『傷跡(kizandaomoi_sositeetamono)』
「そうか……」
――すべてを聞き終えた白河は、ふぅー……と長い長いため息を吐いた。「……良かった」
「それで、『七ツ』の面々は?」
「事後処理が済み次第帰還との事です。もう直に戻られるでしょう」
伝令の兵士はそう言うと、満面の笑顔を見せた。
「戦地にいた多くの者が、彼らのおかげで戦局が変わったと言っております。状況は明らかに我々が不利でした。あのままいったら他基地の援軍が来る前にどうなっていたか。ですが、『七ツ』部隊の登場により流れが一変した。どうにか持ちこたえる事ができたのも、そして結果空賊連合を壊滅する事ができたのも、『七ツ』の方々の力による所が大きいと皆で申しております」
「白河殿はよい部下をお持ちで」
周りにいた飛行兵、そして軍服将校の面々から口々に賞賛の言葉を浴び、白河は照れたように頬を掻いた。
「それは本人たちに言ってやってください。喜びます」
空賊連合軍、壊滅。ならびに基地に向かっていた【白虎】の群れも離散したと聞く。
結果は上出来。
キシワギが重症を負って運ばれてきた時はどうなるかと思ったが。その当人も先ほど病院で意識を取り戻したと聞いた。
白河は安堵のため息を吐く。
だがその口元は一瞬ほころび、また真横に結ばれる。「――それで」
「彼は……どこに?」
将校の1人に問いかける。一瞬相手は何の事かと首を傾げたが、すぐに意味を汲み取り、同じように口を結んだ。「あの男ですか」
「彼は陸路にて、『ゴルダ収容所』へ。そこで取調べを受ける手はずになっています」
『ゴルダ収容所』……その名に、白河の目じりにしわが寄った。
雨が降り始めている。
腕の時計を確認する。時刻は、たとえ雲が一切ななくとも太陽は西へ沈むための準備を始める頃であろう。
「ここからそこまでは?」
「車で20分ほどです。元々あそこは、我らの管轄ですので。……まさか、白河殿?」
白河が言外に何を言おうとしているのか察した将校は、少し目を見開き彼を見た。
そんな様子に白河はむしろ小さく微笑んで。静かな声で言った。
「会えませんか?」
「今からですか?」
できるならば――そう言って、白河はじっと彼を見た。
その目は波立たぬ海のように澄んで、穏やかで。
それでいて、すべてを飲み込むように強く。
将校は一瞬言葉を失った。
その様子に白河は優しく微笑んだ。
そして初めて、白い歯を見せて笑った。
「古い馴染みゆえに……できれば」
将校には翌朝の面会を勧められたが、白河は首を縦に振らなかった。
そして結果。
彼は、『七ツ』帰還を待たず、基地を出る。
誰よりも早く、何よりも早く。
どうしても。今すぐに。
あの男に会いたかった。
――あの日から。
秘めた想いを、内に抱き。
33
『ゴルダ収容所』。
別名、〝森の贄〟とも呼ばれる場所である。
小高い丘の上に建てられたその建物の周りは、高い塀と深い深い森。しかもたとえ塀を乗り越える事ができたとしても、森の中にはもう1枚高い壁が用意されている。
ただ一つだけある正規の出入り口には監視員が常時置かれ、カメラも仕掛けられている。決して、許可のない出入りはできない場所となっているのである。
(理論上は)
いわば、陸の孤島。
だが白河は、その理論を越えた人物を知っている。
(ここにくるのは5年振りか)
記憶の中にあるのと同じ様子に、少し安堵も覚え、そして同時に陰鬱ともする。
「ここは我ら『ア・ジャスティ』空軍直轄の収容所。我らが捕らえた者を収容、そして取り調べを行う場所であります。なので、連れてこられるのは主に空賊が多いですな。後は密輸、危険物の輸送艇……ここで取調べを行い、後はその罪の重さにより別の場所へ搬送されます」
『ア・ジャスティ』から白河に付き添った将校が説明をする。その声は静まり返った廊下に、湾曲を伴い響いた。
何枚も扉を通り、幾人もの警備の横を通り過ぎる。
その道すがら将校がこの場所の歴史や、運営の仕組みを話してくれたが、白河は小さく相槌を打つのみで、それ以上会話に乗らなかった。
ただ、白く染め上げられたコンクリートの道と壁を見ながら。
彼は脳裏に、様々な事を思い浮かべた。
「……それで、」
話題が途切れた所で、白河は、ここにきて初めてまともに口を開いた。
「彼は……」
目の前にまた、大きな扉が見えてきた。何枚目だろうか? 警備兵は銃も持っている。
これはもう監獄だな。ここに収容される者がどれほどの者達なのか、そしてどれほどの警戒状態なのか。改め、白河は思った。
「その男は」将校は警備兵に挨拶をし、面会の旨を伝えた。「黒い飛空艇に乗っていたそうです」
「黒……?」
「一点の混じりもない、漆黒の機体です」
「……」
「現れた黒の機体は5機。彼らは〝ルーの湖〟に現れるや『七ツ』面々に襲い掛かりました。内4機は撃墜したものの、1機は逃走した模様」
「……」
「そしてその男を撃墜したのは、『七ツ』隊長・磐木殿と、副隊長・風迫殿と聞きます」
あいつらが……白河は虚空を見据えた。
壁の向こうは、明かりの質が違った。薄暗く感じられる。
「黒い機体、とは」
白河の呟きに、将校は眉間にしわを寄せた。
「まさか」
「……率直に言えば」
「……」
「『黒国』の物ではないかと、我らは見ております」
――『黒』。
「ゆえに、我々も取調べを強くする予定で。もし今回の空賊連合、ならびに【白虎】の暴挙に『黒』が関わっているとなれば」
「……」
何を、と白河は思った。
何をしている、上島 昌平。
(お前は)
一体何を――。
「尋問の行方によっては『蒼』への引渡しも遅れるかもしれません」
目の前に、最後の扉が立ちふさがる。
一番奥の部屋。そこは罪人の中でも特級の容疑がかかった者が放り込まれる場所で。
(まさかもう一度ここに)
やってくる日がこようとは。
しかも、今度は。
「できれば上島と2人切りにさせていただけませんか?」
「それは承諾できません。申し訳ありませんが」
「……わかりました。では、立会いよろしくお願いいたします」
かつての、朋。
こんな重い音がする、こんな頑丈な扉の向こうの格子の部屋に。
閉じ込められている、1人の男は。
白河が見知ったその姿より、また少し痩せた面持ちで。
ただ眼光だけは、いやに光っている、
――20そこそこの若い時分に見たよりも、すこし濁った光を携え。
あの頃のように、少し小馬鹿にしたような眼差しで。
現れた白河の姿に、驚きも見せず、ただ、鼻で笑って彼を迎えた。
◇
扉の脇に立つ将校から、白河は1歩前に進む。
そしてもう1歩。
その間上島はじっと彼を見ていた。
そして白河もまた、彼と視線をかわしたまま。
双方瞬き一つせず。
お互いの目を、じっと見つめていた。
「……」
「……」
3歩進んで立ち止まり、白河は真正面に上島を見据えた。
地面に胡坐を掻いたまま、上島はそんな彼に小さく笑って見せた。「遠い所を」
「わざわざご苦労様で」
「……」
「しかしまさか、あなたまで来ていたとは。正直驚きましたよ」
「……まさか、『七ツ《かれら》』だけでここに来させるわけにはいかないだろう」
「確かに」
クックと笑い、上島はアゴを持ち上げた。「そしたらまた監獄送りだ」
何か脳裏に面白い事でも浮かべたのか、上島は笑い始めた。
その波が引くのを、白河はじっと黙って見つめ続けていた。
――初めてこの男に出会ったのは、もう20年も前になる。
白河が『湊』に赴任になったのは、飛行学校を出てから2回目の異動でだった。
『湊』で待っていたのは、飛空部隊の隊長という役責と。
この男。副隊長として自分の下についた、上島 昌平。
……あの頃の思い出は白河にとって、温かくもあり、苦くもある。
確かに仕事は激務だった。当時は今よりもっと不便な飛空艇で、そして人員も今以上に不足していた。
そのくせ空賊は猛威を奮い、一個部隊の出動回数と飛行時間は毎月、規定を軽くオーバーしていた。
空に上っては戦い、撃ち墜とし、撃ち墜とされ。
得る仲間、失う仲間……それがループして、日常の中にあった。
過酷だった。
けれどもそれでいて、その中でも、楽しい事がなかったわけではなかった。
あんなに厳しい時代だったのに。あの頃を思い出すと、様々な笑顔が浮かんでくる。
白河が手がけた隊、その部下達……中にはもう、今生会えない者もいる。断末魔を聞いた者もいるのに。けれど浮かぶのは笑顔。
隊長なんて向いてないと。あの頃白河はよく思っていた。
(だが)
彼があの時飛空部隊の隊長という責務を果たす事ができたのは、彼を支えてくれた仲間と。あの男がいたから。
聖 晴高。
そばにいる、あの絶対的な指標があったから。
白河はいつも道を迷わず、進む事ができたのだと。
(晴高がいたから)
だから。
(真似事でも)
隊長であれたのだと。
「……痩せたか?」
一つ深く瞬きをし、白河は呟いた。「少し見ない間に」
「かもしれませんね」
「お前……」
頭の中に過ぎる様々な想いを、一つずつ整理して行く。「何してる?」
「……」
「お前この数ヶ月……どこで何をしてた?」
上島は一つ目を見開き白河を見て、ぷいと視線をそらした。
「お前……」
――肩の傷が痛む。
「飛べるように、なったのか」
白河の声は、喉から絞り出したかのような物だった。
それに対し上島は、視線を戻しニヤリと笑った。
「ええ」
「お前の体は、」
「何回も何回も手術を重ねましたよ。おかげさまで。やはり空はいい」
「……」
「空はいい」そう繰り返し、上島は天井を見上げた。そこには灰色のコンクリしかなかったが、彼の顔は恍惚に染まっていた。
「あの風、空気、質感、そして刹那……空はいい。そして空戦はいい」
「……」
「射撃ボタンを押し込む時のあの感触、それで相手が墜ちていく様を見るとゾクゾクする。たまりませんよ。あれはいい」
そう言って彼はその手を何度か握り締める。
その様子に白河は、目を細めた。「手術は、」
「『黒』でもしたのか?」
「――」
ピタリと手が止まる。
2人の目がまた重なる。
上島の目は、細面に妙にギョロついて見えて。
その様相に白河が思う言葉はただ1つ。
「反応速度が、ね」
「……」
「格段に。脳回路がもう、たまりませんよ。見える見える。空も空気も風も。腕も足も、スルスルで。たまらない。もう本当に」
――哀れ。
「これぞ、神の域」
「……」
「……となれば、あなたに感謝をしなければいけない。私はあの日、白河さんに撃たれた事で結果、こうして生まれ変わる事ができたのだから」
「……」
「あの頃の私がをどうあがいても、今の私に達する事はできなかった……絶大な物を手に入れる事ができました。本当に」
「……上島君」
「だから私は、白河さんが哀れでならない」
こいつはこんな暗い目をしていたか? 白河は思った。
確かに昔から、いい目つきではなかったけれども。こいつの言葉と視線に落ち込まされた事も何度もあったけれども。
でも、しかし。
「あなたはもう、あの空には戻れない」
「……」
「あなたは適合しなかった……それが、哀れで哀れで」
あいつは俺を、こんな目では見なかった。
「あなたの肩の傷は? あなたも入れたのでしょう?」
「……」
「なのにあなたの右腕は元に戻らなかった……おかしな話です。適合する者、できぬ者……拒んだのは、石かな? それともあなた自身かな?」
「――」
笑う上島に。
白河は目を閉じた。
脳裏に過ぎる様々な映像。
大事な思い出。
そこに浮かぶのは白河にとっての、宝。
だからこそ。
――白河は笑った。
そしてその右腕で、力の限り、鉄格子を殴った。
その音に上島はハッと顔を上げた。
「リハビリで何とかここまで」
「――」
「ただ殴りつける事くらいならできるよ。少しくらいなら物だって掴める」
「……」
「俺はそれでいいんだよ。上島君。俺はそれでいい」
「……」
「俺が望んだんだ。何が大事か、何を守るか守りたいか……天秤にかけた結果だ。後悔はしていない」
「……は」
「ただな上島君。君は少し検討違いをしている」
――押さえ込め。そういう声が聞こえる。
けれどもう限界だ。そういう声が強くなっていく。
「確かに『七ツ』だけをこの国に送るには不安要素があった。彼らが不必要なゴタゴタに巻き込まれるのは目に見えていたから。守りたかった。それは俺にしかできない事だから。だが同時に」
上島を見つめる、白河の目は。
「お前に会いたかったんだ。会えるなら真っ先に。何よりも先に」
「――」
「あの日、『七ツ』をお前に預ける事を俺は了解した……けど、……はは、あれは参ったな……まさか君が、【天賦】と繋がっていようとは……」
「……」
「俺の不注意だった。だが。上島君。俺は君を許さんよ」
「……」
「あまつさえ『湊』をあんな目に。私の大事な部下達をあんな目に」
上島は息を呑んだ。
かつて彼は見た事がない。これほど強く激しい目をした白河を。
怒りに燃える、白河の姿を。
――あの日以来。12年前〝空の果て〟が現れたあの日。
(いや、)
それ以上の。こんなたぎる、白河の姿を。
「俺が気に入らないのなら、直接仕掛けてくればいい。あんな間接的な真似せずとも――俺は、俺が君にした事をわかっているよ。本当は俺はあの日、罪を課されるはずだったんだ。この手は汚れている。君に制裁を下されるのならばそれは仕方がない事だと思っているよ」
裁かれるのは自分自身。
「なのにお前は……俺ではなく別の物に矛先を向けた」
ああ、もしも今目の前にこんな格子がなかったらと白河は思う。
この手は。
「上島君。俺はお前を許せんよ」
あの日起こったのは成り行きの果て。サイを投げたのは上島の方。
だが今度は違う。
白河の本気の目。
その視線はすでにもう刃。
上島は思わず心臓を掴んだ。
そこはかつて、白河に撃たれ、今は。
――別の物が埋まっている場所。
白河は、感情をあらわにした自らを一瞬恥じるような顔をした。唾を飲み息を整え瞬きした時には、険しいがいつもの顔に戻っていた。
「もう俺には、空に上がる翼はいらない。代わりに翔け上がる者達がいる。そして俺はそいつらを守りたい。そいつらが戻る場所を守りたい……それは飛ぶ事以上の悦びだ。俺の命なんざいつでもくれてやる」
「……」
「俺にしてみれば、自分の事しか愛せないお前の方が、よほど哀れだ」
そう言って白河は、じっと上島を見た。「俺は」
「この手で、生涯、見える物すべてを守り抜く。誰が何を仕掛けてこようとも。それだけ言いにきた」
あとは物言わず部屋を後にする白河の耳に。
その部屋の扉が再び閉められる直前、奇声が聞こえた。
それは人の叫びというよりは、獣の雄たけびのようで。
白河はもう一度思った。
哀れだと。
20年前。出会った頃のお前は、えらくとがった目をしていたけれども。
それは未来に向かって、輝いていた。
聖 晴高と301飛空隊という絶対的な壁を前にして。俺は最初から勝負を諦め、憧れるだけでいたけれども。
その高みを目指せといつも叱咤してくれた。
それは鬱陶しい事も多いし腹も立ったけれども。晴高なんぞと比べてくれるな、俺は俺でのんびりやりたいだけなんだから放っておいてくれと。何度も何度も思ったけれども。
『一緒に頑張りましょう!!』
そう言われるたび結局苦笑して、頷いてしまう自分がいた。
俺が隊長になれたのは、真似して憧れられる奴がいた事と、同時に。
支えてくれた奴がいたから。
白川さんが隊長でしょ!? と言ってくれた奴がいたから。
ギラギラの目をしたそいつは、熱すぎるほどの太陽のようで。
困る反面、時折その熱に浮かされる事もあったんだ。
でも、こうして北の大地で再会したお前のその目は。
漆黒にとりつかれた、星の明かりもない、ただの闇ではないか。
外に出ると、冷気が身に染みた。
だが空を見上げれば、月が見えた。
「てっきり雪になるかと思ったんですが」
将校が言う横で、白河は息を漏らした。
最奥の部屋で見た事を、彼は何も言わなかった。それが白河は心底ありがたかった。
吐いた息は白くなり、辺りに広がり消えて行く。それを見て白河は、生きているのだなと感じた。
肩の傷はもう痛まない。
(後悔はしてないよ)
白河は、脳裏で上島に語りかける。
翼は失った。でも自分は後悔などしていない。
その代わりに得た物は、計り知れないから。
「……戻りましょうか」
――もう、絶対に。
自分の想いは曲げない。
二度ともう、あんな後悔をするのはいやだから。
刻んだ想い、そして手にした、かけがえのない物を。
その腕の傷跡は、訴えかける。
――生涯。
守るべきものは、己の命より。
魂。
そして誇りであると。
 




