『邂逅――ジンの章(7_years_ago)』-4-
国により、それに至るまでの処遇はまちまちではあるが。
「なぁ磐木」
白河が、いつもと同じ穏やかな声で語りかける。
「空賊は、捕まったらどうなるか知ってるな」
「はい」
降り立った『沫咲』空軍基地は、奇妙なくらい静まり返っていた。
磐木は顎の飛行帽の止め具を外し、それを取りながら、目を伏せる。
「死刑です」
地面も降り立った白河は遠い山々を見ながら長く息を吐いた。
「覆すのは大変だぞ」
「はい」
「捕まる前に何とかしたかったな」
「……」
ゴーグルをもぐように取りながら。
磐木は空を見上げた。
風はピタリと止んでいる。
「行こうか」
白河に促され、磐木は頷き飛空艇に背を向け歩き出した。
そして。
『沫咲』基地の地下、収容施設に。その男はいた。
窓一つない室内、一つだけある簡易のベットには見向きもせず、冷たい地面に座る男。
外から見たら、死んでいるのかと思えるほど、ピクリとも動かないその男こそ。
当時『ビスタチオ政府が目の仇のように追いかけていた空賊【ケルベロス】の賊長。
名はジン。
――それ以上の名は、ない。
◇
「ジンに会いたいと?」
『沫咲』空軍総監・戸森は訝しげな顔をした。
「何故にですかな? 白河殿」
戸森は白河より20年上の、大重鎮とも呼べる人間であった。
「あれは『ビスタチオ』への引渡しが決まっております。それまでは誰にも会わせるわけにはいかない。我々の取調べさえも、揚々とはいかぬのに」
「そこを何とか、少しだけでもお願いできませんか?」
「何をおっしゃるやら」
戸森は口の中でくぐもったように笑った。
「わかっておるでしょう、あなたも総監になったのだから」
「それは重々に」
「お帰りなさい。問題になりますぞ」
「……はぁ……」
白河は苦い顔をした。
その隣で磐木は口をへの字に曲げ、目を閉じた。
「しかし異国の空賊に何の用があるというのか? まさか物見でもあるまいに」
「少し興味が。【ケルベロス】と言えば『ビスタチオ』では義賊とまで呼ばれる集団。その賊長がどのような男なのかと」
「そのためにわざわざ『湊』から? よくわかりませんな」
白河は背中を丸めて頭を掻いた。
確かに、片道8時間かけてやってくるには理由が薄い。
どうした物かと困り顔の白河に代わり、磐木が目を開いた。
「手紙も駄目でしょうか?」
「?」
戸森総監は訝しげに磐木を見た。
「奴にか?」
「はい」
その低い声と容貌から、一見、白河より磐木の方が偉いのではないかという錯覚さえ起こさせる。
「私は先日、『ビスタチオ』との国境沿いを飛んだ時墜落寸前に陥りました。その時助けてくれたのが、【ケルベロス】のジンという男でした」
「ほう」
「命の恩を受けました。ですがろくに礼も言えないまま別れ、今日に至りました。いつか礼が言いたいと思っていた矢先、国内で捕まったとの知らせを聞き。白河総監に無理を言ってこちらの基地を尋ねた次第です」
戸森はじっと磐木を見ている。磐木も目を動かさなかった。
「それはまさか、昨今話題の魔の空域の事か?」
「はい」
「あそこは全面飛行禁止区域のはず」
「……はい」
「それが本当なら、懲罰物だぞ。何故入った」
白河が慌てたように見たが、磐木はそちらを見なかった。
「私は〝空の果て〟の生き残りです」
「――」
「ですが、あの時その暴風の中を飛んでいない。……事が至る前に、隊長によって墜とされました。私にとってその人は目標であり、尊敬する人であり……道そのものでした。共に死んだとしても悔いはなかった。ですが、あの人は私を逃した。私は生き残った。無念でならなかった。未だにです」
「……」
「だから、そこが凄い風だという話を聞き及び、私はどうしても飛んでみたくなりました。あの日、飛べなかった自分は……どんな風だろうが、あの日には敵わないだろうと思いながら。でも飛んでみたかった。そしてそこは想像以上に厳しくて、未熟な自分は簡単に操縦不能になりました。そしてここで死ぬのもありかと思った矢先、そいつがやってきて、風の中に抜け道を指し示してくれました。あれがなかったら本当に、今私はここにおりません」
磐木は弁が立つ方ではない。自分でも何を言っているのか、本当はよくわかっていなかった。
ただ、溢れる思いをそのまま口にするだけで。
必死だった。
その様をじっと見ていた戸森は、しばらく考え込んだが。
「命の恩か」
「……」
「やれやれ。何やら妙な客ばかり集まる」
そう言って白髪を揺らし、戸森はため息を吐いた。
「……尊敬する人物を失った気持ち、わからんでもないがね」
白河と磐木はその後、戸森の案内でジンの元へ至る。
最初の出会いから、半年後の事であった。
◇
「撃墜までの経緯をお聞かせ願えませんか?」
白い壁と階段。
そこを淡々と降りながら、白河は戸森に尋ねた。
元々基地の地下の収容施設は、捕らえた者を簡易的に入れておくだけ場所。牢獄とは違う。
なのでそこまで厳重な造りにはなっていないのだが。
恐らく今そこにいるのが彼ゆえに、警備の人数はいつもより多いのだろうという事は見て取れる。
「討伐に立ち会った部隊によれば……まぁ少々手こずりはしましたが、それほど苦もなく捕らえる事ができたようです」
「その時彼は1人だったのですか? 他の【ケルベロス】のメンバーは?」
「いや、彼1人であったと報告を受けております」
軍靴が静かな回廊に鳴り響く。
「しかしなぜに彼が『蒼』に? よく見つけましたね」
「……」
すると戸森は眉を潜め、厳しい顔になった。
「それが、」
「?」
「……通報があったんですよ、基地に。領空にジンがいると。正直我々も半信半疑でしたがね。まさか『ビスタチオ』の空賊がいるなど」
思い寄るはずがない。
「通報とは一体誰が?」
「さぁ、それがよくわからない。その事も『蒼』上層部と『ビスタ』政府にも言ったんですが。詮索するなと言われるのみで」
「……」
「何だか……正直言えば私も、腑に落ちない」
戸森が呟く。初めて聞く声色だった。
「確かに【ケルベロス】は義賊として『ビスタチオ』では名高い。でもしかし、そこまで躍起になるほど大物かと問われれば違う。規模としては中堅。なのにどうも……」
そこまでで戸森は口を閉ざし、苦笑した。「いや失敬。忘れてください」
白河と磐木は顔を見合わせた。
「あそこです。あの扉の向こう」
警備の兵士が敬礼して彼らを迎えた。
「この事は、他言無用で」
――その扉は軽い音を立てて開いたのに。
それが逆に耳を突き、むしろ劈くかのようだった。
鉄格子。
薄暗い部屋。
窓はない。
そこに男は座っている。
彼らがきても顔を上げる事なく。
膝に埋めて。
眠っているのか、はたまた、死んでいるのか。それも悟らせない。
「起きろ。面会だ」
戸森が直々に言う。
聞こえていないのか、彼は顔を上げなかった。
焦れた戸森と別の兵士が声を荒げようとした刹那。
「ジン君か」
それらを手で制し、白河が声を掛けた。
「突然すまない。初めまして。私は『湊』空軍基地総監・白河 元康と言います」
その声に反応するように、ジンゆっくりと顔を上げた。
少し驚いたように白河を見、やがてその顔は無表情へと落ちて行く。
白河は隣にいた磐木にも言葉を促した。
磐木は潜めていた眉間を少し正し、
「磐木です」
「……」
ジンの様子を伺ったが。
彼はその名を聞いても、ピクリとも動かなかった。
ただじっと、表情の少ない瞳で見つめたかと思うと。
「……」
また、膝に顔を埋めた。
「ずっとこんな調子です」
白河の耳元でボソリと戸森が呟いた。「我らが何を言っても答えない」
「……」
白河は少し怪訝な顔をしたが、やがて、
「我らと彼の3人にしてはもらえないでしょうか?」
「いくらなんでもそれは無理です。ここは入っていい場所ですらない」
「……」
どうしたものか、白河は思案する。
その傍らで磐木が。
「礼を言いにきたんだ」と言った。
「……」
「あの時は、あんたのお陰で命拾いした。きちんと礼が言いたかった」
「……」
ジンは反応しない。――いや。
「……ククク」
押し殺したような、笑い声がする。
「何がおかしい」
「……」
ジンは答えない。
やがて笑い声は消え、また沈黙が落ちた。
しばらく磐木はジンの様子を見ていたが。
「そろそろ……」と戸森に促され。
意を決したように、その瞳を見開いた。
「お前ともう1度飛びたいと思った」
「――」
戸森が唖然とするが、構ってられない。
「俺の仲間になって欲しいんだ」
「――お前、何を」
「なぜ『蒼』にきた!? なぜ捕まった!?」
叫び始める磐木に、戸森含め周りの者が騒然とする。
「顔を上げろ、ジン!!」
「おい、こいつを出せ!!」
磐木は警備兵に捕まえられ、部屋から引きずり出される。
白河も戸森や他の物に強引にその場から追いやられ。
ガタン
扉が閉まってもまだななお、外から磐木の叫び声が聞こえた。
「……ククク……」
騒動を聞きながら、ジンはまた低く唸るように笑った。
その姿、まるで、息を潜める黒い狼のように。
しばらくその口元に笑みは、消える事なく浮かび続けた。
「まったくお前は」
近隣の町、その一角にある食堂で。
「どうするんだこれから、もうあそこには行けんぞ」
結局2人は半ば強引に基地から追い出される事になった。
「物には順序というものがあってな」
嘆息を吐きながら白河は運ばれてきた定食を口にした。
「すいません」対して磐木は料理を前に、ムスっとしたまま動かなかった、
「どうしても言ってやりたかったんです」
「……ジンか」
「はい」
白河は苦笑した。「無茶をするよ、本当に」
「しかし……何やら色々ありそうだな。ほら、食べろ。冷めたらもったいないぞ」
「は」
温かい料理を口に運びながら、2人は考える。
――誰かが通報した。
ジンが『蒼』にいた事、あの場所を飛んでいた事。
(そんな事がわかるとしたら)
奴の仲間に密告者がいる?
(それとも)
まさか自ら進んで……? ジンのあの笑いを思い出し、磐木は視線を落とした。
彼のその様子に白河は笑顔を作って見せ、「磐木」
「また対策を考えよう。今は食べる事だ。な?」
「は……」
同じ頃、ジンは虚空を眺めていた。
明かりは豆電球の淡い光のみ。それすらも時折ジジジと震えるように光っていた。
「……」
あの光はまるで、俺の命のようだ。ふとそう思いジンは苦笑した。
――礼を言いにきたんだ
その時ふと、昼間きた男の言葉が頭を過ぎった。
男はイワキと名乗っていた。
もう一人の男の声が……懐かしい声にあまりにもよく似ていたから。思わず耳を傾けてしまったけれども。
ジンは笑った。
(あんなもん)
助けたうちに、入らねぇよ。
イワキ、その名で心当たる人物は1人だけいる。風の中で会った青い機体と、その乗り手。
(あいつがあの時の……)
――なぜ『蒼』にきた!?
「……」
――なぜ捕まった!?
「……ハハ」
それを問うてどうする?
――顔を上げろ、ジン!!
「――」
もしあの場であの言葉に答えたならば、『蒼』にきたのは嫌がらせ。
捕まった理由は。
この命と引き換えにしてでも守りたい物があるから。
……そんな事、もちろん口が裂けても言わなかったであろうけれども。
◇
翌日、磐木と白河は再び『沫咲』を尋ねた。
だが飛空艇が停泊しているため滑走路までは入れたものの、基地施設へは一切門前払いに遭った。
「お遠しできないとの、総監命令です」
「ううむ」
どうしたものかと2人、当てもなく屋外をうろついていると。
「あれは、」
耳についた轟音に白河が空を見上げて、驚いたように声を上げた。
「橋爪総司令閣下の機体だ」
「え?」
磐木も慌てて空を見上げる。
見れば一機の飛空艇が滑走路を斜めに、着陸態勢に入っていた。
『翼竜』より一回りほど大きいその機体の胴体には、白い小さな十字架の模様が描かれていた。
橋爪が軍部最高の地位に就いたのは、これより2年前の事。異例のスピード出世として、メディアでも大きく取り上げられていた。
「なぜここに閣下が……?」
磐木自身は橋爪とは面識はない。ただ、橋爪と晴高が旧友だという事は知っていた。
「まさかジンに……?」
いやまさかなと、呟く白河の傍らで。
磐木は何となく不安な心持ちでその機体が止まるのを見ていた。
そしてその、まさかだったのである。
到着した橋爪はそのまま、戸森総監との挨拶もそこそこにジンがいる収容所まで降りて行った。
「2人にしてくれ」
橋爪の命令ならば誰も逆らえない。
全員が退出し2人切りになるや、ここにきて初めてジンが自ら先に口を開いた。
「あんた、『蒼』のお偉いさんか」
「ああ」
「……約束は、守ってくれるんだろうな」
「……」
橋爪は答えない。
それにジンは苛立たしげに舌を打った。
「とぼけるな、あんただって知ってるはずだ。約束は果たした。だから、」
「お前の仲間」
ビクリと、ジンは身じろぎした。
「全員『ビスタ』で捕まったそうだ」
「――――」
「お前も直に本国へ送られる」
「……騙したのか?」
「何の事だ?」
「……ならば、恵は……!?」
ジンは鉄格子に掴みかかった。
「時島 恵は離してくれ!! 頼む!! 俺はこのまま死刑でもいい!! だが恵はッ!!」
「無理だ」
「――」
「お前の命には、それほどの価値はない。残りの時間をせいぜい楽しめ」
「ま、」
「では失礼。次の用があるので」
「待て、」
待ってくれ。
扉が閉まる。
その音を愕然とジンは聞き。
そして叫んだ。
「待ってくれ――――ッッッ!!!」
この命など、なげうっても構わない。
ただあいつらが。これからも笑って自由に過ごせるのなら。
もう、当に捨てたこの命など。
惜しくなど。
――鉄格子は、氷のように冷たくて。
だが涙は、凍る事なく流れ落ちた。
あいつらが。
笑ってこの先を。