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6 ホントにキスしちゃったの!?

 夕方のお店は、雰囲気が少しだけ変わる。大人チックというか、アダルティックというか。空気がほんのりピンク色に染まった感じ。しかし、過度に居心地が悪いというわけでもない。

 具体的に言うと、スタッフ同士の密着度が増している……ような気がする。あと、場に漂う空気がドキドキする感じだったり。見つめ合ってそのまま一線を超えたスキンシップでも始めるんじゃないかと期待……じゃなくて、ハラハラしてしまう。


「私たちも、あんな風にした方がいいのかな? その、もっとイチャイチャというか」


 そっと瑠璃ちゃんに訊ねてみると、瑠璃ちゃんが純粋な視線のまま首を傾げた。


「紗希ちゃんはそういうことがしたいの?」

「え、えっと」


 できるなら是非! と言いたいが口がうまく回らない。場の雰囲気に私が飲み込まれてしまいそうになる。

 当然お客さんも夢中だ。この場にいる人すべての後ろに、幸せを養分にして咲き誇る純白の百合の花が見える。


「ここって、いつも夕方はこんな感じなの?」


 口元に手を当てて、瑠璃ちゃんに囁きかけてみた。

 仕事中は、最近いつもこうやって会話をしている。小声になるのはもちろんだし、秘密の話っぽい雰囲気も作れるから一石二鳥ってわけだ。


「うーん、夕方が特別こういうのってわけじゃなくて、こういう雰囲気を作るのが得意な人たちが夕方以降に出てくるって言う方が正しいかな」


 なんだろう。こんな空気にあてられたせいか、この中にガチ百合なカップルがいるんじゃなかろうかと私の勘が騒いでいる。

 誰だ。誰が本命なんだ。不自然にならないよう注意しながら、周囲に視線を巡らせる。


 おっと、あそこにいるのは結衣さんと香澄さんだ。人気のカップルなのに、あんな奥で何してるんだろう。観葉植物の陰になってるし、もっと前に出て私……じゃなくてお客さんを楽しませるべきだと思うんだけどなあ。

 そうやってこっそり見ているうちに気付いたんだけど……あれって、もしかしなくても、とってもいい雰囲気じゃないだろうか。遠くからでもわかるくらいに。

 髪を撫でられて恥ずかしそうに俯く香澄さん。その顎に指をやって、くいっと上げさせる結衣さん。いつもの静かで清楚な雰囲気はどこへやら。今の二人には、妖艶という言葉がこれ以上ないほどお似合いだ。


 でも……これって、さ。私が普段してる妄想だと、この後に続くことは一つしかないんだけど。まさか、ね。


「紗希ちゃん、どうしたの?」


 いつしかガン見していた私に、瑠璃ちゃんが心配そうな声をかけてくれた。落ち着け私。今は仕事中なんだ。

 顔を瑠璃ちゃんに向け、目立たぬように奥を指差す。


「ほら、あそこ見て。結衣さんと香澄さんだよね?」

「んー? ……あ、ほんとだ。うん。あの二人はいいんだよ」

「いいって、何が?」

「うーん、ああいう場面を見るのって、嫌?」

「ぜんっぜん嫌じゃないよ! むしろ見たい……ああ、でも! 幸せな二人を邪魔するなんて百合好きとしてどうかしてるし、でも見たいし、でも私が入り込む余地なんてなくてでも見ると心がほっこりするしでも」

「う、うん。紗希ちゃんの情熱はわかったよ」


 瑠璃ちゃんが軽く引いていた。ちょっと暴走し過ぎたみたい。クールダウン。


「で、あの二人なんだけど……」

「うん。結衣さんと香澄さんはプライベートでも付き合ってるから」

「……ん?」


 今の言葉は本当だろうか。私が今まで追い求めていた、その目標がすぐそこにあるって?


「だから、結衣さんと香澄さんは恋人同士なんだよ?」

「……ほんとに?」

「ほんとに」


 ああ……やっと私はエデンの入口を見つけることができた。もうその事実だけでいい。あとは私が勝手に妄想するから。日々の訓練が今ここで実を結ぶ。


「そっか。それならあんなことしてるのも──」


 瞬間、場の空気が波打った。

 歓声が響いたわけでも、拍手が巻き起こったわけでもない。それは、体の奥深くに秘めた部分を優しく抱かれているかのような感覚。その安らかな衝撃が私を揺らしたのだ。脳の奥を刺激する甘い光に硬直し、世界が一瞬の暗転に包まれる。


「あ、もう終わったみたいだね」


 瑠璃ちゃんの言葉と同時に私は意識を取り戻した。そして、さっきまで妖しい雰囲気を出していた二人の方を見る。

 ちょうど奥からこっちの方へと戻って来るところだった。その顔は共にほんのり赤く染まっている。何があったかは簡単に想像できた。


 ──キスを披露した子もいましたね。


 初めて来た日に聞いた、翔子さんの言葉を思い出す。まさか、あの二人がそんな大胆なことをするなんて。予想はしてたけど、まさか本当にやっちゃうとは思わなかった。

 なんという失態。今度は絶対に見逃さないからね。


「でもさ、お店で色んな人に見られるのって……恋人同士なのに、そういうのってどうなんだろう」


 それは純粋な疑問だった。この百合喫茶というものを根本から否定しかねない言葉だが、私の中に最初から引っかかっていたのだ。

 百合は二人だけの閉じた世界であるべきか否か。永遠の議論にもなりかねない題材。

 こうして百合というものを誰でも見られるようにすることは、果たして良いことなのか。慈しむべき愛の形として、もっと秘められた神秘的なものであるべきではないのか。考えると止まらなくなる。

 だから、いつも私はこう思うことにしている。百合に関係する人それぞれが楽しければそれでいい。ただし他人に迷惑をかけない、という前提で。明確な線引きなんていらない。その時に応じて柔軟な対応をすればいいのではないか。


 だから、結衣さんと香澄さんについても、あの二人がそれでいいなら私が首を挟む必要なんてないんだけど、どうしても気になってしまうのだ。

 こんな感じで私が頭の中をぐるぐるさせていると、瑠璃ちゃんが一つの答えを出してくれた。


「なんかね、楽しんでるみたいだよ。今までは隠れてお付き合いをしていたんだけど、ここではそんな必要がないって。自分たちの関係をみんなが認めてくれるのが嬉しいみたい」

「そうなんだ……」


 なるほど。そんな考え方もあるのか。百合の世界は奥が深い。また一つ勉強になった。

 でも、まだ気になることがある。


「ねえ瑠璃ちゃん。あそこってお客さんから見えにくい場所じゃない?」


 そう言って、さっきまで二人がいた場所を示した。観葉植物が邪魔になって、どの客席からもちょうど死角になっている。あれじゃあ、席に座ってたらほとんど見えないはずだ。せいぜい誰かがいるってことがわかるくらいだ。


「そうだよ。わざとそうしてるの」

「どうして?」

「紗希ちゃんはああいう場面、バッチリ見えるのと、なんとなく見えるの、どっちがいい?」

「うーん、なんとなく……かな」

「それはどうして?」

「見えない部分を妄想で補完するから」

「ね? それが答え」

「……なんか、手の込んだことしてるんだね」


 実際に働くことで、知らないことの多さを思い知らされた日だった。

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