『激突(crossroads)』-2-
『園原』航空祭、2日目の朝は。
例年と同様、快晴の中幕を開けた。
『開始30分前。開始30分前』
『模擬空戦参加部隊は、速やかに搭乗の準備をお願いします』
湖に隣接する基地に響く放送を聞きながら、ジンが吹かしていたタバコをポッと捨てた。
「火、消せよ」
「わかってます」
磐木に注意され、ジンは唇の端を吊り上げながらタバコの吸殻を踏み潰した。
パタパタパタと、風に国旗が音を立ててはためいている。
「今日は風が強そうだな」
空を仰ぎ、小暮がメガネを持ち上げた。
「ふぁぁ……眠みぃ」
新はその横で大きな欠伸をしている。
「夜更かしするからだ」
「だって。祭りだぜ? ホテルにくすぶってられるかよ」
「何だ、新お前、昨日あの後何時まで飲んでた」
「いつもよりは短いですって。なぁ、小暮」
「付き合わされるこっちの身になれ」
祭りの喧騒が嘘のように。滑走路は静かだ。風にあおられる旗の音しかしない。
その滑走路には、飛空艇が12艇のみ。
白い機体に青のライン、中心に剣の模様が入った6艇と。
青の機体に黄色い7つ星の入った6艇。
アクロバット隊の飛空艇も今はない。
その12艇だけが、広い滑走路を独占している。
そこを歩くのは、それに乗り込む『飛天』と『七ツ』の両隊員のみ。
残りの者たちは。その姿を、固唾を呑んで見つめている。
整備士たちも緊張の面持ちでそれを見守っていた。
「瑛己さん、気をつけて。頑張ってくださいね」
飛空艇までの道。
前を行く磐木たちに遅れて、瑛己、飛、秀一が歩いていた。
この日初めて秀一は、この場所にやってきた。
「僕はここから見てますから」
「ん」
瑛己は軽く頷いた。
「飛も」
2人より1歩遅れて歩く飛を振り返り、秀一は言った。「頑張って」
「おぅ」
秀一を見ずに、飛は明後日を見ながら答えた。
それに秀一は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐさまいつもの笑顔で言う。
「『園原』第11空軍基地、第114飛空隊・『飛天』。〝天空の騎士〟の異名を持つ飛空隊」
ねぇ、飛。
「僕らに異名がつくとしたら……何かな?」
それにふっと顔を戻し、飛は初めて秀一と目を合わせた。「異名?」
「『七ツ』以外にさ。人から呼ばれそうな名前だよ。〝グレートボンバー〟とか?」
コロコロと笑いながら秀一が言ったので、瑛己はそれに乗りかかった。
「新さんのネームセンスだろ」
「あはっ。わかります?」
「せやなぁ……」
空を眺めながら、飛が考え込んだ。「やっぱり、あれやないか?」
「ん?」
「〝空戦マニア〟やろ」
そう言った瞬間。
今日初めて飛が笑った。
その目に初めて、光がさした。
「えーっ、やだよそんなの。カッコ悪い」
「何やと秀ぅー。俺のネーミングのどこが悪いっちゅーねん」
「何だか年がら年中空戦してるみたいじゃん」
「……その通りじゃないか」
「瑛己さん、いいんですかそれで?」
「……事実なだけに、まったく良くない」
秀一が笑う。
それにつられて瑛己も苦笑する。
飛が秀一をどつく。
それにまた、秀一が笑う。
「いってらっしゃい」
「おう」
「楽しみにしてる」
「おう」
「ここから見てるから」
「ああ」
「飛」
「ん?」
「……ううん、何でもない」
「何や」
「何でもない。本当に。……頑張って!」
「……任せとけ」
瑛己は飛の背中を軽く叩いた。
飛は瑛己を見て、ほんの小さく苦笑した。
「……行くか」
ファンファーレが鳴り響く。
◇ ◇ ◇
模擬空戦、ルールは簡単である。
対戦時間は1時間。
12時のサイレンと共に飛び立ち、次にサイレンが鳴るまで。
使用は塗料弾。
場所は湖の上空。街、及びそれ以外での飛行は禁止。丘を越えて海に出るのも禁止。
陸へ向かっての砲撃はむろん厳禁だ。
終了後、両軍の被弾数や被弾具合から、一応の〝優劣〟は決められるが。
「遊びとしての」空戦。それが何かを決する事にはならない。
けれどもやはり。
当人同士―――まして今回は基地をまたいでの事。
やはり多少は何かしらの〝結果〟を生む事にはなるであろう。
『園原』航空祭、対外試合は過去5回。今回で6回目。
「さて、今回はどうなるのやら」
滑走路の脇にある特別観覧席で、今まさに飛び立とうとする彼らを見ながら。
雨峰は場違いなほど穏やかに微笑んでいた。
「楽しみだわね。白河君」
「はぁ」
その隣には『湊』基地総監・白河 元康が座っていた。
模擬空戦の事を一昨日になって初めて知らされ、たまった仕事を全部放り出して慌ててやってきた彼である。
もちろん飛空艇ではない。鉄道だ。
「最初から、このつもりで彼らを?」
「いえいえ、たまたま。空からやってきた彼らを見てふと思って」
「……」
白河は苦笑した。
「雨峰総監には敵いません」
そんな白河の斜め後ろには、軍部最高統括総司令長官・橋爪 誠の姿もある。
終始、難しい顔をして腕を組んで、彼もまたその時を待っていた。
サイレンが鳴った。
「ふふ、さあ、始まるわよ」
プロペラがいよいよ音を増す。
離陸の合図である旗が振り下ろされる。
滑走路を、12の機体が滑り出す。
白の機体と、青の機体。
剣を抱く者と、星を抱く者。
最初に陸を離れたのは、白の機体。
それに続き、1機、また1機と陸を後にする。
離陸の瞬間の感触は、何度やっても慣れない。
(背中に)
一瞬、ゾクっとくる。
瑛己は苦笑する。
(模擬とは言え)
戦闘は、『日嵩』が攻めてきたあの日以来。
(腕は)
どこまで鈍ったか。そしてこ数日の飛行で多少は戻っているのか。
真っ向見据える。
ここに至ればもはや、真剣勝負である。
今日もその胸元には、あの写真が入れてある。
空まで、陸の歓声は聞こえてこない。プロペラ音と風の音が、すべてを支配している。
空に踊りだした彼らは、まずは上空を高く高く上った。
青と白の機体、並ぶようにして空の高みを目指す。
どれくらいの高さまで行った時であろうか。
何を合図にしたものか、列をなしていた一団が、ふっとそこで散会した。
そこからが、勝負の始まりとなった。
瑛己はまず慣らすように空を旋回した。
今日は各機体に特別に、隊の模様以外に番号が振ってあった。
瑛己の機体は6番艇。しんがりは自分で志願した。
目の前を、白の1番が掠めて行く。
言うまでもない。
『園原』エースパイロット・斉藤 流。
『斉藤は俺がやる』
そう言っていたのは青の2番艇・風迫 ジン。
瑛己は操縦桿を右に切った。
タタタタ
刹那、頭上を風がかすめていく。
弾数は浅い。よける事承知で撃ち込まれた感がある。
バックミラーを確認する。1機、白いのがついている。
その銃口が輝いた。
瑛己は操縦桿を押し倒す。
ギアを切り替える。
下に向かうと、そこには巨大な湖と、それを囲む森林が。
人の数を確認するより先に、ひねりこんでさらに左へ押し込む。
タタタ
後ろから、威嚇するように何度か砲撃が振ってくる。
と、視界の端にさらに白い物が見えた。
真横から1機撃ってくる。
瑛己はそれを、上へと逃げた。
(2機付かれた)
上へと、斜めに滑り逃げる。
コンマ何秒の世界でミラーを確認すると、1機しか見えなかった。
でも確かにもう1機いる。
腹を突き上げるように、銃撃が下から降ってきた。
それを瑛己はギリギリの所でかわす。
陸上で歓声が起きたが、もちろんそんなもの耳には届かない。
もう1度ひねる。
だがミラーに映るのは1機。
銃撃しているのは、見えないもう1機。
タタタタタタ
今度は右へと操縦桿を押し倒すようにして逃げた。
(しつこい)
振り切れないか?
前を、青の1機が横切っていく。
3番艇。新だ。
その後ろを追っていた白の1機が瑛己の目の前で上へと避け、ひねりながら。
瑛己は頭上を見た。
その白が、撃ちかけてくる。
「チッ」
瑛己は舌打ちをした。
冗談じゃない。
スピードを全力まで持ち上げて、左へ左へ押し倒す。
けれども逃げ切れない。
エルロンの端に、塗料が弾けた。
感触だけでそれを確認する。
そのまま、回転するように逃げる。
ミラーには1機。
けれども、後ろについているのは今、何機か。
タタタタ
もう、操縦桿を握る手に汗がにじみ始めた。
(どういう)
復帰戦だ。
左のミラーに一瞬だけ白がかすめた。
やはり後ろにいるのは2機は確実。
そして見えないもう1機。
(なぜか)
6機のうちの半分が、瑛己の背中を追いかけている。
視界の端に、ジンは見た。
(聖が囲まれている)
開始からまだ数分しか経っていない。
けれども『園原』の方向が見えた。
(聖を最初に潰す気か)
青の6番艇を、徹底的に蛍光に染め上げようとしているらしい。
「悪趣味だな」
援護に回りたい。
けれどもそれを、許してくれない者がいる。
白の2番艇。
『飛天』副隊長・曽根 正一。
痩せすぎと思えるほどの、痩身の男だった。
一路斉藤の1番艇に向かおうとした彼を足止めしたのが、この男であった。
その体躯に、ジンは無意識にこの男を見くびっていたのかもしれないとここに至り初めて思った。
(空戦は持久力)
体力トレーニングも日課の1つだ。
(あれは痩せすぎだ)
そう思った。
だが。
「俺とした事が」
ヤローの裸なんか想像もしたくないが。
あの服の下は、鉄板か。
ジンがどれだけ際どく避け、突き放しにかかろうとしても、執拗についてくるのである。
手練である。
(伊達に『園原』の2番をつけてはいないか)
ジンは操縦桿を切り替えた。
そのまま高速で上へと持ち上げる。
「ついてこい」
中途半端に操縦桿を押し倒すと。
背後に迫った白の2番の、中途半端な所にガチ合う。
そのまま撃つ。
曽根はそれをスルリと避ける。
だがその瞬間生まれた一瞬の隙に割り込むように。ジンの機体が曽根の後ろを捉える。
本当の勝負はここ。
連射する。
それでも曽根は翼を傾けて逃げた。
けれども避け切れなかった1つ、2つがその端に当たった。
カタカタと言いながら回転して逃げいく。
その後ろにジンはピタリとつける。
―――タタタタタタタタ
連撃は下から。
瑛己の後ろにつけていた2機の間を高速ですり抜けて行く1機があった。
「新さん」
瑛己は右翼を押し倒し、斜め下へと逃げた。
入り乱れる機体。
後ろについていた1機が、新についた。
だが、安堵している暇はない。
タタタタタタ
「クッ」
機体がぶれた。
塗料弾がどこか、機体に入った。
飛空艇はもはや、瑛己の体と連結している。
微妙なぶれで、大体どこが被弾したか、見なくてもわかる。
(脇腹)
自分が撃たれたわけではないが、チカリと鈍く痛んだ気がした。
タタタタ
余所見できない。
ミラーには映らない。
でも誰かくる。
1機は新さんが持って行ってくれた。もう1機は引き離したか。
(残りの1機は)
誰だ?
初めてそう思った。
上空にひねりこみを入れる。
左へ、エルロンを縦に。空を引き裂く。
やがて空に航跡が描かれる。
瑛己は振り返った。
見えるか?
斜め下。白の―――6番。
タタタタ
首を引っ込め、操縦桿を元に。
ギアを切り替える。
――あれは。
瑛己は『飛天』のメンバーを3人しか覚えていない。
隊長の斉藤、副隊長の曽根。
そして。
「星井 湖太郎」
白6番艇・星井は。
バックミラーに映らない微妙な視覚から、瑛己を追いたて、撃っていた。
降り続く、銃撃。
空を舞う、機械の鳥。
逃げる者、追う者。
風すらも凶器となる。この空で。
ただ1人。
―――ここは、どこや。
飛は、呆然としていた。
タタタタ
嫌な感覚に、操縦桿を切った。
運良く、被弾する事なくそれは逃れた。
けれども後ろについている。
白に、時折覗く青のライン。
機体に描かれた剣の切っ先は、迷う事なく飛を向いている。
歯噛みする思いで、エンジンをふかす。アクセルを目一杯に踏み込む。
メーターが跳ね上がる。
ガタガタガタと、飛空艇が揺れる。
引き離したい。
けれどもミラーから、白の機体は消えない。
右へと逃げる。
同じように後ろもついてくる。
飛は背中を振り返った。
銃口が光った。
タタタタタタ
振り返った瞬間にできた時間差で、逃げが一瞬遅れた。
塗料弾が、機体にぶつかる。
機体がぶれる。
「チクショッ」
操縦桿を押し倒す。
湖が見える。
観客席。滑走路が目の端に。
(秀)
飛の目の前を一瞬、その顔が過ぎり。
同時に。
炎を上げて墜ちていく機体が映った。
あの、【無双】壊滅作戦の折、崖のド真ん中。閉鎖された谷の中で。
『秀――――ッッッッ!!!!!』
まっすぐに、海へと墜ちて行った機体。
そして。
ベットに、管だらけで横たわった秀一の姿。
耳に聞こえたのは、聞こえるはずのない、あの日の、自分の叫び声。
ダダダダダダ
塗料弾の軽いはずの音が、深みを持って聞こえ、襲い掛かってくる。
撃たれる。
逃げる。
逃げ切れない一端が、翼を染め、機体を染める。
ミラーから白の機体は消えない。
飛は逃げる。
額に浮かぶのは脂汗。
手ににじむのは……けれども、本当に汗か?
(俺は)
今どこにいる?
ここはどこだ。
ダダダダダダ
逃げ切れない。
目を閉じてしまったその刹那。
次の瞬間、突然、現れたように。
真正面。
白の1番。
いや、この時の飛に番号は意味を成さない。
誰がそれを操っていようとも。
ただある事実は。
―――撃たれる。
そして。
見えたのは。
死。
飛の目が、顔が、これほどの苦痛に歪んだ事は。
かつて空で、ない。