『絶対の翼(zettaino_tubasa)』-2-
遥かなる時、遥かなる場所。
人は貪欲に求め続ける。
願い、希望、安らぎ、力、欲望、権利、自己。
平穏、変化、安寧、激動、不動、そして進化。
それは超越。
今を越える力。変化を望む心。
そしてそれは波紋を呼び起こす。
最後はうまく溶け合うか?
それとも。
歪むか、不自然な。
この世界にはあってはならない形として。
残りあと少し。
行程は順調。
直に平原の向こうにその建物が見えてくるだろう。
『ア・ジャスティ』空軍基地。
今頃あそこの空軍は〝ルーの湖〟。多少の居残りはいるだろうが、現状この大群をもってすれば容易に墜とせるはず。
総勢150機。
『ア・ジャスティ』を皮切りに、東へ。
そのまま国盗りと洒落込みたい所だが。さすがにそこまでは考えていない。
――まだ、現段階では。
そこに至るには、経なければならない段階がある。
【白虎】副長・ハヤセは双眸を細め空を見つめる。
(まずは前哨戦)
ここで戦力を縮めては意味がない。必要なのは、増兵。
それゆえに今成さねばならないのは、空軍を蹴散らす事よりももっと、世界を煽り立てなければならない。
眠っている空賊連中を叩き起こし、自分に従わせなければならない。
そのための根回しはしてきた。
(これまでは我らをよそ者として敵視してきた者達も)
事が至れば、動かないわけにはいくまい。
『ア・ジャスティ』を皮切りに、国内を混乱させる。そうなれば空軍連中は血眼になって空賊つぶしに走るだろう。
(もう、道は残されてないんだ)
空軍によって滅びるか、我らの傘下に下るか。
どう否定しようとも、現状この国内にある空賊組織で一番の勢力を持っているのは【白虎】。
かつては世界に【天賦】、【憂イ候】と並び数えられた3強の1つ。
(国を追われたわけではない)
ハヤセは自分に言い聞かす。
それでも、脳裏に浮かぶあの巨大な男。
――【天賦】総統・無凱。
(あれから、【白虎】の勢力は戻りつつある)
胸にあるのは屈辱。
(いつか殺す)
【天賦】もろとも。だがそのためには。
『黒』という力が要る。どうしても。
――風が出てきた。
間もなく領空入ります、無線から届く声。
(利用してやる)
復讐と、再起を胸にこの地にやってきて5年。
だからこそ、突然の『黒』からの申し出は天恵としか思えなかった。
【白虎】含め、『ビスタチオ』全部の空賊を『黒』へ。亡命への誘い。
(何の腹があるのか知らんが)
亡命後の身分も保証されている。誰にもまだ明かしていないが、一個騎士団の隊長だ。
その後は【白虎】含めすべての空賊の指揮を任すと言われた。
(態のいい奴隷頭ではあるが)
それでも。
(『黒』へ行けば)
あの国へ行けば必ず何かが変わる。
そう、それは願っていた展開。
この国で〝成しえる事ができなかった事〟。
そして、
(テギを救ったあの技法)
それこそが、この地へ逃れた最大の理由。
《前方、飛行物体あり》
――第一声。
150の機体に響いた声は、まだこの時、平然としたものだった。
目にした者は最初、特に何も思わなかった。
たった1機の飛空艇である。
対し、こちらは150。
レーダーに映っていない、それすらも、憂慮する者はいなかった。
誰一人として。
たった一人でも気がつけば、事態は変わったか?
否、おそらくそれは――ない。
《『ア・ジャス』残党か?》
《機体、艇映、白》
その名を知る者はいても。
最初は誰も気づかない。
〝彼〟が主に飛んでいると言われているのは『蒼』の空。
そこからは遠い異国の、しかもこんな内陸部に。
いるとは、思わない。
思えない。
そんな神経が働く者がいたならば。
こんな作戦に、加担はしない。
《民間機か?》
撃破か、無視か。やや小さな迷いが生じる。
しかし前方のその白い機体もおかしい。〝彼〟が見ているのは150の機体。映像とするならば、黒く固まりとなった渦である。
そしてあちらにも見えているはずなのである。群集の機体に描かれた、白の胴体に入った黒のしま模様を。
それだけ見ても、この群れが何の群れかは、空に関わっているならば誰でも必ずわかるはず。
すなわち、普通ならば翼を返して明後日へと逃げて当然。
だが白い機体の舵は一貫してぶれない。
まっすぐ。
鳥の姿をした――虎の群れの中心に向かって。
《居眠り運転でもしてるのか?》
誰かが嘲るように笑った。
だが、本来、嘲笑われるのは。言った主。
――目視で確認されてから30秒。
確実に縮まった距離の中で。
まだ、白い鳥に対して誰の号令も出ない中で。
すべては、始まった。
瞬間、空が豹変する。
スピードが伸びたというよりは、転移という言葉の方が近いかもしれない。
それくらいの速度だった。
【白虎】部隊最前列にいた者たちは、最初、何が起こったかわからなかった。
そのままに、乱撃を受ける。
急旋回からの連射。横薙ぎのそれは斜めに【白虎】の一番前に降り注いだ。
あ、と思う間もなく、前列7機がそれで爆破した。
白い機体はそこからさらにスピードを上げ、まずは【白虎】の頭上を滑りぬける。
だがその影を追う暇は誰にもない。
鎌首をもたげるかのごとくスピードで下へ斜めと切り込む。
ドドドドド
そんな銃撃音よりも、爆音の方が早い。
【白虎】中央部分の機体が炎を上げる。
「――ッ」
ここに至り、ようやく事態の緊急性に気づいた【白虎】の一部が《敵襲――ッ!!》の声を上げた。
だがこの時〝彼〟はギアを切り替えている。
――いや、〝彼女〟は。
スピードがさらに乗る。反撃に羽根を翻した者もいるが、その羽根では及ばない。
ゴーグル真っ向見据え、彼女は射撃ボタンを押し込む。
ドドドド
浅めに単発。結果は見ないまま右へ急旋回。
そこに混乱して一塊になった【白虎】の一団がある。彼女は目は前を見据えたまま、左手で足元のレバーを触った。そして触った刹那、さらにスピードを上げた。
最大まで上がる直前に、弾を解き放つ。
そのスピードは自分で解き放った弾よりも早い。
ドドドドド
さらに通常連射を加え、下へひねる。
そこから今度は後ろへひねりこむ。この頃に、さっきの弾が着弾して轟音を立てた。
だがさらに彼女の腕は休まない。
上から錐揉み気味に下降、そこからヒョイと上昇する。
それだけの間に、真横を抜けた3機は炎を上げる。
その煙が鼻腔に届く事はない。そんなスピードで飛んではいない。
ドド
射撃ボタンに指を入れた時間、わずか0,4秒。
彼女の目の前に飛んでいた飛空艇は、ただ風が通り抜けただけとしか思えない。
だが左のエルロンに風穴ができた。
さらに言うならば本当に彼女が狙ったのは、その風穴の向こうにいた機体。
胴体に描かれた虎の、右目の真ん中にその弾は着弾。
そこはそのまま、その機体の心臓部。
爆音を上げるそれを見とれる暇など誰にもない。風穴だけで済んだ機体は3秒後に、何が何だかわからないままに爆破の中にいる事となり、その周りの機体もすぐに白い閃光を吹き上げた。
シュッと虚空をすくうように、彼女は上昇した。
そして一つ、息を吐いた。
――空戦開始より、わずか2分。
撃破された【白虎】の数、37機。
《前方!! 敵襲!! 敵襲!!!》
「『ア・ジャス』か!?」
《白い機体、前方部隊全滅!!》
《右斜め、ツバクラ小隊交戦――ぅ、ァアアァァァァ!!!》
《隊列乱すな――ッ!!!》
何だこれは? ハヤセは顔を上げた。
彼がいるのは後方の陣。前列がはっきり見えるわけではない。
だが。
「空が、猛っている」
この【白虎】相手に? 150の部隊相手に? たった一人で切り込んできた飛空艇?
ただ1つの情報は、〝白き翼〟。
「【空(ku_u)】か」
知らぬはずがない。
空に身を置き、この世界にて、その名を知らぬ者などいない。
並び立つものなき、凄腕の飛空艇乗り。
この世にはびこるすべての事象を差し置いて。唯一。〝絶対〟の称号を抱くただ1人のパイロット。
正体は知れず。
撃墜した者は、空の歴史に名が残るとまで揶揄される。
そんな飛空艇乗りが。
《前列後部部隊壊滅!!!》
「なぜここにいる――ッッ!!」
ハヤセはその顔を歪め、あらん限りに歯噛みした。
――見えるのは、風のみ。
あとは烏合の衆。
ドドドドドド
側部のレバーを押し込む。そこから、上へと操縦桿を切りなおす。その最中にも斜め奥にたむろする艇への乱撃は忘れない。
ドド
淡く押しやってから、今度は右の足元にあるレバーを引き起こす。
その最中にも今度は左手で操縦しながら、器用に虎の間を滑り抜ける。
さっきの連射、狙ったうちの2機は逃げたか。
目視するほどではない。それはただの感覚。直感。
奇襲に虚をつかれた虎の群れが、ようやく目を覚まし始める。
だがそこに至るまでに撃墜された数は48機。
ダダダダダダダダ
白い鳥の背後を偶然捉えた者が、あらん限りに弾を撃ち込む。
だがその最初の音が鳴るよりもっと早く、彼女はふわりと上へ舞い上がっている。
当然、放たれた弾は別の獲物を狙い。
仲間討ち。
素早くギアを切り替えて、速度落とす。
早い対応を読んでいた別の機体が空打ったその刹那。
白い機体にスピードが戻る。
それはもはや、一瞬の事。
目一杯まで倒された操縦桿により、360度の旋回。
ドドドドドドド
乱射とは、こうするもの。
そう言わんがばかりに放たれた弾丸により、彼女の周りを円を描くごとく炎が吹き上げる。
それが墜落する前にその下を潜り抜け、さらに下から連射。
辛うじてエルロンを砕くにとどめた一機は、だが体勢を失い、仲間の機体に激突した。
上へと疾走する白の機体を追いかけようと、何機かのパイロットが操縦桿を引き戻すが。
その時にはもう、彼女は下降している。そしてその真正面に来ている。
腕はまだ、操縦桿を引き起こす事に力を込めている。避けるための司令が脳からまだ腕にまで伝わらない。
彼女の方が早い。
白い機体が横をすり抜ける。腕に司令がようやく至る。だがその時はもう爆破している。
《固まるなッ!! 散れッ!!》
――見えた。
ゴーグルの向こうに風の道を捉える。そこに機体を乗せれば、もうその白い機体の速度は。
操縦桿を引き起こす。軽い。彼女はチラとだけバックミラーを確認しながら、だが前方の一団目掛けて弾を撃ち込む。
「……」
その口元から、音がこぼれた。
歌だ。
――猛烈なスピードで迫る白い機体から逃れるために、左へ切り返した虎の機体、慌てたのか胴体がガラ空きだ。
その代わり、そこに描かれた虎の双眸が彼女を鋭く睨んだ。
だが彼女は表情一つ変えず。
たった一発。
それで斜めから、エルロン、虎、操縦席、前プロペラ中央の4点を射抜く。
そのプロペラが外れて舞い踊る。
その影から【空(ku_u)】目掛けて撃ちこんで来た者がいた。
破片が飛び散る。タイミングはドンピシャ。
ただし、相手が普通の飛空艇乗りであったならば。
「……」
行方を探って首を振り回すその機体の真後ろから。
彼女は歌を口ずさみながら、撃ちかけた。
爆炎舞う。
初めて瞬間、煙のにおいが鼻腔に入った。
彼女は空を見上げた。
雪のにおいがする。
今夜も降るのだろうか?
――6方向から同時に、【空(ku_u)】目掛けて乱射がなされた。
だがそれを彼女は、腕と足だけで避けた。
視線はまだ空に向けたまま。
ドドドド
ダダダダ
それでも放たれる銃撃、さらに2機が加わり、一時8機同時に銃口を向けられたが。
連打しても連打しても、1発も白い機体には入らない。
そしてそれは必然、向かっていく。
仲間の機体へと。
「……」
歌いながら、彼女はポツリと思った。
雪は好きだと。
この国にきてよかった事は、雪がたくさん見えた事。
世界を真っ白に染める雪。
空から見た時、白に染まった世界を見て、彼女は何て凄いのかと思った。
大地の草も、山も、建物も、すべてすべて真っ白に染め上げてしまう雪。
これが浄化された世界なんだろうか?
これが清浄の。
――連射が降る。狙いは【空(ku_u)】の操縦席。
だが弾が遅い。その場所にたどり着いた時、もう彼女はもっともっと高くに飛んでいる。
旋回する姿を、誰の目にも止まらせないほどのスピードで。
ドドドドド
(私もこの〝白〟の中へと溶けてしまいたい)
雪が降ればいいのに。彼女は思った。
今すぐに。
雪と共に大地に白く、この身を沈め。
そしていつか。
音もなく消えて行けたならば。
すっと、溶けて。
誰にも知られぬまま。何もなかったように消えていけたならば。
ふっと彼女は微笑んだ。
その横でまた、爆音が起こった。
熱風すら白い機体を、そしてパイロットを捉える事はできない。
純白の機体はよどみなく。
パイロットの願い映すかのように。白いまま。
だが太陽は雲に隠れている。
光は一陣も、差し込まない。
雪になりたい。
白くなりたい。
そして消えてしまいたい。
ああ、と彼女は思った。
私の願いはそれだ。
きっと今なら夜空で星が流れても、すぐに言える。
そう思ったら。
少し、ホッとした。
◇
「戦況はッ!? 報告せよ! 現状どうなってる!!?」
ハヤセの叫びに即座にまともに答える者はいなかった。
苛立ちに、舌を打った。出立前に殺した男の事が脳裏に浮かぶ。彼はハヤセの側近の一人だった。生かしておけば必ず、今即座答えてくれたのは彼だっただろう。殺したのは軽率だったか。
しかし嘆いた所で命は戻らない。1度死んだ人間は生き返る事はないのだ。
ハヤセがいる後列からも、空に立ち上る煙が見える。
どれほどの機体を失ったのか?
(いや)
しかし数は圧倒している。それで取り囲めば。
(いかに、【空(ku_u)】といえど)
こちらは【白虎】。世に名の知れた空賊組織だ。
(だが)
一抹、思う事があるならば。
――先代が育てた精鋭部隊は。
あの折……【天賦】によって多く失った。
銀の獅子によって。
(食いつぶされた)
あれから数年。
ハヤセの手により数だけなら全盛期に迫る事ができた。だが。
「……」
遠い空を見る。爆音が聞こえる。
――果たして今、この虎の群れの中にいるのだろうか?
〝絶対〟を前にしても揺らぐ事なくそれに向かって銃を、翼を、撃ちこむ事ができる者が。
〝絶対〟の――〝死〟を前にしても。
恐れる事なく、牙を光らせ。
飛び掛る事ができる虎が。
神獣の1つ、【白虎】。
その名にふさわしいほどの、乗り手がここに。
「戯言」
思考を打ち切り、ハヤセは空を睨んだ。そして無線に向かって怒鳴った。
「前開けろ!! 俺が行く!!」
そしてアクセルを踏み込もうとしたその刹那。
見据えていた空の彼方が、キラリと光った。
太陽は出ていない。しかし光を放ったそれは。
遠目にもはっきりと彼の目に映った白い翼。
天高く舞い上がるその動きはまるで、鳥。
だが違う、それは人の手によって生み出された、機械仕掛けの翼。自分が今乗っているこれと、形は違えど、大差はないはず。
そしてそれを動かしているのは自分と同じ人間。神ではない。
――なのに。
ハヤセはその瞬間固まった。
天高く上っていくその白い翼を見て、彼は言葉を失った。
魅入られたかのように。
あまりにもすべらかに、そしてあまりにもその姿は。まるで。
「神が、」
――この世に、
存在は、
しない。
――しないのだ。
「全機、一気に畳み掛けろ!! 何としてでもその機体」
潰せ。
さもなくば。
明日はない。
生かして帰せばいつか必ず、障壁となる。
(イヤ、)
待てよ、まさか――そう思い、ハヤセは虚空を睨んだ。
「潰す気か?」
今ここで、この【白虎】を。
150機、全軍総出の今この時この場所で。
まさか、たった1人で。
【白虎】を滅ぼすために?
「……面白い」
ハヤセはクッと笑った。
やれるもんならやってみろ。
「俺は、〝絶対〟なぞに惑わんぞ」
ギア切り返る。エンジンを吹かす。
周りの制止を他所に。
ハヤセは上空へと飛び出す。
その姿、獲物に飛び掛る、本物の虎のごとく。