『獅子の海(lion_of_the_sea)』-3-
無凱の中で、この戦いはもう、終わっていた。
仲間を救うように現れた、一羽の青い鳥。
自分の銃撃を何度か、よくかわしたと思う。偶然にせよ、必然にせよ。
だが、それ以上の興味などわかなかった。もちろん、乗り手がどんな輩であるかなど。
思いもしない。
考えも及ばない。
どうでもいい事である。
なぜなら、目の前を飛ぶこの鳥は。もう、墜ちる事が決まっているのだから。
(勇気は称えよう)
我の前に、翼をさらした事に。
だが、それだけだ。
墜ちる鳥に、興味はない。
目の前を行く鳥が次に動いた時。
それが、終わりの刻。
あの青い機体がこの空に、紅く光り、散り染まる時。
「翔けろ」
お前に許された残りの時間を。
思うだけ翔けろ。翔けて翔けて、翔け抜けろ。
そして最後は、我が空に還えしてやる。
あの、久たる空へ。美しくも残酷で、無限のように儚い、あの空へ。
その時、前を行く鳥がふっと傾いた。
無凱はニヤリと笑った。
その体が、無凱の前にさらされる。
そして、射撃ボタンに指を入れようとした時。
無凱の目の前に、別の映像が重なった。
―――目の前を行く、青い鳥
クルクルと自分を翻弄する、一機の飛空艇
追いかける。今日こそは……!
そして、青い飛空艇が右に旋回する
死に物狂いで追いすがる
そしてそれは、偶然の事
青い鳥の、脇を捉える
これで終わりだ、射撃ボタンに指を入れる
だが―――
無凱は思った。
見た事がある。
我は、これとまったく同じ光景を。
見た事がある。
瑛己は操縦桿を握り締め、無凱を振り返りもせず、走った。
(抜けてやる)
無凱の銃口が、こちらを向いたのがわかる。
瑛己は片目を細めた。
だが、頭の中ではわかっていた。
無凱がこの機会を、逃すわけがない。
目の前に広がる、広い広い大空を見つめ、
(あの空に、たどり着けないかもしれない)
瑛己はそう思っても。わかっていても。
走る事を、止めない。
そしてその時、一陣の風が吹いた。
瑛己の中で、何かがドクンと跳ねた。
―――その瞬間だった。
空の彼方から、それが現れたのは。
それは、空を翔ける一陣の白い風。
空(ku_u)。そう呼ばれる飛空艇が現れたのは。
ザンッ。
そんな音と共に、白い飛空艇が現れた。
それは速度を緩める事なく、まっすぐ、瑛己の飛空艇に向かっていく。
最初に気付いたのは、飛だった。
「―――ッ!!」
瑛己が危ない。このままではまずい。そう思い、必死に他を蹴散らして、そちらに向かおうとした矢先。
天翔ける、白い翼。
あれは、とか。まさか、とか。そんな事を思う事もできなかった。
瑛己の機体と触れ合う間際、空(ku_u)は翼を斜めに傾けた。
ザンッ。瑛己の機体をギリギリでかわすと、刹那、銃口が開いた。
ドドドドド
連続射撃に、無凱が操縦桿を切る。何発か入るが、機体は普通に動いている。
空(ku_u)はその真横を抜けると、すぐに機体をひねった。
白い機体がキラリと、空に輝いた。
〝彼〟は、足元のレバーに手をかけた。
それを2、3度上下に動かすと、その体勢のまま、操縦桿を押し倒した。
そして、〝彼〟を見失い、妙な走行をする無凱を下から捉えると、〝彼〟は操縦桿を立て起し、無凱に向かって翔け出した。
そして、
「……3、2、1」
足元のレバーを、グイと押し倒す。
その瞬間、ドンと、先程より重い音の銃弾が飛び出した。
無凱が空(ku_u)に気づいたのは、その翼がその弾に貫かれた時だった。
まともに射抜かれた機体は、途端、体勢を失おうとする。
その真横を、空(ku_u)がすり抜けた。
「……空(ku_u)!!」
無凱は、悠々と空へ上がった白い飛空艇に向かって、ギリと歯噛みをした。
途端、ドドドドと別から銃撃が降ってきた。
瑛己だった。
ひねり込みを完成し、無凱の後ろを捉えた瑛己は、撃った。
たった今。貫かれた翼を目掛け。その、止めを刺すように。
貫かれた穴から、誘発が起ろうとする。
無凱は眉間に深くしわを寄せると、一度輸送艇を見、そして空(ku_u)を見た。
その時、ふっと、無凱は思った。
(〝あの時〟か)
先程見た、映像。あのシーンは。
そして、
「退く」
呟くと、その背中を翻した。
瑛己は元より、他の者もそれを追いかけようとした。だが無凱が背を向けた途端、残った【天賦】もそれにならい、無凱を固めるように動きを変えた。
《深追いするな》
無線のノイズが生まれる。
だが、わかっていた。
今追いかけても、【天賦】に固められた無凱は捉えられない。
それほど誰もがボロボロになっていた。
それこそ、彼らの頭上でクルリと旋回し、消えて行った空(ku_u)にさえ気付かぬほどに。
327飛空隊の全員が、複雑な想いを抱え、去り行く【天賦】を見つめていた。
そして聖 瑛己も……。
◇ ◇ ◇
空から現れたボロボロの編隊を、『明義』基地は喧騒で迎えてくれた。
【天賦】から輸送艇を守り、そして満身創痍で降り立った327飛空隊。『七ツ』の噂はたちまちに広がった。
だが、隊員達に笑みはなかった。全員が重い表情のまま陸に立ち、息を吸った。
その中で、瑛己は。重いというよりも、無表情。少し悪い顔色に、何の感情も浮かんでいなかった。
一同、一言も話さぬまま、報告に向かう。
そこで何を言われたのか。ここの総監がどんな人だったのか、何を話したのか……後になって、瑛己はまったく思い出せない事に気付いた。
ただ、部屋を出て。
「聖」
磐木に低く呼ばれた所から、彼の記憶は蘇る。
「なぜあんな事をした」
全員が、磐木を見、そして瑛己を見つめた。
瑛己は答えなかった。ただ無表情のまま……磐木を見つめ返した。
「聖ッ!」
広い廊下に、磐木に怒声が木霊した。
身動き一つしない瑛己に、流石に心配になった秀一が、間に入ろうとした時。
「……怖かっただけです」
ポツリと、瑛己はそう言った。
全員がハッと、瑛己を見た。
無凱という、圧倒的な存在を前に。
瑛己の心に生まれたものは、たった一つ。
―――恐怖。
逃げ出した。逃げ出したかった。
心が震えているのがわかった。
瑛己は目をそらした。
自分でもよくわからない。
なぜだろう? なのに。
気付いたら、無凱に向かっていた。
怖かった。なのに。
逃げ出したくなかった? ―――違う。
立ち向かわなきゃ駄目だと思った? ―――そうじゃない。
逃げていても何も始まらない? ―――そんなんじゃない。それも違う。
「怖かった、だから向かった、か」
ジンが溜め息混じりにそう言った。そして思い出したようにポケットから煙草を取り出した。
「……」
磐木は何も言わなかった。
「……そうか」
小さく呟くと、何事もなかったかのように歩き出した。
新が、ポンと瑛己の肩を叩いた。振り向いた彼に、
「サンキュ」
そう言って、彼も歩き出した。
小暮が、眼鏡を上げながらふっと笑った。
ぼんやりと立ちすくむ瑛己に、飛がボカリと小突いた。
「どっちが阿呆や」
飛に殴られた所を抑える瑛己に、秀一が言った。
「瑛己さん、行きましょう」
瑛己は……ふっと、苦笑した。
「ああ」
彼は再び、歩き出した。
そして、『湊』へ戻る日の朝。
少し早めに、集合場所である格納庫に向かった瑛己は、そこに並んだ飛空艇を見て立ち止まった。
青く光る飛空艇。その機体の中央に、無造作に、7つの星が描かれていた。
後で聞いた話。これは、新が磐木の許しを得て、前日の夜に描いたものだった。
すべての機体に刻まれたそれを見て、瑛己は瞼を閉じた。
そして、初めて。『湊』から海を渡り、【天賦】と遭遇し、無凱を相手にしてなお、今ここに生きている……その事を、実感したような気がした。
◇ ◇ ◇
「―――輸送艇は、『明義』に無事到着したそうです」
報告を聞き、無凱は薄く目を開いた。
「今夜、例の物は、『明義』から『蒼光』に向かうと思われます」
言外に含まれた意味をとり、無凱は首を横に振った。「否」
「よい。捨て置く」
「……よろしいので?」
「案ずるな。機はいずれまたくる」
無凱は遠く、空を見た。
そして、
「いずれまた」
空に向かってそう呟くと。彼は再び、目を閉ざした。
すべてはまだ、始まったばかりだ