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 『邂逅――磐木の章(7_years_ago)』-2-

「それで向井君はどうだい? 気に入ったかい?」

「総監、ですからその話は。私は隊長はやりませんと何回も申し上げております」

「……ダメか……。向井君は頭も切れるし顔もいいし、町ではちょっと有名で、女性ファンもいるらしいんだが」

「……」

 磐木は頭を抱えた。その様子に白河は慌てた様子で、

「じゃあ333隊の松坂君はどうだ? 最近売り出し中の若手のホープだ。ここ最近の作戦実績ではかなりの高評価を得ているが」

「ですから総監。何度も何度も申し上げますが」

「松坂君もダメか? うーん困ったなぁ。うちの基地にはいよいよ人材がないぞ?」

 そうじゃなくって、と地団駄したい心境を押さえ込み、磐木は眉間にしわを寄せた。

 ――秋の人事異動から8ヶ月。

 磐木の配属はこの時点でまだ、白紙の状態だった。

 いや正確には、「総監付特別飛空隊所属」。

 実際にはそこに飛空隊などは存在せず、単発的に各隊の応援や、白河の用事足しに他基地へと飛ぶような仕事をしていた。

 そういう自由な役回りが功を奏し、基地内に顔だけは知られるようになった。真面目で実直な性格と、何よりその腕前。それは基地内でもかなり認められるようになる。

 ただし、愛想はない。

 磐木は腕前はいいがほとんど滅多に笑わない。頼れるが(顔に貫禄があるので)、怖い。そういう意味で、評価はされたが好んで彼に近づく者もそういなかった。

 孤立している。そう言えばその通りである。

 だが彼は今の状態を孤独とは思っていなかった。むしろ、前の基地にいた時の方がもっと彼は1人だった。

 殻に閉じこもり、誰とも話さず一日を終える事もあったくらいなので。

「総監、いい加減にしてください」

「だから、お前はどういうタイプの奴がいいんだ? 副長だよ副長」

「やらないって言ってるじゃないですか。もういいから、どこの隊でもいいんで、一兵卒で結構ですので入れてください。どこだろうとそれなりに頑張りますので」

「駄目だ。お前は隊長だ。俺はそう決めてお前をこの基地に呼んだんだ。これは絶対に譲らん」

「……向いてないって言ってるじゃないですか」

 ――7年前。今より若い磐木と白河は、そうして毎日のように言い合いを繰り返した。

 その締めは最終的に、磐木が疲れ果てて部屋を出る所で終わる。

「……もういいです。1時から334とブリーフィングがありますので今日は失礼します……」

「うん。わかった。またいい人材を探しておくから。期待してろな?」

「……失礼します」

 部屋を出るたび思う。なぜあの人はああまでして、自分に隊を持たせたいのかと。

 放っておいてくれ。そう思う。

「……」

 あの強引さは聖隊長や原田副長以上だ。

 まさか、とんでもない人の部下についたのか? 初めて磐木はこの時そう思った。




「それで隊員は決まったの?」

 食堂などで座っていると、決まってそう聞いてくる奴がいる。

「いや……だから、俺は隊長はやらないと何度も言ってる」

「いいじゃないのよ、せっかく総監が言ってくれてるんだから」

「……」

 磐木は神妙な顔をした。

 整備士の小田。『湊』において唯一、磐木に気軽に話しかけられる男である。

「給料も上がるんでしょ?」

 小田は磐木が新人として『湊』に赴任したのと同じ頃、見習いとしてここで働き始めた。歳が近い事もあり、その頃からの顔見知りっだった。磐木が異動になった後も、時折連絡する仲であった。

「給料などどうでもいい」

「ストイックだねー、徹っちゃんは。くれるっていうんなら、もらわにゃ損じゃんか」

「……」

「って俺だって未だひらだけど。ヒヒヒ。何なら俺があんたの部下につこうか?」

「飛行学校の入学願書、出しておいてやるか?」

「え、飛行機乗りになるのに学校行かなきゃなんないの? そりゃ困った、おいらは試験アレルギー持ちだから。残念。他を探してくださいな。その代わり、あんたの飛空艇はいつも最高の状態にしといてあげるから」

 磐木は苦笑した。

 小田はこの気さくな性格から、基地内の飛空艇乗りたちにとても気に入られていた。そんな小田と仲がいい磐木、そのお陰で彼に話しかける人間は少しずつではあるが増えてはいた。

「飛行機と言えば……そういや、最近話題の魔の空域の話、知ってる?」

「何だそりゃ」

「さすが徹っちゃん。世間に疎い」

 磐木はムッとした。

「『ビスタ』との国境沿いだよ。〝天海〟のちょい向こう。何機か旅客機が墜落してるってさ」

「?」

「その空域、そこだけなぜか馬鹿みたいに風が凄いんだと。それで操縦不能になって墜ちるんだとか。俺に言わせりゃ、整備がヘボだったんじゃないかと思うんだけどね」

「風か」

「んー、だから、『ビスタ』との交易艇が今見合わせ中だって。これ、社会常識よー」

「……」

「大体ね、徹っちゃん、あんたその仏頂面なんとかならんの? 新人隊員募集以前に、嫁さん募集に誰も引っかからんよ?」

「小田、俺は別に隊員を募集してるわけじゃないぞ」

「へいへい。週末合コンくる? くる?」

「……いい。好かん、ああいう場は」

「ストイックだねー、まったく」

 そう言って笑う小田の正面で。

 磐木は別の事を考えていた。




 そしてそれから数日が経ち。

 小田とそんな会話をしたのも忘れていた頃の事である。

「来週、悪いけど〝天海〟まで行ってくれないか?」

 磐木は白河に頼み事をされた。

「『母枝もえ島』基地の総監にこの書類ともう一つ荷物を。よろしくな」

「はぁ」

 来週は応援飛行ではなく運搬業か。磐木はため息を吐いた。

 だが同時に。

(〝天海〟か)

 それは北の海。

 部屋に戻り、地図を広げる。先日小田が言っていた魔の空域と呼ばれる場所はどこだろうか?

(『ビスタチオ』との国境沿いと言っていたな)

 ともすれば、どちらにせよ。

(遠くない、か……)



 それから磐木は図書館にこもり、新聞を引っ張り出し、地図を広げ。

 最終的に、自分の地図の一箇所に赤丸を付ける。

 『ビスタチオ』との国境沿いの海。

 ――そして。1週間後。

 白河の言いつけどおりに『茂母島』基地に書類と荷物を送った磐木はその足でさらに北へと向かった。

 その操縦席の脇には、赤丸のついた地図が置いてあった。




 何を思って彼がここにきたのか。理由は一つである。

 風。

 小田は言っていた、何機もの旅客機が墜ちているのだと。交易艇もストップしているのだと。

 磐木自身も調べ、そこでの被害について改めて知った。

(どんな風だか知らんが)

 操縦桿を握り締め、磐木は薄く笑った。

(どうって事ないのだろう)

 所詮は。

 たとえそれに捕らわれる飛空艇が幾つもあろうとも。

 飲み込まれるほどではない。

 風は風。自然が生み出した物。

(あの状況に比べれば)

 どのような暴風だろうが、足元にも及ばない。

 言うほどの物ではないのだろうと、磐木は思う。

(あの風に比べれば)

 あの地獄に比べれば。

「……」

 でも磐木は、その風を飛んでいない。

 磐木は嵐吹く前に、晴高によって墜された。

 でも見た、地獄の映像。

 海面からでも飲み込まれそうになった、あの嵐は。

(生きているようだった)

 風自体がまるで。

 そしてそれに、晴高たちは連れ去られた。

 磐木は唇を噛んだ。

 だが彼は飛んでいない、飛んでいないのだ。

「……」

 この世界に自然にある物として、あの時の風に敵うとは思えない。あれはそれほど尋常じゃなかった。

 もはや、神災とでも言うべきほどの。神が与えた罰とでも言うべきほどの。

 そこに晴高は消え、兵庫は潜り抜けたが今は空軍を去った。

(俺は)

 そこを、飛んでもいない。

「……」

 計器を確認した。

 国境ギリギリの所である。領空侵犯の問題もあるが。

 その時磐木は、そんな事、考えていなかった。




 丁度その日は、夏至だった。




 そして。




「――――ッッ!!」

 その風は、磐木の想像を遥かに超えていた。

 計器を確認する、だがそれは不安定にグラグラ揺れるのみ。

 速度を落とす、だが吹きすさぶ風のせいで、それはさほど意味を持たない。

 最大限に上げて突っ切ろうとすれば、風が抵抗して余計振り回される。

(何だこれは)

 磐木は唇をかみ締めた。

 雲か? 霧か? 白いそれが邪魔して、視界が悪い。何も見えない。

 否、見える。風の軌道。

 まるでそれは。

(龍のようだ)

 うねりを上げる、竜巻たつまくごとく。

 耳を捕らえる轟音は何かの悲鳴、泣き声? 産声か?

 ギアを変える、真っ向見据える。

 機体がキィィィィィと甲高い声を上げる。プロペラはどこまでこの風に抗い続けられるのか。

 磐木は笑った。

「いいぞ」

 いい風だ。予想以上だ。

 ――抜けてやる。

 アクセル踏み込む。

 横からなぶられる風に、機体があおられる。だが磐木は目を見開き、それを上手く立て直して行く。

 この風を抜ければそこは、『ビスタチオ』の海。

 風に苦戦しながらも、磐木の脳裏に浮かぶ感情は、悦びだった。

(隊長は)

 こんな空を飛んだのか?

 いや、もっとだ。もっともっと。

 吹けばいい、もっと揺さぶれ、この機体。

(もっと激しく)

 もっと切なく。

 もっと危機的に。

 金切り声を上げながら。

 すべてを壊し。

 突き上げ。

 沈めてしまえ。

 そんな刹那の風よ。

「もっと」

 強く。

 揺さぶってくれ、この身を。

「隊長」

 俺はあの日あなたと飛びたかった。こんな空を。

 そこで命を落としたって構わなかったんだ。

 俺は俺は。

(ずっと隊長の傍に)

 一緒に飛びたかった。

 あの人は〝絶対〟だった。

 命を捧げてもいいと思えるほど。

 ――涙が出た。

 聖 晴高は磐木にとって、絶対的な存在で。不動の存在で。

 神様みたいなもんだった。

 眩しすぎて、届かない。

(太陽みたいな人だった)

 ――エルロンの一端が砕けた。

「ッ」

 気づいた時には、反応がすでに遅れた後だった。

 ブレーキの踏み込み遅い。そのワンテンポが、彼方へ吹き飛ばされる要因になった。

(まずい)

 操縦桿が動かない。

 風向きが変わる。横から風が叩き付けられる。

 風の道を探せ――でも方向が。

 天井はどっちだ? 方位が、風の強弱が。

 下から猛烈な突風が吹き付ける。風圧に機体が軋む。

 その瞬間、磐木目に幻が過ぎった。

 その幻は銀の色をした、獅子の像。

「―――――ッ」




 死ぬのかここで。

 それならそれでもいい。

 やはり自分の仕事はもう終わった。

 晴高のいない空など、やはりもう無意味。

 自分は晴高の代わりになどなれないし。

 たった一人では、空は、守れない。




 砕け。そう願った。

 そしてその瞬間。

 バックミラーに色が過ぎった。

 幻覚かと思った。さもなくば、地獄からきた使者かと。

 しかしもう一度。それはバックミラーに確かに姿を映し。

 パッと消えたかと思ったら、磐木の前に躍り出た。

 黒に近いほどの濃紺の機体。

 その操縦席から同色の飛行帽をかぶった者がこちらを振り返った。手で何か合図をしている。

 ――ついてこい。

 磐木は言われるまま、その機体に従った。

 その者に導かれる道は、不思議と、風が緩かった。

(間を抜けてる)

 風がぶつかりせめぎ合う、その中央の場所。

 それはさながら、〝風の抜け道〟。

 数分後、その風の渦を突き抜けた。

 そこにあったのは目が眩むほどの太陽の光。

 初めて入った、『ビスタチオ』の空だった。




 

 手信号を送る。

《ありがとう》

 それにそのパイロットは軽く手を上げた。

 ――その後、その濃紺のパイロットに案内され別のルートで磐木は『蒼』に戻った。

《俺の名は磐木》

 別れ際、何となく磐木は相手に自分の名を伝えた。

 向こうはしばらく無返答で彼の横を飛んでいたが。

《ジン》

 それだけ言って、翼を翻した。

 その濃紺の機体の中央には白地でこう書かれていた。




 『我道』








  ◇


「『ビスタチオ』の領空に入った!? 何をやっとるんだ、磐木!」

 基地に戻って報告すると、それを聞いた森副総監は腰を抜かして怒鳴った。

 森副総監はこの年50歳。高藤時代からずっとこの基地にいる、『湊』の重鎮である。

「魔の空域というのに興味を持ちまして。どんなものかと飛んでみた次第です」

「飛ぶな馬鹿者! 今あの空域は封鎖されているのを知らんのか!?」

「封鎖? 戦闘艇もですか?」

「そうだ!」

「それは知りませんでした。すいませんでした」

「馬鹿者ッ!!」

 怒る森の横で白河は声を立てて笑っていた。

「白河総監! 笑い事ではありませんぞ!!」

「いやはや……すいません。磐木、何をやってるんだよ」

「申し訳ありません」

「まぁいいよ。怪我がなくて何より」

「よくありません!!」

「で? どうだった? その空。噂どおりの風だったか?」

「はい」

 磐木は小さく笑った。

「天地を分かつかのような……まるであの時のような、物凄い風でした」





「まったくあの男、無茶をして……領空侵犯で『ビスタ』が何か言ってきたらどうする気か」

「まぁまぁ森さん。あいつの話では、すぐに『蒼』に戻ったって話ですし」

「そういう問題ではありませんぞ。戦闘機で領空ギリギリをうろつくだけでも問題だと言ってるんです。国際問題というのは非情にナーバスなものでしてな」

「でもあいつ、いい顔してましたよ」

「?」

「あいつはあの風の中で……何かいい物を見たんじゃないのかな」

「……総監、あなたまで飛びたいとか言い出さないでくださいよ」

「ははは。それが叶わないから、羨ましいんですよ」







「濃紺の飛空艇?」

 その夜。

 町にある『海雲亭』に訪れた磐木は、先にきていた小田に聞いた。

「機体に『我道』と書かれていた」

「そりゃあんた、【ケルベロス】でしょ。間違いないよ」

「【ケルベロス】?」

「徹っちゃん……お前本当に世間に疎いね。『ビスタチオ』で【ケルベロス】って言ったら今相当有名だよ?」

「そうか……空賊か……」

「何? 会ったの?」

「ああ」

「へぇー、そりゃ凄いな」

「〝ジン〟と言っていた」

「え? ジン? それ名前?」

「多分……俺が名乗った後だから」

「そらすごい。ジンつったら、【ケルベロス】の大将だよ? 中々会えないよそれ。今『ビスタ』の当局は血眼になってそいつと、そいつの率いる番犬連中を探してるって話」

「へぇ……」

 あの男が、【ケルベロス】のジン。

 『翼竜』より、もっと深い色をした、夜空のような機体を操る男。

(もう一度会ってみたい)

「ん? 何か言った?」

「いや」




 晴高が消えた空とは違う、あの業風の中。

 磐木はあの日抱いた絶望とは違う、別の物を見つける。

 それは濃紺の風となり。

 磐木の脳を覆っていた雲を吹き飛ばす。

 吹き飛ばされた灰色の景色、その向こうに見えたのは。

「あー、今夜は星がよく見えるな」

 天井に輝く、七つの星。



   

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