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 『邂逅――極寒の冬(7_years_ago)』-8-


「なぜだ。なぜ奴らの処罰が遅々と進まん!!」

 ほぼ毎日のように、『蒼国』大使・山瀬 彰文は部下を叱責した。

「ですから大使、それは『ビスタチオ』の法律上の問題と、」

「さっさと全員死刑にしてしまえ!!」

「後は、世論のせいです」

 山瀬はでっぷりとした体を揺らし、顔面を歪めた。「〝世論〟だぁぁ??」

「【ケルベロス】は民衆に支持されすぎています」側近は必死に山瀬に説明する。

「奴らがこれまでやってきた行い……〝悪しきを挫く〟その姿勢。それを民衆は予想以上に評価している。彼らはある意味、英雄にもなっている。その上昨今メディアが伝えた、彼らの生い立ち――修道院で育ち、そこが焼き払われた事によって空賊になるより仕方がなかったという話が、美談として広がり、裁判にも影響が。民衆は彼らを釈放せよと、大規模な署名まで行われているそうですよ」

「くだらん!!」

 山瀬は悪態を吐いた。

「薄汚いネズミどもがっ」

「どちらにせよ、裁判権は『ビスタ』にあり。我らでは如何いかんともしがたく」

「……まさか、本当に無罪放免なんて事にならんだろうな?」

 苛立たしげに言う山瀬に、側近はニヤリと笑った。「まさか」

「『ビスタ』政府にしてみれば奴らは、邪魔でしかない。万が一にも釈放なんて事があろうとしても……生かしておくような事はありませんよ」

「公開処刑か、暗殺か?」

「どの道やつらには、死より他にありません」

「――結構」

 山瀬は心底嬉しそうに笑った。

 ――その笑い声を、そっと物陰から聞いている者がいるとも知れず。


  ◇



 冬を越えた。

 これはジンにとってはまず1つの幸運だった。

 投獄されて最初の冬、ジンが収容されていたのは北部の『モア』という所だった。

 そこは国内で最も寒さ厳しい場所と言われ、牢獄がそのまま処刑所とも言われるような所であった。

 実際にジンは、何人かが牢屋からあわただしく連れ出されるのを見た。そしてそうした者達は二度と戻ってはこなかった。

 ジンはそんな中、ある一念を持って必死に冬を越えた。

 それはすなわち、「死んでたまるか」。

 世論の事などはわからないが、裁判が長引いているのは感じている。

 だがとにかくジンは1日でも多く生きる事を。ここにきて願っていた。

(まだ死ねない)

 捕らえられた仲間はどうなったのだろうか?

 そして恵は?

(俺は、)

 考えれば考えるほど、ジンは強く思う。まだ死ねない、死ぬわけにはいかない。

 ある日突然、死の瞬間はやってくるかもしれない。

 けれどもまだ。彼の中で心臓は燃えるように鼓動を打っていた。

 その鼓動が彼を奮い立たせ、狭い牢獄で凍えるのを防ぐために体を必死に動かし続けた。

 ――そうした中、どうにか春を迎える事ができた頃、ジンは別の場所に移される事になる。

 『ゴルダ収容所』である。

 『ア・ジャスティ』に隣接する収容所で、別名〝森のにえ〟とも呼ばれる場所であった。

 その施設は建設から20年ほどが経っていたが随分ときれいだった。常に死臭が漂う『モア』に比べれば、別天地に近かった。

 元々は容疑のかかった者の取調べ・刑確定前の者の収容を目的とした施設だったが、裁判の都合からここに移された。実際ジンも正式には刑は確定していない。

「お前が【ケルベロス】のジンか。よくも我らの同胞を幾人も墜としてくれたな。今すぐこの場で礼をしてやりたいくらいだ」

 『ゴルダ収容所』にやってきた初日、一番奥にある彼の部屋にわざわざ足を運んだのは、カイ・キシワギ中佐。当時はまだ空軍の一部隊の指揮を執っていた。

 恨みのこもった目で見られ、ジンは少し笑ってやった。

「何だか知らんが、素人に負ける方が悪いのさ」

「何だと!!」

 そう言ってクックと笑えるほど、ジンは少し気を持ち直していた。

 いや、ある意味で開き直りができたのかもしれない。

 冬将軍という死神の手を逃れる事ができ、春を迎え夏を迎える事ができた事が、ジンの心を強くした。

 ――だが。

 夏が終われば秋がくる。秋が来ればまた、冬は訪れる。

 極寒の冬が。

 そしてこの国において暖かい時期など、ほんのほんの僅かの事。




 牢獄で過ごす2度目の冬。

 去年ほどではないと自分自身にそう言い聞かせる。だが厳しい事に変わりはなかった。

 窓一つない部屋では外の様子など知りようもないが、この季節ならば雪でも仕方がない。

 大まかな気温の変化と食事が運ばれてくる事で時間が動いている事を知るのみで、実際に今日が何日だとかそういう事はもうわからない。

 投獄されて随分長い時間が経ったようにも思えるし、まだ間もないような気もする。

 1年という時間は、取り残されているような、もう別の世界に来てしまったような。

 実際にはもう俺は、元いた世界とは切り離された死の世界にきているのではないか? そんな事も思えてくる。

 今待っているのは死後の、天国と地獄のどちらへ行くかの裁判で。

 生か死かの判決なんぞ、もうとっくに下されてしまっているんじゃないかとか。

(だとしたら)

 俺の行く先は地獄かなと、そう思った。

 シスターたちは天国だろう。ならばもう会えない。

(皆は……?)

 仲間たちはどうしただろう……?

 これまでずっと、ジンは必死に訴え続けてきた。

 仲間は何も悪くない。

 空賊に引っ張り込んだのは自分。すべては自分の責任だと。

 だから仲間は離してくれと。

 罰を受けるならば、すべて、自分が1人で受けるから。

 どうか、どうか……と。

「……」

 各地の収容所にバラバラで入れられたという仲間たちの顔。

 毎日必ず思い浮かべ、心でその名を呼びかけている。

(マホ……まだ小さかったのにな。ミナミの後ろでいつも一生懸命動いてたよな)

(ソウ……ごめんな。俺が気づくのが遅かったばかりに。あんな所で……ごめんな)

(トミテル……無茶させたよな。許してくれ。お前はいつもシスターにくっついていたから、今頃はきっとシスターたちの腕の中で)

 【ケルベロス】結成時26人だったメンバーは。

 出会いと別れを繰り返しながら、この時点19人になっていた。

(リョウ、ミナミ……フズ、ザ……クズハ、ナタク、ハナカ、アラシ……)

(ゼンコー………すまん………)

 すべての名前と共に。

 いつも最後に浮かべる顔は。

(恵…………)

 あの少女の姿。

『ジンは、何もかも1人で背負いすぎなんだよ』

 何度そう言われたかわからない。

『あなたはいつも皆の事ばっかり考えてるでしょ? 自分の事なんかそっちのけで』

『もっと自分中心で考えてもいいんじゃないの? あなたが賊長なんだから』

『でも、皆それをわかってるから。だから皆、あなたについていくんだよ』

『私も……そういうあなたが』

 好きだから。

 そう言って2人は、何度も唇を重ねた。その身も重ねた。

「……」

 恵。その名を呼ぶ。心の中で呼ぶ。何度も呼ぶ。

 今どうしてる? どこにいる?

 山瀬が言っていた。あいつの屋敷にいるのか?

(あの男の元に、)

『君らのアジトはもう判明しているんだ。いつだって踏み込める。総攻撃さ。そうなれば全員皆殺しだ。どうだね? 君が自首する、そうしたら仲間の命は助けてやってもいい。恵もだ』

 去年、不意に言われたその甘言に。ジンはまんまと乗ってしまった。

 ひとえに、仲間を救うために。

『もうあの女からも手を引こう。どうだね? 君の命が引き換えだ』

 そして恵を守るために。

「恵」

 すまん。

 皆、すまん。

 助けたかった。

 なのに俺は。

(非力だ)

 何が賊長だ、【ケルベロス】だ。

 俺は何一つ変わっていない。ガキの頃のまま。

 手にした力は虚構。

 何も守れない。

 ましてやこの命を、誰かを救うための盾にする事すらできないのか?

「ジン」

 その名はシスターがつけてくれた。一陣の風のようだと言われた。

(皆……)

「ジン」

 誰かが名を呼ぶ。幻聴か?

 ならばどうか俺を許してくれ。

 こんなふがいない俺を。どうか。

「……ジン!」

 いや。

 ジンはハッと顔を上げた。






「ジン!!」






 幻聴ではない。

「……あ……」

 これが幻聴なら、目に映る姿も幻覚。

「ジン!!」

 鉄格子の向こうに、人が立っている。

 よく知る顔。

 夜毎思い出す声。

 肌の温もりと。

 感覚。

 甘いにおい。

 ――記憶の中にある、彼女が今、目の前に。

「ジン……っ」

 鉄格子を握り締め、泣いていた。




「恵……?」

「ジン、」

 格子の隙間から、手が伸ばされる。ジンは身を乗り出した。

 触れる感触。温かい。

 夢か? ならばこれは何という悪戯。

「悪い、恵、そこちょっと退いて」

 そう言って、彼女の隣にサッと現れたのは。

「……リョウ?」

「生きてたか、ジン」

「お前、」

「今錠前外すから。ちょい待ち。準備しといて」

 何が起きているのか、ジンにはよくわからない。

 ただ、開いた錠を押しのけるように、部屋に飛び込んできた恵が。

 ジンの胸に飛び込んできた彼女の柔らかさと温もりが。

 ジンにとってすべてで。

 ――もう、俺は別世界にきたのだと。ここはもう生ある世界ではないと思っていたから。

 だから。

 彼女の感触が、ジンの中のすべてを引き戻していく。

 俺はまだ、生きていると。

「ジン、良かった…………」

「何で、お前」

「説明は後、とにかく逃げるぞ。恵悪い、そいつ頼む」

「ジン、立って。行こう」

「あ」

 囚人服の上から、恵にそっとジャンバーを着せられる。暖かい。

 そして彼女に腕を引かれ、ジンは牢屋をくぐり抜けた。

 足はおぼつかない。

 でも、動く。走り出す。

 まだ体は動く。心臓は打っている。

 時間は少ないけれども。

 それでも、残されていた。





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