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 『ピアノ(Piano)』

 彼女は、表通りをゆったりとした足取りで歩いていた。

 両手には大きな買い物袋。抱えるように持ち、その重さに時々「何でこんなに重いのよ!」と悪態を吐いた。

 あの角を曲れば、原っぱの向こうに店が見える。

 街道の脇に建った時計をチラリと見る。大丈夫。開店までにはまだ、時間がある。

 だけど、あそこの連中じゃね……そう思って、彼女は苦笑した。

 飲みたい時に飲む。来たい時に現れる。そういう連中だ。開店時間も閉店時間も、お構いなしな事の方が多い。

 もう何年も、そういう連中を相手にしている。それこそ、生まれた時からだ。

 そして彼女も、何だかんだと言いながら、そういう彼らが嫌いじゃなかった。

「空を命で翔けてる……か」

 呟いて、ふっと彼女は視線を流した。

 そして、空を見上げた。

「……」

 角を曲ると、小さな看板が目に止まる。

海雲亭うみぐもてい

 そしてその向こうに見えるのは、空を渡る風の棲家。『湊』空軍基地がある。

 晴れ渡る大空に飛空艇の姿を見て、彼女は微笑んだ。

 また、忙しい夜がくるわね。

 そう思って、一歩踏み出した時。

「―――」

 音が、聞こえた。

 それは、店の方から聞こえる……ジュークボックスを切り忘れたのだろうか? それとも父が、気まぐれに流しているのだろうか?

 それは……ピアノ。美しい、ピアノの音。

 ピアノが、メロディを奏でている……そう思った時、彼女は不意に立ち止まった。

 この音楽。

 このメロディは。

「―――」

 まさか。そう思った。

 そんなはずは……だけど。

 まさか―――。

 彼女は持っていた荷物を放り出し、走った。




  3


 護衛の任務を終えた翌日、瑛己えいき達327飛空隊は、非番を言い渡された。

 『湊』へ帰還、その足で報告へ向かうと、白河はすべてを知った様子で彼らを迎えた。

「ご苦労だった」

 短いが、労わりの気持ちは伝わってきた。

「非番か……何や、余計と肩こりそうやわ」

 総監室を出るとすぐ、たかきがそう言いながら煙草に火を点けた。

「たまにはゆっくり休んだ方がいいよ。あんな激戦の後だし、せっかくだから、のんびりしましょう」

 秀一が、全員を見回しながらそう言った。

 瑛己は秀一の横で、短く溜め息を吐いた。

 確かに休日はありがたい、そうは思う。

 しかし……瑛己は窓から空を見上げた。

 胸がモヤモヤする。

 そしてそのモヤモヤを、ここにいる誰もが抱えている事を。瑛己はわかっていた。

「飛は明日、どうやって過すの?」

「あー? 俺はとりあえず……寝る。ええか、秀、絶対起すなよ?? おまん、いつも、人の夢のええ所で、ギャーギャわめく。かなわん」

「えー? そんなの知らないよ。大体〝ええ所〟って??」

「はぁ? せやな……歴代撃墜記録・トップになった時とか、無凱むがいをコテンパンにのした時とか。【天賦てんぷ】と【白虎びゃっこ】相手にたった一人で抜けた時とか。そうそう! 山岡を後一撃で墜とせるっちゅー時に起された日には! あー! 思い出しただけでも悔しいわ!!」

 こいつは、夢の中までこれなのか……瑛己はとても嫌そうな顔をした。

「あと、まぶいねーちゃんに、言い寄られた時とか。美女に囲まれ幸せに浸ってる時とか」

「……はいはい。じゃぁ、明日も定時に起してあげるね」

「定時か!! まて、秀。俺を殺す気か!?」

「新は、雪乃ちゃんか?」

「あー、最近行ってないからなぁ……かなり怒ってんだろうなぁ。小暮は?」

「ちょっと調べ物でもしようかと思う。無凱の装甲も気になるし」

 その言葉に、全員が彼を振り返った。

「……どう見た?」

 ジンが、ヴァージニアスリムを吹かしながら言った。

 小暮は人差し指で眼鏡を持ち上げながら、りんと言った。

「KY1―1。通称、ナノ装甲。あれだけ撃たれたにも関らず、ビクともしていなかった……恐らくは」

 ナノ装甲。それは、最近遠国『ビスタチオ』で見つかった『ナノ』と呼ばれる原料を元に作られている。

 その強度は鉄よりもずっと優れている。そしてさらに軽い。

 だがまだ、『ビスタチオ』が正式にそれを元に兵器開発をしているという話は出ない。いまだ未知の物体、懸念する声も多いのである。

 それを先駆け、自身の飛空艇の装甲に取り入れるとは。

「ザークフェレス社……あそこから流れた物と思われますが」

「ザークか……やりかねないな」

 ジンは眉間にしわを寄せた。

 ザークフェレス社。闇の世界では〝死の商人〟として有名な名前である。

 国際規定外の不法は武器を開発、売買する組織である。時にその名が、戦争で流れない事はない。

 謎の多い組織ではあるが……ここが【天賦】とつながっているという噂もある。それは事実なのだろうと、ジンは言った。

「だが、それを一撃で貫いた」

 ジンは煙草の灰を廊下に捨てた。

 ジンが何を、そして誰の事を言おうとしているのか。

 先頭を行く磐木が、無言で振り返った。

「空(ku_u)……!」

 飛が、珍しく真剣な顔で呟いた。

流天るてん弾」

 小暮が少し自信なさげに言った。

「……そういう物があると聞いた事があります……『黒』が全力で開発しているという、対『ナノ装甲』専用弾です」

「『ナノ』を貫く、『流天』の光、か」

 ジンが皮肉混じりに笑った。「どうも、先行きは暗いな」

「だけど、なんで空(ku_u)が『黒』の兵器を装備していたんだ?」

 新の問いに、小暮が神妙な面持ちで答えた。

「『流天』の製造法は、一時、市場に出たという噂が流れた。その時、どこかの組織がそれを買って独自に開発した……ありえる話だ」

「どちらにせよ、どこが攻めてきても『蒼』には苦しい戦いになる」ジンが、ふぅ……と煙草を長く吐いた。

「……戦争なんて」と秀一が言った。

「起らないと思うか?」

 永久に? ジンが、まっすぐ秀一を見た。

「それこそ愚問だ」

「せやけど……その代わり、こっちには優秀な乗り手が、ようけおります」

「今はいい」飛の言葉に答えたのは、磐木だった。

「1対1、それぞれが、それぞれの腕で飛ぶ事もできる……騎士道精神、そんな物を持って戦う事もできる。だがいずれそれは複数対複数になる。パイロットが大量生産、大量消費される時代だ」

「……」

「その時、個人個人の腕などもはや関係なくなる。どれほど優れたパイロットであろうとも、戦場で、100の乗り手を一度に相手にする事はできない」

「……」

「まぁそういうのを考えるのは、お偉いさんの仕事だ」

 新が、どこ吹く風という感じでそう言った。

「俺らはただ飛ぶ。そんだけじゃないの? 相手が『ナノ』だろうが『流天』だろうが。どういう時代がこようと、さ」

 だろ、飛? 問われ、飛は大きく頷いた。

 瑛己はそんな会話を横で聞きながら、別の事を考えていた。


  ◇ ◇ ◇ 


 翌日、いつもと同じに目を覚ました瑛己は、昼過ぎまで宿舎で本を読んで過した。

 瑛己の部屋は本当は2人用だったが、同居人はなく、1人で使っていた。

 飛と秀一は同じ部屋である。3人用の部屋だが2人で使っている。そのうちあちらに引越し命令が出るかもしれない。

 昼過ぎて、何となく瑛己は部屋を出た。施設内をブラブラしているうちにふと思い立ち、酒場に向かった。

 表に書かれた『海雲亭』という看板を見て、そういえば昼間にきたのは初めてだなと思った。

 扉の所に「準備中」という札が掛けられていた。

 瑛己は少し溜め息を吐いた。どうしようか、出直すべきだろうか。

 何気なく扉に手をやると、鍵は掛かっていなかった。

 店内は薄暗かった。「すいません」と軽く声を掛けたが、返事はなかった。

 留守なのだろうか……物騒だなと苦笑しつつ、扉を閉めようとした時。

 目の端に、黒いピアノが入った。

「……」

 瑛己は扉を閉めようとしていた手を止めると、しばらくピアノを眺めた。

 そしてゆっくりとそちらに向かって歩き出した。

「……」

 静かな店内を歩く。何か不思議な想いにかられる。

 ピアノにたどり着くと、瑛己はそっと触れてみた。

 埃一つない。

 慣れた手つきで鍵盤を開ける。と、一つ、気まぐれに叩く。

 その音はちゃんと調律されていた。

 椅子に腰掛けると、瑛己はそっと目を伏せた。

 ……気まぐれだ。

 両手を鍵盤に落とすと、一つ、指を込める。もう一つ込める。

 それが、メロディになっていく。

 それは瑛己のよく知る曲だった。そして一番気に入りの曲だった。

 弾いていると、あの時の光景が過ぎった。

 無凱と対峙したあの時。瑛己が賭けに出た、あの瞬間。

 無凱は自分を捉えていた。銃口がこちらを向いたのに気付いた。

 なのに。結局、無凱は撃たなかった。

 空(ku_u)が現れたからだろうか。だがその前に撃てる機会はあった。

 無凱は、その瞬間を外した。

(なぜ?)

 そして突然現れた白い飛空艇……。

 『明義』にたどり着いた後、飛がしきりと地団駄を踏んで悔しがっていた。

「まさか、あないな場所で対面するとは!! 無凱に気ぃ取られて、取り逃がしてしもた!」

 そうだ……空(ku_u)は突然現れ、無凱を撃って、そのまま姿を消した。

 まるで自分達を助けにきたかのように。無凱……【天賦】が退くのを見るや否や、自分の仕事は済んだとでも言うように、去って行った。

 なぜだ? 鍵盤を打つ手に知らず、力が込もった。

 無凱はなぜ撃たなかった? そして空(ku_u)はなぜ……。

 〝砂海〟で助けられ。

 今回も、自分は。

(空(ku_u)……)

 一体……〝彼〟は、何者なんだろうか?

 二度も自分を助けてくれた、飛空艇乗り。

 それは一体…………。

 その時だった。店の扉がガバリと開いたのは。

 瑛己はピアノを止めて振り返った。差し込む光が眩しく、自然、瞼を細めた。

 誰かが立っている。

 次第に目が慣れてくると……それが女性だとわかった。

 長いスカートが風に揺らめき、エプロンもそれに合わせて揺れている。ふわりと2つにまとめられた淡い茶色の三つ網。背丈は……女性にしては少し高めなのだろうか。

 しばらく彼女は放心したようにそこに立ち、じっと瑛己を見つめた。瑛己もまた、不意に現れた女性を驚きと共に見ていた。

 どれくらい時間が経ったのだろうか。

 どこかで鳥の鳴く声がした。そして、

「……晴高……」

 女性の口から、一つの名前がこぼれ落ちた。

 その名に瑛己は、思わず腕を、ビクリと揺らした。

 その時触れた鍵盤が、場違いな音を立てて鳴った。




 鍵盤の前に座る、一人の青年。

 白いカッターに黒のズボン、その背格好。彼を見て、彼女は思わずその名を口にした。

 だが少しして。

 それが……違う事に気付いた。

「あなたは……」

 青年が、ガタリと立ち上がった。

「僕は、瑛己と言います」

「えいき」

 違う名を聞き、彼女は溜め息を吐いた。

「そう……そうよね、ごめんなさい」

 その辺りの椅子にペタンと座り込むと、彼女は軽く笑った。

「ああ、私は海月(miduki)……この店の者だけども。本当にごめんなさい。あなたが知り合いによく似ていたから」

「……知り合い、ですか」

「ええ」

 そして彼女は立ち上がると、ピアノに寄った。

「彼の好きだった曲が聞こえてきたから」

「……」

「彼もよく、ここでその曲を弾いていた」

「……」

 瑛己はそっと瞼を閉じた。「〝約束の場所〟……」

「その人は……どんな人だったんですか?」

 瑛己は、無意識にそう訊いていた。

 海月は少し驚いた顔をしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。「空を、命で翔けてた人」

「空を愛し、飛ぶ事に生きる事のすべてを懸けた……飛空艇乗り」

 そう言って彼女はふっと店の壁に掛けられた一枚の写真に目を向けた。

 瑛己もまた、それを見た。

 白黒のその写真には、飛空艇の前に佇む3人の男が写っている。

 ぼやけているし、店内が暗いのでよく見えなかったが……そのうちの2人は、見覚えがあった。

「これは……」

 そう言おうとして。その時。

 ウーンと、重いサイレン音が木霊した。

 何だ? と瑛己は時計を見たが、おかしい。こんな時間に鳴るはずがない。

 不意に胸に違和感を覚え、瑛己は手近な窓を開け放ち、空を見上げた。

 片目を細め、滑るように空を見渡す。

 と向こうの空を、一機の複葉機が飛んでくるのが見えた。だがその姿は。

「被弾している」

 黒い煙が吹き出ている。かなり危険な状態だ。

 だが問題はその飛空艇。

 遠目にも、その飛空艇には見覚えがあった。

「まさか」

 瑛己はゴクリと唾を飲み込むと、バッと海月を振り返った。

 海月は瑛己のその瞳に、目を見開いた。

「行きます」

 勝手に店に入ってすいません。そう言うと瑛己は早足で扉に向かった。

 その背中に、海月は思わず「待って」と声を掛けた。

 瑛己は振り返った。が……呼び掛けた海月は、何を言ったらいいのかわからなかった。何か言いたい、だけどそれが何か、咄嗟に浮かんでこなかった。

 瑛己はそんな彼女を見て、「また、来ます」と言った。

 そして、

「……聖 晴高は、僕の父です」

 それだけ言って、駆け出した。




 一人残された海月は、揺れる扉を見ながら小さく息を吐いた。

 同じ目をしてる。

 まっすぐな、あまりにも精悍な輝きの瞳。

 それはかつて彼女が出会った、ある飛空艇乗りと同じ目だった。

 その空を命で翔け、いつもまっすぐに飛んでいた。

 そしてその果てに、忽然と消えて行った、一人の飛空艇乗りと。

「……そっか」

 彼女はそして開け放たれた鍵盤を、トンと一つ叩いた。



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