『竜狩り士(Dragon_killer)』-2-
兵庫はゆっくりと窓辺に向かうと、硝子越しに空を見上げた。
医務室の窓からは、滑走路がよく見える。
こっから。果たして俺も、色んな物を見てきちまったもんだな……兵庫はかすかに苦笑した。
―――望む望まぬは、問われる事もなく。
そしてその滑走路から、2機の飛空艇が飛び出した。
それにより、静まりかけた基地が、また慌しく動き始めた。
兵庫は飛んで行くその艇影を見つめ、やがて、目をそらした。
「さて」
葉巻を灰皿でもみ消すと、彼はゆっくりと振り返った。
「久し振りだな」
そして小さく微笑んだその先には。
『湊』空軍基地、総監・白河 元康の姿があった。
瑛己と飛、2人が出て行って間もなく、彼はここに姿を現した。
だが兵庫はさして驚いた様子もなかった。まるで、白河がここに来る事がわかっていたかのように、扉を開けた彼にゆるく微笑んだものだった。
「あの複葉は、やはりお前か」
白河は手近の椅子には目もくれず、じっと兵庫を見た。
「馬鹿な事をしてくれる……基地は今、大混乱だぞ?」
「見りゃわかる」
そう言って、後ろ手でコンコンと窓を叩いた。
「何しにきた」
白河は険しい瞳で兵庫を睨んだ。その顔は、穏やかに微笑むいつもの彼からは想像できないほど厳しいものだった。
「瑛己に会いたくてな」
「……」
「それともう1つ」
兵庫は一度ゆっくりと瞼を伏せると、同じようにゆっくりと、白河を見た。
「白河、お前に訊きたい事がある」
「……」
白河は、視線はそのままに、一瞬意識だけを背後に向けた。
「あまり時間がないんでな。単刀直入に訊く。―――〝あれ〟は、『蒼光』に着いたのか?」
「……」
答えない白河に兵庫は軽く溜め息をつくと、「別の言い方をしてほしいか」
「〝空の欠片〟は今、橋爪が持っているのか?」
「……ッ」
白河は眉間にしわを寄せると、うめくように言った。
「……原田、なぜ、お前がそれを知っている」
「さぁね。答えろ、白河。お前、自分が何やったのか、わかってんのかよ?」
「……」
白河が目をそらした。それが兵庫は気に入らなかった。
「瑛己達には言ったのか? 自分らが、一体何を守って飛んだのかって」
「……」
「白河……! お前、ハルの息子に、何させたんだよ……!」
よりによって、ハルの息子に。
「自分の親父殺した、何運ばせたよ……ッッ!!」
兵庫は壁に拳を叩きつけた。
それに、白河の眉間のしわが一層深くなった。
「……だったらどうすればよかったというんだ……? まさか、輸送艇を撃墜しろとでも?」
乾いた笑いをこぼす白河を、兵庫は殴った。
その体が扉に叩きつけられる音が、辺りにワンと響いた。
「お前、橋爪が何狙ってるのか、わからないのか」
「……」
「奴の狙いは、」
「―――わかっている」
「だったらなぜ!!」
「……なぜ?」
そう言うと、白河は口の端をぬぐって、兵庫を睨みつけた。「決まっているだろう」
「俺は、聖達を」
助けたい。
その言葉に、兵庫は片目を細めた。
「助けたい?」
「ああ」
残された、たった一つの可能性。
兵庫は、もう一度白河を殴ろうかと思った。だが一歩踏み出して、「……」結局、それ以上進む事はなかった。
そして彼がつむいだ言葉は、
「無理だ」
淡々とした、表情のない声だった。
「原田」
「奴らはもう、帰ってこない」
「……」
「……そんな単純なもんじゃ、ねーよ」
お前が考えているような、そんな、単純な問題じゃない。
「それに、万が一奴らが……ハルが、あの穴の向こうで生きてたとしても。あいつが、もがかなかったわけがない」
それでもあいつは帰ってこなかった。
「白河」
兵庫は白河を見た。
その目に、白河はハッと息を飲んだ。
「お前は……、橋爪 誠(hasizume_makoto)・軍部最高統括総司令長官殿がやろうとしている事は、あの空に再び、地獄への入口を開けようとしている、そういう事だぞ?」
その目は、〝見てしまった者〟の目だった。
「お前はあの光景を知らない」
白河はゴクリと唾を飲み込んだ。「原田」
「助けたい……? バカな……吐くのか、今その言葉を……。そんな気持ちを抱くなら、なぜあの日お前はあの場所に」
―――こなかったんだ?
「……」
兵庫は脱いでいたジャンバーを掴むと、窓の隣にある外への扉に手をかけた。
「原田」白河がもう一度、叫ぶように言った。
それに兵庫は振り返りもせず、こう言った。「二度と〝空の果て〟なんか」
「瑛己に、ハルと同じ運命なんか……絶対たどらせはしない」
―――俺の命に代えても。
兵庫は蹴破るように扉を開けると、滑走路目掛けて走った。
一人残された白河は、開け放たれた扉から視線をそらし、自分の腕を見た。
「……聖」
左手で顔を覆うと、白河はしばらくそこで、大声で泣く事もできない自分を呪った。
◇ ◇ ◇
基地を出た瑛己と飛は、南へ、〝砂海〟へと飛んだ。
《注意しとけよ。いつどこから、何がくるともわからん》
前方を行く飛に、「ああ」と瑛己は短く返事をした。
前後左右、そして上下。見渡すが、人間には限界がある。その限界を埋めるためにレーダーがあるが、それだけを頼りにしてもいけない。
そしてこれが、編隊だったらばまだしも。飛ぶのは2機の『翼竜』、向かうは20の【蛇】と【竜狩り士】。
(無茶、か)
瑛己は苦笑した。間違いない、そう思ったからだ。
自分の姿を見ても思う。かろうじてパラシュートとゴーグルは持ってきたものの、カッターに黒のズボン。飛も似たようなものである。
《瑛己、山岡がいたら、手ぇ出すなよ》
無線の声に、瑛己は顔をしかめた。……またか……。
「〝自称・空戦マニア〟としてか?」
思わず言った言葉に、飛が一瞬黙った。
そして、
《ちゃう。プライドや》
……? 瑛己は首を傾げた。
《山岡には、借りがある》
そういえば格納庫に向かってる時もそんな事を言っていたな……瑛己は思い返しながら、後方を確認した。
《初フライトの時、あいつには……随分コケにされたからな》
「遭ったのか」
《遭うた。そこで俺は、墜ちた》
「……」
風が出てきた。レーダーを確認しながら、操縦桿を右へ少し傾ける。
《よう覚とるわ……エンジンガタガタで、どうしようもなくなって。脱出の準備しとった時やった》
―――Good Luck
ザワついた無線から聞こえてきた、陽気な音楽と、場違いな声。
何や? 唖然とする飛が次に聞いたのは、
―――もうちょっとマシな腕になってから、かかっておいで
そして、笑い声。
飛はハッと空を見上げた。
そしてその目に飛び込んできたのは、セピアの真ん中に映えた―――朱のルージュ。
そして、操縦席からニヤリと笑う、黒いサングラスの男。
《……他の何者にもゆずれん。あいつは絶対、俺が墜とす》
瑛己は上空を見上げた。
《瑛己、聞いとんのか?》
「ああ。ほどほどに」
ほどほどって、何や……飛がそう言おうとした時。
レーダーに、光が灯った。
《瑛己》
「ああ」
瑛己はジリと片目を細めた。
北西。方位330。
操縦桿を傾ける。
「頼む」
誰にともなく、瑛己は呟いた。
2人がそこに着いた時、20いたという【海蛇】の姿は半分ほどになっていた。
だが……その様子を見て、瑛己の背中をゾワリとしたものが這った。
10の黄土色、ウネウネとそれぞれが独自の動きで飛び回る。そしてその目的は等しく、ただ1つ。
取り囲む、白い翼を墜とす事。
そのすべてに銃口を向けられ、背中を追われ、目の前に立ちふさがれ、射撃を受ける。そんな状況の中、そのすべてに注意を払い、同等……いや、それ以上に立ち回っている飛空艇乗り。
一体それは、瑛己は思った。その乗り手は、一体どんな人物だというのか。
むしろそれは……人間なのだろうか? 普通の人間に、そんな事ができ得るというのだろうか……?
《きたで》
飛の声に瑛己はハッとした。うねる【蛇】の中から、こちらを見定めた何機かが這い出してくる。
瑛己と飛は左右に分かれた。そしてそこから、空戦が始まった。
だがすぐに瑛己は気付いた。
兵庫が見たという、セピアの飛空艇。その姿は……ない。
黄土色とセピア、色は見間違えたとしても「ど・デカイ、キスマーク」を見間違うとは思えない。
瑛己の胸の中を、嫌な予感めいたものが走った。
(山岡は一体……)
だがそれも、束の間の事だった。
襲い掛かる【海蛇】と対峙し、飛ぶうちに。そこにまで意識は回せなくなっていった。
◇ ◇ ◇
目の端に、炎を上げて墜ちていく黄土色の機体が入った。
誰がやったものか、そんな事を考えている余裕は、瑛己にはなかった。
彼は【海蛇】2機に付かれ、それをかわす事で頭がいっぱいだった。
「……ッ」
瑛己はバックミラーを一瞬だけ見て、操縦桿を押し倒した。
刹那、頭の上を銃弾が飛んでいく。
ひねりながら右へ旋回を入れるが、そこにも、銃撃が降る。
瑛己は翼を傾けると、上へ、どうにか逃げた。
―――前に【海蛇】と対峙した時。
3機を相手に、瑛己はやはり、必死に立ち回った……だがあれから、あの時の事を思い出すたび、瑛己は思う。
一瞬、自分は撃つ事をためらった。
その所為で命を落としかけた。
3機の飛空艇、その1機の背中を捉えたその時。
瑛己はほんの数瞬……だが、撃つ機会を外した。
それが元で直後、被弾し。
……結果はどうあれ、彼の中にはずっとその時の事がわだかまっていた。
(俺は、父さんみたいにはなれない)
父だったら……そして世に〝エースパイロット〟と呼ばれる者ならば。恐らく、戦場で躊躇する事などないのだろう。
それが、己の運命を左右する事を知っているから。
瑛己は操縦桿を右へ。ひねりながら、後ろの一機を撒きに掛かる。
(連係が、いい)
前も思ったが……【海蛇】は個人の腕はともかく、連係での飛行が恐ろしくいい。
1機の攻撃を避ければ、もう1機の攻撃がそこに降る。それをどうにか避けても、今度は元の1機に背中が向く。
執拗な追撃と、走行。
この空に飛び込んでまだ大して時間は経っていないが、すでに、瑛己の体力はかなり消耗していた。
(気がもたない)
飛はどうしただろうか、だが、確認する余裕などない。
空(ku_u)は……? だが、その飛行に見惚れるどころか、顔を上げる暇さえない。
疲れが、集中力を殺いで行く。
瑛己は、らしくなく焦りを感じた。
「……チ」
軽く舌打ちをして、そして。
瑛己は操縦桿を左に切った。
スロットルを調整しながら、転じて、下降する。
ふわっとした浮遊感と、サイドミラーに【海蛇】の残像を一瞬見る。
そしてすぐさま、スロットルを全開にして、操縦桿を右に切りつつ手前に引いた。
どうしようもない焦燥感が、彼の胸を支配し始める。
宙返りする。
そして、飛空艇の腹を反らして海た見えた時、【海蛇】1機の頭上を捉えた。
(撃て)
間髪入れず、射撃ボタンに指を入れる。
ドドドド
結果を見ずに操縦桿を左に切る。
瑛己はバッと空を振り返り、もう一機を見た。
宙を蹴るように上昇する。ガタガタと機体が、激しく揺れる。
その上を、飛が抜けた。
その後ろにも2機。鬱陶しいほどに絡みつかれ、彼も必死に戦っていた。
その姿を見て、瑛己は、自分の気持ちが一瞬軽くなるのを感じた。
「……」
手負いの1機が、体制を立て直し、瑛己の背中についた。
だが、瑛己はそれをチラと目視して、再び操縦桿を振った。
(根競べで)
負けるわけにはいかない。
瑛己は微か、苦笑を浮べた。
◇ ◇ ◇
ピンと、ジッポーを開けると、彼は咥えていた煙草に火を点けた。
のんびりともう片方の腕で操縦桿を操作しながら、器用にピースを吹かす。
その機体には、ノリのいい音楽が流れ、男は微かにハミングしていた。
その目の表情は、漆黒のサングラスによって定かではないが、先ほどから一点に向けられていた。
並ぶ計器の中の一つ、レーダーに映る、赤の点滅に。
そのうちの一つがまた、忽然と消えると、
「流石だなぁ」
ニヤと笑いながら、男は呟いた。
「まぁ、せいぜい頑張って」
男はジッポーを片手で遊ぶと、ピンともう一度開けた。この音が、彼は好きだった。
そこには、銀色のキスマークが描かれていた。
そしてその下にはこう書かれていた。
――― I can fly to the end of the world.
男はゆるく微笑むと、また、ジッポーを鳴らした。