『あの日(piece_of_the_sky)』-2-
「さて」
高藤は手近にあった椅子にドカリと腰掛け、雑把に足を組んだ。
そして制服の内側から煙草を1本取り出すと、噛んだ。
「まずは今回の件、もう1度最初から経緯をおさらいしようか。―――磐木」
「は」
磐木は深く頷いた。
「半月程前、我々327飛空隊は『日嵩』の要請でかの地へと赴きました。作戦内容は、『日嵩』による【無双】襲撃。4つある【無双】へ道のうち、我々は一番の難所とされるルートを任される事になりました。そのルートを任されたのは我々7名ともう一人、本上 昴という者、計8人でした」
「本上 昴……【サミダレ】壊滅の立役者か」
兵庫が渡したマッチで、高藤は素早く煙草に火を点けた。
「は。そして我々は予定の時間に【無双】へ向けて飛び発ちました。そしてその行程の途中、昴と、そして【天賦】の襲撃に遭いました。
これは後に判明した事ですが、昴は上島総監に、我々を撃墜する事を目的として雇われたようです。ですが昴本人も、その時【天賦】に撃墜されています」
瑛己の隣で飛が、苛立たしげに肩を掻いた。
「その後、私と元義、須賀の3名は【天賦】によって拉致、監禁されました」
「お前らの消息が不明になって間もなく、『蒼光』に【天賦】……いや、無凱からの要求があった。期日は3日、要求をのまない場合、全員を殺すと」
ふと高藤は目を細め、言った。「で、奴には会ったのか?」
「はい」
ハッキリと、磐木は言った。
(無凱……)
瑛己の脳裏に浮かぶ、あの姿、あの声、あの笑顔。
「そして我々は【天賦】に捕らえられている所を昴、そして昴の兄・来という者によって助けられました。そしてその後、来の飛空艇で基地に帰還した次第であります」
「聖」と高藤が瑛己を見た。「確かお前もその男に助けられたんだったよな?」
はい、と瑛己は小さく頷いた。そして、あの時の事をかいつまんで話した。
来と昴、そして『白雀』という地図から消された町……無凱との対決。そして現れたセピアの飛空艇、山岡 篤。
もちろん、そこまで詳細に話す事はしなかった。『白雀』で見つけた写真の事も、そして山岡の事も。
山岡と聞いて飛が何を思ったのかは知らない。だが彼は、微動だにしなかった。
「風迫に関しては俺が言おう」と高藤は灰皿に煙草を落とした。
「襲撃から数時間後、偶然うちの者が、領海で彷徨っている2人の飛空艇を発見した。その後『音羽』を経由して『湊』に送り届けた。その時の相楽の状態は……知っているな?
基地に戻った風迫は、白河君の密命を受けて翌日、『天晴』に向かった」
「密命?」
問う小暮に、高藤はチラと兵庫を見た。
「こいつの事を知らない者もいるかもしれない、紹介し遅れた。原田 兵庫。元・『湊』基地第301飛空隊所属。俺の元部下であり、白河君の朋友でもある」
「……」
朋友。その言葉に兵庫は苦い顔をした。
「こいつが怪我をしたと聞いた白河君は、風迫に様子を見に行ってくれるように頼んだんだ。だな? 風迫」
ジンは面倒くさそうに頷いた。「急いで戻ってきたかいがあった。祭りに乗り遅れる所だった」
「あのー、つか、今、『天晴』って言いました?」
ふと飛がソロソロっと手を上げた。
「あのぉ……全然関係ないんスけど、俺の、地元なんスけど」
「私はあれから少し気になる事がありまして、独自調査をしていたため、合流が遅れました」
飛の〝地元発言〟を遮るように、凛とした声で小暮が言った。
「ほう? 調査と?」
「はい」小暮は眼鏡の縁を正し、ゆっくりと口を開いた。
「あの作戦には当初から、何か引っかかるものがありました。私自身は襲撃の序盤に、昴によって撃墜されましたが、運よくその場を離れる事ができました。その後、【無双】アジトに向かいました」
「ゲロっ! ひ、一人でかよ!?」
目を丸くした新に、小暮は事なさげに「ああ」と頷いた。
「どちらにしても、飛空艇は大破してしまったし、海の上の孤島だ。あっちに行くしかありませんでした。そこで『日嵩』と合流できれば幸いと思っていましたが」
「が?」
「たどり着いた所は、もぬけの殻となっていました」
高藤は2本目を取り出した。ジンが、重そうに目を開けて小暮を見た。
「警備の数名がいる以外、【天賦】の者はほとんどいませんでした。私はそこから1機拝借し、内地に向かいました」
「こ、小暮ちゃん、ちゃれんじゃぁ……」
「た、高藤さん、無茶だっつっても俺、小暮さんには適わないような気がするんスけど……」
唖然とする新と飛を無視し、小暮は表情少なく続けた。
「密かに『日嵩』に戻った私は、そこで、今回の襲撃が元々存在しなかったのだという事を知りました」
「存在しなかった?」
「そうです。すべてが虚構、彼らの本当の目的は、我々を【天賦】に引き渡す事、そして『湊』への襲撃でした」
ここで言葉を区切り、小暮は息を吐いた。
「そこで私は独自のルートを使って調査をしました。上島総監と【天賦】の繋がり……今回の一件、それが立証できなければ闇雲になってしまう怖れがありました。ですがその調査の途中、思いがけない事実に突き当たりました」
誰かがゴクリと息を飲んだ。
「上島 昌兵という人物には2つの顔があります。『日嵩』空軍基地総監・上島 昌兵、そして、元【サミダレ】幹部、富樫 猟」
「……!! 富樫!? 国鉄・渡会会長襲撃事件の後に行われた一斉捜査で、唯一捕らえられなかったという―――あの男が!?」
飛が瑛己の腕をつついた。「おい、有名人なんか?」
「はい。間違いありません」
「では……」
「あの谷間の襲撃の際、昴も執拗に狙われたと聞きましたが」
そういう事か、と高藤はうめいた。
「【サミダレ】壊滅の発端となった本上 昴……上島君の目的は、彼女に対する復讐も込められていたか」
磐木は大きく息を吐いた。
そして高藤はうめき声を上げ、2本目の煙草を噛み締めた。
◇ ◇ ◇
「お前達にとって、空は何だ?」
どこか遠い眼差しで高藤が言った。
「美しいものか? 広く広大で、無限のものか? 優しく包むものか? それとも翼の領域、そこは自由か?」
その問いに誰も何も答えなかった。
「俺はこう思う。本当は、人は、空を望んではいけなかったのではないかと」
「……」
「人はその起源から、空を深く愛し、求めた。どれほどその腕を伸ばし、近づこうともがいた事か。伸ばした手は、いつしか建物へと変わり、高く高く積み上げられた。長い長い時間と、数え切れない命を積み重ね、それでも人は空を求め続けた」
「……」
「なぜそれほどまでに人は空を求めるのか。未だ世界には、何百年に渡って造られ続けている塔がある。崩れてはまた積み重ね、それを繰り返し、人は……その果てに何を求めるのか」
鳥の鳴き声がする。
「だが近年、画期的な事が起った。飛空艇の登場だ。魔法使いでもなく、普通の人間が空を、鳥のように翔ける事ができる時代がきた。だがそれも、最初は今とは比べられないほどの物でしかなかった。そんな飛空技術を画期的に飛躍させたのは、戦争だった」
チチチ……陽射しは暖かい。
「発端は、簡単な偵察用の物だった。だが戦争の脇役でしかなかった物が、次第に表舞台へと借り出されるようになった。最後には、空をも巻き込んで、人はその業を競い合った」
空は蒼い。
「人が空に望んでいたのは、未開の場所に対する欲望でしかなかったのだろうか? そして最後には、そこで血を流す事が目的だったのか? 空は美しい。だが遠く果てしない歴史の果てに手に入れた……そう思い上がる人が、手にした空の欠片は、一体どれほどのものなのか?」
空は高い。
「空を飛ぶ鳥は、果たして自由だと思うか? 翼という宿命を背負い、死ぬまで飛ぶ事を運命付けられた鳥達は、本当に果たして自由なのか? 俺達は翼を手に入れた。空を手に入れたと思っている。だが本当にそうなのか? 手にした翼は絶対のものか? この世に絶対などというものがあるのか? 伸ばし続けた両腕は、本当に空を、掴む事ができたのか?」
指が、空気を、素通っていく。
「翼という十字架を背負い」
風が吹き抜けていく。
「空は本当に自由か?」
髪がかき乱れる。
「そして空は」
瑛己は空を見た。
「飛ぶ鳥を、許しているのか?」
眩しかった。
「そして俺達はそこに、本当に、求めていたものを見つけたのか?」
◇ ◇ ◇
「今から一つ、おとぎ話をしよう」
何本目かの煙草に火を点けながら高藤はそう言った。
「この世界がどのようにして生まれたのか。須賀、知ってるか?」
「へ?」
突然振られた飛は、素っ頓狂な声を上げた。
それに高藤は軽く笑い、そして続けた。
「その昔、この世界には何もなかった。花も草も、土も、海も。何一つ存在しない、果てしなく真っ白な世界。どこまでいってもあるのはただ〝無〟。風もなければ、感じる事何一つ、存在しない世界」
「……」
「それを哀れと思ったか、それともただの出来心か。神はその腕を振りかざした。途端、何もなかった空の隙間から、何かがハラリとこぼれ落ちた。そしてそこから、光が漏れた」
兵庫が、高藤を見た。
「光は徐々に強く、確かになっていく。そして同じだけ空からこぼれるものも多くなっていった。卵の殻でもむくかのように、空が割れて、そこに光が差した。そして今の空が生まれた。割れた欠片は、あるものは溶けて水となり、あるものはそのまま形を変えて土となった。水は集まり、海となる。土は固まり、陸となった。こうして世界は生まれた」
「……」
「古い書物にはこうある。その時、最後にこぼれた〝空の欠片〟は、水になる事も土になる事も望まず、ただ〝欠片〟である事を望んだ。そして後に生き物が生まれ、人は生まれた。人はその〝欠片〟に神の力が宿っていると信じ、大切に大切に守る事にした」
「……」
「人はそれを、〝空の欠片〟と呼んだ」
―――聖石・〝空の欠片〟。
瑛己は一点を見つめ続けていた。
「だが人は、徐々にその石を守る事よりも欲する事を、その力を求め始めた。その石には神の力が宿っている。一度その力を解き放てば、世界のすべてを変える事もできるのだと言われるようになった。人の歴史は、石の歴史でもある。石を巡って争いが始まった。たくさんの血が流れ、また、それによって様々な運命が交差していった。一般的な歴史の書物を紐解いても、石の姿は見えてこない。だが確かに、石は我々の歴史に深く関ってきた。多くの英雄が生まれ、散り、幾つかの国が滅び、また生まれた」
「……」
「だが、本当にその石にそんな物凄い力があるのか……誰にもそれはわからなかった。それが本当にこの世界の起源に至る、〝最後の欠片〟であるのか、それを知る者は誰もいない。確かめる術もない」
「……」
「歴史の書を紐解けば確かに、石によってもたらされたという事象も……伝説的には存在する。例えば古代ヘロパピウス王朝、今の『ビスタチオ』にあたるそこで起きたという国土全土が水没せんとした大嵐……それは一説に、聖石の力によるものだという説もある。また、『ロンデバルデスク』に伝わる天より降り注いだ炎の伝説、似たような話は『黒』にもある」
「……」
「石は、人の歴史の混沌と血の海の中に存在してきた。そしてそれを繰り返すうちに、石それ自体が災いだと恐れられるようになった。それでも人は石を求める。なぜだ? 人が空を求めたように、石に伸びる手も失われなかった」
瑛己はコトンと、空気を飲んだ。
「時間は流れた。世界は変わった。科学技術は進歩を遂げ、人は空をも手に入れた。だが欲望が留まる事はない」
「……」
「その石に、本当にそんな力があるのか。伝説はただの伝説。人はただ、その虚構に踊らされているだけではないのか。―――だがその答えは、あまりに突然、知れる事となった」
高藤はスッと息を吸い込んだ。そして、「12年前」と言った。
「石は、色々な道を辿り、あの時ある小さな町にあった。発端は実験中の事故……石を研究していた施設で起った大きな事故。これが、その後の運命を変えた」
トクン。
「その時正確に何が起こったかはわからない。だが、確かに石は力を放とうとした。それをその場にいた全員が目の当たりにする事になった。直後その町は、町自体を消し去る事で、すべてを闇へと覆い隠した。地図から消えた町―――その名は、『白雀』」
「『白雀』やて!?」
飛が叫んだ。瑛己は黙っていた。
「そうだ。そしてその『白雀』を失った代価として……一つの町を失い、そこに住まう人たちを消し去り……そしてそこで彼らが得たものは。神への道しるべ……いや、悪魔の所業であったのかもしれない」
手に入れたのだ。高藤は言った。
「『白雀』と引き換えに。聖石を―――解き放つ術を」
トクン。
心臓が、やけに大きく打った気がした。
瑛己は自然、眉を寄せた。
「人は力を得た。その力が何を意味するのかも知らず。そしてその力がどれほどの物かも知らず。ただエゴのままにその力を―――手に入れた新しい玩具で遊ぶか子供のように。軍上層部はその力を、あの日、あの場所で解き放つ事を試みた」
―――12年前。
「そして、〝空の果て〟は現れた」
.
火傷の傷が疼いている。
熱い。
どうしようもなく、心臓が。
何かを求めるように、早鐘に打っている。