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 『故郷(one's native place)』-1-  


 宿舎の受付、その脇にある公衆電話。男は背中を丸めて立っていた。

「……ああ、元気でやってる。大丈夫、父さんは……そうか、ならいい……」

 『湊』第327飛空隊・【七ツ】。隊長・磐木 徹志。

 握り締めていた小銭を1枚、電話に入れる。太いその指から離れた硬貨は、ガチャンと音を立てて中へと流れ込んでいった。

「母さんも気をつけて……ああ。大丈夫。これから寒くなるから……わかってる、ああ。うん」

 その表情は優しい。

 元々それほど大きくない瞳を一層細め、磐木は母の声を聞いていた。

「ああ、年末には戻る……うん。わかった。ありがとう」

 ガチャンと受話器を置き、磐木は一つ息を吐いた。

 そして振り返ると。

 白い壁にもたれるように、見知った男が腕と足を組んで立っていた。

「……いつからそこにいた」

「今さっきですよ」

「趣味が悪いな」

「まぁ、そこそこに」

 風迫 ジンであった。

 磐木は咳払いをして、表情を正した。

「実家ですか」

「ああ」

「隊長も顔見せに行けばいいのに」

 ジンは胸元から煙草を取り出した。

「書類がたまってる」

「あんたは優しすぎる」

「ふん」

 磐木が鼻で笑う。その一瞬後、ジンは煙草に火を点けた。

「聖たちは行ったのか」

 吹かすジンに、磐木は聞いた。

「みたいですね。聖と飛、秀一の3人は故郷。新は女の所」

「小暮は?」

「さあ」

「行き先を聞いてないのか」

「大人ですからね」

 その答えに磐木は呆れた。「行き先を言うように言ったのはお前だろう」

「あいつは特別です」

「何だそれは」

「まぁ大丈夫でしょう」

 それではいざという時に連絡がつかんだろうが、と言おうとして磐木はやめた。

 ジンが大丈夫というのなら、恐らく大丈夫なんだろう。

 副隊長・風迫 ジン。

 一見、隊務にも隊員にもそれほど深い関心がない一匹狼に見えるこの男だが、実はよく見ている事を、磐木は知っている。

 そ知らぬ顔をしている事も多いが、見えない所で実はかなりきちんと磐木をフォローをしている。

 磐木の目には見えない物をこの男は確かに捕らえ、その上で副隊長としてどうするべきかを考えて行動している。

 磐木は今まで何度も、彼が脇にいてくれたからこそ乗り越えられた事があった。

 全幅の信頼を置いている。そう言っても過言ではなかった。

「お前は行かないのか」

 受付の奥からテレビの音が聞こえてくる。

「俺には故郷はありません」

「会いたい人は」

「……」

 ジンは明後日を見て長く息を吐いた。

「風迫」

「はい」

「何かあったか?」

「……別段」

「嘘つけ」

「……」

「何かあっただろ」

「……」

 ジンは内心舌打ちをした。

 磐木はこういう勘は妙に鋭い。

 野生かなと、ゴツ顔の男を見て思った。

「思う事があるなら、走れ」

「……ハハハ」

 小さく笑い、ジンはゆっくり瞬きをした。「正直言えば、」

「迷ってる事はあります」

「迷ってる? お前が?」磐木は耳を疑った。「何を」

「……」

「風迫」

「……」

「迷うなら、走れ」

「走れ走れと、簡単に」

 ジンは苦笑した。「イノシシじゃないんですから」

「似たようなもんだろ」

 磐木はニヤリと笑った。そして「もう一度聞こう」

「お前が今行きたい場所はどこだ?」

 何をおいても走って行きたい、その場所がもしあるとしたら。

 ジンは俯き、1度煙草を吹かし。

 考えた末に。

「『蒼光さき』……」

 と呟いた。

 




  24


 『湊』の駅から湊堺線、そして岐北線の終点駅からさらにバスで1時間ほど。

 山岳のふもとにとある町があった。

 『穂積』―――そこが、瑛己の故郷であった。

 『湊』を出たのは朝一番。だがここに着く頃にはもう日暮れに差し掛かっていた。

 バスの停留所は町の中ほどにある。

 ここから瑛己の実家までは徒歩で15分ほど。町の外れに位置する。

 随分久しぶりの帰郷であった。

 夕に染まる町は、見慣れたそのまま。前回来た時とそう変わらない。

 ただ畑が。収穫後だなという事くらい。

 町とは言ってもほとんどが山と田畑。

 流れる川も変わらず。道も『湊』のように舗装されていない。

 中心部に少し商店街こそあるけれども、あとはポツポツと民家が畑の間に立っている。

 香るのは、草の匂い。

 聞こえるのは川のせせらぎと、鳥の声。時折子供たちの笑い声。

 飛空艇の音なんか聞こえてこない。

 振り返れば地平線がまっすぐ伸びて。

 正面にあるのは高い高い山。

 瑛己は改めて思った。ああ、帰ってきたんだと。

 航空学校に入学する15歳まで過ごした故郷。

 父と母が生まれて育った故郷。

 山間に夕日が消えて行く。

 それを見ながら。

 瑛己は、実家の傍にある小さな墓所へと向かった。

 その一角に、その石碑は建てられていた。

 聖 晴高と、聖 咲子。2人の名前が刻まれた1つの石。

 背負ってきた荷物をその辺りに置き。

「帰りました」

 瑛己は手を合わせた。


  ◇ ◇ ◇


 ほったらかしの家の中、さすがにカビ臭い。

 夜だったが、とりあえず瑛己は手当たり次第窓を開け放った。

 夜風が吹き込む。

 その匂いには、秋が混ざり始めている。

 こういう所だからこそ余計、季節は早く巡ってくる。

 窓から一時月を眺め、瑛己は慣れた様子で家の中を確認して行った。

 水は出る。だが濁っている。蛇口を開けたままにする。

 電気は点く所と点かない所がある。

 コンロに火は点いたので、とりあえずよしとしよう。

 家にあるもので使えそうな食料は缶詰が少々。今日は確認だけして、とりあえずさっき町で買ったパンをナイフで切り落とした。

 透明になった水でフライパンを軽く洗い、火にかける。

 そこに卵を落とし、その間にパンにマヨネーズを薄く塗る。洗って水を切ったレタスを敷き詰める。

 上からハムを載せ、焼きあがった目玉焼きを載せる。

 もう一枚のパンにはツナ缶を開けてそれをパンに広げ。上からチーズを載せて軽く焼く。

 缶珈琲を飲み物に。

 今日の夕食である。

 台所の調理場だけは電源が生きていたので、そこに座って食べた。

「……」

 埃っぽいのは否めないけれど。

 実家だ。

 安心する。




 ランプを1つ用意して、灯りをつけた。

 居間の灯りはつかなかったので、とりあえずそこに置いた。

 掃除は明日かな……と思った。

 寝室はかび臭かったので、とりあえずその辺りに雑魚寝する事にした。

 さすがに今日は疲れた。

(飛たちはどうしたかな)

 途中まで一緒だった。

『帰りに寄ってください! 案内するから!』

 別れ際、秀一が手を振ってそう叫んでいた。

 家の場所を示したメモも貰った。

 それをポケットから出し見る。実家の番号だろうか、連絡先も書いてあった。

 改めてそれをポケットにしまい、瑛己はぼんやりと天井を見た。

 見慣れた染みがあった。少し大きくなった気がした。

「……母さん」

 ふと、呟いた。

 母が亡くなって2年。

 あれからここに戻ってきたのは今日で……何回目だろうか?

 帰宅しても誰もいない、出迎えてくれる者のいない家。

 少し慣れた……そう思う自分と。

 それでもやはり、寂しいと思う自分と。

「……」

 親戚はいる。いつでも頼っておいでとは言われている。

 けれども何となく瑛己には踏み出せない壁がある。

 カビ臭い。けれどもその匂いの中に確かに混ざっている、懐かしい匂い。

 それを感じながら瑛己は目を閉じた。




 夢を見た。

 母の夢だった。

 おかえり、といつもの笑顔で迎えてくれた。

 いい匂いがする。今日はカレーかな。

 靴も鞄も全部玄関に放り出すと、後できちんと片付けなさいと怒られる。

 でも何よりも先に。

 母さんの顔が見たかった。

 今日、テストでね。

 今日、友達とね。

 あふれ出す、たくさんの思い。言葉。

 それを全部母は笑顔で聞いてくれた。

 瑛己は父さんに似てきたね。

 そう言われるたびに、瑛己はちょっと複雑な気持ちになったけれども。

 母が嬉しそうに笑うから。

 その笑顔を見れば、それでもいいかと思った。



 日差しが眩しくて。目を開けると。

 泣いてた自分に気づいた。

 苦笑した。

 やっぱりここは、瑛己の実家で。

 心落ち着く、安らぐ、そういう場所だけれども。同時に。

 思い出が胸をくすぐる場所。


  ◇ ◇ ◇


 実家に戻った瑛己は、翌朝から家の掃除を始めた。

 窓も扉も開け放ち、布団や衣類を干す。床を磨いて窓を磨き、食器も洗う。

 そうしていると途中で、近所のおばさんが尋ねてきた。

「昨日の夜、明かりが点いてたからビックリしたよ! 咲ちゃんのオバケかと思った」

 母の同級生で、小さい頃からよく知るおばさんだった。

 夏の休暇で帰ってきた事を伝えると、おばさんも掃除を手伝ってくれた。

 その晩は、おばさんの家でご馳走になった。

 帰ってきた直後の家の状態ではとても長居はできない気がしたけれども、掃除をしていくうちに何とか住める状態になった。

 水道や電気も近所のおじさんが直してくれた。

 瑛己が帰ってきている事を聞きつけた近所の人たちが次々に差し入れをしてくれて、食料にも困らなかった。

 ひとえに、母親・咲子の人望なのだろう。

 壊れかけていた戸板も直し、屋根も修理した。

 咲子がとてもきれい好きだった事が、瑛己を動かした。

 直しても彼は数日後にはまたここを去る。

 それでもきれいにしておきたいと思った。




 4日目の夜。

 最初の夜とは見違えるほどきれいになった室内で、瑛己は軽い夕食をとっていた。

 今日は、おすそ分けでもらった野菜を煮込んでカレーにした。

 食べ終わりふと、瑛己は母の私室に行った。

 ここに母が好きだった曲のレコードがあったはず。かけてみようと思った。

 探しているうちに、ふと、母の戸棚にある木箱に目が止まった。

 花と蝶が彫られ、赤と黄、緑で色づけされた物だ。見るからに母が好きそうなデザインだった。

 一瞬ためらったが、何となく瑛己はそれを開けてみた。

 中には封書……宛名を見て瑛己は「あ」と思った。父から母に宛てた物だった。

 そして一番奥には小さな手帳が。ペラっとめくってみるとそれは、どうやら父の日記のようだった。

「……」

 何となく瑛己は、胸がざわついた。何かとんでもない物を探り当ててしまった、そんな心境になった。

 父から母への手紙……何て書いてあるんだろう? とは思ったが、何となく、中を見るまでの勇気は出なかった。

 代わりに、父の日記を見てみた。一応心の中で詫びておく。

『飛空艇大破。総監激怒』

『臨時部隊、編成は明日までに』

『増員の手続き、兵庫は不可。しかしとても無理。明日相談』

『鈴木墜落。海に飛び込む。溺れかけた。水泳の訓練必要』

『昼飯うまかった』

 父は筆まめではなかったのではなかろうか? 瑛己はそう思った。

 1日、1文。しかもとても簡単な文章が綴られていた。

『咲子に手紙。返事、夕焼け、コロッケ』

 本人にしか意味がわからないような文章も多かった。

 その中でふと、目に留まったのは。

『橋爪、結婚式。来週。白雀。休暇届け早めに出す』

 橋爪……というと、橋爪 誠総司令の事であろうか?

 20年前、2人は『園原』の航空祭で知り合ったのだと、『園原』総監・雨峰 かんろは言っていた。

 そこから交友が始まったのだろう。

 しかし、

(『白雀』……?)

 あの『白雀』だろうか。いやしかし、ほかに浮かばない。

 地図から消された街、『白雀』。

 来が言っていた。あそこは軍の何らかの実験が行われていたと。

 そして『音羽』総監・高藤は言っていた。そこで、行われた実験により、人は、その起源より存在する石の力を解き放つすべを見つけたのだと。

 石は、〝空の果て〟に繋がっている。

 そしてそれは瑛己の父・晴高を飲み込んだ。

 〝空の欠片〟を守って、瑛己は〝獅子の海〟を飛び。

 【天賦】の無凱はそれを狙っている。

 そして石は今、橋爪 誠が持っているとされる。

 そしてその橋爪と『白雀』。

『俺を恨め。瑛己』

 橋爪が、晴高の葬儀の時に言った言葉。

(何かが)

 ループして。

 繋がっていくような。

 点が線を描き。

 やがて巨大な円を描いて。

 輪として完結する。

 そんな合致感を覚え。

「……」

 瑛己はもう一度、父の手帳を見た。

 そこには一言。

『もう一度、瑛己と飛びたい』


  ◇ ◇ ◇



 今日は満月だ。

 飛はそれをぼんやり眺めた。

 窓から勝手に月明かりが入ってきて、自分を照らす。

 今頃瑛己はどないしとるんやろか、そう思った。

(あいつの両親は……)

 秀一は知ってるんだろうか?

 深く突っ込んで聞かなかったが―――。

 今頃瑛己は一人なんだろうか? そう思い、飛は満月を眺めた。

 実家の自室。

 ベットに寝そべり、飛は思う。

「……」

 実家に戻って数日。

 祖父・祖母共に喜んで迎えてくれた。

 けれども飛にはここが、いつもよりくつろげるとか、安心できるとか。そういう感慨は今のところ湧いてこない。

 むしろ心は空っぽで。

「……」

 陸は性分じゃない。

 けれども空に上がりたいとも思えない。

 今自分はどこにいるのか。

 それもわからずただぼんやり時を過ごしている。

(どうしたいのか)

 手を見る。

 包帯だらけだ。その怪我は何だと散々聞かれて、そのたびにコケたと言い続けてる。

 痛みはある。けれどもそれが頭に伝わってこない。

「飛、お風呂入ってきなよ」

 不意に、部屋の扉が開けられた。「また、明かりもつけないで」

 秀一だった。

 飛はチラっと目だけそちらに向けた。

 『天晴』に戻って以来、秀一は飛の実家に居続けている。

 それほど距離はないにも関わらず、飛の傍を離れない。

 飛の祖父・祖母は大歓迎で秀一を置いているが。

「お前、」と飛は口を開いた。「実家、戻らんでいいんか」

「……明日考える」そう言い続けて4日経つ。

 秀一の実家は診療所だ。両親共に医者。

 秀一にも医療の道を……そう望まれていたのを押し切って、空軍に入った。

 大喧嘩だった。

 実家に戻りにくい気持ちもわかった。

 ならなぜあの時、故郷に戻ろうと言い出したのか。

(俺のためか……)

 飛はため息を吐いた。

「お前」

「何」

「……何でもね」

「ねぇ飛、後でさ、花火でもしない? 昼間に買ってきたからさ」

「んー」

「瑛己さんもいたらよかったよね」

「……」

「今頃、何してんのかなー」

 飛は答えなかった。

 ただ少し。ほんの少し。

 胸がチクっとした。

 ただそれがなぜなのか、飛にはまだわからない。


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