『奪回作戦(dakkaisakusen)』-1-
「……はい、はい……わかりました。はい……」
ふっと短く息を吐き、受話器を戻す。
診療所の受付にあった公衆電話。
ピーピー言って飛び出したカードを取り、瑛己はゆっくりと瞬きをした。
そしてそれを手に、病室に戻る。
廊下は窓から差し込む夕の光で紅に染まっている。
ノックをせず、薄い白塗りの戸を開けると。
飛が上着を着替えている所だった。
「……」
包帯グルグル巻きにされた上半身。それを見て、瑛己は無表情のまま訊いた。
「何してる」
「見やわかるやろ。着替えとるんや」
「着替えてどうする」
「決まっとるやないか! 秀一を助けに行くんや!!」
声を荒げる飛を、瑛己は冷静に見つめ。
「どこへ?」
「……ッ」
「今基地に連絡してきた。磐木隊長が至急こちらにきてくれるそうだ」
「そんなもん、待ってられるか!!」
「……」
わかってる。瑛己には飛の気持ちが痛いほど。
けれども瑛己は、飛に「座れ」と命じた。そして、
「その前に、聞きたい事がある」
「……」
飛は瑛己を睨むように見据え、やがて目をそらした。
「秀一は、女か?」
「……」
突っ立ったまま、飛は答えなかった。瑛己はそれを、肯定ととった。
そうか……と呟き、初めて、瑛己は額に手を当てた。そしてその眉間に深いしわを寄せた。
◇ ◇ ◇
『相楽診療所』。
気絶した飛を、町の人の助けを借りて運んだのが、そこだった。
ここが秀一の実家であるというのは、後になってわかった事だった。その時はそれどころではなかった。
幸い、飛の意識はすぐに戻ったが。
代わりに事態を聞いた秀一の両親、とりわけ母親が、今度は気を失って倒れた。
―――秀一が、何者かによって拉致された。
飛の話では、黒のスーツにサングラスの集団。5、6人はいたという。
身体的な特徴は、一様に長身。短髪。それ以外はわからない。
だが瑛己は思う。飛をここまで痛めつけた所を見ると、素人ではないだろう。
瑛己の中で飛は、体術に多少心得があると思っている。ケンカ戦法の荒い動きではあるが、並みの人間ならばこれほど簡単に遅れを取る事はないだろう。
ならば相手はその上を行く。いくら右手を負傷しているとはいってもだ。
瑛己は腕を組んだ。
一体誰が秀一をさらったのか。確かに秀一は以前にも軍の研究所関連から呼び出しを受けている。
未来を見る事ができるというその力を狙われての事だ。
―――だがそれよりも何よりも。
瑛己は聞いておきたい。今ここで。
相楽 秀子(sagara_hideko)。時計に刻まれたその名前。
瑛己たちがつけているこれはドッグタグ。空軍において身分証明となる物だ。戦地で死んだ時の遺体確認のためにも使われる。
そこを偽る事はできない。
ならば。
「……」
瑛己はじっと飛を見た。飛も瑛己をじっと、睨むようにして見つめた。
睨み合いにも近いような視線が交差した。空気がピンと張り詰める。時が止まったような一瞬であった。
その沈黙を先に破ったのは、飛の方だった。
「秀一の本名は、相楽 秀子……そうや。女や」
苦しそうに息を吸い、絞り出すようにしてそう言った。
「〝秀一〟っちゅーのは……俺が昔あいつにつけたあだ名や。あいつが昔苛められとったって話はしたやろ? 町から越してきた事、医者の一人娘っていうやっかみ。あいつ泣き虫で、いつもオドオドしてて。その上未来が予知できるっていう極悪なオマケ付」
ハハと乾いた笑いを浮かべた。だが瑛己は笑わなかった。
ただ、苦しそうに語る飛を、眉間にしわを寄せながらそれでもなぜか無理に笑おうとする飛を。黙ってじっと見つめていた。
「せやから俺は、あいつの事を〝秀一〟って呼ぶようにしたんや……俺はこの辺の仲間内じゃぁ、ちったぁ名が通ってたもんやから。俺の弟分や、手ぇ出すなってタンカ切って、俺はあいつの事をそう呼ぶようにしたんや。おかげであいつを苛める奴はいなくなった」
「……」
「それをあいつは使ってる……航空学校時代からや。あいつは1個下やったけど、男として、俺らと同じ訓練を受けてきた。……せやな、今思えば、相当きつかったやろうな」
相当? 瑛己は眉間のしわを一層深くした。それは計り知れた物じゃない。男と偽るために女の身で、男と同じだけの訓練を受けるなど。
瑛己とて、航空学校の訓練を思い出せばゲッソリする。航空力学等の机の上での勉強だけでは空まで上がれない。まして、飛空艇を操るというのは相当の体力も必要になってくる。
「……」
ある程度、上は認識していたのだろう。それが証拠に、時計は本名で刻まれている。
黙認という形で、潰れたらそれまで。その程度だったのではなかろうか?
「あいつは何一つ弱音吐かず航空学校を卒業して……俺が赴任した『湊』にやってきたんや。志願したら通ったって、こっちきた時そりゃめっちゃ嬉しそうに笑ってたな」
瑛己はふと思い出す。自分が時計を受け取ったのは、総監の手からだ。それは最初の赴任先である『笹川』基地でも同じだった。
ともすれば、―――白河は知っていたのだろう。
秀一が、女だという事。
瑛己の脳裏に、苦笑を浮かべた白河の顔が浮かんだ。そして、その胸中を改め思った。瑛己はため息を吐きたい気持ちになった。
「磐木隊長は?」
「さぁ……聞いた事あらへんから」
「……」
さっき電話した様子では、その判別はつかない。
(だが……)
磐木が知っていようと知っていまいと、今この状況は変わるわけではない。
いよいよ瑛己は大きく息を吐いた。
(さて)
これからどうした物か。
「とにかく俺は行く」
そう言って飛は一歩を踏み出した。
「だから、どこへ」
「わからん!」
「……馬鹿」
「何やと!?」
今は磐木隊長を待つしかない。
……だが瑛己とて考える。本当にそれでいいのか?
磐木がどんなに急いでも……ここまでには距離がある。到着には日付が変わるだろう。
さりとて、走り出した所でどこへ行けばいいというのか。
連れ去った人物の特定さえできていない現状で。
「……お前、その怪我で、どうするつもりだ」
瑛己は飛を見た。珍しく目尻に苛立ちが出ていた。
急所は外されていた。飛が無意識に避けたのか、相手が外したのか。判別はつかない。
けれど立っているのもやっとのはずだ。
「……」
飛は顔を歪めると、力任せに壁を殴った。
「クソッたれッッ!!!」
ここは病院だ。暴れるな。静かにしろ。そんな言葉が瑛己の脳裏を過ぎり、しかし唇からつむがれる事はなかった。瑛己自身も壁を殴りたい衝動を抑えている現状であった。
そんな折。不意に部屋の扉が開いた。
「あ」
飛がその人物を見て、ハッと目を見開いた。瑛己も振り返る。
そこにいたのはこの診療所の医師……秀一の父だった。
「秀の親父さん……」
途端飛の顔から毒気が消え、一気に顔面蒼白になった。
相楽医師は厳しい顔付きで飛を睨むように見、そして瑛己に目を向けた。
「……」
ああ、似てる。確かに秀一の父親だ。鼻から口元への筋が似てる。ただしいつもニコニコしている印象の秀とは違い、今は苦悶の表情であるが。
「聖君、だったか」
「はい」
「彼を運んでくれて、悪かった」
「……いえ」
「親父さん」
突然飛が、ガバリと膝をついた。「すいません!!!」
「秀を……秀子を、守れんで……すいませんッ……」
「……」
瑛己は飛のその姿にギョッとしたが、やがてその目は哀しく揺れた。「飛……」
「飛君」
「すいませんッ……」
「顔を、上げなさい」
ピシャリとした口調で言われたが、飛は顔を上げなかった。
「あの子が君と共に空軍へ行くと言い出した時、」相楽医師はそんな飛の様を見ながら、抑揚少なく言い始めた。「私は反対した。妻もだ。知ってるはずだ」
「……はい」
「秀子には、私たちの意志を継いで医療の道を志して欲しかった。そのつもりでいた。だから突然そんな事言い出した時は驚いたよ」
「……」
「空軍へ行った君を追いかける。……そんな事のために、女の身分で軍隊なんて……そこまで体の強い子じゃないのに……」
すいません、すいません……小さく呟く飛の声が切なかった。
「長かった髪をバッサリ切って……持つはずがない、あいつに軍隊なんて勤まるはずがない……そう思い続けてきた」
「……」
「飛君」
「……すいません……」
そして。
相楽医師はそれきり、黙りこくった。
瑛己は相楽医師を見た。そして言葉を失った。
険しい顔のまま、医師は……秀一の父親は。涙を流していた。
「私は、」詰まった声に、飛の肩が揺れた。だけど彼はそのまま顔を上げなかった。
「それでも……君に、……感謝を、していた」
「……」
声を震わせながら言う相楽医師に。
初めて飛は顔を上げた。「親父さん……」
「君はあの子に、希望をくれた」
「……」
「あの子は強くなった……小さい頃あれだけひ弱で、すぐ泣く子だったのに……いつも私たちの後ろに隠れているような子だったのに」
「……親父さん」
「君のおかげであの子は変わった」
「……」
そこまで。相楽医師の言葉はもう、続かなかった。
代わりに泣き崩れるその肩を、瑛己は抱いた。「先生……」
大の男が泣いている。
恐らく、卒倒した妻には見せないようにしてきたのだろう。
瑛己はたまらなくなった。瑛己の目からも涙がこぼれた。
飛はいわんや。
そして。
床に屈して泣く3人の元にその男が現れたのは。それからわずか数分の後。
「先生、お客様が」
看護婦の声に3人が病室の戸口を振り返った。その先にいたのは。
「……!」
『湊』第327飛空隊・『七ツ』所属。
小暮 崇之。その人だった。
◇ ◇ ◇
「こ、小暮さんっ……!?」
飛の素っ頓狂な声が空っぽの病室に木霊した。
「遅れた、すまん」
無機質に言うと、小暮は前髪を掻き上げた。その額には汗がにじんでいる。
瑛己も、突然のこの男の登場に唖然としていた。
「あ、あなたは……?」
「ああ、申し遅れました。すいません。私、相楽君と同じ隊所属の小暮と申します」
「小暮さん……?」
「磐木隊長から連絡を受けてきました」
磐木隊長からの連絡? しかし瑛己が彼に連絡したのはついさっき。
「遅れてすまん」
いやむしろ早すぎるだろう。と飛は思ったが、唖然としすぎて彼にしては珍しく言う機会を逃した。
「それで状況は」
「……」
「聖。状況を説明しろ」
「……は、はい……」
瑛己は頬を掻き一度飛を見て彼と視線を合わせてから、小暮にこれまでの経緯を説明した。
ただその際、秀一の性別の事には触れなかった。それは別の話である。今ここで不用意に触れる必要はないと瑛己は判断した。
瑛己がそこに触れなかった事に、飛は内心ほっとした。
「そうか……」経緯を聞いた小暮の第一声はそれだった。
「黒い男たち、か」
「心当たりが?」
小暮が隊で随一の博識である事は瑛己もよく知っている。
「あいつら……強かったっす」
苦い物を噛み潰したように飛が吐いた。
小暮は持っていた黒いバックをその辺に置くと、額に手を当てた。「秀一を狙う心当たりはいくつかある」
「まず第一に、軍の研究機関の連中だ。以前からあいつの予知の力に目を付けた奴らが、引渡しを要請してきている……特にひどかったのがあの時だ。3ヶ月前の秀一が事故で倒れた時。今後の研究のために一度施設にきて、身体の調査をさせて欲しいと。不躾な連中だ。白河総監が断固跳ね除けた。予知と言っても完全じゃないし、突発的な物だ。当たる当たらんは天気予報よりも低いと言ってな。完全100%でいつも未来を予知できるようなわけじゃない。実際100%ではないだろう?」
「……はい」
「噂はでまかせ。神社のおみくじ以下、靴を投げて明日の運勢を占うようなもんだと何度何度も説明して、どうにか引かせた」
「……」
瑛己は苦笑した。いくら断るためとは言ってもそこまで言われると、少し秀一が気の毒な気もしたからだ。
「だがそれでも奴らが諦めておらず、業を煮やして拉致した―――これが第1説」
だが、とここで小暮は視線を外し虚空を眺めた。
「黒尽くめの連中か……武道もそれなりに使えると」
「……」
「ならば有力はむしろこちらの第2説」
「それは、」
言いよどむ相楽医師に、小暮は指を片方の眉を歪めて告げた。
「『黒』」
それはこの狭い空間の中において、一瞬で溶けてしまう小さな音の一つであった。
だがその意味合いは、ただの〝音〟ではあり得ない。
瑛己も飛も目を見開き、小暮を見た。その目を受ける小暮は、クイと眼鏡を持ち上げた。
夕焼けの光でその表面が陰り、彼の目の表情を覆い隠した。
「あちらの特殊機関の連中も、好んで黒服をまとってる」
「『黒』の特殊機関……?」
「それこそ特別な訓練を受けたプロ集団だ。まともにやりあって敵う連中じゃない。〝陸では〟な」
そこを強調し、小暮はニヤリと笑った。その瞬間、眼鏡の光も飛散した。
「さて、今時間は何時だ」
不意に問われ、瑛己は腕の時計を見た。彼が答えるより先に、相楽医師が壁の時計を見て「19時15分です」
「そうですか。ならば私はこれで失礼します。先生。この2人の事を頼みます」
「え」
それだけ言って部屋を出て行こうとする小暮を瑛己が呼び止めた。「待ってください」
「小暮さん、どこへ行くつもりで……?」
「阿呆、決まってるだろ」
少し苛立たしげに半分振り返り、小暮は言った。
「相楽を救いに行く」
「―――!?」
どこへ―――、と問いかける瑛己を押しやり、飛が身を乗り出した。
「連れてってください!!」
「足手まといだ。来るな」
一喝。小暮は黒の鞄を肩に引っ掛けた。
しかし飛は引かなかった。「俺のせいなんです!」
「俺がもっと強かったら……俺が守ったるって、そう言ってたのに……」
「……」
「小暮さん! 連れてってください!! お願いします!! 足手まといにはなりませんから!!」
叫んで、飛は相楽医師に掴みかかった。
「親父さん!! ありったけの薬を!! 毒でも薬でも何でもいいから!! 今動ければもうそれでいいから!! お願いします、お願いします―――ッッ!!」
その勢いに、相楽医師が押されている。瑛己は飛のその様子に内心苦笑しながらも、自らも強い目で小暮を見た。
「お願いします」
「……」
小暮は瑛己を見据えた。その精悍でまっすぐな瞳には、力が宿っている。
内心の眼力に感嘆しながらも、表情には出さず小暮は視線を外した。「……兵は拙速を尊ぶ」
「遅いと思った瞬間に切り捨てる。それでもいいなら」
「はい」
「5分で準備しろ」
途端目の色が変わる2人を前に、小暮は、磐木とジンの心境を思った。
こんな目をされては、置いて行くわけにもいくまい。
6分後。
3人は相楽診療所を後にした。
夕焼けは地平線の果てに身を隠し、代わりに闇が世界を占め始める。
そこに君臨するは、月の女王。
満月から数日。その形状は、左の頬が欠けている。
それでも放つ光には、曇りはない。
何だか今日はいつもより一層大きく見える。
走りながら瑛己は、秀一の顔を思い浮かべた。笑っていた。
「……」
どうか無事で。
願うのはその1点。そして。その笑顔が曇らぬ事を。
◇ ◇ ◇
……ここはどこだろう? 白濁とした意識の中で、秀一は微かに動く脳裏でそう思った。
花の香りがする。けれども何の花かはわからない。
動かなきゃいけない……ここにいてはいけない―――。
けれどももがこうとするその意志に反して。
―――眠れ。
何かが強制的に、闇へと引っ張る。
イヤだ。秀一は抗おうとする。眠りたくないんだ。僕は、僕は。
引きづり込まれるように落ちるその先には何がある?
―――眠れ。
イヤだ。けれども抗えない。
秀一は息を吐く。
花の匂いに混じって、聞こえる音。
それは子守唄だった。
意志とは関係なく。秀一は再び眠りについた。
彼のそんな様子を見て、彼女は微笑んだ。
「眠れ」
花のような、笑みを浮かべて。