『奪回作戦(dakkaisakusen)』-4-
『砲撃すれば自爆する』
小型旅客機からその信号が示されたのは、護衛の5機を撃墜して間もなくの事であった。
問題はここからなのである。
小暮はいつものクセで、ゴーグルを眼鏡のように持ち上げた。
いささか強引ではあったが、ハッタリは的中した。秀一が乗っているという事は掴めた。
だが問題はここからどうやって秀一を救い出すか。護衛をどれだけ倒してもそれは意味のない事なのだ。
先ほどからグルリと最後の1機の周りを旋回しているが、飛び移れそうな場所もない。
(どうしたものか)
このままでは、空母にたどり着いてしまう。
『蒼』と『黒』の取り決めで、空母の両国間の侵入は陸地から20キロ外と決められている。
だが今回はその空母が15キロまで入っている点も問題になっている。
前方暗い中に、灯台が見えた。海だ。
海に出たらもう、間がない。下手をすれば空母本体が来てもおかしくない。
(どうする)
頭をフル回転させる。
(とにかく)
秀一を『黒』に渡すわけにはいかない。
未来を予知する力―――そんなものを手に入れたらあの国は。いや、〝この国〟は。
「……」
小暮はスッと目を細めた。
―――彼には1つ、考えがあった。診療所を出てからずっと考えてる、一つの策。
(もしもここに磐木隊長がいたら)
どうするだろうか? そう思って自嘲気味に笑った。
ぶっ飛ばされるか? いやしかし。
―――それが国家のためと言うのなら。
「……」
小暮は一度深く深く瞬きをし、そして無線スイッチを押した。
「聖、飛、聞こえるか」
ジャックされても構わない。
《聖、飛、聞こえるか》
無線から聞こえたその声に、飛は怒鳴るようにして返事をした。
そして、
「小暮さん!! どないしますか!!」
その瞳の色はまだ変わらない。
操縦桿を握りしめる右の手に、少し血がにじんでいる。
《これより我々は、最後の1機を撃墜する》
「 」
一瞬。
飛には、意味が理解できなかった。
瑛己の返事もない。
それを予想していたのか、間髪入れずに小暮はもう一度言った。
《繰り返す。最後の1機を撃墜する》
同じ事を2度言うのは嫌いだと言っていた男が。
淡々とした口調で繰り返す。
「な……何を」
言ってんスか。
最後の1機を撃墜って……撃墜って……。
「秀は……どうす……」
震えるように言いかけた飛に。
《飛》
小暮は声色を変えず言った。
《やるしかない》
やるって、何を。
《『黒』の狙いは秀一の〝力〟だ》
未来を予知できる力?
《解明して、それを軍事目的に利用する気だろう》
それは、
《そんな事されたら、『蒼国』は終わりだ》
「 」
《『黒』の兵士がその力を持って向かってきたら、》
「 」
《どれだけの人間が死ぬと思う?》
「―――ッ」
《そんな事だけは絶対に、阻止しなければならない》
だから。
《もう俺たちに残された道はただ一つ。このまま秀一ごと、あれを撃ち墜とす》
《小暮さんッ》
無線。珍しく声を荒げた瑛己の声がけたたましく鳴る。
《国際問題になります!》
《手をこまねいていたら全部持って行かれる》
《しかしッ!!》
瑛己がここまで声を張るのは珍しい。
しかし飛の耳には届かない。
『黒』に秀一を奪われ。
その力を解明され。
軍事目的として利用されるなら。
今ここですべてを―――?
秀一ごと。
なかった事に。
「……んな、アホな」
ハハハと飛は笑った。乾いた笑いだった。
「秀の親父に、無事に連れて帰るって約束したんですわ、小暮さん……」
《飛、これは国家存続の問題になりかねん》
「んな、馬鹿な」
ハハハ。
「小暮さん、考えすぎですって」
《どうしてそう言える》
「秀一の力を使って戦争に……? ハハ、そんな、アホな……」
《飛。覚悟を決めろ》
「そんな……ほんな」
ハハハと笑いながら。
飛の目を。
涙が伝った。
「冗談言わんといてくださいよ……」
『黒』が何をしようとしているかなんか知らない。
実験? なんじゃそりゃ。
未来を予知する力があるから秀一はさらわれた?
―――そんな事。
「秀一は、秀一や」
そんなものがあるから、今まで付き合ってきたわけじゃない。
そんなものがあるから、今まで守ってきたわけじゃない。
突然そんな事言われて、国家だとか、戦争だとか。
そんなもんのために。
その存在をなかった事になど。
「できるわけが、あらへん……」
《『黒』に連れて行かれたらどの道あいつは、実験台として拷問を受けるぞ》
「―――ッ」
《その前に楽にしてやるのも》
「…………………ド」
《飛》
「ドチクショッ………ッ」
秀一、秀一、秀一ッ
飛は心の中で何度もその名を呼んだ。
神様、どうか。今心をつなげて。
どうか今。今だけでいいから。後は奇跡も超常もいらんから。
秀一、秀一ッ―――秀子ッ
答えてくれ。
―――逃げてくれッ
「秀子――――――ッ!!!」
――――――ヒデコ
「―――」
彼女の目が、覚めた。
これ以上なく開かれた目が見た最初の光景は、白い天井。
そして、驚愕した白衣の男たち。
「く、」
その中の一人が、
「薬が切れたぞッ!! 早く持ってこいッ!!」
「予定より早いぞ」
「抑えろ!!」
いや全員が。飛び掛ってくる。
反射的だった。秀一は寝台から転がって逃げた。
ガシャンと何かの器具をぶちまける。「あ」
「ご、ごめんなさ……」
「捕まえろ!!」
そのあまりの形相に、秀一はゾッとする。体が勝手に逃げる。
まだ頭は回らない。
足元がフワフワする。
けれども自分の中の何かが言っている。
逃げろと。
飛び掛ってきた一人を背負い投げする。
すると刹那足を取られるが、相手の足を掴んで床に叩きつける。
自分も転がりながら、咄嗟、落ちていた箱のような器具を手に取り。最後の一人に投げつけた。
「ハァ、ハァ、ハァ」
何とか。
その場にいた者は全員静かになった。
「ヤバイな……柔道やっててよかった」
学生時代、他の男に負けるのはシャクと思ってこれだけは打ち込んでいた。それがこんな所で生かされるとは。
「ここは……」
気絶している3人の白衣が目を覚ます前に、逃げなければ。
そう思って窓辺から外を見ると。
「うわ」
空の上だった。
しかも夜。
「……うーん……」
逃げ場がない。
秀一は頭を抱えた。
何でこんな所に……記憶が混濁する。何か薬を打たれたみたいで、まだ頭の片隅が麻痺しているような感触がする。
(僕は、僕は……そうだ、『天晴』……休暇……飛と)
―――逃げろッ……!!
「飛」
そうだ、飛。
飛がボロボロに。僕をかばってボロボロに……。
―――俺、空軍辞めようかと思う
―――飛べんくなったら俺に、何が残るっちゅーんや……
「また、僕のせいで……」
あの時感じた痛みが、また心に蘇る。
飛べなくなった自分には何も残らないと言った飛。
空軍を辞めると言い出した飛。
心に傷を負った飛。
それは……きっと自分のせい。
(僕が弱くて)
あの時【無双】襲撃のあの谷で。さっさと撃たれて。
あんな状態になったから。
そして今また。
今頃飛はどうしているんだろう?
(無事でいて)
飛が無事なら。
僕の命など―――。
そう思ったその瞬間。目の端にキラリと光る物が見えた。秀一は再び、窓の外を見やる。
「あ」
飛空艇がいる。
色は……あれは多分、青色。ガラスに室内の景色が映って、それが邪魔してよく見えない。
もっとよく見ようと、別の窓に顔をこすり付ける。
青色だ。間違いない。
この機体の周りを飛び交っているみたいだ。
あれは敵? 味方?
「何かあったのか!?」
ドンドンドンと部屋が叩かれ、秀一はハッとした。
まずい、騒ぎが外に漏れている。
どうしよう……白衣の3人はまだ気を失っている。
秀一は迷った。
その時ふと秀一は倒れている男の白衣についたそれに気がついた。
襟元に光るのは……金色の蝶。
それが成す意味、秀一にもすぐにわかった。
金色の蝶を証とする組織は世界で唯一つしかない。
―――『黒国』。
『蒼国』の国旗に描かれるのが竜ならば、『黒国』の国旗に描かれるのは蝶。
(これは、『黒』の艇……?)
そう思って見渡すと、壁にも同じような模様のタペストリーが飾られていた。
戸を叩く音は一層増す。
秀一は息を呑む。
そして。
その瞳が光った。
秀一は心で、一つの決断を下した。
「逃げなきゃ」
ここにいては、いけない。
ドンドンドンドンッ!!
「様子がおかしいぞ!! 扉を破れッ!!」
「ハッ」
秀一はさっき自分がぶちまけた機材の中から、小さいナイフのような物を見つけて拾い上げた。
そしてそれを持ち、扉の真横にある本棚の影へと身を潜ませる。
ドンッドンットドンッドンッッ
扉に亀裂が入った。もうじき破れる。
破れる―――ッ!!
バキャッという嫌な音と共に。
砕かれた扉を押しのけ、踏み潰し、人がなだれ込んでくる。
軍服だ。
あの黒服はいない。
「博士どもが倒られているぞ!!」
「いない!! あの男がいないッ!!!」
そんな言葉を悠長に、聞いてはいない。
秀一はサッと飛び出した。
「いたぞ―――ッ!!!!!」
(見つかったッ!!)
狭い通路、ひたすら走る。
どこへ続いているのかもわからない。
前方から人がくる。慌てて横手の階段に身を滑り込ませる。
ダダダと階段を上る。
「脱走だ!!」
上から軍服が飛び掛ってくる。
それを何とか避ける。駄目押しに背中を蹴飛ばすと、男は背後へ転がって行った。
「生きて取り押さえろッ!!」
階段を出るとまた通路。さっき以上に狭い。
前方に逃げようとするが、そちらから軍人が。
後方に転じようとするが、そちらからも軍人が。
階段からも押し寄せている。
「ハァ、ハァ……」
秀一は、持っていたナイフを突き出した。
(手詰まり)
「どうした、終いか」
その時。前方にいた軍人たちがサッと左右に分かれ。
1人の女性が姿を現した。
全身黒。長い上着を後ろに棚引かせ。高いピンヒールを鳴らし、こちらへ向かって歩いてくる。
髪も漆黒。縦にロール状にしたそれが、彼女の歩調に合わせて揺れている。
その顔は、まるで幼子のようだ。
―――だが目が違う。
あれはしいて言うならば、支配者の目。
秀一は身構えた。
「ようもここまで、そんな玩具1つで逃げきたわ」
「……あなたは誰ですか」
「クク」
女はおかしそうに笑って、唇の端を吊り上げた。
「我が名を問うか。下民の分際で」
「……」
「まぁいい。ここまでよう立ち回ったわ。愉快愉快」
「……」
「我が名は現夢。『黒国』鬼灯花騎士団総隊長・現夢じゃ」
「……」
「相楽 秀一だったな。もう逃げ場はない。大人しくいたせ」
「……僕を、どうするつもりですか」
頬を汗が伝った。
―――緊張を解いた瞬間に終わる。
「そなたには我が国にて、働いてもらう」
「―――ッ!」
「そなた、未来を予見する事ができるのであろう?」
「……」
「その秘密を解明したいと、うちの研究所の連中がの」
「……何の、ために」
「世界平和のためだ」
そう言っておきながらウツツメは、自分でも見え透いていると思ったのか、悪戯っぽく笑った。
「兎に角も」
その笑いを打ち消すように、ウツツメは語気を強めた。
「大人しくせぬと、痛い目を見るぞ」
「……」
「向こうの研究所には〝生きて〟届ければよい。〝生きて〟さえおれば、後はどのようでも」
手足が多少、もげていても。
ウツツメの目が、狂喜に光る。その手が腰元の剣に伸びる。
それを見て、秀一は咄嗟に持っていたナイフを、自分の喉下に突きつけた。
「〝生きて〟欲しいのならば」
ウツツメの目に負けない。
その狂気に負けない。
強く強く、放て。
ここに存在。
ここに全神経。
魂を。今燃やせ。
―――烈火のごとく。
「あなたこそ、動くな」
「……ほう」
「本気です」
確かに。秀一の持つナイフは見事に頚動脈を中心に得ている。
ウツツメはニヤリと笑った。
「これは愉快」
されど。
「それで、次の一手をどう打つ?」
「……」
ジリ。足場を確かめるように、少し右にずらした刹那。
ブンッと音がして、目の前にある窓の向こうに青い飛空艇が横切った。
それによって機体が揺すられる。
だがそれに取り乱す者はいない。
秀一も視線をウツツメから外さない。
……けれど。
「ハッチを」
「―――」
「緊急避難用のハッチを、開けてください」
《決めろ、飛》
クソ、クソ……ッ!
墜らなきゃならんのか―――!?
ギュッと瞼を握り締めたその時。
《小暮さん! 機体側面!》
瑛己の叫びが耳に入った。
《秀一だ!!》
《何だと!?》
飛は顔を上げた。
「瑛己ッッ!!!」
《飛、左前方側面!!》
ブンッと回り込む。
「あ」
機体側面が開いている。
脱出用ハッチか? しかし問題はそこに背を向け立っている者。
なびくほどの髪はない。パーカーに短パン。背中だけ見たらそれは少年。
だがそれは。
「秀」
窓越しに見やれば、軍人に囲まれているのがわかった。
「秀――――ッッッ!!!!」
《聖ッ!!! 援護急げ!!》
《了解ッ!!》
「……飛ぶ寸前で捉えます」
「任せた」
いつの間にか傍にきていたウツツメの側近ゼイが、彼女の耳元に小声で囁いた。
ウツツメはニヤリと笑った。
「飛ぶか、青き小鳥」
「……」
「その身に生えた翼は、いずこまで飛べる?」
ククと笑うウツツメに対し。
秀一は初めて、笑った。
「望む限り、どこまででも」
強い笑みだった。
その笑みに、ウツツメでさえ見とれた。
その刹那。秀一が動いた。
「ゼイッ!!!」
言うより早く、男は動いている。
だがさらに早く。
ドドドドド
聖 瑛己がそこに撃ちかけた。
何人かがその銃撃に血を吹く。ゼイの肩をも掠める。
「ウツツメ様ッ!」
そのままゼイはウツツメをかばった。
そして秀一は。
飛んだ。
「アホんだら―――ッッ!!!」
同時に飛も、機体から飛び出した。
飛。
落ちて行く中で秀一はその名を呼んだ。
―――例え今ここで死んでも。
行くから。必ず。
飛の所へ必ず。
笑った。
笑って。
目を閉じた。
「ドアホ――――ッッッ!!!!!!!!!!!」
まず声が、その心を掴んだ。
そして次に腕。
秀一は目を開けた。
「飛」
その目一杯に飛び込んできたのは、幼馴染の男の顔。
明るく染めた髪と、小さな目。
目一杯まで開かれたそれが、逝こうとする秀一の瞳と、心を、完全に掴み取った。
飛はそのまま秀一の体を引き寄せ抱きしめた。
「馬鹿野郎!!」
その言葉と同時に、その背中から翼が飛び出すように、パラシュートが天に広がった。
「あ……」
秀一の頭は、飛の胸に押し付けられた。
「飛」
「阿呆、ド阿呆ッ!!」
「……」
飛だ。
飛がいる。
呆然と秀一は思った。
「何で……?」
ここにいるの?
「あ、飛、怪我」
「―――」
「大丈夫だったの!? 怪我ッ、あの男たちに」
「何でもあらへん!! そんなもん」
「……」
助けに。
(きてくれたんだ)
僕の事。
飛が。
あんなにボコボコにされて。
あんなに、あんなに……。
なのに。
―――俺がお前を守ったる。
「あ」
蘇るのはあの日の映像。
『湊』に赴任したその時、飛が言ってくれた言葉。
(僕はあの時)
嬉しかったんだ。
たまらなく。
嬉しかったんだ。
そしてあの時僕は誓ったんだ。
「飛」
自分を抱きしめる飛を。秀一もその身を抱くように、その背中を掴んだ。
「空軍を辞めるなんて、言わないで」
「……え?」
「飛、お願いだから。空軍を辞めるなんて、言わないで……」
「……」
「僕の夢は。飛に……お前、凄い飛空艇乗りになったなって。お前強いなって、飛に認められる事だから」
「……」
「辞めないで、飛」
初めて、秀一は泣き出した。
その様子に、飛は驚き、そして苦笑した。
たった今まで捕まってたのに。たった今、死にそうになったのに。
なのに今、言う事がそれか。
それを今言うのか。
「……阿呆」
飛はポリポリと頬を掻き、その頭を抱いた。「……辞めんに決まってるやろ」
「お前を置いて、辞められるか阿呆」
「飛……」
「お前はもう充分、いっちょ前の飛空艇乗りだ」
「砲撃!!! 全弾打ち込めッッ!!!!」
ウツツメが怒鳴る。
しかしそんな彼女をゼイが抱えて走り出す。
「離せ馬鹿者ッ!!!」
「脱出します」
「何だとッ!!??」
言うが早いか。
ドドドドドド
小暮である。
あちこちで爆発が起こり始める。
そこにさらに撃ちかける。手は休めない。
(墜とす)
真っ向、その意志。
それがゼイにはわかった。
「脱出機、起動は!?」
「出ます!」
「総員退避急げ!」
小柄なウツツメを抱えたまま、ゼイは指示を出して行く。
「離せ、指示は私が出すッ!!」
「大佐を優先させる!! エンジン点火ッ!!」
もがくウツツメを無視し、先にエンジンを点火させた機体に飛び乗る。その間にも爆発が起きる。
―――機体のエンジンに火が移るのと、ウツツメを乗せた小型機が飛び出すのは同時だった。
爆破の光が夜の闇の中、眩く花開いた。
そして機体は轟音と共に海へと墜ちて行った。
海の中で炎を上げる『黒』の機体と。
遥か遠方へと消えて行った小型機。追いかけてももう無理だろう。
その2つを見た上で、ようやく瑛己は息を吐いた。
やれやれ、終わったと。
そして、海に不時着した飛と秀一を目の端に捕らえ、安堵の苦笑を深く深く浮かべたのであった。