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 『絶対の翼(zettaino_tubasa)』-4-


 小麦畑の途切れた場所。

 平原の一角。

 彼は目を閉じ、動かない。

 息はしている。気を失っているだけだ。

 その頬には、いつついたものかわからないがまだ新しい切り傷があった。

 パラシュートは外した。

 そして彼女は。

 そんな彼の顔を、傍らに座り、じっと見ていた。



 こうして顔を見るのは、3度目だ。

 聖 瑛己。

 なぜあなたがここにいるの? 彼女は無言でその顔に問いかける。

 あの時もそうだった。【海蛇】の群集に絡まれた時も。

 突然彼は現れた。

 あの時、正直言えば彼女は困っていた。

 それが命令であったのならば、【海蛇】50機くらいわけなく墜とす。

 だがあの遭遇はまったくの偶発。

 撃墜すべきか、やり過ごすか、迷った。

 命令以外で無意味に飛空艇と戦いたくない。

 たとえ絡んでくる敵がいようとも。できる事ならば。

「……」

 あの時もそう。今回もあなたは。

 助けにきたの? ……私を?

 何のために?

 あなたは私を知らない。私もあなたを知らない。

 いや……違う。

(名乗った……)

 あの時……最後に会ったあの場所で。

 この人に名前を与えた。

(なぜ)

 〝絶対の翼〟。世間でそう言われている事は知っている。【空(ku_u)】、そう呼ばれているのも知っている。

 一級の価値だとか、墜とせば歴史に残るだとか。

 そんなのは苦笑してしまう。正直、興味はない。

 だけど、謎の飛空艇乗りとして。

 その顔も正体も、さらす気はなかった。

 誰の心にも記憶にも、本当は、残りたくなかった。

「……あなたは……」

 なぜ私は。

 なぜこの人は。

 ――私は1人。

 いや、恵がいる、そして。

(おじさんが……)

 それだけで充分なのに。充分なはずなのに。





 名乗った私。

 もらった名前を忘れなかった私。

 あの目が焼きついている私。

 なぜか空で、1人で飛んでいるという事に。

 涙が出た、私。





「う……」

 目を覚ます。

 ああ、もう立ち去らなければ。

 もう会わない方がいい。

 あの時あの場所に残ったのは間違いだった。

 姿を見られた、見せた。この人だけじゃなく他の隊員にも。

 しかも、名前まで。

(いけない)

 この身をさらしてはいけないんだ。

 私は影。この存在は闇。

 あるようで、ないもの。

 立ち上がれ――でも足が動かない。

 ――目が開いていく。

 去らなきゃ行けない。なのに。

 もう一度、あの目が見たくて。




 まっすぐ貫く、まるでそれは光。

 今は見えぬ、太陽の。

 この空を照らす、光。




「……」

「……」

 目が合った。

 まだ意識は混濁している。

 その間だけ。彼女は留まった。

 しかし数秒後、彼の意識がはっきりした時。彼女は我に返ったように立ち上がった。

 そして去ろうとするその背中に。

「待て」

 彼は叫んだ。


  ◇


 まだ意識は朦朧としている、はっきりしない。

 夢なのか現実なのか。頭の中はグチャグチャになっている。

 ――それでも。

 今目の前に誰がいるのか。誰と目が合ったのか。

 それはわかった。

 何とか半身を起こし、立ち止まったその背中を見つめる。

 薄いトキ色の飛行服。

 幻ならば、消えて行くだろう。

 だがその背中は。

 徐々に視界が整っていく中、消える事なく、そこにあり続けた。

 彼女だった。

 ――【空(ku_u)】。

 この空に、並ぶ者なき絶対の翼を持つ、1人の少女。

 その彼女が今、目の前に立っている。

「……」

 心臓が、打った。ドクンと。

 立ち止まっていた彼女が1歩、歩いた。それに慌てて瑛己は言葉を搾り出す。

「待って、くれ……」

「……」

「あ……」

「……」

「…、…あの……」

「……」

「また、助け、られ……?」

 また俺は助けられたのか?

 【白虎】150機にたった1人で立ち向かっていると聞いて、慌てて飛び出した。

 いつ砕けてもおかしくないような機体で。

 実際、瞬く間に墜とされた。

 機体を飛び出した所までは覚えているが。その後どうなったのか。よく覚えていない。

 でも、機体は入り乱れていた。群がる【虎】の数は尋常ではなく。

 いくらなんでも無傷で、パラシュートで着陸できたなんて。

 その間に狙われなかったはずがない。

「……悪い」

 結果として導き出される答えは。

 彼女に助けられた。

 守られたんだろう。【虎】の群れから。

「また……」

 半年の間、いくらかの空戦を重ねた。

 何かしら、自分は大きくなったような気がしてた。潜り抜けた危険の数から、少しは強くなれたのかと。

 無意識に思っていたのかもしれない……でも。

(俺は変わらない)

 弱いまま。

 また、彼女に助けられた。

 初めて出会ったあの日から。何も変わらない。

 ――脳裏に山岡の言葉が過ぎる。

 変わらなきゃいけない。大事な物があるならば、それを守りたいと願うのならば。

(でも俺は)

 変われないまま、また、彼女に。

「……」

 瑛己は目を伏せた。

 ――会いたいと、思っていた。

 この数ヶ月、ずっと。

 その彼女が今目の前にいる。

 手を伸ばせば届きそうなのに。

 でもその距離は無限に思える。

 たった1、2mなのに。

「俺は、君に、助けられてばかりだ」

 遠い。

「……」

「……、あ……【虎】は、どうした?」

 聞きたい事は、山のようにある。

 なぜ一人で【白虎】を倒そうとしたのか。

 なぜ【ム・ル】を壊滅させたのか。

 ……いや、それよりももっと。重要なのは。

「空」

 その名を呼ぶ。と、彼女の背中がビクンと震えた。

「あ、」瑛己は少し照れ臭くなり、視線を外した。「名前しか、知らないから……呼び捨てて、悪い」

「……いえ」

 小さな声だったが、初めて、彼女が言葉を口にした。

 瑛己の中に、さっきまで感じていた自分への嫌悪のような感情とは別の感情が浮かび上がる。

 喉が渇く。その感情が、胸を締め付けるようで。

 圧迫を受けたように、心臓が、苦しそうに鼓動を強くそして早める。

「構わない、です」

「……ん」

「……」

「……」

 何となく落ちた沈黙に、瑛己は鼻の頭を掻いた。こういう瞬間、自分の口下手さを呪う。

「何で」

「?」

 沈黙を破ったのは、彼女の方だった。

「あなたは、くる、の?」

「……え?」

「何で、また」

「……」

 瑛己は瞬きをした。「さぁ」

「俺もわからない」

「……」

「ただ……放ってはおけないと」

「……」

「無謀はわかってたんだ。でも」

「……」

「君に、」

 会いたかったんだ。

 瑛己の脳裏に浮かんだ言葉。

 その言葉が口から出る寸前まで行って。

 だが瑛己は飲み込んだ。……飲み込んでしまった。

 気恥ずかしさが勝り。

「……」

「……」

 瑛己はもう一度、鼻の頭を掻いた。

「……怪我」

「え」

「顔」

「……ああ、これか。これはここにくる前の空戦で」

「……」

「【白虎】は『ア・ジャスティ』空軍基地に向かっていたんだ……と思う。ここにくる前、空賊組織が徒党を組んで空軍を襲ってきた。それに関与して……『ア・ジャスティ』を襲おうとしたんだ。今あそこは空賊討伐のために手薄だから。攻め込まれたらひとたまりもなかった。戦闘とは関係ない人まで……被害に遭う所だった」

 ポツポツと、瑛己は語る。

 口下手な彼は、彼なりに一生懸命、語らぬ少女の背中に向けて言葉をつなぐ。「だから」

「ありがとう」

「……」

「君が、止めてくれて」

 【白虎】の群れを。

「……」

「皆の代わりに言う。ありがとう」

 瑛己はじっと、その背を見た。

 彼女が『ア・ジャスティ』を救うためにやってきたのではない事はわかってる。他に何か目的があったのだろう。

 でも。

 結果として、彼女のお陰で助かった命がある。場所がある。

 その想いを。

 瑛己は口にする。「ありがとう」と。

「……そんなの、」

「君は……空みたいだな」

 瑛己は思う。「名前の通り……やっぱり、空だ」自分は何を言ってるんだろうかと。

「天深くから、皆を守る」

 広く、果てしなく。

 大きな腕と懐で。

 守り、導く。

 それが空。

 ――仏教の思想でくうとは、何もない事を意味する。実態のないもの、つかめない事柄を指す。

 だが人は同時にその字を、そらとも読む。

 天に青く広がりし物。無限の大地。

 それは光の屈折。青く見えているのは光によるもので、本当はそこには何の色もないのだけれども。

 青く澄んだその世界。その姿虚空とわかりながら。

 人は愛する。広きものとして、深きものとして。

 神の済む土地として。

 迷った時に見上げれば、そこには必ずそれは広がり。

 大地に根を生やす人たちを見守る。

 空。

「私はッ」瑛己はその声にハッとする。

「そんなんじゃ、ない」

「空」

「私は壊すだけ」

「……」

「私は空じゃない」

「……」

 背中が震えてた。

 手を伸ばしたその瞬間、ポツリと頬に冷たい物が落ちた。

 雨だ。

 彼女が歩き出した。瑛己は慌てて立ち上がろうとした。

 だが、着地の時に少しひねったのか、足にうまく力が入らなかった。

「待て」

 彼女はもう、答えない。

 行ってしまう。

 その背中に向かって。

 瑛己は最後の問いを、口にする。

「誰から命令されてる?」

「――」

 一瞬彼女は足を止めた。

 だがその足はすぐにまた前へ、進み始める。

 瑛己は叫んだ。

「橋爪 誠か?」

「  」

 一瞬彼女が振り返った。

「  、――」

 それもあっという間。

 歩き出した彼女はすぐにまた、白い翼で空へ飛び立って行く。




 一人残された瑛己は。

「……そうか……」

 振り返った彼女のあの顔。

 あの驚愕の表情が、すべてを物語っていた。

「そうなのか……」

 額を押さえた。そしてすぐ、天を仰いだ。

 それからはドカリ、大の字に寝転がる。

 雨が雪に変わっていく。

「泣いてる」

 空が。

 彼女も今頃、泣いてる。

 瑛己は目を閉じた。

 泣かせたくなかった。

 自分の心も泣くから。

 でも、やはり。

「……空だ」

 あの子は。

 少なくとも自分にとっては。

 いつも守ってくれ、導いてくれる、そして。

(守りたいと思う、)

 空だ。




 青空が見たい。

 でも飛空艇は大破した。

 ああ、また隊長に怒られるな。これで何機目だ!? と。

 仕方がないから目を閉じる。見えないならば、脳裏に浮かべるしかない。

 だが、心に浮かんだのは青い青い空ではなく。

 彼女の背中と。

 じっと自分を見つめてた、あの、少し寂しげな目だった。





 ――程なくして。

 駆けつけた磐木と他数名に、寝転がっている所を発見されるが。

 もちろん瑛己を見つけた磐木が最初にした行動は、彼をぶっ飛ばす事だった。

 北の大地にその怒号、鳴り響き。

 雲がそれに答えるように深く重い轟音を立てた。





 雪は降り積もる。

 降り積もれば大地は白くなる。

 だが。

 そこに宿った想いまでは。

 誰も、染める事はできない。



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