『邂逅――磐木の章(7_years_ago)』-3-
――それは気まぐれの一言
誰も思いもよらなかった、
まさか、その一言により、
誰かの命をつなぎとめられ、
誰かの誓いが回りだし、
そして
――世界が
激動の中へと、墜ちていく事になろうとは
「だから、お前の理想の補佐官は誰だよ? 誰が副長なら、納得してくれるっていうんだよ?」
『湊』への赴任から1年。
磐木の処遇は、未だ曖昧なまま。
磐木は隊長になる気などサラサラない。自分はその器ではないと思っている。
どうしたら白河は諦めてくれるのかと、頭を捻り、捻った挙句。
彼が彼なりに、思いついた一つの策謀。
「1人だけ、こいつが同じ隊にいたら……と思う奴はいます」
「ほう!?」
1年間、粘りに粘った白河。初めて聞いた磐木の前向きな発言に、白河は書類の山をひっくり返しながら身を乗り出した。
「それは誰だ!?」
「俺はこいつとじゃなきゃ組めないと思っています」
「おおう!! いつの間にお前、そんな人材をっ!! どこの誰だ!! さぁ言ってみろ!!」
少年のように目をキラつかせる白河に、磐木は一抹の罪悪感を抱きながらも。
それに勝る、まるで挑戦状を叩きつけるかのような心持で。
その言葉を口にしたのである。
「【ケルベロス】のジン。こいつと組めるなら、隊長の座も考えます」
「――」
その言葉に、白河は一瞬固まった。そして。
「磐木、そいつが何者か、わかってるのか?」
「はい。充分に」
あれから調べた。
【ケルベロス】という空賊の事も、ジンと名乗るその賊長の事も。
「【ケルベロス】……地獄の門番の名を借りる、『ビスタチオ』きっての空賊集団です」
「……うむ」
「規模は極少数。だが今や『ビスタ』の多くの空賊たちは彼らに共感している。彼らよりもっと大きな組織の連中でさえ、一目を置くほどです」
なぜ彼らがそこまで、『ビスタチオ』で支持されるのかはわからない。
総数は判明していないが、せいぜい30人弱と言われている。年齢層も、20歳そこそこの若者の集団。
そんな彼らが慕われる理由は。
「義賊、か」
白河が呟いた。
「【ケルベロス】が空賊に……いや、もっと言えば民衆にさえ慕われている理由は、強き者に立ち向かい、弱き者を助ける姿勢なんだろうな」
「総監もご存知で?」
「まぁ一応、噂程度の事ならば。……強奪、謀略、そういうものを好まず、その所業は自由奔放、だがまっすぐだ。町を襲った空賊がいればそいつらを叩きのめして奪った財貨を戻してやり、民衆に不評の政治家や不義を犯した奴がいれば行ってそいつを叩きのめす」
「おかしな奴らです」
「ああ。だからこそ『ビスタ』の政管連中は血眼になって奴らを狙っている。このままでは民意は空賊に流れてしまうからな」
「……」
「まぁ実際の所、そいつらがどんな者かは知らんが。そんないい噂の反面……恐ろしい噂も聞くし」
「恐ろしい噂?」
「ん? ほれ、向こうにある『蒼』の移民地区。あそこを襲ったのは奴らだって話だ。『ビスタ』と『蒼』では貨幣価値が違う。向こうはこちらの半分ほどだ。だから企業はこぞってあっちに工場や取引の基盤を置こうとしている。その中でできた『蒼』の移民地区。そこを空爆したって話だ」
「……」
「真実か虚偽かはわからんよ。ただの噂だ。……しかし磐木、なんでお前、そんな? 【ケルベロス】のジンなんて」
「……」
「確かにその男の飛行技術は並外れているとは聞くが……それでも、なぁ?」
――本当は、どうでもよかったんだ。
「前に会ったんです。魔の空域に行った時助けてくれたのがその男で。……その時その飛行に見惚れました」
――よくもまぁ口から、ベラベラと出てくるもんだと思う。
「助けてくれたその心根と、腕前に感銘を受けました。俺はあいつと組みたい」
白河は困った顔をしている。当たり前である。
「あいつ以外の誰も考えられません。でなければどうぞ、一兵卒として扱ってください」
ただの口実。
磐木もわかっている。【ケルベロス】がどんな組織であろうとも、ジンという男がどんな男であろうとも構わない。
絶対無理なのはわかっているから。
断る事ができる口実として。
……白河に、もう、折れてもらうために。
「【ケルベロス】のジン以外と俺は、組む気はありません」
その名を出した。
ただそれだけ。
……確かに気になる男ではある。
彼が率いる【ケルベロス】という集団が行っている事。義賊として国民にまで認められているのだというその所業。
あの飛行が目に焼きついているのも事実。
もう1度会いたいとは思う。そして話してみたいと思う。
(なぜだろうか)
磐木は不思議に思う。
ジン、その名に。
なぜこんなに心揺さぶられるのか。
異国の飛空艇乗りに。
もしそれに理由があるとしたならば。
(風の中で出会ったからか?)
まるであの日の。
聖隊長を失ったあの時によく似た、荒れ狂う風の中で。
あの日とは逆に。
出会った事が。
風によって結び付けられた、
一本の
運命の糸。
「――わかった」
数秒間を置き、白河はそう言った。さぁ運命の時だ。
これでようやく白河は折れてくれるだろう。磐木は安堵する。隊長なんぞ御免だ。
ふっと思わず笑った磐木と同じように、白河もまた、ニヤリと微笑んだ。
「何とかしよう」
「………………?」
「『ビスタチオ』政府に掛け合ってみる。何とかそいつをこちらにいただけないかと」
「……そ、総監、」
「案ずるな磐木。俺はこう見えても顔は広いんだ。『ビスタチオ』にも少しは伝手がある。交渉してみるから待ってろ」
「……いや、その、あの」
「ジンが副長なら文句はあるまい! さぁ、忙しくなるぞ!!」
「……」
馬鹿な、と思った。
そんな事あり得ない。
唖然とする磐木に対し、だが白河は嬉々とした様子で。書類そっちのけで受話器を取った。
「ジンを仲間に欲しいだ!? うひゃひゃ、徹っちゃんやるねー、凄いねお前」
「……声が大きいぞ、小田」
基地の食堂で。笑い出す小田の頭を引っつかみ、磐木はそのままそれを、下に控えるカレー皿に押し付けようとした。
「ストップストップ、ちょいちょい、やめてよん」
「……どうすりゃいいと思う」
「いいじゃん。白河総監が動いてくれるんでしょ? うひひ。どうなんのかねー?」
「お前、楽しんでるだろ」
「当たり前でしょ?」
磐木は頭を抱えた。
そんな様子を見てその整備士はニヤリと口元を傾け、
「あっちの方が上って事だよ」
「?」
「白河さん」
「……」
「徹っちゃんは、白河さんを振り切ろうとしてジンの事出したんだろ? でも白河さんは純粋にお前が望むならと無茶承知で動こうとしてる。白河さんの勝ちだよ。色々策略練ってクドクド考える奴より、単純明快直球勝負の奴の方が勝るってね」
「……」
「まぁ見てりゃいいんじゃね?」
「それで国際問題にでもなったらどうする?」
「そん時は腹くくって、自害もやむなし?」
「おいおい」
「何お前、命惜しんでんだ?」
「……それは」
「いいんじゃねーの? お前あれからずっと、生きる事捨ててただろ」
「……」
「生きりゃいいんだよ。時間残されてるうちは。精一杯馬鹿して、はじけて。最後に大輪咲かせてぶっ飛ぶまで。力の限り生きて、その命を惜しめばいい。自分の命を惜しめないような奴ぁ、かわいそうだよ」
「……」
「死にたくない、生きたい。それが生き物のエゴだ。そして同時にそれが誇りなんじゃね?」
生き物としての。
「しかし見ものだね。どうすんのかなー総監。……総監初仕事が、『ビスタ』との戦争だったりして」
「……冗談やめてくれ。本当に」
「うひゃひゃ、忙しくなるねそりゃ」
小田の馬鹿笑いは耳につく。
だがそれ以上に磐木は思った。馬鹿は俺だと。
だからその翌日。
「総監、昨日は申し訳ありませんでした」
朝一番に磐木は総監室に行き、頭を下げた。
受話器片手に白河はキョトンとし、「何が?」と聞き返す。
「ですから、無理を言いまして。昨日の事はどうぞ忘れてください」
「? 忘れてどうする」
「……隊長の任、受けます。どのような配下がつこうとも構いません。ですから総監、昨日の事は。あれは気まぐれの……咄嗟に口から出た言葉ですので。そこまで真剣に思っての事ではなく」
もどかしい。昨日はあれほどスラスラと、突拍子もない事でも言えたのに。
一晩で口が退化したかのように、今日はうまく言葉が出てこない。
それに地団駄を踏みたい心境を抑え、磐木は言う。
「とにかく。総監、すいませんでした。ですからどうぞ、無茶しないでください」
「……」
磐木の様子に白河はしばしポカンと口を開けていたが、しばらくして、その顔にふんわりと笑みが広がった。
「磐木……お前、俺を心配してくれてるのか?」
「……」
「俺がジンの事で『ビスタチオ』と遣り合って、何か大事にならないかと?」
「白河総監、」
「はは、お前が心配してくれるなんて、何だか嬉しいな」
そうじゃなくて、と言いかけた磐木に、白河はそれより先に言葉をつなげる。
「心配するな。俺だって馬鹿じゃない。ヘマはしないさ」
「……でも、」
「誰でもいいなんて、嘘だろ。お前、確かにジンって男が気になってる。そうだろ?」
「……」
「晴高しか見えてなかったお前が、初めて気にした人間だ。何とかしてやりたい。それに俺もその男に会ってみたくなったし」
「しかし総監」
「いいから。磐木……俺はな、正直言って嬉しかったんだ。お前が俺に我侭を言ってくれた……それが嬉しかった」
「……」
磐木は唖然とした。この人は一体何なんだ?
「どうして総監はそんな、」
俺のために? 磐木は呆然と尋ねる。
それに白河は少し改まり、そして真剣な目を彼に向けた。
「俺はあの時約束を守れなかったから」
「……?」
「お前は晴高の秘蔵っ子だ。あいつが大事にしていた……だから今度は俺がお前を、晴高の代わりに助けたい。俺はあいつみたいに頼れる男じゃないし、総監なんて柄でもないんだけどな」
――でも。
「俺はお前に、できる限りの事をしてやりたいんだよ」
晴高の代わりに。
「総監……」
それが、と残りの言葉を白河は心の中で呟く。
――せめてもの罪滅ぼしだと。
「俺はお前を隊長にする。ジンというその男をお前の隊に引き入れる。――それ以外は認めん」
「……」
「だからいいな、ちょっと待ってろ。大船に乗った気持ちでいてくれていいから」
これは、と磐木は思った。
ひょっとして事態は、さらに、悪くなったのでは?
「俺は今から領事館に連絡取るから、お前は311飛空隊の手伝いに行ってくれ。あそこの角田君が、暇人を貸してくれと再三言ってきててな」
「……はぁ」
「さぁ行った行った! 時間は惜しいぞ!」
半ば無理矢理部屋から追い出された磐木は。
「……困った」
思わずボソリ、呟いたのである。
それから数日後。
今日の業務を終え、宿舎に帰ろうとしていた磐木は、突然総監室に呼び出される事になる。
まさか、と嫌な予感を抱えながら向かった先に待っていたのは。
「磐木、大変だ」
緊迫した様相の白河、そして森副総監の両名であった。
「ジンが捕まったぞ!」
「え」
「しかも『蒼』の領空で……今、『沫咲』基地に収容されている」
「な」
あの男が捕まった?
『沫咲』空軍は北部の基地。『燕蔵』空軍の北部に位置する。
「そんな馬鹿な」
「詳細は不明だ。だが、向こうの空軍が撃墜したらしい」
「……」
磐木は総監室の床に視線を落とした。
【ケルベロス】のジン。その男の腕前は、間違いなく上級。
(あんな風の中を)
自由自在に翔け抜ける男。
彼の後を追ったから、磐木はあの風から抜け出す事ができた。
確かに、単純飛行と空戦技術は別物ではあるが。
(それにしても)
【ケルベロス】のジンが撃とされた――しかもこの『蒼』で。
「磐木」
白河が名を呼んだ。だが磐木は最初気づかなかった。それほどに彼は呆然としていた。
「行くか?」
「――白河総監!!」
気がついたのは、森の怒声によって。
「え?」
「『沫咲』基地だ」
「――」
「この後彼は簡単な取調べの後、『ビスタチオ』に引き渡される。もし会うとしたら、今しかないぞ」
「……」
磐木はじっと白河を見詰める。白河も彼をじっと見つめた。
「白河総監お待ちください、そのような事! 第一その空賊をこちらに引き入れるなど」
森副総監は尚も血管を浮かべて叫んだが。
「どうする?」
「……」
――もう1度。いや、面と向かって1度その男と。
「行きます」
話してみたかった。
翌朝、磐木と白河は基地を飛び出す。
操るのは2人乗りの『葛雲』。
それに乗るのは随分久しぶりで。まして後ろの席に晴高と兵庫以外の人間を乗せたのは初めての事で。磐木は最初少し緊張したけれども。
「いい風だ。気持ちいい」
白河の声は、落ち着く。
悪くないと磐木は思った。
この人を乗せる事。白河という人間は。
「……」
磐木はこの時初めて思った。白河の下につけた事、それは幸運だったのではないかと。
晴高以外の人物で、初めて抱く感情。
――この人ならば、従ってもいい。
北寄りの風が吹く。
その日は北部の山間部では雪がちらついた。
冬は間近に迫っていた。