ゆうがたとシーツ
大切にしたいような、壊してしまいたいような、そんな不安定な感情のままがこわくて、居心地がよかった。毎日とにかくさみしい。都合がいいだけ。
「小鳥さんは彼氏、いるんですか」
真夏の湿った夜だ。小鳥さんは俺の解いた問題に丸をつけている。きれいな顔のそのひとは、大学生の家庭教師だ。
真面目な表情でひとつため息をこぼすと、彼女はどうしたのと聞く。質問に質問を返すなんて大人みたいなひとだ(実際大人だけれど)。
「なんとなく。」
「……彼女ならいるよ。」
ふぅん。
小鳥さんはふたたび丸つけを再開する。俺は黙ってそれを見ていた。
「……」
「……理見くんは、彼氏、いるでしょう」
「え、」
「わかるわ」
小鳥さんはペンを止め、プリントをこっちに滑らしてきた。なんの表情もみえない目を向けられて、俺はすっかり動揺してしまった。なんだ、なんで。
「でも、理見くんの彼氏、大変そうだよね」
「……なんで、」
「君、つめたいじゃん」
にやりと笑う顔もきれいだ。
・
「さとみ、」
大きな掌が腰にまわる。
そのまま自然な流れでシャツのなかに侵入してきた手をつねって止め、うるさいと言った。和衛は不服そうに俺の首筋をあまがみする。俺はおとなしくDVDが見たいのだ。
「理見、すきだよ。」
「……いいよ、そういうの」
和衛は、よくこういうことを言う。
和衛はとてもきれいな顔をしている。はっきり二重で、髪もさらさらで、すこし染めていて、ピアスなんかもあけている。身長も高いし、肌はきれいだし、ちゃんと筋肉もある。俺はすべてにおいてとても平凡だし、こいつが俺にそういうことを言うたび、俺をすきなふりをするたび、どうしようもなくイラつくのだ。
「どうせ信じないだろ、」
性格の悪そうな顔をして、和衛は笑った。こういう顔は、俺の前でしかしない。普段は愛想よく、博愛主義者のような顔をしてひとにやさしくしているのに。
俺は無言で和衛の膝に乗り、やわらかなにおいのする彼のくちびるに口づけた。途端に身体を抱き締められ(これはほんとうに「締められて」いる)、舌をさしこまれる。てのひらがゆっくりと身体中を撫でていく。
「……っは、」
「ひどいよ、理見。」
「し、ってる!」
最低だ。
・
とにかくただたんに、怖いのだ。ひとに好かれること。ひとをすきになること。相手を不快にさせないこと。線引きされたところを踏み越えないこと。求められる言葉を選ぶこと。うらぎらないこと。それでいて嫌われる前に嫌うような、傷つけられる前に傷つけるような、そんなやり方しか自分を守れない。だからいつまでもひとりだった。どんなにさみしくてもひとを傷つけてそのことに傷つくよりマシだった。いちばん楽だった。ひとりで生きていけるように練習ばかりしていた。毎日。
「よわいねぇ、さとみ、すきだよ」
「かずえ、」
ぴり。と、首筋を噛まれた。
卒業とともにリセットされる人間関係。まっさらな状態の俺を見つけたのが、和衛だ。入学してからはや1ヶ月経った頃、俺は和衛に見つかった。信じられないはやさで信じられない姑息さで俺に染み込んだ和衛は、浮世離れした性格で、なにを考えているのかまったくわからない。一度もやさしくした覚えはないのに、俺を好きだと言う。殴っても拒んでも、好きだと言う。
「理見」
「やめて、やだ、……」
あふれるなみだをぬぐうように唇が触れる。何度も何度も。
だめだとは思いつつも、蒸し暑い真夜中の空気に抱かれ、俺はいつものように、和衛の素肌をだきしめた。和衛は俺のつむじにくちを押し付けて、ちゃんと俺をつつみこんだ。
(121124)(130305加筆修正)