『定め(hutarino_syukumei)』
――ジンは懐から煙草を取り出すと咥えた。
1つ、吹かす。目を細める。息を吸い込む。
そして、
「これが、俺の物語のすべてだ」
「……」
ジンの言葉に誰も答えなかった。当然だろうなと思った。
「俺は元・空賊。しかも賊長。死に損ないのな」
「……ただのお人じゃぁないだろうとは思ってましたけど」
ポツリと最初に呟いたのは新だった。「ちょいと想像以上」
小暮は何も言わない。普段どおりの仕草で麦酒を飲んでいる。秀一は目を見開いたままコップの端とジンの顔を見比べていた。
「それで――さっきキシワギ大佐に見せられた写真ってのが?」
「フズだ」
「……元・【ケルベロス】の」
「ああ。あいつの狙いは俺だ」
「……」
「あいつは俺を憎んでいる――殺したいほどにな」
でも、とジンは思う。まさかあいつが『黒』に行っていたなんて思いもしなかった。
再会からずっと思っていた。
(あいつとザは)
俺とは違う道を、違う空を、どんな思いでこれまで飛んできたのか……。
(俺を殺すため?)
苦笑する。
それは、ジンが自ら仕向けた事。
だから、
「あいつはきっとこれからも、何らかの形で横槍を入れてくるんだろうよ。だが――あいつは俺が相手をする。これは誰にも譲れない。それはフズ自身にもだ」
殺意、敵意、憎悪、何でもいい。向けるならば向けろ。
だがそれは俺にだけ許す事。
他の何者に対しても俺以外の者にそれを向ける事は、この俺がこの生きながらえた魂でもって絶対に。
――許さない。
「まぁお前らが、副長が元・空賊だって事に不満なければの話だがな」
そう言ってジンは自嘲気味に笑った。
ここでもしも全員が。ジンという存在に意義を申し立てたら。迷わず彼は隊を抜けるつもりだった。その覚悟で語った事だった。
しかし返った言葉はジンの予想していた物ではなくて。
「1つ聞いてもいいですか? ジンさん」
「何だ」
「さっきの話の顛末からすると……『七ツ』のメンバーはジンさんが決めたっていうように聞こえましたけど」
「そうだが」
「とりあえず、選考基準聞かせてもらえます?」
新の問いに、ジンはニヤリと口の端を傾けた。「面倒臭そうな奴」
「他所で扱いに困りそうな、厄介な奴をくれと言ったら、こういう面子が集まった」
「何スかそれ」
「……なるほど」
新と小暮は半ば呆れ顔で納得したが、瑛己はとても嫌そうな顔をした。彼は『笹川』で問題行動を起こした覚えはなかった。
ふと瑛己は飛の顔を見たが。
「……」
さらに嫌な物を見た気がして、すぐさま目をそらした。
「真面目で大人しい奴が集まったって、面白くないだろう?」
「ジンさん、空賊作るんじゃあるまいし」
「まぁある意味、空賊みたいなもんか。俺たち」
「ちょっと……ちょっと待ってください。僕はそんな、問題児じゃないですよ!」
「何をおっしゃるやら。秀一クン。君、ご自分が何て呼ばれてるかお忘れで?」
「え」
「〝予言屋〟」
「そりゃ、他の隊じゃ扱いに困るわなぁ」
「……」
「秀一、ほれ、聖見てみろ。あいつもちゃんと納得してるじゃないか、なぁ? よかったじゃんか、俺たち、ジンさんの選考基準通ってこうして集まれてさぁ」
「……俺も納得してないんですが」
一時静まったテーブルに、騒ぎが戻ってくる。
やいやい暴れだす327飛空隊の面々を見て、白河は満足そうに笑って酒を飲んだ。
ジンは不思議そうな面持ちで、自分が選んだ面々を見ていたが。
「風迫」
「?」
「これが、お前が選んだ連中だ」
「……」
磐木に言われ、ジンはふっと苦笑した。
――恐れていたのかもしれない、とジンは思った。
真実を話す事が。空賊の賊長であった事、死刑台にまで立った事。そんな過去の経歴を聞いた隊員たちに拒絶される事を。
だからずっと、口を閉ざしていたけれども。
「……」
これが、自分が選んだ者たち。
5年前、自分は助かりその代わりに多くの仲間を失った。
生き残ってしまった事に後ろめたさも感じていた。
だからこそ、自分は今の環境に馴染んではいけないのだと、どこかそう思う気持ちもあった。
副長という肩書きはあったけれども、隊にのめり込むようなマネはしたくなかった。
けれども。
(すまん、皆)
許してくれるか? 皆。
俺がここに生きる事。こいつらと共に生きる事。
笑う事。
そして戦う事。
許してくれるか……お前ら以外の人間を。
〝仲間〟と認める事を。
「ジンさん、ジンさん」
「……?」
ジンの隣にやってきた飛が、ズイと顔を近寄らせた。
こいつの目ときたら。爛々と輝いていて。
「ちょっと聞きたい事が。空賊ってどない運営してったらええんですか?」
「……飛、俺の話の顛末を聞いてなかったか? 空賊は死刑だぞ」
ジンは苦笑する。
磐木は飛をぶっ飛ばす。「馬鹿者! 空賊になるつもりか!!」
「俺、まだ何んにも言うてないし!!」
「顔が言ってる顔が!!」
「えーっ、いつもと同じ顔ですって」
「飛がついに空賊になるって? ひゃはは」
「さっさと逮捕した方がいいんじゃないですか?」
「そうですね。『ビスタ』の牢獄に入れてもらってください」
「秀ぅー、お前まで何を言う」
「はは、須賀君。空賊なるとして副長は誰にするんだい?」
「……そらもちろん、なぁ? 瑛己」
「断る」
「即決早すぎ。少しくらい考えろって」
「うわ、空賊【空戦マニア】が結成されたぞ! 聖も牢屋にぶち込め」
「そうですね。逮捕逮捕」
「……俺はまだ何もしてないのに」
地元の酒は『蒼』より暑くて。
ジンの目じりに少し涙が浮かんだ。
【ケルベロス】は忘れない。
仲間の事も忘れない。
笑いあった日々も、泣いた日の事も、そして犯した罪も。
忘れない。
全部連れて、また新しい道を歩いていく。
新しい世界を、生きていく。
生きていく。
◇ ◇ ◇
そして同日、同時刻。
「やれやれ、面倒臭い」
男は嘆息を吐いた。
「準備はいいか? ザ」
「うぃ」
「いけるか?」
「ああ、フズ」
ザの言葉を聞き、フズは満足げに笑った。
そして右目の片眼鏡を持ち上げ、背後を振り返った。
「今回に限りますからね?」
「……助かった」
『ゴルダ収容所』。
その夜、そこは建設以来、2度目の脱獄が成されようとしていた。
1度目の脱獄者が出て以来、管理体制は強化され、万全と言われる警備を誇っていたが。
「あーらら、女性職員発見」
「構わん、始末しろ」
「イエッサ」
脱獄だというのに、フズと上島 昌平は走りもしない。
先頭を行くザのみが銃を乱射していた。
容赦のない、徹底的な皆殺しであった。
悲鳴を上げる暇もないほど、ザの狙撃は的確だった。
「本当に、フズ君、何と礼を言えばいいか」
上島の下卑た笑みに、フズは嫌そうに顔を歪めた。
「あんたにはまだ利用価値があるってだけ」
言って、彼は持っていた銃で監視カメラを撃ち抜いた。
そしてそれをそのまま、上島の鼻先に突きつけた。
「でも次はない」
「……ッ」
「……次にこんな事があったら。よしんば命永らえても」
俺がこの腕であんたを殺す。
――地獄の番犬、その牙で持ってして。
上島はフズの表情に震え上がった。
その様子に彼は満足したようにフッと笑い、銃を戻した。
外に出ると月が出ていた。
雪は止んでいた。
それを見上げ、ほぅとフズは息を吐いた。
その目の前に、森から一匹の獣が飛び出した。
黒い毛並みの狼だった。
目だけが光って、フズを見ていた。
上島が彼の傍らで悲鳴を上げたが。フズはそれをぼんやりと見た。
そして。
最後、フズはその狼を撃ち抜いた。
簡単にそれは倒れた。
襲い掛かってくる事はなかった。
「……」
何のために彼の前に出てきたのだろう?
(殺されるために?)
そう思い、フズは笑った。
「ザ、行くぞ」
「うぃ」
出発点は同じだったのに。
違った道。
それは運命の悪戯か?
いやむしろそれは、
(定めか)
俺とカシラとの。
「……」
月夜にフズは微笑む。
わかってる。
選んだのは、神でも仏でもなく。
俺自身だ。
歩き始めたフズの顔を、見たのは月だけだった。