7 ゴスロリと弓道着のカップリングが美しくて捗る
私がアクアリリィで働き始めて、そろそろ三週間になる。週三日から四日ほどのペースで出ているが、それなりに仕事の楽しさがわかってきたんじゃないかなって思う今日この頃。
「ねえねえ瑠璃ちゃん」
「なあに?」
ちょっと気になっていることを質問してみることにした。
「あのさ、制服着てない人っているよね?」
私たちが着ているフリフリの制服。色は違うけど、同じ制服を着ている女の子も多い。現に今お店にいる子はみんな制服を着ている。
しかし、そんな中にも例外が存在するのだ。と言うか、さっき私は見てしまったのだ。真っ黒なドレスに身を包んだ小柄な女の子を。後ろ姿をちらっと見ただけだったけど、スタッフ用の通用口を歩いてたしお客さんじゃないだろう。
「うん。何人かだけどね。独特の雰囲気を作るために着てるらしいよ」
「へえー。まずは形からって感じなのかなあ」
「それに、別に私たちもこの制服を着る必要はないんだよ? 強制されてるわけじゃないし」
「え、そうなの?」
「そうだよ。なんなら私服でもいいんだよ。私はこの制服気に入ってるから着てるけど」
「そんなことマニュアルに書いてあったかなあ……」
「書いてあることだけがすべてじゃないんだよ?」
なんか大人なこと言われた。ちょっとショック。
なんだか、お店の中が少し騒がしい。
アクアリリィはその性質上、基本はゆったりとした雰囲気になっている。店内に流れる音楽はクラシックとか落ち着くものがメインだし、コーヒーや紅茶のいい香りも漂っている。つまり、こんな風に色んな声が飛び交うのはあまりよろしくない。
やれやれ。乙女たる者、いついかなるときも冷静に振る舞い、おしとやかでなければならない。これ基本だよね。
「っ! ね、ねえ! 瑠璃ちゃん! あの二人、一体何者なの?」
私の理想乙女論は二秒足らずで崩れ去った。だって、あんなの見せられたら誰だって驚くに決まってるよ。
「ふふっ。うちの秘密兵器だよ」
瑠璃ちゃんはあの異様な二人を知っているらしい。
「もったいぶらないで、ちゃんと教えてよ……」
そんな会話をしているうちに、その二人はどんどん迫ってくる。さっきも見た黒のドレスと……あれはなんだろう。何かの道着かな。とにかく特殊極まりない二つの服が私の視界いっぱいに!
「向かって右の黒いドレスを着ているのが闇無さんで、もう片方の弓道着姿なのがあやめさん。どっちもお店の大先輩なんだよ」
「あんなさんと、あやめさん……」
闇に無いって書いてあんなって読むんだよ──と瑠璃ちゃんに説明を受けながら、私は二人の姿から目が離せなかった。
腰まで伸びた黒髪をなびかせて歩く闇無さんの頭では、黒い薔薇のカチューシャが小さく揺れている。自信たっぷりに輝く瞳は左右で色が違っており、右は黄色く左は青い。光を吸収するような漆黒のドレスに身を包み、同色のアームカバーはレース状になっている。足元では、黒の編み上げブーツが小さな歩幅を刻む。全身を黒で包んだその姿は、紛れもなくゴスロリファッションだ。
あやめさんの方は、すべてが真逆の姿だ。セミロングの茶髪をポニーテールでまとめ、その顔立ちは凛々しさに満ちている。白の上着と黒い袴は、言われてみれば弓道着に他ならない。更に下へと目をやると、足袋に草履という徹底した和風のこだわりを発見した。
そんな二人を見て感じるのは、その身長差だ。あやめさんが高くて、闇無さんが低めのせいもあるのだろうが、頭二個分くらいの差がある。
それでも手を繋いでいるところを見ると、和んでしまうのは仕方ないことで……私は二人から目が離せずにいたのだった。
「闇無さん、あやめさん、おはようございます」
瑠璃ちゃんの声。気付けば二人が私たちの目の前にいた。なんだこの圧倒的なプレッシャー。思わず瑠璃ちゃんと繋いだ手に力が入る。
「ああ、おはよう。こちらの子が、もしかして噂の新人かな?」
うっとりするようなハスキーボイスと共に、あやめさんがこっちを見た。背が高いから見上げないと顔が見えない。
「そうです。ほら、自己紹介して」
瑠璃ちゃんに背中を押された。あう、せっかく繋いでた手が離れちゃった。
「えっと……紗希です。よろしくお願いします」
言い終わると同時に頭を下げる。ズタボロな自己紹介にちょっと自己嫌悪。
「よろしく。私はあやめという。皆同じ仕事をする仲間だ。頑張っていこう」
手を差し出されたので、私もそれに応えた。握手を交わして、あやめさんの手が大きいことに訳もなく感動していた。
「それは何かの道着ですか?」
「弓道着だよ。昔から弓道をやっててね。着てると身が引き締まるんだ。この子の隣だと、ちょっと浮いて見えてしまうかな」
あやめさんの視線に従って、闇無さんに向き直る。なんだか高飛車というか、気難しいというか、そんな空気がピリピリ伝わってくる。
「あの、よろしくお願いします」
「ええ、よろしく。わたくしは闇無。あやめのパートナーをしておりますのよ」
話し言葉からお辞儀の仕方まで上品だった。なんだか十八世紀末のヨーロッパにでもいそうな雰囲気だ。肌の白さが衣服の黒さを際立たせている。ビスクドールというどこかで聞きかじった単語が浮かんできた。
舌足らずな闇無さんの甘い声が耳に残る中、私は気になっていたことを訊ねてみる。
「目の色、キレイですね」
「これ? ふふっ。右目はマリーゴールド、左目はターコイズブルーですの。似合っているかしら?」
カラフルな目の闇無さんは背が低い。見た目だけで判断するけど、もしかしたら年下なんじゃないだろうか。得意気に微笑む様子を、どうしてもかわいいと思ってしまう。
「では私たちはこれで。持ち場はここからでも見えるから、気が向いたら見てやってくれ」
「ごきげんよう、お二人さん」
立ち去る後ろ姿も様になっていた。あんな人もいるなんて……アクアリリィ、恐るべし。
「紗希ちゃん、相当驚いたみたいだね」
瑠璃ちゃんがいたずらな笑みを浮かべていた。こんな凄い人を秘密にしておくなんてズルイ。
「あの二人は今までお休みだったの? 会ったの今日が初めてなんだけど」
「そんなことないよ。ただ紗希ちゃんと出る日が重ならなかっただけ」
「じゃあ、今日は運が良かったってこと?」
「そゆこと」
見れば、あやめさんと闇無さんは早くもお客さんたちの注目を浴びていた。
凛々しい表情のあやめさんが、ちっこい闇無さんをリードする。高飛車な闇無さんはツンツンしているけど、結局はあやめさんのことが好きだから言いなりになってしまう──あ、今のは私の妄想ね。
さて、実際のやりとりはと言うと。
「あやめ、靴紐が乱れてしまったわ。結びなおしてくれるかしら」
闇無さんがおねだりしていた。言葉遣いはあれで通してるみたい。服装も特殊だし、自分の作ったキャラになりきっているってことなのかな。
「それくらい自分でやればいいだろう」
おや、意外にもあやめさんが突っぱねてきた。けれど闇無さんは気にした様子もなく、変わらず得意気な笑みを浮かべている。
「何を言っているのかしら。わたくしの前に跪けるのよ。これ以上の幸せがあるとでも思ってらして?」
なんという上から目線。身長は低いけどね。
「まったく。ワガママなお嬢様だな」
やれやれと首を振りながらも、あやめさんは満更でもなさそうだ。
「早くしてくれるかしら。いつまでもわたくしにみっともない格好をさせないでほしいわね」
「わかったよ。ほら、足出して」
あやめさんがしゃがみ、闇無さんの靴に触れた。手つきも慣れているし、こんなやり取りは二人にとって日常的なことなのだろう。
「さて。これでどうだい、お嬢様?」
クールな表情を崩さずに跪いたまま見上げるあやめさんと、それを見下ろす闇無さん。少しだけ含まれる倒錯が雰囲気に味を加えていい感じ。
闇無さんは何度か足踏みをして具合を確認している。
「まあまあね。いいんじゃないかしら」
素直に喜べない不器用さ。お嬢様らしくてぴったりだ。
あやめさんは立ち上がり、居住まいを正している。
「たまには素直に喜んでもバチは当たらないぞ」
そう言って闇無さんの頭に手を置いた。大切なものを愛でるように、その手つきは優しさに溢れているのが見て取れる。
「……ふん。わたくしに指図するなんて、身の程をわきまえるべきだわ」
言葉は強気だけど、嬉しそうな表情は隠しきれていない。そんな典型的な不器用さが見られて私も嬉しい。
そして、こんな場面を見せられたら妄想が捗って仕方ない。それなりの物語が頭の中に出来上がってしまった。ほとんど即興だけどね。
主従関係の中にある百合っぽい雰囲気。それも私の好みだったりする。そう。例えるならお嬢様とメイドのような関係──。
*
いつも身の回りの世話をしてくれるメイドのことを、いつからか意識するようになってしまったお嬢様。でも、性別と身分という二つの大きな壁が恋心を邪魔している。そんなことはお嬢様もわかっているけど、障害があればそれだけ燃え上ってしまうのが恋というもの。
お嬢様はあの手この手でメイドの気を引こうとする。一緒に食事がしたいとか、眠るまで手を握っていてほしいとか、そんなかわいらしいお願いをしてみた。メイドはそのすべてに応えてくれたけど、結局それらは仕事だからやっているに過ぎないのだと気付いてしまう。
願いが叶った瞬間は嬉しいのに、その後に訪れる空しさと悲しさ。お嬢様の心に、少しずつ黒く濁ったものが溜まり始める。
一方、メイドも実はお嬢様のことが気になっていた。最初は仕事だからと自分の気持ちをごまかしていたけど、抑えつければそれだけ反動も大きい。お嬢様の願いを叶えるたびに、踏み込み過ぎてはいけないと必死にブレーキをかけていたのだ。もっと近寄りたい。肌の温もりを感じたい。
でも、そんなことはできない。メイドが主人に感情を持つなどあってはならない。メイドは自分の想いに蓋をした。
二人は想い合っているのに、決して交わることはない。そんな時間がいくつも流れ、そしてある日のこと。ついに今までの日常が崩壊する。
その夜、仕事を終えたメイドは自室で日記を書いていた。表に出せない自分の気持ちや、主人への恋心を綴った、秘密だらけの内容である。こうして想いを解放しないと壊れてしまいそうだった。自分の感情を整理するためにも必要な行為だったのだ。
扉をノックする音にペンが止まる。この家には自分と主人しかいない。来訪者の正体は明らかだ。続けて聞こえる声に返事をして、メイドは扉を開ける。予想通り、そこには愛する主人が立っていた。パジャマ姿が放つ魅力に心を揺さぶられてしまう自分が情けなくなる。
どうやら眠れないらしく、メイドと話をしたくなったらしい。嬉しさと苦しさを同時に味わいながら、メイドは主人を部屋に招き入れた。主人を椅子に座らせ、自分は温かい紅茶を淹れるために部屋の隅へと向かう。
部屋に紅茶の香りが漂い始め、そろそろ良い具合だと思ったその瞬間である。メイドは重大なことを思い出した。主人を座らせた椅子。その近くには机。さっきまで自分はそこで何をしていた?
そう。日記を開いたまま放置してしまったのだ。他人はもちろん、主人に見られることなど禁忌以外の何物でもない。茶葉から紅茶の味が引き出される絶好のタイミングを無視し、メイドは主人の元へと戻る。
その行為は二つの無駄を生んた。一つは紅茶の味。抽出されすぎて濃くなったそれは、とても人に出せる代物ではない。
そしてもう一つ。既に日記は主人に読まれていたのだ。
声をかけることもできず、その場に硬直するメイド。知られてしまった。自分が秘めた下賤な気持ちを。こともあろうに、それを一番知られてはいけない相手である。もうここにいることはできない。そう覚悟した。
日記を読むことに没頭していたせいか、今になって主人はメイドの視線に気付いたらしい。振り向いたその表情には驚愕が張り付いている。無理もない。あの日記には人に言えないような内容も書いてある。誰に見せるわけでもない自分だけの物だったから。
軽蔑される。拒絶される。畏怖される。これから向けられるであろう感情を想像すると、体の震えが止まらなくなる。
しかし、メイドの予想は外れた。まったく想定していなかった未来が待っていたのだ。
てっきり扉を勢いよく開けて走り去ってしまうかと思ったが、なんと主人がこちらに向かって歩み寄ってくるではないか。
きっと、平手打ちの一つでもするつもりなのだろう。観念したメイドは目を閉じ、どんな仕打ちも受けるという意思表示をした。
そして訪れた衝撃──それは確かにメイドの脳髄を揺らした。しかし痛みはない。あるのは主人の体から伝わる熱だけ。ずっと求めていた温かさ。目を開けたメイドは自分が置かれた状況を確認する。
一瞬で、それは理解できた。主人が自分を抱き締めている。体に手を回し、離すまいとしているのだ。夢にまで見た柔らかさと匂いがすぐ近くにある。
なぜこうなったのか。メイドにその理由はわからない。しかし、その疑問はすぐに解消された。主人の口から真実が語られたのだ。主人もメイドを愛しているということ。メイドが同じ想いを持っていて嬉しくてたまらなくなったこと。
そして、これからは主従ではなく、恋人として共に過ごしたいということ。
もちろんメイドが断るはずもない。承諾の返事をした瞬間、二人の日常は崩れたのだった。これから新しい日々を作り上げていくのだろう。きっと二人ならば幸せな未来を過ごすことができる──。
*
うん。今回の妄想は我ながら傑作だ。プロットをしっかり練れば、ちょっとした物語が一個書けるんじゃなかろうか。
ちなみに続きのシーンは各自で補完してね。私も後で個人的に考えるから。
「紗希ちゃん。あっちを見るのもいいけど、こっちも見てほしいな」
かわいい言葉が聞こえたかと思うと、私の手が再び握られた。優しい温もりが私を現実へと引き戻す。
そうそう、私には瑠璃ちゃんという大切な人がいたんだった。浮気はダメだよね。たとえそれが妄想相手でも。
「ごめんね。今から瑠璃ちゃんのこと、いーっぱい見るから」
拗ねたような顔をした瑠璃ちゃんもかわいい。ヤキモチ妬いてるところもかわいい。じっと見つめてると次第に表情が柔らかくなってくのもかわいい。頬を赤くして落ち着きなく視線を泳がせているのもかわいい。
「そんな……ずっと見られてたら照れちゃうよ」
「だーめ。見てほしいって言ったのは瑠璃ちゃんだよ?」
「いじわる……」
そう言いながらもチラチラと私を見る姿は最高にかわいかった。
その日、仕事終わりの更衣室にて。
「そういえばさ、闇無さんって瑠璃ちゃんより背が低かったよね。何歳くらいなのかな?」
「確か、私たちの五歳くらい上だったと思うよ」
「そんなにっ? 見かけによらないなあ」
「それで、あやめさんがその二個下だったかな」
「……今の言葉、取っとけばよかった」