『北天乱舞(Confused fight)』-6-
「小暮――ッ!!!!」
小暮はその砲弾を、目に、捉えられなかった。
磐木の機体に隠れて、撃った主すら最初、わからなかった。
避けられたという物じゃない。ただ、致命傷にならずに済んだ理由があるとすれば。
風が、彼を守った。軌道がそれた。
直撃すれば即爆破した。
だがそれは、尾翼を貫くだけで済んだ。
「――ッッ!!!」
だが刹那、安定は失われる。
「……クショッ!」
歯噛みし、操縦桿を立て起こす。
右に流れる。懸命にそれを引っ張り起こす。
その刹那、バックミラーに艇映が見えた。鮮やかな緑の空賊。
眼鏡のないその瞳はそれを映し、ほのかに笑おうとした。だが口は動いてくれなかった。
終わりか。今撃たれたらとても現状、避ける事は不可能。
最後の瞬間は、笑っていたいのに。
体は正直に反応する。とても笑顔なんざ、浮かべられない。
でもせめて目は、真っ向を見据えていたい。
閉じる事なく。
この目が見える限り、見える物すべてを見つめていたい。
死ぬその瞬間まで。
バックミラーに映る緑の機体の照準がピタリと合う。
――ほら撃てよ。いいタイミングだぞ。
今ならど真ん中入る。派手な花火が拝めるぞ。
そう思った瞬間やっと、小暮の口元に感覚が戻った。薄く口の端を歪める事ができた。
だがその刹那。
ドドドドド
鳴り響いた音は空から。
上からの乱射に、背後の機体が体勢を崩す。小暮は振り返った。
それを撃ったのは、青い機体。
「――新」
新の機体は一度下でひねると、もう一度引き返してきてその機体にとどめを差した。
《小暮! 無事か!?》
無線から聞こえたその声に、小暮は小さく舌を打った。
無事なもんか、舵がうまく利かねーよ。
そうこうしているうちに、今度は斜め右から空賊が走ってくる。狙いはこの機体。
小暮はじっとその機体を見つめる。派手な色だ。
だがその空賊から弾が放たれるより早く、その機体は胴体よりも派手な光を上げて吹き飛んだ。
撃ったのは。
「相楽」
気がつけば、2つの機体がグルグルと、小暮の機体を守るように旋回をしている。
《小暮ッ!! 聞こえるか!?》
「聞こえてるよ。怒鳴るな」
言ったが向こうには届いていないようで。新は小暮を呼び続けた。
――覚悟を決めて。
一瞬、死を受け入れようとしたけれど。
大きくため息を吐く。
そしてやれやれと呟いてから、小暮は操縦席の下に潜り込んだ。
「……機関銃一丁外す。時間くれよ」
ドドドドド
足だけで操縦し、その間にも空には砲火の花が幾重にも幾重にも咲き乱れた。
「……畜生」
――死を笑え。
誰の言葉だったか。ドライバーで側面の金具を手早く外しながら、小暮は思った。
――最期の瞬間まで目を閉じるな。易々とその腕に捕まるな。
どれほどの甘く芳しい、甘美な悦びを感じようとも。
死に挑め。
そして迫り来るそれを。
笑い飛ばせ。
挑め。
――もがけ。
「……一人しかいないか」
そんな事を俺に言う人間は。
小暮は苦笑した。
そして眉に力を込めた。
「わかってるさ」
まだ死ぬわけにはいかない事など。充分に。
眼下、小暮の機体が落ちて行く。
だがそこに新が現れた。秀一もいる。
安定は失っている。だが間もなく、右の機関銃が機体から離れた。
それにより、機体は何とか水平を保ち。最終的に湖に不時着する。
――磐木がそこまで見届けられたわけではない。
ただ、小暮を守るように現れた2つの青い機体を見、即座に頭を切り替えた。
小暮は大丈夫だと。心配いらないのだと。
それよりも問題は。見据えるべき本当の相手は。
彼の周囲を飛ぶ、1機の、黒い機体。
さっき耳を貫いた笑い声は気のせいだったのだろうか?
磐木は神妙にその黒い機体を見つめる。磐木の青とその黒、2機は互いを牽制するように旋回を続ける。
操縦席は見えない。
「……」
――上島 昌平が生きている。
磐木たちはその情報を元にここまでやってきた。
【白虎】の幹部と一緒に映った、1枚の写真。
誰が何のために『蒼』にもたらした物かは知れない。
だがその小さな投石は『蒼』を動かし。
磐木たちはここにきた。
(上島さんが、生きている)
翼を斜めに傾けて飛ぶ、飛空艇。
そのどこにも、漆黒以外の情報は描かれていない。
分厚い雲の切れ間から一瞬差した光に、その機体は眩く光った。
だがそれはまるで光ったというより跳ね返した印象。
――光すら寄せ付けぬ闇。
黄泉路に光は不必要とでも言うかのように。
(上島さんとの出会いは)
14年前。
初めて赴任した『湊』空軍基地で。
彼が所属した301飛空隊と共に、当時基地に並び立っていたもう1つの飛空隊、304。
その副隊長をしていたのが、上島 昌平という男だった。
当時から磐木は、上島にいい感情を抱いてはいなかった。
いや、今よりもっと。
磐木は上島を、憎んでもいた。
いつも、何かと自分たちに絡んでくる男。
任務内容、撃墜記録、隊員の技量如何。
事ある事に晴高に難癖をつけ、挑みかかってくる。
晴高も兵庫も、笑って受け流していたけれども。歯牙にもかけていないという様子であったけれども。
磐木は上島の嫌味な笑いを見るたびに、いい気分をしていなかった。
『隊長は、あの人の事を何とも思ってないんですか?』
意を決し、晴高に聞いた事がある。
彼が何と答えたのかは覚えてないけれども。
記憶にある晴高は、笑っていた。
上島のあの、小馬鹿にしたような目、そして皮肉な口調。
でも晴高は最後まで。
磐木の記憶の中で、上島を悪く言った事はなかった。
「……」
晴高が気にしないのなら、自分が気にする事ではない。
磐木にとって晴高は絶対的存在。
そんな彼が相手にしないのならば、自分も相手にするべきではない。
そう思ってきたけれども。
――黒の機体の側面と磐木のそれが平行になる。
磐木はその操縦席を見た。
その乗り手も、こちらを見ていた。
――初めて、操縦席がまともに見える。
それは一瞬。
ゴーグルに隠れて目元は見えず。
だが唯一見えた口元は。
――12年前。あの日。
『すまん。すぐに行く』
『心配するな』
こちらを見つめる白河に手を振り、磐木たちは滑走路を、自分たちの飛空艇へと向かって歩いた。
磐木はふと何気なくもう一度、白河を振り返った。
まだ白河はこちらを心配そうに見ていた。その傍らで、上島は笑っていた。
勝ち誇ったように。満面の笑みを浮かべ。
――今まさに、交差した飛空艇の乗り手は。
あの日の上島と同じように。
同じ笑顔を。
――黒の飛空艇の速度が上がる。翼が縦に、急旋回が始まる。
浮かべていた。
ズザザザザ―――ッ
磐木はギアを切り替える。その間に、銃撃は始まった。咄嗟右手は操縦桿を押し倒し、斜め後ろを振り返る。
視界から黒の機体が消える。右へと慌てて切り返す。
否、左。
瞬間の直感。それがなかったら、機体は蜂の巣にされていた。
右のエルロンを転がし、その弧を描いた部分に放射の光が突っ走る。
ギアを切り替える。歯を食いしばる。眉間にしわが寄る。
ドドド――という地響きが耳に木霊する。これは何の音だ?
サイドのミラーに黒の影が、一瞬だけでまた消える。操縦桿を引き戻す。
「ッ」
上空から直下、斜めに空を滑り逃げる。
(完全に)
後ろを取られている。
どころか、死角に死角に滑り込むこの腕前。
確かにあの人は、かつてこういう運転をした。
――上島 昌平は。
磐木は真一文字に口を結んだ。
耳鳴りがする。
耳たぶを掠めた聞きなれない音に、磐木は斜めに翼を切った。
案の定、斜め下からの連続射撃。
「――ッ!!」
下へともぐって逃げる、逃げる。
『園原』、そして今回の『ビスタチオ』と、磐木はこの2人乗りの『葛雲』での操縦が続いているが。
(遅い)
初めて磐木はもどかしさを感じた。
でもそれは機体の問題ではない。多分これは。
(俺の焦り)
右はあいてるか? 一瞬で確認する。
ドドドドド
即座叩き込まれるそれを何とかギリギリでかわす。
流れ弾が彼方の空で別の飛空艇を捕まえ爆発を起こすが、今は構っていられない。
(上島は)
これほどまでの腕だったか? そんな疑念が脳裏に過ぎる。
まして彼は、一時は生死の境を……もう二度と飛空艇に乗れない体になったはずだった。
そんな彼がこうして空に上がっている事もそうだが、こんな操縦を。
(これは、)
磐木は歯を食いしばる。
『葛雲』で出る限界のスピード。加えてそれに風を乗せる。リミットは極限だ。
そこからの巻き返し、下から斜めにひねりを入れる。きりもみ気味に突き上げるように空を翔る。
だがそれでも。寸前で黒の機体は逃げる。磐木に後ろを取らせない。
どころか側面から翼を斜めにして撃ち掛けてくる。
磐木がそれをかわしても、今度は上からの連射が待っている。
さすがの磐木も、反応が追いつかない。
「――――ッッ!!」
ドカドカドカと、後部座席に杭のように打ち込まれる。
それが決定打になる直前でどうにか逃げるが。
(これは)
まずい。磐木は思った。
本当にこれは上島なのか? もしそうだとしたら、この反応はあの時――あの『湊』襲撃の折よりも。
(また、一段も二段も)
上げてきている。
この短期間に? こんな事が?
――お前は逃げたんだ。
不意に声が蘇る。
――お前は聖たちを捨てて逃げたんだ。
違う。
聖隊長は俺を生かすために撃った。
逃げたわけじゃない。逃げたわけじゃないんだ。
でも。
磐木の額に汗が浮かぶ。
もう一度エンジンを踏み込む。床を突き抜けるほどの力を込めて。
(風に乗れ)
ズズズズザ――――ッ
黒い機体が放つのは、異様な弾。
(風が摩擦を受けている)
それは空の痛みなのか、磐木の頬を、ピリピリとした物が走った。
同時、操縦席の真上を銃弾は矢となり飛んできた。
よけるが右のミラーが弾け飛んだ。
斜めに下へ下へ。空賊も空軍も全部潜り抜け逃げる。
背後、ピタリと離れないその機体目掛け。
もう一度ひねり込みを仕掛ける。背後を狙う。
その瞬間、刹那的に、明後日から銃撃が降った。
どこの誰が撃ったとも知れぬ弾丸に、黒の機体はサッと方向を変えた。
それが好機。
ひねりこんだ磐木の照準と、機体の胴体ど真ん中が。
ドドドドド
重なる。撃つ。入る。
しかし。
(浅い)
2、3発は入った。だが逃げられた。
でもまだ追撃は可能。黒の機体の真後ろを取る。
黒は磐木から逃れるように懸命ともがく。右へ左へ、かなりの揺さぶりがかけられる。
だが磐木はそれを逃すまいと、懸命に追いかけた。
足元の3つ目の機関銃を撃つ。
それは易々と避けられるが、まだ後ろは磐木が取っている。
ドドドドド
連射の一端が、黒の翼を掠めた。
それに揺らいだ操縦、叩き込むなら今この瞬間。
磐木は射撃ボタンに指を掛ける。
――だが。
銃弾を射掛けながら、磐木は翼を横に逃げる事となった。
横からの砲撃に。
ハッとその方角を見やれば、そこには新たなる黒の飛空艇が。
「――ッ」
それはまるで彼を、上島と思われる黒から遠ざけるかのように、燃えるような連射を繰り返す。
スピードに加えて繰り出されるそれに、磐木もたまらず追い立てられるように空を横切る。
防戦一方のそんな中を、体勢を立て直した上島の機体が加わり。
2機同時攻撃。
繰り出される連射と、突き上げられるような追撃に。
磐木の眉間のしわは深く深く。顔は自然、苦渋に歪んでゆく。
無理だ。これはかわしきれない。
左右同時射撃を下へ逃げるも、今度は上から斜めから撃ちかけてくる。
それでなくても磐木の集中に、さすがに疲れが見え隠れしてきた。
北の空。その冷気を感じる暇もない。
空の様子など言うまでもなく。
上か下か、どちらが天でどちらが地なのか。追われるうちに、それすらわからなくなってくる。
遠のいていく、生の感覚。負けるわけにはいかないんだ。
意識を保ち、もう一度。生きるために戦わなければならない。
そして。
《戦いを終わらせる》
無線から。声がこぼれた。
《これ以上空を不穏に染める事は断じて許さん、のでしょ?》
それは深く低い声音。色で例えるなら黒。
磐木はこの声をよく知っている。
ドドドドド
声の主は滑るように磐木と黒の機体の間を、銃弾と共に滑り抜けた。
それに黒い機体が揺らぐ。それを見逃すジンではない。
そして現時点、この空を一番よく知っているのはこの男。
ジンはニヤリと笑いながら、翼を斜めに弾を放った。
それは音が響かないほどの少量、2、3発。
だが、彼にとってはそれで充分。
後から現れた黒い機体はたったそれだけで、エンジンから炎を吹いた。
「さすが」
磐木の口元に笑みが浮かぶ。
残るは1機。
「上島さん」
ジンが右へと一端引く。それを目の端だけで確認し、磐木は操縦桿を急旋回させた。
向かうは左。
黒い機体目掛けて。
ジンが右から撃ちかける。
黒の機体は上へと切る。だがそこに、磐木の左手からの連射が飛ぶ。
エルロンをくじいた。でもまだ飛ぶ。
それを見越してジンが、下から貫く。
(まだ動くというのなら)
8の字のターンから、磐木の走行。
砕け、その黒き翼。
ドドドドド
連撃が、どてっ腹へと入る。
プスリと、小さな爆破が起こった。
そしてその機体は斜めに、湖へと墜ちて行った。
パイロットは飛び出さない。だが。
(あれが上島さんなら)
磐木には、絶対的な確信がある。
あの人は、機体と心中するような玉ではない。
磐木は羽根をもたげた。墜落する黒い機体を追う旨を無線に向かって告げようとしたその刹那。
「――」
久しぶりに見た空。そして磐木よりも先に黒い機体を追いかけていったその艇を見て。
「……残りも沈める。行くぞ」
磐木は上島を追いかける事なく、戦場へと戻って行った。
そして。
「……」
煙臭い。
だが爆破するほどでもない。
だがもうこの機体はだめだ。
現状、『黒』で一番使えそうな機体を選んできたのだが。
「やはり駄目か」
速さは出たが、装甲が今一歩。
舌を打ちながら、操縦席から這い出す。
――湖の岸に何とかつける事ができた。
さて、どうするかなと思った刹那。
頭上、影が落ちる。
振り仰げばそこには、金色に染まる飛空艇が3機。
それはゆっくりと旋回し、最後、上島の横へと艇を下ろした。
上島はそれを表情一つ変えずじっと見ていた。
金の機体からパイロットが出る。その人物は上島の姿を認めると、腰から拳銃を取り出しピタリと銃口を向けた。
「元『蒼国』空軍所属、『日嵩』基地総監・上島 昌平殿とお見受けする」
女だ。その声に、上島はゴーグルを外しニッと笑った。「いかにも」
「ご同行いただきたい。貴方は『蒼国』より国際手配されている」
「……クク」
上島は笑い出したが、クラ・アガツ大尉は銃を揺るがさなかった。
「ならびに、【白虎】との関係、今回の一件についても詳しく伺いたい」
「クククク……キヒヒ、ヒヒャヒャ……」
笑いが止まらない。
アガツが部下に命じて彼の両肩を抑えても。
まだなお、上島は笑い続けた。
狂ったかのごとく。
――否。
狂った世界を、あざ笑うかのごとく。
その折であった。
北の空より、金の光がほとばしったのは。
それは大量の金色の翼。
他基地からの援軍部隊。
その姿を見た空賊たちはすぐさま逃げようと翼を翻したが。
それを易々と許してくれるほど、『湊』の鳥は優しくはなかった。
敵前逃亡は男の恥。そう告げるかのごとく、逃げる事叶わず、青い竜の餌食となった。
そして逃げずに果敢に戦おうとした者も。
金の大群に敵うはずもなく。
――ここに。
〝ルーの湖〟を取り巻く空戦は、幕を閉じる事となる。
雲間から太陽が覗く。
湖面がほころぶように光る。
風に立った小さな漣は。
岸に行く事なく消える。
どこかで鳥が鳴いた。
甲高いその音は遠く彼方まで。
何かを知らせるように。ずっと、この銃撃のなくなった空で声を響かせ続けていた。