表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/101

 『奪回作戦(dakkaisakusen)』-1-


「……はい、はい……わかりました。はい……」

 ふっと短く息を吐き、受話器を戻す。

 診療所の受付にあった公衆電話。

 ピーピー言って飛び出したカードを取り、瑛己はゆっくりと瞬きをした。

 そしてそれを手に、病室に戻る。

 廊下は窓から差し込む夕の光で紅に染まっている。

 ノックをせず、薄い白塗りの戸を開けると。

 飛が上着を着替えている所だった。

「……」

 包帯グルグル巻きにされた上半身。それを見て、瑛己は無表情のまま訊いた。

「何してる」

「見やわかるやろ。着替えとるんや」

「着替えてどうする」

「決まっとるやないか! 秀一を助けに行くんや!!」

 声を荒げる飛を、瑛己は冷静に見つめ。

「どこへ?」

「……ッ」

「今基地に連絡してきた。磐木隊長が至急こちらにきてくれるそうだ」

「そんなもん、待ってられるか!!」

「……」

 わかってる。瑛己には飛の気持ちが痛いほど。

 けれども瑛己は、飛に「座れ」と命じた。そして、

「その前に、聞きたい事がある」

「……」

 飛は瑛己を睨むように見据え、やがて目をそらした。

「秀一は、女か?」

「……」

 突っ立ったまま、飛は答えなかった。瑛己はそれを、肯定ととった。

 そうか……と呟き、初めて、瑛己は額に手を当てた。そしてその眉間に深いしわを寄せた。


  ◇ ◇ ◇


 『相楽診療所』。

 気絶した飛を、町の人の助けを借りて運んだのが、そこだった。

 ここが秀一の実家であるというのは、後になってわかった事だった。その時はそれどころではなかった。

 幸い、飛の意識はすぐに戻ったが。

 代わりに事態を聞いた秀一の両親、とりわけ母親が、今度は気を失って倒れた。

 ―――秀一が、何者かによって拉致された。

 飛の話では、黒のスーツにサングラスの集団。5、6人はいたという。

 身体的な特徴は、一様に長身。短髪。それ以外はわからない。

 だが瑛己は思う。飛をここまで痛めつけた所を見ると、素人ではないだろう。

 瑛己の中で飛は、体術に多少心得があると思っている。ケンカ戦法の荒い動きではあるが、並みの人間ならばこれほど簡単に遅れを取る事はないだろう。

 ならば相手はその上を行く。いくら右手を負傷しているとはいってもだ。

 瑛己は腕を組んだ。

 一体誰が秀一をさらったのか。確かに秀一は以前にも軍の研究所関連から呼び出しを受けている。

 未来を見る事ができるというその力を狙われての事だ。

 ―――だがそれよりも何よりも。

 瑛己は聞いておきたい。今ここで。

 相楽 秀子(sagara_hideko)。時計に刻まれたその名前。

 瑛己たちがつけているこれはドッグタグ。空軍において身分証明となる物だ。戦地で死んだ時の遺体確認のためにも使われる。

 そこを偽る事はできない。

 ならば。

「……」

 瑛己はじっと飛を見た。飛も瑛己をじっと、睨むようにして見つめた。

 睨み合いにも近いような視線が交差した。空気がピンと張り詰める。時が止まったような一瞬であった。

 その沈黙を先に破ったのは、飛の方だった。

「秀一の本名は、相楽 秀子……そうや。女や」

 苦しそうに息を吸い、絞り出すようにしてそう言った。

「〝秀一〟っちゅーのは……俺が昔あいつにつけたあだ名や。あいつが昔苛められとったって話はしたやろ? 町から越してきた事、医者の一人娘っていうやっかみ。あいつ泣き虫で、いつもオドオドしてて。その上未来が予知できるっていう極悪なオマケ付」

 ハハと乾いた笑いを浮かべた。だが瑛己は笑わなかった。

 ただ、苦しそうに語る飛を、眉間にしわを寄せながらそれでもなぜか無理に笑おうとする飛を。黙ってじっと見つめていた。

「せやから俺は、あいつの事を〝秀一〟って呼ぶようにしたんや……俺はこの辺の仲間内じゃぁ、ちったぁ名が通ってたもんやから。俺の弟分や、手ぇ出すなってタンカ切って、俺はあいつの事をそう呼ぶようにしたんや。おかげであいつを苛める奴はいなくなった」

「……」

「それをあいつは使ってる……航空学校時代からや。あいつは1個下やったけど、男として、俺らと同じ訓練を受けてきた。……せやな、今思えば、相当きつかったやろうな」

 相当? 瑛己は眉間のしわを一層深くした。それは計り知れた物じゃない。男と偽るために女の身で、男と同じだけの訓練を受けるなど。

 瑛己とて、航空学校の訓練を思い出せばゲッソリする。航空力学等の机の上での勉強だけでは空まで上がれない。まして、飛空艇を操るというのは相当の体力も必要になってくる。

「……」

 ある程度、上は認識していたのだろう。それが証拠に、時計は本名で刻まれている。

 黙認という形で、潰れたらそれまで。その程度だったのではなかろうか?

「あいつは何一つ弱音吐かず航空学校を卒業して……俺が赴任した『湊』にやってきたんや。志願したら通ったって、こっちきた時そりゃめっちゃ嬉しそうに笑ってたな」

 瑛己はふと思い出す。自分が時計を受け取ったのは、総監の手からだ。それは最初の赴任先である『笹川』基地でも同じだった。

 ともすれば、―――白河は知っていたのだろう。

 秀一が、女だという事。

 瑛己の脳裏に、苦笑を浮かべた白河の顔が浮かんだ。そして、その胸中を改め思った。瑛己はため息を吐きたい気持ちになった。

「磐木隊長は?」

「さぁ……聞いた事あらへんから」

「……」

 さっき電話した様子では、その判別はつかない。

(だが……)

 磐木が知っていようと知っていまいと、今この状況は変わるわけではない。

 いよいよ瑛己は大きく息を吐いた。

(さて)

 これからどうした物か。

「とにかく俺は行く」

 そう言って飛は一歩を踏み出した。

「だから、どこへ」

「わからん!」

「……馬鹿」

「何やと!?」

 今は磐木隊長を待つしかない。

 ……だが瑛己とて考える。本当にそれでいいのか?

 磐木がどんなに急いでも……ここまでには距離がある。到着には日付が変わるだろう。

 さりとて、走り出した所でどこへ行けばいいというのか。

 連れ去った人物の特定さえできていない現状で。

「……お前、その怪我で、どうするつもりだ」

 瑛己は飛を見た。珍しく目尻に苛立ちが出ていた。

 急所は外されていた。飛が無意識に避けたのか、相手が外したのか。判別はつかない。

 けれど立っているのもやっとのはずだ。

「……」

 飛は顔を歪めると、力任せに壁を殴った。

「クソッたれッッ!!!」

 ここは病院だ。暴れるな。静かにしろ。そんな言葉が瑛己の脳裏を過ぎり、しかし唇からつむがれる事はなかった。瑛己自身も壁を殴りたい衝動を抑えている現状であった。

 そんな折。不意に部屋の扉が開いた。

「あ」

 飛がその人物を見て、ハッと目を見開いた。瑛己も振り返る。

 そこにいたのはこの診療所の医師……秀一の父だった。

「秀の親父さん……」

 途端飛の顔から毒気が消え、一気に顔面蒼白になった。

 相楽医師は厳しい顔付きで飛を睨むように見、そして瑛己に目を向けた。

「……」

 ああ、似てる。確かに秀一の父親だ。鼻から口元への筋が似てる。ただしいつもニコニコしている印象の秀とは違い、今は苦悶の表情であるが。

「聖君、だったか」

「はい」

「彼を運んでくれて、悪かった」

「……いえ」

「親父さん」

 突然飛が、ガバリと膝をついた。「すいません!!!」

「秀を……秀子を、守れんで……すいませんッ……」

「……」

 瑛己は飛のその姿にギョッとしたが、やがてその目は哀しく揺れた。「飛……」

「飛君」

「すいませんッ……」

「顔を、上げなさい」

 ピシャリとした口調で言われたが、飛は顔を上げなかった。

「あの子が君と共に空軍へ行くと言い出した時、」相楽医師はそんな飛の様を見ながら、抑揚少なく言い始めた。「私は反対した。妻もだ。知ってるはずだ」

「……はい」

「秀子には、私たちの意志を継いで医療の道を志して欲しかった。そのつもりでいた。だから突然そんな事言い出した時は驚いたよ」

「……」

「空軍へ行った君を追いかける。……そんな事のために、女の身分で軍隊なんて……そこまで体の強い子じゃないのに……」

 すいません、すいません……小さく呟く飛の声が切なかった。

「長かった髪をバッサリ切って……持つはずがない、あいつに軍隊なんて勤まるはずがない……そう思い続けてきた」

「……」

「飛君」

「……すいません……」

 そして。

 相楽医師はそれきり、黙りこくった。

 瑛己は相楽医師を見た。そして言葉を失った。

 険しい顔のまま、医師は……秀一の父親は。涙を流していた。

「私は、」詰まった声に、飛の肩が揺れた。だけど彼はそのまま顔を上げなかった。

「それでも……君に、……感謝を、していた」

「……」

 声を震わせながら言う相楽医師に。

 初めて飛は顔を上げた。「親父さん……」

「君はあの子に、希望をくれた」

「……」

「あの子は強くなった……小さい頃あれだけひ弱で、すぐ泣く子だったのに……いつも私たちの後ろに隠れているような子だったのに」

「……親父さん」

「君のおかげであの子は変わった」

「……」

 そこまで。相楽医師の言葉はもう、続かなかった。

 代わりに泣き崩れるその肩を、瑛己は抱いた。「先生……」

 大の男が泣いている。

 恐らく、卒倒した妻には見せないようにしてきたのだろう。

 瑛己はたまらなくなった。瑛己の目からも涙がこぼれた。

 飛はいわんや。




 そして。

 床に屈して泣く3人の元にその男が現れたのは。それからわずか数分の後。




「先生、お客様が」

 看護婦の声に3人が病室の戸口を振り返った。その先にいたのは。

「……!」

 『湊』第327飛空隊・『七ツ』所属。

 小暮 崇之。その人だった。


  ◇ ◇ ◇


「こ、小暮さんっ……!?」

 飛の素っ頓狂な声が空っぽの病室に木霊した。

「遅れた、すまん」

 無機質に言うと、小暮は前髪を掻き上げた。その額には汗がにじんでいる。

 瑛己も、突然のこの男の登場に唖然としていた。

「あ、あなたは……?」

「ああ、申し遅れました。すいません。私、相楽君と同じ隊所属の小暮と申します」

「小暮さん……?」

「磐木隊長から連絡を受けてきました」

 磐木隊長からの連絡? しかし瑛己が彼に連絡したのはついさっき。

「遅れてすまん」

 いやむしろ早すぎるだろう。と飛は思ったが、唖然としすぎて彼にしては珍しく言う機会を逃した。

「それで状況は」

「……」

「聖。状況を説明しろ」

「……は、はい……」

 瑛己は頬を掻き一度飛を見て彼と視線を合わせてから、小暮にこれまでの経緯を説明した。

 ただその際、秀一の性別の事には触れなかった。それは別の話である。今ここで不用意に触れる必要はないと瑛己は判断した。

 瑛己がそこに触れなかった事に、飛は内心ほっとした。

「そうか……」経緯を聞いた小暮の第一声はそれだった。

「黒い男たち、か」

「心当たりが?」

 小暮が隊で随一の博識である事は瑛己もよく知っている。

「あいつら……強かったっす」

 苦い物を噛み潰したように飛が吐いた。

 小暮は持っていた黒いバックをその辺に置くと、額に手を当てた。「秀一を狙う心当たりはいくつかある」

「まず第一に、軍の研究機関の連中だ。以前からあいつの予知の力に目を付けた奴らが、引渡しを要請してきている……特にひどかったのがあの時だ。3ヶ月前の秀一が事故で倒れた時。今後の研究のために一度施設にきて、身体の調査をさせて欲しいと。不躾な連中だ。白河総監が断固跳ね除けた。予知と言っても完全じゃないし、突発的な物だ。当たる当たらんは天気予報よりも低いと言ってな。完全100%でいつも未来を予知できるようなわけじゃない。実際100%ではないだろう?」

「……はい」

「噂はでまかせ。神社のおみくじ以下、靴を投げて明日の運勢を占うようなもんだと何度何度も説明して、どうにか引かせた」

「……」

 瑛己は苦笑した。いくら断るためとは言ってもそこまで言われると、少し秀一が気の毒な気もしたからだ。

「だがそれでも奴らが諦めておらず、業を煮やして拉致した―――これが第1説」

 だが、とここで小暮は視線を外し虚空を眺めた。

「黒尽くめの連中か……武道もそれなりに使えると」

「……」

「ならば有力はむしろこちらの第2説」

「それは、」

 言いよどむ相楽医師に、小暮は指を片方の眉を歪めて告げた。

「『黒』」

 それはこの狭い空間の中において、一瞬で溶けてしまう小さな音の一つであった。

 だがその意味合いは、ただの〝音〟ではあり得ない。

 瑛己も飛も目を見開き、小暮を見た。その目を受ける小暮は、クイと眼鏡を持ち上げた。

 夕焼けの光でその表面が陰り、彼の目の表情を覆い隠した。

「あちらの特殊機関の連中も、好んで黒服をまとってる」

「『黒』の特殊機関……?」

「それこそ特別な訓練を受けたプロ集団だ。まともにやりあって敵う連中じゃない。〝おかでは〟な」

 そこを強調し、小暮はニヤリと笑った。その瞬間、眼鏡の光も飛散した。

「さて、今時間は何時だ」

 不意に問われ、瑛己は腕の時計を見た。彼が答えるより先に、相楽医師が壁の時計を見て「19時15分です」

「そうですか。ならば私はこれで失礼します。先生。この2人の事を頼みます」

「え」

 それだけ言って部屋を出て行こうとする小暮を瑛己が呼び止めた。「待ってください」

「小暮さん、どこへ行くつもりで……?」

「阿呆、決まってるだろ」

 少し苛立たしげに半分振り返り、小暮は言った。

「相楽を救いに行く」

「―――!?」

 どこへ―――、と問いかける瑛己を押しやり、飛が身を乗り出した。

「連れてってください!!」

「足手まといだ。来るな」

 一喝。小暮は黒の鞄を肩に引っ掛けた。

 しかし飛は引かなかった。「俺のせいなんです!」

「俺がもっと強かったら……俺が守ったるって、そう言ってたのに……」

「……」

「小暮さん! 連れてってください!! お願いします!! 足手まといにはなりませんから!!」

 叫んで、飛は相楽医師に掴みかかった。

「親父さん!! ありったけの薬を!! 毒でも薬でも何でもいいから!! 今動ければもうそれでいいから!! お願いします、お願いします―――ッッ!!」

 その勢いに、相楽医師が押されている。瑛己は飛のその様子に内心苦笑しながらも、自らも強い目で小暮を見た。

「お願いします」

「……」

 小暮は瑛己を見据えた。その精悍でまっすぐな瞳には、力が宿っている。

 内心の眼力に感嘆しながらも、表情には出さず小暮は視線を外した。「……兵は拙速をたっとぶ」

「遅いと思った瞬間に切り捨てる。それでもいいなら」

「はい」

「5分で準備しろ」

 途端目の色が変わる2人を前に、小暮は、磐木とジンの心境を思った。

 こんな目をされては、置いて行くわけにもいくまい。



 6分後。

 3人は相楽診療所を後にした。

 夕焼けは地平線の果てに身を隠し、代わりに闇が世界を占め始める。

 そこに君臨するは、月の女王。

 満月から数日。その形状は、左の頬が欠けている。

 それでも放つ光には、曇りはない。

 何だか今日はいつもより一層大きく見える。

 走りながら瑛己は、秀一の顔を思い浮かべた。笑っていた。

「……」

 どうか無事で。

 願うのはその1点。そして。その笑顔が曇らぬ事を。



  ◇ ◇ ◇



 ……ここはどこだろう? 白濁とした意識の中で、秀一は微かに動く脳裏でそう思った。

 花の香りがする。けれども何の花かはわからない。

 動かなきゃいけない……ここにいてはいけない―――。

 けれどももがこうとするその意志に反して。

 ―――眠れ。

 何かが強制的に、闇へと引っ張る。

 イヤだ。秀一は抗おうとする。眠りたくないんだ。僕は、僕は。

 引きづり込まれるように落ちるその先には何がある?

 ―――眠れ。

 イヤだ。けれども抗えない。

 秀一は息を吐く。

 花の匂いに混じって、聞こえる音。

 それは子守唄だった。

 意志とは関係なく。秀一は再び眠りについた。

 彼のそんな様子を見て、彼女は微笑んだ。

「眠れ」

 花のような、笑みを浮かべて。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ