
王子様は人形姫の存在を知らなかった。父親に言われるまま地下に行くとそこにいたのは美しい少女。
情欲を抱くよりも純粋に疑問を抱いた。
『君は誰?ここで何をやっているの?』
人形姫は奴隷だから主人の命令に従った。無表情に、無感情にたんたんと主人に聞かれたことだけを答えた。
『私は人形姫と呼ばれる者です。私は王様の命令のままに部屋に訪れる男の方達の相手をしています』
王子様は人形姫の話を聞いて目の前の少女のことを哀れに思った。
だけれども少女を解放してあげることはできない。なぜなら少女を買ったのは王様であって王子様に所有権はないのだから。
ならばせめてもと思い、王子は少女を抱かず話をすることにした。
今日読んだ本の内容。今日あった面白いこと。
話の内容はなんてことのないこと。だけれども王子は毎日のように人形姫の元に通って話し続けた。決して人形姫の体には触れず、人形姫を楽しませるためだけに王子様は少女の元にやってきて話をした。
最初は人形姫は何の反応も見せなかった。だけどいつしか王子様がやってくる時間が人形姫には楽しみになってきた。
王子様が話すなんてことのないような話が人形姫には楽しくてたまらない。
王子様もまた微かにだが微笑みを浮かべるようになった人形姫を見ると嬉しくてしかたがなかった。
そしてついに王子様の努力は実を結び、王子様は人形姫をただの少女に戻したのだ。
『君を僕の妃に迎えたい。どうか僕の妻になってずっと一緒に過ごして欲しい』
プロポーズの言葉と共に王子様は指輪を差し出した。
『私もあなたとずっと一緒に過ごしたい。あなたは私を人間にしてくれた人だから』
人形姫に指輪を受け取ってもらった王子様は王様に謁見を申し出た。
『僕は彼女と結婚するつもりです。彼女も僕のプロポーズを了承してくれました。どうか彼女を奴隷の身分から解放してください』
これに激怒したのは王様だ。
奴隷が自分の息子と結婚するのも許せないが、何よりも王様が一番怒りを覚えたことは自分が何をしても心を開かなかった人形姫が王子に心を開いたこと。
王様は怒りのままに剣で自分の息子の首と胴を切断した。
そして人形姫の元に行き彼女を剣で切りつけた。
王様は王子様の物なってしまった人形姫が存在するだけで許せなかったのだ。
地下に放置された少女の死体からは血で色が変わってしまった指輪が発見されたという。
その指輪こそが魔道具――"嘆きのマリア"
有する能力は対象の操作。
使用者のみに見える魔力の糸が付着した物体を生物・無生物問わず人形のように自由自在に操ることが出来る。
一対一の戦闘において発動さえすればほぼ確実に勝利出来るほどの強力な能力を持つ魔道具だが、魔道具の能力を使用するにはどの魔道具でも例外なく"代償"が必要となる。
そして"嘆きのマリア"の代償は、使用者の指以外の所有権。
つまり"嘆きのマリア"の能力を使用中のルルは両手両足の計二十本の指以外――呼吸器官や心臓などの生存に必要な臓器は除いて――動かすことが出来なくなるのだ。
"嘆きのマリア"は一度能力を発動すると少なくとも一分間は解除することができない。
そして"嘆きのマリア"の操作を防ぐ手段はいくつか存在する。
もし敵がマリアの操作を防ぐ手段を持っていたら。もし敵が一人ではなく複数だったら。操作が成功する前に遠距離攻撃を仕掛けられていたら。
いかに中位魔族のルルといえど指以外を動かせない状態ではあっさりと倒されてしまう可能性は決して少なくない。
だからこそルルはハイリスク・ハイリターンのこの魔道具を滅多に使わない。
魔道具無しでも強力な戦闘能力を有するルルに今まで"嘆きのマリア"を使用する機会など数える程しかなかった。
そのルルが魔道具を使用したということはそれだけ彼女が追い詰められている証だった。
「ワタクシに絶望を見せて、"嘆きのマリア"」
その言葉と同時に濃厚な魔力が指輪から発せられるのを見てアレクトの危機感は最高潮に達する。
アレクトが敵として戦った魔王軍の中でも魔道具持ちは何人かいた。
そしてそれらの敵は例外なく厄介な能力と共に強力な戦闘力を有していた。
ルルが発動した魔道具の能力がわからない以上、アレクトが迂闊に動く訳にはいかなかった。
ルルから警戒を外さずアレクトはさりげなく周囲を見渡すが、魔道具の使用者であるルルや周囲の光景に異変は見られない。
どうやらルルの魔道具は肉体強化や自然操作系の能力ではないらしい。
ではあの魔道具の能力は一体……と考えたところでアレクトは自分の体に起きた異変に気付いた。
(体が動かない!?)
どんなに力を入れても、どんなに体を動かそうとしてもピクリとも動かない。
アレクトの体が自分の意思に反して勝手に動いて、両手で握っていた漆黒の剣の柄から左手が離れる。そして自分の顔目掛けて全力のパンチが放たれた。
勿論体が自分の意思で動けないアレクトに、自分の左手から放たれる全力パンチを避ける術はない。
足が地面に固定されたようにピクリとも動けないアレクトは、衝撃を逃がすことも出来ずパンチをまともに喰らってしまう。ゴブッ!と嫌な音と共にアレクトの奥歯が何本か砕けた。
アレクトは唯一動く口を動かし血反吐と共に折れた歯を吐き出した。
「お前の魔道具の能力は対象の操作か?」
口から血を流しながら"嘆きのマリア"の能力を当てたアレクトのことをルルは驚いたようにマジマジと見つめた。
「驚きましたわ、まさか喋るなんて……。"嘆きのマリア"の能力は確かに操作ですけど、マリアの操作対象になったらワタクシが命令しなければ喋ることすら不可能なはずですのよ?だって"嘆きのマリア"は敵をワタクシの操り人形にする魔道具ですもの」
ルルはアレクトが自分の命令なしに喋ることが出来た理由を考える。
「……"嘆きのマリア"に対する防御手段を持っている?いや、だとしたら左手を操作できなかったはず。だとしたら……魔道具に対する先天的な抵抗力を持っている?だとしたら魔王様が人間如きに負けた理由も納得できる。……さすがは勇者といったところですか。まあいいですわ。いずれにせよ口以外は動かせないようですし、このままあなた自身の手で嬲り殺しにしてあげますことよ」
またも左手が勝手に動いて今度は自分の腹目掛けて全力で拳を振るう。
「ブグッゥ!!」
鳩尾に拳が入り一瞬呼吸が止まってしまう。その間にまたも左手は腹を襲い肋骨が何本か折れたのがわかった。
顔に、腹に、腕に、足に。自分自身が放つ全力攻撃によりアレクトの体が傷ついていく。
アレクトには自分に"嘆きのマリア"の能力が完全には効かなかった理由が想像できる。
アレクトには、ルルが推理したような魔道具に対する先天的な抵抗力などない。勿論防御手段を持っているわけでもない。
だったら何故アレクトはルルの命令なしに話すことができたのか。
それはアレクトが聖剣の代わりに手に入れた魔道具が関係している。
その魔道具を使用すればルルの操作を破れる可能性は非常に高い。
だけどアレクトにはその魔道具を使用する踏ん切りがつかない。
まず第一に一度もその魔道具の能力を使ったことがないこと。
自分の本来の武器である聖剣を奪われたことによりアレクトの戦闘力はかなり落ちた。
その聖剣の代わりとして手に入れた魔道具だが、アレクトはその魔道具を一度も使ったことがなかった。
その能力は敵として戦ったことによりよく知っているが、もし魔道具のコントロールに失敗してしまったら自爆してしまう可能性もある。
そして最も心配なのはその魔道具の能力発動に必要な代償。
これが一番の不安要素だ。その魔道具の能力発動に必要な代償はアレクトが最も大切にするものを奪う可能性があった。
もしそれが奪われてしまったら。そう考えたらアレクトは躊躇いを覚えてしまう。
操作した自分の拳で攻撃するばかりでルル自身が攻撃しないのは恐らく魔道具の代償が関係しているのだろう。
また記憶によれば操作系の魔道具は短時間しか操作できないはず。
だったら魔道具を使わなくても、このまま自分の攻撃に耐えてさえいればやがて操作から解放されるはず。
しかし自分自身による全力攻撃はアレクトにかなりのダメージを与えているし、まだ右手は剣を握っている。
ルルがアレクトが握っている右手の剣で自分自身を切りつけるように操作したらいかにアレクトといえども死んでしまう。
ルルが剣を操作してさっさと決着をつけないのは恐らくアレクトを痛みつけて苦しめるためだろう。俗にいう『楽には殺さない』という奴だ。
つまり剣を握っている右手を操作された時はルルが決着をつけるつもりだということだ。
ルルはそんなアレクトの心を読んだかのように決着の一言を呟く。
「あなたが苦しむ姿を見るのも楽しいのですが、そろそろ決着をつけましょう」
ルルは視線だけを動かし、審判であるイリーナが死合いを止めないことを確認するとアレクトに最後の命令を下す。
「右手の剣で自分の心臓を貫きなさい。これで……ワタクシの勝利です!」
自分の意思に反してアレクトの右手が動きだす。後数秒もすれば自分の右手は剣で心臓を貫くだろう。
アレクトは自分をこんな目に合わせたこの世界に復讐するまで決して死ぬわけにはいかない。
だとしたらこのまま死ぬよりは生き延びるための道を模索する。
迫り来る死がアレクトに決断をさせた。
彼は代償を覚悟して決着をつけるために詠唱を始める。
「絶望の果てに孤独をみた。
孤独の果てに闇をみた。
闇の果てに絶望をみた。
我が身は刃。全てを切り裂く闇の王。
闇と月の頂きにて我が道を阻むものを共に滅ぼさん」
今にも心臓を貫きそうだったアレクトの剣がピタリと止まった。
ルルが操作していないのにアレクトの腕が動きルル目掛けて剣が構えられる。
つまりそれは"嘆きのマリア"の操作能力がアレクトに効いていないということ。
だがルルはそのことに気がつかないほど驚いていた。
「そ、その詠唱、聞き覚えがある!あ、あなたの剣ッ!ま、まさかそんなはずは……!?」
よくみればアレクトの漆黒の剣はルルには見覚えがあるものだった。
百年の間その姿を見ていなかったとはいえ、今まで気付かなかった自分を殴りたい。
それは勇者の聖剣と対をなす魔剣。
魔王の手足となり数多の敵を切り裂いた魔族の至宝。
聖剣と共に『最強』の名を冠する魔道具の最高峰
ルルはその名前を畏怖と絶望と恐怖を込めて呟く。
「"邪悪なる刃"……」
アレクトは呆然としているルルに向けてただ一言だけ口にする。
「俺の勝ちだ」