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 『激突(crossroads)』-4-

  ◇ ◇ ◇


 時島が、銃口を向けている。

 瑛己はその前で一人、立ち尽くしている。

 ただ一面に白い白い空間で。

 他には何も、存在しない。

『聖 瑛己飛空兵』

 その白い空間に。時島の赤のルージュだけがやけにはっきりと見えて。

 そしてその声はやけに、響くように聞こえた。

『あなたが見たすべての事を、忘れてください』

 瑛己はけれどかぶりを振ってこう答える。

 忘れろと言われて簡単に忘れられるほど、俺は、器用ではありません。

 そして時島に言った。

 なぜ彼女は―――。

 この空を、たった1人で。

 並ぶ者なき、〝絶対の翼〟と称され。

 それほどまでの圧巻の翼を持って。

 一体どこへ、何のために―――。

『その答えが、知りたいのなら』

 銃口が光る。

 そしてその姿が、一瞬にして。

 橋爪 誠に変わった。

『俺を恨め、瑛己』

 瑛己は目を見開いた。

 白い世界に轟音と、黒い黒い雲が横切る。

 風などなかったのに。いきなり吹き始めた突風と。

 橋爪の姿と。

 その背後にいる時島。

 そしてその後ろに立つのは、飛行服姿の。

「空」




「瑛己ッッ!!! 聖 瑛己ッッ!!」

 ゴホッと瑛己は水を吐き出した。それで気がついた。

「ハァハァ……」

「馬鹿者!!!」

 目を開けるとそこに、何人もの顔がいた。

 空が逆光になって誰が誰だかはよくわからないが。磐木の怒鳴り声だけはよくわかった。

「聖が気がついた!! 担架急げ!!」

 誰かが叫んだ。

 似たような事が前にもあったなと、瑛己は思った。ああ、……〝輝向湾(kukouwan)〟だ。

 空(ku_u)との戦闘の末に海に飛び込んで―――そこまで至り、ようやく瑛己はハッと目を見開いた。

「飛は!?」

 身を起こそうとした刹那。

 ダダダダダダ!!!

「山岡だーーーー!!!!」

「伏せろーーーーッッ!!!」

 ドドドドドド

 磐木が瑛己の上にかぶさった。

「司令ーーー!!!」

 煙の匂いがする。

 意識が混濁していて、瑛己はまだ理解が追いつかない。何が起こってる?

 飛を助けて海へ飛び込んで。

 飛はどうなった?

(山岡……?)

 口の中が埃っぽい。

 日差しは照りつけるのに、寒気がする。

「司令お逃げください!!」

「またこっちにきます!!」

「隠れて―――!!」

 ドドドドド

 瑛己の頭上を、逆光に黒く、その飛空艇が横切った。

 それはたった一瞬の事。

 だがその機体の中央に描かれたそれを。磐木の肩越しに瑛己の目は捕らえた。

「山岡 篤」

 ドドドドドド

 銃声が響く。

 瑛己はもがいた。

 山岡が、なぜ!?

「聖ッ」

 磐木を押しのけ、半身を起こすと。

 残骸の中、ただ一人。立っている黒い男。

 瑛己は眉を寄せた。

(あれは、)

 橋爪の―――。




 動けば終わりなのである。

 山岡は橋爪の真横を撃っている。

 その場から1歩でも動けば、逃げ出せば。

 弾丸は彼の体を貫くであろう。

「一歩も退かないか」

 山岡は唇の端を吊り上げた。

 旋回する。

「もう一回」

 地上スレスレまで高度を落とす。

 これがラストだ。

 山岡は、橋爪の姿を捉えた。

 橋爪は最初の位置から微動だにしない。

 そして真っ向、こちらを見据えている。

 その目が、山岡のそれと重なる。

 射撃ボタンに手をかけた。

「次は」

 そして指を押し込もうとした瞬間。

 人が、橋爪の前に躍り出た。

 『園原』空軍基地、総監・雨峰 かんろ。

 彼女は橋爪をかばうように、その両手を広げた。

 山岡はそれでも撃とうとした。やろうと思えば、雨峰の体を貫いて、橋爪に当てる事もできる。

 けれども。その瞬間。

 脳裏に浮かんだ、1つの映像。




 1人の女性の姿。




「―――!」




 ザンッという音と共に、セピアの飛空艇は2人の真上をすり抜けた。




「山岡逃げます!!」

「追撃急げ!!」

「配備が追いつきません!!」

「我らが行きます!!」

「『飛天』の装弾急げッッ!!」

 怒号と喧騒。

 瑛己は発作的に、立ち上がろうとした。

 だがその肩を磐木が掴んだ。

「聖! 大丈夫か!?」

「追わないと……」

「いい。俺たちはいいんだ」

「しかし……」

 山岡……瑛己は彼が去った空を見た。

 そうこうしているうちに、滑走路から、剣を背負った機体が数機飛び出した。

 ゴボゴボと、瑛己はむせた。

「誰か!! 担架を!!」

「聖を病院へ!!」

「司令、お怪我は―――!?」

 弾けたように、人が動き出す。

 空を地鳴りのようにゴォォォという音が響いた。

 一瞬視界が暗くなり、見上げれば、巨大な雲が太陽を覆っていた。

 瑛己は橋爪を見た。

 瓦礫の中で立ちすくむその背中が。ふっとこちらを振り返った。

「……」

 瑛己は声を上げようとした。

 だがそれより先に、橋爪は周りの人間に促されて。足早に去って行く。

 彼はそれを目で追った。

 そうこうしているうちに瑛己の周りもバタバタと人が寄り。無理やり担架に乗せられた。

「大丈夫です、俺は……」

「動くな! とにかく病院へ!!」

 磐木に押さえつけられる。

 心臓が鳴っている。

 ドク、ドク、ドク、ドク

 空は眩しい。瑛己は目を閉じた。

「司令長官、お怪我は―――」

 耳の端にそんな声を聞きながら。

 担架ごと緊急車両に乗せられた。



(橋爪のおじさん……)

 目が合った。

 そんな気がした。

 だとしたら、12年ぶりだ。

 あの日以来の。


  ◇ ◇ ◇


 瑛己はそれから、『園原』の市街地にある病院に運ばれた。

 色々な検査をされた結果、瑛己の怪我は全身の軽い打撲だけだった。

 大丈夫ですと言い張ったが、結局そのまま安静をとってその夜は病院で過ごす事となった。

 飛も同じ病院に運ばれ、こちらはむしろ無傷だったと聞き。瑛己は安堵した。

「後で会いに行ってやれ」

 一通りの検査を終え病室に戻った瑛己に磐木が言った。

「外傷はない。他の検査も、どこにも異常はなかった」

「……」

 ならば一体飛は……? 瑛己は虚空を見つめた。

 あの瞬間、瑛己は必死だった。とにかく飛を引っ張り出す事しか考えていなかった。

 けれども確かに彼は見た。

 操縦席でうずくまる、飛の姿を。

 かろうじて操縦桿こそ握っていたが。

(ただ、握り締めていただけ……)

 瑛己は眉を寄せた。

「飛は、一体……」

 どうして。

 異常がなかった?

 けれども、あの時の飛は―――そう思った瑛己に。

 磐木は低い声で、うめくように呟いた。

「過呼吸だ」

「?」

「あの時飛が起こしていたのは……おそらく、過呼吸だ」

「過呼吸……?」

「外傷はない。体にも異常は見当たらない。だが……医師の見立てでは、飛は飛行中過呼吸を起こした」

「……」

「原因は、精神的なものだそうだ」

「精神……」

「度重なる作戦……大きな事故にこそならなかったが、どれもギリギリの物ばかりだった。それにくわえてのあの、【無双】壊滅作戦……あの撃墜、そして人質……挙句に起こった『日嵩』による襲撃」

「……」

「中でも飛に一番影響を与えたのは、秀一なんだろう」

 ―――生きるって何やろう?

 意識を失った秀一。管だらけになって横たわる彼の姿。

 それを見た時の、飛。

 そして昨晩。

 ―――飛ぶのが、怖い。

 飛はそう言った。瑛己はそれを見ている。

「心の、傷……」

 ゴクリと唾を飲み込んだ。

「飛は精神に傷を負った。そこに飛行の緊張感、戦闘の緊張感、操縦席という閉鎖された場所、模擬とは言え銃口を向けられた。それが引き金に起こったパニック症状からの過呼吸、だそうだ」

「……」

 パニック症状。

「飛が……」

 瑛己は息を呑んだ。

「お前は? ……大丈夫か?」

 問われ、瑛己は顔を上げた。

 磐木がじっと彼を見ていた。

 すぐに視線を外し、「……わかりません」と告げた。

「……」

 この時瑛己は、磐木に話すべきだろうかと思った。

 磐木も空(ku_u)の正体を見ている。

 山岡と会った事、そして言われた事。空が異国の町を壊滅したという話……彼女のその背後にいるのが誰なのか。

 そしてかつて基地に時島という女性が現れ、銃を向けられた事。

 彼女を開会式で見た事。

 その彼女がそばにいたのが。軍部最高の地位にいる人物であった事。

「……」

 その人物と瑛己は、知らない仲ではない事。

 磐木に話すべきだろうか?

 瑛己は今まで何が起こっても、1人で考え、1人で処理してきた。

 父も母も他界した今、頼るべき身寄りがないというのも理由の1つである。

 しかし、瑛己は感じる。

 事が大きすぎる。

(自分1人では)

 抱えきれない。そう思う。そう思った。

 自分の未熟さを痛感する。

 飛の事もそうだ。

 彼の異変に気づいていたのに。

(何もできなかった)

 昨晩の事を思い出す。

 項垂れた飛に、瑛己はかける言葉を失った。

(あの時に何かできれいれば)

 今ここに至る結果が、違うものになっていたんじゃないのか?

「聖?」

「……」結局瑛己は、「……何でも、ないです」

 何から話していいのかわからず、そう言った。

 それでもしばらく磐木は、瑛己の言葉を待つようにじっと黙って彼を見ていたが。

「……、……そうか。何かあったら、すぐに言え」

「……はい」

「いつでも構わん」

「そういえば、総司令は?」

 話題を変えたくて、瑛己は聞いた。「山岡は……」

「総司令は無事だ。被弾はなかった。ただ飛び散った椅子などの残骸による打撲や切り傷はあった。こことは違う病院に運ばれたようだ」

「……」

「山岡は、『飛天』が追撃に向かったが遅かった。結局取り逃がしたと聞く。祭り期間中で、飛空艇の配備も薄かった。盲点を狙われた」

「……」

 しかし、と言葉を切り。磐木は喉を鳴らした。

「銃弾の雨の中、あの人は身じろぎ一つしなかった。眼力一つで凶弾を避けたと、評判になっている。またあの人の伝説が増えたわけだな」

 この時初めて瑛己は、磐木がいつになく多弁な事に気がついた。

(心配されている)

 そう思った。

 瑛己は頭を垂れた。

 嬉しかった。

 そして、さっきすべて話してしまえばよかったと後悔をした。




 磐木が去って間もなく、瑛己も病室を出た。

 いつの間にか着せられていた病院着姿のまま、飛がいるという病室を目指した。

 廊下に出ると夜にも関わらず人通りがあって。看護婦が慌しく彼の目の前を通り過ぎて行った。

 祭りの騒ぎはここまで包み込んでいる。

 廊下にいるのは患者か、見舞いか。祭りの話で盛り上がっていた。

 自分たちの事が言葉の断片に漏れ聞こえてくるたび、足早にそこを通り過ぎた。

 やがて、目的の場所に着いた。確かに部屋の前には「須賀 飛様」と書かれていた。

 扉を軽く叩いて、一拍置いてから開けた。

「おう」

 1つだけある寝台に半身を起こしているそいつが、手を上げて答えた。

「ん」

 瑛己も軽くそれに答える。

「今夜はここで過ごせってさ。お前もか?」

「ああ」

「お前も何ともなかったんやろ? 帰ってもええやないかなぁ? 病院なんて、辛気臭いでアカンわ」

「秀一は? いたのか?」

「今、お前と俺の着替え取りに行くって出てったとこや」

 ようやく静かになった所や、と彼はため息を吐いた。

 瑛己は手近のパイプ椅子に座った。

 そして何となく落ちた沈黙に。先に言葉を発したのは飛だった。

「聞いた」

「何を」

「お前が助けてくれたって」

「……」

「……悪かった」

「……ああ」

「せやけどお前も無茶するなぁ。飛行中の機体に飛び乗って? 俺を引っ張り出した? 無茶苦茶やわ。アカン、それ、俺にはようマネできへん」

「……」

「顔に似合わずお前はなぁ。ホンマに。先に言うとく。お前がそういう状況になっても俺はできんからな。期待すんな?」

「わかってる」

 瑛己は苦笑した。

「……何か飲むか? 買ってくる」

「炭酸系がいい。味は好まん。ギンギンに冷えたやつ」

「冷えの保証はできない」

 立ち上がった瑛己に、

「ありがとうな、ホンマに……」

 聞こえないくらい小さい声で、飛は呟いた。

 瑛己は飛を見、小さくその頭を小突いた。



  ◇ ◇ ◇


 格納庫の脇にあるベンチに、磐木は1人座って星を見ていた。

 手に握られた缶のココア。しかしまだブルタブは開けられていない。

 基地の電灯は点いているが、とても静かだった。

「隊長」

 不意に掛けられた声に、磐木はぼんやりとそちらを振り返った。

 327飛空隊副隊長・風迫 ジンであった。

「事故の始末書と破損した2機の補充の申請、出しておきました」

「すまん」

「蒸しますね」

 彼も自動販売機に向かう。

 灯りには虫が寄っている。

 その一匹が不意に地面に落ち、羽をヒクつかせた。

 磐木はその様を見て、やがて静かに息を吐いた。

「見ましたか? 飛の」

 缶珈琲を片手に、ジンは磐木のそばの壁にもたれた。

「引き上げられた飛の飛空艇の残痕」

「ああ」

「……実弾だったら、何回爆破したやら」

 海から引き上げられた機体に付着した塗料は、どれも、致命的になるような場所ばかりだった。

 それも1つや2つではなかった。

「模擬戦で幸いだったのか」

 ジンはグイと一気にあおる。

 磐木は缶を持ったまま、低くうなった。「聖のもだ」

「らしくない被弾があった。実弾なら持って行かれていただろう」

「……ヤツも?」

「わからん」

 ただ、と磐木は言葉を濁す。

「あの連戦は……若い連中には、きつかったな」

「……」

「お前は? 大丈夫か?」

 問われジンは唇の端を吊り上げた。「隊長、」

「俺は死刑台まで上った男ですよ」

「……」磐木は苦笑した「、だったな」

「新と小暮は? お前から見てどう思う」

 飲みきった缶を投げ捨て、ジンは胸元からタバコを取り出した。

「新は……普段のあいつなら先日の飛との一件も、あそこまでハメ外して飲みませんよ」

「最近の酒量確かにな……。やはり影響は出ているか。小暮は?」

「あいつは何かあっても表面に見せません」

 ライターで火を点ける。

 ジンが吐いた白い息は、風にとらわれ、明後日に消えて行った。

 磐木は夜空を見上げた。

 今日も七つ星は輝いて見える。

(しかし)

「俺は、隊長失格だな」

 ボソリと呟いた。

 らしくない声音に、ジンは彼を見た。

「飛の変化に気づいていた。しかしそれ以上何もしなかった」

「……隊長」

「一つ間違ったら、取り返しのつかない事になっていた」

 視線を落とし、磐木は目を閉じた。そしてもう一度、

「俺は、隊長失格だ」

 目を閉じれば過ぎる、あの人の姿。

(聖隊長……)

 もしあの人だったならば、もっとうまく隊をまとめるのではないか?

 実際、あの人が率いた隊は、磐木にとって最高の部隊であった。

(俺は何をしてきたのだろう)

 本当に俺は、隊の連中を見てきたのだろうか?

 怒る事、注意する事ばかりに気を取られて。

(肝心の部分を)

 隊をまとめる事。そして隊員の事。

 本質を。

 見落としていたのではないか?

(俺は、本当は)

 そんな器では―――。

 そう思ったその時。

「隊長」

 ジンが呟いた。

「俺は隊長に救われました」

「……」

「あんたがあんたである事で。隊の連中は救われている。そういう所はあります」

「……」

「あんたは揺るがんでください」

「……風迫」

「俺らがバカして飛んでいられるのは、あんたという不動の柱があるからこそ」

 だから。

「迷わんでください」

「……」

 磐木はもう一度星を見た。

 そしてもう一度、彼が胸に抱く絶対のその存在の名を呟いた。



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