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 『邂逅――磐木の章(7_years_ago)』-1-


「初めて風迫に会ったのは、今から7年前」

 ポツリと、磐木の口から言葉がこぼれだす。

「あれは丁度夏至の頃でな。俺は総監の命令で一仕事終え、基地に戻る最中だった」

 白河がチビとジョッキに口付ける。

 外は吹雪いている。他のお客がその雪模様に騒いでいる。だが店内は熱気で暑いくらいだ。

 その熱のせいで、酒を一滴も飲んでいないはずの秀一の顔も真っ赤になっている。

「まっすぐ帰ればよかったんだが、ちょっとした出来心でな。『天海』に出ていた俺は、そのまま進路をさらに北へ向けた」

 『天海』は、『蒼』領海で最も北に位置する海。

 そのさらに北に位置するのは『ビスタチオ』。

「〝風の抜け道〟目掛けて」

 それは『蒼』と『ビスタチオ』の境目に位置する場所。

 この国に来る時も、空母で通ったあの場所。窓越しにも暴風が見て取れたあそこに。

「吹き荒れる暴風、舵も方向もわけがわからないその中で。俺は初めてこいつに会った」




 これは、磐木 徹志と風迫 ジンの最初の物語である。






  36



 ――出会いの前の年の秋、磐木に人事異動の命令が出た。

 赴任先は『湊』。

 それを聞いて磐木は最初、何とも言えない感情を抱いた。

 彼に拒否権はない。けれどももしそれが叶ったのなら、磐木はそれを呑まなかったかもしれない。

 ――『湊』には特別な思いがある。

 12年前起こった事件。

 後に〝空の果て〟と呼ばれるその怪事件。ある日突然空が割れ、多くの飛空艇乗りが飲み込まれたという一件は、それからすぐに国内全土に知れ渡った。

 当時はそれに関して様々な憶測も飛び、報道もなされた。

 その中で、生き残って再び基地に戻る事ができた磐木に待っていたのは、様々な好奇の目以上の――絶望感だった。

 何もやる気が起きない。

 目の前であの地獄を見た。たくさんの仲間、たくさんの命が空に飲み込まれていく様。

 阿鼻叫喚の地獄絵図。

 若い磐木にとってそれは、精神を壊すのには充分のものであった。

 ……しばらくは事情聴取が続き、その後医師の勧めで休養。

 その後復隊、他の隊に編成されたが、一層無口になった彼が馴染めるはずもなかった。

 共に生き残った原田 兵庫がすでに退役していたというのも理由の一つだった。

 完全に気が抜け切ってしまった磐木の様子に、周りは失望をあらわにした。

「図体だけのでくの坊」

「まただんまりか、お前は何を考えているかわからない」

「生き残ったくせに、そんな様子で死んでいった連中に恥ずかしいと思わないのか? もっとしっかりしろ」

 『湊』から別の基地に異動になっても、それは変わらなかった。

 ――目に映る景色は灰色。

 なぜ自分が生きているのかわからない。そして、

(俺の上司は聖隊長)

 心に誓ってしまった絶対たる思い。

(あの人以外の命令など)

 自分が従うのは聖 晴高のみ。他の誰の指示も聞きたくない。耳が抵抗する、否定する。

 だけど空軍を離れる気にはなれなかった。

 それはひとえに、晴高との約束があったから。

 晴高の意志を継ぎ、空を守る。

 けれどももう、何もする気が起きない。

 ――12年前のあの日、磐木は晴高によって墜とされ、その場より逃れる事ができた。

 だが心は。

 晴高に寄り添い、あれからずっと、あの地獄の空を飛び続けていた。たった1人で。



 絶望の中5年が経った。

 そんなある日の突然の辞令であった。

 次に飛ばされるとしたら、もう、空軍ではないような気がしていたから。

 飛空艇乗りとして再び『湊』へ赴任と聞いた時は心底驚いた。

 しかも、辞令が出た直後、まだ荷物もまとめていない最中突然やってきた『湊』の総監というのが。

「やぁやぁ磐木君! 久しぶりだね!」

 白河だったのである。

「白河さん……?」

「変わらんなぁー、磐木君。元気そうでよかったよ!」

「『湊』の総監って」

「うん、今度の辞令でね。新しく俺が行く事になったんだよ。はは。俺に勤まるのかな? 正直重荷で、最近あんまり眠れないんだ」

 苦笑する白河は、以前会った時より白い物が増えたと思った。彼は晴高と同じ年だから、まだ30後半だろうに。

 巡察から戻ったばかりで総監室に呼び出された磐木は、まだ飛行服のまま。そんな彼に気さくに笑いかける白河に、正直磐木は心底戸惑った。

 磐木にとって白河は、それほど接点のある人物ではなかった。

 以前、晴高の隊に属していた時――『湊』で競っていたもう1つの隊の隊長。

 でも悪い印象はない。晴高や兵庫が親しげに話していたから。

 しかしその部下である上島 昌平という男がどうしても好きになれなかった磐木にとって、白河は、別に好んで近づくような存在でもなかった。

 何か困った事があれば、晴高や兵庫に相談すればいいし。隊の中でも1番下っ端であった彼が、他の隊の隊長と話す機会はほとんどなかった。

 辛うじて覚えていたのははやり、晴高という存在が関わっていたから。それだけの事。

 だが白河の方は磐木とは違っていたようで、久しぶりに会った彼に心底懐かしさと嬉しさのこもった笑みを見せ続けた。

「俺は来週赴任だ。『湊』の総監は歴代ツワモノばかりだからな、汚点を残さんように頑張らなきゃならん。ほら、前にいた高藤さんは覚えてるか? 今は『賛々さんざんばら』からこっちに戻って、『音羽』海軍の指揮を取ってる。『湊』は目と鼻の先だから、ヘマすると飛んできてぶん殴られそうだよ。『湊』にいた頃、俺も他の連中もよく悪さするたびに殴られてたからなぁ」

「……」

 ああ、そう言えば。晴高と兵庫も高藤総監には殴られてた。あれは何でだったんだろう?

 理由は忘れたけれども、その後皆で打ち上げだって言って町に繰り出したんだ。確か焼肉屋。晴高と兵庫は何事もなかった様子で大笑いしてたな。

 ……そんな事を思い出し、磐木の口元が自然と緩んだ。

「懐かしいです」

「うんうん」

 白河は満足そうに笑って、同席していた、当時磐木がいた基地の総監に向かって頭を下げた。

「山崎総監、今回は無理を言って貴重な戦力をいただいて本当に申し訳ないです。私も新任なのでご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。ご助言等いただければ幸いです」

「大丈夫大丈夫。わからない事があったらいつでもどうぞ。私にでも勤まってるんですから」

「心強いです。……本当に、若輩ゆえにとてもこの大任、務まるかどうか。本当に、お助け願えるとありがたいです」

 腰が低く、ペコペコと何度も頭を下げる白河の姿を磐木は他人事のように見ていた。

 晴高とこの人は到底違う。

(もしも隊長が生きていたら)

 今頃あの人も総監なのか……? ふと思う。

 でも、どう考えてもあの人が権力を望むとは思えない。生涯現役を貫きそうだ。

(けれど、あの人が総監になったら)

 迷わず皆がついていくんだろう。それこそその基地は、国内最強の基地になるかもしれない。

 想像を巡らせる。所詮絵空事とは思いながらも。

 晴高はいない。そして現実に今目の前にいるのは、バッタのように頭を下げ続ける腰の低いこの男。

 軽蔑するほどではないが、敬意など抱きようもない。

 『湊』は変わった。この人が総監に……行く先の基地がとてつもなく薄っぺらく、また空しい物のように思えてならなかったのである。




「それで、配属は?」

 白河から遅れて10日後、磐木は『湊』に戻った。

 そしてすぐに白河の所へ向かったわけだが。

「あー、ごめん。まだ決まってないんだ」

 頭の高さほどある書類の間から顔を出し、白河は相変わらず人の良い笑顔を浮かべそう言った。

「とりあえず今週は314飛空隊の芹沢君についてて。その指示に従って」

「はぁ……」

 赴任早々、配属先がまだ決まってないという事態に、磐木は落胆した。

 しかし正直言えば、どちらでもいいとも思える。

(誰の下につこうが、同じ事)

 空しさは変わらんさ。……そう思うと、何のために自分は飛んでるのかな?

 そして磐木は次の週、再び白河を訪ねるが、

「総監、配属の件ですが」

「んー、悪い。まだ。今週は338の三浦君に言ってあるから。そこでよろしく」

 そしてその次の週も。

「すまんね磐木。今週は341の伊丹君に言ってあるから。そこで頼むよ。彼短気だから、怒らせるなよ」

「……」

 結局、赴任から1ヶ月。磐木の配属先は決まらなかった。

 この頃にはさすがに磐木もムッとしてくる。いくら上司であろうとも、基地で一番偉い人物であろうとも、堪忍袋の緒も切れ掛かってくる。

「総監、お話が」

「今週の配属先? 今週はね、三浦君の所が作戦出るから、そこの援護で人が欲しいって」

「――もう結構」

 言い切り、磐木はその卓上にバンと封書を叩きつけた。

 その表書きには『辞表』。見事な筆遣いで書かれていた。

 それをチラと見、白河は驚いた様子で目を丸くした。「何だいね、こりゃ」

「見ての通りです」

「磐木、」

「そういう事なんでしょう?」

「……?」

「たらい回しにして、さっさと辞表を書かせようと」

 白河の目が一層見開かれる。

 磐木は眉間のしわを消し、「察するのが遅れ申し訳ありませんでした」と言った。

「おいおい」

「早急に荷物をまとめますので。これにて失礼を」

「待てよ、磐木」

 総監室を出て行こうとする磐木に、慌てて白河は走り寄った。肩を掴んだら磐木に振り払われ、見事にその場にひっくり返った。

「あ、申し訳ありません」

「……イテテテ」

「お怪我は」

「痛いよ。もう、頼むよ。力か有り余ってんのかお前」

「はぁ」

「んじゃ今日は配水管の工事がきてるから、そっちの応援に行くか?」

「……」

「冗談だよ。睨むなよ」

 よっこいせと言いながら立ち上がり、白河は頬を掻いた。そして磐木の封書を手に取り、

「これはちょっと、勘弁してくれよ」

「しかし」

「こんな事のためにお前を呼んだんじゃないんだよ」

「……?」

「言ってなかったけどな。今回の人事は俺が申請したんだよ、向こうの総監に頼み込んで、磐木 徹志をくれって」

「な」

「誰かトレードで寄越せって言われるかと思ったけど、無条件だったからよかった。その方がお前のためにもいいだろうって、山崎総監も言ってくれたし」

「白河総監?」

「俺が、お前を、欲しいって言ってもらってきたんだよ。頼りない総監だけどな、ちょっとまだこれは、勘弁してくれよ」

「しかし……じゃあなぜ俺の配属先は? 厄介払いにされているとしか思えませんが」

「磐木、こっちも色々考えてんだよ。最終調整。お前の下に誰つけるか、毎日寝る間も惜しんで考えてるんだよ」

「……え?」

「お前の下だよ? ハンパな奴に任せるわけにはいかんだろう。才があって有能ないい補佐官。そういう奴がいなかなぁって探してるんだ。俺もここに赴任したばっかりだから、まだ全員の顔と名前覚えてなくて。適任者選びに苦労してるんだ。悪いがもう少しだけ待っててくれないかな」

「白河総監、それは」

 たじろぐ磐木に、白河はニコリと笑った。「隊を」

「お前に1つ、任せたいんだ」

「――」

「327が空いてるだろ? そこにお前の隊を作りたい」

 お前に一隊を持たせたいんだ。

 磐木は唖然とした。

「俺に……」

「うん」

「隊……」

「そう」

「……」

「全然おかしくないだろ、お前の歳には俺も隊長やってたし。俺みたいなのでもできたんだから、お前だったらきっともっともっといい隊が、」

「――無理です」

「……へ?」

「隊長なんて、無理です」

 言って、磐木は「失礼します」と頭を下げて部屋を出た。

 白河に呼び止められたが、彼は振り返らなかった。

(俺が隊長?)

 冗談じゃない。そういう感情しか浮かんでこない。

「無理に決まってる」

 思い浮かぶ隊長の像は、聖 晴高。

 まっすぐなあの瞳とあの魂。それは、隊員全員をいつも光の中へと導いていた。

 揺らぐ事なく。

 誰もがその先を疑う事なく、信じられるほどに。

 そんな、晴高と同じ〝隊長〟に、自分がなるなんて。

(無理だ)

 磐木は眉間にしわを寄せた。

 辞表は置いてきた。

(このまま荷物をまとめて)

 実家に戻ろう。そして家業を手伝おう。



 ――そんな最中。



 脱兎のごとく、彼の横をすり抜けて一人の飛空兵が走っていった。

 見知った顔だった。確かこの春入隊したての若い兵だったはず。

 彼の行く先には総監室がある。

「……」

 自分には関係ない事だ。そう思い、改め歩を進めようとして。

 けれども、今しがた見たその必死な形相がどうしても消えなかった。ただ事ではない顔だった。

(聖隊長だったら)

 何事かと、追いかけるんだろうか? そう思って自嘲気味に笑った時。

「磐木ッ!!」

 背後に降りかかった声に、磐木は思わず振り返った。

 そこには白河総監と、その若い兵が荒い息に肩を揺らしていた。

「345の米沢君が急病で倒れた。しかし345にはこの後、〝砂海〟での【海蛇】駆逐作戦が出てる」

「……」

「お前、345の指揮を取れ」

「え」

「〝砂海〟の場所わかるな。近隣の町々に最近【蛇】が猛威を振るってる。『笹川』からも出るそうだ。一斉作戦だ。詳細は鈴木副隊長に聞け」

「そ、そんな。しかし俺は」

「あそこは鈴木君以外は入隊間もない連中が多い。鈴木君1人ではまとめきれん。お前は経験も多い。行って指示を出せ」

「そんな」

 無茶苦茶な、そう思ったが。

「磐木さん、お願いします!!」

「……」

 不安を絵に描いたようなその顔に、磐木は心底嫌そうな顔をした。

 そして不承不承、どうしようもなく……初めて、隊を指揮したのである。




「いやー、磐木。ご苦労様。助かった助かった」

「……いえ。結局何もできませんでしたので」

「まったく、【蛇】は情報が早いな。空軍が動くとなったらさっさと逃げおおせたか。いやはや。どうせまた戻ってくるさ。その時は頼むよ」

「……」

 相変わらずの笑顔に、磐木はムッと口元をへの字に曲げた。

「総監、それで、俺の辞表の件は」

「いやー、345の連中が言ってたよ。磐木の指示は的確だと。鈴木副隊長も、お前がいてくれたから安心して作戦に行く事ができたって言ってる。初めての指揮とは思えないってさ。よかったな磐木。はははは」

「……」

「お前、やっぱり、隊長に向いてるよ。少し待ってろ。お前にいい人選の隊を作り上げるから、な? それまでちょっと我慢しててくれ」

「…………」

 磐木は大きくため息を吐いた。

「俺は隊長はやりませんから」

「わかったわかった。ははは。待ってろな」

「向いてませんから」

「そういうわけで今週は日比野隊長の320飛空隊な。あそこは週末から作戦入ってるから、来週末まで2週間頼めるかな」

「……総監、俺は、隊長は、やりません」

「腹が減ったな、今日は晩御飯一緒にどうだ?」

「……」

 磐木は頭を抱えた。

 この人は晴高とは違う。兵庫とも違う。

(けれども)

 人を惹き付ける何かがある。

「おごりなら」

「いいよ。ああそうそう。隊長になれば給料も上がるから」

「……」

「さぁ、誰を副隊長に据えるかな」

 磐木は思った。

 昇給しなくてもいいから。別に隊などいらないから。

(平和に暮らしたい)

 でも。

 この数年、彼は闇の中にいた。

 そんな中で、こんなふうに。

「ん? 何がおかしい」

「いえ」

 笑ったのは久しぶりだった。




 風向きが変わろうとしている。

 磐木は我知らずそれに心揺り動かされ始めていた。


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