『北天乱舞(Confused fight)』-1-
31
《――ひゃっほーい!!》
無線から飛び出した飛の叫びが操縦席にこだまする。
見上げれば飛の機体は一団を離れ、随分高くまで上っていた。
《いーっすねこの感じ! 背筋がピューンなるわ》
《ばっかヤロー、飛、一人で騒いでんじゃねーよ》
と新が飛のいる所まで上がっていく。無線越しにもその声が少し嬉しそうなのがわかった。
二羽の鳥が天高く舞う姿を、瑛己はため息を吐きながら一瞥し、次に前を飛ぶ飛空艇を見た。
彼の正面にいるのは、磐木が操る『葛雲』。当然の事ながら、そして予想通りそこには白河も乗っていた。
《上はめっぽう寒いです! 隊長!!》
新のはしゃぎ声に返事はない。理由は簡単だ。やはり昨日の酒が影響し、乗り込む前から磐木の顔色は明らかに悪かった。
《上は気流が違いますから。気をつけてください》
聞こえてきたのはその場にそぐわぬほど透き通った声。カイ・キシワギの側近、クラ・アガツの物だった。
《1枚壁がありますから。操縦桿に気をつけて。油断すると持っていかれます》
《りょーかーい》
言いながら自由勝手に飛ぶ、飛と新。
確信犯だなと瑛己は思った。そして彼らの思惑通り、まだ磐木は怒鳴らない。新は宙返りを始めた。
《ちゃんと着いてきて下さいね》
――ジンの単独飛行の翌日。
雲一つない晴天に、327飛空隊も周辺視察の名目で空へ上がる事にした。
その旨を改めキシワギに告げると、案内役としてアガツを彼らに同行させた。
異国の女性パイロットに、彼らは内心様々な色眼鏡や想いをめぐらしその飛行を見つめたが。
離陸の際のスムーズさや飛行の安定度は中々。瑛己から見てもその飛行は綺麗で洗練されたものに見えた。
むろん、空戦に関してはまだわからないが。
そう思っていると不意に、《ダダダダダ》という声が無線から鳴り響き、瑛己が見上げるとすぐ目の前に飛の機体が迫っていた。
驚く間もなくその機体は瑛己をあざ笑うようにその真上を通り抜け、また上空へと昇っていく。
《ハッハー、瑛己、びびったやろー? ヘッヘッヘ》
あの馬鹿……瑛己はたまらず、嫌そうな顔をした。
《いい加減にしなよ飛!!》
《だーっとけや秀ー》
《よっ、夫婦漫才っ》
《うっさいっすよ、新さん》
……無茶苦茶だな。瑛己はため息を吐き、上の2人を無視する事に決めた。
この場合、隊長である磐木が怒鳴らなければ、その役割を担う立場にあるのは1人である。
《お前ら》
ポツリと、声しか聞こえぬはずの無線から、不意に黒い何かが飛び出した。
《ここで塵になるか?》
《――》
《――》
副隊長・風迫 ジンの一言に。
それ以上誰も何も言わず。そそくさと飛と新が隊列に戻ってきた。
その様子を見ていたらしいアガツ女史が無線越しにも笑い声のこもった声で、
《仲がいいんですね》
……どうなんだろうかと、瑛己は口元を歪めた。
ただわかっている事は。これ以上飛と新が勝手をしたら、本気でジンは撃ち墜としにかかるだろう。
それがわかるからこそ、2人は戻り、磐木は安心して吐き気と1人戦っていられるのである。
《この辺りが西部の農業の中心部になります。主に小麦を扱っています。小麦は我が国では輸出量第一位の農業生産物で、これは世界でも3番目の量です》
眼下にはどこまでも広大な土地が広がっている。
《今は冬小麦の時期。秋に蒔いて冬の寒さを経験させ、初夏に収穫します。小麦にはもう1種類、春小麦と言うものもあり、こちらは春蒔きで秋の収穫です。寒さに対する耐性の違いからなります》
ひとしきり田園風景を見やってから、進路を北へ切り替える。
《この先には山間部がありますので、気温と風の変化に気をつけてください》
淡々と説明するその声を、瑛己はぼんやりと聞いていた。
だがその間にも飛は、《へぇー》とか《すんごい光景やなぁー、やっぱ『蒼』とは違うわー》などとしきりと相槌を入れていた。
基地を発って2時間ほど。何となくだが、北の空にも慣れてきた。
確かに寒い。下も寒いが上はもっと寒い。どれくらいの気温差があるのかはわからないが、瑛己も正直身に堪える。
アガツなどに勧められ装備を色々変えたが、やはり完全に防ぎきれるものではない。
ふっと息を吐けばそれは瞬く間に消えてしまう。だが鼻に引っかかる自分の息の温かさに、一瞬だけだが生きた心地がする。
《もうじき飛行場があります。そこで一度降りましょう》
しばらくすると山間の一瞬開けた場所に滑走路が見えた。
着陸する。妙に煙が立った。滑るほどではないが、錯覚か、少し速度の落ちが悪い気がして瑛己は降り立ってすぐにギアを覗き込んだ。
「何か気になりますか?」
するとすでに降りていたアガツが瑛己に駆け寄った。
「少し、ギアが」
間近で見るとさらに顔が小さい。アガツの人形のような端正な造りの顔に、瑛己は思わず目をそらした。「滑りが気になったもので」
「少し整備士がいじったので……タイヤをこちらの地表に合う様に変えたと言っていました。その加減ではないかと」
「……そうですか」
「気になるようなら変えさせますが」
「いえ。このままでいいです」
瑛己はスッと背を伸ばし、機体を振り返った。土地が違う、空気が違う。自分が持ってる概念よりも、今は慣れる事の方が重要なんだろうと思ったからだ。
アガツは彼の様子に少し微笑み、他の隊員の所を周った。
「ここは一時離着陸専門の場所です。大掛かりな施設ではありません。あちらに休憩スペースがありますので飲み物など。機体に不具合がある方はおっしゃってください。常駐の整備士を呼びます」
「……クラさんってさー、美人だよな」
声を張り上げるアガツを前に、新が小声で呟いた。
「雪乃ちゃんに言うぞ」
間髪入れず小暮に言われ、苦い顔をしたその刹那。
最後に地面に降りた磐木が、無言で新と飛の背後へ歩み寄り。
そのまま思い切り、2人をぶん殴った。
派手にぶっ倒れた2人の姿を一瞥するや、磐木自身も口元を抑え。
「大丈夫か磐木!?」
……白河に付き添われ、1番に休憩所へと歩いていった。
顛末を見ていたジンは無言で煙草を取り出し火を点ける。
「チッ、先を越されたか」
と言いながらも歩きがてら2人を蹴飛ばしていくのは忘れない。
「隊長も副長も、こいつら潰して基地まで運転できなくなったらどうするんですか」
苦笑しながら言う小暮に、ジンは事も無げに言った。
「埋めて帰る」
珈琲はあるだろうかと瑛己は思った。
できれば牛の絵などついてない、混ざり物なしのブラックで。温かければなお更に都合がいい。
休憩所の中は、外に比べればかなり暖かかった。
「30分ほど休憩して、その後もう少し北まで足を伸ばしましょう」
瑛己は手の中でココア缶を転がす。自動販売機で打っていたホットはこれ1つだった。
必然、他の面々もココアを手にしていた。思い思いの顔で、喉に運んでいた。
それほど広くはないスペースに、革張りの椅子。自動販売機と簡単な手洗い場がついていた。
「ここから北には巨大な地上絵があるので。是非皆さんにお見せしたいです」
ジンは1人、外で煙草を吹かしている。磐木は入り口から一番遠い隅の椅子に寄りかかり、目を閉じている。その顔は何かに耐えているかのような苦渋の色だ。傍らに座る白河も心配そうだ。
「地上絵?」
缶に噛み付きながら新が聞いた。
「正確にいつどの時代で描かれた物かは知れませんが、地上に巨大な絵が残っているんです。一節では、神の姿絵ではないかと」
神という単語に、秀一がキョトンと首を傾げた。
「この辺りには古くからの言い伝えがありまして。まあ、おとぎ話なんですが」
「へえー? どんな話なんですか?」
アガツは少しだけはにかんだような表情を見せ、その場にいる隊員の顔を見ていった。
「むかしむかし……この地に、空から神様が降り立ったって話です」
「へー」
「神様は、何もなかったこの大地に太陽を与え、風を起こし、空気を作り出した。そして最後に作り出した空から無数の雨を降らせ、それがやがて海となり山となり森となり、やがてそれは命を育み人が生まれるに至った」
似たような話を前にも聞いたなと瑛己は思った。あれは『音羽』海軍基地の高藤 慶喜からだ。
「創世記ですか。うちの国にも似たような話があります」
小暮が眼鏡を持ち上げ言った。アガツはそれに頷く。
「人が生まれ、そして彼らは集団を作った。集団は組織となり、やがて集落が生まれた。集落が大きくなればそれは一つの国となる」
秀一は熱心に聞いているが飛は欠伸をかみ殺している。
「人が増えれば意思も増える。願いも欲望も、人が持つ想いはそれぞれ。それが衝突しあう事もある。口ケンカ程度ならいいけれども、それが国を二分する事にもなる。ましてや命を奪い合うほどの結果を生む事もある」
ココアは甘すぎる。けれど瑛己は顔に出さず一口すすった。
「この国起源の王朝『ヘロパピウス王朝』、そして書物に残る最初の戦争はそうして始まり――天地を揺るがすほどの大嵐が起きたとされるのは、その最中であったと言われます」
「大嵐?」
「ええ……天を裂く稲妻と地を洗い流すほどの洪水。それはまさに神の怒りそのもの。私欲のために争い、神から与えられた命を奪い合う我らの姿に、神は呆れそして一度は人そのものを滅ぼそうとされたそうです」
「……」
「ですがその中でも神は、一握りいた善良な民を――争いを疎み悲しみ愚かと思う事ができる子らまでも、滅ぼす事ができなかった。彼らに慈悲を与え助けた。すべてをなくし洗い流したこの土地に、生き残った者たちが再び世界を築けるように。今度は争いのない清浄な世界を築く事ができるように。神はその子らに祝福を与えました」
最後の一口を飲み干す。ゴクリと一番喉が鳴った。
「神が手を振りかざすと空が開き、そこから無数の光が零れ落ちました。雪のように静かに降り注ぐそれはまるで〝空の欠片〟のようであったと言われます。〝欠片〟は大地に落ちると土に染み込み、土地は今まで以上に豊かになりました。そして最後に落ちた一粒は一つの〝石〟となり光を放った。それを我らは〝聖石〟とし神の代わりに崇めました。そして以来、この国のある地域では、南国にしか育つはずがない木の実が雪の中でも芽を出すようになりました。我らの国名である『ビスタチオ』はそこから取られています。それはさながら神の御技。〝欠片〟によって土地が肥えた事によるものと言われています」
――全員が。その言葉に彼女を見た。欠伸をしていた飛はもちろん、目を閉じていた磐木でさえ。
「そして民は神に敬意を払い、地上に永遠に残るように絵を描いたのだと……、何か?」
「ねーちゃん、今なんちゅーた?」
「え?」
「〝空の欠片〟……」
「はい? 一部研究者によりますが。そう言われています。大災害の後に空から振り降りたという物。大洪水の前にすでにあったという見解もありますが、最近の研究では洪水の後ではないかと……考古学者、歴史研究者が古い文献や地表、壁画を研究して得た一つの〝伝説〟ではありますが」
「……」
瑛己はココア缶のタブを見、それからアガツを見てボソリと言った。
「『ム・ル』ってどこにありますか?」
「……は?」
唐突な彼の質問に、他の面々も瑛己を振り返る。
煙草を吸い終えたジンが部屋に入って戸を閉めたのはその時だった。
「『ム・ル』なら……もう少し北ですね。それほど遠くはないですが」
それこそ、と言葉を切り。小首を傾げてアガツは言う。
「『ビスタチオ』が発芽する唯一の場所から一番近い町です。地上絵からも遠くない」
地上絵を見に行くと言ったら、地元の整備士たちは全員一様に首を横に振った。
あそこは数日前の豪雪で、地面は何も見えないよ。
それに空が怪しい。このまま飛んだら、帰りは必ず雪雲に捕まって帰れなくなる。
――瑛己たちは結局そのまま基地に引き返す事になった。
地上絵が見せられずアガツはとても残念そうにしていたが。
327飛空隊の面々にはそんな事よりももっと重要な何かを心に引っ掛け、『ア・ジャスティ』の基地へと降り立つ事となった。
◇
「結論を、お聞きしましょうか」
「結論?」
男はハッと短く笑う。「そんなもの呑めるわけがなかろう?」
――ある廃屋にて。
「ならば決裂で」
「交渉の余地などないわ」
数人の男達が、2人の男を取り囲んでいる。
取り囲んでいるのは一様に、地元の民である証拠である金の髪を有していたが。
取り囲まれる2人はフードを目深にかぶったまま。その顔すら、まともに見る事はできない。
「なぜ我らが貴様らのようなよそ者に従わねばならんッ」
「……左様で。ならば結構」
「待てよ、ここに来て生きて帰れると思っているのか?」
囲みの密度が一層、深くなる。
フードの男のうち、長身の方が一歩前に出た、その下からわずかに見えるその口元が、ほのかに釣り上がった。
「私に脅しをかけると?」
「生きて帰すな。殺せ。こいつを殺せば【白虎】は終わりだ」
「――」
なめられたもんだなと、男は舌を打つ。
「うちの賊長は、テギです」
言うなり、押し寄せる男たちより早く。
男は隠し持っていた銃を撃ち放った。
「失敗ですな」
「わかってた事です」
「……ハヤセ(hayase)殿」
「さっさとアジトに戻らねば。賊長が殺られたとなればあちらもただでは済まないでしょう。すぐにでも、我らの元へ馳せ参じる」
ですが、と言葉を切って男は付け加える。
「その時が好機かと」
「……」
「ご期待に沿えるといいですね。上島殿」
もう一人のフードの男はニヤリと笑った。
「手はずはお任せで」
「よろしくお願いいたします」
「あなたには恩があります故」
パラリと雪が降ってきた。
その中をフードの男は足早に歩いていく。
彼らが去った後残された廃屋に、動く影はなかった。
雪の勢いは増すものの、音はなし。
沈黙の中に、覆い隠されていくのみ。
――戸口に残った赤い染みも、同様にして。