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 『邂逅――ジンの章(7_years_ago)』-6-


 ――ジン。

 そう呼ばれる前、彼には別の名があった。

 彼の父親は『蒼』では名の知れた企業の重役。

 母はその屋敷に勤める女中の一人で、ジンの父親にはすでに本妻がいた。

 会社の基盤を『ビスタチオ』への進出するという事で、一家でそちらへ移った翌年にジンは生まれる。

 そして実母はその後すぐに亡くなる。彼女はまだ20歳であった。

 ひどい難産のため体調を壊したと言われたが、屋敷内ではもっぱら、本妻が殺したのだとささやかれた。

 生まれたジンはその屋敷で育てられる事になった。だがそれはもちろん息子としての扱いではなく、子供としての扱いですらなかった。

 養母は事ある事に彼を苛み、実父も空気のようにしか扱わなかった。

 いたぶり、さげすみ、虐げ、奴隷のように働かせる。

 泣く事も笑う事も許されない生活の中。

 ――ジンがその屋敷を飛び出したのは12歳の時。

 屋敷所有の飛空艇を奪っての事だった。



 もちろん彼は飛空艇になど乗った事はない。運転など知りようもない。

 ただ、記憶の中にある声が彼を導いた。

『空を飛ぶのはいいよ。いつかお前も飛んでみるといい』

 実父の知り合いだというその男は、来るたびにいつもジンに気さくに声をかけてくれ、飛空艇の話を聞かせてくれた。

『問題なのは離着陸さ。特に着陸時はスピードをできる限り絞って、』

 他に何もなかったジンにとってその話はとても面白く、必死になって聞いた。

 けれどそんな話だけで簡単に飛空艇が操縦できるようになるわけでもなく。

 ジンにとって初フライトは、危険以外の何物でもなかった。

 着陸に成功したのは奇跡。運と言ってもいい。

 そしてジンを導いたもう一つの奇跡は、たどり着いた先にあったのが、その修道院であったという事。



『お名前は?』

 そこにはシスターが3人ほどいて。彼女たちは、突然空から現れた少年にとても驚いた。

 名を問われたがジンは答えなかった。

 ボサボサ頭の、ボロきれをまとった少年が、彼女の目にどう映ったかは知れないが。

『なら、あなたは今日からジン。一陣の風のように現れた男の子、ジン』

 そう言って彼女たちは微笑み、優しく彼を迎え入れてくれた。

『お腹減ってない? さぁ召し上がれ』

 温かい物を食べたのは初めてだったので、ジンは驚いた。なぜこれは熱いのかと尋ねたほどだった。

 涙が出るほど美味しかった。

 そしてすぐに彼は、ここにはシスターの他にたくさんの子供がいる事を知る。

 歳の近い子供と接するのは初めてで、ジンは最初とても戸惑ったけれども。飛空艇で現れた少年は瞬く間に人気者となり、子供たちに受け入れられた。

 彼らが皆孤児であるという事を知るまでに、それほど時間はかからなかった。




 それからの時間は、ジンにとって何もかも初めての事で。

 後になっても思い続ける、宝物のような時間だった。

 生まれてからずっと暗闇の中で息を潜めるように生きていた彼にとって、新しい日々は目がくらむほど眩しい物だった。

 笑う、という事を初めて知った。

 怒る事すら、初めてだった。

 喧嘩をする、殴り合う。

 泣く。

 そしてまた笑いあう。

 1人じゃない。

 いつも誰かが一緒にいて、一緒に感情を共にした。

 沈黙、静寂、そして息が詰まる圧力の世界から。

 代わりに得たのは、むしろ、静かな時がないような世界。

『ジンが皆の面倒見てくれるから、助かるわ』

 まだ小さい子供もたくさんいた中で、少しだけ年上のジンは、シスターの代わりに彼らの面倒をみたりもした。

 シスターたちの日常の雑務も進んで手伝った。生まれた時から雑用の数々を叩き込まれた彼にとって、そういうのは自然の事だった。

 そして子供たちを抱えて経済的に苦しいと察した時には、近くの町まで働きに出るようにもなった。

『いつもごめんね。ありがとうね、ジン』

 笑顔を向けられるとジンは決まって『別に』とだけ返して逃げて行った。

 照れくさかった。



『俺も飛空艇欲しいなぁ』

 そこで一番仲が良かったのは、ゼンコーという少年だった。

 ジンより5つほど年上だったが、決しておごらず、いつも彼に丁寧に接した。ジンが働きに出ると言い出した時も、最初に一緒に行くと言ったのは彼だった。

 ジンはゼンコーと一緒にいる事が多かった。

『でもお金ないしなぁ』

『ゼンコーなら半値で売ってもいいって、親父さんが言ってたよ。中古でいいのが入ったみたい』

 ジンは働く傍ら、近くの飛空艇の工場にもよく顔を出していた。

 そこの仕事を手伝いつつ、色々教えてもらい。最初に乗ってきた飛空艇を自分で修理し、改良を加え、時々誰かを乗せては飛んでいた。ゼンコーには操縦の仕方も教え、2人で飛び方について話す事も多かった。

『ゼンコーが飛空艇買ったらさ、2人でもっと遠くまで買出しに行けるんじゃない? 俺も少しなら貯めたから、手伝うよ』

『本当に? それいいかもなぁ』

『親父さんに話つけとこっか?』

『うん』

 ゼンコーが乗れるようになると、他の子供たちもこぞってジンに操縦を教えてとねだった。

『いつかさ、皆で飛空艇買って、皆で飛ぼうよ』

 その頃、少年たちの夢はそれだった。

『それ、空賊じゃないか?』

『いいじゃん。やろうよ空賊』

『シスターたちに怒られるよ』

『シスターもなればいいんだよ。シスター・マリーが賊長でさ』

『うわ、いいねそれ』

 そんな事言っては笑い合った。

『ジン兄ぃー!!』

 ジンがゼンコーと笑い合っていると決まってやってくるのが、フズで。

『遊んでー、飛行機乗せて』

 ジンの服はいつもフズに引っ張られて、新調してもすぐに伸び切ってしまった。

『僕にも操縦教えてー』

『もうちょっと大きくなってからな』

『今すぐ今すぐー』

『はは、本当にフズはジンが大好きだよな』

『うん。大好き』

 ジンにとってフズはかわいい弟分で。

『今度また乗せてやるから、な?』

『操縦はー?』

『そうだな……あと2回くらい誕生日がきたら』

『本当に!? 約束だよ!!』

『おう、約束。それよかお前、ザはどうした? お前に面倒頼んだろ?』

『あ、忘れてた』

『コラ、早く行け』

『はーい』

 その垂れ目の少年の笑顔が、ジンも大好きだった。



 修道院にいるのは、孤児。もしくは親元に帰れない子供たち。

 ゼンコーにしろ、フズにしろ、ここにいる子供たちの多くは黒髪。中には黒髪と碧眼の両方を持つ者もいる。

 だがシスター含め、町に行けばそのほとんどの人が金髪と碧眼。

 それが何を意味するのか、歳が経てばジンにもだんだんとわかってくる。

 奇しくもその修道院からそう遠くない所には『蒼』の人民地区があった。ジンの実父がそうであったように、家族ぐるみで『ビスタチオ』に移住してきた者たちが住む町である。

 『蒼』の人民地区で生まれ、様々な事情から打ち捨てられた子供たち。それが、そこにいる子供たちだった。

 ジンも彼らとそう変わらない。屋敷で奴隷として仕えてきたか否かだけだった。

 それを知ってか知らずか、彼らは『蒼』の人民地区にいい感情を持っていなかったし、その人民自体を嫌ってもいた。

『憎んではなりません』

 シスターたちは彼らを諭した。

『憎しみの感情はただ、自分の心を苛むだけ。誰かに向けた憎しみは、いずれ自分に戻ってくる。すべてのことわりにおいてそれは同じ。吐いた言葉は、いずれ別の人物の口を経て自分へと戻ってくる。暴力もそう。逆に感謝や慈しみもそう。だから、世界に向けて負を放ってはなりません。あなた自身のために。良いことをすれば、必ずそれは返ってくる。そしてその行いを続ければ必ず、神様はあなたたちを守ってくれます』

『『蒼』の人民地区もそこの人たちも、俺たちには関係ないさ。今、俺たちはこうしてうまくやってんだから』

 子供たちはそうして笑った。

『いつか皆で飛空艇に乗って、遠くまで行こう』

 皆がいるから。

 裕福ではないけれども、シスターたちは笑ってる。

 修道院には神様の像もある。毎日手を合わせている、きっと守ってくれている。

 何があっても大丈夫。

 これ以上悪くなる事はない。

 未来には光だけが詰まっている。

 ――少年たちはそれを、信じて疑わなかった。

 今日より明日、明日より明後日。

 1つずつ良くなっていく、それ以外の想像などできるはずもなかった。




 ジンが修道院へきて4年の月日が経った。

 その日は、子供たち全員で出かけていた。

 ゼンコーの飛空艇の受け取りの日だった。ジンとシスターたちも手伝ってお金を出した。

 皆で連れ立って町へ行き、そのまま野原へ持ってって試験飛行をした。ゼンコーは特に嬉しそうにしていた。

『あ、煙』

 朝一番に出かけて、気がついた時には夕方になっていた。

 ザの一言にフズが空を仰ぐ。

『火事かな? ねぇねぇジン兄、あれ、火事?』

 何気なく見たその方向。

 気づくのには少し、時間がかかった。

『あっちの方向って』

 空を飛んでいたゼンコーが、けたたましい音を立てて広場に滑り込んできた。

『あ、あ、あ』

『どうした!?』

『も、燃えてる……修道院』





 すぐに、少年たちは走り出した。

 ただそれだけ。

 それしか覚えていない。





 ただ着いた先にあったのは。

 赤くうねる炎と。

 絶望だった。




『ゼンコー!! リョウ、ミナミ!! ガキどもを近づけるな!!』

『ジン兄ぃ――!!』

『ジン、俺も行く!!』

 シスターたちがいたんだ。

 試験飛行でジンとゼンコーは2人で修道院の上空も飛んだんだ。

 手を振っていたんだ。

 3人とも笑っていたんだ。

『晩御飯までには帰ってらっしゃいよー』

 そう言ってたんだ。

『ゼンコー手前見てくれ!! 俺は礼拝堂へッ!!』

『了解!!』

 水をかぶって2人で飛び込み。

 炎と煙の中をひたすら走り。

 ――礼拝堂でジンは見つける。

『シスター・マリー!!』

 倒れた彼女の上には、火のついた木片が落ちていた。

『待って、今何とかするから!!』

 服を脱ぎ、火に向かって何度も叩きつけ何とか消し止め。

『シスター!!! シスター!!!』

 その名を呼んだけれども。

『ジン……』

 彼女は薄く目を開けたけれども。

 ――その体は。

『何、これ』

 刃物で切りつけられたような跡が、ザックリとその身にはあった。

『こんな、誰が、こんな』

 だが彼女はそれには答えずただ、笑った。

『どう、でしたか? 飛空艇は?』

『シスター!! 一体誰がこんな事をッッ!!!』

『気持ち、良かった? 私も、飛んでみたい、わ』

『シスター……ッ』

『いつか、つれ、て』

 にじむ、映像。

 揺らぐ、シスターの顔。

 ジンの瞳から涙が零れ落ちた。

 彼女は手を差し出そうとするが、もう力が入らない。

『……ジン、笑って』

 誘うように、彼女は微笑む。

『どうか、最期に、笑顔を見せて』




 ジンは。




『あなたの笑顔、好きよ』


 







 炎はすべてを包み込み、燃やした。

 ジンにとって、太陽のような日々。 

 築いた時間、終わりは一瞬。

 子供たちはすべてをなくした。








『修道院に火を放ったのは、『蒼』の人民地区の連中だ』

『……やつら、前からあの修道院を疎んでやがったからな』

『捨てた子供たちの行く末など、知った事じゃないだろうに。シスターたちが誰の尻拭いをしているかもわからんのか』

『捨てたもんでも、誰かが拾えば悔しいんだろうよ』

『子供たちが哀れだ』

『どうせすべての差し金は、『蒼』大使の山瀬だろうよ』

 ――町で頻繁に囁かれるそんな噂話が、子供たちの耳に入らないわけがない。

『修道院に火をつけたのは、『蒼』の連中だ』

 そんな事を聞けば、彼らの心に火が点かないわけがない。

『許せない……ッッ!!』

 その炎、その身を焦がすほどに燃えたぎらないわけがない。

『殴り込みだ!!』

『そうだ!! 全員殺してやる!!』

 ジンは16歳になっていた。

 子供たちも同じく、もう分別がわかる歳になっていた。

 武器を持とうと思えば持てる。戦おうと思えば戦える。

 血気にはやる彼らをいさめたのはジンだった。

『殴りこみなんか、駄目だ』

『ジン兄!! 許せない、許せないよ!!!』

『――リョウ、ミナミ、皆を頼む』

『ジン』

『やるのは俺とゼンコーでいい』

『――』

『ありったけの爆弾積んで、上からぶっ放す』

『ジン、』

『手伝ってくれるか? ゼンコー』

『……御意ぎょいに』




 修道院に、焼けずに残ったシスターたちの財産と。自分たちの財産のすべてをつぎ込み。ありったけの爆弾を買い込み。

 もう、明日以降の生活よりも。生きて行く事よりも。

 何もかもを差し置いて。

 ジンとゼンコーは、2人で、空爆を仕掛ける。

 ――いやそれはむしろ、生きるためか?

 少年たちのやり場のない怒りを晴らすのに。死のうが生きようが、彼らがこれから先を踏み出すために。

 他に何ができようか?




 爆弾の数は思いのほか集まった。これは、何かを察した町の人間が手を貸してくれたからである。

 『蒼』の町に火の手が上がった。

 燃えたのは修道院を襲ったのとは関係ない人間の家だったかもしれない。

 けれどももう、ジンには構わなかった。どうでもよかった。

 食うか食われるか。

 所詮生きるとは、そういう事なのか?

(他には何も望んでいなかったのに)

 ただ毎日が安寧に。

 これから先も笑って、過ごしたかっただけだったのに。

(俺たちが何をした?)

 シスターたちが何をした?

 捨てて、虐げ、その果てに。なぜまたすべてを奪う?

 権力だとか地位だとか、名誉だとか巨万の富だとか。そんなもの1つも願ってなかったのに。

(ただ、今日と同じ明日があれば)

 それだけで良かったのに。



 夜襲。

 思いのほか火の手は回り。

 爆撃した所から勝手に、被害は拡大して行った。




 ……火がおさまって。

 ジンは1人、その町を見に行った。

 ゼンコーは彼を止めが、どうしても見ておきたかった。

 自分がした事の結末。

 見ておかなければならないと思った。

 人気ひとけはなかった。

 特に焦土となったのは南部地区。北部に逃げ延びた者も多いだろう。

 黒い瓦礫の中には、燃えた人の残骸もあった。

 それをジンは感情のない目で見つめた。

 ――そして。

 いくらか歩いた後、その少女を見つける。

 すす汚れ、瓦礫の下敷きになっていたが。

『……う……』

 生きていた。

 ジンは物言わずその少女を見つめていた。

 やがて彼女は薄目を開け、その瞳にジンを映し。

 ただ一言。

『……殺して』





 ジンは彼女を瓦礫から引っ張り出し、肩に担いで帰った。

 すす汚れているのに香る彼女のにおいに。

 ジンはシスターたちの顔を思い出し、泣いた。



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