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 『邂逅――極寒の冬(7_years_ago)』-9-

 〝森の贄〟。そう呼ばれる収容所。

 ジンは恵に腕を引かれ、リョウの後を必死に追いかけた。

 時間の感覚がないジンは、外に出て初めて、今が夜だと知る。

 窓越しに、雪がちらついているのが見えた。

 ――どこをどう走ったか知れない。

 時々、倒れている警備兵も見かけた。

 リョウの腕にも恵の腕にも、銃が握られている。

「お前ら、」

 それを見てジンの中に色々な感情が浮かんだが、

「そろそろ気づかれるぞ。塀を越える。ジン、飛べるか?」

「私がまず先に行く。ジンはその後に続いて」

 高い塀で囲まれたこの場所。老朽化で少し崩れたたった一箇所の部分を飛び越え。

「後はまっすぐ!!」

 3人は走った。

「どうしてお前ら、」

 走りながらジンは尋ねた。久しぶりの全力疾走に、息が上がっていた。

 それを見てリョウがへへへと笑った。

「この先、ミナミとナタクが待ってる。逃走経路は確保してあるから」

「ミナミ……ナタク……皆……」

「ジン。皆無事。俺たち、何とか生きてたよ」

「……」

「へへへ……って、いいかな、久しぶりに昔みたいに話して。ジンて呼んで、いいかな? 怒られちゃうかな」

「……バカ。いいに決まってんだろ。当たり前だろうが」

「ゼンコーが聞いたら怒るかな。へへへ……ジン、ジン……バカ野郎、一人で勝手に捕まりやがって」

「リョウ」

 森の中。リョウは立ち止まりジンの頬を軽く殴った。

「バカ野郎……何でお前、自首してんだよ」

「それは、」

「俺たちに何も言わないで……バカ野郎、バカ野郎。どうせお前はきっと、俺たちのためにとか言って」

「……」

「勝手に一人で決めてんじゃねぇよ! バカ!! どうしてお前はそうやっていつも相談しないんだ!!」

「……すまん」

「お前の姿が消えて、行方がわからなくなった直後だよ。軍がアジトに攻め込んできて。……わけわかんないうちに皆捕まったんだ。それでバラバラにされて」

「……」

「直後、お前が捕まったって聞いて。警吏の連中からはお前は俺らを裏切ったんだとか、俺らを道ずれにしたんだとか聞かされるし。びっくりしたよ」

「すまん」

「でも俺はお前の事わかってるから。俺らはわかってるから。お前がそんな事するかよって。やるとしたら、自分を犠牲にして俺らを守るとか、そういう方向じゃないの?」

「……」

「シスターたちの代わりに俺らを守るとか言ってさ。カッコつけのジン賊長だもんさ。どうだ? どうせ図星だろが」

「……すまん」

「バカ。アホ。ボケ!! ずっと言ってきただろうが、一人で抱えるなって!! お前を賊長にした俺らの身にもなってみろ!! まんまとお前の命でこの身が救われたとしても、残された俺らはどうすりゃいいってんだ!! ドアホが!!」

「ちょっとリョウ、声大きい」

「……」

 こみ上げる、想い。

 熱い。

 こんな感情があった事を、ジンはやっと思い出す。

「すまん」

 嬉しくても涙が出る事を。

 もうずっと、忘れてた。

 ――12歳の時飛空艇で屋敷を飛び出し、命からがらたどり着いた修道院で初めてもらった食事。その温かさに思わず涙したあの時から。

 あそこから始まった物語。あれから10年余り。

「すまん……」

 もう彼はそれしか言えない。

 生きている事。

 こんなふうに誰かと話をする事。誰かに罵られても、諭されても。

 誰かがいる事。

 仲間がいる事。

 共に笑い合い、共に苦楽を共にした仲間が。

 今、目の前にいる事。

 こんな事がたまらなく。

 嬉しくて。

 涙がもう止まらない。

「ジン」

 その涙をぬぐうように、恵が頬に口付けた。「走ろう」

「行こう」

「――ああ」

 ごめん。

 ああ、まだやり直し利くか?

 誤った選択をした。

 そのやり直しは。

 生きている限り、どうとでもなるのか?

 神は最後まで、選択を許してくれるのか?

 希望を描く未来をもう1度――。

(もう1度すべてをやり直す事が)

 できるのかもしれない。

 そう思いながら、ジンは走った。





「リョウ、お前だけど、どうやって脱獄を……?」

 いくらか走った。

「へへへ。そこは、ミナミのおかげ」

 雪が、少しずつ勢いを増していた。

「あいつが妊娠してたお陰だよ。だから警備が薄かった。そこからミナミが抜け、俺も逃げられた」

「妊娠て、……まさか」

「へへへ」

「お前!!」

「へへ、びっくりだろ? なぁ? 俺が父親だぜ? 人の親だぜ?? なぁどう思うジン?」

 もうそれは、足元にも随分と積もり、彼らの走る後ろには足跡ができている。

「おめでとう」

「リョウ、良かったね」

「へへ。ありがとな。本当に……ありがとう」

 どうか雪よ、もっと降れ。その足跡をかき消すように。

 彼らの姿を消し去るように。

 真っ白の世界へと。

 彼らをいざなえ。導いて。

 少しでも遠くへ。

 彼らが逃げる事ができるように。

「次はお前らだよな」

「え?」

「ジンと恵。逃げ延びたらさ、お前らも、な?」

 彼らを隠す木々が、直に途切れる。

 雪は風を伴い、音を立て始める。

「あ、ほらあそこにミナミたちが」

 リョウは手を振った。

 木々を抜けたその向こうに、ジープに乗ったミナミとナタクの姿があった。

 リョウに気づいたミナミが手を振る。

 満面の笑顔だった。

「臨月なのにさ、ジンの救出に行くって言ったら絶対に手伝うって聞かなくて」

 笑い合う少年たち。






 樹海が終わった。

 そしてその時間も。

 終わった。












 銃声。









 つんざいたのは獣のように唸る吹雪と。

 ミナミ。

 手を振っていたミナミから、ドバっと血が噴出した。

 大きくなったお腹を下敷きにして、彼女は、ジープから転げるように地面に落ちた。

 何が起こったか、ジンにはわからなかった。

 ただ、

「ミ、ミナミ――――ッ!!!!!!!!!!!」

 リョウの叫び声と。

「リョウ!! 行くな!!!!!!」

 恵の叫び声。

 しかしもはや、リョウの耳に恵の制止の声など届くはずなく。

 ドドドドドドドド

 樹海から飛び出した彼を待っていたのは、放射の銃弾。

 リョウの体は、ひしゃげるように、鉛の弾に貫かれる。

 赤が散る。

 白い雪のじゅうたんにそれは。

 花を咲かせるように。

 無遠慮に。

 鮮明で。

 まがまがしく。

 そしてその上にリョウの体は打ち付けられる。

 もう、そのまま彼は動かなくなった。

「うぁぁああああああ」

「ナタク!! 顔出すな!!!!」

 恵は言ったけれど。

 半狂乱になった彼が銃を引き抜き明後日に向かって撃ちかけようとしたその刹那を。

 ドドドドドドド

 ダダダダダダダ

「ジン、伏せて、こっちへ!!」

 恵に引っ張られ、2人はリョウたちに背を向け走り出した。

「罠か……ッ!!」

「恵、」

「全部、罠だったんだ……ッ! クソッ、こんな……ッ!」

 背後から、たくさんの気配を感じる。

 逃すなッ!!!!

 捕らえろ!!!!

 聞こえてくるその声に。

「恵」

 ジンはもう、目の前で見た光景に。

 もう、

 もう、

 ――足が、ふらついた。

 転びそうになったジンを、恵が咄嗟に支えた。

 その瞬間、銃声がした。

「う」

 一つ、恵が呻いた。

 だが。

「――ジン、走ろう」

「恵」

「大丈夫だから、走って」

「……」

「大丈夫、大丈夫」

 ――大丈夫。

「あんたが最初、私に言った言葉じゃん」

 焼け野原から助けた少女に、ジンは何度も言った。大丈夫だと。

 それ以外に言葉が浮かばなくて。

 でも安心させたくて。

 だから繰り返した。

 大丈夫だと。

 ここは、大丈夫だからと。

「走って」

 走らなければならないと、ジンは思った。

 だから、走った。

 極寒の吹雪の中。

 握り締めた互いの手の温もりだけが。

 世界のすべてだった。







「……そこ、岩陰、入って」

 しばらくして、恵の言う通りにあった大きな岩の陰に、2人は転がり込むように入った。

 息が乱れる。苦しい。

 吹雪の中にそれは、白い煙となる暇もなく吹き飛ばされる。それだけが唯一の救いだった。

 吹雪く白は荒れ狂い、亡者のような悲鳴を上げ続けていた。

「……ハァ、ハァ、ハァ……」

 立ち止まると蘇る、さっき見た映像。

 リョウが。ミナミが。ナタクが。

「……ッ」

 胸の奥から湧き上がる感情。さっきの涙とはまた別の。

 もっともっと熱い、こんな感情をジンは知らない。

 この身がそのまま、弾けてしまいそうだった。

「……すまん…………ッ」

 呟く彼の横で、恵は手にしていた銃を持ち上げた。

「あたしを助けてくれたのも、リョウたちだよ」

 カラカラと、空になった薬莢やっきょうを落として新しい物を詰めて行く。

「【ケルベロス】にとってお荷物同然の私を、あいつらは『仲間だから』って。助けてくれた」

「何を、」

 お前がお荷物なわけがないだろう、そう言いかけるジンを無視し、恵は続けた。

「5年前、あの町を追われた理由も、そして今回だって。私の事があったからでしょ?」

「……それだけじゃない」

「山瀬は……娼館の主人と懇意にしてて。羽振りがよかったから。皆あいつの言いなり。……でも私は大嫌いだった」

「……」

「あいつに抱かれるくらいなら死んだ方がマシだった。だからあの日私は、あの場所に行ったんだ」

 ジンはかぶりを振った。そんな彼を、恵は愛しそうに見つめた。

「ねぇ、ジン。あの時の事、覚えてる?」

「……?」

「あなたが最初に『蒼』の町を焼いた時。私はあなたに、殺してくれって頼んだけれども」

 ガチャリ。銃にすべての弾がこもる。

「生かしてくれて、ありがとう」

「恵……?」

「あなたがあの時助けてくれた。だから私はあなたに会えた。皆に会えた」

 恵がそっと、彼の頬に手を触れる。

 包み込むように、その両手で。

 血のついた、その手で。

「ジンに会えてよかった。皆に会えて私は、幸せだった」

 ありがとう、ジン。

「恵、」

 恵はジンの唇に口付けた。

 甘い感触だった。

 懐かしい感触だった。

 そして、悲しい感触だった。

「……まっすぐ行けば、街道に出るから。道は皆が作ってくれてあるから」

「恵」

「走って」

「お前、」

「皆があなたを守る。だから」

「そんな事、」

「生きて」

「……恵、俺は」

「大丈夫だから」




 走って。生きて。

 恵はそう言って笑った。




「……ジン、笑って。どうか最後に、」









 笑顔、見せて。









 ドドドドドドド

 砲撃の中、恵は立ち上がった。

「走って!!」

 その背中を押される。

「逃げて!!」

 微笑む恵の姿は。

「生きて」

 それだけを言い残して。

 彼女はたった1人で銃火の中へと立ち向かう。走り去る。

「ジン、生きて!!!!!!!」

 その言葉、吹雪の中にも消える事なく響き。

 ジンは。

 ジンは。

「……………ぅぁぁぁぁぁあああ!!!!!!」

 逃げられるか。

 仲間も愛する人もいない世界に。

 何が残る? 何が見出せる?

 ――皆のために、生きて。

 そんなの。

 俺がした事以上の。




 立ち上がったジンが向かったのは、恵に指し示された道ではなく。

 彼女が向かって行った、銃火の中であった。






  ◇


「……3名射殺。2名捕縛」

「了解」

「1名は銃傷により意識不明。大使が連れて行かれました。もう1名は?」

「奴は正式な場で処刑する。流れ弾で有耶無耶にするわけにはいかん」

「は」

「奴の終わりはきっちりと、我々も国民も見届ける義務がある」


  ◇



 ただの、孤児の集団が。

 いつしか〝義賊〟と呼ばれ。

 いつしかザークフェレスの末端とも言われ。

 彼らが〝正義〟と信じて突き進んでいた道が、政治の敵と見なされ。

 国民や他の空賊が彼らを評価するほどに、政府には国の根幹を揺るがすと言われ。

 誰が持ち上げた?

 ただのガキ集団を、こんな場所まで。







「お前の処刑の日程が決まった。年が明けたらすぐだ」

「……」

「そうそう。言い忘れてたがな。捕まっているお前の仲間、今回の事で即日5人処刑した」

「―――――」

「また脱走されても困るからな。もう裁判なんて言ってられない。順番に刑を執行する」

「………そ、そん、」

「何だ? 今回の一件でどれだけの被害があったと思う? お前の仲間がどれだけ殺したと思う? それにお前が逃げるからだろ? お前が逃げずにじっとしていれば、事態がこんな性急に動く事はなかっただろうに。よしんば釈放なんて事もあったかもしれんに」

「……や、や、め、やめ」

「ああ、今日も多分今頃、東の処刑場で」







「や、や、やめて、やめて…………………………」














「カシラが逃げた?」

 フズはそれを、看守に聞いた。

「ああ。その見せしめにお前の仲間を順番に殺してる。お前にも直に順番がくるだろう」

「……」

「何でも、脱獄した【ケルベロス】メンバーを捕まえるためにジンの所に罠を張ったんだとか。奴らの行き着く場所は決まりきってたからな。ジンも、自分の身の保障を条件に仲間の捕縛に協力したらしいぞ。まぁ当然、賊長のあいつが無事なわけがなかろうに。馬鹿な奴だ」

「……」

「恨むなら、ジンを恨め」

「……フ、くふふふふふ……」

 大笑いを始めたフズに、気が触れたかと牢に入ってきた看守に。

「ぎゃははっははははっはははっは」

 フズはそのまま、殴りかかった。

 そのまま死に物狂いで殴り、殴られ、殴り、殴られ蹴飛ばされ。

 気づいた時には何人もの看守に取り囲まれ、石畳に転がされていた。

「はは、はは」

 右目がうまく開かない。

 そしてそれが開くようになった時にはもう。

 視力のほとんどを、その目は、失っていた。



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