『晩秋の夜(drinking party)』
今日は三日月が、はっきり見える。
昨夜まで吹き荒れた嵐のお陰で空気が澄み、昼間は透けるような晴天だった。
しかし今宵海月には、月を眺める余裕はない。
数日振りの雨によって鈍っていた客足が、一転、今日は大爆発した。
「父さん! 3番テーブル急いで! 11番も!」
「今やってる!」
厨房に立つ海月の両親も大忙しでフライパンを握っている。
いつものバイト君に加えて近所の奥さんにも何人か、臨時で来てもらってどうにか回している。
厨房とテーブルを行ったり来たり。何往復目かを問うのは愚問。
「海月ちゃん、麦酒まだぁー?」
「はーい、ただ今ー!」
季節はもう秋も後半だというのに……今日はたまらなく暑いと思った。
バイトの男の子などはすっかり汗まみれだ。
「亮太君、そこのテーブルに麦酒2本とウインナーね。そこから適当持ってってあげて」
「え、そんな注文は受けてないっスよ」
「いいの。サービス。あんたも隙間見て何か飲んでおいで」
パチンとウインクをして、海月は厨房へ消えた。
厨房は店内以上の熱気だ。汗を流して、2人が料理を作っている。
「海月、こっちできたから。2階へ持ってっあげて」
「ありがと、母さん」
できた料理を手早くお盆に乗せていく。その間にも、海月の父親が別の料理を海月の傍にポンポンと置いた。
それに彼女がニコっと笑う間にも、注文はどんどん入る。
軽く汗をぬぐい、お盆を持った。大きいのが2つ。両手が完全にふさがる。
それを持ったまま、お店の脇にある階段をタッタと上がっていった。まったく歩調がぶれない様子はさすがである。
「はーい、お待たせしましたぁ」
そう言ってその部屋に入っていった。
すると、
「待ってました!」
気楽な合いの手が入った。
「遅くなってごめんなさいね」
そう言ってテーブルに料理を乗せて行く。
さりげなくそれに手を貸したのは出入り口付近に座っていた青年。聖 瑛己であった。
「ありがと」
「いえ」
海月が微笑むと、瑛己は目は合わせず少し頷いた。
手早くテーブルに料理を置くと、それを秀一がうまく均等に広げる。そして空いた皿をサッと回収する。こちらも手早い。
この場にいる人数は多いが、こういう気遣いができるのはこの2人だけである。
いや、他にはあえて言うならば。
「女性に大量に運ばせて悪いね……ああ、いいよ。麦酒は自分で取りに行こう。何本いる? 風迫君追加欲しいだろ? 元義君もだね。10本もあれば足りるかな」
「え!? 白河総監!? 総監は座っててください」
「いいから。海月君も少し食べて行きなさい。その辺の物飲んでいいから」
「いえいえ! 大丈夫ですから。私がお持ちします」
「じゃあ手伝おう。磐木、通るからちょっとどいてくれ」
「ちょっ!? 総監、僕が行きますから」
「相楽君も座ってなさい。誰か海月君にコップを!」
海月を手伝おうとする白河を、兵庫が無理矢理止めた。「アホ、トップが動いてどうすんだ」
「俺が行くから、誰かモトを抑えとけ」
「へーい」
「モト、海月に何か注いでやって」
「うむ。ならば海月さん、麦酒でいいかな」
「あ、いえ、お構いなく」
「いいからいいから」
笑い声が上がる中、ヒョイヒョイっと兵庫が出て行った。
海月は困ったように笑ったが、「じゃぁ一杯だけ」と、コップを持った。
「んー、おいし」
「ハハハ、いいねー、その顔」
「だってもう、下は暑くて暑くて。喉カラカラだったもん」
「じゃ、俺っちからも一献」
「やーん、止まらなくなっちゃうじゃんかぁ」
新からの二杯目を、何だかんだと嬉しそうに海月は飲んだ。
その時麦酒をケースごと持ってきた兵庫がそれを見て、「おい、海月、飲みすぎんなよ」と半分笑いながら言った。
海月はそれに口を尖らせ兵庫を見て、それから全員を見回しニッコリと笑った。
「改めまして。本日はお越し頂き、誠にありがとうございます!」
本日、海雲亭の2階にある個室を借り切っていたのは、9人の男たち。
『湊』空軍基地 第327飛空隊・通称・『七ツ』の面々7人と。
『湊』空軍基地総監・白河 元康。
そして自称・〝郵便屋さん〟、原田 兵庫であった。
この場の発端は兵庫と瑛己の会話から。
―――来週末行くから、磐木にたまには飲もうって言っておいて。
先日、瑛己が故郷に戻った際、たまたま会った兵庫とかわした言葉がきっかけだった。
最終的に次の週は瑛己もバタバタし、兵庫からも「来月頭に変更して」という連絡があった。
そこで、「どうせだったら皆で」と言い出したのは誰だったのか。
噂を聞きつけた隊の面々が完全に参加モードになり、磐木が白河を誘い。
こうして、このメンバーが集まる事になったのである。
「すまんね、こんな忙しい日に」
「いえいえ。予約は前からもらってましたもん。ただ、料理が遅くなっちゃってすいません。バタバタしてしまうんですが、でき次第お持ちしますから」
「いや。こちらこそこんな個室を用意してもらって。呼んでくれたらいつでも取りに行くから」
そう言って白河は兵庫を意味ありげに見た。
「兵庫、海月さんの手伝いをしてあげたらどうだ?」
「は? 厨房? 俺でいいなら?」
「ダメ。あんたはくるな。店の評判が落ちると困る」
ピシャリと言われて、兵庫は苦笑しながら麦酒を手にした。
だが瑛己も兵庫の料理の腕前は理解している。やめた方がいいだろうと思った。
「必要な時は……そうだなぁ、秀君を借ります。それと瑛己君」
「えー、僕料理できないですよ」
「注文の方手伝って欲しいな。秀君ならパッパとこなしてくれそう」
「……あの、俺もですか?」
「瑛己君はね、えっとねー、あたしのボディーガードに。あと珈琲専門で」
ニコっと笑う海月と、途端野次が飛ぶ。
「えー!! ボディーガードなら俺がっ!!」
「新、お前は雪乃ちゃんがいるだろ」
「なら俺がッ!! 瑛己よりは俺の方がずーーーーっと強いですからッ!! 海月さんに近寄る阿呆は全員ぶちのめします!!」
「飛は絶対行くな。無駄なケンカが起こる」
「ジンさん、そら痛いわー」
「事実だろ。阿呆」
ハハハハハ
沸き起こる笑いに瑛己も釣られて笑った。
―――少しの間仲間に入ってはしゃいでいた海月だったが、下から呼ばれて慌てて戻って行った。
「すぐまた持ってきまーす」
明らかに酔っ払ってるが大丈夫だろうか? と瑛己は思った。
その隣で秀一はすでに、「お手伝いに行った方がいいですかね? 下、大混雑ですよね?」言われた言葉を真に受けて、ソワソワし始めている。
瑛己は平然と麦酒を飲み、大丈夫だろ、とそれを制してやる。
「せめてこちらの料理くらいは。僕が定期的に見に行った方がいいですよね? ね、瑛己さん?」
「磐木、お前ちゃんと食べてるか? 食べてないだろ? ほらほら、俺が取ってやるからな。皿貸せ。ちゃんと食べろよ」
「いえちゃんと食べてますので。総監、お気遣いは」
「……」
こういう席は人柄がよく出る。
白河と秀一はどこか似ている。瑛己はそう思った。
(それにしても)
瑛己は息を吐いた。
平和だ。
こんなふうに笑って今を過ごせるなんて。
「……」
秀一が小皿に料理を取り分けてる。新に茶化され笑ってる。
飛が麦酒を一気飲みして笑ってる。
新のボケに突っ込みを入れ、小暮も笑ってる。
ジンは無言で酒を飲んでいるが、目尻が笑っている。
磐木は白河に世話をされ、苦笑を浮かべている。白河ももちろん笑っている。
兵庫は瑛己を見て、ニヤリと笑った。
皆笑顔である。
「……」
自分もそうなのだろうかと、瑛己は麦酒に口付けた。
―――あの事件から、もうすぐ3週間ほどが経つ。
『黒』による秀一拉致事件。
あの後どういうふうに決着がついたのか、ついていないのか、瑛己にはよくわからない。
あの時、瑛己たちはどうにか浜辺にたどり着き、その後近隣の海軍によって助けられた。
通報したのは磐木である。
磐木、新、そしてジンの3人は『天晴』までたどり着いたが、もちろんその時にはもう瑛己たちはいなかった。
そこで片っ端から近隣の基地に連絡を入れてくれたらしかった。その根回しは、白河の手によっても行われた。
そして瑛己たちは、助けられた海軍の基地で、様々な取調べを受けた。事情聴取である。
軍のお偉いさんが代わる代わるやってきては、同じ事を聞く。
特に秀一への聴取は厳しかった。
質問攻めは瑛己でさえウンザリするほどだったのに、倍ほどの時間を割かれた秀一は一体どれほどだったのか。
飛が終いには切れて、取調べ官とケンカになりそうになったくらいだった。
「秀一は被害者やッ!! 犯罪者やないぞッ!! どんだけ尋問したら気がすむんやッ!!」
丸4日に及ぶ説明。
そこを出る事ができたのは、事件から5日後の事だった。
そういうわけで、2週間の休暇の半分ほどが取調室でのバカンスとなる……出立時には思っても見なかった結果となった。
その後『湊』基地へ戻り……現在に至る。
『黒』への対処は上層部が行ったとは聞く。
しかし……瑛己は内心、あれ以来常に警戒して時間を過ごしている。
何と言っても、彼らは『黒』の飛空艇を撃ち落した。いかに秀一がさらわれたとはいえだ。
今日明日にでも戦争―――そんな事になっても何らおかしくないような気がする。
発端は瑛己たちだ。だがその原因に非はない。その思いがあるからだろうか。逆に瑛己は少し、腹をくくってもいる。
麦酒を飲んでから、次は珈琲が飲みたいと思った。
「へぇ……そりゃ、大変だったんだなぁー」
兵庫がしみじみ言ったのが聞こえ、瑛己は顔を上げた。
新と飛がテーブルの向こうで、兵庫と話している。どうやらあの一件の事のようだ。
神妙な顔をして聞いていた兵庫が不意に顔を上げ、「おい」
「そう言えば誰だ、うちの瑛己にあだ名をつけた奴」
「あだ名?」
「〝運命の女神に好かれた男〟とかいうやつだ」
お? と瑛己は思った。
それは、『湊』に赴任して以来、劇的と言ってもいいほどに空賊や事件に巻き込まれ続けている瑛己を茶化して、飛が言い出した事であったが。
よもや、「うちのかわいい瑛己によくもふざけたあだ名をつけやがって!」と怒ってくれるのだろうか? 瑛己は少しばかり期待した。
そして、「俺っすけど」と手を上げた飛に。
兵庫はキッと睨むようにして見てから。
「お前、うまいなぁ!」
「……」
「でしょ? 兵庫のおっちゃんもそう思うっしょ!?」
「ああ。瑛己……お前、凄すぎるよ」
「……」
「ホンマに。だってあの時、俺が『黒』の護衛の取り巻き全機ブチ倒したんすよ!? 怒涛の快進撃!! 皆さんにも見せたかったわぁ」
「飛、待て。最後の1機を倒したのは俺だぞ」
「……まぁまぁ小暮さん。硬い事いいっこナシです。それに、そりゃいいんです。問題はその後ですよ! 秀一も取り戻してハッピーエンド! と思いきや、こいつの凄い所はここから!! 何たってあの場面で、無凱を呼び寄せる凄さ!! 通りで『黒』との空戦最中はボヘーっとしとったわけや!! 後に出てくる無凱戦のために余力取っといたんやなぁ」
「……」
「凄いな瑛己! お前やっぱりただ者じゃないな!! 無凱つったら、滅多にウロウロしないのよん? しかも単機で?? あり得ない、それ絶対にあり得ない話。あいつは絶対にいつも回りを【天賦】の取り巻きが固めてる。【天賦】の総統よ? 瑛己……こりゃもう、お前、本気で何かの才能があるとしか思えないよ、おじさん」
「……」
「でしょー? やっぱりそう思うっしょー? しかもこいつ、どうやって追い払ったと思いますー? 自分の機体を突っ込ませてっすよ!!」
「うわぁ……それ無茶苦茶」
「瑛己、ちゃれんじゃぁ」
「……聖、その件だが。『燕蔵』基地から抗議がきた。白河総監が相当文句を言われたぞ。今すぐここで謝れ」
「まぁまぁ磐木、こんな席で。しかも相手は無凱だろう? 仕方ないだろ。むしろ聖君に怪我がなかったのが何よりの」
「いいえ総監! こいつは無茶をしすぎます!! きつく言わねば、そのうち本当に」
「まぁまぁ、だから、その件はまた今度でも」
「聖! ここで謝れ!! 今すぐだ!!」
「……はぁ」
怒鳴りだす磐木を前に、瑛己は深くため息を吐いて、白河に頭を下げる事になった。それを終始ニヤニヤと兵庫が見ていた。
……欠片でもこの人に何かを期待した自分がバカだった。心底そう思った。
「いやぁ、瑛己はいい仲間を持ったねぇー。素敵な上司と、素敵な仲間!! 親代わりとして嬉しいよ!」
「……」
「こんな仲間ができて、本当に『湊』にきてよかったなぁ。皆さん、瑛己の事よろしくお願いします! ふつつかな娘ですが、何卒」
「いえいえこちらこそ」
「……はぁ」
『笹川』にいた時にもいい仲間はいたし、むしろここより平和に過ごせた。
隣でクスクス笑う秀一をひと睨みし、瑛己は麦酒を一気に煽った。
何としてでも次は珈琲にする。そう心に誓った。
◇ ◇ ◇
そんな感じでその夜は更けていった。
客の数が減って落ち着いた頃、海月も本格的に参加し、バイトの男の子、そして最後には海月・母までが宴会に加わった。
どんちゃん騒ぎの末、最終的にお開きになったのは日付が変わる直前だった。
その頃には兵庫は完全に酔いつぶれ、寝入ってしまっていた。
「もう、弱いのに飲みすぎるから……」
呆れ半分で叩き起こそうとしたが、「瑛己君、こいつはこっちで何とかするから」と海月が苦笑した。
「こいつ、空軍時代からこうやって飲みすぎては酔い潰れて……まったく、いい歳して」
「はぁ」
「そこいくとハルは全然つぶれないのよねー。つまんないくらい」
ハルとは、瑛己の父親・晴高の事だ。瑛己は苦笑した。
海月は昔、晴高に憧れていたんだと聞いた事があった。
「……じゃあ、まぁ、お願いします」
「了解」
「おじさん、俺帰るからね!」
最後に耳元で怒鳴ってみたが。
「……ムニャムニャ、海月ぃー、酒ー……」
ダメだこりゃ。
海月とその母にによろしく言って、帰る事にした。
「月がきれいですねー、瑛己さん」
ああ、と返事はしたものの、瑛己は眠い。
それ以上に今ここにいる者で、月を眺める余裕のある者は秀一ただ1人である。
飛は新と小暮に肩を借りて引きづられるようにして歩いているし、磐木も白河に助けを借りている。ジンは煙草に火をつけながらも欠伸をかみ殺している。
「お前、本当に、ザルだな……」
飲んでも飲んでもまったく酔わない人種を一般的に〝ザル〟と言う。
秀一がそうである。
珍しく今日は飲んでるなと思ったが、飲んでも飲んでもケロっとしているのである。
秀一が飲んでいたのは水だったのか? と疑いたくなるほどであった。
「お酒って僕、何が美味しいのかわからないです。苦いだけじゃないですかね」
「……」
酔わなければ行き着く結論は、そういう事になるのかもしれない。
「でも今日は、すっごく楽しかったです」
「……そうだな」
秀一が笑ったので、瑛己も釣られるようにして笑った。
あんな事件があって、今こんなふうに笑ってられる。
宴会の最中にも思ったが……何と不思議な事なんだろう。
「飛も、元気になったみたいだし」
「ん」
あれからすでに数回巡察で空へ上がったが、飛の発作は起こらなかった。
油断はできないだろうが……あの一件で、少し何かが吹っ切れたのかもしれない。
「飛ね、内緒だけど、実家帰った時空軍辞めるとか言い出したんですよ」
「へぇー……辞めてついに空賊になるって?」
「ううん。『天晴』で仕事探すって」
「……」
飛の背中からは、少し距離がある。小声で言う秀一に、瑛己も小声で答えた。
「でも……辞めないって。あの時」
「……そうか」
言葉を濁す秀一の顔が、見えなくても何となくわかる気がした。
「瑛己さん」
「ん?」
「遅くなっちゃったけど……助けてくれて、本当に、ありがとう」
「……」
瑛己は苦笑した。「何を今更」
ポンと、その肩を叩いた。
すると秀一は嬉しそうに顔を上げた。
月に照らされたその顔に、瑛己は苦笑した。
……童顔だ童顔だと思っていたが、ああ、確かにその顔は少女のそれだ。なぜこれまで気づかなかったんだろう?
先入観とは凄いな。そう思い、知らない振りをして目をそらした。
その瞬間。
「オェェェェ」
「ギャー! 飛が吐いた!」
「って、隊長も大丈夫ですか!?」
「……俺も吐きたい」
「よし大丈夫だ! 俺が背中をさすってやるから、どんどん吐け!! 磐木、遠慮はいらんからな」
「総監、どんどんって……そんな」
騒ぎ出した連中に苦笑を浮かべ、2人は顔を見合わせた。
「瑛己さん、あのお月様、何だか笑ってるみたい」
「……秀一、月はいいから飛の背中さすってやれ」
「はいはい。飛ったら、しょーがないなぁーもぉー」
晩秋の、とある夜の事であった。