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第一章~第三章まで収録

【目次】


第一章:束縛された三人の娘達


第二章:回りだす運命の歯車


第三章:叶わぬ想い

―序章―


季節は桜が咲き誇る春。

人里から離れた山奥に人知れずに大きな村があった。

ここには長きにわたり人との交わりを避けて生きてきた【親】一族が住んでいた。

【親】というのは人であって人でない者達のことで、人とは思えない脅威の力を持って生まれた人間のことである。ゆえに、親の血を持って生まれた者は、人との接触を避けるため生涯ここで暮らしていくことになる。

親一族の中でもここ【斎藤】の親はもっとも大きな【親】の家である。

斎藤家の当主の家には三人の娘がいたという、一番上が【薫子】二番目が【桜子】三番目が【菫子】である。それぞれ親の家を取り纏める重要な役目を負っていた。しかし、あることをきっかけとして子孫の未来さえも巻き込むこととなる重大な事件が起こるとはこの時、誰も知らなかったのである…ー。


ー第一章ー


寒い厳しい冬を超え、雪解けを待っていたかのように一人の女が、人里を目指して走っていた。

その後ろを追うようにもう一人、別の女性が走ってくる。

「お嬢様ー!待って下さい!!」

やっとのことでお嬢様と呼ばれる女の前と走り出る。

「そこをおどき!」

「待って下さいよ…。私へとへとなんです…。」

「だから、共はいらないと言ったのに…!」

「そういう訳にはいきませんよ!族長に見つかったら、私が怒られるんですから!」

「……。」

女はそれ以上何も言わずに不満そうに立たずむ。

「…それにしても、また家から飛び出して、こんな所までくるなんて…いったいどうされたんですか?」

お嬢様と呼ばれている者に女は尋ねた。

お嬢様と呼ばれる者は【斎藤家】の当主の長女で【薫子】と言う者である。そして、薫子の傍にいるのが侍女の“お菊”である。

薫子はいつも家の中にいてお裁縫など、女性としての嗜み事をしていて、ほとんど外に出ることはないのだが、菊の目を盗んでたまにこうして人里へ下りようとするのだ。そして今日も同じようにこうして人里との境目とも言える橋まで、下りて来ていたのだ。

「…“人”を見てみたいの。」

「“人”ですか…?な、何訳の分からない事を…!そんなものを見てどうするんですか?」

「ただ見て見たいの!私達【親】は人との接触を避けるために、こうして人里離れて山奥で暮らしている。だからせめて”人”の姿だけでも見てみたいの!」

「お嬢様…“人”と言っても、ただの“人間”ですよ?ただの人間を見るために、危険を冒す気ですか?!」

【親】は人間より遥かに巨大な力を持っている。そのため、幕府や役人共が目をつけ仲間にしようとするのだ。しかし、親はその力によって引き起こされる事を良く思わず、申し出を断りると、人間達は卑怯にも強大な戦力を持って親達の住む都を次々と潰し、次第に親達は人里から離れて散り散りになって暮らすようになってしまったのだ。

今となっては純血の大きな親の家はそう多くはないが、生き残ったこの【斎藤家】はその中の一つの【親】の家だ。

しかし、隠れ暮らす理由を知る者はそう多くはいない。

薫子もその一人だった。

「そうじゃないわ。人というものがどういう者なのか知りたいだけ。何故私達【親】が隠れ住み、人間は都に住むのか、同じ人なら一緒にいたっていいじゃない!」

「ダメです!絶対にダメです!何故私達が隠れ住むのかは存じませんが…それだけは絶対にダメです!」

「少し見て来るだけよ!」

「ダメですってば!!」

「親と知られなければ大丈夫よ…!お願い、少しだけ…!!」

「あ、お嬢様!…もう~!」

人里を分けた橋を渡っていく薫子。すると、川上の方から何かが流れて来るのを見つける。

「お嬢様!もどりますよ!…お嬢様!!」

「…ねぇ、あれ人じゃない?」

「えっ!?」

薫子は急いで川辺へと走っていく。

「!!」

流れてくるのが人だということを確認すると薫子は急いで川の中へと入っていく。

「お嬢様!」

「何をしているの?!手伝って!!」

「行けませんお嬢様!!」

お菊も川の中へと入り、人を引き上げようとする薫子の手を止めようとする。

「どうして?助けないと…!」

「引き上げてどうするんですか?!私達は人間には関われないんですよ!!」

「怪我をしている人を見捨てるなんてできないわ!」

「お嬢様…!」

「とにかく、引き上げて!死んじゃう…!!」

必死になって人間を引き上げようとする薫子。親は人との関わりは断じて禁じている。だが、必死に助けようとする薫子を止めるにしても、川の中では危険だ。仕方なくお菊も一緒になって人間を引き上げに協力をする。

「うんっしょ!うんっしょ!!」

やっとのおもいで人間を岸辺に引き上げ、地に横たえた。

「……!!」

まるで、何がに取り付かれたように男の顔を見つめる薫子。

「…お嬢様?…お嬢様!」

お菊の声で我に帰る。

「…あ、」

「大丈夫ですか?」

「ああ…大丈夫よ。脈はどうだ?」

「…弱っては今すけど、多分大丈夫かと…。」

「そう…とにかく、傷の手当てをしないと…。」

薫子は懐から細く切ってある薄布を男の傷口に巻いていく。

「…それにしても……。」

「?」

「とっても美男なこと。人間じゃなかったらお嬢様のお婿さんにいいんじゃありません?」

「…こ、こら!」

「フフフ 、冗談ですよ。ですが、この人格好少し変わってますね…?これは何んでしょうか?」

お菊は男が身につけている甲冑を触る。硬くて丈夫そうだが、あちこちに傷があって、厭にも血があちこちについていて染み込んでいるようだ。

「めったに触らないの!」

「少しぐらいいいじゃないですか…、どうせ私達侍女は結婚なんてできないんですから。」

「………。」

確かに…、【親】の一族でも名高い斎藤家。その村の掟も厳しかった。

一生を独り身で自分に使え、死んでいく…。お菊の事を思うとそれ以上は言えなかった。

目線をそらした薫子の目にあるものが飛び込んでくる。

薫子は不思議そうに男が腰に布で巻いて留めていた物を抜き取る。

「これ…何かしら…?んっ!」

左右に引っ張るとスラリと鞘から釖先が抜け落ち、驚いた薫子が刀先で腕を斬ってしまう。

「あっ…!」

痛みで腕を押さえる薫子。血が滴り落ちる。

「大丈夫ですか、お嬢様?」

「うん…。」

心配するお菊だがそう大事ないような感じだ。それもそのはず、親の血をもつ者はどんな傷でも瞬時に治ってしまう脅威の力を持っているのだ。だが、親の中で育った者にとってはそれが当然で当たり前なのだ。傷が塞がり、何事もなかったかのようにまた刀を手にして見据える薫子。

「これ、切れるのね…こんなに長い物で何を切るのかしら…?」

「あっ…!こっちのは短いですよ?」

お菊は刀が刺してあった場所から小太刀を取り出し、薫子に差し出す。

それを鞘から抜き取る薫子。

「……綺麗…。」

「本当ですね…。それもらっていきません?」

「え?」

「だって助けたのだし、お礼ぐらいもらっても良いんじゃありませんか?」

「でも、そんなことしちゃ…、!?」

「………うっ…!」

悲痛で声が上がる、男が気がついたようだ。慌てて薫子は刀を元の場所に差し込む。ここで人間に姿を見られては面倒だ。

「お嬢様…!」

「……ええ…。」

《ポカッ!》

持っていた小太刀の柄で男の後頭部を軽く殴り、そのまま引きずって人里の方へと運び、急いで薫子達村へと戻って行った。


「うっ…う~ん…。」

しばらくすると男は目を覚ました。そこへ自分を捜している部下達の声が聞こえてくる。

「将軍ー!」「将軍ー!!」「おい!いたぞ!将軍がおられたぞー!!」

一人の部下が将軍と呼ばれる男の姿を見つける。

「将軍!」

「…お前達…捜しにきて…くれたのか…?」

「はい!将軍がおられなくなってから随分と捜しました。まさか…このような所まで流されていたとは…ご無事で何よりです!これでお父上もさぞ、お喜びになられることでしょう!!」

その部下の反応に少々違和感を感じる。

「……?…父上がどうかされたのか?」

「……あ…。」

それ以上部下の口はなかなか開かなかった。

村に戻った薫子は一人外を見上げていた。あの川から引き上げた男の姿が数日たった今でも忘れないのだ。

「お姉様 何を考えてるの?」

「いや、何も…。」

「でもさっきから嬉しそうな顔をされているわよ?何かあったの?」

自分の後ろで繕い物をしていた妹、桜子がこちらを伺っていた。薫子は慌てて顔を整える。

「なんでもないわよ!さあ、冷えて来たし中に入りましょう。」

「そうね。」

桜子は針箱を片付けて中へと入っていった。


城に戻った男は身なりを整えると、急いで御所へと向かった。

口を閉ざした部下の口から出たのは、父の危篤との知らせであった。

話しによると、戦で優勢だった会津藩は薩摩藩の突然の奇襲を受け、先頭にいた砂州華は傷を負い川へと落ちた。その後、向かってきた薩摩藩に押され、会津藩は敗退を期したのだと言う…。

怒りと悔しさでいっぱいだったが、今は何よりも父の事が気がかりだ。

「父上はおられるか?!」

砂州華は侍官に問い尋ねた。

「はい…、こちらです。」

部屋へと通され布団に横たわる父の側に腰を下ろす。

その気配に気づいたのかそれまで眠っていた父が目を開けた。

「父上…。」

「砂州華…か…?」

「はい父上…今戻りました…。」

「よく…ぞ…戻った…。」

「話しは成行から聞きました…。私の不甲斐なさで、こんなことになるとは……。」

「…お前は…悪くない……。全ては…会津を守りきれなかった……私の責任だ…。」

「父上…!」

「砂州華よ…。私はもう持たぬ…幕府を…っ…天子様を…っ…会津を……頼む……っっ…………。」

父の手は力を失ったかのように、ダラリと握っていた砂州華の手から抜け落ちた。

「…父上?………父上!父上!!」

必死に呼びかけるが返事が返ってくることはない。

「父上ーーー!!!」

砂州華の叫び声が会津中に響き渡り、会津の地は悲しみに閉ざされた…。


村では薫子が月を見ていた。見上げる夜空は澄み切っていて、とても綺麗だ。

「………。」

「お嬢様。」

お菊が薫子の傍へとやって来る。

「何をお考えで?」

「いや…何も…。」

月夜を見て答える。

「…綺麗ですね。」

「………。」

「お嬢様?」

「…何?」

薫子の反応が今ひとつ鈍い。

「もしかして…今朝の…あの方のことを?」

「な、何を言っているの!?そんな訳ないでしょ!!」

「図星ですね。」

「うっ…!」

一発で薫子の思いを見切ったお菊。分かった以上は言い訳をしないほうが良い…。

「そんな気はないフリをしておいても、私にはお見通しですよ。」

「………。」

「…もしかして、私のことを気にしておられるのですか?」

「…………。」

「…私のことはお気になされることはありません。それが私の定めなのなら、それに従います。」

「…お菊」

「ですが、お嬢様…。私達が【親】だと言うことを忘れないで下さい。もし…、例えあの方と結ばれたとしても……幸せになることは決してありません。それよりも、お嬢様が抱いている願いも、果たせなくなります。」

「………。」

自分の流れる血はこの世界ではあってはいけないもの。その理由を知らずとも、ある願いを叶えたいと思っていた。だから、今は自重しているべきなのだ。

「…そうね。あなたの言う通りだわ。ここで悩んでいても仕方がないわ。さあ、中へ入りましょう。菫子が待ってるわ。」

「はい。」

薫子は中へと入って行った。


中では末の妹、菫子が姉が来るのを待っていた。

「お姉様。」

「…よく来たわね。」

「お姉様が教えて下さる勉強はとてもおもしいんだまもの!」

「そう…なら、しっかりと学ばないといけないわね。言っておいた書物は持ってきた?」

「ええ。」

菫子は持っていた本を机の上においた。代々から主力各【女親】となるものだけに伝えられる秘伝の書物だ。

本来なら母である者から教えを受けるのだが、薫子達の母は幼い時に亡くなってしまっている。なので長女である薫子が妹達に教えているのだ。

「さあ、始めましょう。」

机に座り薫子は教え始めた。


会津藩主が亡くなってからしばらくの事。会津はまだ苦境の中にいた。藩主である父を悲しむ間もなく、砂州華は会津藩主として就任し、薩摩藩との戦の最中にいた。今は休戦中ではあるがまたいつ、薩摩が攻撃を仕掛てくるから分からない。会津は緊張のただ中にあった…。

「藩境の様子はどうだった?」

「特に以上はありませんでした。」

藩境から戻ってきた成行から報告を受ける。

「しかし、先の戦で怪我人が多数出ているので…実戦になって使える兵はそう多くないと思います。」

この前の薩摩との戦いで会津は大きな痛手を負っていた。ほとんどの兵が死に、生き残った兵も大怪我兵を負っていた。そのため兵の士気も下がってしまい、今は薩摩との藩境を守るのがやっとの状態。

「これでは、また戦になったらまた多くの犠牲者を出してしまうな…。まずは怪我人の手当てだ。あと、使えそうな予備兵を集めろ。」

「はい、わかりました。」

あれから捕まえた離脱者は隔離をして逃げられないようにしてある。

「もう一度機会を与えて、成行は軽く会釈をすると、そのまま出ていった。

しかし、怪我人を治療したとて大したことにはならない。しかも先の戦で治療をする薬すら不足している状態なのだ。例え治った者がいたとしても、使えるようになるまでに最低でも一、二年は掛かってしまう。それに、予備兵達も使える者は数知れている。この状況化で薩摩から奇襲を受けたりすれば間違いなく、会津は滅んでしまう。

なんとかして、兵の士気だけでも上げなくては、強敵の薩摩には勝てない。

砂州華が悩んでいると、誰かが扉を叩く音が聞こえる。

「砂州華様。」

「入れ…。」

扉が開くとそこにいたのは藩の巫女だった。

「巫女様…?なんのようですか?」

「今日は口を聞いて下さるのですね、藩主。」

「…………。」

砂州華は昔から迷信を嫌っており巫女の言うことには今まで一切耳を貸さなかったのだ。まさに無縁を状態になっていた巫女がここ二、三日足蹴に通ってくるようになったのだ。これには、さすがの砂州華も口ぐらいは聞かざるを得なかったのだ。

「聞きたくないと言えば、下がってくれるのですか?」

「いえ…伝えることを伝えるまでは下がる気にはなれません。」

「なら、さっさと話して出て行って下さい。あいにく、俺は忙しいのです。巫女様に付き合っている暇はありません。」

「砂州華様。私を嫌いになられるのは構いませんが、巫女をあしらうのは良くないことですよ。」

「そんなことはいい。で、話とはなんだ?」

「これを…。」

巫女はコトリとあるものを机の上に置いた。

「これは…!薩摩への手形ではないか!」

「はい…私が密かに手に入れた薩摩への手形です。」

「なぜ、このような物をそなたが持っている…?」

「わかりませんか?この藩を助けるためです。藩が滅びたら私達、巫女とて生きてはいけません。それに、会津藩を守ることが私に課せられた使命なのです。」

「………。」

使命…。その言葉がどれ程重いものなのか、砂州華もよく知っていた。

「これも天の生越召し…。どうか、お納め下さい。これを藩主がどうお使いになられるのか私の知らぬところ…、私はこれにて失礼致します。」

巫女は消えるようにして砂州華の部屋を後にした。

砂州華の手には薩摩への手形が握られていた。


一方で【親】の里では薫子に教えを受けていた菫子は日をまして一族を支える者としての術を身につけていった。今では立派な娘に成長し、族長も立派に育った娘達を見て満足そうにしている。

だが、その中に桜子の姿はなかった。ここ半月程前に抱えていた病が悪化し、屋敷から離れた場所に身を移していた。しかし、その娘を労る者は薫子の他に誰もいなかった…。

桜子の病は日をまして悪くなる一方、最近では床に伏していることが多くなっていた。その日も、菫子の授業が終わり、帰りがてらに桜子の見舞いに行こうとしたが、呼び出しを受け父の元へと行くことになった。

「お父様。」

「薫子か、菫子の授業は終わったのか?」

「ええ…。」

「賢いお前がいてくれて本当に良かった。菫子もお前の良い担い手になろう。これで一族も安泰という訳だ。」

「………。」

一族の誇りのように喜ぶ父。しかし、薫子は素直には喜べなかった。

「それで、お父様話しというのは?」

「ああ、そうだった。実はなお前達も大人になったことだし、近々里を下りようと思っている。」

「え…?」

意外な発言に目を丸くする薫子。

そんなことは他所に、話しを続ける。

「親の掟では人間と接触することはもちろん。見ることさえ、禁じられてはいるが…本家の娘息子が年頃になった頃に、【親】一族の最後の教えを行うために、里から下りることを許可しているのだ。これは決して他言してはならぬ重要なことだ。近いうちに発つから、菫子にも言っておきなさい。」

「分かった。…でもお父様。」

「?」

「桜子は…?置いて行くの?そんな重要なことなら、桜子が治ってからでもいいんじゃないの?」

「……あの娘は足手まといになるだけだ。お前が気にすることではない。お前は一族の繁栄の事だけを考えていれば良いのだ。」

「………。」

部屋から出た薫子の表情はうかなかった…。

同じ姉妹として生まれ一族のために、身を隠し続ける生活を与儀なくされた桜子…。たった一人の妹さえ守ることが出来ない薫子。こんなことで本当に【親】一族を守っていけるのだろうか…。不安と非力さに薫子の心は憂いた。

見上げる夜空の月は何も言わずに、冷たい風を浴びるだけであった…。

そこへ、足音が近づいてくる。

「……?」

「!…、薫子お嬢様!大変です!!」

こちらに気づいた侍女が、走り寄ってきた。

「…あなたは桜子の侍女じゃない…?何かあったの?」

「はい!桜子お嬢様が…!お嬢様が!!」

「落ち着きなさい。桜子が何です…!?」「お嬢様が…!先程、倒れられて…!!」

「なんですって!?」

侍女から話しを聞き薫子は急いで離れにある桜子がいる小屋へと向かった。

中へ入ると寝台でグッタリとしている桜子と、先に診察をしに来ていた医者がいた。

「桜子…!」

呼びかけるが反応がない。

「容体は?桜子の容体はどうなのです?!」

「……お嬢様…。」

「答えて!桜子は無事なの!?」

「……体力、気力ともに弱っておられ大変危険な状態です。お薬をお持ちしますが…、あまり効果は望めません。」

「…と、言うと?」

「もう、これ以上は手の施しようがありません。」

「そ、そんな…!何か他に手はないのですか!?桜子を…妹を救う手はないのですか!?」


「…………。」

「答えて!!救う手は…ないの…?」

押し黙る医者を捕まえ必死になって訴える薫子。

医者は観念したように口を開く。

「あるにはあります…。」

「!!」

「しかし、容易なことではありません。例え、お嬢様でも死を免れないことになるやましれません。それでも…いいのですか?」

「構いません!桜子が助かるのなら、何でもします。お願いします教えて下さい。」

「なら、お話しましょう…。」

薫子の決意を聞いて医者はその方法を明かした…。


会津では薩摩から藩を守るために色んな策を講じていた。しかし、状況は依然として薩摩の優位にある。自体は悪化の一歩をたどっている。会津に残った兵はろくな報酬も貰えず、飢えていくばかりだ。離脱者さえも出ている。これでは、薩摩の奇襲を受ける前に藩が滅んでしまう、そんな兆しさえ見えていた。

「くそっ!いったいどうしたらいいんだ?怪我人の治療をするにも薬がなく、民は飢えていくばかりだ…!」

「…………。」

兵士の士気も上がらずに苦闘していく。

このままでは会津は時期に滅んでしまうかもしれない。

「…民の様子も見て来ましたが、悲惨なものでした。ここで奴らが来たら、間違いなく取り返しの着かないことになります。」

「くそっ!」

砂州華はこの会津藩を守らねばならない身。父が託した志を遂げるためにもこのまま倒れるわけなにはいかない。

(何か!何か手はないのか…?民を救う手立ては……!!)

何かを思い出したように棚の中の引き出しを開け、あるものを探しはじめる。

「砂州華様?」

「……あった、これだ!」

砂州華が取り出したのは、あの時巫女が置いて行った薩摩への手形だった。

「これは…薩摩の手形!?」

驚いたように目をクルクルさせる成行。砂州華はあることを考えついていた。

これなら薩摩に勝てるかもしれない…。

「ああ…、今から反撃の計画を話すから良く聞いておけ。」

「反撃…?!そんな方法があるのですか?!」

「ああ!あるとも!だから聞いておけ。」

砂州華は薩摩への侵入計画を話す。これには成行も納得する。

「成る程…わかりました。」

「まずは兵の士気を上げる。それから護衛隊長を呼べ。」

「はい!」

それまで固く閉じられていた最後の倉庫が開けられ、民に米や金が配られる。

これによって兵士の士気が上がった。そこへ、砂州華が現れる。

すると、集合した兵士達の態度が一変し砂州華の登場を讃える。

「将軍ー!」「我らの将軍がいらしたぞー!!」

大歓声が沸き起こり、それを砂州華が制すると兵達も砂州華に向き直る。

「今までろくに報酬をやらずして悪かった。許してくれ。

だが、会津の苦境はまだ終わっていない!これから訓練に励み、我々の敵薩摩を倒すのだ!!」

《ワアーーー!!!》

こうして、会津藩は持ち直したのだが、これで終わったわけではない。呼んでおいた護衛隊長にこれからについて話しをし、砂州華達は会津を隊長に任せ薩摩へと発ったのであった。

薩摩へは京に出稼ぎに行って帰ってきた流民を装い、薩摩との藩境を超える。藩境には当然厳しい検問が待ち構えている…間者とばれればただでは済まされない。

慎重にすすんでいく。

「次、」

成行は砂州華から受けっていた手形を検問の兵に見せる。

「どこからきた…?」

「……京から戻って参りました…。」

いかにも遠いところからやってきた民のフリをする。

「お前もか?」

「はい…。」

兵に問い尋ねられ答える砂州華。検問は二人を見比べる。二人に緊張が走る…!

「………。」

「………よし、行け。」

ホッと胸を撫で下ろし無事、検問を無事通過し、薩摩の地に足を踏み入れる。

「ここが薩摩か…!」

目の前に広がる町並みを目にする。会津とはちがい華やかで活気づいている。

「まずは今夜泊まる宿探しだ。」

「はい!」

砂州華達は薩摩の街の中に溶け込んで行った。


医者の話しを聞いた薫子は医者からもらった薬を桜子に飲ませ、妹の看病を行っていた。

桜子は今だ目を覚ましていない。医者の見立てではこのまま、看取ることになるかもしれないという危険な状態…。

薫子は優しく妹の額の汗を拭った。

外に出ると夜風が吹く。近くにある池が風でユラユラと揺れていた。

「…………。」

月夜を見上げる薫子の脳裏では、医者から聞いた言葉が甦っていた。

「人間界へ…?」

「はい、もうそれしか方法はありません。幸い向こうはこちらとは違い医療だけでなく、色々なものが発展していると聞きます。もしかしたら、お嬢様の病を治す手がかりがあるやもしれません。」

「もう、それしか方法がないのですか?」

「残念ながら、私が出来るのはここまでです。あとは、お嬢様がお決めになることです。」

……、【親】の掟を犯して人間界へ行くか、このまま妹の死をただ待つだけか、…もちろん、掟を犯したら本家の娘でもただではすまないだろう。最悪、一族皆を巻き込むことになるかもしれないのだ…。薫子はただ月夜を写す水面を見ていた…。


「族長。」

「戻ったか。」

族長の部屋の障子戸に人影が映る。

「…誰にも見つかってはいまいな?」

「はい、隠密に戻りましたので誰も気づいていません。」

「例の件についての返事はもらったか?」

「はい、ここに…」

男は懐から文を取り出すと障子ごしにそれを、手渡した。

族長はそれに目を通すと、返事を書きそれをまた手渡した。

「必ず藩主に渡すのだぞ?」

「はい!」

文をしまうと男は煙のように姿を消した。

「…これも、一族のためか…。」

部屋のろうそくの明かりがユラユラと揺れて、消えて行った。


一方、薩摩に間者として潜入した砂州華は探りを入れるために、薩摩の街を歩いていた。

「…何かわかったか?」

「いえ、特に変わったことはありませんが、戦に勝ったことから街はドンチャン騒ぎになっているようです。近々、薩摩藩主は婚礼を上げるとか?」

「婚礼だと…?」

「はい、どこの人かは知りませんが、そう聞きました。」

薩摩藩主は砂州華と同じ世代の人間で、若くして藩主の座についてその能力を発揮しており、宿敵とも言える会津に戦で勝ち続けていることで、街も栄え、これを機会に自分の周りを固める気でいるようだ。今や薩摩に手をかさない藩はいないだろう…。

「他には情報はないのか?」

「薩摩はいつでも会津を潰すことが出来るから、しばらくは手を引いておく…と、」

「…………。」

散々会津を挑発して来た薩摩。多くの会津藩の民を犠牲にしてきた、彼らのことを思えば今すぐにでも藩主を撃ちに行きたい。その気持ちを堪え、砂州華は街の中を歩いた。薩摩を撃つためにはもっと多くの事が必要だ。今は絶えるしかない…。

ふと、街中を見ていると異様に騒がしい。「…今日は薩摩は縁日か?」

「いえ、そうではなく…藩主の婚礼祝い行事で武芸対決が行われるそうです。」

「武芸対決…?」

「はい、民同士を競わせ勝った者は藩官に選ばれるとか…だから街は今大騒ぎです。」

「武芸対決…か…。」

「砂州華様?」

何か思いあたることがあるのか、砂州華は考え込んでいた。

(武芸対決…民達だけのもの……。)

「……そうか!その手があったか!!」

「はい…?」

「良い手を思い付いたぞ。」

「?」

ニッコリ笑う砂州華の頭にはあることが思い浮かんでいた。


今宵の春の夜…。

ついにその時が来た。

いよいよ薫子達が今夜人間界へ行く時がやって来たのだ。

村は朝から人々が屋敷に押し寄せ大騒ぎとなっていた。

そして、薫子にとっては人間界へ入るまたとない機会…。

薫子は悩み抜いた末、治療法を探す道を選んだのだ。見つかればただではすまされない。だが、苦しむ妹をこのままにはしておけなかったのだ。なんとかして、桜子を救う。

薫子は着々と出発の準備を整えた。

「お姉様。」

「菫子…。」

ここ数ヶ月で菫子は大きく成長し、その姿は薫子に引けをとらないほどであった。

自分がいない間、この子が村を守ってくれる…。安心感と不安が入り混じった感情が流れ込んでくる。それをかえすように菫子が口を開いた。

「出発の準備が整ったわ。」

「…すぐに行く。」

薫子は容姿を整え門前で待っている父達の元へといく。

「お父様…。」

「薫子、綺麗だぞ。さあ、輿に乗りなさい。」

父に言われるまま輿の中へと入っていく。

「さあ、出発だ!決して人にここが知られてはならぬぞ!」

『はい!』

共の者達を連れ、山を下りていく。

輿から桜子がいる山小屋が見える。その側の木の陰からお菊の姿が見えた。まるで、別れを惜しみ、それさえも感じださずに稟として、薫子の帰りを待つ姿をみせ佇んでいた。決して目を追わないがその感情が薫子に安心感を伝えてくれる。桜子は大丈夫だと…。そして、薫子達を乗せた輿は闇の中へと消えて行った。

時は満月になっていた…。


薫子達がたどり着いた先は薩摩のとある料亭であった。

「さあー飲みなさい!」

父である族長の言葉で宴が始まる。この宴に来た者は全員参加をさせられ、思う存分楽しんで飲むことを許される。

あっという間に、宴会騒ぎになってしまう…。

「ほら、薫子も飲め!無くなるぞ?」

すっかり出来上がった父が薫子に酒を勧める。

「いえ、私はご遠慮しておきます…。」

「なんだ?菫子は飲んでるぞ?お前も飲みなさい。」

「…なら少しだけ……。」

ややためらいながら、杯を受け取る。この後の事に支障が出ないように、適度に参加をする…。

「こうして成長した娘達と酒が酌み交わせるとは、誠にうれしいことだ!」

「そうですね、薫子お嬢様も菫子お嬢様もこうして立派にご成長をされて、一族も安泰ですな!」

「後は良い相手との縁組のみ!」

「族長、私の息子などいっちょどうですかな?族長ほどではありませんが、お嬢様をお守りする力ぐらいはありますぞ?アハハハ!!」

「それは頼もしいな!アハハハ!!」

上機嫌の父親達、菫子もすっかり和の中に溶け込んでいる。今なら行ける!

薫子は手にしていた杯を飲み干した。

「…!」

(おや、お嬢様どうなさいましたか?)

「うう…少し気分が……。」

顔色を真っ青にして今にも倒れそうになっている薫子。

「お姉様、大丈夫?!」

慌てて菫子が傍へと寄ってくる。

「ええ…、少し疲れたみたい…。」

「少し横になった方がいいわ。行きましょう?」

「………。」

フラフラしながら立ち上がる薫子。皆も心配しているなか、薫子は菫子に支えられて出て行った。


部屋を移ると布団に横になる薫子。

「ごめんね…菫子…。」

「いいのよ、後のことは私に任せて、お父様達のことは私がするわ。だから」

「……ありがとう。」

菫子は部屋を出て行った。

だが、これは薫子の作戦のうちであった。

ここから脱出するには人の目を避けなければならない。だとしたら、皆の注意が反れるこの時しかない。

薫子は辺りに人がいないことを確認すると、一人料亭から出て行った。

すると、何処からか威勢のいい音が聞こえてくる。町行く人々も忙しそうにその音の方へと向かって行く。

(何かあるのかしら…?)

薫子は音がする方へと足を向けた。


「えっ!!武芸対決に出る!?」

砂州華の思いも寄らぬ言葉に驚く成行。

「そうだ。これは奴らの懐を探るよい機会だ。」

「ですが…、砂州華様。仮にも俺達は武士で藩邸の者ですよ?それに会津の者とバレレば大変なことになります!」

「確かにお前の言う通りではあるが、我々はもうその大変な橋を渡っているのだ。ここで機会を逃す訳にはいかない。日程はいつだ?」

「…三日後になります。」

「なら、登録をしてこい。」

「はい、わかりました…。では、手続きに行って来ます。」

「ああ。」

成行は急いで手続き場へと向かった。これで、少しは奴らの事が分かりそうだ。砂州華は身を翻して街中をあるいた。

「…ん?あれは……。」

行き交う群集の中を見据えると、どこか見覚えのある女性がいた。姿格好は違うがその顔に見覚えがあった。

砂州華はすぐにその後を追う。だがすぐに見失ってしまう。

「…どこに行った?」

辺りを見渡しても女性の姿はなかった…。

賑やかな音に誘われて祭へとやって来た薫子はすっかり迷子になっていた。

「……どうしよう!」

辺りをウロウロと歩いていると、誰かの肩にぶつかってしまう。

「あ、すみません!」

慌てて謝る薫子。だが…、

「なんだ?人にぶつかってといて、会釈の一つですまそうってんのか?」

男から酒の臭いがする。この男は酔っている!

「すみません!…先を急ぐので失礼します!」

慌てて身を翻し、早足で人混みの中へと紛れ込む。

だが、しばらくして追って来ていた、男の気配がふいに消えたのに気づく。

薫子は早めていた足を止め、立ち止まる。

「はあ~…、あれ?ここはどこ…?」

逃げるのに必死になっていて祭会場とは別の場所の、人気のすくない所へ来ていた。

「………。」

「…もう、鬼ごっこは終わりか?」

「!?」

振り返るとさっきの男が立っていた。

「なら今度は俺様の番だな?」

「きゃあっ!」

男は薫子の腕を掴んで木の幹に押し倒す。

「きゃあってこたあねぇだろ?自分から誘っておいて?」

「離して!!」

必死に逃れようとする薫子だが、力いっぱい腕を掴まれて身動きが取れない…!

(誰か…!誰か助けて…!!)

「その汚い手を離せ。」

「なんだ貴様は…?」

声の方を振り向くと、若い男が冷たい目でこちらを睨んでいる。

「聞こえなかったのか?俺はその手を離せと言ってるんだ。」

「この女の連れか…!」

「なんとでも好きに言え、悪いがお前にはここで死んでもらおう。」

スッと刀を抜く男。

それに怖じけづいたのか、男は薫子の手を離した。

「く、くそっ…!」

男はそう言い捨てると逃げて行った。

「…大丈夫ですか?」

「………。」

「あの…?」

男の声で薫子やっと我に帰るとすぐに立ち上がった。

「す、すみません!」

「…それより、こんな所で若い娘が一人で何をしていたのですか?」

「え…?」

「こんな場所…奴らには格好の遊び場ですよ?」

「ち、違います!私はそんなんじゃありません!!」

慌てて否定をする薫子。こんな所でそんなふしだらことをするわけがない!!しかも、あんな男と…!!

「俺はそんなことはどうでもいいのですが…?」

「…!!」

「それより、前にどこかでお会いにらりませんでしたか?」

「し、知りません…!!」

薫子は身を翻して去ろうとする。

「何処へ行く気ですか?話しは終わってませんよ?」

「あなたには関係のないことです!」

キッパリと言いのける薫子。しかし…、その手を取られて強引に振り向かせられる。

「関係はあります!貴女はあの時、私が助けて頂いた女性だ。この顔に間違いはない!」

顎を持ち上げられ、薫子の顔を見据える。薫子は何も言えない…。

「私の顔に見覚えはありませんか…?」

まるで、何かを求めるかのような眼差しで訴えてくる。

「……ごめんなさい。覚えていません…。」

「……そうですか…、なら…。」

「!?」

グイッと腕を引っ張られ、来た道を戻り始める。

「あ、あの…!」

「思い出して頂くまで、私に付き合って頂きます!」

「あっ…!」

ニコリと微笑む砂州華に手を引かれる。握られている手は優しく温かいものだった…。

こうして、薫子は強引にも砂州華に連れて行かれ、祭の時も終わるまでずっと一緒にいることとなった…。ある晴れた春の夜の出来事であった。

これが二人の初めての出会いの夜…。だが、これが薫子と砂州華達の運命を大きく変えてしまうことになる。それが曳きがねとなり子孫も巻き込む大事件になることを…この時はまだ誰も知らなかったのである……。


ー第二章ー


祭が終わり、別れの時がやって来た。

「それでは、私はこれで失礼します。」

半ば強引ではあったが、なんだかんだ言って薫子も砂州華に付き合っていた。

「ああ、また会ってはくれますか?」

「え?」

「今度はきちんとお礼がしたい。」

「あ……。」

本来の事を思い出す。砂州華は自分が命の恩人だと思っているのだ。

「…まだ、私のことは思い出しそうにないですか?」

「はい…。」

「そうか…。仕方がありません。ところで貴女は名はなんと言うのです?」

「…薫子です。」

「薫子…いい名だ。私は砂州華だ。」

「砂州華…?」

どこかで聞いたことのある名前だ。

「私の名を知っているのか?」

「いえ…どこかで聞いたことのある名でして…。」


「そうか…。」

「すみません…。」

「いや、かまわない。ところで家はどこだ?送って行こう。」

「いえ!大丈夫です!!」

慌てて拒否る薫子。このままではまずい。

「何を言っている。夜道の女歩きはよくない。見たところどこかの豪族のようだが…?」

「!」

薫子の身なりを一通り見る砂州華。薫子は慌てて身を背ける。

「…そうです!ですから、お気にならないで下さい。」

「…だが、豪族の娘は祭には来ない。」

「!!」

かまをかけられてしまい慌てる薫子。砂州華は懐から小さな笛を取り出す。

「これを持っていけ。」

「…?」

「私の鷹を呼ぶ笛だ。何かあったら吹くといいすぐに助けに向かう。」

「鷹…!」

鷹を所有できるのは高い地位の人だけだ。

「で、ですが…こんな貴重なもの、頂けません!」

「言ったはずだ。そなたには命を救ってくれた恩がある。その恩に報いたい、だから受け取ってくれ。また会う時への約束の印になるだろう。」

「………、わかりました。ありがとうございます。」

薫子は頭を下げると町の中へ消えて行った。砂州華はその姿が消えるまで見送っていた。


宴会が終わり薫子がいなくなった宿屋は大騒ぎになっていた。

「いたか!?」「いや、いない!」「こっちにもいないぞ!」

「……。」

「女の身でそう遠くへはいけまい!急いで捜し出すのだ!!」

「………。」

「菫子…?」

「………。」

不安そうにしている菫子。父はそんな娘に優しく語りかける。

「大丈夫だ菫子。薫子は戻ってくる。」

「お父様…。」

薫子の捜索は明け方まで続いたが、薫子は見つからなかった…。

「族長、薩摩の都中を捜しましたが、薫子お嬢様はどこにもおられません。」

「一部ではお嬢様が掟を破ったという噂が広まっております。」

「族長、どういたしましょう?」

「もう里に戻る時刻が迫っています。このままではお嬢様が…!」

「もうよい!」

騒ぎ立てる部下達を制する族長。

「お前達は休め!私が出る。」

「族長!」

「娘が行方不明なのに、このままじっとしていられるものか!私が捜そう!」

「族長!ならば我々も…!」

「よいと言っている!!」

ピシャリと部下達を制するとそのまま族長は部屋を出て行った。

「……お父様。」

「菫子…。お前はここにいなさい。」

「でも…!」

「薫子は私が必ず連れて戻る。だから安心しなさい。」

「お父様一人で何処へ行く気なの…?」

「…心配ない。すぐに戻る。部下達を頼むぞ。」

族長は娘の頭を優しく撫でると単身、薩摩の都へと向かった。


会津と敵対する薩摩は会津の不審な動きに違和感を抱いていた。

薩摩藩主は部屋で書き物をしていると、部屋の外にいつの間にか人影が現れていた。

「……“族長”か?」

藩主はその気配に気づき筆を止める。

「はい、藩主様…。」

族長と名を馳せる者は深々と礼を尽くす。藩主は振り返らずに筆を再び握った。

「何ゆえそなたがここに来た?」

「はい…、娘達が年子になりましたので、ここへ参りました。」

「そうか…。」

筆を置き、扉を開いた。

「よくぞ来たな。斎藤の【親】よ。」

「藩主様。」

族長と呼ばれるその親の姿は、薫子の父にして斎藤家の当主であった。

「さあ、中へ入るがよい。」

族長は何の躊躇もなく部屋に招かれるままに入って行った。

「村の生活はどうだ?」

「はい、なんとかやっておりのでご心配はございません。」

「前にそなたに会ったのはいつ以来だ?」

「十二年になります。」

「もうそんなにたったのか。早いものだ。未だに、姿を現さないところを見るとまだあの件のことを怨んでおるんだろうな。」

「はい、あの件は忘れたくとも忘れられるものではありません!私達【親】は人と関わらずに平和に暮らしたいだけなのですから…!」

皮肉に物を言う族長。

「……その件について娘は知っているのか?」

「いえ、まだ話すには早すぎると思いまして話してません。」

「そうか…。確かに、あれは女子が聞いて良いものではないからな。出来れば知らずにいた方がよい。」

「実は、藩主様にお願いがあって来ました。」

「?」

「私の一番上の娘がいなくなりました。」

「なんだと…?」

「宴会のすきに逃げたようで、今だに見つかっておりません。我々も人との交わりを持たない者としてこれ以上、ここに留まる訳には参りません。ですので、あの子を私の代わりに捜しては頂けませんでしょうか?」

「…そなたはその娘を見つけてどうするつもりだ。」

「?」

「村の掟に反したのだ。それなりのことがあろう?」

「その件に関してはきちんとと罰をうけさせるつもりです。何にせよ薫子は私の娘です。捜し出せば藩主様の損にはなりません。」

「確かにな…。しかし、たかが一人の小娘を見つけるのは容易ではないことはそなたも知っておろう?」

薩摩は多くの領地を持っている。その広さは倍の倍ある。薫子の居場所を特定するだけでも大変なことだ。

「藩主様がおっしゃることは何でもいたします。」

「…なんでもか?」

「はい。」

「ならば、そなたの娘を私に渡せ。」

「…は?」

予想外の申し出に目を丸くする族長。

「前にした約束は覚えておろうな?」

「……!まさか…。」

「そうだ。そのまさかだ。別に難しくはなかろう?」

「で、ですが藩主様、それは娘が力をつけた時になされる約束では…!?」

「そうだ。だが、私もそろそろ嫁を迎えなくてはならん。薩摩の面目を保つためにもそなたの娘が必要だ。」

「し、しかし…!娘はまだ未熟です!そんな者を藩主様の側に置くわけには…!」

「ならなんだ?私との約束を破る気か?」

「い、いえ!そういうわけでは…!」

「そなた一族がこうしていられるのは誰のおかげだと思っている?」

「!!」

「……わかったらそなたの娘をよこせ。そうすれば、薫子は見つけてやる。」

「藩主様…!」

皮肉にも族長は藩主に頭を下げた。こうなってしまってはどうしようもないかった。

こうして族長は娘を薩摩に送ることを決めた。

この後、三人の娘の運命は大きく変わることになる。一方、薫子は一人妹の病を治すためにあらゆる診療所を回っていた。

「……そうですか…。」

「ああ、すまんな。」

申し訳なさそうに謝る医師。これで三十件目…。薩摩の医者がいると言われる診療所は調べ尽くしていた。

だが、病に関する手がかりは見つかっていなかった。

「…………。」

「…ところであんた。どこかの豪族かい?」

「!」

「そんな身なりをしてせっかくの美人が台なしだ。どうだ?わしの所へこんか?可愛がってやるぞ?」

「いえ 結構です!失礼します!!」

「あっ!こら待て!!」

慌てて身を翻し診療所を後にする薫子の後から怒鳴り声が聞こえる。

「家出娘のくせに偉そうにしやがって!!今度見つけたらただじゃおかないぞ!!」

薫子は懸命に走り、人通りの少ない路地へと飛び込んだ。

着物はすでにボロボロになって汚れている。顔も髪もきっと乱れきっており小汚いだろう。なのに、着物は質の良いものなので話しかける人々に誤った欲望を与え、ほとんどの者が、薫子を求めているのだ。

今となっては人通りを避けて歩いている。その姿はあまりにも惨めなものだ。

「………っ!」

フラリと身体が崩れそうになり、壁に手をついてしまう。

「はぁ…はぁ……。」

頭がボーッとなって身体を動かすのが辛い。額からは汗が吹き出てくる。

「はぁはぁ…!……っっ!!」

ついに薫子の身体は地面に崩れてしまう。

「はぁ…はぁ…。」

このまま…何も出来ずに人知れず死んで行く…。遠退く意識の中薫子は思う。

「……桜子。」

そうつぶやいた瞬間、風がパアっと舞い上がった…。


里の村に同時に風吹き、その風の音に反応するかのように桜子の目が覚める。

「………。」

辺りを見回し、周囲の状況を見守る。すると、布団の傍らで姉の侍女が眠っていた。

桜子はゆっくりと身を起こし、侍女の肩を揺すり起こす。

「…お菊、お菊…!」

「ん………。」

お菊がゆっくりと身を起こした。

「……!!…桜子お嬢様…!」

「お姉様はどこ?どうしてお前がここにいるの?」

「…………。」

その言葉にお菊の顔色は雲ってしまった。

人間界へと出ていた族長が村へ戻ってきた。しかし、一行の顔は重くるしいものであった。

「……薫子の葬儀の準備をせよ。それから、菫子を呼べ。」

「はい……。」

菫子はすぐに父の部屋へと通された。

「そこに座りなさい。」

「………。」

すでに、薫子の消息は分からずじまいだったことは菫子の耳にも入っていた。

「薫子はみつからなかった。」

「!」

「よって今夜掟に反した罰が下ることになる。」

「………。」

「薫子はもう死んだ。これからはお前が一族の後継者だ。」

「……お父様。」

「死んだ薫子の分まで頑張りなさい。」

「はい……。」

「………。」

「…………。」

二人の間に長い沈黙が続く。

覚悟を決めたように族長は娘の顔をみた。

「菫子…。」

「?」

「お前には辛いことを沢山させてしまうな。本来ならお前はどこか良い人に巡り会って結婚し、幸せに暮らしたはずだ。なのに、私はお前にこれから苦痛で辛いことをさせてしまう。許しておくれ…。」

「お父様…。」

「お前は葬儀に出ずにすぐに、薩摩へむかいなさい。」

「薩摩へ?」

「そうだ。お前はこれから会津の間者として、会津に嫁ぐことになる。」

「えっ…?どういうこと?」

「一族を守ると思ってそれに従いなさい。」

「お、お父様!お父様!!」

族長は振り返ることなく部屋を出て行った。あまりにも突然のことで菫子はしばらく、その場に佇んでいた。


すべてをお菊に知らされた桜子は、驚きと悲しみで渦が心に巻いていた。

「……お嬢様。」

「捜しにいかないと…。」

「あっ!お嬢様!!」

フラリと立ち上がり外へ薫子を捜し出ようとする桜子。だが、病で歩くこともままならず、その場に躓いて倒れてしまう。

「お嬢様…!」

「捜さないと…、お姉様を捜さないと…っっ…!!」

嗚咽をだしながら涙ながらに言う桜子はあまりにも惨めで見ていられないほどだ。

「……薫子を捜したいというのは本当か?」

「!!」

「…族長!」

その声に驚いて見上げると、そこには父である族長が立っていた。

「…まさか、これ程までに病んでいるとはな…。」

「……ようこそ。」

ゆっくりと立ち上がる桜子。しかし、父はそんな娘には見向きもしない。

「これ以上、酷くなると村にも置いて置けなくなる。」

置かれていた薬茶碗を持って中の薬をかくにする。

「…残念だが、お前はここには置いておくことは出来ない。」

「!」

「すぐにここを出る準備をしなさい。…お前もだ。薫子がいなくなった今、お前も無事ではすまされないぞ。」

「はい…。」

族長はそのまま去って行った。

「お嬢様…。」

「支度をしよう。」

「はい。」

桜子達は出発の準備を始めた。

日が暮れ辺りが闇に閉ざされる時、村人達は葬儀に参列をし始めていた。それに混じって桜子達は誰にも見つからないよう村を抜ける輿の前とやって来る。

「後は、薩摩についてから指示がでるだろう。」

「お父様…。」

「これも一族を守るためだ。」

「はい…。」

菫子は自分の気持ちを押さえ、輿へと乗り込む。続いて桜子も輿に乗った。

「きおつけていけ。」

「はい。」

桜子達を載せた輿はゆっくりと持ち上がり、里を下りて行った。


一方、道行く中ばで倒れた薫子の前に一筋の明かりが燈る。

(…………誰?)

遠い意識の中そう思うが、身体は重く動かすことが出来ない。

誰かが生きているかを確かめ、薫子の身体をゆっくりと持ち上げてどこかに運んで行ってしまった。


遠い意識の中であったが、どこからか鳥の囀りが聞こえてくる。

薫子はゆっくりとまぶたを開けた。

見慣れない天井が広がっているのが見える。

「目が覚めたかい?」

ゆっくりと顔を声の方に反らすと、身なりの整ったおじいさんが立っていた。

「……ここは?」

「わしの家じゃ。だから安心してよい。」

おじいさんは薫子の側に腰を下ろした。

「お前さん道で倒れとったんじゃ。運よく通りがかってよかった。あそこは治安が悪いからのう。」

「…………。」

「それで、お前さんはどこからきたんじゃ?」

「……遠い所から来ました。」

「……。」

「とても…遠いところから来たのです…。」

「………そうか。なら、さぞ疲れたであろうな。」

「…………。」

「ゆっくりと休むといい。」

そういうとおじいさんは部屋から出て行った。辺りを見渡すととても広い部屋で、誰か身分の高い女の子がいたようなそんな部屋だ。

「……………。」

薫子はまた眠りに落ちて行った。


一方、砂州華は武芸対決に挑んでいた。民でも出場する者だけあってそれなりに強い。

だが、砂州華は次々と勝ち進んで行き、その勢いと強さは周りの者達を圧倒するものであった。

そのことは敵である薩摩藩主の耳にも届いていた。

「…なるほど、かなりの強者だな。」

「はい、民達でなくそれを見守る兵士や臣下達まで皆、奴の動きに圧倒されているとか。」

「ハハハ!それは楽しみだな。奴が最終戦で勝ったら一度話しがしてみたいものだ。それで、奴の名はなんと言うんだ?」

「陸と言うそうです。身分は下士成り上がりだとか…。」

「下士か…。それはなかなかおもしろい。最終戦が楽しみだ。」

下士なりあがりの者に興味を寄せ満足そうにする。

それが敵である会津藩主だとは知らずに…。

道行く場で助けられた薫子は豪族である《武市 満秀》の屋敷に来ていたことが後にわかった。

豪族だけあってさっきから臣下達が薫子の後をついて回って離れようとしない。

しかも、豪族の娘並の衣装に身を包み、侍女達に傅ずかれる。行き当たりばったりにあった娘にこんな生活をさせるのは少し妙である。

そして、一番違和感があるのは…、

「光姫様!」

この名前である。

朝、目覚めてからずっとこの名で呼ばれている。しかも初対面ではなくずっと自分のことを知っているかのように侍女も臣下達も近づいてくるのだ。

先程、昨日助けてくれたおじいさんを尋ねたが、今は藩の用事とかでいないらしい。

このまま出て行くわけにも行かず、薫子は庭の桜を見上げる。

「………。」

「…もうよくなったのかのう?」

「!」

声に振り返ると藩から戻って来たおじいさんがたっていた。この人こそがこの家の主、武市 満秀だ。

「……はい、おかげさまで。」

軽く会釈をする薫子。満秀はゆっくりと近づいてくる。

「ならよかった。…しかし、何がわずらそうな顔をしておるのう。」

「…………。」

薫子は何も答えない。聞きたいことは山のようにあるが、それはこんな所で話す内容ではない。

「…皆のものは下がっていよ。姫と話しがある。」

「はい。」

薫子の後ろにいた者達は満秀に言われるままに下がって行き、その場には薫子と満秀だけになった。

「こちにきて腰をかけなさい。」

満秀の横の縁側に腰を下ろす。

「昨夜はすまないことをした。見知らずの娘さんをこんな所へ連れて来てしまって…さぞ驚いたろうに…。」

「いえ…助けて頂いて感謝します。」

「きっと良い家の生まれなのだろう、お前さん?」

「!」

「着ていた着物をみてわかった。あの着物はそこらへんではそうそう手には入るまい。」

「………。」

「行き倒れのお前さんを助けたのは偶然ではあったが、そう偶然というわけではない。」

「え…?」

「お前さん今朝から自分とは違う名前で呼ばれていたのではないか?」

「…“光姫”とそう呼ばれました。」

「そうか…さぞかしや違和感があったであろう。」

「…あの、光姫とは誰なのですか?それにあの部屋は…。」

どうみても自分以外に姫がいたとしか考えられない。薫子は満秀を見据える。

「…光姫は…わしの娘じゃ。」

「えっ…?」

「…まだ、お前さんとそう変わりない年の娘じゃよ。」

「……その娘さんは?」

「一月前に病で亡くなったんじゃ。」

「!!」

「…薩摩に嫁入りする前の日のことじゃったよ。静かに眠るようにいきよった…。」

「…すみません。そうとは知らずに…。」

「いいんじゃよ。ここへ連れて来たからにはお前さんに話す義務がある。当然のことじゃよ。それに光姫が死んだことはわしのの使いの者としか知らん。」

「え…?」

「…一人娘が病気になったときき看病にあたっておった我が妻が、病で倒れたんじゃ…。妻は娘の回復を今でも望んでおるのに、こうも呆気なく死んだとはとても言えんかったのじゃ。…それに、光姫との結婚を待ち望んでいる薩摩藩主にも…。わしは昼夜祈りを捧げておった。そしたら“娘とそっくり”なお前さんと出会ったというわけじゃ。」

「なら、臣下達が私を光姫と呼んで、異様に喜んでいたのは…!」

「そうじゃ。臣下達は光姫が回復したと思い込んでおる。」

「そんな…!」

「……お前さんにはお前さんの事情があるのじゃろうが、もしわしの娘としてここにいてくれるのなら、わしがお前さんの願いを叶えよう。」

「!」

「……妹の病を治す治療法を探しておるんじゃろ?」

「…な、なぜそれを…?」

「お前さんのことが気になってここへ戻る途中に聞いてきたんじゃよ。…じゃが無理強いをするつもりはない。お前さんにはお前さんの人生がある。それを狂わすことになるからのう。」

「…………。」

「……しばらく考えておくれ。その代わりわしはお前さんが“光”になってくれるのなら、生涯わしの子として接するつもりじゃ。それを忘れないでおくれ…。」

「…………。」

そう言い残して満秀は去って行った。


部屋に戻ってきた薫子は部屋の周りを見渡す。離れにあるためこの部屋は人目に付きにくい場所にあった。

部屋の中を見ると光姫がこの世を去った時から変わっていないのが分かる。

おそらく臣下達の動揺を防ぐためであろう。

そして、ここへ戻る途中に光姫の母、幸江に会って来たが…、本当に光姫が回復したのだと喜んでいた。床の脇には娘のホトガラと薬の山が積んであった…。

このまま、去って行くのは簡単だ。しかし、女手だけで桜子の治療法を探すのは困難をきわめていた。

それに薫子としての【親】の人生が、偽りの身分の人間、“光姫”として生きなければならない。

【親】は人間とは干渉しない…。干渉した者は【親】としても人としても生きられない。もし、人間に【親】とばれてしまえば、世界は激乱の最中においてしまうことになる。いかに、薫子が女とはいえ【親】であることに変わりはないのだから、人間として生きることは人生と周りにいる人間の人生そのものを狂わすかもしれない。

薫子はふと自分の下に目を落とした…。

すると、シャン…。と音が胸元で鳴る。

胸元をさすってみると首に紐をかけて結んでいた首飾りがあった。

「……。」

首飾りを取り出す。それはあの時砂州華から渡された物だ。再会を果たすための道具として…。

薫子はおもむろにに笛を口にし吹いてみる。

《ピィー…。》

か弱くて頼り気のない音…。だが、その音はどこまでも遠くまで届きそうな気がした。

薫子は笛を吹き続けた。音に自分の思いを託すかのように…。


砂州華が参加している武芸対決は最終戦へと持ち越されていた。

圧倒的な強さで砂州華は決勝まで進出が決まって、後日、薩摩藩主の婚礼祝いの日に勝負することなった。

久しぶりに自分の宿屋で一息をつく砂州華。

「これであとは勝つだけだな。」

「はい!砂州華様の実力は民の間でも噂になっています。もう、優勝は間違いありませんよ!」

最初は対決に反対していた成行も、こうとなってしまえば俄然やる気になっていた。

「だといいがな…。ところで薩摩の動きはどうだ?」

「特に変わった動きはありませんが、少し妙なことを聞きました。」

「?」

「薩摩藩主は今回の婚礼で二人の姫を妻に迎えるそうなのですが、その相手がどこからの者なのかわからないそうです。臣下ですら知らないとか…。」

「謎めく花嫁か…。しかも二人同時に…。」

「とにかく、薩摩は婚礼を終えるまで動かぬようですから会津への心配はありません。そちらの方が気にはなりますが…。」

「分かった。私は少し休む。お前はもうさがっていいぞ。」

「はい。」

成行は部屋から出て行った。

「…花嫁か……。」

窓際で肘をついて考える砂州華。

薩摩がどこぞの嫁を迎えても相手が、女であるためその背後にある勢力はたかが知れているが、誰もその女の出所を知らないことが些かひっかかる。

それに、普通なら妻は一人で良い。なのに、同時に結婚をするのが気になる。

「…………。」

そんなことを考えているとふと、薫子の姿を思い出す。

「…あの者は元気なのだろうか…。」

何やら事情ありげな感じで、あの時は何もせずに帰してしまったが…。

やはり、気になってしまう。

「鷹が飛ばぬな…。」

見上げる空は澄み切っている。もし、鷹を薫子が呼んだらすぐにでもわかりそうなものだ。

砂州華はしばらくの間、空を見上げていた。


武芸対決前夜…。

ようやくやっとの思いで桜子達をのせた輿が薩摩城の裏手に到着する。

人と関わらぬ【親】は人目をさけて薩摩の都を通らなければならない。

それには大変な苦労があった…がようやく無事に辿りつくことができたのだ。

桜子達は輿から姿を現す。辺りは闇に閉ざされ迎えの者も姿が見当たらない。

「……ここなのか?」

「はい。」

「迎えの者がいないではないか。薩摩藩主はどうした?」

「………。」

予想外の展開に皆が戸惑いを見せる。

すると、遅れて薩摩藩主の一団が姿を現した。

「お前達が【親】の一味か?」

「!!」

「安心しろ。そなた達の父と私達は協力関係にある。悪いようにはせぬ。姫君達を部屋へ案内しろ。すぐに婚礼の準備を行う。」

「はい。」

それだけを召し使い達に言い残すと藩主はさっさと引き返して行ってしまった。

「…さあ、こちらへ。」

薩摩藩主に呆気を取られつつも桜子達はそれぞれの部屋へと連れて行かれた。


部屋へと戻った藩主は自分の召し使いと二人だけとなる。

「藩主様…。いくら【親】とは言え私達とかわらぬ人でこざいますよ?それに年頃の姫君に対してあの扱いはどうかと…。」

「それもそうだな。しかし、あれらは私の夢を叶える道具でしか過ぎない。結婚をすれば奴ら【親】は私の思いのままだ。そのために十二年間奴らに甘い汁を吸わせ耐えて来たのだからな。」

「ですが、このような扱いをしてはいつかは気づかれるのでは…?」

「心配はない。女の力などたかがしれている。その気にさせればあとは落ちて行くだけだ。」

確かに莫大な力を持つ【親】ではあるが手なずければなんの問題もない。それに【親】の家を誇る最古の力を持つ【斎藤家】の親ならば野望も夢ではない。そのために今まで息を潜ませていたのだから…。娘が人質ともなれば斎藤家も終わりだ。

斎藤家の族長はまんまと薩摩の罠にハマったのだ。

「…さて、それでは人質の親に会いに行くとするか。」

薩摩藩主は召し使いを連れ立って桜子達がいる宮へと向かった。


別々の部屋へと通されていたた桜子と菫子。その部屋へと入ってそれぞれ鵡平にかけられた着物を見てそれぞれ違う思いを感じていた。

「こ、これは…どういうことなの?」

菫子の目の前にかけられている着物は明らかに召し使い達が着ている着物である。

「菫子様。」

「一体これはどうなってるなの!?私は嫁に来たのではないの?!」

驚きのあまり声を上げる菫子。侍女は戸惑いながらも答えない。

無理な婚姻ではあったが、この扱いはひど過ぎる。

「…お前は嫁ではないぞ。」

「!」

「ましてや私の妻になどではない。」

振り返ると薩摩藩主が部屋の前に立っていた。

「…いったいどういうことですか!」

藩主に詰め寄る菫子。だが、薩摩藩主は異様に冷静である。

「お前は会津に嫁いでもらう。」

「えっ!?」

「薩摩の間者として会津藩主の妻となって潜入してもらう。」

「そんな…!」

「お前に断る権利はない。すでに族長には話しを通してある。」

「!!」

「それが嫌ならここで召し使いでもしていろ。それだけだ。」

「ま、待って下さい!それでは話しが違います!!」

「?」

「私はそんなつもりで薩摩へ来たわけではありません!間者だなんて…そんなことできません!!」

「一族のためだと族長は言わなかったのか?」

「そ、それは…。」

「とにかく、お前にはここでは用はない。決意が決まったら私の元へこい。」

「そんな…!」

藩主はそのまま身を翻して去って行った。あまりにも突然のことで、菫子は呆然と立ち尽くした。


「良いのですか?」

「何がだ?」

宮の廊下を歩いていると後ろにいた召し使いが語りかけてきた。

「菫子はあの一族の中でも薫子の次に賢く聡明だと聞きます。そんな者を間者として送るのはいささかなことかと…。」

「菫子は感がいい女だ。そんな者を傍に置いておけば、我々にとって火種となりかねん。だからあえて間者として送るのだ。奴は賢くプライドが高い女だ。だから私の申し出を断るわけにはいかないだろう。」

そうこれはすでに計算しつくされた計画の内なのだ。

藩主は菫子のことをすでに見抜いていたのだ。菫子に断る権利はない。

藩主はもう一人の娘の部屋へと足を運んだ。


「………。」

「…すごく綺麗な着物ですね…。」

今までに見たこともない着物が掛かっている。桜子達はその着物を見て息を呑んでいた…。

桜子はそっと着物を撫でる。

上品で質がとても良い。

桜子が驚きいっていると、カタッと後ろから音がする。

「…気にいったか?」

「…!」

桜子が振り返ると藩主が自分の後ろに立っていた。

「気配に気づかぬ程見とれていたな。」

「……。」

「なんだ?私の顔に何かついているか?」

あまりにも突然のことで呆けている桜子の顔を覗き込む藩主。

慌てて桜子は顔を逸らす。

「いえ…!何も…。」

「……桜子と言ったか?」

「はい…。」

「今まで病で床に伏していた生活だったそうだな。」

「………。」

「今も体調が万全ではないことは私も承知している。」

「……。」

「慣れない所へ来て不安も多かろうが私を信じてついて来て貰えるだろうか?…いや、私についてきて欲しい!」

「えっ…!」

「明日あなたを民の前で私の妻になったことを宣言する。あなたもそのつもりでいてくれ。」

「藩主…!」

突然の告白で頭が真っ白になる桜子。そんな桜子を見て藩主は優しい笑みを見せる。

「今日は長旅で疲れたであろう。早くお休み。…桜子を頼むぞ。」

「は、はい…。」

告白を目の当たりにして目を白黒させて答えるお菊。

藩主は部屋から出て行った。

「…………。」

「お嬢様!?」

突然の告白で桜子はへたりと身体の力が抜け落ちてその場に座り込んでしまう。

「…お父様から言われるまま出てきたけど…まさか、こんなことになるなんて…。」

想像以上の事がおき桜子はしばらくそのまま座り込んでいた。


一方、薫子は庭に出て桜の木を眺めていた。チラチラと雪のように舞い散る桜の花びら…。薫子の中ではある事が思いだされていた。「………。」

今日で満秀の家に世話になって半月が流れていた。

臣下も召し使い達も薫子を怪しむことなく本物の光だと信じ込んでいた。

そして、相変わらず薫子の後ろには侍女や召し使い達が並んでいた。

最初は違和感があったものの今では慣れたものである。

「……父上の所へ行きましょう。」

そう言って颯爽と歩いて行く薫子。

満秀の部屋の前には召し使いが付いていた。

「父上はおられるか?」

「はい。…満秀様、光姫様が逐いでになられました。」

「通しなさい。」

部屋の中から声がする。薫子は履物を脱いで縁側へと上がる。

「父上と大切な話しがあるからお前達はさがっていなさい。」

薫子の言われるがままに召し使い達はさがって行った。それを確認すると薫子は満秀の待つ部屋の中へと入った。

「…よくぞ来たな。それで何用だ?」

「先日の件で参りました。」

「先日の件と言うと…例の件か?」

「はい。」

「それで、どんな答えが出たのじゃ?」

「…長い間、自分の薫子としての人生と光としての人生を考えていました。…今までの私の人生は家のためのもので、それ以外のものはありませんでした。たった一人の妹でさえ守れなかったのです。ですが、光なら…妹を守れるかもしれません。いえ、今までになかったものを得られるかもしれません。私は自分の家だけでなく沢山の人々を平和に安心して暮らせるようにしたいのです。光ならできると思います。」

今までの薫子の話しを聞いて納得をする満秀。決して同情などで薫子が光になることを決めたのではないと、改めて感じた。

「…それでお前さんは…薫子は後悔しないか?」

「はい。後悔などいたしません。」

「…………。」

「………。」

薫子の目に嘘偽りはない。薫子ではなく“光”として生きることを決めた目だった。

「なら、わしは何も言うことはない。お前さんを最愛の娘、光姫 として育てよう。」

「ありがとうございます!」

「それで…光姫、妹の件はどうするのじゃ?」

「引き続き探してみようと思います。家が違っても妹は妹ですから…。」

「そうか、ならわしも一緒に探してみよう。」

「はい、ありがとうございます父上。」

こうして薫子は【親】であることを隠したまま光姫として生きることとなった。


一方、砂州華は最終決戦の会場である薩摩城を訪れていた。

民達が決戦を見ようと押し寄せており、観客席のほうでは敵である薩摩藩主が姿を現していた。

民の格好をしているため相手には会津の砂州華であることはわからないようにしているが、フツフツと自藩の民達が無惨にも薩摩に殺されて行ったことが蘇る。

「最終戦に出る者は前に出よ。」

審判の呼びかけでゆっくりと道場へ上がる砂州華。目の前では薩摩藩主が酒を飲んで楽しんでいる。

「り、陸!頑張れ!!」

側では気づかれないよう偽名で応援をする成行。

新たな怒りを薩摩に覚えながら決戦の合図が鳴り、互いの刀がぶつかり合う。

相手も決戦に残るだけあってかなりの腕前だ。

相手の刀を交わしながら攻撃を仕掛ける砂州華。

一瞬、相手が会津に攻めて来た薩摩兵に見え、切り裂こうとしたが試合の条約が頭を過ぎり、その手が止まる。

「!!」

一瞬のスキが出来ここぞとばかりに打ち込んでくる。

それをなんとか交わし続ける砂州華。

「どうした?あんた薩摩藩主に用でもあるのか?」

「!」

ふいに相手が語りかけて来て、互いの刀が交差し睨み合う形となった。

「……ああ。」

周りに聞こえないように返事をする砂州華。

「お前…会津の者だろ?」

「!!」

「心配すんな、俺も会津だ。」

「なら、なぜこんな所にいるのだ?」

「薩摩に徴兵をしてくれるって噂があってよ。それで奴らを倒すために来たってわけだ。」

「それならば藩を頼ればよかろう?!」

「……藩はもうだめだ。」

「どういうことだ?」

「砂州華が頑張って薩摩を攻略しているらしいが、正面から入っても無駄だ。相手の規模が違う。それに…俺らの暮らしも限界だ…。どうせ飢えて死ぬなら無惨に殺された仲間の仇を討って死にていんだよ…。」

「…………。」

民の事を考えれば当然なのかもしれない。砂州華は民を思い胸を痛める。

「あんたもなんだろ…?」

「え…?」

「薩摩に仇を撃ちたいんだろ?」

「あ…ああ。」

「なら、一緒に撃ちに行かねえか?どうせ悲しむ人間も俺らには残されていねえ。」

「!」

「ならばいっそうこの勢いであいつの息の根を止めてやる!」

「待て!…殺されるぞ!!」

「殺されても構いやしねえよ!今なら奴も油断している。殺るなら今しかねえ!!」

「ま、待て!!」

刀を弾き返し身を翻して薩摩藩主を目掛けて正面から立ち向かう。会津の民。

だが…、

《ザクっ!グシャッ!!》

「!!!」

生々しい音を立てて地に落ちて行く民。あまりにも悲惨な光景で倒れていく…。

叫びたいのに叫べない。助けたくともたすけらない。

血を吹きだしながらゆっくりと倒れる…。一瞬こちらを見たが、絶望のあまりその顔は確認できなかった。その光景を見ながら得意気な顔をして悠々としている薩摩藩主。

砂州華は成す統べなくその死を見届けたのである。

こうして、悲惨な結末で武芸大会は幕を下ろしたのである。

宿屋へ戻ってきた砂州華を心配そうにする成行。

「砂州華様…。」

「大丈夫だ…。民の亡きがらを会津へ運べ。」

「はい…。」

故郷である会津へ遺体を運ぶため成行は出て行った。

部屋に戻った砂州華は窓際に腰を下ろす。そして脳裏では最後のあの民の顔が浮かぶ…。

民を助けらなかった後悔の念が渦を巻いていた。


薫子の養父となった武市満秀は藩の会合のため城を訪ねていた。

会合の終わりに藩主と二人きりとなる。この二人は年端があるものの仲が良かった。

「久しく薩摩に活気が出ていますなー。」

「ああ、薩摩は天下の藩だからな。」

「ホホホ…それはごもっともなことで…。」

「しかし、私の心は晴れることはない。」

「?」

「薩摩にどんなに良いことが起きようとそれは私自身だけのものではない。これだけの土地と冨と名誉を持っていても私の心を癒せる者はいないのだ。」

「…何をおっしゃいますか。お妃様がおられるではないですか。聞きましたぞ、それはそれは可愛らしい姫君を迎えたと。これからはその姫君を癒しにすれば良いのです。」

「いや…。あの者では私の荒んだ心は癒せぬ。」

「と、言いますと…?」

「光姫が必要だ。」

「!」

「私にはあの方しか見えていない。どんなに美しく可愛らしい姫を迎えても、私の心を癒せるのは光姫しかいないのだ!形だけの婚姻なら出来るが、愛し合うことは桜子とは出来ない。

私には光姫しかいないのだから…。」

「藩主…。」

光姫が病気になったと言うものいつも姫を気づかい。治療法を探し回っていた…。

結局、努力も虚しく…光姫はこの世を去った。

そのことはまだ知らされていない…。

「………。」

満秀はそれ以上何も言えなかった…。


間者として会津に嫁ぐよう命じられた菫子は召し使いの着物に身を包んで侍女達と働いていた。

洗濯に掃除…、里では自分達の手で行うので慣れたものである。

侍女達ともすっかり打ち解けていた。

「そろそろ洗濯物を取り込まないと。」

「あっ、私が行くわよ!」

一人の侍女が菫子を歩みを止める。

「いえ、私が行くわ。あなた達は少し休んでいなさいよ。」

「え…でも、あの量では大変よ…。」

城内にいる臣下や女達の着物で洗濯場は埋め尽くされている。一人分の量でもかなりある。

「大丈夫よ。私慣れてるから!」

カゴを持って菫子は洗濯場へと向かった。

洗濯場へ向かう途中、ふいにカゴを落としてしまう。

「あっ…!」

すぐに拾おうと手を伸ばすと、別の誰かが拾い上げてしまう。

「あっ!」

「…こんなことをしてお前は楽しいのか?」

「!」

聞き覚えのある声に頭を上げると、あの薩摩藩主が冷ややかな目でこちらを伺うようにして見ていた。

「私の意思でやっているんですから大きなお世話です!」

菫子は藩主からカゴを奪い取ると足早に去ろうとする。

「…斎藤の親も落ちたものだな。こんなことをされても人間の言いなりだ。誇りなどお前にはないのだな。」

「私を悪く言うのは構いませんが、一族のことを悪く言うのはお辞めください。」

「知っているか?お前の姉の桜子はお前と違って次期に私の妻になる。お前も意地を張らずに私の言うとおりに会津へ行ったらどうだ?」

「余計なお世話です!」

それだけを言うと菫子は去って行った。

「まったく、気の強い女だ…。」

藩主はその背を見送った。


皮肉ではあったが対決で優勝した砂州華は城へと迎えられた。

「私とそう変わらぬ年であそこまでやれるとはたいしたものだ。」

「恐れいります。」

「武術も剣術も見事だった。民の中でもお前の剣術が秀でていたことは見ていてわかった。どこかの道場で習ったのだろう。お前のような優れた弟子を育てた道場主に会ってみたいものだな。」

「………。」

「どうだろうか 会わせてはくれぬか?」


「…私の道場主はもうおりません。」

「なんだと?」

「私の師匠はもうすでに病でこの世から去りました。」

「それは……大変だったな…。」

「………。」

「約束は約束だ。これからは私を主だと思い思う存分力を尽くして、この薩摩を支えてくれ。」

「はい。」

こうして砂州華は薩摩の懐へと飛び込んだのだった。


後日、桜子と藩主の結婚式が行われることとなった。

桜子の体調はあまり良くはないがなんとか式には出られそうだ。

「…これでよろしいでしょうか?」

「いいわ…。」

鏡の前に立ち花嫁衣装に身を包んだ桜子がその姿を確認する。

計略結婚とはいえ、病に掛かってからと言うもの結婚など無縁に思えていたが、こうして結婚出来ることは喜ばしいことである。

「それにしても、顔合わせ以来藩主はまったくこちらに顔を見せないなんて…ひどいです。」

「こら、そんなことを言わないの。治らないと言われ、一族から見離されていた私がこんな風になれるなんて、ありがたいことよ。病に掛かった者を妻にするなんて方は藩主しかきっといないもの…。」

確かに計略結婚でも先の知れない者を妻に迎える者などいない。そう考えれば今回の結婚はありがたいものである。

「お嬢様がそうおっしゃるなら仕方ありませんが…。」

「……薫子お姉様は?」

「?」

「薫子お姉様は見つかったの?」

「いえ…まだ見つかっておりません。」

こっちに来てから密かに桜子は姉、薫子の行方を捜していたのだ。

「薩摩でいなくなったのなら、必ず薩摩にいるはずよ。だから、引き続き捜してちょうだい。」

「はい!」


桜子の婚礼の話しは満秀の家にいる薫子の耳にも入っていた。

だが、婚礼が行われるというだけで桜子が花嫁とは知らされていない。

「婚礼か…。」

「とても綺麗だそうですよ!花嫁はまるで仙女のように素晴らしい方だと聞きました!」

婚礼と聞いて浮かれている侍女。この時代、どこかの偉い方のめでたい日は民にとってお祭り並にうれしいことなのである。

「そうか、それなら一度見てみたいものだな。」

「はい!見に行きましょう!もうすでに父上の許可はとってありますよ!」

「まあ、早いこと。」

「ウフフフ!」

胸を弾ませる侍女にくっついて、久しぶりの外出である。

薫子であったなら叶わぬことである。光姫として生きるためにも、少しでも薩摩のことを知っておく必要があるだろう。

薫子は侍女に命じて出立の準備を整えさせた。


一方、薫子の侍女にさがまれて、仕方なく婚礼の参加を許した満秀は浮かない顔をしていた。

もちろん藩主のことである。

今だに藩主は満秀の本当の娘である“光姫”を忘れてはいない。むしろその逆で光姫への思いが日に日に増しているような気がする。

病で伏していることにして、本当の光姫が亡くなったことを知らない藩主。

しばらくしていれば、時期に妻を娶り光姫のことは忘れてしまうと満秀は考えていたのだ。

しかし、その逆であったことに今になって後悔していた。

(まさか、藩主があそこまで光のことを想っていたとは…。もし、身代わりとなっている光と会ってしまったら…。)

それを考えると薫子の外出の許可は出せない。

しかし、豪族として生きる薫子に何も教えないというわけにもいかない。

悩んだ末に、参加行列の隅の目立たない場所での参加を許したのだ。

(どうしたものかな…。)

今は藩主が薫子に気づかないことを願うしかない。

満秀は庭に咲く桜の花を見上げていた。


桜子と藩主の結婚式の行列にはたくさんの民達が集まっていた。

その参列に混ざって輿の中から行列の様子を伺う薫子。

侍女が言うように華やかなものだ。

「うわあ…本当に綺麗。きっと素晴らしい結婚式なのね。」

しばらく待っていると一躍華やかな一団が近づいてくる。

「来ました、来ましたよ光姫様!」

騒ぎ立てる侍女。

「?」

「あれが、藩主とその奥方です!!」

侍女が手を指す方を見ると、こちらへと一団が近づいてくる。

「!!」

その中でも一番華やかだと言われる藩主の花嫁、それは里で病に伏せっているはずの桜子だった。

桜子達が乗る行列は薫子達の前を気づくことなく過ぎて行く。

薫子は目を追うことしか出来なかった。


一際賑やかな民衆の間を行列となって結婚の儀式を行う藩主。隣には弱々しい妻である桜子が乗っている。

しかし、そこには計略結婚以外のものはない。

こんなに民が喜んでいるのに虚しいものである。

そんな中ふと民衆を見ていると、懐かしく見慣れた輿が目に入った。

「!!」

それは、想いを寄せる姫、光姫の輿である。

一瞬にして光姫の輿は流れ行く行列によって見えなくなってしまう。

(いったい、どういうことだ…?なぜ光があのような所に…?)

そんなことを考えるがその答えが見つからない。なにせ、光姫は病に伏していることになっているのだ。

「…どうかしましたか?」

「!」

隣から声がかかり我に返る藩主。

「いや、何でもない…。」

「はい…。」

不思議そうな顔をする桜子を余所に、藩主の心は乱れていた。


ー第三章ー


婚礼が行われた日の夜。

桜子は藩主が来るのを侍女のお菊と共に待っていた。

「…来ませんね…。」

もう日が暮れてから幾刻も立つ。

「………。」

「このまま起きて待っているのもお体に障りますし…桜子お嬢様もうお休み下さい。きっと藩主は何かの用事で来れないのでしょう。」


婚礼が行われた日に用事などあるわけがない…。

お菊の気遣いの苦しい言い訳であることは桜子もわかっていた。

「そうね…。」

「そうですよ!だからお休み下さい。」

「……分かったわ。でもその前に外へ出てみたいわ。」

「外へですか?ですが、外はまだ寒いですよ?」

「分かっている。長くいるつもりはないから安心しなさい。すぐに戻るわ。」

そう告げると桜子は一人で中庭へと出た。外は春だというのに肌寒い…。

だが、なぜか風が心地好く感じる。

見上げる先には満月の夜に光輝く桜の花…。

里ではきっと見ることの出来ない美しさだ。

すると、何処からか声が聞こえてくる。

桜子は声のする方へと近づいていく。

周りでは召し使い達が幾人もおり灯が点されている中、立派な輿が用意されていた。

(こんな夜更けにどなたか出掛けるのかしら…?)


そんなことを思っているとその本人が建物の中から出て来る。

(!!…、藩主様!?)

藩主が堂々としてこちらへと向かって来る。慌てて身を隠す桜子。

「藩主様…なにも今日行かねばならないのですか?」

「どういうことだ?」

「今日、婚礼を行ったばかりではございませんか。やはり今日ばかりは奥方の元へ行かれたほうが良いかと…。」

今日は何と行っても結婚初夜である。

いくら計略結婚とはいえ、ここで行かないことは花嫁に恥をかかせることになり、藩主自体の評判も悪くなる。

「だが…私は行かねばならない。あの時、私が見た輿は間違いなく光姫の物だった。ならば、私が今宵行くべき場所は桜子ではなく光姫の元だ。」

「!!」

あまりの衝撃に桜子はその場から逃げようと後ずさりをするが、パキ…、と足元にあった枝をふんずけてしまう。

「!…、誰かいるのか?」

音に反応して藩主がこちらへとやって来てしまう。

「桜子…!」

「…………。」

その姿を見て一同が息を呑む。

まさか、よりにもよって今の話を桜子が聞いてしまうことになるとは想像もしていなかった。

「…まさか、今の話を…。」

「………。」

桜子は黙り込んでしまう。

もう何を藩主が言っても桜子には言い訳にしかならないだろう…。

「…桜子、お前は部屋に戻って今夜は休め。良いな?」

それだけしか桜子にかける言葉がなかった。桜子は黙って頷く…。

「妻を部屋まで送れ。」

「はい……、では、行きましょう。」

桜子は何も言わずに藩主の召し使いに連れられてその場を後にする。

藩主はそれを見届けると輿に乗り込む。

「…満秀の家へ向かえ。」

輿はゆっくりと動き出した。


部屋へと戻って来た桜子を向かえたのは、侍女のお菊であった。

「桜子様!」

慌てて近づいて来るお菊。

「大丈夫ですか?帰りが遅かったので心配いたしました…。…?どこか、具合が悪いのですか?」

召し使いに連れられて来た桜子は、明らかに顔色がおかしくなっている。

「……お菊………っっ!!」

支えられていた身体がズルりと抜け落ちる。

「桜子様!?桜子お嬢様…!!何をしているの!?早く医者を呼んで来て!!」

「は、はい!」

お菊に言われて慌てて飛び出して行く召し使い。

残されたお菊は必死になって桜子に呼び掛ける。

「お嬢様!お嬢様…!!」

だが、桜子がそれに答えることはなかった。


一方、薫子は夜桜を見に庭へ出ていた。

怪しいぐらいに美しすぎる桜…。

まさか、桜子が藩主の元へ嫁いでいたとは思いもよらなかった。

だが、これで桜子が治療に困ることはなくなったと考えていい。薩摩の妻でいる限り、桜子は最善の治療を受けることが出来る。そう思うと嬉しくなるが逆に悲しい気持ちになる。

「………。」

夜桜を見上げていると、屋敷の近くで灯が点されているのに気づく。

誰か訪ねて来たのだろうか…。

「やはり、治っていたのか…。」

「!?」

声に振り向くとそこには、妹の婿となったばかりの藩主が立っていた。

「この日をどんなに待ちわびたことか!」

「!!」

気がつくと薫子は藩主に抱きしめられていた。

突然のことで頭が真っ白になる。

桜の花びらが風にさらされて一気に舞う。

「光姫、お前にこうして会えるのを待っていた。こうしてお前を抱けることを…!私はこの世で一番貴女を愛している。」

「!?」

身体が少し離されたかと思うと、口づけをされそうになる。

「や、やめて下さい!!」

「!」

薫子は勢いよく藩主の手を振り払い、身体から離れる。

「光姫…?」

愛する者から拒まれ藩主も驚いている。

「いきなり何をなさるのですか!お止め下さい!!」

「何を言っているのだ?久しぶりの再会ではないか…。お前が病に倒れてから、私は心配でたまらなかったのだぞ?」

「再会……。」

薫子の脳裏にあることが思い出される。それは本物の光姫のことだ。

確か、光姫は婚約中であったはずだ。

今の話からすると、光姫の相手ていうのは…。

目の前にいるこの男だ…。

「病で私を忘れたとでも言うのか?」

「あ……その…。」

「ならば、思い出させるまでだ!」

「きゃあっ!!」

薫子は腕を掴まれ、そのまま抱きしめられる。

「やめて…!!……っ…!」

頭を押さえ付けられ、強く口を吸われてしまう。

「お前は私の妻だ!決して離したりなどしない!!」

「いやっ!!」

必死にもがく薫子。やっとのことで手だけが出る。

そしてー、

《パーン!!》

勢いよく頬を叩いてしまう。

「…光姫……。」

「おやめ下さい…!これ以上乱暴するのなら、容赦いたしませんよ!?」

それを聞いて藩主は光の心に自分がいないことを確信してしまう。

「そうか…。この年月のあなたとの別れの時間は長かったようですね…。」

「あ……。」

「おやすみ、私の愛する光姫…。」

「………。」

藩主は潔く薫子の元を離れた。

しかし、仕方のないことであった。知らないとはいえすでに、藩主が想い焦がれる光姫はいないのだから…。

薫子は夜空を見上げた。

満月の月が輝いていた…。


藩主を載せた輿は城へと辿り着いていた。

失恋をして傷も癒えぬうちに、次の問題飛び込んでくる。

「藩主様ー!」

「どうしたのだ…?」

「奥様が!奥様が…!!」

「桜子がどうした?」

「危篤状態だという知らせが…!」

「何!?」

使いの知らせを聞き、慌てて桜子のいる部屋へと向かう。

「桜子…!」

側に駆け寄るが返事がない。

「いったいどうしたと言うのだ!なぜ、このような事になった!?」

「元々、身体が弱い方だったようで…この数日に無理が重なったのでしょう…。」

「何とかならぬのか!?」

「こうなってしまっては、もう手の施しようがありません…。」

「………!」

医者の言うことを認めるしかないが、このまま桜子を死なせるわけには行かない。

「……どんなことをしてもいい。」

「?」

「どんなことをしてもいいから、桜子の命を助けろ!!」

「藩主様?!」

「こんなにもあっさりと妻を死なせてたまるものか!どんなことをしてでも桜子を…妻を助けろ!良いな!?」

「は、はい…!」

医者は急いで治療法を探すために、出て行った。

「…容態が代わったら言え。」

そうお菊に告げて出て行こうとする。

「お待ち下さいませ!」

「?」

「藩主様…今宵は誰もが知る初夜でこざいます。なのに藩主様は今まで来られなかった…。」

「………。」

「やっと来たと言うのに…、もう行かれると言うのですか?」

「…確かに、そなたが言うように今宵は初夜だ。しかし、それは夫婦の関係になる者に対して使う言葉だ。」

「と、言いますと…?」

「知らぬようだが言っておく。桜子と私は計略結婚だ。そこに互いの想いがあると思うか?」

「なら、桜子お嬢様は…。」

「そうだ。私は桜子を妻とする気はない。ましてや桜子は病持ちだ。妻になれるわけがなかろう。」

「そんな…!なら、なぜお嬢様方をお呼びになったのですか!?」

「それは、そなた達の長に聞くことだな。」

「!」

「だが、世の中では私達は夫婦となっている以上は、それなりのことをして行くつもりだから安心しろ。」

それだけを言うと藩主は身を翻して去って行った。

お菊はあまりの事実に膝をついてしまう。

「そ、そんな…あんまりだわ…!お嬢様!お嬢様…っ!」

意識のない桜子を思い嘆くお菊。しかし、それに答える者はいなかった。


砂州華は実力を替われ兵士達の訓練隊長に就任していた。

薩摩のことを知る絶好の機会だ。

様々な業務をこなして行き、他の者達からの辛抱も厚かった。

そんな中、仕事上がりで廊下を歩いていると何やら複雑そうな表情の藩主がこちらへと向かって来るのであった。

「藩主様。」

「お前か…。」

軽く会釈をする砂州華の前に立ち止まる。「仕事の方はどうだ?」

「はい、うまくやっております。」

「そうか、ならよかった。」

「ところで藩主様、顔色が優れないようですがどうかなさいましたか?」

「顔色が良くないことが、見ただけで分かるのか?」

「はい、それに少し頬が赤いようです。」

「!」

「そこまで気づくとは中々の者だ。私の召し使いですら私の顔色を見抜くまでに時間がかかったものだ。」

「おそれいります。」「…そなたなら私の胸のうちを話せそうだ。少し付き合ってもらえるか?」

「はい。」

藩主は砂州華を連れ立って人気の少ない中庭で二人だけとなる。

「今宵も月は綺麗だ。そう思わぬか?」

「はい。」

「…お前には心に決めた女子はいるか?」

「えっ…?」

突然、妙なことを聞かれ固まる砂州華。何も知らないとはいえまさか、敵にこのような事を聞かれるとは予想外だ。

「そう固くなることはない。どうだ、いるか?」

「…………。」

そう聞かれ砂州華の脳裏にはある女の姿が思い浮かぶ。

何処の者なのか、今何処にいるのかさえわからない。

たった一度会ったきりの女性…。

「…無理なことを聞いたな。」

「あ、いえ…。」

「私にはいる。いや、いたと言ったほうが今は正しいかもしれん。私にはかつて今の妻を持つ前に別の者と結ばれる予定であった。計略結婚でもなければ戦略結婚でもない。ごく普通の婚姻だ…。だが、結婚を翌日に控えてあの方は倒れてしまった。私はずっと姫を待ち続けた。しかし、姫は私のことを忘れてしまった…。今にしてみればはかないものだと知った…。」

「なぜ、そのような話しを私に?」

「お前は民の成り上がりだ。こんな他愛のない話しなど、この城内の者に話せるわけもない。だが、お前なら私の話しを聞いてくれるだろう?」

「……藩主は今もその方を?」

「ああ、今でも愛している。妻を娶った者が言うことではないが、私は姫を愛しているのだ。彼女を諦めるつもりはない。いつか、お前にもそのような経験をする時が来るだろう。その時にでもこの私のやり切れなさを理解してくれ。」

「……はい、そのようにいたします。」

それからしばらくの間、二人で庭を散策して回った。


その後、砂州華は容態が回復しない桜子を助ける命を受け、病の治療法を探すために出掛けて行くこととなった。

菫子は洗濯カゴいっぱいの洗濯物を抱えながら歩いていると、向かいの道を誰かが歩いている姿を見かける。

「?…誰かしら?」

菫子は物陰からその者に近づいていく。

「!」

その者を見ると、菫子はすぐに物陰に身を隠してしまう。

「な、何…いまの…。すごく素敵な方…。」

菫子はもう一度恐る恐ると覗いて見る。

その人は馬を手に跨がる。

何処かへ出掛けるようだ。

(何処へ行くのかしら…?)

見ているうちに馬は出発し、見えなくなってしまう。

「………。」

菫子はすっかりと見に入ってしまい、その人が消えて見えなくなるまで、その背を見送っていた。

「お前はあのような者が好きなのか?」

「!?」

背後から声がし、慌てて振り返ると、そこにはいつの間にか藩主が立っていた。

「どうなのだ?」

「…関係のないことでございます。失礼致します。」

何事めなかったかのように間を通って行こうとする菫子。

「そうやっていつまで維持を張るつもりだ?」

「維持など張っておりません。私がそう望んでやっていることです。」

「私には哀れにしか見えぬがな…?」

「用がないのなら失礼します。」

去って行こうとする菫子の手を掴み、藩主は自分の方へと向かせる。

「!?」

「そうやって維持を張るのはやめろ。お前はそのために里を出て来たのではなかろう?いい加減、私の言うことを聞いてはどうだ?」

「私は会津に嫁ぐために来たのではありません。」

握られた手を振りほどく菫子。

藩主を睨みつけるとカゴを持って去って行った。

「全く…強情な女だ…。」

治療法を探すために出た砂州華は手当たり次第に診療所を回っていた。

しかし、治療法を知る医者はいない…。

敵を信頼させるのも妬いなことではない。一瞬足りとも気を抜けないのだ。

「はあ…、ここもダメか…。」

「陸様、向こうもダメでした。」

「お前、その様付けはやめないか?」

「あっ!すみませんつい…!」

「まあ…聞いている者もいないから言いが…。他には何もなかったか?」

「はい、特にはありませんが、一つ妙な話しを聞きました。」

「?」

「半年前ほどに、年頃の娘がこの辺りの診療所を回り、同じ病に着いて聞き回っていたそうです。」

「同じ病を…?」

「はい。ですが、その娘もある時から来なくなって、街でも見かけなくなったそうですよ。」

自分達と同じ病の治療法を探していた娘…。

そういえば、はっきりとは言わなかったが薫子も病の治療法を探していると、祭の時に聞いたことがある。

その娘が薫子だとしたら、まだこの街の何処かにいるかもしれない。

「その娘が見かけなくなったのはいつ頃だ。」

「半月前だそうです。」

「分かった。なら、お前はここに残って薩摩についての情報を集めろ。私は少し行くところがある。」

「ち、ちょっと!砂州華様!?」

そう叫んで慌てて口をふさぐが、その間に砂州華は何処かへと行ってしまった。

「まったく…。」

ため息を尽きながらも、成行はその指示に従った。


「光姫…。」

「!…父上…。」

庭へ出ていた所へ養父である満秀がやって来る。

「いや、薫子だったな…。」

何やら切なそうに語りかけてくる満秀。

その表情から何が言いたいのか、察しがついていた。

「先日は、そなたにはすまないことをしたな…。許しておくれ。」

「………。」

「光と藩主はそれはそれは仲が良くてな。結婚前でも仲妻しい関係だった。だから、お前さんに光のすべてを受け入れて藩主の妻になって欲しかった…。」

「えっ…?」

「身代わりになってくれたそなたには悪いが、わしは娘の幸せな花嫁姿が見たかったのかもしれん…。たがらつい…藩主を中へと入れてしまった…。許しておくれ。」

「満秀様……。」

光姫が亡くなっていなかったら…もし、光姫が元気であったなら、そんな夢も叶ったのだろう。娘を持つ親として当然のことだ。

頭を下げて謝る満秀が哀れでしかならなかった。

その時、地に落ちた桜の花びらがパアッとと宙を舞う。

そして…、

《ピィー…。》

「!」

何処から笛の音が聞こえてくる。

《ピィー…、ピィー…。》

微かではあるがハッキリと聞き覚えのある音が聞こえてくる。

それは、いつの日か再会を願って渡された笛の音。

いつも、誰かが応えてくれると願って、当てもなく吹き続けて来た薫子が持っている笛の音と同じもの。

《ピィー…。》

「誰か笛を吹いているのか?」

不思議そうにする満秀。薫子はそれが誰が吹いているのか分かっていた。

嬉しさのあまり泣きそうになるのをこらえる。

「…父上。」

「?」

「私はやっぱり光姫としては生きていけません。とても父上の夢を叶えられる娘にはなれないのです。」

「光…!」

「ごめんなさい!!」

薫子は満秀に謝るとそのまま駆け出して行く。

「光!光!!」

後ろで満秀が呼ぶ声が聞こえる。

だが、薫子はそれを振り切り笛の音がする方へと走って行った。


《ピィー…。ピィー…。》

互いの意思を交換するかのように、交差する笛の音。

互いの居場所を確認し合う。

《ピィー…。》

薫子も懸命に吹く。

山の奥地へと入り、辺りは枯れ枝や冷たい土が広がっている。

それでも、お互いがお互いを求めるかのように笛を吹き続ける。

そして、走り続けるうちに辺りは暗く闇に閉ざされていき、道を見失うほどになってしまっていた。

それでも、薫子は走り続けた。

だがー、

「あっ!!」

谷に足を滑らせてしまう。

「!!」

誰かが、薫子の手を握っている。

恐る恐る見上げると、そこには砂州華がいた。

「大丈夫か!?」

砂州華は優しく薫子を抱き上げ、草の上に薫子を下ろした。

「怪我はないか…?」

額に汗水を流し、息も少し荒い…そして何より自分と同じ笛が彼の胸元にかかっていた。

「はい…大丈夫です。」

「そうか、ならよかった。」

今まで求めて応えて欲しくてたまらなかった人物が目の前にいる。

薫子は先程の恐怖など忘れ、ポロポロと涙を流す。

「なぜ、泣いている?」

「嬉しいのです。嬉しくて…涙が出てしまうのです。」

「私もだ…。そなたにまた会えて嬉しい。もっと顔を良く見せてくれ。」

砂州華はゆっくりと手を伸ばすと優しく薫子の髪をかきあげた…。

「薫子…そなたなのだな?」

「はい、私でございます。」

砂州華と薫子は互いの再会を喜びあった。

しばらく、二人は寄り添ったまま互いの今までについて語りあった。

「ならば、私の聞いたのはそなただったのだな?」

「はい、そのあとはご存知の通りです。」

「そうか…そなたも大変であったな…。」

「いえ、砂州華様に比べれば私などたいしたことなどありません。」

「薫子…。」

「それよりも、桜子を助けなければ…。今は危篤状態なのでしょ?」

「ああ、だが、桜子お嬢様は世間では奴の妻だ。そう簡単に連れ出せるものではない。」

「何とか助けだせる方法はありませんか?」

「何とかやってみる。そなたは私の馬で会津へ迎え。事は連絡しておく。」

「いえ、私もここに残ります。」

「何を言っている!そなたは薩摩藩主に狙われているのだぞ?もし、何かあったらどうする!?取り返しがつかないぞ!?」

「それでも、私は残ります。あの方が私が目当てであるならば話しは早いです。あの子は私の妹なのですから…!」

「薫子……。分かった、でも無茶はしないでくれ。」

「はい。」

その翌朝、薫子と砂州華は山を下りた。


薫子がいなくなってしまった家では、満秀が頭を抱えていた。

昨夜、娘には成り切れないと言って家を飛び出した薫子。

そのあと、必死になって捜索したが薫子は見つからなかった。

満秀にとって薫子はかけがえのない存在となっていたのだ。

頭を抱え込んでいる満秀の元に、召し使いが飛び込んで来る。

「旦那様!旦那様!!」

「何じゃ騒々しい…。」

「光姫様が戻って来られました!」

「…なんじゃと!?」

満秀は慌てて部屋を飛び出し薫子の元へと向かう。

「光!!」

「ただいま戻りました、父上。」

「光…!!」

「!」

満秀から思いっきり抱きしめられる薫子。なぜか、その体温が心地好い。きっと、満秀は夜も寝ずに自分の帰りを待っていたのだろう。

「ああっ!わしの可愛い娘よ!!」

「父上…。」

召し使い達も安心した表情を見せていた。


身支度を整え直した薫子は、満秀の部屋へと来ていた。

「わしはつくづくと反省をした。お前を光にしたいばかりに、無理なことを押し付けてきた。これからは、お前の思う通りに生きなさい。」

「父上…。」

「薫子、わしはお前を娘だと思っている。光でない娘だと…、だから、もうあんなことは起きないから安心してよい。」

「ありがとうございます。ならば、私からも一つよろしいでしょうか?」

「なんじゃ?」

「私をもう一度、光姫として藩主の元へ送っては頂けませんか?」

「な、何を言うとるんじゃ!?そんなこと出来るわけなかろう!だいたい、お前さんはまたあんな目に合ってもよいのか!?」

「はい、構いません。」

「…いったいどういう心境の変化じゃ…?」

「心境の変化ではございません。見つける者を見つけただけです。」

「!…ならば、妹が見つかったのかね!?」

「はい、彼女は今薩摩藩主の手元にいます。」

「まさか、藩主の妻になった…あの女子か?」

「そうです。あれが、私の妹です。」

「…なんということじゃ……よりにもよって…藩主の妻とは…。」

「それで、妹を救い出したいのです。あの子は城にいるべき娘ではありません。一刻も早く治療を受けさせなければならないのです。」

「だが、そう簡単ではなかろう…?」

「はい、だから私が行くのです。」

「!」

「妹を救い出すにはこれしかありません。」

「じゃが、救い出してもいったいどこへ連れて行くつもりじゃ?治療法は見つかったのか?」

「それは今は言えません。ですが、私を光姫として出してくれるのなら、その可能性は高まります。」

「…そなたはそれでいいのか?」

「はい。もう、そう決めたのです。」

真っすぐと満秀を見据える薫子。その目に戸惑いなどはない。

薫子の決心は固いものだと満秀は判断した。

「……、そうか、ならばもう一度藩主と会う機会をやろう。じゃが、わしが出来るのはそれだけじゃ。よいな?」

「それで十分です。」

こうして薫子は改めて藩主と会うこととなった。


連絡はすぐに藩主の耳に入る。

「そうか!光姫が私に嫁いで来たのか!?」

「はい、満秀様がお連れしたと聞いております。」

「やはり、光姫も私のことを忘れてはいなかったのだな!さっそく会いに行かねば…!」

藩主は急いで支度を整え、光姫の身代わりとなっている薫子の元へと向かう。

「藩主様…どちらへお出でですか?」

廊下で砂州華こと陸と合う。

「ああ、前にそなたに話していた姫が、私に嫁いで来てくれたのだ。まったくもってめでたいことだな!ハっハっハっハ!!」

「さようでございますか…。」

「それでは、行くとするか。我が愛しい妻の元へ!」

「…………。」

高らかに満足気に笑いながら藩主は、薫子の元へと向かった。

砂州華はそれを確認すると、桜子ねいる部屋へと足を向けた。


薫子はその時を召し使いと共に待っていた。すでに送りに来た満秀の姿はなかった。

しだいに足音が外から聞こえてくる。

(来たわ…。)

足音が近づくにつれだって召し使い達は下がっていく。

そして、足音は部屋の前で止まる。

「こんにちは。」

「!」

薫子が振り返ると藩主が立っていた。

「こんにちは…。」

「やはり、随分と警戒しているようだね。中へ入ってもいいか?」

薫子は軽く頷くと、藩主は薫子の前に座る。

「この前はそなたに酷いことをして悪かった。許しておくれ。」

「はい、…。」

「だが、またなんでここへ来る気になった?」

「…父上に言われてきたのです。」

「そうか…。ならまだ、私を疑っていても当然か…。」

「………。」

「だが、夫婦になる以上は通れぬ道だ。ゆっくりと夫婦になって行こう。」

「はい…。」

「今はこれぐらいにしておくか。また、そなたを怖がらせるといけないから、夜に来るとしよう。待っていてくれ。」

「…………。」

そう言い残すと藩主は部屋から出て行った。

「…誰かいる?」

「はい。」

召し使いが部屋の入り口に姿を現す。

「藩主の奥方の元へ行く。案内せよ。」

しかし、召し使いはたじろいでいる。案内して良いのか迷っているのだ。

桜子は藩主の正妻にあたり、逆に薫子は愛人にあたるのだ。それは結婚していても変わることはないことを召し使いは気にしているのだ。

「お前が気にすることではない。早く案内なさい!」

「はい…。」

半ば強引に押し切る形で薫子は桜子の部屋へと向かった。


桜子の部屋では薫子の無事が告げられて、涙ぐむお菊。

「今…今なんておっしゃいました?…薫子お嬢様が…生きている…?」

「はい、生きておられます。今こちらへと向かっているはずです。」

「良かった…っ!本当に無事で良かった!!お嬢様、聞きましたか?薫子お嬢様は無事でございますよ!!…っ…早く目を開けて下さい!お嬢様……っっ!」

その必死の呼びかけに桜子が答えることはない。

喜びと悲しみで泣き崩れるお菊。

「……お菊?」

「!!」

泣き顔をハッと上げ、その聞き慣れた声の主を確認する。

「お菊…。」

お菊はゆっくりと振り返る。そこには捜し求めていた薫子が立っていた。

「お嬢様!!」

「お菊…!」

二人は抱き合って再会を喜び合う。

「お嬢様!お嬢様!!」

「お菊…良かった…!会えて本当に良かった…!」

「話しは全部、あの方から聞きました。まさか、豪族となっていようとは…!」

「私もお前達がこんな形で来ているとは知らなかった。だが、もう安心してよい。私もここに残る。」

「お嬢様…。」

「それで、桜子の様子はどうなの?」

「それが…意識を失ったきり…。」

布団に横たわる桜子は青白いく、まるで死んでいるように微動もしない。

「…酷いようね。」

「はい…。藩主にも話しは通してあるのですが…。」

「そう…。」

まだ回復をしない桜子を今は見つめるしかなかった。


薫子と桜子が再会したことは菫子の耳にも入った。

すぐに菫子は薫子の元へと向かった。

「藩主の新しくお妃なる姫の部屋はこちらか?」

「さようでございます。」

「すぐに連絡を…!」

菫子は薫子の世話役の侍女に中へ連絡するよう命じた。

返事はすぐに返ってきた。

「中へどうぞ。」

菫子は中の部屋へと入っていく。

「お姉様…!あっ…!」

部屋の中を見るともう一人別の者がいた。

「………。」

その者は菫子に気づき軽く会釈をする。

「菫子…。」

「あっ…、ごめんなさい!」

「菫子?」

菫子は慌てて部屋を出て行った。

(なぜあの方が薫子お姉様の部屋に…?)

それは、あの日一目みた時から気になっていた人物だ。

城内の雑用の仕事をし、お嬢様としての生活から一辺して変わってしまい、毎日のように罵りに近い言葉を浴びさせられながら、ただひたすら雑用をこなす菫子にとってどこの誰なのかわからないが、その人は癒しに近い者であった。

その者が行方をくらましていた姉、薫子のもとにいたのだ。

菫子は妙な違和感を抱いていた。

「さっきの者がもう一人の妹君ですか?」

「はい。そうです。」

「それにしても妙ですね。」

「何がです?」

「貴女達姉妹には何か特別なものを感じる。運命に等しいものを…。」

「………。」

「だが、今となっては私達は協力関係だ。これでそなたに命を救ってもらった恩が返せる。何かあったら遠慮なく行ってくれ。出来ることはなんでもしよう。」

「…ありがとうございます。」

お互いそうこう話しているうちに日が暮れ始めていた。

「…そろそろ行かねば。」

「はい。」

「そなたも大変だが、私もそなた達を助けるためにやってみる。」

「お願いいたします。」

薫子はおいたまをする砂州華を見送るために共に部屋の外へと出た。

「!」

「!!」

「…藩主様…。」

偶然にも部屋を出た所で、薫子の元を訪れようとしていた藩主と鉢合わせをしてしまう。

「…何か用向きがあったのか?」

気まずくなっていた空気を破ったのは藩主だった。

「は、はい…。少しばかり用がありまして…。」

「そうか。ならそれでよい。お前はもう行け。」

砂州華は軽く会釈をすると足早にその場を去って行った。

「………。」

「昼間の約束通りに来た。」

「………。」

「中へ入って話そう。」

藩主に促され薫子は部屋の中へと入って行った。


「…それで、臣下を呼ぶ程の用向きとは何だ?」

「………。」

「答えたくないのか?」

「はい…。」

「……まだ、私を許せずにいるのか?」

「いいえ…。」

「ならば、何故私には話してくれない?臣下には話せて私には話せないような内容なのか?」

「…………。」

「何故そうやって黙るのだ…?私とは話したくないのか?」

「………。」

「答えてくれ、光。」

「…私は貴方の妻になりたくはないのです。」

「!」

薫子はゆっくりと藩主の方に顔を向ける。

「父上に言われて嫁ぎはしましたが、貴方の妻になる気はないのです。」

「ならば、なぜ嫁いで来たのだ!そなたなら用もなく嫁ぎはせぬはずだ!」

「妹のためでございます。」

「妹…?」

「はい、貴方の正妻となった桜子様は私の妹なのです。」

「!」

「病の妹を私の代わりに嫁がせてしまい。どうしても気になり、やって来たのです。…ですが、私の勘違いだったようです。」

「?」

「貴方は嫁いでしまった女は粗末に扱う…。例え正妻であっても蔑ろにしてしまう…。そんな方に私が本当に貴方の妻になるとでも…?」

つまり、自分が病で伏せってしまい藩主の愛が不安になってしまった光姫は、藩主の愛を確かめるために、影武者として妹を代わりに嫁がした、ということらしい。

事実、いまだに光姫の死を知らない藩主にとってこのことは、留め打ちに近いものであった。

まさか、自分の愛する女がこんな形で自分を試していたとは知らなかったであろう。

しかし、現実として妹、桜子を救いたいと願う薫子にとってこの者が光姫に向ける愛は絶好の機会でなのである。

藩主を自分の手元で飼い馴らしてしまえば、正妻桜子から周りの注意が薫子に引く。そうすれば、城からの桜子が脱出もしやすくなるのだ。

しばらく考えていた藩主が口を開く。

「…光姫、やはり貴女は賢い女性だ。しかし、その賢さも仇となってしまうこともある。」

「!」

気がつけば、薫子は布団に押し倒されていた。

「な、何をなさるのです!」

「状況がどうであれ、貴女は結局私を選んだ。それに変わりはない…。」

ゆっくりと藩主が薫子の上に覆いかぶさって来る。

「!」

着物の帯が解かれ、袂がはだけ落ちる。

「いや!」

慌てて薫子は手で袂を合わせる。だが、すぐに藩主の手が強引に薫子の手を布団に押さえ付ける。

「大人しくしていろ。私と貴女は夫婦だ。別におかしなことではない…。」

「!」

耳元で優しく囁くように言う藩主。

その声に堕ちて行きそうになってしまう…。

しかし、ふと病で伏している桜子のことが蘇る。

慌てて身を翻し、藩主の身体からすり抜ける薫子。

「…!」

「おやめ下さい…!」

「光…?」

「…正妻を差し置いて…こんなことをしてはいけません…!」

「何を言う?あの者はそなたが差し向けた者であろう。ならば、もう関係ないはずだ!」

「言ったはずです。私は妹のために来たのだと…。病で苦しんでいる妹を差し置いてなぜ、このようなことができましょう?…どうか、もうこのままお帰り下さい…。そして、もう私に会いに来ないで下さい。」

「光姫…。」

必死になって着物の袂を押さえ、涙ながらに訴える光姫はあまりにも頼りなげで、愛しく、それでいて簡単には堕ちない…。その姿の全てが愛おしくて藩主は堪らない気持ちであった…。

だが、状況はともあれ無理に攻め立てることも出来ない…。

藩主はゆっくりと薫子に近づくと額に優しく口づけをするのであった。

「おやすみ…愛しき姫よ…。」

藩主はそう言い残すと自分の部屋へと帰って行った。


その日の翌朝から、藩主は別人のように打って変わっていた。

正妻、桜子の元に足蹴良く通うようにもなったし、藩総でで桜子の治療法探しにもあたった。

そのためかいあってか、桜子の容態が回復し、起き上がれるまでになっていた。久々に、薫子のもとに砂州華が訪れていた。

「まるで別人のようですね。」

藩にいる臣下を始めとする者達も、藩主の変わりように驚いているようだ。

「はい、しかし…一つ不安があります。」

「?」

「このままいくと、桜子に皆の集中が行ってしまいます。そうしたら、桜子を連れ出すことが難しくなりそうなのです。それに、私の立場も確立しなくては、会津藩主に合わせる顔がありません。」

「その点は大丈夫ですよ。私が話しをつけています。」

「あら…、会津藩主とお知り合いなのですか?」

「…!」

キョトンとした表情で尋ねてくる薫子。それが面白くてつい笑ってしまう。

「フフフ…。」

「?」

「いや、失礼。貴女の反応が可笑しくてつい…。」

「あ…。」

可笑しいと言われ恥ずかしそうにする薫子。

「…藩主と私は昔なじみなのです。」

「そうなのですか?」

「はい、私も以前は会津にいました。」

「それがなぜ薩摩へ…?」

理由を聞かれ躊躇する砂州華。まさか、自分が身分まで偽って薩摩へ潜入している会津藩主だとは言えない。

「いろいろありましてね…。それよりも、桜子様の所へは行かなくて良いのですか?」

「そうでした…そろそろ見舞いに行かねば…。」

「ではまた…。」

砂州華は部屋の外で妹の見舞いへ行く薫子を見送った。

「あの方ですか?陸様の想い人は…?」

「!?…成行!!」

驚いて慌てて振り返るといつの間にか成行が砂州華の後ろに立っていた。

「お前いつからそこにいる!!」

「さっきからいますよ。お気づきにならなかったのですか?」

「………。」

「にしても、本当に美しい方ですね…。会津にもああいうお方がいたらいいのに…。」

「こら!滅多なことを口にするな。聞かれたらマズイぞ?」

「分かってますよ。」

「…なら、行くぞ。」

砂州華は成行を連れてその場を離れた。

薩摩の情報は着々と手に入っていた。会津の方も兵士が揃い、いつでも戦に臨めるように密かに準備をしている。

あとは、薫子との約束を果たすだけだ。それまでは薩摩に残らねばならない。

砂州華はそちらの準備にも取り掛かっていた。


一方、薩摩藩主のもとに新たな縁談が持ち込まれていた。

この時代に位の高い男が何人の女を娶っても問題無かった。

ましてや、力をつけている藩主のもとに縁談が飛び交うのも珍しくはない。

今回の縁談の相手は長年、薩摩に使え家柄もをも出している左大臣の娘で月の光のごとく美しいことから“宵月姫”と呼ばれている女である。教養も魅力も他の女には負けない気品に満ちた姫であった。

しかし、藩主の頭には薫子(光姫)のことしかなかった。

だが、長年使えている者だけあって断るわけにもいかず、仕方なく藩主は宵月を迎え入れた。

夜になると、藩主は宵月の部屋へと足を運ぶが、その途中で幾度となく足が止まってしまう。

「…藩主様…。宵月姫が待っておりますぞ。お急ぎを…。」

「…………。」

結婚初夜にして、これ程気持ちの重いものはなかった。

召し使いに急かされるも思うように身体は動かなかった。

「…桜子の元へ行く。」

藩主から指示が出、桜子のいる部屋へと向かう。

すでに、皆寝静まっており桜子は一人で部屋にいた。

「…まだ、起きているのか?」

「!」

部屋の外で声がする。

「どなたです…?」

「私だ、藩主だ。」

「!!」

「中へ入っても良いか?」

「はい…どうぞ…。」

桜子は身なりを整え、入ってくる藩主を迎える。

こうやって面と向かうのはいつ以来だろうか…。

二人の間の沈黙があまりも長く感じた。

ようやく藩主は桜子の側に腰を下ろす。

「……具合はどうだ?」

「はい。藩主様のおかげでなんとか…。」

「そうか…。」

「………。」

さらに沈黙が流れる…。

藩主は戸惑い、何を語りかけていいのか考えている桜子を見つからないようにみつめていた。

病のせいか身体はすっかり痩せ細っており、袖から出る白い手は恐ろしいぐらいに美しく、着物の袂を押さえる手は愛しく感じられた。

そして、ふいにある疑問が浮かんだ。

「…そなたは私を責めないのか?」

「?」

「こんな風にしたのは私だというのに…そなたは何も言わない…。そなたは私のことをどう思っている?」

「……藩主様…。」

真っすぐとした瞳で見つめられる桜子。

あの日のことを恨んでいないと言えば嘘になる。だが、桜子にはそれ以上のものがあった。

「……あの日の事を恨んだりなどいたしません。私を妻として迎え入れて貰えただけでも十分でございます。」

【親】一族に生まれてから、こんなに良い日はなかった。

例え、利用されていても桜子は構わなかった…。

親として生きられなかった桜子…。その存在価値を見出だしてくれたのは紛れもない藩主だった。

病に犯されている娘を策略のためとは言え、迎え入れる者はいない。

それを嫁として、また立派な正妻として迎え入れてくれたのだ。

そして今回も、命を助けてくれた…。桜子にとってこの上ない幸せであった。

「だから、罪などとは思わないで下さい。私はいつでも貴方をお待ちしているのですから…。」

「桜子…。」

その笑顔に思わず抱かずにはいられなかった…。

フワッとした心地が桜子の身体を包み込む…。

「今夜は以前に出来なかった溝を埋めよう。私は今宵は貴女だけを見つめていたい…。」

「藩主様…。」

「桜子……。」

互いの唇が重なり、桜子の身体は藩主に預けられた。


一方、新しく妻となった宵月は藩主が別の女の所へ行っていると聞いて苛立っていた。

「まさか、よりにもよってこんな日に別の所へ行くのか…!」

「仕方がありませぬ。藩主はあちらのお方を愛しておられるのですから…。私も、うらやましいのでございます…。」

「うらやましい…?一介の女官が何を言っている?」

「正妻、桜子様と側室薫子様は私の実の姉でございます。」

「!?…そんなこと信じろと…?」

「信じる信じないはお好きなよいに…。だけれど、同じ女として、その痛みはわかります…。」

淡々と語る菫子。その姿が逆に宵月には疎ましくも、味方のよいにも感じていた。

「それで、お前なぜ侍女などをしているのだ?姉妹で来たのなら、妻になっているのではないのか?」

「私はなれなかったのです。」

「なれなかった…?」

「私の後ろには誰もおらず、雄一の味方だった方ももういないのです。」

「だから、なれなかったと…?」

「そうです。」

「なんとも哀れな女だな。」

二人は初夜の代わりに会話に勤しんだ。

たが、これがさらなる悲劇の始まりだとはまだ誰も知らなかった…。



こんにちは。原作のユリです。

この度は[夜桜物語]を手にとって頂きありがとうございます

このお話は前作[桜吹雪]の始まりとなるお話です。

引き続き連載を予定しているので、最後までお付き合いくだされば嬉しく思います。

なお、前作[桜吹雪]は作者名が違うので何卒ご了承下さい。m(_ _)m


【登場人物・関係】


薫子(光姫):数すくない血の良い【親】一族の血を受け継ぐ娘。妹を救うために【親】の掟を侵してしまう。現在、豪族・光姫として生きている。

桜子大切な妹

菫子妹

砂州華頼れる仲間

藩主元・恋人


桜子:【親】一族の娘、薫子の妹。

病に犯され一族に見捨てられてしまう。

薩摩藩主の正妻として過ごす。

薫子姉

菫子妹

砂州華使いの者

藩主最愛の夫


菫子:【親】一族の娘、薫子と桜子の妹。賢い知力を持ち合わせているため、会津に間者として送られそうになるが、薩摩の宮仕えとして今にいたる。

薫子酷い姉

桜子姉

砂州華想い人

藩主敵


砂州華(陸):会津藩主。命を救ってくれた薫子のことが忘れられず、薩摩に会津の密偵として潜入している。

薫子内に秘めた想い

桜子薫子の妹

菫子

藩主敵


藩主:薩摩藩主。【親】一族を利用し野心を忍ばせている。元恋人・光姫を忘れられない。

薫子(光姫)想い人

桜子妻

菫子宮仕えの女

砂州華(陸)一目おく部下


満秀:薩摩の豪族。一人娘・光姫を亡くし、身代わりとして路上で迷っていた薫子を娘とする。


光姫:薩摩藩主の元恋人にして婚約者。藩主の愛を一心にして受けてきた姫。今はもう亡くなっている。


【・血縁関係 信頼・仲間関係 恋愛関係 疑い・敵視関係 敵対関係 曖昧・微妙関係】

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