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 『この手、もがけばもがくほど(conflicted)』-2-

 ダッダッダ

 ゴーグルを握り締め、襟元のマフラーを飛行服の中に押しやりながら。瑛己は走っていた。

 緊急招集。

 時刻は早朝、0500。空が白み始めた頃である。

「急げ!!」

 前を行く小暮が、叱咤する。

 瑛己、秀一がそれに続き、さらに後ろから飛が駆けていた。

 ―――領海内で、『蒼国』の積荷を載せた輸送船が襲われた。

 場所は北西部。『零』地区寄りの海域。

「飛!! 走れ!!」

 襲ったと思われるのは、空賊【蜘網(timou)】。

 黄と紫のまだら模様の機体が特徴的な集団である。

 角を曲がれば格納庫。瑛己はゴーグルを頭に引っ掛けた。

 振り返ると飛とジンが、少し距離を開けてこちらに向かっていた。

「聖、相楽!!」

 小暮に呼ばれ、瑛己は再び走り始める。

 格納庫には別の隊も集まってきていた。

「状況は」

 磐木の声に、他の隊の者が答える。

「332、続いて309、先に現場に向かいました」

「うむ」

 続くぞ、と磐木は『七ツ』面々に大きく頷いて見せた。

 瑛己の飛空艇はまだ届いていない。基地の予備用を使っている。

 それは磐木も同様。

「今日は『葛雲』には乗ないんスか?」

 茶化す新を磐木は睨みつけた。

「無駄口叩く暇があるなら、とっとと乗り込め!」

「へーい」

 しかし瑛己は、一瞬磐木の目が『葛雲』に注がれたのを見逃さなかった。

「無理するなよ」

 小暮が、秀一の肩をポンと叩いた。彼はそれに笑って見せた。

 そして秀一と瑛己は、遅れて到着した飛とジンを見た。

「飛、」

 少しためらいがちに声を掛ける秀一に、飛は。

「……」

 険しい顔つきでそれを無視し、機体に向かった。

「……」

 飛のその表情に、瑛己も気にかかった。

 だが。

「とっとと準備しろ!!」

 ジンの声に押され、機体に乗り込んだ。





 バク、バク、バク……




「飛」

 磐木が声を掛けた。

「気負うな、今日は。いいな。ついてくるだけでいい」

「……はい」

 大きな手で、頭をクシャリとされた。

 飛は深く息を吸い込み、吐いた。

 離陸の準備をしていく。

 エンジン、無線機、レーダー……スイッチを入れて行く。表示を確認。いつも通りの手順だ。

 けれどもいつもと違うのは、手の強張りと。

 心臓の音。

 バクバク言ってる。

 すべての音が、その音に支配されているように。

 むしろそれしか、聞こえない。

(何でや)

 飛は眉間にしわを寄せた。

 こんなのいつもの事やないか。

(冷静になれ)

 今まで何回飛んできた?

 何を緊張しとるんや。

 そう思う自分と、

 ―――また、ああなるかもしれん。

 そう思う自分。

 この前の模擬空戦の時。起こった症状。

 過呼吸、パニック……医者に言われた。精神的な物だと言われた。ピンとこなかった。何もかも。

 あれから日常では、何も起こらなかった。

 普通に生活して、あの症状は出ない。

 けれども。飛はあれ以来飛んでいない。

 今日が、あの日以来のフライトになる。

(大丈夫や)

 ―――またなったらどうしよう。

 あの時の感覚は、……恐ろしい。

 心臓が、飛び出しそうだった。

 手が震えて、全身震えて、首まで震えて。頭がグラグラして。

 ワケがわからなくなった。

 ヒュっと、体の温度が一気に上がって。

 首から上、耳が真っ赤になる感触。

 呼吸が、ままならなくなって。

 自分の体なのに。

(……あんな状態なのに)

 体に異常はなく、ただ、心の病だなんて……。

 ―――飛空艇は、逃げ場、ない。

 発作が起きても、機体を下ろす場所はない。

 海に飛び込むしかない。

 この前は基地がそばだったから、すぐに拾い上げてもらえたけれども。

(今度は)

 拾い上げてもらえるだろうか?

 第一飛び込めるんだろうか? 海に、あんな状況で咄嗟に?

 このままエンジンをかけたら、もう引き返せない。

 走り出したら、空に上がる。空に上がればもう、逃げ場はない。

 逃げ場はない。

 逃げ場はない。

 逃げ場はない。





 逃げられない。





「―――ッ」




 アカン。そう思ったのが、飛がまともな思考で思った言葉の、限界だった。





《行くぞ》

 磐木の言葉に、1機、また1機と機体が格納庫から滑走路へと動き出した。

 そしてそのまま空へと目指す。

 だが。最初に気づいたのはジンだった。

《隊長!! 飛がきてません!!》

《何!?》

 瑛己は陸を振り返った。

「飛」




 ……結局。

 327飛空隊は、現場へ行く事なく基地へと戻った。

 滑走路に下りて、瑛己が最初に見た物は。

 担架で運ばれていく、飛の姿だった―――。



  ◇ ◇ ◇


 日の落ちるのが早くなった。そう思う。

 まだ夕刻には時間があるのに、総監室の大きな窓から差し込む日の光は、夕の気配を帯びている。

 それに照らされた白河の横顔を、磐木はぼんやりと見ていた。

「さっき全隊無事に帰参した。相手はやはり【蜘網】で、現場にいた全員を取り押さえる事ができた」

「そうですか」

 白河は磐木を見る事なく、積まれた書類にサインを入れていた。

「【蜘網】の連中はそのまま収監だ。こちらの怪我人はゼロ。飛空艇の破損も軽度で済んだ。309飛空隊の松岡君が頑張ったようだよ」

「……そうですか」

「捕まった中に【蜘網】の幹部連中はいなかった。まだ次回持ち越しだな」

「……」

「輸送船の損傷はあったが、積荷は無事だ。『永瀬』基地に在中していた『鹿乗(kanori)』基地所属部隊が、現地までの護衛を勤める事になった」

「……」

 ここにきてようやく、白河はチラっと目だけで磐木を見た。

「磐木」

「……は」

「何て顔をしてるんだ」

 磐木は顔を上げた。

 白河は苦笑した。

「らしくないな」

「……は」

「どうした」

「……」

 目をそらした磐木は、床の模様に目を移した。

「座れ」

「いえ、俺は」

「そこでそんな顔して立ってられたら、俺も落ち着かないよ」

 ハハハと笑う白河に、磐木は声を詰まらせ。渋々といった様子でソファに腰をかけた。

「どうした」

「……いえ」

「ん?」

 書類を見ながら、白河は優しい口調で問いかけた。

 磐木はそんな白河を一瞥だけして、また、床の模様を見た。

 その表情は、隊長・磐木 徹志として隊の者に見せた事のないものだった。

「須賀君の事か?」

「……」

「出発間際、また発作が起きたらしいな」

「……は」

「飛んでからじゃなくて、よかったじゃないか」

「……」

 白河は目を通した書類にサインを入れる。そしてまた次の書類を手に取る。

「今は医務室か?」

「はい……」そう返事してから。

 やがて磐木はポツリと呟いた。

「自分のせい、でしょうか」

「ん?」

「須賀が、あんなふうになったのは」

 白河は今度はしっかりと磐木を見た。「どうして」

「なぜそう思う?」

「……自分が追い詰めたのかもしれません……」

 過酷な隊務、そして秀一の事。

 けれども磐木は思う。

 自分はこれまで、規律を重んじ、厳しいだけの隊長だった。

 それが一層、飛を追い詰めていったのではないか?

 もっと自分に隊長としての器量があって。

 もっと隊員に気を配れる隊長であれば。

 飛は、あんな事にならなかったのではないだろうか?

 自分のやり方の悪さが。

 飛を追い詰め。

(〝七ツ〟の誓いなんぞ……)

 自分の胸の中だけの事。自分だけが、聖 晴高に誓えばいいのに。

(なぜあんな話を)

 他の者たちにも、足枷あしかせを作っているのではないだろうか??

「自分は、隊長には向いていません」

「……」

 白河は、じっと磐木を見た。磐木はその目を受けなかった。

 そしてふっと、白河は息をこぼした。「それ、」

「最初も言ってたな。覚えてるか?」

「……」

「何度も何度も。俺がお前に隊を持たせようとするたびに、お前はそうやって断り続けた。自分には向いてません、と言ってな」

「……」

「でもな、磐木。俺はお前に隊を持たせたかった。そしてその選択を、間違っていたとは思ってないよ」

「……」

「誰でもつまづく」そう言って、白河はまた書類に目を落とした。「順風満帆に生涯、つまづく事なく走る事ができる人間なんかいやしない」

「……」

「そして越えられない試練を、神は与えはしない。乗り越えてさらに強くなる事を願うからこそ、神は人に試練を課す。俺はそう思う」

「……」

「須賀君なら越えるだろう。どんな高みでも、壁でも、ぶち壊して突破する。そういう奴だろう? そしてお前も」

「……総監」

「信じてやれ。そして俺はお前の事、信じてるよ」

「……」

 白河は微笑んでいた。それはとても優しい微笑みだった。

 磐木は目をそらし、そして目を閉じた。



  ◇ ◇ ◇


 ダッダッダッダ

 秀一は走っていた。

「すいません、飛を見ませんでしたか!?」

 飛がいなくなった。

 医務の佐脇先生が席を外した隙に、看護婦の制止を振り切って出て行ったのだという。

 それからもう、かなり時間が経っている。

 空は暗み始めている。水平線に一線、赤の滲みを残すのみ。

 施設内の電灯は、すべて点灯した。

「すいません! 飛を、327の須賀を見かけませんでしたか!?」

 宿舎に戻っていなかった。受付でも聞いたが、通った様子はない。

 食堂にも行ってない。『海雲亭』までも走った。けれどもそこにもいない。

 海月には、来たらすぐに基地に戻るようにと告げてきた。

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 すれ違う隊員に聞いて回るが、誰も、彼を見た者はいなかった。

「飛、」

 走り続けて、息が続かなくなり、秀一はいよいよ立ち止まった。

 膝に手をつき、乱れる息を整える。

「ハァ、ハァ、ハァ」

 涙が出そうだった。

「飛」

 こんな時、飛がどこへ行くのか。秀一には思い浮かばなかった。

(いや、)

 むしろ。

 飛が行く場所は。

「―――!」

 1つしかない。

 バカだ、僕は。そう思いながら秀一は再び走った。

 格納庫へ。




「ハァ、ハァ、ハァ」

 足がガクガクする。

 けれども秀一は、荒れた息の中わずかに微笑んだ。

 飛はいた。格納庫。

 自分の飛空艇の前に、ポツンと立っていた。

「飛、」

 汗を拭い、ゆっくりと傍へと向かう。

「探したよ、もう……」

 急にいなくなるから、慌てたじゃないか……そう言おうとした刹那。

「来るな」

 その背中が言った。

「飛」

「……」

 無言の背中、その圧力に。

 秀一はピタリと、足を止めた。

「……飛、」

「……」

「宿舎に……戻ろう? 夜風は体に良くないよ」

「……」

「お腹、減っただろ? 『海雲亭』行こうよ。新メニューできたって。絶対おいしいからって海月さんが」

「……」

「飛」

 1歩。秀一が踏み出そうとしたその時。

 飛は突然その拳を振り上げ。

 自分の飛空艇を、殴りつけた。

「―――ッ!! 飛ッ!!」

「アァアアアアアア!!!!!」

 その右で、機体を何度も何度も。

 殴られたバックミラーの鏡が砕けた。

 破片が飛ぶ。拳が切れる。けれども飛は殴るのをやめなかった。

「やめてッ!!!! 飛!!!!」

 その体に飛びついた秀一を、なりふり構わずふっ飛ばす。

「アアアアアアァァァァアアァァアアアアァァア!!!!」

 秀一は尻餅をついたが、すぐさま立ち上がり、またその腕にしがみついた。

「やめて飛!! お願いだから!!!」

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」

 飛の息が上がってる。けれどもそれは、尋常な様子じゃない。

 体当たりに近い方法で飛を地面に押さえ込む。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「飛」

 秀一は必死にその肩を抑えた。

「退けッ……!!」

「退かない!!」

「……くそったれッ」

 秀一は飛の胸に顔を埋め、必死に、飛の心が静まるのを待った。

 そして。

 ようやく飛の腕が弱まり、呼吸も少し落ち着いてきたのを感じた。

 肩を掴む手を、少し緩めて。

 その顔を見上げようとしたが。

「……何でや」

 飛が呟いた。

 それは、涙声だった。

「何で、こんなふうに、なってまったんや」

「……」

「飛べんかなったら、俺は……」

「飛」

 秀一は、飛の胸に顔を埋めたまま、上げなかった。

 飛が泣いている。

「飛べんくなったら俺に、何が残るっちゅーんや」

 涙が。出てきた。

「飛べんくなったら、俺は、どないすればいいっちゅーんや」

 秀一は、飛の肩をぎゅっと掴んだ。

 その腕が不意に動いた。

 飛は泣きながら、手を伸ばしていた。空へ向かって。

 もがくように。

 その手は血まみれだった。

 そしてそのまま、ダンと地面を殴った。




 そんな事言わないで、とその時秀一には言えなかった。

 ただ、痛くて。

 涙があふれて止まらなかった。



 

+注意+


この回にはパニック障害に関する記述があります。

ご気分を悪くされないようにご注意ください。

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