『園原(Can you change your mind?)』-4-
どうしても、どうしても、どうしても……。
時に譲れないと思える〝想い〟が胸締め付ける。
◇ ◇ ◇
「瑛己さん、おはようございます」
瑛己は寝起きが悪くはない。
そんな彼をもってしても、秀一には勝てなかった。
「ああ……」
「珈琲入れますか? ブラック」
「ん……ちょっとミルク入れてほしい」
「わかりました」
2、3回目をこすってから、髪をかきあげた。
意識が戻ってくると次に、「ここはどこだっただろうか?」という衝動に駆られた。
ああ、ホテルだ。『園原』の。
それにしても……見れば見るほど、場違いな所である。
3人部屋という事で入ったが、実際にはそんな物じゃなかった。
廊下への出入り口こそ1つだったが、玄関スペースから3つの部屋に分かれており、バス・トイレも各部屋にある始末。
しかも1つ1つの部屋もそれなりに広く……もはや個室同然だった。
内装も豪華な物で、調度品一つ一つ取ってもいい物が並べてあるように見えた。
ベットも大きい。宿舎の倍以上だ。
―――結局昨日この部屋についてベットに腰掛けるなり……吸い込まれるようにそのまま寝入ってしまった瑛己だった。
「シャワー浴びなきゃな……」
今何時だ? と腕時計を探そうとして、壁に巨大な掛け時計があるのに気づいた。
時間としてはまだ早いが、今朝は集合何時だったか??
「……コンコン、失礼しまーす」
と、秀一が珈琲を持ってやってきた。
室内に芳しいにおいが立ち込めた。
「ああ、サンキュ」
「お口に合うかどうか……」
「……ん。うまい」
「それはよかった」
まず一口。
缶とは違う、上質な香りがする。
部屋に備え付けてあったインスタントの物を使ったんだろうが、調度品同様、これもまた上質の物のようだった。瑛己にはわかった。
「それにしてもこれ……凄い部屋ですよね。どうなってんですかね」
「……まるでVIP待遇だな」
「祭りでかなりの人がきているんだろうに……こんな部屋を僕らに用意してくれるなんて……雨峰総監って、いい人ですね」
ニコニコと笑う秀一に、瑛己は苦笑で返して見せた。
「……そうだな」
街の中心にある上質なホテル。
やはり、下心なけれこんな所、簡単には用意してもらえない気がする。―――そういうふうには思いたくないが。
「飛は?」
半分くらい飲んだ所で尋ねた。
瑛己は部屋に着くなり着替えもせずにそのまま眠ってしまった。
飛が部屋に来た所を見てない。
「ああ……ちゃんと戻ってきましたよ」
「……そうか」
「瑛己さん、寝ちゃってるんだもん」
「悪い」
「いいんです、いいんです。……ここにくるなり、何も言わず自分の部屋に入ってっちゃいました」
「……」
「……僕、何かしたかなぁ……」
「……ん?」
「僕……飛、怒らせるような事したのかなぁ……」
「……」
「昨日僕、ずっと考えてて……。僕、トロイから。いつも飛の足手まといになるような事ばっかりだし……この前も、一番に撃たれてあんなふうになっちゃったし……」
「……」
「ここへくるのだって、基地で待ってれば飛は1人で気楽に飛べたし。『葛雲』なんて使わなくてもよかったのに……」
「……」
「でも僕……怖くて……」
「……怖い?」
「1人でいるのが……」
その刹那。
バタンと、扉の開く音がして。
「あー」
そちらを見ると、飛が立っていた。
「あ、飛!! 起きたんだ!!」
「……ん、あー……」
バツ悪そうに視線を外すこの男の。
瑛己はすぐに気がついた。
「お前、手、どうした」
「え」
言われて秀一も気づいた。
慌ててサッと隠したが。
「ちょっと!! 見せて!! 何やってんだよ!!」
秀一に無理矢理掴まれて現れた右手は。
「……何だよ、これ」
不器用に白い包帯がグルグルに巻かれていた。
そこにはうっすらと血がにじんだ跡があった。
「ああ……コケた」
よく見れば飛の顔にも、昨夜はなかった殴られたようなあざができていた。。
「誰とケンカしてきたの!?」
「……ケンカなんかしてねー……」
「じゃあ自分でやったのか」
「……」
瑛己の質問に、飛はさらにそっぽを向いた。図星らしい。
「バカ」
「……うるせー」
「手当てするから! もぉ……バカ」
「……」
飛はクシャクシャと自分の頭をかいた。「あのさ」
「昨日、悪ぃ」
「……?」
「何か、スマン」
「……」
瑛己は自分が履いていたスリッパを手に取ると。
無表情のまま、それで飛の頭を思いっきり叩いた。
スパーンといういい音が鳴り響いた。
「ってー! 何すんねんお前!?」
「……別に」
そのまままた履きなおし、「俺、シャワー浴びる」
「ああ、すいません。それじゃ失礼します。こいつの手当てします」
「秀一、おい、あいつの奇行はノーコメントでいいのか!?」
「いいんだよ!! ゲンコツで殴られなくてよかったね」
……やれやれ。
昨日あれだけ食べたのに、腹が減ったなと、瑛己は思った。
◇ ◇ ◇
「そう! 引き受けてくれるの! よかったわぁー」
雨峰は手を打って喜んだ。
―――総監室にて。
ホテルから昨日の返事をするべく『園原』基地にやってきた一同は、そのまま総監室へと向かった。
今日は送り迎えはないので歩き。思ったより距離はなかった。
「引き受けてくれなかったらどうしようかって、副総監と相談していた所だったのよ」
そう言って手渡されたショーのパンフレットには。
30回目の記念大会である事と同時に……それに伴い、本年度は模擬空戦に特別ゲストを呼ぶ旨が書かれてあった。
「それ、もう各所に配ってあるから。どうしても〝特別ゲスト〟を呼ばなきゃならなかったのよね」
「もしも我らが受諾しなかったら、どうされたんですか?」
「その時はそうね。橋爪君にでも飛んでもらおうかしらね」
ホホホと笑うその傍らで、副総監はもちろん瑛己たちもギョッとした。
軍部最高統括総司令長官・橋爪 誠。
軍部においての1番の権力者であり、それは同時に『蒼国』すべてを掌握していると言っても過言ではないその人に。
「冗談よ冗談。ホホホ。空を離れて何年経つの。現役時代はエースパイロットと呼ばれていたあの子も、さぞかし腕がなまっている事でしょう」
……それはそれで、恐ろしい発言である。
「それで? 『七ツ』は7人で参戦してくれるのかしら? 『飛天』は8人構成だから……どうしましょうかしら? 人数を揃えましょうか?」
「雨峰総監、その件ですが。今回我らは6人で。1人は体調がまだ優れませんので」
「あらまあ。……そうね。わかりました。それじゃこちらも6人で」
「……承知」
一瞬誰か、「8人で結構です。全員ブチ倒しますから」と言い出すんじゃないかと思ったが。
今日は飛も新も静かに黙ってそれを聞いていた。
「慣れない地にきて、突然の申し出を承知してくれて、心から感謝します。『湊』第327飛空隊・『七ツ』。白河総監も、あなた方を部下に持ちさぞかし誇りに思っている事でしょう」
「ありがとうございます」
「試合の詳しい話は斉藤君からさせるわ。後で時間を用意しましょう。それから、あなた方も久しぶりの戦闘形式の飛行という事になるのでしょう? 少し慣らしが必要かしら。主な飛行地点は東にある湖になるから飛んでおくといいわ。ただ、ご存知の通り今は内外からお客様が詰め掛けており、空も混雑してるから充分気をつけて頂戴」
「は」
「飛空艇は今どこに? 外来用の1番かしら? 関係者用に別に格納庫と滑走路があるから。模擬空戦参加の場合は湖の方に1つあるの。今日中にそちらに移しましょう。あとそれから」
雨峰総監から簡単に説明を受け。
「いい試合を期待しています。楽しみだわ」
天使の微笑みに見送られ部屋を出た。
「……重ねて言いますが、本当に隊長、『葛雲』でよろしいので?」
「くどいぞ小暮」
「そうだ。この人はやると言ったら何でもできるんだろうさ」
クックックと笑いながら、ジンは早速胸元からタバコを取り出した。
「……どうも今、馬鹿にしたように聞こえたが」
「気のせいです」
「うむ」
3人の会話とは別に。
頭の後ろで腕を組み、「ふぁぁぁ…」と大欠伸をしている新に。飛が寄った。
「新さん」
「んあ?」
「昨日は、すんませんでした」
「……」
「俺……」
「……なーにが?」
「え?」
「ごめん、飛。俺、昨日久しぶりにハメ外してしこたま飲んじゃったから。正直、あんまよく覚えてない」
「……」
「俺こそ、何かやらかしてたらごめん。ホント、悪い」
「……いえ、そんな、俺が……」
「えへへ、何か、らしくねー」
照れ臭そうに新は頭を掻いた。「あ、風呂入ってくんの忘れた」
「新さん……俺にとって新さんは、アニキ同然ですから」
「あ?」
「……すんません」
「バーカ」
気にすんな、と言って、新は飛の頬の部分を軽く叩いた。
そこは今朝秀一に手当てされて、白いガーゼがついている場所だった。
「おそろいにしやがって」
新は自分の頬を指し、ニヤっと笑った。「まぁケガしたのがおいらのトレードマークの星と逆方向でよかった」
「あ!! そうだそうだ!! 隊長、『葛』に乗るなら星描かないと!! 『七ツ』のトレードマークの!! ペンキもらってきます」
「新さん、だったら俺が乗るヤツにちょっと余分に星を付け足してもらえないっスか? 秀一の分って事で」
「OK。ついでに機体に秀一の似顔絵も描いてやるよ」
「待て。その機体は元は俺のだからな。今だけ限定で貸してやるんだから、余計なラクガキはするな」
自動販売機がある。
瑛己は会話そっちのけで一人珈琲を買いに走った。
「……」
ここの自動販売機も冷えが悪い。
今度、温度設定を構ってみようとそう思った。
◇ ◇ ◇
「腕がなまっているとは、手厳しい事で」
瑛己たちが部屋を出た後。
総監室の奥にあるもう1つの部屋から現れたのは。
「あら? 違うのかしら? 最近も乗ってるの?」
橋爪 誠。その人である。
「……」
返事の代わりに橋爪は鼻で一つ笑って見せた。
「雨峰さんは変わらず手厳しい」
「そうかしら? これでも空軍の聖母と呼ばれてきたのだけれども?」
フフフと笑って、「ごめんなさい、お茶持ってきてもらえないかしら?」と副総監に頼んだ。
副総監は嬉しそうに、2つ返事で部屋を出て行った。
「……軍で、私にそんな口を利けるのは雨峰さんだけだ」
「あらあら。そんな事はないでしょう? 高藤君とかは?」
『音羽』海軍総監、高藤 慶喜。
雨峰と同期の、軍の重鎮である。
「あの人はまた別で」
「……そうね」
雨峰は手近なソファを橋爪に勧めたが、彼は座らなかった。
「珍しく来るかと思ったら……また、随分と早いお越しね」
「……」
祭りの盛況は知ってますから。と橋爪は答えた。
「1週間近く政務を留守にして、大丈夫なの?」
「ここで指揮を執ります」
「それもまた困るわね。皆で楽しく大騒ぎしようって言う時に、どす黒いもん持ち込んで欲しくないわ」
「……迷惑はかけません」
「当たり前よ」
今のこの『蒼国』で、最高権力者たるこの橋爪にこれだけの口を叩けるのはやはり、彼女をもって他にはいない。
女性である事、そして何よりこの雨峰は橋爪の恩師であるという事。
それが可能にしている奇跡である。
「それにしても……随分と暴れたものね、上島君」
「……」
「まさか、あなたの指示じゃないでしょうね」
「……なぜ私が」
「……確かに、〝なぜ〟ね。あなたに『湊』と潰す理由はない。本当にやりたければ権力でどうにでもなるでしょう」
それに何より。
「あなたは白河君を、大事にしてるものね」
「……」
橋爪は窓辺に立った。
それを目の端で捕らえ、雨峰は自分のデスクに置いてある写真立てを手に取った。
「……会って行かないのかしら?」
「誰に」
「決まってるでしょう」
「……」
「『湊』か……不思議ね。まさか父親と同じ所に所属して」
―――今またまさに、この地にやってきた。
「あなたが聖 晴高に初めて会ったのも、航空際の模擬空戦だったでしょ?」
「……」
「聖 晴高、原田 兵庫」
「……」
「あの日のあの空戦は、目に焼きついて離れない」
多分、生涯。
「『湊』第301飛空隊……別名、何だったかしら?」
「忘れましたよ、そんもの」
「…まぁいいわ」
ねぇ、橋爪君。と雨峰は言った。
「時々、どうしてもどうしてもどうしても―――譲れない〝想い〟に、胸が締め付けられる事はない??」
◇ ◇ ◇
「うあ!! あれって!!」
先ほどの雨峰の話の通りならば、ここは来客用の滑走路だろうか。
次から次へと休みなく行きかう飛空艇を何気なく見ていた時。飛が声を上げた。
「どうした?」
思わず尋ねた瑛己に。
「ほれ、あそこ。向こうの滑走路……番号振ってあるやろ、3って。あそこの左の方……ちょっと大きいの止まってるやろ?」
「?」
どれの事だ? 何機かあるが。
「機体に小さく白で十字架が刻んであるやつ。わかるか?」
「……ああ……? それが?」
「ここだけの話」
と、飛は瑛己の耳元に小さくささやいた。
「橋爪総司令の」
「え」
思わず瑛己は飛を見た。
珍しく動揺した様子の瑛己の表情に、飛は嬉しそうに笑った。
「あ、ほれ、さっそくもう隠してく。……っていうか一般にはあんまり大っぴらにしないんやけどな。あれがあったら、きてるってバレるやないか? そうしたら襲撃にも遭うかもしれん。あんな大っぴらに止めておくなんて、よっぽど基地内はゴタゴタしてるんやろうなぁー」
「橋爪総司令が……」
きてる。
この基地の、この街のどこかにいる。
(……)
蘇るのはあの日。
―――父の、葬儀の日。
最後に会った、あの人のあの……顔。