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 『氷雪の国へ(Vistatio)』-3-

 ―――3日後。

 いよいよ、『ビスタチオ』への詳しい行程が決まった。

 出発は週明け。5日後。

 そしてその主な移動手段は、空母艇という事になった。

 まずは『湊』を出発、北の『永瀬』基地へと向かう。ここは燃料の補給や中継などを行う、航空機の支援を主に受け持っている基地である。

 そしてここに停泊中の空母艇・『雄大雲ゆうだいうん』に乗り込む。それで現地まで向かう。

 『雄大雲』は国内でも屈指の規模を誇る空母である。もちろん、飛空艇を7つ積み入れるのもわけない。

 今回は現地までの距離が長いのと、他国という事を考え、空母での現地入りという事になった。

 また、向こうまでの天候も考えての事である。

「『蒼国』と『ビスタ』の間には〝零〟と呼ばれる不可侵領域があるのは知ってるな?」

 ―――北塔、第11会議室。

 そこに張られた地図の一部をトントンと叩き、磐木は言った。

「その〝零海域〟を越えた向こう、『ビスタチオ』領海に入るわけだが、地図で言うとこの辺り。ここに、〝風の抜け道〟と呼ばれる場所がある」

 居並ぶ面々は、珍しく真面目な顔をして磐木の説明を聞いている。

「ここの風は特殊だ。小さな飛空艇ではひとたまりもない。舵を持っていかれる。ここが暖流と寒流の丁度ぶつかる場所だからという説もある。だが同じような条件で、ここのような〝風〟が報告されている場所は類を見ない。やはりここは特異と言える。そういうわけで今回は、安全策を考えて、空母に頼る事にした。これは軍上層部の意向でもある」

「そら、お優しい事で」

 皮肉な笑いを浮かべた新の隣で、ジンが胸元からタバコを取り出した。

「空母にてそのまま、『ビスタチオ』東部の都市、『ア・ジャスティ』に向かう。そこであちらの責任者の出迎えがあるそうだ」

 地図を見ながら瑛己は、遠いなと思った。

 単機で飛ぶには確かに距離がありすぎる。今まで瑛己が飛んできた中で一番遠かったのは、『園原』だ。中継して2日かかった。ただしそれは各員の体調面を配慮しての飛行時間だった。飛ばせば1日で行く事ができない距離では決してない。

 今回の『雄大雲』は『翼竜』に比べれば出力は桁違いだ。直線上での早さも優れている。

 それでも中継を入れて3日。『蒼国』の北部で1度、そして海を越えて『ビスタチオ』で1度。そこから『ア・ジャスティ』までで3日。

 『ア・ジャスティ』は『ビスタチオ』全体からすれば東部になるが、海岸からは少し距離がある。

 遠いな、改めて瑛己は思った。

 瑛己は地図を眺めた。その中に、『ム・ル』という名前は確かにあった。『ア・ジャスティ』の北部だ。これまた距離がある。

 『ム・ル』。その表記を、瑛己は複雑な思いで見つめる。

 そこは数ヶ月前……一夜にして壊滅された町。

 ―――空(ku_u)によって。

「……」

 あれから新聞を眺めているが、『ム・ル』の一件もその原因についても、書かれる事はなかった。

 実際にはわからない。瑛己もこの話を、人伝ひとづてに聞いた。

 【竜狩り士】と呼ばれる男、山岡 篤に。

 彼の名前も、新聞に踊らない。『園原』襲撃以来、完全になりを潜めている。

「それで、滞在期間は?」

 煙草に火を点けながらジンが問うた。

 その様子に一瞬磐木は険しい顔をしたが、「目処は2週間」

「だが状況の如何いかんでどうなるとも」

「結局俺らは、何をすればいいっちゅーんですかね?」

 新が最もな意見を口にする。

「上島総監……上島元総監の確認つったって、実際にはまだ捕まえてもいないんっしょ? なのにどーすりゃいいんだか」

「捕まえるどころか、その情報の真偽さえわからない状況だな」

 小暮が眼鏡を上げながら言った。

「軍に写真を送りつけてきた奴の意図もいまいちわからない。捕まえろ、という事は確かなんでしょうが……」

「そうなるとやはり、【白虎】と戦り合う覚悟で?」

 全員の目が磐木に向けられる。

 磐木はその視線を受け、ううむと低く唸った。

「できれば今回は、『ビスタチオ』空軍に任せたい。我らには地の利がなさ過ぎる。気候面においても、あらゆる面においてだ。あちらもそれを念頭に、今これまで以上に力を注いでくれているらしい。その成果に期待しよう」

「……でも、本音を言えば」

 新がポツリと口にした。

「俺は、二度と、会いたくないっす」

「……」

 はははと笑って新はそっぽを向いた。そんな友を小暮は見ず、ただ少し口の端を歪めた。

 新の言葉、瑛己も正直同感であった。

 ―――あの時の、上島の声が耳に蘇る。〝生きていた〟その事を知ってから。

 俺は神様になった、ザザつく無線の中、あの男はそう言っていた―――。




 滞在は2週間予定だが、それを越える可能性も考えての準備をする事。

 ただしそれでも荷物は最低限に。

 どこか矛盾した内容であったが、瑛己たちは文句も言わずに了解した。


  ◇ ◇ ◇


 出立までの5日間は、準備はあったものの、それほど追われる日々ではなかった。

 何と言っても現地までは空母での移動。

 主な荷物は先に『永瀬』に送った。後はその身を運ぶだけとなった。

 帰りはまた、『蒼』からの迎えがあるらしい。

「気味が悪いくらいの待遇」とは新が言った言葉である。

「でも僕、空母なんて乗った事ないから、すっごい楽しみです!!」と言ったのはもちろん秀一。

「何か裏があるかもな」と言ったのは小暮。

 それに秀一は戸惑いながらも、

「僕はそんな事ないと思います」

「なぜそう言える?」

「……いちいち表裏考えてたら、動けなくなりますよ」

 それにジンが笑った。珍しく面白そうに。

「小暮、お前の負けだ」

 そんなジンを見て、磐木が目を細めた。

 ―――期日は迫っていた。


  ◇ ◇ ◇


 作戦が決まっていても、巡回はある。

 基地西部の巡回を終え、327飛空隊は予定通り基地に帰還した。

 時刻は夕方。

 今日の夕焼けは赤が、深い。

 夜の闇に染まるほど、月の輝きは一層増す。

 格納庫の脇にある水道で、小暮が手を洗っていた。

 ゴーグルをむしるようにして取ると、まず髪を掻き揚げ、そのまま顔を洗う。

 普段している眼鏡は、胸元のポケットにしまってある。

 そもそも彼は目が悪くはない。視力は最低限の飛空艇乗りの条件である。

 なのになぜ彼は眼鏡をしているのか。

 それは、新にすら話していない。

「……」

 水が冷たい。もう冬である。

 空を仰げば雲はまばらに。

 しかし今頃『ビスタチオ』は雪だろうか?

 冷え性の同僚ほどではないが、小暮も寒さに強いわけではない。

(ただ、少し)

 堪え性はあるかな。そう思った。

 新はジンにくっついて先に行った。

 今彼は1人である。

 そして、そんな彼の背後に、2人は立った。

 それに小暮は気づいていたが、無視してゴーグルをふいた。

「小暮さん」

「……」

 これ以上は無視できないかと思い仕方なく振り返ると。

 そこには、瑛己と飛が立っていた。




「何だ」

 声からは、その機嫌は読み取れない。

 ましてその表情からも、何も読めない。

 この男はそういう男である。滅多に感情を表に出さない。

 瑛己も似たようなものだが、小暮に比べればまだ瑛己の表情は豊かな方だ。

 ―――小暮が1人でいる。

 飛空艇から降りた瑛己と飛は、何となく目を合わせ。

「秀、先行っといて。食堂の席取っといて」

 秀一を先に行かせて。

 彼の背後に立った。

 『ビスタチオ』へ向かう前に……どうしても小暮と話しておきたいと思ったのは瑛己と飛、両方の意思である。

「……」

 けれどもどう話していいものか。瑛己も困った。

 声は掛けたけれども。

 小暮がじっと見つめてくるけれども。

 どう言い出したらいいのか……2人、少しの間ためらっていた。

 最初に焦れるのはこういう場合、飛である。

「……ちょっと話が、あるんすけど」

「何だ」

「この前の事で」

「……」

 秀一が『黒』に拉致された一件の事である。

「あの時、小暮さんは」

 ―――このまま秀一ごと、あれを撃ち落す。

「あいつを……あないな事、言うてましたけど」

「……」

「あれは」

 本気じゃなかったですよね?

 言外にその意味を託し、飛は小暮を見つめた。

 あれからずっと、聞きたかった事である。

 けれども聞きそびれて、ここまで来た。

 あの日、秀一は未来を予知する力を狙われ、『黒』にさらわれた。

 そして最後の局面で小暮が言った言葉は、『黒』に連れて行かれるのなら、秀一ごと撃ち落せという命令。

 その力を利用されれば、いずれ、『蒼』の脅威になる。それを危惧して。

 あの時そういう経緯があった事を2人は秀一に話していない。言えるはずもなかった。

「……」

 小暮は2人を見つめた。

 瑛己と飛も、瞬き一つしなかった。

 街灯の長い影が、3人の間に一線を引いている。

 2人の眼力に押されても、小暮は1歩も揺るがなかった。

 けれども最後には、それを受けるのが面倒になったかのように、息を短く吐いた。

 彼のその様子に、飛の眉間にしわが寄った。

「何で、あないな事ッ……! もし、秀一があの時、飛び出してこなかったら……」

「……」

「小暮さんは、あいつを、あいつを」

「―――撃ったよ」

 その言葉は唐突で。

 そしてこれ以上なく涼しげで、淡々としていた。

「俺があの機体、沈めてた」

「―――ッ」

「お前らに撃てないのは、わかってたから」

「なんでッ」

「あの時言ったはずだ。2度も3度も言いたくないと」

「……国家のため、ですか」

 小暮はそれに答えなかった。だがあの時そう言っていた。

 今にも飛び掛らん勢いの飛を手で制して、瑛己は1歩前へ出た。

「その選択は、間違いなかったと?」

「……」

 小暮はじっと瑛己を見る。

「俺に問うのか、聖」

「……」

「その前に、己の心に問え」

「……それならば、小暮さんにはわかっているはず」

「ならば言葉を返す。お前にも、俺の答えはわかっている」

 あれ以来、瑛己の中にわだかまった、小暮への感情。

 飛などは言うまでもない。

「小暮さん、俺はあんたを、許せん」

「……」

 飛の炎のような目を受けてなお、小暮の表情は涼しいものだった。

「それは自由だ」

「……」

「俺は軍人だ。お前らもだ。その背が背負っているのは何だ?」

「……」

「何を一番にしなきゃならないか、聖、わかるだろう」

「―――けれど」

 瑛己は瞳の色を強めた。

「秀一を撃つ事が正しい事だったのか、俺にはわかりません」

「……青いよ」

 ふっと笑い、小暮は胸元から眼鏡を取り出し掛けた。

 そのまま2人に背中を見せ、歩き出した。

 その背中は無防備だ。

 駆け出してぶっ飛ばそうとする飛を、瑛己が止める。

「なんで止める!」

「……」

 去って行く小暮の背中。小暮の言葉は瑛己も納得行かない。

 ―――けれども。

 殴れ、そう言っているように見えた。

「……飛、やめよう」

「……」

 飛は歯軋りをした。

 瑛己の心も、悔しいような感情と。もう半分。

 なぜか、ひどく悲しいような感情が。

 その背中を見ていて……入り混じり。

 無性に泣きたいような。

 そんな衝動が押し寄せた。


  ◇ ◇ ◇


 そして。その朝は来た。





 天気は曇り。今にも泣き出しそうな雲である。

 それでも行かなければいけない。まずは北の『永瀬』空軍基地だ。

 簡単な手荷物だけ持ち、瑛己たちは飛空艇へと向かう。

「瑛己! 気をつけてな」

 そこに兵庫の姿もあった。

「しばらく俺、『海雲亭』にいるから。何かあったら連絡しろ」

「うん」

「連絡してくれたら、カイロでも湯たんぽでも、毛糸のパンツでもいくらでも送ってやるからな? いいな.。毛糸のパンツ、10個単位で発注可能だぞ!」

「……うん」

 何となく複雑な顔をして笑うと、瑛己は手を振った。「行ってきます」

「海月さんによろしく」

「おう! 連絡しろよ!! 早く帰って来い!!」

「わかった」

 とは返事したものの、瑛己の意思でどうこうなる問題でもない。苦笑する。兵庫もわかってて言っているのだろう。

 ふと見ると飛が、前を歩く小暮の背中を睨みつけていた。瑛己は背後にいる秀一の気配を感じ、その腕に肘を軽く当てた。

「秀一がいるぞ」

「……おう」

 秀一の前では絶対に顔に出すな―――瑛己が飛と、そして自分自身に言った言葉である。

 瑛己も小暮の背中を見た。

「『永瀬』まで2時間、降らないといいですね」

 明るい秀一の声に一瞬ギクっとした瑛己だったが、声にまでその動揺は出なかった。「そうだな」

 天気のせいもあるが、めっきり寒くなった。

 空はもっと寒いだろう。そう思い、瑛己は飛行服の前をいつもより上まで上げた。マフラーも真冬用の厚手の物だ。

 中に念入りに着込んでいるせいもあって、今日は一段と動きにくい。

 しかしそれも2時間の事。『永瀬』に着くまでだ。

 何となく気楽に飛空艇に向かう。それは他の面々も同じようで。いつもは出立前に必ず3本煙草を潰すジンが、今日は1本だけでやめている。新も鼻歌を歌って石を蹴飛ばしている。

 一同、格納庫の前まで来た所で、磐木が足を止めた。

「白河総監が見送りにきてくれるはずなのだが」

 そうして待つ事数分。

「遅くなってすまん!」

 そう言って小走りに現れた白河は。

 飛行服姿だった。

 瑛己はもちろん磐木以外の隊の者すべて、初めて、彼のこの姿を見た。

「えと、あの」

「出立前にちょっとした書類を片付けてたら手間取ってしまったよ。悪いね待たせて。それじゃ行こうか」

 ニコニコと格納庫の中に行こうとする彼に、珍しく慌てた様子で磐木が呼び止める。「そ、総監!」

「行くって、あの」

「ん? ……あ、もしかして言うの忘れてたか?」

「???」

「今回は私も同行する」

「―――!?」

 白河の言葉に全員、唖然とする。

「ど、同行って」

「うん、今回は『ビスタチオ』という事もある。外交上のやり取りも出てくる。君たちだけに対応を任せるわけにもいかんだろう。責任者という事で私も同行する」

「……」

「それに上島君の事もだ。上島君の事は君たちよりも、私の方がよく知っていると思わんかね?私が留守の間は森副総監に一任してきたから。『湊』は大丈夫だ。さあ出発しよう」

 彼にしては珍しく早口でまくし立てると、なぜか嬉しそうに白河は小走りで格納庫へ向かった。

「行くって言うても……確か白河総監は操縦が」

 白河の右腕は動かないはずだ。

 後で聞いた話、指の動きは多少はリハビリの結果軽い物を掴むくらいはできるようになったそうだ。だが、飛空艇の操縦は論外である。

 と、なれば。

「……」

 瑛己は磐木を見た。

 飛も秀一も磐木を見た。

 ジンは前髪を掻きあげた。

 小暮は黙って磐木を見つめ、新はニヤリと笑った。

 磐木は。

 格納庫の奥にある、『葛雲』を見つめた―――。



 前途多難な幕開けだ。

 いつかも同じような事を思ったと瑛己は思った。

 いやむしろ、と思う。

 そう思わずに基地を離れられた事がないと。

 異国の地、『ビスタチオ』。

 ……飛空艇に乗り込みながら、瑛己は切実に、無事の帰還を願ってやまなかった。


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