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11 私たちの関係が一歩進んだ日

「おーっす、さっきー。今日も浮かない顔してるねえ」

「あー。もかちー、おはー」

「呼び方そろそろ統一しない?」


 朝の通学路。いつものように並んで歩く私たち。代わり映えのしない風景の先に見える学校へ連なる人の列。周囲には女子高生たちのお喋りが飛び交っている。


「はあ……」

「どうしたのさ。溜息なんかついちゃって」

「ちょっと、ね」


 落ち着かない。今日の放課後に瑠璃ちゃんと会うことを考えると、どうにも今から気持ちが焦ってしまう。ワクワクというか、ドキドキというか。遠足前夜というか。


「ふーん。ちょっと、ねえ」

「そう。ちょっと」

「まだなんか悩んでるの? この際だから全部吐き出しちゃいなよ」


 今抱えている感情は、悩みとは少し違うと思う。だから、ちょっとごまかすことにする。


「目に入って取れなくなったまつ毛はどこに行くんだろう。目の裏側?」

「涙で知らないうちに流されて出てくるらしいよ」

「そ、そうなんだ。へー」


 割と本気の回答だった。ボケ潰しとは、智香もなかなかやりおる。


「悩みはそれだけ?」

「んー、とりあえずは」

「そんじゃ気持ち切り替えて! 朝から暗かったら一日そのまんまだよ」


 背中を軽く叩かれる。それだけで、なぜか元気になれた。不安や緊張も、さっきまでと比べて軽くなっている。

 そっか。こうして何も考えずに仲良くしていられる友達がいるというのは、とても大切なことなんだ。

 そんなことを柄にもなく考えてみた。理由なんてない。ただ、ふと思いついただけ。


「……ありがとね」


 とても小さく呟いた言葉が智香に届いたかどうかはわからない。けれど、智香の横顔は私の声に反応したかのように微笑んでいた。






 そしてお待ちかねの放課後。雲が多い空だけど、天気予報では雨の心配はいらないと言っていたから平気だろう。

 待ち合わせ場所はお店の最寄り駅だった。改札の前、目立つ柱の近くでそわそわする私。周りには同じように人を待つ姿がいくつも見える。

 その数が少しずつ減ってきた頃、改札の向こうから瑠璃ちゃんが現れた。私と目が合うと、ぱっと顔を輝かせて手を振ってくれる。

 制服は着崩していないし、派手なメイクもしていない。どこかで事前に直したのだろうか。


「紗希ちゃん早いね。もしかして待った?」

「ううん。今来たところ」


 なんか、このやり取りって使い古されてるよね。でも、なんだか心がほんわかする。


「行こっか。カラオケでいい?」

「いいよ。何か歌いたい曲でもあるの?」


 私が訊くと、なぜか瑠璃ちゃんがモジモジし始める。どうしたんだろう。


「いや……そうじゃなくて、紗希ちゃんと二人きりになりたいから、かな」


 えっ? それは、どういう、意味ですか?


「や、やだなー瑠璃ちゃん。からかわないでよー」

「からかってなんて、ないんだけどな」


 おっと? これは? 期待していいの?

 いやいや、そんなミエミエの釣り針に引っかかる私ではない。いつもの調子は取り戻せそうだけどね。


「またまたー」

「……カラオケ、こっち」


 瑠璃ちゃんが歩き出したので、その後を追う。歩いている間、瑠璃ちゃんはほとんど口を開かなかった。

 どうしたんだろう。なんか、いつもの瑠璃ちゃんじゃない気がする。


 駅から少し歩いたところにある、国道沿いのカラオケボックスへと移動した。受付で瑠璃ちゃんがカードを出している。どうやらここの会員だったらしい。

 案内された部屋は小さめで、最高でも四人くらいしか入れない広さだった。ちょっと暗めだけど、それが逆に雰囲気を演出している。古いカラオケボックスにありがちな、換気が不十分な空気も漂っていない。初めて来たけど、結構いいところみたいだ。

 狭い部屋に二人きりという、これ以上ない絶好のシチュエーション。どう料理するかは私次第。まずは場の主導権を握らせてもらおう。


「瑠璃ちゃん、先に歌う?」

「飲み物が来るまで待とうよ」


 初手からバッサリと切られてしまった。歌ってる最中に店員さんが来たら気まずいことこの上ないから、瑠璃ちゃんの言うことも正しいんだけど……。

 そうこうしていると店員さんが飲み物を運んできてくれた。私はカフェオレ、瑠璃ちゃんはジンジャーエールだ。


「よしっ、乾杯しよっか」

「うん。かんぱーい」


 瑠璃ちゃんに続いて私もグラスを持ち、軽くぶつけ合った。

 あまり期待はしていなかったのだが、カフェオレの味が薄いような気がする。マスターのコーヒーを飲み慣れて、舌が肥えてしまったのかもしれない。過度な期待はせずに、チビチビと飲んでいくことにする。

 一方、瑠璃ちゃんはゴクゴクとジンジャーエールを飲んでいた。それもストローを使わず、直接口を付けて豪快に。炭酸が入っているのに、よくあんなに休みなく飲めるものだと感心してしまう。


「紗希ちゃん!」


 グラスを勢いよくテーブルに置いたと思ったら、威勢のいい声が響いた。狭い個室だから、その分だけ音量が増幅されている。


「はい!」


 思わず私も目を見開いて背筋をピンとさせてしまった。こんな動き、コメディーアニメさながらじゃないか。


「どうしたの? 昨日の紗希ちゃん、なんか変だったよ」


 一転して穏やかな口調。まるで私が揺さぶりに弱いということを知っているみたいだ。智香といい瑠璃ちゃんといい、私の周囲にはテクニシャンが多くて困る。


「いや、なんと言うか、ね……」

「お店でもなんだかよそよそしかったし、もしかして私、何か紗希ちゃんを怒らせるようなこと、しちゃったのかなって」

「そんなことないよ! ただ……」

「ただ?」

「ちょっと、モヤモヤを抱えている、みたいな」

「それって、どんな?」


 瑠璃ちゃんの問いかけに、私は沈黙を返した。カラオケに来たのに歌うこともせず、私たちがしていることは、視線を交わしては目を逸らしての繰り返し。

 どれだけそうしていたかなんてわからない。カフェオレに入った安物の氷が、カランと音をたてた。


「仕事でのパートナーってだけじゃ、私には話せない?」


 悲しそうな顔をする瑠璃ちゃん。そんな目をする必要はないのに。


「ううん。ただ私が一人で悩んでるだけだから」

「それでも、紗希ちゃんがそんなに悩んでる姿を見てるのは嫌だよ……」


 あ、ダメだ。やっぱり私は瑠璃ちゃんの悲しむ顔を見たくない。

 変な意地を張ってないで、全部話してしまおうという気分にさせられてしまう。だけど、秘密を打ち明けるみたいでちょっと怖い。

 それで私たちの関係が変わってしまったら、そこまでのことだったというだけになってしまう。それはとても寂しい。嫌だ。一人になりたくない。

 けれど、それでも私は聞いてほしかった。


「実はね、ルナさんと瑠璃ちゃんがお店に出てるのを見てからさ──」


 自分でもまとめることができなかったバラバラの感情を、一つずつ言葉にしていく。そうするうちに、不確かな霧が消え、形が明らかな姿を結んでいった。

 結局は、自分が瑠璃ちゃんのパートナーにふさわしいのかどうか。それが答えだった。

 ルナさんという私よりも優れたパートナーがいるのなら、私はいらないのではないか。それが私を悩ませていたのだ。


「──あの日はごめんね。何も言わずに帰っちゃって」

「ううん。紗希ちゃんが悩むことなんてないよ。私こそ、不安にさせちゃってごめん」


 優しい言葉に、いくらか救われたような気分になる。

 だけど──これで全部じゃない。


「ありがとう。でも、悩んでるのはそれだけじゃなくてさ」

「まだあるの? よーし。こうなったらとことん受け止めるよ」


 やる気になっている瑠璃ちゃんには申し訳ないが、これからのことは非常に言いにくい。

 だって、当事者が目の前にいるのだから。それに向けて話すなんて一種の度胸試しだ。犯人を指摘する探偵もこんな心境なんだろうか。


「その……瑠璃ちゃんを、さ」

「うんうん」


 たどたどしい私の言葉に、瑠璃ちゃんは身を乗り出す勢いで頷いてくれる。


「見ちゃったんだ。昨日、電車の中で」

「……う、うん」


 数秒前までの勢いはどこへやら。瑠璃ちゃんったら、明らかに目の色が変わって動揺してるんだけど。思い当たる節があるってことかな。

 うう、お腹がキリキリする。


「下校途中に、電車でギャルっぽい集団がいるのを見つけてさ──」


 それから私は洗いざらい白状した。駅で後をつけたこと。変身とも言える身繕いをしたのも見たこと。瑠璃ちゃんは表情を固まらせて、何も反応を示してくれない。


「──それで、やっぱりあの女の子は瑠璃ちゃんだったんだなって。あれって、ホントに瑠璃ちゃんだったの?」


 しばらく無言の見つめ合いが続く。文字だけならトキメキシチュエーションでニヤニヤが止まらない場面を想像できるんだろうけど、実体験しているこっちとしてはピリピリした緊張感の方を感じ取ってほしい。

 やがて、永遠にも思えた沈黙が一気に崩れ去る。


「あーあ……バレちゃったか。あははっ」


 瑠璃ちゃんは天井を見上げて、まいったなあ、みたいな表情で溜息をついた。やれやれ、とでも言いたげな雰囲気が似合っていて、なんだか妙なカッコよさがあった。


「あの、じゃあ、瑠璃ちゃんって」

「そういうこと。ぶっちゃけて言えば、ネコ被ってたの。あのお店じゃ珍しくもなんともないでしょ?」


 そりゃそうだけど。あやめさんとか、闇無さんとか、ルナさんとか、まさかプライベートでもあんな格好や振る舞いをしているとは考えられない。

 でも、今こうして目の前で変貌した瑠璃ちゃんも同じだと考えていいのだろうか。口調だってなんだか軽くなってるし。


「紗希ちゃんが電車で見た私が本物。お店でほわほわしてる私は作り物。それだけのことだよ」


 私は圧倒されていた。瑠璃ちゃんが持つ、仕事への姿勢に。

 そうやって仕事とプライベートを明確に区切っているということが、私にはとても真似できないだろう。バイト中でも色々と余計なこと考えちゃってるし。


 だから、瑠璃ちゃんのそんなカミングアウトを聞いた今でも、私はマイナスの感情なんて微塵も湧かない。むしろ瑠璃ちゃんが輝いて見える。

 なんだか壮大な心境を述べてしまったけど、実際の私は混乱と驚愕で挙動不審一歩手前みたいな有様だった。


「えと、もしかしなくても……お店でも、だよね?」

「キャラ作りのこと? そりゃもちろん。もっと言うと、最初に紗希ちゃんと会った時もそうだよ」

「最初って、あのオーナーと一緒の時?」


 小動物みたいにオドオドしていたのも嘘だったなんて……なんとなくそんな気はしてたけど、やっぱりショック。ちょっとマイナスの感情が生まれちゃいそう。

 だって、あの姿にキュンキュンしてた私って一体……ってなっちゃうじゃない。乙女の気持ちを弄ぶなんて! ってのはちょっと言い過ぎかな。


「うん。お店の中じゃ誰の目があるかわからないからね。それに、事前にオーナーからある程度の話は聞かされてたからね。なんとなく展開は想像できたし」


 今明かされる衝撃の事実。すべて把握した上での振る舞いだったなんて。つまり、私は初出勤の前から瑠璃ちゃんの掌で踊らされていたってことか。

 どうやら私は一筋縄ではいかない女の子に夢中となってしまったらしい。色んな情報を一気に詰め込まれて、私の頭は正常に働いてくれない。


「そ、そうなんだ。私もキャラとか作った方がいいのかな?」


 思いつきもいいとこだけど、苦し紛れにそんなことを言ってみた。


「何言ってるの。もう紗希ちゃんのキャラできてるじゃない」

「へっ?」

「妄想系残念クール乙女。これはヒット間違いなしだよ」

「そんなあ……」


 私ってそんな風に見られていたのか。なんだかショック。まあ、妄想系ってのは否定できないけど。


「でもさ、まさか瑠璃ちゃんがあんな格好してるなんて思いもしなかったよ」


 ギャルっぽい姿だった時の瑠璃ちゃんを思い出す。瑠璃ちゃんというフィルターを通しているせいか、なんだかああいうのもいいなと思えてしまう。


「あれね。だって、女の子はオシャレしないとダメじゃない? 私だって好きでああいうお店の制服を着てるわけだし」

「でも、周りから色々と言われたりしない? その……やっぱり目立つだろうし」

「そんなの、学校に行ってるんだから成績良くて問題起こさなければ何も言われないよ。別に万引きとかケンカとかしてるわけじゃないし」

「でもさ、瑠璃ちゃん」


 更に疑問をぶつけようとすると、そこで言葉を先回りされる。


「その『瑠璃ちゃん』ってのやめない? ここはお店じゃないんだし」

「そっか。あ、でも」

「あっ、そういえば本名って教えてなかったっけ。ゴメンゴメン。えっとね──」


 瑠璃ちゃんは携帯電話を取り出し、ポチポチと文字を打ち始めた。指さばきが速い。やっぱりメールに慣れているのかな。デコメとか、なんかそういうのやってそうだし。

 最後に漢字変換をして、私に見せてくれる。


「──平出莉那(ひらいでりな)っていうの。よろしくね」


 これが瑠璃ちゃんの本名か。名前の響きまでかわいく思えてしまう私は重症だろうか。

 それにしても、なんだか色々と名前の響きが似てる気がする。瑠璃、ルナ、莉那。ちょっとややこしい。

 あ、そうだ。私のアドレス帳を書き直さないと。ひら、いで、り、な、っと。


「それで、紗希ちゃんの本名は?」

「うん。私の名前はね、えっと」


 瑠璃ちゃん、もとい莉那ちゃんと同じように私も携帯電話に文字を打ち込んでいく。連絡先は交換したくせに、今まで本名を教え合わなかったのも妙な関係だったな、なんてことを思いながら。

 ようやくお披露目となった私の本名は──。


「──笠原椿(かさはらつばき)だよ」

「椿ちゃん、かあ……和風でかわいい名前だね」

「そ、そうかな……なんだか照れちゃうよ」


 胸の奥がくすぐったい感じだ。名前を褒められると、どうしてこんなにムズムズするのだろう。だけど、悪くない。さっきのカミングアウトでくたびれた心が癒されていく。


「髪だって長くて黒いし、椿ちゃんって着物とか似合いそうじゃない?」

「それは私の胸が真っ平らだって言いたいのかな?」


 こっそり気にしていることにクリーンヒットだった。

 自分で見ても面白みのない体だと思う。肩がこるなんて噂もあるけど、それでもグラマラスなスタイルは見てよし触れてよし妄想してよしの好材料だ。


「そんなこと言ってないってばー。あ、そうだ。お店に着物とかもあったはずだから、今度着てみない?」

「えー、どうしようかなあ……」


 お店で和服といえば、真っ先にあやめさんの姿が浮かぶ。本名と喫茶名の違いはあるけど、互いに花の名を持つ者同士、一方的だけど親近感を持っていたりする。

 同時に自分が名前負けしているという事実も感じていた。あやめさんにこそ、和の雰囲気と名前はあるべきなんじゃないか。だから、私が和服を着てもせいぜい二番煎じがいいとこだ。


 それにしても……やっと自分の本名を名乗ることができた。智香にすら「さっきー」とかわけのわからない呼び方をされてたもんなあ……。

 かさはらつばき。「さ」と「き」が離れすぎだっての。


「椿ちゃん」


 突然、名前を呼ばれた。お店で聞くような甘い声。それに釣られて、答える私の声もだらしなくなってしまう。


「なーに、莉那ちゃん」

「呼んでみただけー」

「えへへー」


 名前で呼び合うのって、やっぱり最高だよね。ほんわかした気分になれる。それは笑顔を生み、場の空気を和ませる。

 莉那ちゃんって、つまりは本当の自分を隠してたんだよね。でも、そういうところもかわいい。秘密を共有したって言えるのかな。

 そうしたら、また関係が一歩進展して特別なものへと近付いたことになるわけで──。


「椿ちゃん……また変なこと考えてるでしょ」

「えー? 別に変なことじゃないよー。幸せについて考えてただけだもん」

「そんな顔には見えなかったけどなー」


 疑うような顔をしつつも、莉那ちゃんはどこか楽しそうだ。ジンジャーエールを飲み、リモコンへと手を伸ばしている。


「さてと。せっかくカラオケに来たんだしさ、思いっきり歌おうよ」

「よっしゃ、ばっちこーい」


 そんなわけで女二人の熱唱タイムが始まった。しかし、そこは普通の乙女とは色々とかけ離れた二人。会いたいとか愛がどうこうとかいう歌が出てこないのである。

 ヘッドバンギングが似合いそうな激しい歌ばかり選ぶ莉那ちゃん。洋楽の英語詞だってガンガン歌い上げていた。高い声はよく通って伸びもいいし、シャウトみたいなこともしていた。それはもう、喉は大丈夫なんだろうかと心配になるくらい。


「莉那ちゃんって、そういう歌が好きなんだね」

「だって、カッコいいんだもん。叫ぶギターにうねるベース、炸裂するドラムに弾けるボーカル! これぞロックの神髄だよ」

「うわー……私の知らない莉那ちゃんがここにも」


 それから莉那ちゃんはミクスチャーとかオルタナとかスクリーモとか、よくわからない単語の素晴らしさを熱弁するようになってしまい、私は反応に困ってしまった。

 対する私はアニソンメインだ。最近の話題曲から一昔前のキャラソンまで幅広いチョイスを見せる。そればかりだとさすがにアレなので、たまにロックバンドがタイアップした曲も混ぜてごまかしてみた。


「椿ちゃんは……うん。大体予想通り、かな」


 莉那ちゃんがネコ被りを暴露した流れに乗って、私も一大決心をして趣味を披露したというのに、反応はなんかイマイチだった。


「ええー。オタク趣味は隠してたつもりなんだけどなあ」

「いや、なんというか……雰囲気がそんな感じだったし」

「観察眼ありすぎだよー」


 こうして互いの内面を何もかも曝け出すことで、また莉那ちゃんとの距離が縮まった気がした。やっぱり、一歩前進って言えるかも。

 莉那ちゃんと会えて良かった。こんなことを繰り返して、いつかお互いにかけがえのない存在になれたら、どんなに素敵だろう。

 とりあえず、今はこの楽しい時間を満喫しよう──。






 カラオケを終えて外に出ると、真っ先に湿った空気を感じた。


「うわ、降ってるし」


 雨の心配はいらないというのはなんだったのか。天気予報はアテにならない。そんなジンクスを何度学習しても忘れてしまう私だった。


「椿ちゃん、傘持って来てる?」

「ない……」

「そっか、じゃあ……」


 莉那ちゃんは鞄の中を探っている。折り畳み傘を探しているのだろう。準備が良くて、ちょっと憧れる。

 そうして取り出した折り畳み傘を、莉那ちゃんは私に差し出してきた。


「一緒に入ろっか」

「ええっ?」


 そ、それってつまり、相合傘ということでよろしいのでしょうか。いいのかな。あまりにも不意打ちだったから、なんかドキドキしてきた。


「はい、椿ちゃん」

「……ん、ありがと」


 傘を広げてくれたので、その下に入る。距離が近い……。


 駅まではそんなに離れていないので、肩を寄せ合えたのは数分だった。

 それでも、一緒に傘を持って互いを雨から守った思い出は、私の心に深く刻まれることになる。

 傘を持つ莉那ちゃんの手に、そっと触れてみた。莉那ちゃんはいつものように、余裕たっぷりの表情で微笑むだけ。


 だから、私はそのまま手を重ね続けた。不格好な繋ぎ方だけど、それでも私はそうしていたかった。

 この時だけは、妄想をせずに現実の自分自身でいることができたから。

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