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 『決意(seven_star)』

 星が瞬いている。

 瑛己えいきはそれを眺めながら、珈琲コーヒーに口付けた。

 1人。宿舎から少し行った先の、滑走路を一望できる段差に腰をかけ。

 星を眺め、滑走路を眺め……瑛己は一人、缶珈琲を飲んでいた。

 高籐の座談会の後、解散になった彼らは。めいめいに無言のままその場を離れた。

 飛たちはどこへ行ったのだろうか?

 瑛己はそのまま宿舎に戻り……結局落ち着かず、こうしてここにいる。

 飛たちは『海雲亭』かもしれない。でも今は何となく、そこに行く気にもなれなかった。

「……」

 夏が近づいている。

 初夏の夜には、虫の声が混ざり始めている。

 夜の闇の中に滑走路はおぼろげにしか見えない。だがあの襲撃の跡は、昼間ならばまだくっきりと残っている。

(あの襲撃は)

 一体なんだったんだろう……瑛己は思う。

 『日嵩』の空襲……。上島総監……。

 彼は『湊』と白河を……憎んでいたのか?

(そんな事のために)

 どれだけの犠牲が、生まれたのか……。

 瑛己は自分の手を見た。

 自分は『日嵩』の者達を撃った。

 仲間たる者達だ。

(あの時は)

 必死だった……そうしなければ、今ここに自分はいないとも思う。

(だけど……)

 その選択は正しかったのか? 否―――それは、今ここに残る事ができたからこそできる迷い。

(白河総監……)

 白河の右腕が動かない事を、瑛己は今日初めて知った。

(父さんとの約束を守るために)

 上島を殴り。

 そして、撃った…………。

 瑛己は珈琲を飲んだ。

 星を見上げる。

 あの襲撃は、つい数日前。

 あの時も星はこんなふうに瞬いていたんだろうか?

「……」

 その時不意に、後ろから靴音が聞こえてきた。

 瑛己は気づいたけれども振り返らなかった。

 そしてそのまま星を見上げていると。

「……聖」

 その声に瑛己は、初めて振り返った。

「……隊長」

 そこにいたのは。327飛空隊隊長・磐木 徹志だった。



  17


「……」

 磐木は無言のまま、瑛己のそばに腰を下ろした。

 瑛己はチラっと磐木を見た。

 磐木は星空を見ながら、持っていた缶に口をつけた。

 磐木が手に持っていたのはココアだった。

 その視線に気づいたらしい磐木が「たまに、どうしても飲みたくなる」

 いつもは苦すぎるほどのお茶を好む磐木が、チビチビとココアを飲んでいる。その姿に瑛己は少しだけ苦笑の念を抱いたが、表情に浮かぶほどではなかった。

 そして瑛己もまた、星空を見上げた。

「……」

「……」

 元々無口な2人である。

 しばらく、2人は黙って星空を見つめ続けた。

 こんなふうに隊長と2人なったのは初めての事だと思った。

「……」

 思えば、瑛己は磐木の事をよく知らない。

 厳しい隊長、悪さをすれば拳骨が飛んでくる。

 兵庫は「問答無用なやつ」と言っていた。

 だが、厳しいだけの人ではない。それはこの隊に入って数ヶ月、痛いほど身に感じている。

 あの奇跡の海で、何度も何度も呼ばれた名前。あの声は、まだ耳について離れない。

「怪我は大丈夫か?」

 ふと、沈黙を破ったのは磐木の方だった。

「あ、はい」

 唐突で。瑛己は口ごもった。「動けないほどではありません」

「隊長は、大丈夫ですか?」絶対安静と言われていると先ほどの座談会で言っていた。

「じっともしてられん」

「……そうですね」

 同意してから、瑛己はふと苦笑した。

「新さんに怒られますよ」

「……そうだな」

 頷いて、磐木も苦笑を浮かべた。あの襲撃以来、磐木は新に頭が上がらない。

「あの時は……すまなかった」

「何がですか?」

「俺はお前達を守らなければいけないのに。……『湊』の敵襲の報を聞いて、一番に飛び出してしまった」

「ああ……新さんが少し戸惑ってました」

 本当は、戸惑うどころじゃなかったけれども。

「そうか」

 磐木は目を細め、ココアを飲んだ。

「俺が飛び出しては、お前らが来んわけにはいかんな」

「……隊長が飛んでなくても、自分は出てました」

「……だろうな」

 ふっと笑みをもらし。

 磐木は大きく息を吐いた。

「隊長」

 瑛己は一つ決意をし、磐木に訊いた。

「自分はよくわかりません」

「……」

「なぜこんな事に……」

 眼下にある、『湊』の光景。

 今は闇がすべてを覆い尽くしている。

 だが朝になれば。すべてがさらされる。

 半壊した『湊』の、変わり果てた姿。

 今だって。滑走路には夜間でも灯りが点っているはずなのだ。

 灯台からは光があふれ、管制塔も点滅を繰り返しているはずなのだ。

 なのに今あるのは、本塔の一部とこの宿舎からもれるものだけ。

 光はどこへ行ったのか?

「俺も聞きたいっす。そこんとこ」

 その声に驚いて振り返ると、たかきが立っていた。

「一体何が起きて、こんな事になったんか……俺にはまだ納得ができなくて……」

 秀一が、なぜあんな目に遭ったのか―――。

 飛の目に浮かぶ複雑な色の根底には、それがあるのだろう。

 そんな飛をしばらく眺めていた磐木だったが。嘆息を漏らすと「俺にもわからん」と短く告げた。

「ただ……根底にあるのは、12年前のあの日……」

 瑛己がピクリと磐木を見た。

「すべての運命が変わった、あの日……」

 ―――〝空の果て〟。

「聖」と、磐木は彼から目をそむけたまま言った。

「俺は……お前に、話さなければならんと思っていた」

 あの日の事を。

 瑛己が入隊したあの日から、ずっと。

「〝あの空〟で俺が見た事を」

 地獄の空で。

 瑛己は目を見開いた。そして静かに瞼を下ろした。

 磐木はあの日、あの空を飛んだ。

 ―――聖 晴高と共に。

 父が消えた、あの空へ――。

「お前達にも聞いておいてほしい」

 〝達〟という言葉に、一瞬間を置いて。

「……気づいてたんスか」

 暗闇から、新と小暮が姿を現した。

「バレバレだ」

 俺を誰だと思っている? という態で磐木は小さく鼻を鳴らした。

 きっと、ジンもどこかその辺にいるのだろう。


 ◇


「あの日、不審な艇団がいるとの報を受け基地を出た……それは先ほど白河総監が言っていたその通りだ」

 ―――どうも作戦が大掛かり過ぎやしないかい?

 ふと磐木の耳にあの日の兵庫の声が蘇った。

「それは結局……」と、小暮が口を挟む。

 彼にしては珍しく、言いよどむその姿に。

 その気持ちを察し、磐木がすべてを受け取って答えた。

「先ほどの高藤総監の話が真なら」

 ―――実験。

「〝空の欠片〟の力を試す、実験……それがその空で行われたのだろう……」

「それは、その不審な艇団を駆逐するために?」

 小暮の言葉に磐木は頭を振った「さあな」

「ただ俺達は上の命令で……高藤総監のさらに上の命令で、離陸を命じられた」

 伝説には、世界が誕生した時からあるのだという聖なる石。

 その力を解放したがゆえに滅んだ街『白雀』。

 そしてその力を知った政府が行った実験が。

「12年前の、〝空の果て〟……」

 瑛己は珈琲缶に視線を落とす。……途方もなさ過ぎる。

「当時は白河総監の言った通り、空賊の組織も今より混沌としていた。中でも当時一番勢いを持ってのし上がって行ったのが―――【天賦】」

「無凱ですか」

「ああ。当時の空賊は【天賦】と【憂イういこう】という組織とで大きく二分されていた。まだあの頃は【憂イ候】の方が若干大きかったかもしれない。だが無凱という男の力で、【天賦】は瞬く間に【憂イ候】と並ぶまでに至った」

「それで、―――いたんスか? 〝その空〟に」

 詰めるような飛の問いに。

 磐木は彼を振り返り、強い瞳で答えた。「ああ」

「12年前のあの日、あの空に。【天賦】の無凱はいた」

 無凱……瑛己は虚空を睨む。

 『白雀』でまみえたあの巨大な男。たなびく真紅と漆黒のマント、銀の眼帯。そしてその大地を轟かすかのような笑い声。

(無凱……)

「俺達301飛空隊は最後尾しんがりを任せられた。隊列は先頭に聖隊長、最後を原田副長。俺は隊長の脇を飛んでいた」

 誰かがゴクリと、喉を鳴らした。

「目標地点は『零地区』。俺達がそこにたどり着いた時……空はもう、入り乱れていた」

 仲間の飛空艇と。

「【天賦】の翡翠、【憂イ候】の紅蓮……様々な色、形、飛行……蒼国前線基地と呼ばれる『湊』の、名高いパイロット達が」

 最強とうたわれた空賊の連合艦隊と。

「命を懸けて、戦っていた」

 自分など到底及ばないような、もっと高みを望むパイロット達が。

「生きる事のすべてを懸け、空を飛んでいた」

 ―――語る、磐木の横顔は、先ほどの白河とはまた少し違っていた。

 白河はまるで、夢から手繰り寄せるかような……自分に向けて語るような語り口調だったのが。

 磐木は違う。

 その瞳には12年前を捉え。

 同時に、自分達を捉えていた。

 ―――伝える。

 普段は多くを語らないこの男が。

 その気持ちが痛いほど。彼の言葉を熱くする。

 語られる現実を重くする。

「……敵の数は多かった。漠然とも、どれくらいたのかはかれなかった。何分、飛び込んだ途端俺も、何機もの敵艇に囲まれた。さほど腕を持たなかった俺は逃げる事で必死だった。同時に、パニックになりそうになる自分を抑え付ける事しかできなかった。周りを見る余裕などなかった」

 以前兵庫から訊いたその日の記憶。

 その時描いた映像と、磐木が今語っている映像が重なっていく。

「何分、何時間……どれだけ飛んだかもわからない。心は限界だった。煙の匂いだけが鼻を占める。わけがわからなくなった。どちらが上か下か、海はどれか、空はどれなのか。何もわからなくなってきた。アクセルを踏み込んで突っ込もうとしていた先は海だったのかもしれない。もう手の感覚どころか自分が生きている感覚さえ失いかけたその時」

 真正面。

 正気と狂気の境目に降り立ったのは。

「銀の獅子が現れた」

 灰色のような世界の中で一際輝くその姿は。

「俺にはその姿が、天使か……神に近い物のように見えた」

 ああこれで。

 ―――俺はやっと、空へ。

「俺はその瞬間、息をした。この戦場へ入って初めて息をしたのがその時だったように思った……妙な事を今でも覚えてる。安堵のため息だ。無凱の姿に俺はその時、心から安堵したんだ」

 だが磐木は、自嘲の表情を浮かべなかった。

「しかし」

《テツ――――!!!!!!!!》

 怒号。

 それまで耳に届いていなかった無線の音が。初めて、耳に飛び込んできた声は。

「聖隊長が。俺と無凱の間に滑り込んで」

《オォォオオオオオオ――――!!!!!!》

 無凱に撃ちかかった。

 ドドドドドドドド

 無凱は瞬間、機体を翻す。

 それに猛然と、晴高は追撃を始める。

「俺はようやく気付いた」

 今自分がまだ息をしている事に。

 手も足も動き。

 目には空が映る。

 瞬けば、涙も出。

 唇をかみ締めれば、血がにじむ。

 ―――生きている。

「まだ俺は、生きているという事に」

《隊長―――!!!》

「俺は慌て、無凱と隊長の後を追った」

 そしてそこに至り。初めて空を見た。

 あれだけ群れていた飛空挺の数が、随分減っている。

 仲間は? さっきまではすぐにでも視界に入った蒼い機体が。

 探さなければ見つからない……俺を追いかけていた敵の飛空艇は?

 無凱は? ―――聖隊長は?

 ここは?

 みんなは?

「そして俺は、撃たれた」

 ズンッという突然の衝動と。

 事態が飲み込めないまま、落下していく機体。

 どこが撃たれた? 誰に? 隊長は? 仲間は?

 そんな中見上げた空にあったのは。

「301飛空隊隊長、聖 晴高」

 その人は。

「その人が、俺を撃った」

 磐木にとって、絶対の人だった。


 ◇ ◇ ◇


「……最後の言葉を交わす時間はなかった」

 ただ。晴高は堕ちていく彼に向かって手を上げた。

 高く高く手を掲げ。

 天を指した。

 ―――頼んだぞ。

 後は任せたぞ。

 だから。

「隊長は……俺を生かすために、俺を撃ち落とした」

 俺は手を伸ばした。

 スルリと去っていく、隊長の姿に。

 声を上げた。

 待ってくださいと。行かないでくださいと。

 でも迷っている時間はなかった。

「パラシュートを背負い、飛空艇から脱出した」

 泣きながら。

 空を見上げ。

 その瞬間。

 空が割れた。

 パラリ、パラリと。雪のように。

 傷ついた晴高の機体をその欠片は覆い。

 海にたどり着いた時。

「空には雪のような白い物が舞い……真っ黒い闇が生まれていた」

 飲み込まれていく雲、煙、飛空艇。

「俺は落ちた飛空挺に必死に捕まって叫び続けた」

 仲間を思い。わけもわからず。

「そのうちに……気がつくと辺りは夜になっていた」

 風はやんでいた。

「もう空には何も飛んでいない。音はただ海の潮騒の音だけ。凍るような冷たい海の上、辺りに残っていた残骸をかき寄せてその上に身を縮め、俺は呆然と星空を眺めていた」

 ……磐木は、語る言葉と同じように星空を見上げた。

「一面の星空は、まるで吸い込まれるようだった。一瞬、風がやんだだけで空は全部割れて落ちたのかと錯覚したほどだった」

 瑛己は磐木の横顔を見つめた。

「そんな星の海の中で、俺の目に一際輝くように飛び込んできたのが、北の一等星である北極星と。そのそばにある7つの星、北斗七星だった」

 何があろうと一年中真北にあり揺るがない星と。

 常にそのそばにあり、それを中心として空を動く星。

「入隊して間もない頃。右も左もわからなかった俺に、聖隊長はこう言った。俺達は、あの7つの星なのだと」

 ―――いついかなる時もその星に寄り添い、守り、天を舞う。

「揺るがない存在。それを守る星。俺はあの日、あの場所で誓った」

 俺は、あの星になろう。

 北の一番星を守るあの星に。

 絶対に揺るがないあの星を守る7つの星に。

 北極星はいつもそこにある。あれは誰かの目印になる。

 ならば。

 俺はあの光を守れるような光になろう。

 絶対なる何かを守れる翼になろう。

 誰かの心の支えとなる光を守れるそんな翼に。

「それが―――〝七ツ〟の由来だ」

 聖 晴高に託された思い。願い。

「俺が聖隊長にできるのは、その意志を継ぐ事……あの日あの海の上で誓った。誰かを支える光、その光を守る翼となろうと。俺は決意した」

「……」

 全員が磐木の言葉を黙って聞いていた。

 磐木はふっと息を吐いた。「……ただ」

「俺の願いにお前達を巻き込んでしまった事は……すまん」

「……」

「俺は、隊長の残した意志を守りたい。だがお前達には関係ない事だ……気に入らんやつは抜けてくれ。構わん」

 ―――『湊』第327飛空隊、通称〝七ツ〟。

 その名の由来を聞いて。

「……馬鹿な事を」

 苦笑交じりに呟いたのは小暮だった。

「もう、あなただけの意志じゃありません」

「……小暮」

「この先、何か大きな力によって俺達は翻弄されて。巻き込まれて。散ったとしても」

「……」

「〝七ツ〟という誇りを持って死ねるなら、俺は上々だと。そう思います」

「それに、隊長の下で飛ぶのは結構面白いっすよ」

「なんや、生傷が絶えないですけど」

「……お前ら」

 交互に居並ぶ顔を見て。

 最後に磐木は、瑛己を見た。

 瑛己はただ無言で頷いた。

「……そうか」

 磐木は口の端に少しだけ笑みを浮かべ。

「……愚問か」とこうべを下げた。


 ◇ ◇ ◇


「『日嵩』、【天賦】、無凱、軍上層部、橋爪総司令、〝空の欠片〟、そして〝空の果て〟―――何かが起ころうとしているのは確かな事のようです」

「あと、『黒』もな」

「ああ。俺達はその一角に位置して……この先どう巻き込まれていくのか予想もできないが―――命だけは」

 磐木はそこで区切って、改め、強い口調で言った。

「この先何が起ころうとも、向かう先は嵐のど真ん中であろうとも。総員、命だけは必ず守れ。何を置いても、死ぬな」

 死ぬな―――。

 瑛己は眉間にシワを寄せ、そして小さく頷いた。



 誰かを支える光であれ。

 その光を守る、翼となれ。

 それが〝七ツ〟の誇り。

(……)

 瑛己は空を見上げた。

 星はさっきと変わらず輝いている。

(……彼女も今頃)

 同じ星を、見ているのだろうか……?)

 絶対たる翼の名を持つ少女。

(俺が守りたいものは…………)




 夜空の星が、一つ、音もなく流れ落ちた。

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