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 『夢の続き(fate)』


《―――ザ、ザザ……》

 音が、こすれた。

 入れっぱなしていた無線機。

 それが不意に何かを捕らえて。

 人が聞くには難解な音を、飛空艇内に紡ぎだす。

 それはその男の耳にも入った。

 男はその大きな指を伸ばし、無線機を調節する。周波数を探る。

 ミリ単位以下の技である。

 そして彼は最終的にたどり着く。

 その声に。

《た……き》

 ピタリと、男は手を止めた。

 そして。

 ノイズの海の中、彼は一つの名前を聞いた。

《聖ッ、エンゴ、イソゲ!!》

 はっきりしない音声の中。たった1つだけそれは鮮明に。

 ―――まるで男に聞かれる事を望んでいたかのように。

 聖。

 その名が彼の耳に。

 入った。

「―――聖」

 男はその名を持つ者をただ1人知っている。

 何度も何度も翼をまみえ。最終的に。

 あの、地獄の空で別れを遂げた。

 ―――そう思っていた、人物。

 この空にて、ただ1人、彼がその翼を認めた人物。

 その実力。その技。

 ―――【天賦】総統・無凱。その名を持つ者に。

 敗北の屈辱と絶望を味あわせた人物。

 聖 晴高。

「ふはは……」

 男―――無凱は不意に笑い出した。

「聖 晴高……」

 彼の目に浮かぶのは、1つの眼差し。

 『白雀』にて、自分に銃口を向けたあの男。あの目。

 確かめねばならぬ。

「村雨、」無凱は深く唸るようにして、無線に向かって言った。「我は一時、編隊を離脱する」

《総統?》

 無線からは驚愕の声が飛び出る。《どちらへおいでで》

「寄り道だ。合流は568にて」

《―――》

 それ以上何も言わせず、無凱はその翼を翻した。

 銀の獅子が、月に向かって咆哮する。

 乗り手の男はそれに、狂喜の笑みを浮かべた。


  ◇ ◇ ◇


《飛と秀一を回収する。見張りを頼む》

「了解」

 短く答え、瑛己は上昇した。

 小暮の機体は逆になめらかに海に向かって減速し、飛沫を上げて着水する。

 そのまま速度が死ぬまで弧を描き、やがて飛たちがいる辺りで止まった。

 瓦礫に捕まって浮いていた2人が手を振っている。ああ、振っているのは秀一だけか。

 それを確認してから、瑛己は改めてほっと息を吐いた。

 どうにか片がついた。そう思った。

 秀一が連れ去られたと聞いた時は……一体どうなるのかと思っていたが。

 何とかなりそうだ……そう思いながら。瑛己の脳裏もう半分には、安堵とは別の冷たい感情も浮かんでいた。

(……ギリギリだったんだ)

 言葉にして改め、瑛己はゾクリとした。

 瑛己自身、命の危機に瀕した事は何度かあった。

 【海蛇】相手に銃撃をためらったがばかりに、逆にその身を危うくした時。

 〝獅子の海〟で銀色の獅子にその身をさらした時。

 【竜狩り士】の異名を持つ者に撃墜された時。

 まして【無双】によって撃墜された時など―――。

 ……この数ヶ月間だけでも、様々な修羅場に、この空で立ち会った。

 そのたびにからくも死の甘い抱擁から逃れてきた。

 自ら命を絶とうとした事もあった。

 ―――生きて。

 たった一言、それによって救われた事もあった。

 誰かを守っているようで、結局誰かに守られてきた。

 背中をさらしているつもりが、逆に誰かの背中にかばわれてきた。

 もっと強くならなければいけないと思った。

 ……けれどもそんな中で。

 この手で……仲間を撃つなどと。

 仲間の命と世界を天秤にかけ、この手で……そんな局面を共に乗り越えてきた仲間を撃つ……そんな選択を迫られる日がこようとは。

「……」

 確かに以前瑛己は『日嵩』空軍と空戦を交えている。しかしそれとはまたワケが違う。

 あの時もしも秀一があの飛空艇から飛び出さなかったら、本当に小暮は……撃ったのだろうか?

 ためらいもせず?

(世界のため……)

 秀一の、未来を予知する力。

 瑛己にとってそれは、それほど大きな意味を成さない。

 誰にだって、既視感デジャヴはある。それが秀一は少し強いだけ。その感度が人より優れているだけ。瑛己はそれくらいの軽い考えでしか思っていない。

 それが……研究者が求めるような。まして国の行く末を左右するなど。

 小暮は少し考えすぎだ。そう思いたい。

 だが実際に『黒』は動いた。秀一が狙われる理由は他に、瑛己には思い当たらない。

「……」

 小暮は撃ったのか?

 そして自分は最終局面まで至った時。

「……」

 撃ったのか? 撃てたのか?

 撃つのか?

(俺は)

 国と仲間の命、どちらを選択したのか?

「……」

 瑛己は目を細めた。そして改めて思った。

 ギリギリだったのだと。

 ―――灯台からのサーチライトが飛んでくる。

 さっきまでは必死であまり気づかなかったが、しっかりとその光はまっすぐ空を照らしている。

 この暗い空で、まよい子たちを導くために。その道を照らすように。

 まるでそれは、北の1番星のように。

 瑛己はふわりと空へ舞い上がった。そしてふっと灯台を振り返り、空を見渡した瞬間。

 レーダーに、光が点った。

 1つ。

 瑛己は顔を上げた。

 方角は、西。

 その光はまっすぐに、こちらに向かってくる。

 瑛己はそちらを見た。

「……」

 まだ暗くて、前方は見えない。

「小暮さん、」

 無線に向かって、その名を呼んだ時。

 西の空に、何か光る物を見た。

 刹那。背中に悪寒を感じ。瑛己は操縦桿を押し倒した。

 ゴォォオォォ

 そして瑛己のその判断は正解だった。

 西より、空を切り裂き、黒い巨大な鉛玉が。

 瑛己の真上を切り裂き飛んで行く。

 その弾道は深く、重い。

 確実に避けたのに、それによって気流が乱れ、機体が後ろへと押しやられる。

「―――ッ!?」

 何だ!?

 機体が引っ張られる。

 瑛己は歯を食いしばって操縦桿を握り締めた。

 銃撃!? あんな遠くから!? 相手は―――そう思った時。

 再びサーチライトが巡り、瑛己の横をすり抜けて行った。

 その光は西の空をも照らし。

 浮かび上がらせる。

 1つの機体を。

 その、銀色の機体と。

 神話に登場する、翼の生えた獅子の姿を。

 【天賦】の。

「無凱」

 その銃口より光が飛び出す。

 瑛己は慌てて、操縦桿を右へ切る。

 ギアを切り替える。

 スロットルを全開まで押し上げる。




「小暮さんッ!!」

 飛が叫ぶより早く、小暮はその銃撃音で気がついた。

 ハッと見上げたそこにいたのは、巨大な銀の機体。

「飛ッ!! 秀一をッ!!」

 言うなり小暮は持っていた救命用の胴衣を放り出す。

 そしてエンジンを点火。海を再び走り出した。




 ドォォォォ――

 こんな銃撃音を、瑛己は聞いた事がない。

 重い。たまらなく重い。

 その信管は空を切り裂くどころか突き破り、空ごとぶち壊さんがごとくの勢いで放たれた。

 瑛己は歯を食いしばり、何とかそれを避ける。

 だが避けても機体がその弾道に引き寄せられる。

 そのとてつもない引力に、瑛己の額から汗が弾けて飛ぶ。

「―――ッ」

 らしくなく、舌を打った。

 瑛己の集中力はもう、切れていた。

 『天晴』からここまでの道のり、そして秀一奪回による空戦。

 どれもこれもが彼の体に、いつも以上の疲労を重ねさせていた。

 それでも辛うじて保っていたのは、その集中力ゆえに。

 だが『黒』が散り、秀一と飛が海の上で手を振っているその姿を見た時点で。いつもならば基地まで途絶えさせないその集中力が、疲労のために一度切れた。

 一度切れた集中力を取り戻す事は容易ではない。

 瑛己は眉間にしわを寄せる。

 なぜここに無凱が?

 焦りが心を占める。そこに、『白雀』で見たあの巨漢が浮かんだ。

 左目を眼帯で覆い、隆々とした筋肉を帯びた、赤いマントを翻すあの男―――。

 その圧巻と、背後に迫る一回り以上大きい機体が重なる。

 ミラーを見る。不慣れな機体、角度が悪い。

 そこには何も映っていない。

 嫌な予感を感じ、左へ操縦桿を切ると、真正面に銀の獅子が躍り出た。

 ―――撃たれる。

 銃口は光った。鉛玉が飛び出す。

 瑛己は必死に下へと逃げる。

 真上を弾は抜けて行く。

 風に機体の下降が思ったよりも浅くなる。

 右へ、右へ。

 完全に瑛己の後ろは、無凱に支配されている。

 ダダダダ

 その時不意に、横合いから青い機体が瑛己と無凱の間に躍り出た。

 小暮だ。小暮は無凱に撃ちかける。

 だがいくら撃たれても獅子は平気な顔で、瑛己を追い立てる。

 KYIー1……通称・『ナノ装甲』。

 無凱は撃つ。

 瑛己はそれを目一杯で避ける。

 小暮が無凱に撃ちかける。

 だが無凱は小暮の存在など目に入っていないかのように。

 ただ1人、瑛己だけを追いかける。

 どれほど操縦桿を切り返しても、無凱を振り切れない。

 無凱の飛行は、執拗。

 根競べで瑛己が焦れ始めている。

「―――ッ」

 ドドォォォオォォォ―――

 右へ避ける。またギリギリで何とかかわす。

 だがここに至りようやく、瑛己は気づく。

(わざと外されている)

 自分が避ける事ができるギリギリのタイミング。無凱の重い弾丸が引っかからない瞬間を選んで彼は撃っている。

「―――」

 頭を冷やせと、自分を叱咤する。

(狙いは何だ)

 考えをめぐらせようとするが、操縦に手一杯でとてもその思考はもう一歩奥へと踏み込んでいけない。

 限界が近い。瑛己は思った。

(こうなればもう)

 イチかバチか。

 背中に意識を集中する。パラシュートは背負っている。

 瑛己の瞳に、光が宿った。




(聖 晴高)

 無凱の脳裏に浮かぶのはその男。その精悍な瞳。

「……」

 無凱はその瞳を細め見た。

 目の前を飛ぶ青い鳥。

 その正体を見極めるため。

 獅子は咆哮する。天に向かって。




 そして。

 瑛己はスロットルを跳ね上げた。




 小暮も気づいた。

 その瞬間、瑛己の飛行が変わった。

 つい少し前までは、明らかに疲労の色が出ていた。

 だが。

「―――」

 変わった。

 スピードが上がる。

 それは機体が持てる実力以上の速度。

(風に乗っている)

 空を渡る風のごとく。

 まるでその飛行は、風の動きが見えているよう。

 人が造りし空翔る馬、飛空艇。

 それは言い換えれば空においては異物。元来あるべきものではない。

 鳥は風を利用し翔る。それは自然の中で空にあるべきものとして。

 だが飛空艇は違う。人が無理矢理押し上げている物。

 最終的な所では、空と相容れる事はない。

 ―――だが今の瑛己の飛行は違う。

 その翼、すべらかに。

 風を読み、空気を渡り。

 鳥のごとく。

 まるでその姿は、空の女神に。

(愛されている)

 小暮は目を見開いた。

 こんな飛行、彼は、見た事がない。

 何一つ反発する事なく。

 その飛行は、翼の呪縛を越えた。

 自由である。




 何だろう。操縦が楽だ。

 瑛己はただそう思った。

 さっきまで感じていた色々な抵抗、色々な風圧が、ふっと緩んだ。

 胸に占めていた焦りも迷いも何もかも。

 ふっと空に消えて行った。そんな気がした。

 瑛己は少し笑った。

 そして。

「行くぞ」

 操縦桿を右へ押し倒す。

 スロットルを緩める。それでもスピードは充分出ている。

 無凱の足はそれほど速くはない。

 右からそのまま操縦桿を手前に引く。

 パンと、空中に押し出される感じがする。

 そこから宙返り。

 無凱の頭上に出る。

 銀の獅子は左へと逃げる。

 だが瑛己は機体をひねってその後ろにつく。




「取った」

 飛は叫んだ。

 初めて瑛己が無凱の後ろを取った。

「行けぇ―――ッッ!!」

 叫ぶその隣で、秀一も瑛己の名を呼ぶ。




 ドドドドドド

 撃ってもはじかれる。わかっている。

 弾丸は無視して、無凱の後ろに迫る。

 スロットル全開である。

 しかしもっともっとスピードが欲しい。

 アクセルを、ギュッと力いっぱいに踏み込む。

 その真横に迫らんが勢いで。

 次に無凱が動くのは―――どっちだ?

 瑛己は目を見開いた。

「左か」

 瞬間、無凱が左下へと操縦桿を切った。

 それを瑛己はもう呼んでいる。

 自身も左へ。

 スピードは全開。

 もっと早く―――ッ

 風が後を押した。

 最後に瑛己は、ギアを最終段階へと切り上げた。

 途端軽くなった機体は、さらにスピードを呼び。

 風をまとい。唸りを上げ。

 曲がった無凱のその中央に、

 機体ごと。

 ―――瑛己は機体から飛び出した。

 突っ込んで行く。




 無凱はそれを目の端に捉えた。

 青の機体がそのまま弾丸となり、銀の獅子に突っ込んでくる。

「何と」

 それを上へと逃げる。だが遅い。

 青の機体はあっという間に銀の獅子のどてっ腹へ。

 まるで獲物を狙い口を開いた竜のごとく。

 突っ込んだ。




 ―――!!!!!

 物凄い爆音が響いた。

 瑛己の背負ったパラシュートも巻き込まれそうになったが、ギリギリ、海へと落ちた。

 もがくように海上に顔を上げる。空を見上げる。

 夜空が炎によって、赤く染まっていた。

 夜の闇よりは薄い、灰色の煙が立ち込める。

 その中を、祈るように見つめていた瑛己であったが。

 キラリ、何かが瞬いた。

 そして。その灰色の煙の中から。

 銀の獅子が躍り出た。

《やはり無理か》

 普通の弾丸で傷がつかないのなら、機体ごと弾の代わりにしてしまえばと思ったが。

 それでも無凱の機体は無傷―――かと思ったが、そうではない。

「!」

 何かが舞散る。

 あ、と思って見ると、その装甲の一端が砕けていた。

 銀の獅子の絵、その翼の部分が。

 なくなっていた。




「ふはははははは!!!!」

 天に木霊するごとく、無凱は笑った。

「上々。愉快なり!!」

 眼下を見下ろす。黒い海にポツンと浮かぶパラシュート。あそこにいるのであろう。

「蘇ったか、聖 晴高!!!!」

 地獄より舞い戻ったか、聖 晴高!!

 何たる愉快か、何たる喜びか。

 無凱は笑い続けた。

 あんな飛行ができる者は、この世にあの男しかいない。

「この世でまた、そなたと翼を交える事ができようとは」

 これぞ無凱の。最大の。

 ―――夢の続き。




 神など信じぬ。

 神など頼らぬ。

 されど。

 今宵だけは感謝しよう。

 また我の前にかの翼を与えてくれた事。

 これで我はまた。

 退屈せずにすむ。

 





 ―――海の中で。

 瑛己は、無凱が去って行くのをじっと見ていた。

 やがて完全に見えなくなって初めて、瑛己は海の冷たさに気がついた。

 ゴクリと息を呑み、生きている事を実感する。

 そして瑛己は思った。

 ……診療所で待っていればよかったと。

 そして思った。眠りたいと。

 疲れた。ベットにひっくり返って眠りたいと。

 ひたすら思い続けた。

 ―――小暮に救助され、陸に上がり、そのまま寝入ってしまうまでの間。ずっと。



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