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 『故郷(one's native place)』-2-


 瑛己が故郷の『穂積』へ戻って5日目。

 その日は朝から、両親のお墓にきていた。

 墓前に、海月から聞いて預かってきた父が好きだったお酒と。その横に、母が好きだった白いコスモスを添えた。

 墓石を磨き、ろうそくに火を灯し、手を合わせている時だった。

「瑛己か!」

 不意に届いた声に、瑛己はハッと顔を上げて振り返った。

 そして墓石の隙間から見えた顔は。

「兵庫おじさん!?」

 薄い色の猫っ毛を風になびかせて。小さな眼鏡を鼻の上に引っ掛けた、父の元同僚にして親友・原田 兵庫、その人だった。


  ◇ ◇ ◇


「いや~、それにしてもさすが咲ちゃんだねー。いつも家の中ピカピカ!! 主婦の鑑だね!!」

 一歩家に入るなりそう叫んだ兵庫に、瑛己は苦笑した。

「掃除したの、俺なんだけど」

「何だと!? 瑛己が!!? いやぁー、凄いね。お前、いいお嫁さんになれるよ!!」

「ありがとう」

 適当に返して、「珈琲、ブラック? ミルクいる?」

「珈琲しかないのかよ」

「ないよ」

「……んじゃ全部入れて。砂糖3杯」

「入れすぎじゃない?」

「いいの。おじさんお子ちゃまだもん」

 苦笑を通り越してため息を吐く。

 カップを用意して手早く用意する。その様に、兵庫は口笛を吹いた。

「インスタントでごめん」

「いや充分。ほんと、手際いいよなぁ。海月ん所でバイトできるんじゃないか?」

「空軍を首になったらそうするよ」

 ハハハと笑って、兵庫にカップを差し出した。

 一口。兵庫は「うまい」と言った。瑛己は笑った。

「しかしお前がいるとはなぁ……思いもしなかったよ」

「俺こそ、おじさんに会えるなんて」とそこで区切って。

 瑛己はじっと兵庫を見て言った。

「お墓、いつもきてくれて、ありがとう」

「あん?」

「……近所の人が言ってた。時々父さんの友達だって言う人がお参りしてるって。……おじさんだろ?」

「……」

「ありがとう」

 兵庫はポリポリと頬を掻いた。

「たまたまこの辺を寄った時だけさ。それほど年中は来れない」

「俺はもっと来れないから」

 瑛己は目を閉じた。

「ありがとう」

「……まぁ、どーいたしまして」

 ニカっと兵庫は口を横に開いた。

「この町はいいな。俺は色んな町を見てきたけれども、『穂積』が一番好きだ」

 のどかで穏やかで。町も人も皆温かくて。優しくて。

「おじさんの地元とそんなに変わらないよ」

「いんや、あそこはただのド田舎」

「ここだってそうだよ」

「とりあえず〝大天山(daiten_yama)〟が一望できるのが一番いい」

 『蒼国』で一番高い山、〝大天山〟。

 確かにここからはそれがよく見える。天気がいい日の眺めは特にいい。

「噴火したら一番にアウトだよ」

 苦笑したものの、確かにそれを言えばこの町は〝いい町〟なのかもしれない。

 瑛己は珈琲に口を付けた。




 その日兵庫は結局、瑛己の家で泊まって行く事にした。

 晩御飯は2人で作った。

 最初は兵庫が作ると言ってくれたが、料理が得意でない兵庫の慣れない手つきに、結局瑛己も手伝う事になった。

 その包丁さばきを見た兵庫はまた、「瑛己ー、いい嫁さんになれるぞ」

「俺の嫁さんになるか?」

「そういう趣味じゃないから」

 キスを迫ってくる兵庫をかわし、笑った。

 瑛己は思った。こんなに笑うのはいつぶりだろう。

 ここに戻ってきて瑛己は、基地にいたら感じなかった物を感じ続けていた。

 孤独、そう言い換えてもいい。

 けれども兵庫と過ごし、初めてそれを忘れられた。

(おじさんは、)

 迷惑かもしれないけれども。瑛己は思う。

 瑛己にとって、〝家族〟と呼べる人……この世でもう唯一、そう思えるのは。

(おじさんだけ、なのかもしれない……)

 小さい頃からずっと、瑛己はひそかにこの男が父であったらよかったと思っていた。

 だが今は、父の代わりではなく……兵庫として、瑛己にとってこの世でたった一人の肉親のような、親戚のような。唯一無二の存在であった。

 ―――晩御飯は、ジャガイモもニンジンもやけに大きい、ルーより具の方が多いようなカレーが出来上がった。

 瑛己は昨日もカレーだったけれども、全然違う物のようだった。

 昨日食べた物よりずっと、美味しいと思った。


  ◇ ◇ ◇


 居間に布団を敷いて、2人で並んで眠る事にした。

 ランプだけつけて、兵庫と瑛己は色々な話をした。

 昔の話、あの時ああだった、こうだった。おじさんがあんな事するから俺は……いや、だけど瑛己、あれは俺のせいじゃない。あいつがあんな事したから……大体お前だってあの時……そんなの覚えてないよ。ウソつけ。この前だってお前……。

 2人の話は尽きなかった。

 夜は更けて行く。けれども時間を越えて、瑛己と兵庫は笑い合った。

「そういや今、何してんの? この前も急に基地からいなくなっちゃってさ」

「あー。仕事入って。悪い悪い」

「おじさんいつもそうだし」

「俺がいなくなると寂しい?」

「別に。平和になっていいけど」

「そんな事言うなよー、俺が寂しくなるじゃんか」

 アハハ。

 瑛己は笑って、兵庫を見た。

 微笑む兵庫に、ふと。

 瑛己は、昨晩母の部屋で見つけた手帳の事を思い出した。

 たくさん話したから、瑛己にしてはいつになく口が軽くなっていたのもある。

 だから、瑛己がそう言ったのは、ほとんど無意識の事だった。

「橋爪のおじさんと『白雀』って、何か関係あるの?」

 その言葉で。

 微笑んでいた兵庫の表情が、一瞬にして固まった。

 その瞬間、瑛己はハッと口をつぐんだ。

「あ……ごめ」

「何だって?」

「いや……」

 瑛己は口ごもった。

 話題を変えたいと思ったが、一度出てしまった言葉を取り戻す事はできない。

 仕方なく瑛己は、事情を説明した。

「……昨日、父さんの古い日記を見つけて……そこに、橋爪のおじさんの結婚式、『白雀』って書かれてあったから……」

 そこまで言って、瑛己は兵庫の表情を伺った。

 兵庫は少し考えている様子だったが、「そうか」と呟いた。

「そういえばお前……『園原』の航空祭に出てたんだろ? 聞いたよ。模擬空戦」

「ああ……」

「見たかった。お前が飛んでる所。すぐにでも飛んで行きたかった」

「……」

 大した事じゃないよ、そう言いかけてやめた。

「晴高も見たかっただろうな……お前が飛んでる所」

 兵庫がポツリと呟いた言葉に、瑛己の心臓がドキリと跳ねた。

「おじさんたちは……航空祭で知り合ったの?」

 20年前の、10回目の『園原』航空祭で。

「誰に聞いた?」

「雨峰総監」

「姫は元気だったか?」

 うん、と答えた。そう言えば『園原』の者達も言っていた。雨峰総監の事を〝姫〟と呼んでいるのだと。

「そうか。……そうだよ。俺とハルは、あの航空祭で初めて橋爪に会った」

「……」

「当時『園原』の『流鏑馬(yabusame)』と言ったら、結構名が通っていたよ。隊長・橋爪 誠。こいつがまた、手強い」

「『流鏑馬』……」

 それが、橋爪の隊の名称。

「結局、模擬空戦で決着は付かなかったけどな。……何と言うか、物凄くな、これが」

 楽しかったんだ。そう言った兵庫の表情に、嘘はなかった。

「あいつとはそれからの付き合いさ。作戦を一緒にした事もあった。『湊』と『園原』はそれなりに距離はあるがな、お互い意識してたし。よきライバル……そして友だった」

 初めてその時、兵庫の目に影が差した。

 でもそれも一瞬の事。すぐに彼はそれを拭い去り、笑顔で瑛己を振り返った。

「『白雀』は、やっこさんの故郷さ」

「故郷……」

「相手は幼馴染だって言ってたかな。ハルと咲ちゃんも幼馴染。同じだなってハルが笑ってたのをよく覚えてるよ」

 瑛己は息を呑んだ。

 高藤が言っていた。『白雀』は軍の研究施設があった……そしてそこで、〝空の欠片〟の力を解き放つ方法が探求され―――。

 解明されたその時、街は、滅んだのだと。

「奥さんは」

「ん?」

「……橋爪総司令の奥さんは?」

 今では地図から消えた街。

 街が消え、人が消えたと高藤は言っていた。

 ならば。

「さあ」兵庫は目を逸らした。

「嫁さん探さなきゃいけない立場なのに、人の嫁さんの事まで気にかけてられねーよ。ははは」

「……」

 わざとはぐらかした。そう思えた。

「瑛己」

「……ん?」

「この前の、あれ。高藤の親父さんが言ってた事……気にすんな」

「……おじさん」

「〝空の欠片〟とか、〝空の果て〟とか、お前には関係ないよ」

 だから。

「あんまり深く、考えるな」

「……」

 一個人、ただのパイロットとして。そんな物に関わる機会はない。

 確かに1度は、瑛己はその石を運んだとされる。

 けれどもそれは、業務の一環であって直接関わったわけではない。

 きっとこれからも。

 そう、……きっとこれからも。

「……」

 だけど。晴高は飲み込まれた。

 ただのパイロットだった。なのに彼は飲み込まれた。

 聖石を解き放ち、空を開け放つ?

 ……何だか絵空事だ。

 そんな物に巻き込まれ。母は夫を亡くし、瑛己は父を亡くした。

 おかしな話だ。

 SF映画じゃあるまいし。

「……」

「瑛己」

「ん」

「そういやモトは……元気か?」

 一転、兵庫は明るい口調で聞いてきた。

「え、ああ」

 瑛己も表情を直した。兵庫がモトと言う人物は、『湊』総監・白河の事だ。瑛己もつい先日知った。「うん、元気」

「海月は? どうしてる?」

 瑛己は苦笑した。

「元気だよ」

「どうせあいつの事だ。毎日客と一緒になって騒いでるんだろ」

「この前、お客さんにプロポーズされてたよ」

「あ?」

「海月さん人気あるから。海月さん目当ての常連さんもいるし……ああそう、遠くから海月さんに会うためにわざわざきているフリーライターもいるくらいで」

「フリーライター? どこのどいつだ」

 瑛己は苦笑した。

「会いに行けばいいのに」

「は?」

「海月さんに」

「……まぁ、ヨロシク言っておいて」

「俺が言うより、自分で言いに行ってよ」

 兵庫は苦笑した。そして、「言うようになったねー」と口を尖らせ呟いた。

 でもどこかそれは嬉しそうだった。




 それから数時間話したけれども。

 2人の間に、橋爪の事も『白雀』の事も、もう話題に出てこなかった。

 海月の事は、瑛己が少し。出会った時の事から、言われた事などを話して聞かせた。

 それを聞く間、兵庫はずっとそっぽを見ていたけれど。

 その横顔はとても、楽しそうだった。

 その様子に、瑛己は少しだけ兵庫が変わったような気がした。

 どういうふうにかと問われても瑛己は答えようがなかったけれども。

 変わったと。そう思った。




 翌日。兵庫は仕事の途中だからと、去って行った。

「これからどうするんだ?」

「明日ここを経つよ」

「基地に戻るのか?」

「とりあえず『天晴』に寄る」

「送るか?」

「列車で行くから大丈夫」

 兵庫の飛空艇は、町外れの原っぱに止めてあった。

 それは以前彼が【海蛇】からの被弾によって失ったのとまったく同じ、複葉機だった。

「複葉好きだよね」

「これぞ、大航空時代のロマンだね」

「ふーん」

 乗り込む兵庫を、瑛己はじっと見ていた。

「来週末はお前、基地にいるの?」

「うん」

「じゃ、行く。磐木にも言っておいて。たまには飲もうって。原田副長からの命令だって」

「わかった」

「んじゃ、気をつけてな」

「おじさんも」

 ―――また今度。

 空へと駆け上がっていく兵庫に、瑛己は手を振った。ずっとずっと、その姿が見えなくなるまで。

 やがて空にその影は溶けてしまい。瑛己の心に少し空っ風が吹いたけれど。

(大丈夫)

 この空がある限り。

 道は続いている。

 兵庫と自分の間の距離は、思うほど、遠いわけではない。




 宣言どおり、もう1日実家で過ごし、翌日瑛己は故郷を離れた。

 今すぐにでも住めるほど家はきれいにした。

「いつ空軍を首になってもいいかな」

 そう呟いて瑛己は1人笑った。

 隣近所の人に出発の胸を告げ、留守の間の家の事を頼んだ。

 最後にもう一度墓地に寄り。手を合わせた。

 次はいつ戻れるだろう。

 でもまた必ず戻るから。

『どこに行っても、ここがあんたの帰る場所だからね』

 いつだったか、母がそう言っていたのを思い出す。

『私がいる、この場所があんたの故郷よ』

「行ってきます」

 ―――『天晴』までは駅から数区間。

 駅まではバスで1時間ほどかかるけれど、『湊』からここにくるまでの道を思えばそんなに時間はかからないだろう。

 たった数日見なかっただけなのに。妙に仲間が恋しいと思った。


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