『この手、もがけばもがくほど(conflicted)』-1-
―――『黒国』臨海。
一機の飛空艇が、空をまっすぐ飛んでいた。
その色は真紅。
夕の空に、その赤はさらに深みを増して空に輝きを放っている。
太陽のすべての光をさらったようなその機体、名前は『アルデバラン』。
そしてその機体を操るのも、星の名を持つ者。
本上 昴。
赤く染まった大地と海と、空を、昴は目を凝らして見ていた。
彼女は探していた。
(兄者……)
どこかにその痕跡がないかと。
しかしそれは容易い事ではない。
彼女の兄、本上 来。
(最近兄者はおかしい)
前以上に家を留守にする事が多くなった。
調べたい事がある。そう言って出て行くけれども。
それが一体何なのか、昴にはわからない。
(ただ、)
発端だけはわかってる。
―――聖 瑛己。
彼に会ってから。そして、あの時無凱と再会してから。
(兄者は変わった)
それがいい事なのか、悪い事なのか。
ただ昴は感じる。
(……胸騒ぎがする)
来が調べている事。
それがいつか……来の身に危険を及ぼす事のような気がして。
背中を見送る昴はいつも、不安に駆られる。
(私の知らない兄者)
昴が知らない来の顔。それは彼女が思うよりもずっとすっと多いのかもしれない。
かつて【天賦】総統・無凱の片腕と言われた男。
(兄者……)
けれども昴の知る来はいつも優しく微笑んでいる。
仕事に対しては冷静で、叱られる事もあるけれども。
でも、正直昴は、とてもその頃の姿を想像する事ができない
「……」
昴にとってたった1人の肉親。唯一無二の存在である。
その来を『黒』周辺で見かけた。そういう噂を聞いたから。
今日ははここまで出てきた。
もちろん空は広い。
簡単に見つかるとは、思っていなかったけれども。
昴は軽く息を吐いた。
……諦めようか。
もうじき空は本格的に闇に落ちる。
そうなってしまったらもう、探しようがない。いくら夜目に長けている昴と言えど、夜は見える範囲に限界もある。
昴は西の空を見た。夕焼けが、きれいだった。
1日で一番昴はこの時間が好きだ。
真っ青だった空が赤く染まっていく。そして闇へと溶けていく。
その刹那的な空が好きで、どうしても心が惹かれてしまう。見入ってしまう。
帰りに『湊』に寄ろう、そう思った。久しぶりに聖の顔でも見に行こう。
そうだ、あの子に何かお土産でも持って行こう。相楽……もう体調は戻っただろうか?
その時、丁度真正面。
夕空の下、ポツンと何か見えた。
レーダーを見る。何も点いてない。
もう一度確認する。
目を細める。
けれど錯覚じゃない。
何か飛んでる。
こっちに向かってくる。
白い、輪郭。
昴はゴーグルを上げた。
―――聞いた事がある。
ある飛空艇乗りの話だ。
その機体は、レーダーには映らないのだと言う。
1点の曇りもない、白い機体を操り。
その飛行は見た者すべてを、魅了する。
翻すのは、〝絶対の翼〟。
もしも〝彼〟を墜とす事ができたなら。
その名は、空の歴史に、残るであろう。
この空に、いまだ、並ぶ者なきその飛空艇乗りの名は。
「空(ku_u)……!!」
まさか。
ここで。
「何でこんな所に、あんたがいんのよ……!」
でも。
昴は歯を食いしばり。ゴーグルを戻した。
そして真っ向睨みつけ。呟いた。
「会いたかった」
白い鳥は、速度も高度も向きも何も変えない。
ただまっすぐ飛んでくる。
昴もまた、まっすぐ。
〝彼〟に向かった。
昴に見えている。それはつまり空(ku_u)にも見えている。
昴は操縦桿を握り締めた。
腕、足、目、耳……体全部の神経が、五感が、研ぎ澄まされていく。
その感覚を第六感まで引き上げろ。
汗が流れた。
それをピッと、指で払った。
いよいよ、機体は鮮明に輪郭を現した。
空に雲はない。
風の音に、殺気がこもる。
赤と白。2つの機体が夕空の下。
いよいよ、交差しようとしたその瞬間。
昴はギアを切り替えた。
そのまま最速で翼を反転させる。
ドドドドドド
その横っ面に打ちかける。
けれども空(ku_u)が早い。
それを見越したように下へと逃げる。
その後ろを追いかける。
ドドドドド
白い機体はあざ笑うように、斜めに空を滑ってかわす。
エンジンを踏み込む。
左に切った空(ku_u)に、昴の反応も早い。
バババババ
艇体の腹につけてある砲弾打ち込む。
それを上に避ける空(ku_u)に、昴は次の弾を打ちかける。
弾は機体の上と下にきれいに宙を切り裂いた。
昴は舌打ちをした。
空(ku_u)の機体は右へ左へと、器用に動くが。
「舐めんなッッ!!!」
昴はそれについて行く。
(早い)
それでもこれくらいなら、ついていける。
後ろは自分が取っている。
かつて来は空(ku_u)と戦った事があると言っていた。敵う相手ではなかったと苦笑していたけれども。
(いける)
昴は思った。
ドドドドド
空(ku_u)のエンジン部分を狙う。一瞬で空(ku_u)は避ける。
でも昴の切り替えしも早い。
次に出たのは白の機体のどてっ腹。
(もらった)
打ちかける。
タイミング、条件、すべてが合致して。
射抜ける間合いであったのに。
瞬間。
その白い機体が、消えた。
昴はハッと目を見開き。
(伸びた!?)
「バカな」
一瞬、速度が伸びた!?
そして見た真横に。
白の機体。
ドドドドドド
「ぐぁッ!?」
咄嗟の判断、上へ避ける。腕が勝手に動いた。
けれどもその瞬間、昴は左斜めに操縦桿を切った。
下から突き上げられるかのように、弾丸が叩き込まれる。
翼を回転させて避けるが、数発入った。
「マズッ」
呻いている暇はない。バックミラーを確認する。アクセルを踏み変える。操縦桿を切りなおす。ギアは。
その時真正面。白き飛空艇。
(撃たれる)
間髪昴は下へと逃げた。
空(ku_u)の機体は翼を薙ぐようにして、昴の真上の空を掻っ切る。
感覚が頓挫する。
立て直せ! 何度も何度も自分に言い聞かせる。
背中に寒気が走った。
ブンッという鋭い風の音と共に、沸き起こる突風。
空(ku_u)が斜めから昴に撃ちこんでくる。
操縦桿を傾けるが、かわしきれない。
整わない体制のまま、今度は上から。
追い立てられる、弾の嵐。
でもそれはすべて、昴の真横を抜けて行く。
(わざと)
外されている。
「ざけんなッッ!!!」
アクセルを踏み込む。
海面スレスレまで持って行く。
最速。
激突寸前、そこで直角、左へひねる。翼の一端が海を切る。
重力と苦渋が、彼女の顔を歪める。
バックミラーに映った、白い飛空艇の輪郭。
ここでひねれば。
多分見える、正面、空(ku_u)の尻尾。
(ここで捕まえる)
そう思って懇親の力を込めてアクセルを踏み込んだけれども。
上へとひねる彼女の真正面に。上から。斜めに。
それは躍り出た。
白き、絶対の翼。
まるで天から、舞い降りたかのように。
それは太陽の最後の光を浴びて。
白き機体は、神々しいまでの光を放った。
「―――」
昴は唖然と目を見開いた。
早いとか、もうそういうレベルではない。
昴はその時痛感した。兄の言葉を痛感した。
この速さは、この反応は、もはや。
―――神の領域。
ズンッという突風と共に、空(ku_u)は真下を凪いだ。
撃たなかった、そう思った。
昴は振り返った。
けれどもその時気がついた。
空(ku_u)は、撃っていた。
エンジンのギリギリ。
昴は感じる。残ったのは皮一枚。
もうあと数センチで、燃料がぶっ飛ぶ。そんなスレスレの場所を撃たれた。
音すらしなかった。発砲の揺らぎすらなかった。
何の気配もない、静かなまでの射撃に。
赤の機体はグラリと、揺れた。
「ちくしょッ」
これ以上の空戦を続ければ、間違いなく、今の場所から機体は吹っ飛ぶ。
昴は空(ku_u)を見た。
追いかけたい。でも。
ここで今、この機体を壊すわけにはいかない。
何より、この機体は昴にとって大事な片腕。
相棒。
「……ッ!」
唇を噛み締め、昴はその場から全力で背走した。
空(ku_u)は追ってこなかった。
それがなお、昴にとって屈辱的だった。
(あれが―――)
初めて昴は、対した翼に恐怖した。
いや……恐怖を超えたこれは。
絶望。
冷や汗と共に、昴は自身の胸倉を掴んだ。
きつく、きつく。
◇ ◇ ◇
22
眠い。瑛己はそう思った。
今日は少し涼しい気がする。
真夏の暑さに比べたら最近は、めっきり秋に近づいたように思う。
それでもまだ、太陽の熱は肌を焼く。
すっかり焼けたなと、瑛己は自分の腕を見て思った。
今日は非番である。
瑛己は基地内にある図書館へときていた。
『湊』へ戻って10日ほどが経つ。
最近は、時間があればここにきている。
とりあえず『飛空新聞』に目を通し、それから置いていあるすべての新聞に目を通す。
その作業を終えた後は書棚を舐めるように見て行く。
それがほぼ日課となりつつあった。
窓がビシビシと音を立てたのでふと見れば、滑走路から飛空艇が飛んで行くのが見えた。
瑛己たちが基地を離れた間に、巡察が再開された。
建設中だった格納庫も完成し、いよいよ『湊』は元の姿に戻ったと言える。
瑛己は飛んで行く部隊を見送り、また本棚に目を戻した。
あの日以来、目立った事は何も起こらない。
『園原』航空祭の事は新聞に載っていた。そして途中で事故があったとは書かれていたが、その詳しい内容には触れられていなかった。
まして、橋爪総司令長官が襲撃されたなどという事はまったく。一文も触れられていなかった。
他のメディアも同様。その件は報道規制が掛けられているようだった。
山岡はどうしたんだろうか? その行方も知れない。
なぜ彼はあんな事をしたんだろう? やはり【竜狩り士】ゆえの所業だったのか。
彼に直接会った後だっただけに、気になった。
そして、瑛己がさらに気にしている事は。
(空……)
あの少女の事である。
新聞に触れられていないか、活字になっていないかと探しているが……今の所、成果は出ていない。
しかし。基地にあって瑛己がその痕跡を探せるのはここのみ。
瑛己は書棚の中を歩いた。
書棚に何かヒントはないかと探すものの。結局どうしてもいつも決まって、同じ場所の同じ本に目が止まる。
『〝空の果て〟についての研究書』。
以前街の本屋で見つけて、同じ物を彼は持っている。
何度か読んだ。今は部屋の本立てに収まっている。
「〝空の果て〟か……」
瑛己は呟いた。
結局、よくわからない……そう思った。
本を読んでももちろん、その原因はわからなかった。
一体何が起こり、そんな事が起こったのか。
瑛己は無意識にその本を手にした。
パラパラとめくっていく。読み覚えのある文章。
その中でふと、瑛己は目をとめた。
そこにはこう書かれてあった。
―――『ビスタチオ』の古い書物の中の一節に、空が割れたという記述がある。
そうだ……確かここにはこう書かれてあった。その古文書推察するに、かつて『ビスタチオ』では〝空の果て〟が現れたのではないかと。
「『ビスタチオ』……」
遠い国だ。北の海を制している大国である。
1年の半分以上を雪と氷が占めている。暮らすには厳しい環境とも言える。
そう思えば『蒼国』は四季がある。住みやすい国だ。
待てよ、と思った。
『ビスタチオ』といえば……山岡が言っていた。
産業都市・『ム・ル』を空(ku_u)が一夜で滅ぼしたのだと。
瑛己はもう一度本を見た。
『ビスタチオ』で空が割れた……それは、どこだ?
あの国は広い。『蒼国』の10倍以上はある。
ページをめくったが結局、そこまでは記載されていなかった。
瑛己は別の本を探した。
『ビスタチオ』の事が書かれた本。
題名にその名前の書かれた本を片っ端から手に取り、閲覧用のテーブルに広げた。
『ビスタチオの歴史』、『ビスタチオの宗教』、『国旗の由来』、『民族』……。
その中の、『ビスタチオの伝承』という本にまず目が止まり。瑛己は表紙をめくった。
そこに1枚の白黒の挿絵があった。
それを見て、瑛己は固まった。
そこには、巨大な男が書かれていた。
太い腕と、太い足。そして強靭な体躯。
まるで巨人。空に向かって腕を振り上げている。
瞬間的に、ある人物を思い出した。
「無凱」
大きく口を開き笑う、あの男。
瑛己はその本を読み進めた。
題名の通り、『ビスタチオ』にまつわる伝承が様々書かれていた。
だがここには、〝空の果て〟については何も記載されていなかった。
ただし、気になる文章があった。
―――不死の研究。
かつてこの国では盛んに、その研究が成され。
そしてある時、その研究は一切禁止されるようになった。
研究した者、したと噂される者、囁かれた者は。
全員を死刑。
……ひどい虐殺が行われたようだった。
その他数冊借りて、図書館を出た。
その頃にはもう、日が傾き始めていた。
◇ ◇ ◇
雲が黒く染まっていく。
飛はそれをぼんやり眺め、息を吐いた。
白い煙がふぅと飛び出し、いつの間にか消えて行く。
宿舎の屋上。
大の字になって、そこに寝転んで。
ふぅと息を吐いては灰を落とし、また腕を持ち上げ煙草をふかして。
それを繰り返していた。
彼の傍らには、潰された吸殻が幾つも幾つも転がっていた。
ゴォォォという音が空に響く。巡察隊が帰ってきたらしい。
「……」
飛は腕を下ろし、吸いかけのそれを潰した。
そしてその手を頭の後ろにやった。
「……」
もう片方の手を目の前に持ってきた。そして空に向かって突き出した。
逆光に、手は黒く。
その空に輪郭だけがはっきりと浮かぶ。
もっと前へ。もっと高く。
もがくように突き出すけれども。
不意に飛はその手を引っ込めた。
「……笑ってまう」
小さく自嘲気味に笑うと、目を閉じた。
耳の奥で、心臓の音がする。
やけにうるさく。
少し、耳障りなほどに。
2012.5.6.誤字修正